2025年 4月 の投稿一覧

大糸線全40駅訪問最終章~優先的に電化された急行の終着駅

信濃森上駅の駅名標

※訪問は2024年10月10日

降りるころには

信濃木崎から白馬も越えて1駅。約40分で到着したのは

信濃森上駅。8時5分の到着でダイヤ的には通勤通学用なのだろうが、白馬まででほとんど降りてしまい下車したのは私一人。要は閑散としているのだが、南小谷まであと3区間というこの駅が主役だった時代が確かにあったのだ

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突貫工事の電化

当駅は1932年(昭和7)に大糸南線(当時)が神城から延伸された際に開業した。線路がさらに伸び、中土まで到達したのは1935年だったので、3年間、終着駅の役割を果たしていた。そのまま戦争に入り、大糸南線と大糸北線がつながって大糸線となったのは1957年(昭和32)。これは何度も書いているが、国防のために敷設が始まった大糸線が全通したのは戦争が終わって10年以上も経ってから。では沿線人口の少ないこの路線を今後どうしようとなった時に出た発想が観光レジャーとしての活用だった

沿線にはスキーや登山もある、温泉もある、湖もあるということで利便性を図るため信濃大町以北も電化することになり、突貫工事で進められた作業は全線開通からはや2年後の1959年には信濃四ツ谷(現白馬)までが電化。1年後の1960年には信濃森上までが電化された。さらに…といきたいところだが、ここでいったん電化の作業は急停車。南小谷までが電化され、現在の形となったのは1967年で7年も要した。つまりは信濃森上までの電化が急がれたのだ。理由は周辺のスキー場などを抱える白馬岩岳の存在である

地図では点と線しか分からないが、信濃森上駅の駅舎と逆側、国道148号線の北側はリゾート地域となっていて宿や飲食店が並ぶ。スキー場までも車だとあっという間の距離である。そのため東京、大阪からの夜行の急行は白馬ではなく当駅を終着駅として、夜の遅い時間に新宿や大阪を出た列車は早朝に当駅まで多くの人を運んでいた

手元にすでにJRとなった1988年3月号の時刻表(復刻版)があるが、GWまで臨時の急行が多数運行され、信濃森上止まり以外にも南小谷行き、南小谷行きだが白馬から普通として運用されるものもあり、朝の5時台から6時台にかけて信濃森上駅は大にぎわいだったことが想像できる。もちろんすべてが電車車両。さかのぼること10年の1978年10月号においては主要駅を表す太字表記は白馬ではなく信濃森上である

主要駅の現在

そんな「主要駅」の現在はというとホームを出ると階段があり駅前ロータリーへ出られるのだが、外から見ると

これを駅舎と言って良いのかどうかという状態だ。2007年(平成19)に開業時からの駅舎は解体され、現在の姿になった。もちろん無人駅で優等列車の停車はとうに終わっている(今春のダイヤ改正で白馬以北の定期優等列車は姿を消した)

時代とともに白馬岩岳スキー場(夏季はリゾートとして営業)へはマイカー利用が主流となり、公共交通機関利用の場合も白馬駅からが主なアクセスとなっている

往時を思わせるホームも

ホームには待合所があり

前記事の信濃木崎駅と同じ内容になってしまうが、そこにあった駅名板だけが旧駅舎から引き継がれたものだと思われる

ホームはもともと2面3線で柵の向こう側にあったホームは使用されなくなっているようだ

主要駅以外は構内踏切の多い大糸線だが、こちらは跨線橋で結ばれていて、かつての規模の大きさがをしのばせる。時間はあるので向かい側のホームも見てみようと歩を進めると、そこで待っていたのは

通行止めのネット。現在の運用は棒状ホーム扱いである

あらためて見ると、なるほどレールは錆びている。車掌さん用のモニターがあるので、最近まで利用されていたようではあるが…

背後の美しい山の稜線とのコントラストがちょっと寂しかった

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大糸線全40駅訪問最終章~かつての観光拠点駅は駅名板に面影を残す

信濃木崎駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

※写真には10月8日のものも含まれています

絶対に寝坊厳禁

木崎湖畔の宿から朝の7時過ぎの国道を再び駅へと向かう

まだもやがかかっている。そして寒い。昨夜の部屋はエアコンなしではいられなかった。10月上旬とは思えない。6時の気温が3度だったので、まだいくらも上がっていないだろう

駅は国道から少し奥に入った場所にあるが、大きな立て看板があるので道路沿いからもすぐ分かる

そして毎度おなじみの時刻表

ここからは当駅以北の駅を巡っていくが、7時29分の南小谷行きを逃すと3時間半運行がなく、なかなか悲惨なことになるというか、何をしに来たのか分からなくなる。そんな保険も含め、3日間有効の秋の乗り放題パスに準拠して2日で十分終わる予定にプラスして1日予備日を設けたのだが、ここまで来られたということで本日の仕事は終わったようなもものだ。後は時刻表通りに運行してくれれば列車に揺られるだけ。ウトウトしての寝過ごしはまずいが、だからといって危険なことはない。車旅に対する最大のストロングポイントだ

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かつては木崎湖の観光拠点

信濃木崎駅。1929年(昭和4)の開業。国鉄によって建設された信濃大町から北は信濃大町~簗場が最初に開業。海ノ口、簗場とともに最初の駅となった。当時は平村。戦後の1954年に大町などと合併して大町市となった。平村には海ノ口と当駅の2つの駅があったが平村の中心駅は当駅で、生活駅だけでなく木崎湖観光の拠点駅としての役割も担い、優等列車が停車した時代もあったが、車時代の到来とともに木崎湖へはマイカーでのアクセスが中心となり、観光駅としての地位は低下。前記事でも触れたが、木崎湖のすぐそばを線路が走っているにもかかわらず、駅から徒歩で15分という距離が車へのシフトを早めたのかもしれない

朝が早すぎるということもあったのかもしれないが、宿に宿泊していたお客さんで、ライダーの方々はともかく私と同じ時間帯での乗車は私だけだった

現在の駅舎は1999年(平成11)からと新しいもの。写真で分かる通り、簡易的な構造。それ以前には開業以来の駅舎があった

誕生日が同じで、おそらく同一の施工者なのだろう。海ノ口とそっくりさんの駅舎だったようだ

小さな待合所に助けられる

駅舎内には小さな待合所。駅の標高は760メートルで寒さがこたえるはずの高さでこの空間には助かった。利用者の居住スペースとしてはここだけで時刻表と料金表がある。近年のデータはないが、1日の利用者数は50人ほどとみられる

こちらはホーム側から見た駅舎だが、お手洗いらしい入口のドアは施錠されていて入れない。要は当駅にはお手洗いがないので要注意。大町市内の駅はホームと待合所のみの駅でもお手洗いが設置されていることがほとんどだったが、駅舎のあるこちらはない。私は前日に到着した際、そのことが分かっていたので事なきを得たが、知らなければ危ないところだった

かつての駅舎の面影を残すものは

駅舎に掲げられた駅名板。これだけが旧駅舎から引き継がれたものだ

ホームは2面2線構造で、構内踏切での移動となる。私が乗車した時間はすれ違いが行われる時間帯。信濃大町行きにダッシュする高校生の姿も見られた。ここから今日の1日を始めよう

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大糸線全40駅訪問最終章~湖畔の温泉宿で早々からのんびり

国道にある信濃木崎駅の入口案内

※訪問は2024年10月9日

午後3時過ぎに投了

2時間待ちの北大町駅から乗車してわずか1駅。信濃木崎駅で下車。北大町~信濃木崎の駅間距離は北大町が後からできた駅だけあって近く2・2キロ

徒歩でも30分ちょっとの道程だ。歩くにはちょうど良い季節(10月にしては寒すぎたが)。線路沿いに道路があって、いろいろな要素から歩いてくださいと言わんばかりの条件がそろっていて通常の駅巡りなら普通に歩いていただろうが、今日は2時間待機しても電車で1駅。と言いつつ前記事のカフェにたどり着くまでウロウロしたので、その間に信濃木崎まで着いているという話もあるが、それは後から「そういえばそうだな」と分かるもの。妙な効率の悪さは旅では必要悪のようなものでもある

そして歩かなかったもうひとつの理由は、駅からさらに10分以上歩く必要があったこと。それは宿までの道程で、まだ15時半にもなっていないが、今日の駅訪問はここで終了。時間的、ダイヤ的にはもう1駅行けそうだが、朝6時の名古屋からはかなり時間が経っているしギブアップ。投了である

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木崎湖畔の温泉へ

基本的には旅に出かけるとピジネスホテルに宿泊する。いろいろな考えはあるだろうが、気を遣わずに楽だしプライベートが確保されて安価。私にはちょうど良い。ただたまにはちょっと異なる空間をと、今回は今日そして明日と方向性を変えてみることにした。今回は木崎湖畔の木崎温泉にある「民宿やまや館」に宿泊する。その木崎湖温泉は信濃木崎駅から徒歩で10分ちょっと

信濃木崎の駅については次の記事で紹介する予定だが、もともとは木崎湖畔観光のアクセス駅としての役割も持っていた。だったらもう少し湖に近い場所に駅を設置しても良かったのではないか、とも思うが、それだと観光に特化していて周辺住民が利用するのに不便だったのだろう

線路に沿った道路を歩いていくとローソンが登場する。存在は宿の位置を地図で確認した時から分かっていて、随分と駅から離れて場所にあるもんだと思っていたが、国道が県道と交差して大糸線の線路をまたぐ場所に位置していて納得。個人的にも大歓迎で買い物をしてからローソンの左側の道路を進んでいくとすぐ

旅館街に到着

やまく館さんも、すぐの場所だった

のんびり過ごして早朝出発

宿に着いた時はまだ他のお客さんがいなくてお風呂は独占。のんびりしよう

早々にビールを飲んで部屋でウトウト。再度風呂に入って

夕食。10月というシーズンオフだったが、お客さんはかなりいて、木崎湖畔の宿も国際色は豊かだった。ライダーの方々もいた

翌朝も朝風呂からと思っていたが、朝6時の気温が3度という真冬のような寒さだったので、7時過ぎには宿を出る予定ということもあって断念

絶対に7時半の列車に乗る必要があったので6時半からの朝食の提供は大いに助かった。この日は炊き込みご飯のサービスもあった。最近は民宿でもwifiサービスが標準装備になりつつあるようで、それにも助けられた。季節や曜日によって料金は変動するのだろが、この日私が支払ったのは酒代も含め1万円もしなかった。大変満足して7時過ぎに宿を出発。これで今日は朝から元気に各駅を回れそうである

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大糸線全40駅訪問最終章~黒部ダム建設の拠点を担った駅で2時間待ち

北大町駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

稲尾駅と誕生日は同じ

北大町駅に到着。駅名標で分かる通り、信濃大町駅のひとつ北隣の駅。信濃大町駅以北は国鉄によって敷設された区間となる。そのため路線内では、国鉄建設による1つ目の駅となるが、開業は全通後の1960年(昭和35)の7月20日で先に紹介した稲尾駅と同じ誕生日。構造も同じく単式ホームと待合所のみの簡素な構造となっている

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2時間電車が来ない

駅の紹介より、先に時刻表を紹介しよう

簗場から12時56分でやって来た。同方向つまり信濃大町、松本方面は16時24分で、なんと3時間半後、南小谷方面も15時12分で2時間以上後と、まぁまぁ困る運行状況となっている。ただ駅の周辺は大町市の市街地域でもあり、住宅や商店もある。時間的にはランチタイムなので、あまりアテはないが、食事をして時間を潰せそうなら、ここに居座り無理そうなら30分ほど歩いて信濃大町駅を目指すつもりだ

ということで時間はいくらでもあるので駅をじっくり見ていこう。じっくりといってもすぐに終わってしまいそうだが、基本的には2両編成の列車しかやって来ないためホーム有効長は短い

住宅街の中に戦後10年以上も経って設けられたことから駅前広場といったものはなく、この階段のみが駅の内外を結ぶ導線だ

貨物の重要拠点

駅の南側には踏切があり、ホームと逆側に街が広がる。音楽ホールでもある大町文化会館は駅に隣接した形となっているが、この場所が北大町駅にとって大きな意味を持つ

この場所は関西電力の資材置き場だった。大町そして関西電力といえば、ピンと来る方も多いだろうが、資材は黒部ダム建設用のものだった。やがてここから県道が造られる

長野県道扇沢大町線。立山黒部アルペンルートと言った方が分かりやすい。関電トンネルの扇沢駅までのバスが信濃大町駅から出ているが、県道そのものの起点はここ文化会館。現在は観光ルートだが、もともとは黒部ダム建設用の資材を運ぶ道路として建設された。貨物列車で当駅付近まで運ばれた資材はトラックで現場まで運ばれた。駅としては旅客専用の駅だったが、大プロジェクトを担う駅だったのだ

ふらり入ってカフェで

さて肝心の時間つぶしだが、町をウロウロしているとカフェを発見

ホットサンドのセットで昼食としたのだが、地元のおなじみさんばかりの店内で会話は大いに盛り上がり、あっという間に時間が過ぎ去った。12月にも加古川線に乗車した際、西脇のカフェでこちらも地元トークに花が咲いた。地方の喫茶店にはこんな楽しみがある。西脇の場合は神戸からすぐの場所なので土地柄的な部分は共通点も多いが。さすがに大町には土地勘は全くない。初めて知ることばかりだったが、ひとつ分かったのは今日のように地元の方もビックリの急に寒くなる日があるということ。それがたまたまこの日だったようだが「立派なセーター用意して来るなんて偉いじゃない」と褒められた。お漬物やフルーツのお裾分けもあって楽しいひとときを過ごせた。ごちそうさまでした

信濃大町駅近くにあるのかなぁ、とちょっと困っていたドラッグストアも付近にあって助かった。あっという間の2時間で町の散策はほとんどできなかったが満足して駅に戻る

近年のデータはないが、おそらく100人は切っているであろう1日の利用者数の駅だが立派なお手洗いが設置されている。よく見ると「電源立地地域対策交付金」の文字。その前に立ち寄った簗場駅にも

年代は異なるが同じものがあった。観光地としての黒部ダムは認識していても建設については、ついつい忘れがちになってしまう。北大町の駅に来ても面影はほとんどないが、このようなプレートを見ると、当時のことをいろいろ思い巡らせてくれるのだ

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大糸線全40駅訪問最終章~湖畔観光、スキーの駅としてにぎわう

簗場駅の待合所にある方面案内

※訪問は2024年10月9日

ロッジ風駅舎は平成になってから

バスを降りて簗場駅へ。駅舎はロッジ風でおしゃれな感じだが

中に入ってみると簡易的なもの。もちろん無人駅

財産票によると2004年からのもの。「待合所」とされているので駅舎という感覚ではないようだ

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大糸線での最高標高

最近の数字は分からないが、おそらく現在の1日あたりの利用者は20~30人ほど。しかし以前の当駅はもっとにぎわいを見せていた

駅の前はすぐ中綱湖で湖畔の旅館街までは徒歩で10分もかからない。私の訪問時はシーズンオフだったが、旅館街のすぐ向こうにスキー場が見える。鹿島槍スキー場で、駅から歩いていけるスキー場である

簗場駅は1929年(昭和4)の開業。信濃大町以北の建設を行った国鉄が信濃大町から北へと線路を伸ばす際の一時的な終着駅だった(翌年、神城まで延伸されている)

転機を迎えたのは戦後となった1957年の大糸線全通以降。元々は国防用に敷設が始まり、全通時には終戦から10年以上が経過していた大糸線をレジャーに活用することになって、最初に着手したのが輸送力を充実させるための電化だった。松本から信濃大町までは信濃鉄道の手によって大正期に電化されていたが、信濃大町以北も一気に電化させようというもの。信濃大町~信濃四ツ谷(現白馬)までが1959年には電化される

以前の記事で白馬駅について紹介したが、最も脚光を浴びたのはスキーだった。沿線では、それまであったスキー場の拡充や新規オープンが相次いだ。その意味では夏場のレジャーにもなる仁科三湖を有する簗場駅は格好の対象だった。当駅の標高は827メートル。大糸線内で最も高い場所にあり、道理で肌寒いはずだが、電化後間もなく鹿島槍スキー場がオープン。当時は何本も乗り入れていた大糸線の優等列車も停車する駅となった

はがれた地図にあった駅

駅前にあったトレッキングコースの地図に目が行ってしまった

赤丸で囲った部分。紙で塞いだ部分がはがれていた。駅の部分を覆っていたようだが「ヤナバスキー場前」と書かれている。簗場駅の駅名標も

かつてあった隣駅を変更した跡が明白だが、簗場と南神城の間にはかつてヤナバスキー場前という駅があった。スキーの季節だけ営業する臨時駅だった

こちらは青木湖畔にあった。グーグル地図を拡大すると、もちろん駅はないが、今も「出入口」という表記だけが残る。1985年という昭和終わりごろのスキーブームのころに開業したヤナバスキー場だったが、2016年度に営業を中止しており、臨時停車もなくなり、やがて廃駅となった。存在していれば簗場駅よりも標高の高い位置にあったようだ。また現在は大糸線を北上すると簗場駅が大町市最後の駅となっているが、この駅も大町市にあった

簗場駅が簡易化されたのは、ちょうどそのころ

優等列車の停車があったことを物語るように、かつては長いホームがあったようだ

側線が保線用に残されている。かつての貨物ヤードだったのだろうか

ホームの待合室は古いものが残る

この時間帯は当駅で列車交換が行われる。再び信濃大町方面へと向かう

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大糸線全40駅訪問最終章~アテのないかもしれないコミュニティバスに乗車

簗場駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

稲尾駅前のバス停

稲尾駅を出た国道にある停留所

かわいい停留所があった。大町市のコミュニティバスである

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今回もお世話になります

駅巡りで困った時の強い味方、コミュニティバス。9月に中央西線の最北部分で塩尻市のコミュニティバスにお世話になって以来のことだ。列車がなければコミュニティバスである

これが時刻表。1日3・5往復で平日のみ運行というのはコミュニティバスの鉄則のひとつ。私が乗るのは青木・木崎方面。最初の写真で分かるかもしれないが、停留所があるのは稲尾駅を出た国道の向かい側。稲尾駅側にバス停はないが、注意書きに「道路の反対側で手をあげて運転手にお知らせください」と書いてあり、なかなか親切。過去の体験ではこのような案内はなく、ただバス停の向かいで「お~い」と手を振って停まってもらった

稲尾駅に到着したのが10時56分でバスの発車が11時32分。1日わずか3本ながら、まるで私のためにあるような運行だ。稲尾駅で降りたのは私一人、そしてバス停で待つのも私一人。電車がなければバスである

間もなくバスがやって来た。ただ「私のためにある」と言っておきながら、実は不安だらけなのだ。この路線は途中からデマンド化されるようで、簗場駅近くの停留所はデマンド路線の中にある。大町市の中心部から出るこのバス(もちろん信濃大町駅も通る)は付近の集落をクネクネと入念に回るようで、路線バス扱いの最も近い停留所で降りたとすると

線路沿いに30分ほど歩く必要があるらしい。しかしバス用の携帯アプリ(地方に行くと使用頻度が高いのでインストールしている)によると、簗場駅近くの停留所は乗ることはできないが、到着時間は書いてある。ひょっとして降車だけなら可能なのか? 時間はたっぷりあるので30分歩いても電車には楽勝で間に合うが、わざわざバスに乗って、その後30分も歩きたくはない

乗客は私のほかにはご老人の女性。明らかに地元の方で、コミュニティバスによくある運転手さんも顔を知っているお客さんのパターン。乗車時におそるおそる尋ねてみた

「湖端で降りたいのですけど」

事前に「こばた」と読むことを調べておいた。すると

「分かりました」

平静を装っていたが、この時の気分といったらなかった。心の中で何度もバンザイを繰り返していた

中綱湖畔の旅館街を通る

これで安心してバスの車窓に専念できる。どうやら千国街道の旧道を通っているようで、国道148号=千国街道と思い込んでいた私は認識が微妙に異なることを教えられた。また簗場駅は仁科三湖のひとつである中綱湖にほど近く、湖畔の旅館街をバスは抜けていった。実は今回の旅において、この付近の旅館への宿泊も考慮したこともあり「予約しかけた旅館は、ここなんだ」と思いながら車窓を眺める

先客のご婦人は、そのあたりで降りて残ったのは私一人。そして間もなく

無事、湖端に到着。このあたりはフリー乗降区間らしく簗場駅と言えば降ろしてくれたかもしれないが、駅とは目と鼻の先なので全く問題はない

大町市街行きは、やはりデマンドバスになっているが、大町市内から来る時は乗れたので良かった

中綱湖が美しい。私はバスに揺られて湖の向こうの集落のある場所からやって来た

ちなみにバスはこの先、簗場という停留所を通るが、駅名と同じながら、ここは駅からはやや遠い。もしバスで簗場駅を訪ねる人がいれば留意してほしい。まぁ、この記事を読んで訪ねる人はほとんどいないと思いますが

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大糸線全40駅訪問最終章~木崎湖ほとり2駅のひとつに残る駅名板

稲尾駅の駅名標

※訪問は2024年10月9日

「恒例」のホーム+待合所の駅

稲尾駅に到着。本日最初の訪問駅だが、名古屋を7時に出て最短距離で来たものの、すでに11時前となっている。ただダイヤ的に、どんなに早く行動しても名古屋からスタートする限りこの時間になってしまう

そして駅は大糸線ではおなじみのホーム+待合所のみの構造だ

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木崎湖ほとりの2駅

大糸線の車窓のハイライトのひとつである木崎湖畔の2駅のうちのひとつである海ノ口駅についてはすでに紹介済みだが、もうひとつの駅が、ここ稲尾駅。そして私の駅訪問については、ちょっと失敗している

両駅間は極めて近いのだ。しかも平坦コースで線路に沿った道路を歩くことができるので駅間距離の1・3キロとほぼ同じと、駅間徒歩のための大切な要素がそろっているのに前回思いつかなかった。しかも木崎湖が最も接近する景観の良い場所を歩くことができた。限られたダイヤで、これは見逃しのひとつだろう

地図で分かる通り、駅ホームからの眺望は農地を挟んでの木崎湖という形になる。10月上旬ということでまだ夏の香りも多少は残るが、山にかかった霞などもう少し早い時間帯なら、もっと美しかったと思う

全通後にあらためて新設

当駅は1960年(昭和35)の開業。大糸線の全通が1957年なので、その3年後に新規開業した。このタイミングで北大町、飯盛と同時に3駅が開業している。いずれも信濃大町より北の駅だが、このころは大糸線にとってエポックな時代で、戦前から国鉄によって敷設された信濃大町以北の電化が急ピッチで進んでいた時だった。全通からわずか2年後には信濃四ツ谷(現白馬)までが電化され、稲尾駅設置の1960年には信濃森上までが一気に電化。そのタイミングでの新駅誕生だった。地元からの請願があっての開業で、海ノ口駅までの距離が短いのもそのためだ。逆側の隣駅である信濃木崎駅までも2・2キロしかない

急ピッチで建設されたこともあり、ほぼ並行する国道に面していて簡素な入口があるだけで国道側からも分かるように駅名標は外向けの駅名板も兼ねるリバーシブルな形式だ。ホーム有効長も3両分しかなく4両編成の場合はドアカットが行われるという

そんなシンプルな構造の稲尾駅だが、ひとつ目を引くものがこちら

待合所に掲げられている駅名標。形式はクラシックなものに見えるが、随分真新しいと思ったら解説があった

うれしい気遣いというか心配りだ。わざわざモニュメントとして掲示しているという。電車から下車したのは私一人だけだった。最近のデータが調べても出てこなかったのだが、10年以上前で1日の利用者が10人ほどだったそうなので、おそらく今はそれ以上の数字ではないだろう。そんな小さな駅で出迎えてくれた駅名標に敬意を表したい

さて待合所の中にある時刻表を見ると

10時56分の電車でやって来たので上りも下りも1時間半運行がない

ちょうどあずさがやって来たが、もちろん当駅に停車するはずもない。さすがにここで時間をつぶすわけにはいかないので、ここからは別の交通手段で別の駅へと移動することにする

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大糸線全40駅訪問最終章~予想を上回る寒さに震える

信濃大町駅の跨線橋にある駅名標

※訪問は2024年10月9日

スタートは名古屋から

朝6時の名古屋は栄付近。まだ暗い。前夜は名古屋泊だったが朝方にかなりの雨が降って気温は低い。とはいえ残暑厳しく前日の昼間は長袖シャツ1枚で暑いぐらいだった。この時間帯でもその服装で十分だった

本日から秋の乗り放題パスを使用して大糸線の全駅訪問の総仕上げを行う予定。最後は1カ月前と同じく大糸線増便バスなどを利用しながらJR西日本区間の大糸北線のいくつかの駅を再訪して糸魚川から北陸新幹線に乗車するつもりだ

もっとも名古屋から乗り放題パスでトコトコ北上しては間に合わないので松本までは特急「しなの」で向かう。7時発のしなので松本着は9時すぎ

おなじみの「ま~つもと~」のアナウンスとともに下車したが「さ、寒い」。それが感想だった

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1年前に学んだこと

この時間帯の松本の気温は9度。身体が一ケタの気温に慣れていないので、ことのほか寒いが、とにかく大糸線に乗り継ごう。乗継ぎ時間はわずか10分ほど。大糸線ホームに向かうと

大きな置き案内が通路にあった。行く手をさえぎるように置かれているが、これは大いに助かる。何も知らず大糸線ホームまで行っていたら時間的に危なかったかもしれない

ということで無事乗車。行先を見ていただくと分かるが、1日3本しかない松本から南小谷への直通列車の1本(ダイヤ改正で2本になったようである)。これを逃すと悲惨というか今日の1日がほぼムダになってしまう

そしてバッグからセーターを取り出してシャツの上から着る。冬物の厚手のセーターだ。実は昨年の同時期にも高山本線の全駅訪問の仕上げを同じきっぷで行ったのだが、前日に氷見線や城端線で各駅訪問をしていた時は暑いぐらいだったにもかかわらず、早朝に富山から高山本線に乗り込み県境の猪谷で降りると寒さに震え上がってしまった。その時はシャツを2枚重ね着するという緊急対策を行ったものの、それでも寒い

県境付近にある簡易型ながらシェルターのようになっている打保駅の待合所で、ずっと身を潜めていた。その体験があるのでセーターを用意したのだが、これが大正解。おかげでこの後は寒いと感じることなく旅程をこなすことができた

信濃大町以北は工夫が必要

列車は約1時間で信濃大町に到着。ここで25分ものいわゆるバカ停車を行う(ダイヤ改正で15分ほどに短縮された)ので外に出てみる。当然だが松本よりさらに寒い。1カ月前に当駅に来た時は1時間半ほどの待ち時間の間、エアコン完備の待合室だったにもかかわらず、朝の9時前という時間帯で、暑い暑いと自販機の冷たい飲み物に2度もお世話になったことを考えると、わずか1カ月で隔世の感がある

ただ駅舎の外にあるお手洗いに行くと、その付近にいたご婦人同士が「今日は急に寒いねぇ」と会話していたので急に気温が下がったようだ。その証拠といっては何だが、自販機には「冷たい」しかない。運が悪いといえば悪いが、ホームと待合所のみの駅もこの先には待っている。雨に降られるよりは、はるかによい

そして

こちらが信濃大町駅の時刻表。これまで何度も書いているが松本~信濃大町は、昼間も1時間に1本の運行があるのに対し、信濃大町~南小谷はガクンと本数が減る。私は10時43分に乗車するが、これは7時21分から3時間20分後の運行。次は12時21分で1時間40分運行がなく、さらにその次は3時間近く運行がない。おそらく沿線の高校生に合わせたダイヤと思われるが、夜の駅訪問は基本的にやらない主義なので、18時以降はないのと同じ。このダイヤで途中の12駅(3駅は訪問済みなので9駅)を回らなればならないので、いろいろ工夫が要る。一応、自分なりに考えた作戦はあるので、まだ不透明な部分は残るもののスタートしよう

まずは信濃大町から3駅目の稲尾で降りてみた

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桜の季節に150年前の日本初の鉄道トンネルを見にいく

石屋川公園の桜

※訪問は2025年4月1日

昨年の「終点」からスタート

昨日のお話。ここは御影公会堂。ちょうど1年前、昨年の4月にもここにいた

阪神電鉄の廃線跡巡りのゴールがここだった。今回はここからスタート。日本初の鉄道トンネルである石屋川トンネル跡を桜の季節の今、訪れることにした。トンネル跡はずっと残るだろうが、桜については賞味期間の短い記事になるので訪問翌日の公開です

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石屋川沿いに歩くと人だかり

石屋川は灘区と東灘区の境界でもある。東灘区側に御影公会堂、そして灘区側には

神戸市民のソウルフードとも言われるラーメン「もっこす」の石屋川店。まだ11時にもなっていないが、当店は10時開店ですでにこの時間でもお客さんはいる

ニンニクチップスもたっぷり入れて出発である

といっても目指す場所は、ここからそう遠くはない

その場所は東灘区側にあるが、まずは灘区側を北上。まだ満開とはなっていないが、間もなく咲き誇る時を迎えそうだ

石屋川を渡る。先にJRが川を渡る橋が見える。橋の手前まで行くと

何やら人だかり。年配の方々のハイキングの最中のようだが、皆さんが見入っているのが記念碑である

皆さんが去ったタイミングで貨物列車が通過していった。記念碑は桜で覆われる形になるはずだが日照条件が悪いのか、このあたりはまだつぼみも見られる

日本初の鉄道より早い1871年の竣工

記念碑には詳しい解説とかつての写真が並ぶ

石屋川トンネルは1870年(明治3)に着工し、翌1871年に竣工した。日本で初めての鉄道となった新橋~横浜が本開業したのが1872年なので、それよりも1年早い。鉄道を通すためのトンネルが先に造らろれ、日本で最初の鉄道トンネルとなった。使用が始まったのは1874年のこと

このトンネルの特徴は石屋川という天井川の下をくぐったこと。山を掘るのではなく川の下を通るのだから難工事である。もともと東海道線はもっと海側の河口付近を通る予定だったが、灘の酒蔵から汽車の煤煙で酒が腐るとのクレームが入ってこの位置となった。当初の予定通りだと現在の阪神電車もどうなっていたか分からない

だが上流に行くと立ちふさがったのは天井川。天井川は高いところにあるため、その上を走る鉄道橋を造ると当時の機関車の能力では登ることができない。だったら川の下を行くしかない、とトンネルとなった。鉄路のコースには住吉川、芦屋川という天井川があり、その後、同様にトンネルとなった

トンネルは大正期の複々線化の際、川が跨線水路橋へと改良され、トンネルそのものは解体。戦後の1976年には高架で石屋川を越えることになり、トンネルそのものも埋め立てられて姿を消した

その高架下の遊歩道には、かつてトンネルがあった場所に

トンネル跡を示すプレートと記念碑が設置されている。高架下でJR西日本の敷地内にあり、近づくことはできないが、JR西日本が平成15年に建立した地元らしく御影石(当地の住所は東灘区御影)を使用した記念碑がある

公道部分から見上げるとこんな感じ

その公道部分は現在も石屋川の下を通るトンネルとなっているが、鉄道トンネルのイメージはない

住吉川と芦屋川は

石屋川トンネルは完全に姿を消したが、住吉川と芦屋川については、今も当時とは姿を微妙に変えながらも天井川の下を通っている

住吉駅から東に向かって進むと東灘区役所の裏手あたりがその場所(写真は2023年2月)。住吉川に沿って北上してきた六甲ライナーが90度にカーブするあたりなので分かりやすい。両側を道路に挟まれたようになっているが、川の下を鉄道が走り

東灘区による解説がある。酒蔵からの抗議も記されている。芦屋川については割愛するが、JR芦屋駅の北側を神戸市側に歩いていくとすぐ分かる

石屋川トンネル跡は阪神の石屋川駅とJRの六甲道駅が最寄りだが

今回は六甲道駅から一度御影公会堂を経てグルリと回って歩いてみた。真っ直ぐ行くのなら高架沿いに住吉方面へと歩けば15分ほどで行ける。阪神の石屋川駅からは石屋川沿いに10分と、どちらも徒歩コースは分かりやすい

この記事を書いている間にも桜は満開になりそうだ。この季節こそ訪れてほしいポイントである

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