飯田線

10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その4 過酷な下山ダッシュを垣間見る

※訪問は2024年10月26日

飯田線のアトラクション

リニア新幹線の長野県駅予定地の後は飯田の中心地へと向かう。無難なのは元善光寺駅へと引き返すことだが、それではあまりにも普通なので、ひとつ先にある伊那上郷駅を目指す。この駅に行ってみたかったのは、飯田線を語る上で、必ず出てくる話題のひとつ「下山ダッシュ」の舞台のひとつだからだ

そもそもの渓谷美や全く誰も利用しないような駅や渡らずの鉄橋など、鉄オタにはたまらない路線の飯田駅だが、この下山ダッシュについてはアトラクション(?)という特殊性を持っている。体感が重要な鉄オタの本筋からは、やや離れたものだが、それについては後述するとして、まずは伊那上郷駅へと向かおう

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想像をはるかに超える1・9キロ

リニア新駅の予定地を離れたのが15時15分。この後は宿泊地の飯田駅へと向かう。伊那上郷駅発の電車は15時44分。グーグル先生に道を尋ねると

表示されたのは「1・9キロ」「徒歩30分」の表示。この日は昼間は20度をやや下回る気温で、歩くには適した季候。のんびり歩いても30分はかからないだろう。距離数だけ見れば楽勝だ。だが今、地図を貼り付けるべくPCのグーグル地図を開くと左隅の欄にさりげなく高低差65メートルと記されている。住居用マンションとテナントビルでは1フロアの高さが異なるが、マンションだとおそらく1フロアが3メートルぐらいだろうから、20階分はありそうだ。いやいや、そんなの知らんて。当時目に飛び込んできたのはスマホの1・9キロと徒歩30分の画面である

地図に沿って解説すると左手にイオンを見ながらの道路は緩やかな坂となっていて、急に右に折れるようになっているが、ここからがつづら折りの急坂。写真を撮るのも忘れてしまうほどキツかった。途中で休憩をはさんでしまったほどだ

道路は堀削となっている飯田線の線路の頭上をまたぐ形となっていて、このあたりが徒歩コースのピーク

15時40分になんとか伊那上郷駅に到着。間に合った。飯田線のこの付近はおおよそ1時間に1本ほどの運行があるが、この時間帯だけは次の電車は30分後。今日は17時から夕食の予約をしていて、そちらでもギリギリ間に合ったが、この電車に乗れたのは大きかった。途中で休憩しても30分かからないコースだったということか

息ゼーゼーだったが、当駅はご覧のように単式ホームと待合所のみの構造。開業は1923年(大正12)で伊那電気鉄道によって設置された。その後、国有化された飯田線の一部となるが、戦後も含め利用に制限があり、当初は飯田線の路線内や飯田線に接続する中央本線や東海道本線の一部区間からの旅客しか使用できない駅だった。利用制限がある国鉄の駅とは意外な感じもするが、名松線などでもあった制限である

日本全国どこからでも利用できるようになったのは1971年(昭和46)とかなり遅い。そのころに無人化され、やがて貨物専用線も撤去されたと記録にはあるが、もともと駅舎があったのか、貨物線はどこにあったのかは痕跡を調べることはできなかった。というかハーハー言いながら駅に着くと、すぐ電車が来たので、そんなことはできなかったというのが実情だ

下山ダッシュとは

ということで下山ダッシュの説明となるが、これは下山村駅で一度降りた電車に徒歩やランニングで先回りして伊那上郷駅で追いつくという飯田線の線形を利用したアトラクションである。この区間は線路だと6・4キロ。とても電車に追いつける距離ではないが

飯田線は飯田市の市街地をグルリと回り込む線形となっていて、両駅の直線距離は2キロしかない。飯田線の列車は飯田駅で長時間停車するパターンもあり、最短なら15分ほど、最長なら30分ほどで、15分はとても間に合わないが、電車で20分以上のパターンなら追いつける、それが下山ダッシュである

ただ今回よく分かったのは飯田の街はとにかく坂が多く、夜の繁華街も坂ばかり。両駅の高低差は70メートルと、私が歩いた区間より大きな差がある。また下山村という駅名から想像するのどかな田園風景とは異なり、この間は飯田市の市街地で住宅街や店舗が並んでいて道も多く、ちょっと迷うともう追いつかない上、交通量の多い道路を横切ったり併走したりしなければならない。事前に地図アプリなどで道を何度も確認しておく必要もある。そもそも「その行動に何か意味があるのか」という究極のツッコミも生じる

カーブ状にある伊那上郷駅

JR東海らしく待合所にもきっちり財産票が張られていた

この下山ダッシュは最寄りの飯田高校の生徒が考案したとされるが、実際は分からない。電車に乗り遅れても学校には間に合う、というところから派生したものという意見もあり、都市伝説のレベルだ。そんな「原点」もあってか、伊那上郷からの下り坂は下山ダッシュとは認定されず、あくまでも下山村からの上り坂を下山ダッシュだというそうだ

電車がやって来たので飯田に向かう。ちなみに当駅からひとつ隣の桜町を挟んでも飯田駅までは1・8キロしかないが、もう歩きません。ホテルに到着するとシャワーを浴びて上着も着替えた。まさかこんな行動をとるとは予想もしなかった10月終わりの1日

なお簡素な構造ながら、もともと停留所としたスタートした戸上は飯田高校や飯田女子高校の最寄りということもあって、2022年度の1日の利用者数は1219人。92駅(豊橋駅と辰野駅をのぞく)もある飯田線で7位という最上位に近い数字であることを付け加えておこう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その3 空き地にたたずみ歴史を振り返る

※訪問は2024年10月26日

元善光寺駅から徒歩20分

元善光寺からリニア駅予定地を目指して歩き始める

まだどこまで形になっているか分からないが、元善光寺駅からだと徒歩15~20分ほど。実際は元善光寺の参拝をしてからの訪問なので、県道229号で示された徒歩21分コースを行ったことになる

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美乃坂本駅との違い

元善光寺から歩を進めて踏切を渡る

名称は座光寺踏切。元善光寺駅は飯田線が戦時中に国有化された際、しばらく座光寺駅を名乗っていたのは前記事で記した。座光寺は地区名なので、そこから付けられたものなのか、駅名が座光寺だった際に設置されたためなのかは分からない

県道は地方都市ならではののどかな地域。県道を折れ、さらに進むと

空き地が現れ「中央新幹線長野駅県新設工事」の看板がある。発注者として東海旅客鉄道の文字もある

何か心躍る。しかし

付近は空き地が広がるのみ。周辺はそれなりに民家や店舗もある場所で、立ち退きもあって整地に着手したという感じだ

岐阜県駅の工事が進む美乃坂本駅付近とは状況が異なる。岐阜県駅は車庫も併設される予定なので工事の進ちょくが早いのかもしれない

空き地には残土処理場があった。ここで初めて「リニア」の文字を見る。先ほどの看板では中央新幹線という正式名称だったが、関連の文字はこの2カ所のみ。これを見落とすと、一体何の工事が行われている場所か分からないぐらいだ

中津川線そして中央自動車道

リニアの計画が発表されたころから長野県内はどこに駅が設置されるのか、当然ながら県内では大論争となった。周辺で最も大きな都市といえば松本となるが、そもそもが東京と名古屋を最短で結ぶことが使命の新線。松本まで回っていられないのなら岡谷、諏訪、まとまらないのなら複数の駅を、という声も出たが、結局はJR東海が推奨する飯田を通る案となった。地元がまとまらないと長野県内を通らないルートに変更されてしまうという危機感があったとされる。地元の希望は飯田駅での併設だったが、ビッシリ市街地ができているため、JR東海は無理と判断。現在の場所へ設置されることとなった。現在の案では高架駅となる予定。ちなみに地下駅の品川から発進するリニアは神奈川県駅は地下駅で山梨県、長野県、岐阜県はいずれも地上に姿を現わす高架駅、そして名古屋は再び地下駅となる予定だ

南アルプスを貫いて一気に岐阜県の中津川付近目指すリニアだが、実はこのルートは在来線の敷設が予定されていた。中津川線という名称で飯田駅と中津川を結ぶ。地図だけを見ると中央本線と飯田線は近い場所を走っているが、2つの路線を結ぶ鉄路はない。南アルプスの存在があるからだ

それでも何とかしようと計画されたのが中津川線。戦前から地元の要望が出ていたが、戦後に正式に建設が決定。中央本線と飯田線を接続するため、当初から電化路線として1960年代の終わりに工事が始まった。総距離36キロという短い距離だったが、予想以上の難工事に手間取っている間に、ほぼ同コースの中央自動車道が1975年に完成してしまい、建設は凍結となってしまった

ただし中央自動車道には県境に恵那山トンネルという8000メートル以上のトンネルがあり、5000メートルを超えると危険物を輸送できないという規定のため、石油の運搬ができない。そのため、名古屋方面から長野県への石油運搬は今も中央本線での鉄道貨物が使用されている。中津川線は石油輸送にも利用されることになっていて、もともと石油会社の専用線があった元善光寺駅は石油ターミナル駅となる予定だったが、もちろんその計画もなくなった(ただし元善光寺駅は今も臨時貨物駅として登録は残っている)

駅予定地では周辺の整備から先に進められているようだ。開業までは10年以上の歳月がある

長野県駅は一時、飯田線に新駅設置の話も出ていたが現時点では不明。現地に行ってみると線路とリニア駅の距離は徒歩で5分以上はある。単独駅になることが有力とされるが、幻の路線となった未成線がリニアに姿を変えて結ばれるとは、当時は思いもよらないことだろう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その2 「善光寺駅」は山梨県にあり

※訪問は2024年10月26日

今も見られる風景

元善光寺駅に到着。現在どんどん姿を消しつつある車掌さんが駅のホームで集改札にあたるシーン。JR東海ではIC乗車区間以外ではワンマン運転でない限り、まだまだこのような姿が多く見られる。特に飯田線は駅の数が多く、出発した途端に次の駅に到着という場面もあって車掌さんは大変そうだ

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大正期からの駅舎

善光寺の駅舎。木造駅舎が健在だが、JR移管後に取り付けられたであろう駅名板もかなりおつかれのようだ。JRになって37年という時の流れを感じさせる

無人駅で窓口もふさがれているが1日の利用者数は2022年のデータでは369人

財産票は駅舎が開業時からのものであることを示している

当駅は1923年(大正12)の開業。飯田線の原型は3線の私鉄だったことについては後に触れていくことになるが、当時敷設にあたった伊那電気鉄道が辰野から南下していき当駅までたどり着いた。それが3月のことで8月には飯田駅まで延伸されたので半年にも満たない終着駅だった

やがて戦時中の1943年(昭和18)には戦時買収によって国有化されるが、その際、駅名を「座光寺」に変えている。国鉄内に「善光寺駅」が先にあったため、変更されたのかもしれない。ただこの善光寺駅は有名な長野市内の善光寺の最寄りではなく、山梨県甲府市に今もある。身延線の駅で甲府から2駅目。甲斐善光寺の最寄り。善光寺は日本各地に数え切れないほどあるので、各地に「善光寺駅」があっても不思議ではないが、今も営業している「善光寺駅」は4駅。日豊本線に「豊前善光寺」(大分県)があり、そしてもうひとつが長野電鉄の「善光寺下」。こちらが最も有名な善光寺の最寄り。ただし大正期の開業以来、ずっと駅名は善光寺下である

元善光寺に参拝

リニアの駅予定地は線路を挟んで逆側となるが、せっかく来たのだから元善光寺に参拝しよう

駅前に案内があるので分かりやすい。道も広くて迷うコースではない

グーグル地図では徒歩10分となっているが、徒歩の場合は山門の階段から昇っていけるのでそんなにはかからない

どちらも行先が「元善光寺」となっている途中の標識がユニークだった。文字だけにすると、まぁこうなる

山門に到着。写真だとはるかかなたにあるように見えるが、実際はそうでもない。階段が苦手な方はスロープでも上り下りができる

本堂に到着。駅から歩く人は見かけなかったが、土曜日とあってかなり人がいる。マイカー訪問が主体なのかもしれない

解説を読んで善光寺のルーツが大阪にあることを知る

また先述したように、駅は一時「座光寺」を名乗っていたことがあり、現在も周辺の住所は「飯田市座光寺」だが、お寺が座光寺と呼ばれるゆえんについても記されていて、いろいろ勉強になった

両方をお参りするべき、ということである

珍しく観光などをしてしまったが、こちらは駅を知る上でも大事なことだったので来た甲斐は大いにあった。いよいよリニア駅の予定地へと向かおう

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