大糸線

成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~クラシックな駅舎にクラシックなホーロー

柏矢町駅の駅名標

※訪問は2024年3月7日

こちらも合成駅名

突然、大糸線の全駅訪問を目指すことになり

松本駅の大糸線乗り場へ。とはいえすでに11時になっていて、今日は15時ごろの特急「しなの」で帰宅するため、それほど時間はない。持ち時間の範囲で頑張ろう

松本から14キロ。約30分の電車旅。わずか14キロで30分も要するのは駅数が多いため。松本から9駅目。14キロで9区間もあるのだから、出発するとすぐ到着のイメージだ

ご覧のように1面1線の単式ホーム。右側に「いかにも」のスペースがあるが、かつては島式ホームだったらしい

かつての島式ホームの跡を利用したと思われるスロープで駅舎へと向かう。その駅舎はというと

どう表現して良いのか、いかにも「駅」である。最近見かけなくなりつつある1文字ずつ分離した駅名板がいい味を出している

開業は1915年(大正4)。松本と豊科を結んでいた信濃鉄道が延伸された際に設置された。豊科~松本市(現北松本)から開業したのが1月で柏矢町までの1区間延伸が6月。一時的に終着駅だったが、まさに一時的で1カ月後には穂高まで延伸。その後も続々と延伸され、翌年には信濃大町まで信濃鉄道としての全線が開通した

駅舎は開業時からのものとされる。ユニークなのは駅名で「柏矢町」という地名は当時も今もない

駅の所在地は「安曇野市穂高柏原(かしわばら)」。駅から近い2つの地名である「柏原」と「矢原(やばら)」を合わせて駅名としている。柏原駅といえば、近畿圏に3駅もあって、それぞれ微妙に読み方が異なることで知られるが、そのまま地名を付ければ、もうひとつの柏原駅が誕生していたかもしれない

ただ当時の所属自治体は西穂高村。戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に合併して穂高町となっているが、それまで自治体としての「町」になったことはなく、なにゆえ「町」が付いたのかは調べても分からなかった。そもそも長野県内の自治体の「町」は「まち」が原則(唯一、阿南町のみ「ちょう」)で、柏を「はく」と読んだことも含め、私にとっては謎のままである

思わぬ発見

駅前には住宅街が広がる。単式ホームの駅とはいえ、1日に1000人以上と利用者も多い

安曇野市の簡易委託駅。安曇野市内の駅は篠ノ井線の駅も含め、営業時間は異なるものの、市の簡易委託でいずれも駅員さんがいる

そして

こちらは駅の窓口利用を促進する案内。来春にはIC乗車ができる区間となるが、駅の将来について現時点での発表はない

駅舎内では

「指差確認」のギリギリ残されたホーロー。いつからあるのかは分からないが、少なくとも10年20年というものではない。そしてもうひとつ

これはもっと貴重だ。思えば城端線の戸出駅で同じようなものを見た

戸出にあったものは「計量器使用事業場」で、やや文言は違うがおそらく同じ意味のもので、旅客の荷物を計る駅に与えられた認可のようだが、富山県から遠く離れた長野県で、ちょっと感動の再会となった

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~40駅と知ってがぜんヤル気が

冠着駅の駅名標

※訪問は2024年3月6、7日

松本駅は気温3度

南豊科駅から松本駅まで戻ってきたのは16時前。本日は松本に宿をとっている。最初に松本駅に到着したのは12時半ごろ。その時はすでに雪はやんでいて、その後も雪には一度も見舞われなかったが、積雪はたっぷり残っている。駅に表示されている気温は3度。あくまで体感だが、この日に限っては豊科あたりより松本駅周辺の方が寒そうだ

ホテルは徒歩5分ほどのところだが、歩道に残る雪を避けていくのに時間がかかる。踏みしめられた後の方が氷のようになっていて油断するとスッテンコロリとなりそうだ。この日、観光で松本を訪れた人は松本城までの徒歩が大変だったと思う。ホテルのフロントの方に尋ねると「たまにありますけど、この時期(3月)の積雪はやはり珍しいですね」とのこと

大浴場付きのホテルにつき

早々に山賊焼きそして信州そばを熱燗とともに

翌朝は6時半の時間開始とともに朝食をモリモリ。いつものことだが、これでしばらくお腹はもちそうだ

篠ノ井線からスタート

昨日あまり降りられなかった篠ノ井線からスタート。この日は青春18きっぷである。松本駅で印をもらう

長野と松本という県内の主要都市を結ぶ幹線だが、道中は深い山の中を走る。道中の自治体も「村」がかなりある

雪と木造駅舎の組み合わせは美しい

難読駅。読めるようで、やはり読めない典型例。旧式の駅名標も残る

西条駅。読みは「にしじょう」。だから広島県の「さいじょう」とは同じ文字のまま。いずれも明治生まれと古い駅だが、広島県の方がわずかに早いため、きっぷについては「(篠)西条」と表示される

こちらは冠着駅のものだが、各駅とも委託化されていて駅員さんがいる時間帯はストーブが灯っていて暖かい

この日の目的のひとつは朝と夜の1日2本しかない快速に乗車すること。通勤用の車両が姨捨駅を通過する。稲荷山は篠ノ井のひとつ手前で長野市内にある。昨日来た時と同様、姨捨から長野方面に雪はない

旧駅名板が駅舎内にきれいに保存されていて、写真駅名標も残る明科駅で一段落

まだ11時になっていない。この日のうちに帰る予定だが、まだまだ時間はある。お次は、となり、昨日の続きでもう少しだけ大糸線に乗ってみるか、で松本駅まで一度戻る。篠ノ井線の各駅は大糸線の駅までタクシーで10分ほどのところもあり、そうすればショートカットで、より多くの駅を回れそうだが、せっかくの18きっぷである。「タダ」なのだから、これはいったん松本まで行く一手だろう

駅の待ち時間と電車内であらためて大糸線について学習。そこで知ったのは40もの駅があること(松本のぞく)。全線105キロで40とは随分と多い。うちJR西日本の大糸北線はすでに全駅訪問済み。今日も朝から篠ノ井線の駅訪問をしているぐらいなので、大糸線への「執念」はそれほどでもなかったが、だったらJR東日本の各駅もいろいろ訪ねてみたいという気になった

今日はお昼になろうとしているので、それほど時間はないが、できる限り回ってみよう

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~有名駅まで東京近郊区間延長か?

穂高駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

知名度「高」の観光駅

穂高駅に到着。大糸線には松本を中心とする通勤通学のほか観光路線としての役割も持つ。知名度の高い駅も多いが、当駅はそのうちのひとつ

島式ホーム構造で1日約2000人の利用がある。平日の昼過ぎながら、多くの人が電車を待っている。奥に見えるのが構内踏切。跨線橋はない

訪問日は曇り空でこのような美しい景色には出会えなかったが、晴天のホームからの眺めはこのようになるらしい。もし見られたら、これだけでも来た甲斐がありそうだ

当駅は安曇野観光の拠点となる。徒歩圏はもちろん、駅前からは各方面へのバスも出ているほか、東京や大阪からの長距離バスもある。大糸線沿線への長距離バスは安曇野と白馬がセットとなっている運行も多く、鉄道のライバルでもある

目を引く駅舎

駅舎は社殿をあしらったもの。地名の由来ともなった穂高神社を模したもので、駅から至近というか、ほぼ駅前である

駅の開業は1915年(大正4)。大糸線の前身ともなる信濃鉄道は同年1月に松本市(現北松本)~豊科を開通させた後、急ピッチで延伸。同年7月には穂高までを開業させた。現在の駅舎は1940年(昭和15)に改築されたもの。その後、化粧直しは施されているが、原型は変わらない。1940年といえば、すっかり戦時体制のころで、当時の観光や神社参拝がどのようなものだったかは分からないが、時代背景を考えると大きな工事である

みどりの窓口は営業を終えたが、指定席券売機が設置。もちろん1日1往復の特急「あずさ」も停車する

来年春からSuica利用可能に

訪問時は出ていなかった話だが、今年6月に「長野県におけるSuicaエリア拡大」の発表を行った

それによると2025年春以降に篠ノ井線の松本~長野、大糸線の松本~穂高がSuica利用可能エリアになるという。現在、都内から長野県に向けては、中央本線の松本までである。高崎からの信越本線については在来線がある横川まで。これまでの例だと、IC乗車可能ということは東京近郊の大都市近郊区間に含まれることとなる。現在、この区間の「北限」は常磐線の浪江駅

浪江から松本までの乗車券を購入した場合、途中下車ができないばかりか、きっぷの有効期限は1日のみとなる。現実的にこの区間の乗車券を買う人は「試してみよう」の同業者(鉄道ファン)意外は、ほぼ皆無とみられるが、新宿から中央本線に乗車して松本までのきっぷを買った場合、もちろん100キロは超えているが、甲府での途中下車は不可能となっている。そのため、当ブログの過去記事でも塩尻駅や松本駅までのきっぷを買う際には洗馬駅や北松本駅駅までの乗車券を購入すれば、途中下車も可能だということを当該駅の記事で紹介してきたが、松本駅とした場合の事情が大きく変わってくる。篠ノ井線については、東京から長野に行く際、わざわざ松本経由で行く人はあまりいないはずなので、それほど大きく事情が変わることはないだろう(長野経由で松本に行くと必然的に北陸新幹線に乗車するので東京近郊区間のルールからは外れる)。問題は東京方面から松本をゴールとして中央本線の各駅で途中下車したい人だ

松本~穂高間は約16キロもある。Suicaエリアではないお隣の有明までは約2キロ。松本~北松本は800メートルしかないので運賃に大した差は出ないが、18キロ分も余分に乗車券を買わなければならないので、最初に買う駅によっては負担が大きくなる

6月の発表時は「サービス開始は2025年春以降」となっているだけで、まだ正式な日時や内容は発表されていないが、気になる点だ

ちなみに「ほだか」と読む人が多いが、正しくは「ほたか」である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~松本から至近もチェックもれの駅

島高松駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

路線図を見て気付く

私にはひとつの夢があって、それは「全国の高松駅を順番に訪問すること」

日本各地には高松という地名が無数といえるほどあって、その分「高松」が付く駅名は多い。それを順番に回っていこうという計画である。きっかけは子どものころに知った豊臣秀吉の「高松城水攻め」で、しばらくその地が四国にあると思い込んでいた。後に岡山だと知ったのが、各地に高松があることを知ったきっかけで、ほぼ同時期に当時の西宮球場そして西宮北口駅の住所が西宮市高松だということも知った

だったら各地の高松駅を順番に回ることはできないか、思い描くようになったが、これにはかなり膨大な経費と時間がかかる。一番有名なのは四国の高松駅で、高松市内には「高松」が付く駅がいくつかある(数は意外と少ない)。高松で暮らしていたこともあるので、これは漏らすことはないが、他の高松駅を調べると行き止まりとなる路線上に存在することが多い。山形県の左沢線、鳥取県の境線、宮崎県の日南線。これはひとつの乗車券としてまとめられないことを意味する。青春18きっぷのようなフリーきっぷを使えば、到達はできるが正規の乗車券として「高松駅から高松駅」がほしい。ただ、行き止まりとなる路線を含むと、かなりのお金がかかるし有効期間の都合上、旅を始めると、なかなか帰ってここられない。そうこうしているうちに全国の高松駅はかなり訪問するようになり、乗下車したことがないのは左沢線と日南線ぐらいになっていた。立川に行ったついでに多摩モノレールの高松駅にも立ち寄ったほどだ(さすがJRの駅ではないので単に「高松」という駅名で妙に感心した)

と、随分前置きが長くなったが、大糸線にふらり乗車して路線図を見た時、ここにも高松駅があったことを初めて知った。しかも松本からわずか3駅という至近距離。チェック漏れである。これはぜひ降りなければならないだろう

ということで島高松に到着

大いに逡巡したワケ

ただ降車に大きな逡巡があった。先にある一日市場でまず降りたため、車窓から駅が見えた。例によって予習することなく訪れているので、どのような駅かは知らなかったが、いざ車窓から眺めると、これは迷う、それでも「エイヤ」で降りてみたが

単式ホームと待合所のみの構造だったのだ。うーん、寒い

道路とはスロープで結ばれている。単式ホーム+待合所のみの駅が路線内に数あることは後に知ることになるが、その最初だった。このような気候の時の訪問は私には不向きである

松本市最後の駅

島高松は大糸線では松本市最後の駅となる

開業は1926年(大正15)4月。すでにあった島内と梓橋の間に信濃鉄道によって設置された。住所は松本市島内高松。島内とは2つの川に挟まれた三角地帯の意味で、そこにあった高松という地名が駅名になったようだ

駅はスタート時から私鉄らしい簡素な姿らしく、貨物や荷物を扱ったことはない

駅の入口にあった石碑。簡素な構造ながらお手洗いもあり、自販機で暖かい缶コーヒーを安心して飲むことができた

当駅で安心できたのは、かなり新しい待合所があること。滞在は30分に満たない時間だったが、それでも多くの時間をここで過ごせたのはありがたかった

外では鳥の活動が盛んで

冬の農地で多くの鳥が何かをつついている。新芽でもあるのだろうか

このような写真ばかり並べると終日閑散としている印象を持たれるかもしれないが、松本まで10分ということで周囲には住宅も広がり、1日に約500人の利用がある

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~引き寄せられる駅名を優先

一日市場駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

読めるようで読めない

北松本駅の次は

一日市場駅で下車。「ひといちば」と読む。読めるようで読めないのが訪問の理由。この日はとにかく興味がわきそうな駅で降りてみることを主眼とした。いくつか駅を降りているうちムキになって全駅訪問を目指すことになるのが、いつものパターンだが、この時点では全くそんな気はなかった

なぜかというと猛烈に寒いから(笑)。私は根性というのが全くない方で、ましてやトシとるとさらにその傾向が強くなる。基本的には寒い時に寒いところには行かないので、雪に見舞われるのは偶然というか、見込み違い。だから雪の写真というのは貴重だ。ホームにあったアルプスの眺望の解説。雪を払えば姿を現わす。自ら払っても他人様に雪がかからない限り問題はなさそうだが、冷たそうで払う気にもならない。もちろんホームにいる地元の方は当然払わない。だから全貌は分からないまま。雪を払ったとしても曇天で何も見えないというのも理由のひとつだけど

わずか数ヶ月で変わった駅名

一日市場駅は島式ホームを持つ

駅舎とは構内踏切で結ばれている

開業は1915年(大正4)。豊科と現在の北松本が信濃鉄道によって鉄路で結ばれた際に誕生。大糸線の原点の駅のひとつである。最初の駅名は「明盛」(めいせい)。当時の明盛村に基づく。明盛村は戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に周辺の村と合併して三郷村となり、平成の大合併で安曇野市となった。現在も駅の住所は安曇野市三郷明盛。ただわずか数ヶ月で現駅名と変更されている。駅が設置された時はすでに明盛村となっていたが、明盛村は一日市場村など複数の村が集まって生まれていて中心地は一日市場村で役場も置かれた。駅の所在地もかつての一日市場村。駅名変更の理由を調べることはできなかったが、新たに作られた地名より、以前からの地名が優先されたのかもしれない。明盛村に参加した村には七日市場村もあり、こちらも公園や公共施設に名を残す。これは全国で見られる地名だが、毎月行われた市に由来するものだろう。岐阜県にも同じ読みの一日市場が存在する

地元の木材を利用した駅舎

駅舎は2017年に大幅に改修されている

それまでは開業から100年以上使用されていた駅舎だったが、サイズがコンパクトにされた。地元産のヒノキを使ったものだという

ただコンパクトにはなったが無人化されたわけではない

時間帯によっては無人となっているが、改札も行われる有人駅。松本まで15分と通勤通学にも十分な距離と時間で1日に約1200人の利用がある

駅舎に旧式の駅名標が掲げられ残されている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~徒歩10分ちょっとのはずが

北松本駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

徒歩移動には理由がある

松本から北松本までテクテク歩き始めた理由はただひとつ、両駅間が極めて近いからだ

線路距離にして700メートルしかない。線路に沿って真っ直ぐ歩く道はないため、徒歩も700メートルというわけにはいかないが、いずれにせよ1キロちょっと。ちなみにグーグル先生に道案内をお願いすると、この地図とは異なるお城口からの徒歩を案内される。この地図は実際に私が歩いたものに、ほぼ沿っている

地図を見た時「歩くだけならアルプス口からの方が近いのではないか?」と思い、先生に抗ってこういう経路となった

しかし、まずの難関

川を渡る橋が、線路に近いところには1本しかなく、しかも車道と歩道が分かれている。しかも雪を踏みしめた跡がアイスバーン状になっている。私の靴は普通のウォーキングシューズ。そもそも雪の中を歩いた経験がほぼないので、こんなところでスッテンコロリンしたら危なすぎると、やや尻込み気味になっていると、幸運にも向かいから来たご婦人がスタスタと渡り始めた。明らかに地元の方。ということで、うまい具合に誘導員を得ることができ、橋は渡れたのだが、この後も悪戦苦闘

地図に「ABC松本白坂店」とあるのは、パチンコ店さんだ。できるだけ線路に近い方を、と歩くと駐車場に入ってしまった。客でもないのに誠に申し訳ない。結局、駐車場を横切って路地に入ると、そこは雪が降った後、誰も歩いていない道でズボズボと雪に足を突っ込みながら前進。今思うとその時の画像があると、よりリアルなのだろうが、当時はそんな余裕はない。ちょっとだけ広い道に出ると、泥ハネ注意状態だったりで、それでも何とか20分ほどで

北松本駅に到着した

信濃鉄道本社のあった駅

大糸線は敷設が信濃鉄道という私鉄だったこともあり、駅間は近いところが多いが、歩いてきた両駅の距離が特に近いのは、北松本駅がもともと同路線の終着駅だったから。1915年(大正6)に豊科と当駅間で開通。当時の駅名は「松本市」だった。それが1月のことだが、わずか3カ月で松本駅まで延伸された。そして松本駅と併設されているにもかかわらず、駅名は「南松本」。ちょっとややこしいが、現在の南松本駅が開業したのは随分後のこと。なぜ700メートルのみの延伸を行ったのかというと貨物輸送の便を図るためで、松本駅と併設されても貨物しか運ばないのだから、駅名は松本でない方が区別する上で、むしろ便利だった。と同時に南松本ができたのだから、こちらは北松本にしよう、ということになり、松本市駅はわずか3カ月で現在の駅名に。さらに翌年には貨物駅だけではもったいないので旅客も運ぼうと、旅客輸送も開始したため、駅名は松本に統一された。時系列だけ見ると簡単だが、かなり激動の駅名変更だった

ただし開業時のいきさつから、信濃鉄道の本社は北松本に置かれ、車庫も設置された。今はともに面影はないが、車庫については国鉄末期まで大糸線の車庫として利用されていた

松本駅と同様、北松本駅もアルプス口とお城口がある。地図で分かるように、松本城には松本駅より当駅の方がむしろ近いのだが、駅舎はお城とは逆側の現在のアルプス口側に設けられていた。駅周辺の渋滞が酷いため、道路は地下化、駅舎は橋上化されることになり、本社があった開業時からの駅舎は解体され、2000年に現在の姿となった

こちらはお城口

周辺案内図はお城口にあり、タクシーも停まっていた

こちらは改札口。駅員さんもいて1日に1200人の利用がある。きっぷ売り場の上に掲げられている駅名板は旧駅舎にあったものだろうか

ホームは島式の1面2線。写真だけ見ると3月のものとは思えない

線路だけが見えるのは篠ノ井線。この付近はまだ単線区間で当駅にも篠ノ井線の駅を、という声の実現の妨げとなっている

福島県の浪江駅から延々と続く大都市近郊区間は松本まで。現時点では北松本までのきっぷを買えば途中下車もでき、きっぷの有効期限も延びる駅として有名(変化があるかもしれない)だが、実はそれ以上に大糸線の歴史を語る上で重要な駅である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~いったん消えた雪が再び

姨捨駅ホームからの眺め

※訪問は2024年3月6日

姨捨で車窓が一変

話はこの続き

新潟県の長岡あたりから長野県に入っても続く雪は飯山駅の横殴りの風雪である意味ピークを迎えたが、新幹線で1区間、長野駅に到着するとすっかり消えていた

随分と気候が違うのだと感じる

手には信州ワンデーパス。こちらもまた、なかなか使えるきっぷで特急券だけ別に買えば在来線はもちろん、新幹線にも乗ることができる。今日はこの後、篠ノ井線の駅訪問をしつつ、松本で宿泊予定となっている。今日は信州ワンデーパスのお世話になり、明日は前日に新潟駅で購入した青春18きっぷの2日目利用とするつもり(ちなみにこの春の18きっぷは、最後は芸備線そして福塩線でフィニッシュとなった。すでにルール変更が発表されていて、このように振り返るとややむなしさを感じてしまう)

実は道程については、あまり深く考えていなかった。時刻は11時前。篠ノ井線は幹線でありながらも篠ノ井~松本の普通本数は決して多くはない。ゆっくり回ると、あっという間に夕刻になってしまうはずだ

川中島駅。道路は濡れているが雪はない。想像するに雪は降ったが、c川中島駅。道路は濡れているが雪はない。想像するに雪は降ったが、そう多くはなくすぐに溶けてしまったのだろう

スマホで電車の時刻などを確認していると「おばすて」の声が聞こえる。ご存じ、日本三大車窓のスイッチバック駅だ。数え切れないぐらい来ているが、やはり車窓に目が行ってしまう。するとそこは

「ええ~っ」の光景。いつの間にか豪雪に戻っている

雪の姨捨駅は初めてだが、これは美しい。そしてやや分かりにくいかもしれないが、左側(長野側)奥の部分に注目。そのあたりは雪がない。対して右側(松本側)は雪。積雪の境目となっている。積雪の境界を肉眼で見たのはもちろん初めて。これは貴重な体験だった

雪の松本駅前から歩き始める

ただ貴重な体験をしたのはいいとして、となると松本の状況は、ということになる

独特のアナウンスとともに松本到着。駅の外に出るのは十数年ぶり

駅はまさに銀世界。時刻はすでに12時半を回っている。十日町からやって来たので、すでにフリーパスの元はとっているが、まだまだホテルのチェックインすらできない。車窓から気になるというか、以前から気になっていた駅が見えた。大糸線の北松本駅。洗馬と同じく「大都市近郊区間逃れ」の駅として同業者(鉄道ファン)の中では知名度が高い。この駅は篠ノ井線の線路が目の前を走っているのに大糸線しかホームがない駅で、よけいに目立つ

地図で見ると松本からそう遠くはなく、徒歩でも十分行けそうだ

アルプス口は初めてである。多くの人出にぎわう、お城口とは雰囲気が全く異なる

まさに「足下が悪い」のだが、歩き始める。思えば、これが大糸線の全駅訪問の第一歩となったわけだが、この時はそのようなことは全く考えていなかった

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その3(終)

南小谷駅の増便バス停留所

※訪問は2024年9月10日

14人で出発

まず前提として触れなければならないのは、私が乗車したのは青春18きっぷ期間ながら最終日の平日だったということ。夏休みの土日なども含め、何回か乗車したのであれば、標本数も増えるわけで、数字を比べたり分析することも可能だが、標本数はひとつで、しかも平日のお昼すぎだったというお断りを入れさせていただきます

定刻より3分ほど遅れて到着したバス。乗り込んだのは5人。そもそも大糸南線に乗車して終点南小谷で下車したのは2両編成の電車で全部で9人だったので、それ以上の乗車があることは考えにくい。もうひとつ触れておくと大糸南線も松本~信濃大町は通勤通学にも利用される区間で昼間も1時間に1本の運行は確保されているが、信濃大町~南小谷は乗客、本数ともにめっきり減る。特に観光地でもある白馬を過ぎると車内も閑散とする。営業係数はかなり苦しそうな区間である

バスに乗車すると白馬から乗車してきたと思われる先客9人がいて計14人で出発となった(この区間も3駅に停車するが、乗車はほぼないと予測)。乗車方法は列車とほぼ同じだが、青春18きっぷの場合は先にきっぷを見せて降りる駅を告げる。大糸北線の途中駅はすべて無人駅だが、途中の駅または停留所から乗車した場合は降車駅で現金で支払う。ただ結論を先に言うと途中での降車はゼロだった

乗車にちょっと驚き

前記事でも触れたが、駅と道路の位置関係で既存の駅近くに停留所が設けられない場所があり、それが中土、北小谷、小滝の3駅。平素から1日の乗車が限りなく0人に近づいている駅で道路からも離れている。3年前の9月に大糸北線の全駅訪問を行った時も、すべて「貸切」となった駅だけに最初からメモに「0」と書き込んでいたほどだったが、北小谷で2人の乗車があってビックリ。北小谷の停留所は750メートル離れた道の駅に設置されている

北小谷はホームからの姫川の眺めは美しいが、駅前に公民館のようなものがあるだけで何もない駅。シュプール号のために交換設備を設けたが、やがてまち単式ホームに戻ったという歴史を持つ。大糸北線が最後のにぎわいを見せたのがシュプール号だった。今にして思うと「私をスキーに連れてって」の映画とユーミンの歌で始まったスキーブームの一翼を担ったシュプール号。深夜近くの大阪駅ホームが大にぎわいを見せていた光景はいつから消えたのだろうか

話は少しそれたが、北小谷駅の川向こうにある道の駅小谷には温泉が併設されていて、北小谷駅の訪問時は時間があれば行ってみたいと思ったものだ。増便バスをうまく使えば、道の駅で約2時間過ごせる。温泉に入って食事をすれば、ちょうど良いかもしれない。列車の駅までも15分あれば歩けるので、組み合わせると良い訪問ができるかもしれない

2021年の大糸北線全駅訪問時は、55歳以上は3日間新幹線も含めJR西日本乗り放題でグリーンを含む指定席も6回まで乗車できるフリーきっぷを利用した。グリーン車もバンバン乗れるのに大糸北線へ越美北線の各駅訪問などをする人間は、圧倒的な少数派だろうから実態に近い乗車率を目の当たりにできたと思うが、キハ120に16人も乗車している場面は少なかったと思う

この後、バスは2021年に宿泊した姫川温泉の最寄りである平岩へと立ち寄る。駅は新潟県だが、宿まで数分歩くと長野県となる。山中の県境は何もない険しいところ、のイメージがあった私はビックリしたことを覚えている

その時に国道148号が旧道から現在のコースに変わった際、平岩の駅前を通らなくなったことを知ったが、確かにバスは国道から平岩駅へ1度下って、また国道へと戻るコースをとった

自分の車窓側の根知まで来ると糸魚川まで10キロ。街も開けてくる。ここ根知から糸魚川まではバスもそこそこの本数があり、私も利用した

姫川~糸魚川はJR西日本で最後の未乗車になった区間で昨年2月以来の訪問。その時の頸城大野駅は雪に埋もれていた。今とは対照的な光景で11時になろうというのに雪を踏みしめた跡が極めて少なかったことも覚えている

南小谷からここまで乗車は北小谷の2人だけ、降車はゼロという状態だったが、姫川から高校生が2人乗車(こちらもちょっと驚き)。結果的に糸魚川で下車したのは18人

おなじみの旧車庫をあしらった糸魚川のアルプス口

これで1時間のバス旅は終了。夏休みはもっと多くの乗車があったと聞くので、今日は少ない方だったのか。青春18きっぷの期間が終わると、さらに減ってしまうのかどうかは実際に乗車してみないと分からないので、機会があれば秋にもう1度訪れ姫川温泉に泊まりたいとも思っている

来年3月に結果が出た時、どのような数字が発表されるのかどうかは分からないが、青春18きっぷのようなフリーきっぷを乗車した利用者をどうカウントするかも大きく数字を左右するだろう。フリーきっぷは乗車駅と降車駅が把握できないため、通常は数に入れない。芸備線の青春18きっぷシーズンは、ここ数年1日1本の新見~三次間の列車は、押すな押すなの超満員となっているが、JR西日本にこの季節の数字を入れようという意識は感じないので、どのような数字を出るのだろうか?

少なくとも来年3月まではバスと列車を組み合わせると、なかなか楽しめることだけは間違いない。ただひとつの留意点は、ハイデッカータイプの使用バスは乗り心地はとても良い一方で、お手洗いはない。路線バスで旅する際、お手洗い問題は必ずあるのだが、増便バスでも注意していただきたい点である

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その2

南小谷駅の改札

※訪問は2024年9月10日

所要時間は列車と同じ

南小谷は1日1往復ではあるが、特急「あずさ」が新宿からやって来る。所在地は「小谷(おたり)村」で、なかなか初見では読めないが大糸線に乗車していると何度も繰り返しアナウンスされるので1度乗車すると読めるようになる。電車特急の終着駅が「村」というのも、ある意味凄いことだ

列車が到着すると構内に増便バスの案内アナウンスが流れる。青春18きっぷでも乗車できる旨も放送された。この日は2024夏の18きっぷ最終日である

時刻表によると南小谷から糸魚川まで約1時間。これは列車とほぼ変わらない。ただし必ずしも既存の駅前に停車するわけではなく交通新聞社の時刻表にも欄外に「北小谷駅のバス停留所は駅から約750メートル、中土駅のバス停留所は駅から約1200メートル離れています」と記されている。750メートルはギリギリ許容範囲だが、1200メートルはちょっと離れすぎだろう。大糸線の電化区間内は駅間が近い場所がいくつもあるが、おそらくそれよりも長い

定刻より3分ほど遅れてバスがやってきた。私はバスについては詳しくないが、空港のリムジンバスでよく見られる形式である

なにゆえ山中を通るのか

大糸線は松本と糸魚川を結ぶ105キロの路線。歴史をさかのぼると、元々は信濃鉄道という私鉄が松本~信濃大町に敷設したことに始まる。沿線には観光地も多く利用も好調。1916(大正5)に全通すると、わずか9年後には電化を完了させた

と同時に信濃大町から糸魚川に至る旧千国街道は、新潟から信濃に塩を運ぶ古来からの役割に加え、軍事面でも注目されるようになった。有事の輸送はもちろん、山中奥深くにあることが「敵の攻撃を受けにくい」となったのだ。有事に備えた山中の鉄路には現在の天浜線もあてはまるが、計画時はまだまだ航空機ではなく海上からの攻撃の時代。海沿いの線路よりも山中の線路が「いざ」という時に役立つという発想だった。元は鹿児島本線としてスタートした肥薩線も、海沿いルートを走る鹿児島本線に名称を譲りながらも有事の貴重なルートであり続けた

そのような経緯で昭和に入ると国の手によって糸魚川を目指す工事が始まった。1935年(昭和10)には南小谷を越えて中土まで開業。糸魚川からは小滝までが開業した。それぞれが大糸南線、大糸北線と名付けられた。間もなく信濃鉄道も国家買収。通常、両端の駅にちなんだ路線名は、それぞれの駅名から1文字ずつ取るものだが(水郡線のように事実上の始終着駅から1文字取ることもある)、途中駅の信濃大町から「大」の字をとった大糸線という名称は、国鉄が工事に着手した際に決められ、信濃鉄道の買収後もそのままにされたゆえのものである

ただ小滝~中土は冬季の積雪にも見舞われる山中の難工事で、全線開通となったのは戦後10年以上も過ぎた1957年。国防という当初の役割は終わっていた。そもそも人が少ないと分かっていた場所にあえて敷設した路線。戦後に行われた電化工事が南小谷までで終わったこと、国鉄民営化の際に電化、非電化区間で会社が変わったこと。北陸新幹線の開業で大糸線沿線の観光地へは新幹線利用の方が早くなったことなど、マイナス要素が積み重なった

現在、糸魚川から松本までの経路をグーグル先生に尋ねると北陸新幹線を利用した長野経由のコースが案内される。そちらの方が早い。黒部観光の入口となる信濃大町へも長野からのバスルートが優勢である。大糸線105キロのうち非電化区間はわずか35キロしかないが、糸魚川から白馬、信濃大町、安曇野といった観光地へ移動するのは本数も少なく直行列車もない。いわば負の積み重ねとなっているわけだが、今回の増便バスは今夏の青春18きっぷ期間中は、かなりのお客さんを乗せていたと聞く

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その1

大糸線の増便バスで糸魚川に到着

※訪問は2024年9月10日

乗車は南小谷から

南小谷駅までやって来た。時刻は13時20分。目的はこちら

来年3月まで運行されている「大糸線増便バス」に乗車するため。写真は白馬駅で撮ったもの。糸魚川~南小谷の大糸線非電化区間は1日7往復と少なく(県境となる平岩止まりが他に2往復ある)、糸魚川での新幹線乗り継ぎや、南小谷での大糸南線乗り継ぎが不便であることから、さらにバスで4往復を加え乗り継ぎをよくしようというもの。特に北陸新幹線については昼間も1時間に1本の停車があるにもかかわらず、大糸線との接続があまり考慮されていない。かつて大糸北線の全駅訪問を行った時も最初の壁がこれで、最初の駅である姫川まで約30分歩くことになった

増便バスのひとつのミソが白馬発着となっていること。これは観光地として集客力のある白馬へ南小谷での乗り換えを介さずに直接運ぼうというものだ。大糸線は南小谷で電化、非電化が分かれるだけでなくJR東日本とJR西日本で会社が変わるが(在来線では現在唯一の両社接続駅)、増便バスならJR東日本管内の白馬まで直接行くことができるが、今回はあえて南小谷から乗車することにした。やはり大糸線で北線と南線の乗り継ぎは南小谷からにしたいし、どのぐらいの利用者がいるのか見たかった

増発でなく増便の理由

南小谷の時刻表。大糸南線も松本から出ると信濃大町で運行がガクンと減り、ローカル線ではおなじみの「お昼休み」の時間には2~3時間運行がない時間帯もあるが、大糸北線はもっと少ないことが分かる。北線と南線の接続は良い時間も悪い時間もあってバラバラで、これもまた大糸北線の利用者増を妨げる要因のひとつとなっているのだが、4往復のバスはそれを埋める役割も果たす。JRのきっぷを持っていれば乗車可能で、もちろん青春18きっぷでも乗ることができる

例えば私が到着したのは13時20分だが、現在の時刻表だと80分の待機を強いられるが、実際に乗車したバスは13時57分と約40分の待機で済むので1本早い新幹線に乗車することが可能となる

ただ、ここで素朴な疑問となるのは「わざわざバスで増便しなくても列車を増発すれば良いのでは?」ということ。1日4往復を増やすだけなら、列車で対応できそうなものだが、大糸北線では複数の駅で交換設備を撤去した結果、途中駅で列車のすれ違いができるのは、途中の7駅で根知駅のみという現状があって増発ができない。よってバスによる増便となったわけだが、ここでもうひとつの疑問が生じる。今後、列車の増発ができないことが分かっていてバス増便をするのはなぜ?ということだ

ここで最初の写真に戻ると「実証運行」という文字が見える。つまりはニーズを把握してみようというのが狙いとなっている。バス増便は2019年に次いで2回目となるが、その間にJR西日本は利用者が少ない大糸北線の存廃論議をしたいと表明していて2019年は10~12月の3カ月だけの実施だったのに対し、今回は10カ月もの長丁場。この間の数字を根拠に何らかの意思表明をするのではないかとも言われている。ちなみに費用総額は約1億2500万円で、国の補助金約5900万円を活用。JR西日本が3300万円を負担。沿線自治体も負担した

要はバス転換に向けた動きのひとつで、もっと言うと、この区間に公共交通機関が必要なのかどうか、バス転換した場合にJRがどのぐらい関わるのかを見定める場ともなっているとも感じることができる

増便バスの停留所は駅舎を出た所にある。JR西日本の文字とロゴが分かりやすい。コタツもあって冬場も過ごしやすく、夏場はエアコンが快適な待合室でしばらく休憩した後、バスを待つ

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