留萌本線

残された留萌本線を全駅乗降~乗降1日ワンチャンの駅で締める

北秩父別駅に到着

2023年5月26日16時20分

1日2本始発は16時台

北秩父別駅に到着しました。北海道でよく見かける、いわゆる「板張りホーム」の駅。留萌本線4駅で最後の訪問。段階的に廃線が進んでいる留萌本線の駅は他の駅すべてが立派な駅舎を有しています

当駅を語る前に、まずはお隣の秩父別の時刻表を見ていただきたいと思います

朝の一番に深川~石狩沼田ノンストップ便があって、石狩沼田行きは6本。うち4本が「北秩父別通過」と青文字で注釈が付けられています

ということは現実の北秩父別の時刻表はこうなります

本数が多いとか少ないとかいう以前に石狩沼田行きの「始発」が16時21分ということに驚きます。宗太郎駅の記事で早朝と夜しか列車が来ないと記しましたが、冬場でと暗くなってからようやく始発がやってきます。もちろんこれは「日本で一番遅く始発列車が来る駅」となっています(単方向という意味で)

「最終列車」の18時23分で来ると、その後は1本の列車すらありません。午前中に石狩沼田からやって来て16時台で石狩沼田に戻るという方法もありますが、駅訪問では、あまり現実的ではないことを考えると、深川方面から16時21分に到着して同44分で戻る-の一択しかないことになります

逆に言うと、どうしても列車で降りて帰りたくなりました

立ち入る人はいない立ち入り禁止

ホームに降りると目に入ってくるのは、なぜかロープ

立ち入り禁止となっていますが、ここに立ち入る人はまずいないでしょう。立ち入りは、すなわちダイブとなってしまいます

横から見ると、こんな感じ

板張りホームには跡が残っていますが、昨夏までは、ホーム上に木造の待合所がありました。ネット上などで待合所の傾きが話題になり、JRと秩父別町が確認。直後に使用禁止となりました。直後に石狩沼田~留萌の2023年3月での廃線が発表され、その後に残る路線も2026年での廃線が決まりました

待合所は秩父別町が管理していましたが、町が調べたところ資産としてはJRのものでも町のものでもないことが判明。待合所を撤去した上で、駅の入口に新たな待合所を設けました

それがこちら。物置形式ですが、冬の寒さはしのげます

待合所の中の様子。ベンチと時刻表、料金表がありました

駅ノートも設置されています

駅から見えるのは農地と自動車道

北秩父別駅の周辺は農地とわずかな民家があるだけ。一番近いバス停へも徒歩で10分以上かかります。1956年に仮乗降場として設置され、1987年のJR発足時に正式駅に昇格。駅の周辺は設置時から、あまり変わっていないと思われます。ただ駅の真横を走る深川留萌自動車道だけは、明らかに当時はないもの。ローカル線の傍らを自動車専用道が走る光景は、今風です

今回、私はひとつ手前の秩父別から乗車したわけですが、夕方の下校時間ということで私と入れ替わりに何人かの高校生が降りてきて、なおかつ車内にはまだ数人の高校生がいました

ただ北秩父別で降りたのは私のみ。現状、1日の利用者は数人のようです。撤去した後の待合室については、利用者がいるということで新たに設置されました。ただホームについては柵でも設ければ安全なのでしょうが、利用者数と、あと3年で廃線ということを考慮すると、このままの状態なのかもしれません

背後からホームを見る。右が新設された待合所。今回の待合所閉鎖で、待合所の所有者は不明で、なおかつ設置の経緯すらも不明という、「分からないばかり」ことが分かりました。住民が自ら建てたようですが、いかにも牧歌的な話です

駅前には踏切と道路。立派な道路ですが、車もほとんど通りません

わずか20分の滞在。深川へと戻ることにします

板張りホームはサイズが小さく、1両分のサイズにも足りません。でも北海道のワンマン車は前乗り前降りなので問題ない

乗車は私一人でした

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残された留萌本線を全駅乗降~意外とできる秩父別での時間つぶし

秩父別駅の時刻表

2023年5月26日14時

マリーゴールドと再会

秩父別駅では北一已駅と同じくマリーゴールドと再会しました

ちょうど花の世話をしている方が、作業をしている時間帯で、北一已のホームの花壇の面倒を見ている方だということを知る。7月が見ごろだということも、それで分かった。他にもいろいろお話をさせていただきました。駅のこと、一帯で盛んな稲作のことなど

単式ホームの向かいはすっかり林となっていますが、以前はこの部分にも、もうひとつホームがあり、列車交換が可能な構造で、駅もにぎやかだった

いろいろお話を伺っているうちに「ところでこの後、どうするの?」と尋ねられ、次の列車に乗車することを告げると「2時間以上、後じゃないか」と驚かれる。さすが時刻表はすっかり頭に入ってらっしゃるようです。ということで教えてもらった道の駅へと行くことに。道の駅とはいっても、駅から歩いて10分もかかりません

お風呂にも入れる

町の中にあった地図。線路に沿って歩いていくと道の駅に行けます。駅舎側に町が形成されていて、駅は町の端にあることも分かる。駅の開業が1910年(明43)で、入植が始まって20年も経っていない。留萌本線が大いに期待されて敷設され、地域の発展に寄与してきたことが理解できます

香川県、徳島県からの入植者が多く、秩父別町は香川県の綾川町と姉妹都市提携をしています。高松から琴平へと向かうことでん沿線の町。鉄道的な観点で言うと、近代化産業遺産にもなっている滝宮駅が有名です

「道の駅 鐘のなるまち・ちっぷべつ」には秩父別の開基百年記念の塔が建っていて、宿泊も可能な温泉が併設されていて時間を潰すには十分。もちろんレストランもあります

私はソフトクリームを食べ

記念きっぷを買いました。他にも鉄道関連でほしいグッズは多数あったのですが、荷物になると思い、これだけにしておきました

駅スタンプはこちらにあります

北海道に行くと、なぜか入って買い物したくなるセイコーマートで

北海道メロンのクリームソーダを買い、すっかり気に入った私は、この後の旅でもやたらとお世話になることになる

ということであっという間に過ぎ去った160分。深川でお昼を食べたばかりだったので、食事もしませんでしたが、それでも時間はあっという間に過ぎました

石狩沼田行きがやってきました。最後の駅である北秩父別へと向かいます

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残された留萌本線を全駅乗降~どうする滞在160分

2023年5月26日13時40分

ホーローラッシュでのお出迎え

秩父別に到着しました。ホームに降りると

ホーローの縦の駅名標が、これでもかと並んでいます。全国で消えつつあるホーローの駅名標ですが、北海道では多くの駅で現役。にしても並びすぎでしょう。しかも横を向いたり、奥にあったりと並びもカオス気味。ホーローが並んでお出迎えも北海道ではたまに目にします

北一已のお隣で、こちらもなかなかの難読。元の駅名は「筑紫」で1910年(明治43)ですから、100年以上の歴史を持ちます。「筑紫」「秩父別」ともにアイヌ語の由来で、秩父別町のHPによると「通路のある川」という意味の「チックシベツ」に由来。村名が秩父別だったことで戦後、駅名も秩父別に変更されました

筑紫という住所表示はなくなっていますが、橋の名前やお店

町を歩いていると公共施設の名前にも見ることができました。どうして町を歩いたかについては後述します

ここまで順調すぎた

駅舎は重厚な造り。何度か手を加えられていますが、1934年にできた駅舎が原型となっているもよう

入口部分も駅名板も町の代表駅にふさわしいもの

かなり以前に無人化されていますが駅舎内はきれいです

さて、ここまでの道程を振り返ると

深川12時36分→12時51分 石狩沼田 13時→13時11分 北一已 13時32分→13時38分 秩父別

と極めて順調。深川を出てから1時間で秩父別に到着し、駅数は4駅(深川のぞく)なので、早くも残るのは北秩父別駅のみ。王手、リーチがかかったことになります

ただ問題はここから

とにかく全駅乗降を目指す

こちらが時刻表で私は13時38分の石狩沼田行きで降りたわけですが、次の列車は16時18分と何と2時間40分後。これは長い

ただ手段はないことはなく、まずはバス。駅から徒歩数分のバス停から乗車すると北秩父別駅まで徒歩15分ほどの停留所へ7~8分で連れていってくれます。ただバスも1日5本の運転で発車が15時45分と、停留所からの徒歩を考えると、そうアドバンテージがあるわけではありません

となると、もうひとつ移動手段があって、実は秩父別~北秩父別の駅間は2・4キロしかなく、線路沿いを歩くのは不可能のようですが、それでも歩けない距離ではありません

カーブする線路をショートカットするコースもあって30分で着いてしまいます。道中は坂のない平坦コースであることは最初に石狩沼田まで乗車した時に確認済み。この日は曇り気味ながら雨の心配はなさそうで、なんといっても北海道の5月末ですから、徒歩には問題のない気温でした

これでも時間が余ってしょうがないぐらいですが、ちょっと考えてこの案も却下。早朝の室蘭駅での時間の勘違いから始まり、深川に着いた時点で今日は全駅の乗降を目指すと決めたのです。ここは160分、駅周辺で過ごすことにします

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残された留萌本線を全駅乗降~難読駅クイズの常連は移転駅

北一已駅に到着

2023年5月26日13時10分

なかなか目にしない漢字だが言葉としては普通に使用している

北一已駅です。深川から1駅目で難読駅クイズではかなりの頻度で出てくる駅。「きたいちやん」とは、なかなか読めないですが地名です。駅の住所は「深川市一已町」

こちらの地名には、もうひとつポイントがあって、このように大きくしてみると、分かるのですが最後の文字は「己」ではありません。「已」です。最後の一本を書く際、微妙に突き抜ける必要があります。なかなか見かけない文字ですが「やむ」から変換すると出てきます。誰もが「やむを得ない」「やむを得ず」という言葉は普通に使用していると思いますが、漢字を使用すると「已む」が充当されます。ここからはこの記事を書くにあたって調べたことですが、「止む」は雨のようにずっと続いてきたことが終わることで「已む」は完全に終わることを意味します。鉄オタをしていると、いろいろな知識がつきますね(笑)

「イチャン」とはアイヌ語で鮭の産卵場を意味し、明治になって地名をつける際、団結のため「一にして已む」との意味で村名になったそうです

ただ本来、文字というのは駅名標のように大きく書くものではありません。現在のようにスマホやPCを使用する時代とは異なり、手書きの時代に「己」と「已」は、なかなかうまく書き分けというか、書かれたものを読み分けできないのは当然で、戦後の1955年に開業した駅は長らく「北一己」と誤った文字が使用され、JRに移管されても平成になっても誤使用のまま正式駅名になっていましたが、97年にようやく「正式地名に変更」されています。自分の経験で振り返ると携帯電話とPCを初めて個人で買ったのが96年(スマホなんてものは当然ない)、職場でも文字入力がワープロからPCに替わりつつあるころでした。それまで(おそらく分かっていながら)ずっと誤使用を続けていたとは、なかなか牧歌的な話です

戦後10年経ってからの駅舎としては

こちらは駅舎ですが、ホーム側から見たもの。国鉄時代に無人化されていて駅舎周りには柵も何もありません。深川は言うに及ばず、逆側のお隣となる秩父別はそれなりに利用がありますが、こちらは1日1人とか2人というレベル。よくぞ駅舎が残ったものです

トタン屋根も入口も駅らしい三角形で統一されたデザイン。冬の寒さを考慮した二重の入口となっています。ただ1955年開業のものとしては、北海道の風雪を考慮しても、三角が基本のデザインも含めてなかなか古い。駅舎を覆っている灰色は不燃パネルのようです

それもそのはずで、この駅舎は留萌本線と同じく深川から出ていた深名線(1995年廃線)の宇津内仮乗降場の駅舎を移築したもの。ダム湖建設と木材運搬のために設置された宇津内駅は工事完了で需要が落ち込み、戦後間もなく仮乗降場に格下げ。その後、仮乗降場としても廃止されましたが、ちょうど同じタイミングで開業したのが北一已。宇津内の駅舎が不要になったことを知った一已村の皆さんが、解体された駅舎を運んで、この地で再建したとか(北一已開業時は、まだ宇津内仮乗降場は現役でしたが、廃止となる前に移転されたようです)

田んぼの中にたたずむ駅

駅周辺は田んぼが広がります。深川は北海道の米どころ

農地の中にポツンとたたずむ駅舎。利用者を考え、こうして俯瞰すると、本当によく駅舎が残ったと思います

駅舎内はきれいに掃除されています。1955年の開業時は交換設備も備え、もちろん駅員さんもいたようで、戦後にわざわざ新設されたのですから需要もあったと思われますが、84年に単式ホームとなったことで無人駅となりました。当時は全国隅々まで自動閉塞は進んでおらず、すれ違いを行う駅では駅員さんが必要でした

構内では花園が造られ、ちょうど目を噴き始めていました。管理されている方と後に出会うことになるのですが、マリーゴールドで7月がちょうど見ごろとのこと。おそらく今ごろはきれいな花が咲いているはず

こちらも北海道でよく見かける姿。階段を使用しなくても昇れるのですが、小さな階段を昇ってホームで次の列車を待ちます

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残された留萌本線を全駅乗降~増毛まで完乗の思い出

増毛駅の駅名標(2013年6月28日)

2023年5月26日13時10分

前回訪問は11年前

石狩沼田から北一已まで戻って下車しました

留萌本線に乗車するのは11年ぶりのことです。前回の訪問は2012年の6月28日。そのころは東京に住んでいました。その時は羽田から旭川まで飛行機に乗り、空港から美瑛駅へ。そこから一度富良野まで行き、富田ファームを目指しました

富田ファームから徒歩で行ける夏だけの臨時駅「ラベンダー畑駅」を利用したかったから。ノロッコ号しか停車しないので意外と利用が難しい駅です。その日は旭川に宿泊して留萌本線目指して出発しました

この旅はフリーきっぷとは無縁で、その都度きっぷ購入していました。全く記憶にないのですが美瑛の窓口で富良野から旭川を経由した増毛までの乗車券を買っています。これで道中は2日間、途中下車をしたい放題にはなったのですが、なぜ富良野ではなく美瑛で購入したのか、さっぱり分からない。おそらく美瑛の窓口を利用したくなったのではないかと思われます

留萌で途中下車

深川からキハ54に乗車。2両編成で、うち1両は客扱いをしないJR四国のような運用。2両のうち1両は、そのまま増毛に向かい、もう1両は留萌で切り離されて深川へと折り返していました

留萌で途中下車

お昼でも、と降りたのですが、デジカメのSDカード容量がまずいものになったことに気付き、留萌でなんとか、と祈るように思っていたところ、徒歩圏内に家電量販店があって助けられたことが強く思い出として残っています

蕎麦は売り切れ

深川~増毛間は66・8キロ。当時から本線としては短い方でした。札幌までの延伸計画があったが、かなわず増毛止まりのままだったとされます

留萌であらためて乗車して増毛へ。最初に乗った留萌行きは、それなりにお客さんがいたのですが、留萌からは私ともう一人、たった2人の利用客での出発でした

増毛といえば、当時は駅舎内で夏季のみ行っているそばが有名でしたが、すでに売り切れだったのか、この日の営業は行っていなかったのか、残念ながら食べることはできませんでした

その分、駅については満喫しました

当時、増毛から出発する列車は1日7本(うち1本は休日運休)。ほとんどの列車は留萌方面からやって来ると、10分ほどで折り返していくのですが、1日に1本、14時47分の到着列車は出発が15時38分と50分も駅にいてくれました

もちろんそれを狙っていったのですが

周辺散策の時間もありましたが、当時の北海道としては、かなり季節外れとなる猛烈に暑い日でした

戻りは整理券で乗車。旅に出るとフリーきっぷを使用することが多いので意外と整理券のお世話にはならないので、たまに利用すると新鮮

この日は滝川泊まりだったので、15分ほど乗車した特急の車内で車掌さんからきっぷを購入

なぜ滝川に泊まったかというと

翌朝、新十津川から札幌に向けて出発するため。新十津川の風景として有名だった、お子さんに見送られての出発でした

この時からわずか11年。もちろん当時は廃線の前提で訪れたわけではありません。ただ今回紹介した駅はラベンダー畑をのぞいて、いずれも今はありません

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残された留萌本線を全駅乗降~期間限定の終着駅

石狩沼田駅に到着

2023年5月26日12時50分

かつての乗り換え駅

深川から、わずか15分で留萌本線を「完乗」となりました

駅名標は終着駅のものになっています

「1日1本だけ」が有名で2020年4月に廃線となった札沼線の新十津川~北海道医療大学。その「沼」が、ここ石狩沼田。当駅から札幌まで直接線路がつながっていました。ただ石狩沼田~新十津川間が名松線の項でも触れた「赤字83線」の指定を受け1972年に廃線、札幌近郊が電化され通学通勤路線となる中、路線名に名を残す存在となっていました

その乗り換え駅が現在は期間限定の終着駅となっています

それでも乗り換え駅らしい2面3線構造を保ち、列車交換も可能でしたが、約20年前に現在の1面1線構造に。ただ当時のホームだけは残っています

人名→駅名→町名

石狩沼田の駅舎です。札沼線が廃線となった1972年に改築されたもので国鉄色の濃い建物

沼田町のHPによれば、1894年(明治27)に富山出身の沼田喜三郎という方が移住したのが町の始まり。当時の村名は「上北竜(かみほくりゅう)村」。鉄道の歴史も古く、1910年(明治43)に深川~留萌が開通した際に駅も開業。設置場所が沼田氏所有の敷地内にあったため、沼田駅となり、その12年後に村名も沼田村となりました。駅名が町名になった例ですが、その町名が人名に基づくものというのは。なかなか興味深い。「石狩」が付くようになったのは、さらにその2年後の1924年で上越線に沼田駅が開業したため。普通、後からできた駅に国名などを冠するものですが、こちらは逆となっています

駅名が町名になったぐらいですので、駅周辺が町の中心部

滞在時間短く

こちらは時刻表。到着時間付きという珍しいものとなっていますが、おそらく留萌方面行きの部分が、そのまま転用されたと思われます

この時刻表を見ると深川からの列車は当駅で15分ほどとどまって折り返すことがよく分かります。ただ例外があって13時43分到着の列車については折り返しの設定がありません。今回の各駅乗降において困ったひとつで、1面しかないホームでこの車両はどうするのか、と不思議だったのですが、後に沿線で見かけたところでは、客扱いをせず、そのまま回送で折り返していました。たった14キロ、15分で終わるのだから、客扱いしてください、と泣きそうになる。この短い区間ですら回送扱いをするということは、よほどお客さんがいないのでしょう。それでも現在も1日100人以上が利用する駅。利用者の主力が高校生だということがよく分かります

そのため私が乗ってきた列車は9分しか滞在時間がなく、慌ただしい時間しかありません

入場券を購入

駅舎内を見ていきます

一見無人のようですが、簡易委託となっていて平日の7時20分から17時まではきっぷ販売を行っています

終着駅となったことを告げる「ようこそ」の看板

その一方でラストランの紙はまだ窓口にありました

ストーブもあったりします。その上にある電話番号はタクシー会社のもののようですが「明日萌」の藻場が入つています。沼田町といえば、朝ドラの舞台となった「明日萌駅」ですよね。石狩沼田から2つお隣の恵比島駅が1999年の「すずらん」の舞台となる「明日萌」という駅になり、セットの駅舎はずっと観光名所となっています。その人気で、数年間は「SLすずらん号」も運行されていたほど

石狩沼田~留萌が廃線となることについて、地元では恵比島駅までの2区間を存続してくれるよう依頼もしています

駅舎内では「すずらん」のずっと前となる昭和の旧駅舎が存在していたころの写真が展示されていました

こちらの部屋はちょっと分かりません。札沼線の廃線後に運行されていた代替バスの乗務員用のものでしょうか

窓口で北の大地の入場券を購入しました

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