長滝駅の駅名標

2022年12月7日12時

鉄道国有法を拒否

長滝駅にやってきました。特徴的な三角屋根が今も残ります。特徴的と記したのは、阪和線は元は阪和電気鉄道という私鉄によって建設されたからです。阪和線という名前は「大阪」と「和歌山」を結ぶからだと思えてしまいますが、今でこそ大阪駅まで直接乗り入れているものの、起点は天王寺駅なので国鉄のルールだと「天和線」になります。阪和電鉄という私鉄が、そのまま国有化されたので阪和線となっているわけです

「鉄道国有法」という法律がありました。「汽笛一声新橋を~」の歌で知られる日本初の鉄道が新橋~横浜間で日本初の鉄道として開業したのは1872年10月14日なのは、あまりに有名ですが「こんな便利なものはない」と日本中で鉄道工事が始まりました。ただできて10年も経っていない明治新政府には、お金がなく、多くの路線は民間の手によって敷設されることになったのです

その後、日清戦争、日露戦争を経て鉄道の重要性がクローズアップされると鉄道国有法が成立。地方路線以外は原則として国有化するとの法律で東北本線や山陽本線など、その後、国鉄の骨格となる路線が数多く国有化されます

一見すると少々乱暴ですが、中には関西本線のように区間の一部が閑散路線となってしまうものも含まれ、また東北本線や山陽本線のような長大路線が民間経営のまま維持できたかどうかも微妙で、良かったか悪かったかは何とも言えないところですが、中には「自分たちは地方路線だ」と頑として抵抗した会社もあります。そのひとつが南海鉄道

和歌山と大阪を結んだ南海は業績好調で当時はさらに南に路線を延伸することも考えていたほど。和歌山で終わって南海には行っていないのに会社名が南海となっているのには、こんな背景があります

この拒否に大いに困ったのは国側で、このままだと建設中の紀勢本線が大阪まで行かず和歌山で終わってしまう。国会でも大問題に発展しました

そんな中「将来は国鉄になってもいいですよ」という空気の元、建設されたのが阪和電鉄。昭和初期の突貫工事で天王寺~和歌山を建設、開業しました。それゆえ国鉄とは異なった光景が見られます

2面4線が定着

長滝駅は2面4線。国鉄の定番といえば2面3線で今も各地に残ります。都会の鉄道に慣れた人が初めて見ると何やら半端な構造に見えてしまいますが、これは実によくできたシステムで単線を基本とすると分かりやすいのですが、駅舎に面した側に単式ホームの1番線を造り、もうひとつを島式ホームの2、3番線にする。基本的にどちら方面の列車も1番線から出て、すれ違いや追い越し、折り返しには2、3番線を使用します。高架駅や橋上駅の発想がなく本数も少ない時代。駅舎からそのままバリアフリーでホームに入れるので利用者にとっても便利なのです

ただし阪和電鉄は最初から複線電化で建設されたため、2面を超えるホームは2面4線となっています。その他、手狭な駅近くなど阪和線の沿線は私鉄の雰囲気が残る場所も多い

変貌する中で

しかしさすがに時代とともに駅そのものも変化しています。そんな中、この長滝は阪和電鉄の風情が残る数少ない駅のひとつで

古い案内文字が残ります

こちらにも文字案件

日根野の車両基地はすぐ隣まで広がっています。実は日根野からは至近で

歩いてもすぐ。地図を拡大していただけると車両基地が長滝駅付近まで延びていることが分かると思います。そんな地理関係もあって便利な日根野駅を利用する方が多く、乗降者数は圧倒的に違う

駅前は静かな住宅街。ただ利用者の違いが昭和初期からの駅舎が現在まで残る要因のひとつになったのかもしれません

4年前に無人化され、IC乗車券対応の改札は簡易式となっています。JR西日本の管轄もここから本部から和歌山支社となります

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