※訪問は2023年10月19日
1区間分は路線バスで
飛騨細江から杉崎は線路に沿った平坦な直線コースを徒歩30分と前記事で書いたが、実際はというとちょうどよい時間に路線バスがあったので、その方が圧倒的に楽なのでバスに乗車すことに
ただバス停が見つからず、とても焦る。地方のバス停については片側にしか停留所が設置されていなかったり、結局その場所が正しいのかどうか分からず乗せてもらったりと、過去いろいろな経験をしているが、ここはかなりの町中で、困ることはないと思っていただけに焦燥感が募ったが、これでは行き過ぎだろうと来た道を振り返ると
あった
写真だと駅は奥側にあり、そこから歩いてきたのだが、器用に商店の軒下に設置されているため、気付かず行き過ぎてしまったのだ
バスはほぼ定刻にやってきた
この路線は1年前にもお世話になった
上枝駅から飛騨古川駅に移動の際に乗車。高山から飛騨古川までは1時間に1本の運行があり、そのうち約半数が神岡まで至る。つまりその半数に今回乗車した。1年前はほとんど下調べもせずの旅だったが、今回はさすがに入念に調べている
杉崎までは徒歩30分、2キロしかないのでバスだと5分も経たずに到着。バスは1年前と同じで観光バスを使用したもの。その時は30分近くバスに揺られ、座席で携帯の充電もできてとても快適だったが、その時と大きく異なることがあった
ほぼ満員なのである
乗客はほとんどが高校生。すぐに降りることが分かっていたので、できるだけ前の方に座りたかったが、奥の方にようやく空席を見つけたと思ったら降車の時間。「降りま~す」と声を出しての下車となった。もちろん降りたのは私だけ。入れ替わって数人の高校生が乗車した
猪谷から飛騨細江までの道中でも通学の高校生はそれなりにいたが、ここまで多くはなかった
2022年の3月の芸備線でも同じような経験をしている。この時はもっと極端で小奴可駅と備後八幡駅を訪問した時のことだ
朝の7時2分小奴可発の新見行きに乗車すると旅客は私と高校生の2人のみ。2つ隣の備後八幡駅で降り、次の列車は8時間後なのでバスで東城へと向かったところ、バスはスクールバスかと思ったほどの超満員だった。その高校生は芸備線で通学する貴重な生徒ということで、後にテレビの取材を受けていた
またひとつ地方における公共交通機関の現状を知ることになり、ようやく駅の話となる
戦後生まれの棒状駅
杉崎の駅舎。年季が入っているように見えるが、戦後生まれである
駅名板は飛騨細江駅と同じ系列のもののようだが、傷みが激しい
開業は1952年。仮乗降場としてスタートして3年後に駅に昇格した。現在も駅を含めた周辺の住所は飛騨市古川町杉崎
前記事でも記したが、明治初期にあった杉崎村はその後の合併で細江村となり1956年に古川町となるまで存続した(平成の合併で飛騨市となる)。どちらかというと飛騨細江駅より当駅の方が細江村の中心部にあたる
駅にあった周辺の案内図
ただし戦後生まれの仮乗降場ということもあって当初から棒状の単式ホーム。全国各地で元々2面あったホームが単式になるという事案が見られるが、岐阜県内における高山本線今も設置当初からホームが2面だった駅は、そのまま2面で開業から単式で今も同様の構造の駅は当駅と、こちらも戦後生まれの飛騨宮田の2駅しかない(禅昌寺駅は単式で戦前にスタートし、現在は通過線のみ付け加えた変則型)
仮乗降場なので貨物設備もない
ホームと駅舎は屋根付きの小さな階段で結ばれている
今から富山方面へと後戻りする形になるが、乗客は私ともう一人
今から乗車するのは8時6分の猪谷行き。猪谷から乗車し、飛騨細江で下車したのは当駅7時29分発となる高山行きだが、通勤通学にはほぼその一択のようだ
まだ猪谷方面で未回収の駅があるので、再び山中に分け入ろう
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