青春18きっぷで冬の内房線を行った~当時の町名を合わせた木造駅舎

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那古船形駅の駅名標

※訪問は2022年12月16日

大正期からの駅舎

電車は岩井から再び館山方面へと向かい、館山のひとつ手前、那古船形で下車

写真で分かるようにかつての島式ホームの片側が潰され単式ホームとなっている

駅舎から階段やスロープでそのままホームに入る。スロープが設けられ、しっかりバリフーアフリー対策ができているのは棒線化されたのが2019年と、ついこの間のことだからだ

私見だが、利用者が多い駅でない限り、ホームが複数ある場合は跨線橋が設けられていることが多い。構内踏切は遮断機が降りるシステムにすると、お金がかかるし、遮断機のない無人状態だと危険性が大きくなるので、だったら跨線橋を、となるのは分かるが、自分もトシをとってくるとはっきり認識できるようになってきたが、エレベーターもない跨線橋の昇り降りは負担だ。優等列車も貨物列車も走っていない1日数本のローカル線では、なんで階段の昇り降りをしなければならないのか、と思うこともしばしば

道路に目を転じると、70年代以降、日本中のいたるところに設置された歩道橋は、ほとんど「新設」がない状況だ。横断歩道の存在が渋滞を助長するとの理由で歩道橋が作られた時代から、歩行者優先で、車に乗るなら渋滞ぐらい我慢しろ、という流れだ。内房線は1時間に1本と本数は多い部類だが、利用者目線だと跨線橋がないのはありがたいことである

話はややそれたが、当駅は1918年(大正7)からの駅舎である。ほんのわずかではあるが、館山まで延伸されるまでの間、終着駅だったこともある

塗装され直されてはいるが、ほぼそのままの姿を保つ。全国各地どこへ行ってもそうだが「開業時からの駅舎」「昭和30~40年代のコンクリート駅舎」「平成になって建て直された立派な駅舎」「簡易駅舎」と分別される中、観光地も多く東京からも近い内房線は、そのコントラストが大きい

駅名板もホーローが残る

駅名に名を残す2つの自治体

内房線の駅らしく、少し歩くと間もなく海と漁港に着く。駅の住所は館山市船形。かつては舟形町だったが、1939年の館山市発足の際、自治体としては姿を消している

では「那古」は何かというと、こちらも「那古町」という自治体名。同じく館山市ができる際に姿を消したが、那古には名刹の那古寺があり、駅からも十分徒歩圏内ということで、2つの自治体名を合わせて駅名となった

駅を設ける際、駅名を巡ってもめた結果、2つの自治体名や地域名を並べるのは、よくある話だが、大正時代では珍しい。ある意味、時代の先取りをしていた駅ということになる

ひらがなだけを縦に並べるとこのようになるが、知らない人だとどのような漢字があてはまるのか想像もできない。ちなみに駅名は「なこ」だが、自治体名も寺の名前も「なご」である

駅はホームが単式になった時に無人化された

無人駅で券売機はないため、乗車証明書発券機が設置されている。IC乗車ができるようになっているため、利用頻度は不明

ただし、いつのものからなのか「事務室」の手書きプレートは残っていた

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