※訪問は2024年11月20日

もともとは改札内を共有

朝6時45分の近鉄名古屋駅。時間帯は早く、方向的には通勤通学コースとは逆だが、人は多い

6時51分発の急行で桑名へと向かう。この時間帯に近鉄名古屋駅に来たのは初めてだが、大混雑とは言えないが発車ギリギリとなると、もう座れない。20分で

桑名に到着。JR東海、近鉄、養老鉄道の3社が利用。養老鉄道はもともと近鉄だったが、少し前までは津や松阪のように改札内は中間改札もなく共有されていた。4年前に新駅舎ができ、それぞれが別の改札となっている

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徒歩100メートルの乗り換え

今回は三岐鉄道北勢線の旅

桑名駅の東口から出て100メートルも歩くと北勢線の起点駅である西桑名駅がある。へばりついたような構造となっているが、元はもっと規模の大きな駅だった。そして起点駅でもなかった

駅の東側を国道1号線が走っているが、北勢線は国道を横切った先にある「桑名京橋」という駅が起点だった。だが1961年(昭和36)に渋滞が酷いということで、国道を横切る部分はカットされ西桑名が始発駅となった。西桑名駅も車庫も備えた規模の大きいものだったが、駅前の再開発で車庫は移転。かわいい駅となった

かわいい駅だが、路線内で圧倒的1位の利用者数(2023年は3461人。2位は星川駅の1019人)だけあって有人駅。行先案内がパネル式になっているのが印象的。写真を撮った時間は、たまたま電車の到着直前だったが、この後に到着した電車からはさすがに朝の7時台とあって通勤通学客がドッと降りてきた

さて、ここまでの記事で「東口」「東側」という言葉を意図的に使用してきたが、初めて当駅を訪れて感じるであろうことは「近鉄、JRの東側にあるのに、なぜ西桑名なのか」という疑問

これは種明かしをすれば何でもない、ここが西桑名という地名だったからだ。1914年(大正3)の開業時の駅名は「大山田」だった。これは所在地が大山田村だったから。1929年(昭和3)に大山田村は西桑名町となる。間もなく駅名も西桑名に改められ、1937年に桑名市が発足した後も駅名は変更されないまま現在に至っている。北勢線が近鉄の駅となってからも変わらなかったが、桑名駅と同構内にないのでは桑名駅と名乗らせるわけにはいかなかったのだろう

国内に3社しかない特殊狭軌

乗車するのは、かわいい駅以上にかわいい小さな車両。北勢線は線路幅762センチしかない特殊狭軌。日本の列車は旧国鉄からの流れをくむ狭軌(1067ミリ)と、新幹線や一部の私鉄で見られる標準軌(1435ミリ)に大別されるが、ごくわずかの特殊狭軌も残されている。かつては全国の森林などで活躍した軽便鉄道でよく利用された。スペースをとらずに敷設できるのがストロングポイントだが、車両は小さくなってしまうので人間を大量に輸送するには向かない。都市部を走っていたものも改軌が進み、現在残っているのは、ここ北勢線と四日市あすなろう鉄道(三重県)、黒部峡谷鉄道(富山県)の3社4路線のみ(四日市あすなろう鉄道は2路線保持)となっている

線路の幅にちなんで「ナローゲージ」とも呼ばれる。三重県のそれも比較的近いところに2社があるのも貴重だが、線路幅が標準軌の半分ほどしかない車内はどんな感じなのか。ちょうど通学時間帯で高校生が多く乗車する時間帯なので分かりやすい

「ひざ付き合わす」とは、まさにこのこと。一応、車内にはつり革もあるが、体格の良い男子生徒が並ぶと立つスペースも厳しい。つり革を持って立っているのは、座っている生徒のいわゆる「ツレ」が中心

とにかく、このかわいい車両で出発である

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