2023年 12月 の投稿一覧

青春18きっぷで冬の内房線を行った~東京湾フェリーへつながる最西端駅の飛び出るみどりの窓口

浜金谷駅の駅名標

※訪問は2022年12月16日

絶滅危惧種になりつつあるセールス案内

浜金谷駅に到着。島式ホームに加え側線も残っているが、使用されていないもの。それでも両隣の保田、竹岡に比べると利用者は多い駅である

それを物語るように駅舎内には

みどりの窓口。飛び出す「みどりの窓口」。全国の駅で過去何度か紹介したが、当駅にもある

その傍らには

券売機の上に「定期券は浜金谷駅でお買い求め下さい」の文字。「○○への往復きっぷは当駅で」「新幹線のチケット買えます」などとともに、こちらも全国各地で見られたが、窓口そのものが激減した今は大幅に姿を消している

「帰りのきっぷはいかがですか?」

ちょっと前まで窓口できっぷを買うと、予定調和のようにこのように言われた。私は北東北の駅で大阪までのきっぷを買った際、このように言われたことがある

10年近く前、仕事で出かけた時だ。往路は飛行機で行った。とてもじゃないが、大阪から新幹線を乗り継いで行ける場所ではない。そもそも東北新幹線の駅まで2時間近くかかるので、新大阪を始発で出ても到着は15時ぐらいになりそうな駅だが、その時は帰りに東京で用事があったため陸路移動。途中下車扱いで大阪までの乗車券を買ったのだが、はたして1年に何枚の大阪行き乗車券が売れるのだろう、という地方都市の駅で言われたので、ちょっと驚いたと同時に、妙な安堵感があった

窓口が多かったころは駅同士の営業成績を競っていて、往復きっぷのセールスが普通だった。きっぷの発売日にいち早くチケットを確保する、いわゆる「10時打ち」も駅によってはやる気満々の駅員さんがいて「○月○日に行きますから」と事前に伝えて訪れたこともある

最西端ならではの港

これはちょっと意外に思う方も多いかもしれないが、浜金谷は千葉県最西端の駅である。都内から江戸川を渡って、すぐの市川から内房線をかなり走っていて市川の方が西にありそうな印象だが

房総半島の構造上、浜金谷の方が西にある。そんな地形上の有利さもあって、金谷は東京湾の航路の重要地だった

駅を降りると久里浜港へ向かうフェリー乗り場の案内があった。内房線が浜金谷まで到達したのは1916年(大正5)だが、久里浜への航路は1889年(明治22)と、かなり前。港の重要性もあって、まず金谷までの鉄路が急がれた。当駅は1年近く終着駅だった。当時は金谷村。今も駅の所在地は富津市金谷だが、港の名前が浜金谷だったので分かりやすく駅名も同じにしたのだろう(金谷港との呼び方もある)

人が集まる場所なので、観光地である鋸山(のこぎりやま)へのロープウェーもできた。交通の拠点でもあった

フェリーとロープウェーについては駅を降りると両乗り場へは分かりやすい案内がされている

鉄道が変え、アクアラインが変えた

東京湾の航路は輸送の花形だったが、内房線が開通して鉄路が充実したことにより徐々に衰退。浜金谷~久里浜が残るのみとなった。それでもわずか40分で両者を結ぶ航路としてピストン運航が栄えていた。ただ大きく影響を与えたのがアクアラインの開通そして料金の大幅値下げで、かつてのピストン運航は現在、閑散期の平日は約2時間に1本、週末や繁忙期で約1時間に1本となっている

写真の順番が最後になってしまったが、こらちは駅舎。開業時からのものだ。安房勝山駅でも触れた話になるが、こちらも保田駅とほぼ同じ構造。浜金谷から保田を経て安房勝山まで鉄路が到達したのは、浜金谷到達の翌年のことだが、こちらも同じ施工者によるものだろう

そんな交通拠点の浜金谷だが、みどりの窓口は今年の7月で営業を終了している。内房線の木更津以南は君津が昨年3月に、安房鴨川が今年1月に、館山が今年3月にそれぞれみどりの窓口が営業を終了。浜金谷が「最後の砦」だったが、これですべての駅でみどりの窓口がなくなったことになる

みどりの窓口が残っていた時期は、ある意味、貴重な訪問だったわけだが、船から鉄道そして車と、交通の役割の変化を象徴しているようにも感じさせられる

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~富津市の中心部に入る

大貫駅の駅名板

※訪問は2022年12月16日

安房勝山から24キロ

安房勝山から再乗車。6駅木更津訪問へ戻り大貫駅に到着

房総半島をグルリ回る形となっている内房線は、とにかく駅も多く、木更津以南だけでも21駅もある。1時間に1本のダイヤで効率良く回るのは、結構大変。個人として日没後の駅巡りはしないことにしているので、1年で最も日照時間の少ないこの時期はどこに行っても時刻表とにらめっこ。6駅、24キロも戻って到着した

大貫駅は富津(ふっつ)市の駅。富津市内には内房線の駅が6つもある

東京湾を挟んで向かいの横須賀まですぐで知られる富津岬。もちろん私も知っていたが、読みについては勝手に「とみつ」と読み違えをしていた。正しい読みを理解したのは、昨年放送された「ブラタモリ」なので、長年の勘違いもいいところだ

ただ言い訳になるが、これは「ふっつ」という駅がないことにもよる。岬がこれだけ突出した形をしているので、線路は当然、岬から離れた場所を通る。内房線が木更津から当駅を含む浜金谷まで延伸されたのは1915年(大正4)のこと。岬のある富津の地名は駅名にならなかったのだろう

開業時からの駅舎が現役

大貫駅は1955年まで存在した大貫町に基づく。大貫町は明治期に大貫村からスタート。駅が開業した時は大貫町。佐貫町と1955年に合併して大佐和町となり、1971年に富津町などと合併。富津市が誕生した

駅舎は当時からのもの

みどりの窓口はかなり前になくなっているが、駅員さんのいる駅ではある

旧大貫町の駅ではあるが、富津市の市役所最寄りとなっている

なお地図では徒歩30分となっているが、富津市役所ホームページによると、徒歩20分である。大貫町の市街地は市役所とは逆の海の方向に広がっていた大貫海水浴場がある

駅前には「大貫音頭」の歌碑がある

ホームは島式の1面2線で跨線橋から入る形。定期運行はないが、当駅で折り返し可能な構造で原則的に上りと下りはホームごとに決まっているが、通過列車の待避のため出発ホームを変えることもできるようになっている

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~鋸南町のもうひとつの駅は瓜二つ

安房勝山駅は単式化されている

※訪問は2022年12月16日

隣駅へは徒歩移動

「ばんや」さんで大満足の昼食を摂り、保田のお隣の安房勝山までは徒歩移動である

駅同士を歩こうと思えば、50分ぐらいかかりそうだが、保田からばんやさんまで15分歩いているので、残りは30分ぐらいで行けそうだ

それでも安房勝山発13時2分に乗車しないと1時間の待ちタイムが生じてしまう。現在は12時10分で、楽勝とは思うが、どんなトラブルが待っているかもしれないので、海沿いをサクサク歩くと安房勝山に到着

木造駅舎が残るが、感想は「保田と同じじゃないか」

ちなみに保田駅はこんな感じ

屋根の二重構造や支える柱が全く同じ

昨年、高山本線を巡った時も同じようなことがあった

飛騨国府と上枝は同日開業だったが、内房線の両駅はというと1917年(大正6)8月1日と全く同日。浜金谷から安房勝山までの2区間が開業して1年後に那古船形まで延伸されるまで、しばらく終着駅だった。きっと両駅とも同じ施工者によるものだろう

鋸南町役場の最寄り駅

こちらは駅名板。保田駅とは異なり、6年前に無人駅となった。しかし鋸南町役場の最寄りは当駅である。内房線の駅は現在、当駅と保田駅以外はすべて「○○市」にあるが、両駅については平成の大合併の経緯を経て、そのまま鋸南町にある。両駅付近が鋸南町の主要集落。当駅のすぐ近くにはコンビニもある

歩いてきた保田~安房勝山で少し海沿いに向かえば、源氏再興を目指して挙兵した源頼朝が石橋山の戦いで敗れ、命からがら海を渡って逃れてきた「源頼朝上陸の地」があり、せっかくなので訪れてみたかったが、時間が微妙だったため、立ち寄れなかったのが残念

ホームは単式化

こちらは無人となった駅舎内

島式だったホームは単式化されていて、かつての線路の部分に階段が設けられ、ホームに直接入る形となっている

控えめに設置されたキロポスト。蘇我から70・8キロ。結構な距離だ

千葉、東京方面への乗り換え案内。千葉まで乗り換えなしで行けるのは朝の3本だけだということが分かる。ただ主に君津となっているが、乗り換え時間は「乗ったら即出発」の芸術的タイムである

この手書きの「事務室」は那古船形にあったものと同じ文字。前述した通り、那古船形まで延伸されたのは当駅が開業してから1年後。両駅ができてから設置されたもののように思えるが、さて、いつからのものだろうか

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~複数の窓口…全盛期の名残を残す駅で海鮮の昼食

保田駅の駅名板

※訪問は2022年12月16日

意外と難読である

那古船形から木更津方面へと戻り、保田で下車。那古船形もひらがなだけだとどう書いていいか想像もつかない駅だが

こちらもひらがな2文字だけ示されると、どう書いて良いか分からない駅ではある。また各地を訪れると、日本語の濁音の難しさを感じる。「保田」と示されて正解はなかなか出てこない。もっとも関西の人間にとっては「鋸南町」が、そもそも読めないのだが

駅前の観光地図には「きょなん」と、しっかり記されていて助かった

大正期からの駅舎が残る

せり出した屋根を複数の柱で支えるという凝った形の木造駅舎が現役。開業は1917年(大正6)。塗装は変わったが、当時からの駅舎が残る

駅舎内はみどりの窓口こそ閉鎖されたが、駅員さんはいる。週末に走る特急「新宿さざなみ」の停車駅でもある

駅舎内のベンチもクラシックなものだ

何度繰り返しても

内房線の項で最初に東京から館山への経路地図を掲載したが、この時に何度繰り返してもバスが最初に示されて困った。いろいろな地図検索をすると必ず上位に並ぶのはバスである。平日に館山までの優等列車が走っていないこともあるが、検索条件を鉄道のみに絞らないと鉄路での経路は序列としては低い

1997年の東京湾アクアライン開通は房総半島の鉄道に大きく影響を与えた。当初は4000円という高額な通行料金が敬遠されたが、後に一気に値下げが行われ、現在はETC利用で800円

アクアラインだけでなく、房総半島は有料道路が充実していて千葉市内からの館山自動車道がアクアラインとも接続。館山自動車道は富津館山道路を経て館山バイパスで館山に至る。ほぼ内房線に沿っていて、これは鉄道に影響を与えないはずがない。保田駅にしても、すぐのところに鋸南保田インターがある。アクアライン開通前と比べると利用者は激減しているのが現状である。中国地区の山中でも、嫌がらせのように鉄路に沿って自動車道が建設されているが、地形的に道路を作る場所がないのでは、どうしようもない。優等列車の大幅縮小も利用者のシフト変更よるものだろう

駅にはこのようなものが残っていた

駅舎内ではなく、駅舎外側に向いているものだ。3つも並ぶ「きっぷうりば」の窓口。おそらく海水浴客のために設けられた夏季限定の臨時窓口。3つも窓口が必要なほど、内房線を利用して海水浴場を目指す人が多かったのだろう

今回の昼食は必

駅前の水仙ロードを海の方向に向けて歩く。駅の周辺は鋸南町保田地区の中心部

ここで目指したのは

漁協直営の「ばんや」さん。海を眺めながら徒歩15分で到着

平素の各駅巡りでは朝食を最後に、昼食は「縁があれば食べる」「コンビニがあればラッキー」で、原則的に何も考えていないが、X(旧ツイッター)のフォロワーさんの投稿を見て、必ずここに行こうと、この時ばかりはお店の営業時間を調べた上で予定に組み込んだ

混雑時は避けるため、11時過ぎの到着までしっかり計画したが、平日の11時台というのに店内は大いににぎわっていた

寿司、天ぷら、煮付けの定食が美味しかった(写真掲載については、お店に許可済み)。ごちそうさまでした

駐車場の車も県内だけでなく、神奈川県や東京都のナンバーが並んでいて、あらためてアクアラインのパワーを感じた

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~当時の町名を合わせた木造駅舎

那古船形駅の駅名標

※訪問は2022年12月16日

大正期からの駅舎

電車は岩井から再び館山方面へと向かい、館山のひとつ手前、那古船形で下車

写真で分かるようにかつての島式ホームの片側が潰され単式ホームとなっている

駅舎から階段やスロープでそのままホームに入る。スロープが設けられ、しっかりバリフーアフリー対策ができているのは棒線化されたのが2019年と、ついこの間のことだからだ

私見だが、利用者が多い駅でない限り、ホームが複数ある場合は跨線橋が設けられていることが多い。構内踏切は遮断機が降りるシステムにすると、お金がかかるし、遮断機のない無人状態だと危険性が大きくなるので、だったら跨線橋を、となるのは分かるが、自分もトシをとってくるとはっきり認識できるようになってきたが、エレベーターもない跨線橋の昇り降りは負担だ。優等列車も貨物列車も走っていない1日数本のローカル線では、なんで階段の昇り降りをしなければならないのか、と思うこともしばしば

道路に目を転じると、70年代以降、日本中のいたるところに設置された歩道橋は、ほとんど「新設」がない状況だ。横断歩道の存在が渋滞を助長するとの理由で歩道橋が作られた時代から、歩行者優先で、車に乗るなら渋滞ぐらい我慢しろ、という流れだ。内房線は1時間に1本と本数は多い部類だが、利用者目線だと跨線橋がないのはありがたいことである

話はややそれたが、当駅は1918年(大正7)からの駅舎である。ほんのわずかではあるが、館山まで延伸されるまでの間、終着駅だったこともある

塗装され直されてはいるが、ほぼそのままの姿を保つ。全国各地どこへ行ってもそうだが「開業時からの駅舎」「昭和30~40年代のコンクリート駅舎」「平成になって建て直された立派な駅舎」「簡易駅舎」と分別される中、観光地も多く東京からも近い内房線は、そのコントラストが大きい

駅名板もホーローが残る

駅名に名を残す2つの自治体

内房線の駅らしく、少し歩くと間もなく海と漁港に着く。駅の住所は館山市船形。かつては舟形町だったが、1939年の館山市発足の際、自治体としては姿を消している

では「那古」は何かというと、こちらも「那古町」という自治体名。同じく館山市ができる際に姿を消したが、那古には名刹の那古寺があり、駅からも十分徒歩圏内ということで、2つの自治体名を合わせて駅名となった

駅を設ける際、駅名を巡ってもめた結果、2つの自治体名や地域名を並べるのは、よくある話だが、大正時代では珍しい。ある意味、時代の先取りをしていた駅ということになる

ひらがなだけを縦に並べるとこのようになるが、知らない人だとどのような漢字があてはまるのか想像もできない。ちなみに駅名は「なこ」だが、自治体名も寺の名前も「なご」である

駅はホームが単式になった時に無人化された

無人駅で券売機はないため、乗車証明書発券機が設置されている。IC乗車ができるようになっているため、利用頻度は不明

ただし、いつのものからなのか「事務室」の手書きプレートは残っていた

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~里見八犬伝の町

岩井駅の駅名板

※訪問は2022年12月16日

思い出がつながる

館山から3駅木更津方面に戻って岩井で下車

駅舎は立派なもの

開業は1918年(大正7)。内房線は明治最後の年にして大正元年である1912年に蘇我~姉ヶ崎が開業した(開業は3月で明治)のを皮切りに徐々に鉄路を延ばしていき1925年(大正14)に安房鴨川まで到達。現在の内房線にあたる区間が全通となった。当駅は安房勝山~那古船形が開業した際、途中駅として設置された

現在の駅舎はJR移管後のもので1997年に竣工。観光案内所も入居している。イメージは南総里見八犬伝の舞台となった富山(とみさん)。2006年に南房総市が誕生するまで存在した富山町の駅。富山町はもちろん富山に由来するが、町名は「とみやま」である。富山町は1955年に岩井町と平群村が合併して誕生しているが、駅名はその岩井町に基づく。駅の周辺は富山町の中心部となっている

南総里見八犬伝といえば、私の世代だとNHKの人形劇「新八犬伝」である。原作とは時代など設定を変えているが、坂本九さんの黒子の語り役が印象的で、平日夕方の放送。小学生のころ、毎日見ていた。そこで初めて辻村ジュサブローさんの名前を初めて知る

今年2月に亡くなられた辻村さんだが、別の思い出があって、それは2018年2月のこと。廃線へカウントダウンとなった三江線に1区間のみ乗車することになり

尾関山で下車。廃線を前に3両編成の三江線は多くの人が乗っていたが、尾関山で降りたのは私のみ。ここから徒歩で三次駅を目指したのだが、下車したおかげで、かつての三次町の中心地が当駅付近だったことを知る

そして

辻村寿三郎人形館。恥ずかしながら辻村さんの故郷が三次ということも初めて知った。思い出というのは意外な形でつながるものだ

駅を降りると海水浴場と山

駅は有人だが10時過ぎから正午までの1~2時間のみで、それ以外は無人となる(訪問時の情報)。かつてはみどりの窓口もあったが、数年前に閉鎖された

駅を降りるとすぐ山と海。内房線の駅の多くに共通しているのは海水浴場が至近だということ。訪問時は12月で海水浴とは無縁の季節だったが、マイカーではなく鉄道で泳ぎにいくのがメインだった時代の名残が各所に残っていた

運行は1時間に1本

内房線は君津以南は単線となり、区間運行のある上総湊からは朝の通勤通学帯を過ぎると1時間に1本の運行。千葉方面へ最も運行が多いのが6時台というのも特徴で当駅から木更津まで約1時間、千葉までは約1時間半という距離に基づくものだと思われる。また朝の時間帯以外はすべての列車が木更津止まり。千葉、東京方面へは木更津または君津での乗り換えが必要となる

内房線の優等列車はかつては多くの特急が走っていたが、現在の定期列車としては平日の通勤時間に運行される「さざなみ」のみで、こちらは君津以南は走らない。逆に週末には臨時列車として「新宿さざなみ」が館山まで運行される。定期列車のさざなみは京葉線経由の東京行き、新宿さざなみは総武本線経由の新宿行き。岩井は新宿さざなみの停車駅である

ホームは島式1面2線。側線も残る

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~品川から3時間

君津駅の駅名標

※訪問は2022年12月16日

状況に多くの変化も

ちょうど1年前にあたる12月16日。手元にはまだ一度も使用していない青春18きっぷ。18きっぷについては、できるだけ平素行かない駅で買うことにしているが、写真を見て阪和線の和泉砂川で購入したことを思い出す。わずか1年前ながら随分前のことのように感じるが、このような写真一枚で旅について思い出せるのも、いいものである

前日は都内で泊まり、品川から君津行きの内房線直通電車に乗車した。今回の目的は木更津以南の内房線全駅訪問。なぜ木更津以南かというと、通年発売している休日おでかけパスが木更津のひとつ向こうで乗車電の終点である君津までしか利用できないため。その一方で内房線は大都市近郊区間に入っていて途中下車ができない(というかJR東日本の大都市近郊区間エリアが広すぎるのだが)

そして、なぜ1年前を今さら振り返るのかというと、「そのうち」と思っている間に季節感が合わなくなってしまったからだ。間もなく18きっぷの冬のシーズンが始まるタイミングで思い出をなぞっていこう

この1年は全国の駅で無人化が急激に進行した年でもあった。1日に1万人が利用するような駅でもみどりの窓口が閉鎖されたり、特急停車駅が無人となったりと、数年前では信じられないことが普通に起きている。今回の内房線でも該当する駅はあるが、それもありし日の光景のひとつとして読んでいただければ、と思います

イメージより遠い道程

私のような関西の人間にとっては、内房線=東京からすぐ行ける場所、と思ってしまいがちだが、実際は遠い。乗車電は総武本線の千葉経由なので、東京から81キロ。その君津から先の内房線の終着駅、安房鴨川まではさらに81キロ。内房線は帳簿上は蘇我が始発となっているが、蘇我から終点となる安房鴨川までだけで120キロもの路線となる。もっともこれは房総半島をグルリと回って北上するからで一般的に南端の印象が強く(実際は2つお隣の千倉駅)知名度の高い館山までは東京から129キロ。それでもかなり遠い。東海道本線だとJR東海エリアに入ってしまう沼津までの距離である

ということで品川から、早速グリーン課金をしてしまった。君津着は8時24分で1時間40分も乗車することになる。品川で降りたお客さんも多く、この先の新橋や東京で降りる人も多いはずだが、すでにギリギリ座れる状態だったので、悪いクセが出てしまった

千葉を過ぎると通勤経路とは逆になるが、このあたりは高校生の時間帯となり、どの駅も乗降が多い。君津では13分の待ち合わせで上総湊行きに乗り換え。千葉で乗り換えても同じ電車に乗ることになる

20分ほど乗車した上総湊では2分の乗り換えで安房鴨川行きへ。上総湊は千葉方面からの折り返しも多数設定されている駅だが、下り方面への始発は1日この1本のみ。内房線の下りは基本的には木更津始発である。東京や千葉からの電車の多くは君津止まりが多いため、この1区間は列車の運行本数が多くなっている

まずは館山から

いつの間にか線路は単線になっていて(君津以南は単線)、車窓もローカル線感が漂ってきた。上総湊から約30分、9時31分に館山に到着

上総湊発は9時ちょうどだったので、すでに通勤通学ラッシュは終わっていて車内はすいていた

アクアライン経由のバスだと早いが、電車は回り道となる。品川発が6時41分だったので、2時間50分も乗り換え以外では車外に出ることなく、ひたすら乗り続けたことになる

こちら館山の駅名標。この写真を撮るために3時間はなかなかの旅だったが、まずは知名度の最も高い館山から

立派な駅舎を持ち、当然のように管理駅で内房線の君津以南では少数となる自動改札機も備えているが、みどりの窓口は今年の春で営業を終え、自動券売機となった

ともかくここから内房線ツアーをスタートさせよう

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北海道フリーパスと青春18きっぷ~自らの体験で比較

旅の質量で異なるが

12月10日から青春18きっぷの利用期間が始まります。私のような駅巡り中心でローカル線の比重が高い者にとっても、乗り潰しがメインの人でも重宝なきっぷですが、これが北海道となると多少事情が異なります。とにかく北海道は広い上、エリアによっては普通列車の運行が極めて少なく、特急に乗車せざるを得ない区間があるからです。その反面、普通しか走っていない区間もあり、その意味では廃線を控えた根室本線の富良野~新得間は、旭川~富良野の富良野線も、滝川~富良野の根室本線も青春18きっぷにはピッタリかもしれません

その一方でJR北海道では7日間、道内の在来線特急に加え、一部のJRバスも乗り放題(指定席は6回まで)という北海道フリーパスを発売しています

料金は写真で分かるように青春18きっぷが1万2050円で北海道フリーパスが2万7430円と約2倍。前者は利用期間が決まっているのに対し、後者は通年発売です。ただ年末年始とGW、お盆の期間は利用できません

大きく異なるのは青春18きっぷが期間内であれば、任意の5日間を選べるのに対し、北海道フリーパスは最初の利用日から7日間という縛りがあること。つまり北海道フリーパスを利用するのなら、まとまった休み、最低でも4~5日は道内に滞在しないと慌ただしいだけになってしまうどころか、元をとれなくなってしまいます。つまり旅の質と量によって利用法も変わってくるのですが、8月31日から9月5日までの6日間という青春18きっぷ期間に北海道を訪れ、北海道フリーパスを使用したので、料金を比較してみることにしました

ただ、これはあくまで宗谷本線の不通というアクシデントも含めた結果から導き出したものであることをご了承ください

実際の行程

まずは実際の行程ですが

8月31日

旭川空港に到着後、旭川駅で北海道フリーパスを購入して

宗谷本線をウロウロ→士別から特急で稚内へ→稚内から抜海へ行き、抜海泊

9月1日

大雨で宗谷本線不通につき、稚内から長距離バスで札幌へ→特急で札幌~旭川、旭川泊

9月2日

旭川~富良野→富良野~落合をウロウロ→富良野~滝川、滝川泊

9月3日

滝川~茂尻をウロウロ→滝川~札幌をウロウロ、札幌泊

9月4日

札幌~長万部(特急ニセコ)→長万部~昆布、昆布泊

9月5日

蘭越~新千歳空港をウロウロ→飛行機で帰阪

となりました

5月にも北海道フリーパスを利用していて、この時は

かなり特急に乗車したこともあって大幅に元をとっていますが、今回は特急に乗車したのは、わずか3回のみ。その意味でも比較しやすいものとなったかと思います

6日のうち1日は18きっぷを使用せず

実際の旅は6日間で18きっぷは5日分しか利用できませんが、冒頭で宗谷本線の不通があったと記した通り、うち1日は18きっぷの登板はなく終わります。その面でも、あくまで結果から逆算したものとなりますが、まず特急課金をしたとして利用した料金は以下の通り

士別~稚内 乗車券4840円+特急券2420円=7260円

札幌~旭川 乗車券2860円+特急券1830円=4690円

札幌~長万部 乗車券3630円+特急券2730円=6360円

特急ニセコは全席指定席なので指定席、他は自由席ですが、この3列車を合わせると1万8310円で18きっぷの1万2050円を合わせると3万360円。北海道フリーパスに軍配が上がりますが、特急ニセコについては、前日にダメ元で滝川駅の窓口に行ったら、たまたま空席があっただけで、そうでなければ小樽から函館本線の山線をトコトコ走っていたことになるので、だとすると、この6360円がなくなって2万4000円。他の2つの特急は絶対に乗らなければならないものですが、それでも18きっぷの方がお安い

今回の旅は最終日にもアクシデントがあり、山線で小樽までたどり着いた時に千歳線のダイヤが大幅に乱れていることを知りました。朝から好天で天候のことなど全く気にかけないでいたのですが、朝に千歳付近で大雨があり、一時千歳線や室蘭本線がストップしていたとのこと。時間はたっぷりあったのですが、飛行機に乗れないのだけはマズいと、とにかく慌てて千歳方面へと向かい、楽勝だろうと思っていた小樽~札幌のいくつかの駅は素通りすることになりました

さすが北海道の大動脈路線とあって千歳に着くころには通常ダイヤに戻っていましたが、今回の旅では特急に乗車した回数が少なかったので、長万部に出て室蘭本線の特急で千歳に向かおうなんて邪心を出したら危険なところでした

北海道フリーパスと普通料金を支払った場合の比較については、特急わずか3回の利用でしたが、こちらは行ったり来たりを多数繰り返したため、もちろんプラス収支となっています

気になる今後

北海道の旅というのは、天候によるアクシデントがつきもので、特に寒い時期はその可能性も高くなります。私のように自分のいる場所は何ともなくても離れた場所は全く違う天候となっていることも多い。18きっぷのみの北海道の旅は危険度が増すというのが私の基本的な考えですが、思わぬ出費が生じることもある、という前提できっぷの使い分けをしていただければと思います

さて先日、JR北海道から発表があり、来春から室蘭本線、石勝線経由根室本線の特急について「全席指定席」になるとのこと。現在、乗車券のみで利用できる石勝線内については空いている指定席に座れるそうだが、特急の短距離利用が目につく室蘭本線については、どうするのでしょう。券売機のある駅では自由席特急券を買って乗車していたが、そうはいかなくなるので窓口に並ばなければならないのか。えきねっとを使えない人はもちろん、現在25~50キロの特急は自由席630円なのに対し指定席は1160円と大幅値上げげとなってしまう。25キロ以下は320円→850円と倍以上の値上げです

北海道フリーパスについては現在「指定席利用6回まで」となっているが、このルールもそのままでしょうか。いろいろ気になる今後です

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川内から宮之城線廃線跡巡り、鹿児島交通枕崎線跡地の思い出

宮之城線跡の薩摩長野駅の駅名標

※訪問は2018年9月14日

前日は加世田泊

前回の記事で少しだけ2018年9月の鹿児島の旅について触れたが、ちょうど川内駅訪問のタイミングとなったので、その時に行った宮之城線の廃線跡巡りについて、振り返ってみたい

まず前日の9月13日だが、指宿枕崎線で枕崎まで南下した後、バスで宿泊地の加世田へと向かった。現在の地図は鹿児島中央から枕崎に至る線路しか描かれていないが、1984年までは鹿児島交通枕崎線が枕崎を結んでいた

現在は道路しかないので道路での表示となるが、薩摩半島は鉄道でグルリと回れるようになっていた

加世田駅の場所はバスターミナルとなり、南薩鉄道記念館となっている

1983年の豪雨で沿線が甚大な被害を受け、一部で運行が再開されたものの、全線復旧することなく翌年に廃止されている

展示物は充実している。加世田からは枕崎や伊集院はもちろん、鹿児島市内の中心部まで路線バスが鹿児島交通によって運行されている。1~2時間に1本と本数も多く、所要時間は90分で、それとは別に鹿児島空港行きのバスもある

路線バス利用だったので立ち寄れたのは加世田のみだったが、翌14日は川内駅でレンタカーを借り、宮之城線跡をじっくり回ることができた

JR移管直前に廃線

宮之城線は川内を起点に薩摩大口までの66キロを結んでいた。1987年1月、国鉄民営化(同年4月)の直前に廃線となった

薩摩大口は鹿児島本線の水俣と肥薩線の栗野を結んでいた山野線との乗り換え駅でもあったが、山野線もJR移管後の88年2月に廃線となっている

廃線から30年以上が経過しているが、沿線には駅跡などが多く残されている。すべてを紹介していくとキリがないので一部だけ紹介する

樋脇駅(薩摩川内市、廃線当時は樋脇町)

当時の駅舎と構内がそのまま残されている

そして路線名にもなった宮之城

宮之城町(現さつま町)の代表駅であり、さつま町の中心部にある

跡地は鉄道記念館となっていてバスターミナルの役割も果たしている。バス停名は今も「宮之城駅」(行き先によって同じ敷地内でも停留所の名前が異なるので注意)。廃線跡を巡るような川内駅行きのバスももちろん出ているが、鹿児島中央行きのバスの方が本数は多い

スイッチバックの謎を理解

次いでやって来たのが薩摩永野駅跡。一度も乗車できないままだった宮之城線だが、かねてより不思議なことがあって、地図を眺めていると当駅はスイッチバック構造だったのだ。地図でも当駅付近のみが突き出した形になっていることが分かる

その理由は現地で分かる

観光案内図に「永野金山ものがたり」の解説があった。当地は江戸時代に発見された金山により、薩摩藩の財政に大きく寄与。戦後間もなくまで掘り出しが続いたという。1924年(大正14)に川内~樋脇が開業した宮之城線は1935年に当地まで到達した後、約2年間は終着駅だった。まだ金山は続いていて、関連した人口も多いということで、そこに鉄路を通すため、わざわざ山中まで難工事をしてスイッチバック構造で敷設したのだった

跡地には鉄道記念館が建てられている

当時の駅名標をそのまま持ってきたようだ

周辺駅の駅名標が並ぶ

もうひとつ重要なことは当駅は鹿児島空港とは至近だということ。鹿児島空港から当地、宮之城を経て出水へ至るバス路線は本数も多めに設定されているが、ここから空港までは路線バスで30分もかからない。今年10月の鹿児島訪問時も、そのバスの車窓を眺めながら出水に行こうとしたが、

そして終着駅の薩摩大口。当駅は乗り換え駅として機関区もあり広い構内を持っていたため、廃線跡の規模も大きい。駅付近は旧大口市(現伊佐市)の中心部で大きな町である。最初にこちら側に来れば、廃線跡だとすぐ分かったのだが、道路を挟んだ逆側に行ってしまい、そこにあるのは

およそ廃線跡とは思えない立派な建物。ウロウロしていて分かったのだが、これは駅の跡地に建てられた大口ふれあいセンター。ただ幸運なことにビル4階が「大口歴史民俗鉄道記念資料館」となっていることを知り、早速訪問

こちらの展示物もなかなか充実したもものだった。平素は施錠されているが、1階の受付で訪問の旨を伝えると開けてくれる。なかなか1日では回りきったり見学するのが大変な廃線跡だが、大切に保存されているものも多く、訪問はオススメである

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続九州新幹線の全駅訪問~みずほの一部も停車する肥薩おれんじ鉄道の終着駅

川内駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時に大きく変化

川内駅に到着。これで九州新幹線のすべての駅を訪問したことになる。2018年の9月にも川内に来たが、その時は新幹線ホームに立っていない。その時は宮崎空港から日南線で志布志まで行き、旧大隅線沿線を走る路線バスに2時間揺られ垂水下車。フェリーで鹿児島に渡り、当地で1泊した後、指宿枕崎線で指宿、西大山、枕崎を経て加世田までバス。加世田で宿泊した後、バスで伊集院へ。ちょうどサッカーW杯の直後で「はんぱねぇ~」が流行語になっていた大迫勇也選手の母校である鹿児島城西高校の最寄りが伊集院だったので、よく覚えている

その後、川内まで来て当地泊。翌日は改めて鹿児島へと向かい、今度は肥薩線で八代(正確にはSL人吉の終着熊本)まで行った。八代駅の項で紹介したのはその時の写真である

川内駅は大きな橋上駅舎を持つ。開業は1914年(大正3)と古く、国鉄時代から拠点駅として機能してきた。戦後に建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎が続いていたが、2004年の九州新幹線部分開業時に現在の駅舎となった。新幹線開業の直後に周辺の町村と合併して川内市から薩摩川内市となったが、駅名はそのまま川内である

薩摩川内市が誕生した際、甑島(こしきしま)の上甑村、下甑村も参加している。読み書きともに難易度激高の島への高速船乗り場へは当駅からバスで向かう。改札を出ると分かりやすく案内がある。キビナゴで知られる甑島は観光地でもあるが、大きく「通常運行」と目立つように表示されていることで分かる通り、気候の影響を受けやすいので運行には注意が必要

鹿児島本線の「飛び地」で他駅とは事情が異なる

肥薩おれんじ鉄道との共同使用駅となっているが、改札は共通で八代から117キロにも及んだ肥薩おれんじ鉄道はここが終着。川内から鹿児島中央までは再び鹿児島本線となり、約50キロがJRとなる。いわば鹿児島本線の「飛び地」。九州新幹線の成り立ちを各地に照らし合わせると、こちらも三セク移管となりそうだが、西九州新幹線のような時限的措置がとられるわけではなく、恒常的にJRのまま推移しそうだ。しかもIC乗車が可能。いろいろ「大人の事情」があるのだろうが、推測で私が触れるわけにはいかない。ひとつ言えるのは、今回のようにJRしか乗れないきっぷを手にした場合、利用者目線からだと大いに助かるということ

こちらは新幹線の改札(写真は2018年のもの)。その横にあるのが

在来線と肥薩おれんじ鉄道の改札がある(写真は2018年3月のもの)

新幹線については部分開業時した時からの鹿児島中央をのぞく他駅とは大きな違いがあって、当駅には鹿児島中央~熊本の速達タイプの「さくら」が停車し、わずかではあるが最速達タイプの「みずほ」も停車する

肥薩おれんじ鉄道の一部乗り入れ

在来線の構造は島式ホームの2面2線。左にホームが見えるが現在は使用されていない。廃線となった宮之城線ホームも加え、以前は3面5線だった

車止めの向こうが肥薩おれんじ鉄道。つながっていた線路をさえぎるように車止めが置かれていて、その向こうにホームとしては同平面の肥薩おれんじ鉄道が島式ホームを持つ

JR線乗り放題の権利を生かして鹿児島本線の駅を回った。当日は薩摩川内市内に宿泊し、翌朝はお隣の隈之城駅へ。肥薩おれんじ鉄道は朝夕のみ一部列車が川内のひとつお隣の隈之城まで直通するので、そちらに乗ってみたかった

なぜ1区間のみ乗り入れるかというと、隈之城の駅前にはれいめい中学・高校があるから。多くの高校生が降り、折り返し列車内は閑散としていた

くまモンに癒やされる列車に揺られて川内に到着となるが、列車は在来線ホームを通過するかの勢いで進み、肥薩おれんじ鉄道のホームに到着。車止めの写真を掲載したが、片側のホームはつながっている

乗車してきた列車が見える。肥薩おれんじ鉄道の駅舎はホーム上。同一ホームだが、JRが1、2番線なのに対し、3、4番線がふられている

こちらは肥薩おれんじ鉄道の駅名標。奥に貨車が見えるが川内はJR貨物の駅でもある

前回は鹿児島中央まで在来線に乗車したが、今回はきっぷの特性を生かし新幹線乗車である。川内~鹿児島中央は在来線で約50分だが、新幹線だとわずか11分。1区間利用はかなりあるようで乗車は8時16分だったが、通勤と思われる会社員の姿が多く見られた。車両基地の関係もあって早朝には川内始発の鹿児島中央行きという1区間だけの列車も運行されている

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