大糸線

大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その1

※訪問は2024年10月11日

1カ月を経ての再訪

前回までの大糸線の各駅訪問は3月の話。なぜ記事化するのに半年も置いたかというと、全駅訪問が終わっていなかったこともあるが、雪景色が全く季節に合わなかったからである。といっても、一昨日あたりから急に冷え込みが厳しくなり、急速に冬の足音が聞こえてきた。大糸線の訪問は9月の上旬、10月の上旬にも行っているため、季節的には真逆になってしまうが、ご容赦ください

そして9月に次いで10月も大糸線増便バスに乗ってきた。季節というより時系列が飛びまくるが、こちらは3月までの限定運行ということで早めに掲載することにする

ちなみに1回目はこちら

スタートは気温8度の白馬から

スタートはハロウィーンムードの白馬駅から。1カ月前にも来ているが、気候がたった30日で全く異なる。前回は汗をダラダラかいていたが、この日の朝は8度。もちろん息は真っ白。前々日から当地は急に寒くなったようで、この2日間、宿では就寝の際、暖房をつけた。季節外れの夏日が続いていた神戸から信州に来て温暖差に身体もビックリだが

8時1分発の南小谷行きに乗車。これを逃すと次は11時23分と3時間20分後なので、絶対に譲れない電車である。白馬駅近辺でお勤めの方もいるのだろう。かなり混み合っていたが、南小谷へ向けてはガラガラとなった。本日は1カ月前と同じく南小谷から大糸線増便バスに乗る。ただ前回は単にバスで糸魚川まで行っただけだったが、今回は駅にも立ち寄り、最後は鉄路で糸魚川へと向かう。手には「秋の乗り放題パス」。毎年、鉄道の日の10月14日前後に登場するきっぷで、使用ルールは青春18きっぷと同じ。ただし3日間の連続利用、グループ利用禁止という決まりがある一方で自動改札機を通ることができる。つまりこの12月に発売される青春18きっぷとほぼ同じ内容だが、この頃はそのような改訂があるなど夢にも思っていない

約20分で終点の南小谷へと到着

南小谷は管理駅で、人はずっといるのだが窓口は9時過ぎからのようで、まだ開いていない

1カ月前はエアコンのお世話になり、冬場はコタツも登場するという待合室もまだ閉まったまま

勝手知ったる増便バス

こちらは駅舎。前回で勝手は分かっているので安心だ

時刻表も理解済み。実は前日、大糸線の駅回りでも利用したのだが、それはその時に紹介する。今から乗車するのは8時47分の1便。時刻表を見てもらえれば分かるが、このバスは白馬を8時30分に出ている。列車の紹介で8時1分に乗り損ねると大変、と記したが、増便バスがあるうちはカバーできる

というか

駅の時刻表で見てもらえば分かるが、白馬発8時1分に乗車しても南小谷着に同20分に着いた後、糸魚川行きは10時4分発で1時間40分もの待ち時間がある。白馬を次に出るのは11時23分で、もちろん10時4分には乗れない。11時23分白馬発は11時42分に南小谷着で、12時7分発糸魚川行きに25分の接続と、ようやく接続らしくなる。ちなみに白馬からだと始発となる6時57分発も南小谷での接続が図られている。要は「痛いところに手が届く」時間帯に設定されているのだ

だったら白馬を8時30分に出ればいいではないか、の声も聞こえてきそうだが、とにかく気温が一ケタの朝である。バスにお手洗いがないのは前回で確認済み。生理現象を考慮すると、ここは電車で南小谷まで行くのが無難というもの

ほんの少し色づき始めた山と川の景色を見ているうちに

数分遅れ気味でバスが到着。まずは大糸北線の駅を目指そう

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~雪景色旅のちょっとしたエピローグ

※訪問は2024年3月7日

駅前食堂のある風景

前日からの積雪が残る大糸線沿線だったが、不思議なことに有明駅あたりから雪の量は減って当駅付近はかなり少なくなっていた。この後、松本まで戻ったが松本に近づくにつれ、残雪量は増えていったので、前日の雪は松本中心のものだったようだ

安曇追分の駅前風景。2軒の駅前食堂があった。のれんが出ているので営業中だと思われる。旧国鉄の駅というのは町外れに設置されることが多く、そこそこの都市でも駅を降りてみたら何もない、ということが多く、そんな中で癒やされるのが駅前食堂。ただその風景も失われつつある。お客さんはいても後継者がいない、というのが大きな理由のひとつのようだ

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なぜか私が

さて、なぜいきなり駅前食堂の話から始めたのかというと、安曇追分駅の駅舎内が「緊急駅前食堂」になったからである

前記事でも紹介した駅舎内の様子だが、実は写真はこの角度のものしかない。撮ろうにも撮れなかった。というのも私と同じ電車で下車したご婦人の3人組グループが持参のお弁当を広げて食べ始めたから。弁当といっても駅弁ではない。自宅で作ったものだ。もちろんお茶もペットボトルではなく水筒持参である。私も昼食のお時間だが、松本駅近くのコンビニで買った恒例のコンビニおにぎり。外は寒いので駅舎内でほおばる。同世代の男性1人、女性3人が駅舎内でランチタイムというシュールな光景。どこからどうというわけではなく会話になり、話を聞くと今日の朝、神奈川県からやって来たという。この駅近辺の一体どこへ?と尋ねると、ある施設の名前。名前だけなら私も知っているが、徒歩ではちょっと無理な場所だと推測できる上、そこって穂高駅からのバスがあるんじゃないの?

「どうやって行くのですか」と、おそるおそる尋ねると当駅からバスが出ているのだという。なるほど、で、バスは一体何時に?と聞くと

「知らない」

秒で答えが返ってきた。私のあ然メーターはあっという間に振り切れてしまった。そういえば駅前の停留所の時刻表なんて見た景色はなく、即お弁当を広げていた。「大丈夫?」と言うと「なんとかなるでしょ」の回答。もちろんここには観光案内所などないので、私が代わりに調べてあげた

「バスは次は○時○分発で降りるのは○○という停留所。ただ帰りは○時○分に乗らないと戻ってこられませんよ」

だが、出発のバスまではかなりある。「タクシーがあるでしょう」と聞かれたので「ここには常駐してないよ」。ついでにグーグル先生とナビタイム先生の両者による徒歩時間を調べると軽く1時間以上はかかるようだ。伝えると「わー、そんなにかかるんだ。ありがとう」とサラリ。決してつっけんどんな言い方ではなく、自然な感じだったので、それ以上私も突っ込まなかったし、とりあえず施設までたどり着けば、帰る方法は教えてくれるだろう

ただ私が感じたのは、ケセラセラ的な旅の原点である。私も成り行き任せの旅は好きだし、ブログ内でもケセラセラという言葉はよく使うが、さすがに列車の数がどのぐらいあるかは調べている。ましてや地方でバスに乗るとなると、事前準備は入念の上に入念である。今はスマホひとつあれば、沿線情報は入手できるし、タクシーも呼べる。自分の若いころはそうだったなぁ、と思った次第(ただ時刻表は必ず調べていた)

半年あまりでなくなったもの

松本まで戻ってしなのに乗り込む。あずさとの並びだ

手には大阪までのチケット。乗継割引の使用はこれが最後である。もちろん分かった上での購入

名古屋経由のしなのは数多くお世話になった乗継割引のひとつ。在来線特急が半額になることで、ちょうど駅弁代になる。これからは駅の立ち食いそば&きしめんで済まそう

こちらは前々日に新潟駅で買った青春18きっぷ。この時は新潟、松本、一ノ関、三ノ宮、三次と各地でハンコをもらったが、もうそれもできない。半年ちょっとで、長年私の旅を支えてきたものもすっかり姿を消し、ひとつの曲がり角を感じている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~18きっぷ駅舎とホーム越しの絶景に旧駅名を思う

※訪問は2024年3月7日

リアルすぎる駅舎と財産票

有明のお隣の安曇追分に到着。この日最後の訪問駅だ。大糸線では安曇野市には9つもの駅があるが、最も北にある駅となっている。市内には篠ノ井線の駅も2つあるが、ちょっと意外なことに「安曇」が付く駅は当駅ひとつしかない。ちなみにサムネ写真の駅名標で分かるようにローマ字にすると「azumi」で、こちらは安曇野市も同様に「azumino」だが、ひらがなにすると駅名は「あずみ」で自治体名は「あづみ」となっている

ホームは島式の1面2線。ただ写真で分かるように上り下りでホームは固定されていない。構内踏切の駅でよくある形式だが、すれ違いがない場合は、駅舎と反対側のホームを使用して遮断機ができるだけ降りないようにしている

その構内踏切を渡って駅舎に入ろうとすると、いきなりこのような文字のお出迎え。手書きの明朝体が凄い。否が応でも期待は高まる

そしてまさに期待通りの駅舎。当駅は1915年(大正4)の開業。有明から信濃松川(当時は池田松川)まで延伸された際に設置された

この後の記事を読んでくれなくなるかもしれないので、書くのに躊躇してしまうが大糸線の古い駅舎というのは、数が少なくなっている。元々、ホームと待合所のみの駅が多いのもあるが、この十数年で新しく生まれ変わったり簡易化したりで、この後の記事では年季の入った木造駅舎はほとんど出てこない。その分、こちらで楽しんでいただきたい

JR東日本の駅では見かける機会が減っている財産票が当駅には残る。ただ残ってはいるが判別不能だ。「昭和」の文字の下に、わざわざ「大正」と手書きされているので、もちろん張られたのは昭和になってからだろうが、張ってから竣工期を書こうとしたものかもしれない。「財産票そのものが財産」のたまにある例だが、開業時からのものだと判断しておこう

分岐駅の歴史と絶景

かつて当駅からは池田鉄道という昭和戦前に12年だけ運行された幻の鉄道が運行されていた。鉄道の来なかった池田町への運行を地元有志が担ったものだが、痕跡はほとんどない。わずかに駅舎側にあるホームらしきものの小さい土台がそうではないか、と推察できるぐらい

池田鉄道については、また別の駅紹介で行う予定だ

駅は現在、安曇野市による簡易委託で窓口は午前中のみの営業となっている。安曇野市は篠ノ井線の駅も含め、各駅で簡易委託を担って頑張っているが、それに応えた形になったのが、2022年春の青春18きっぷのポスターら当駅が選ばれたこと。安曇野市のHPによると、大糸線の駅が18きっぷのポスターに選ばれたのは初めてのことだったという

駅を出たところからホームの駅名標を写そうとしたら

いやいや、これは絶景としか言いようがない。昨日は曇天だったが、今日は晴天で北アルプスの山々が美しすぎるし、ホーム周辺の残雪もいい味付けとなっている

実は当駅は開業時の駅名は「アルプス追分」だった。しかし登山者にとっての最寄りは、お隣の有明駅で、間違って当駅で下車する登山者が多く、わずか4年で現駅名に変更されたという歴史がある。ただこうやって景色を目の当たりにすると、ここはまさにアルプス追分である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~安曇野観光の拠点を譲った駅

※訪問は2024年3月7日

全ドア開閉は当駅まで

有明駅に到着。当駅も大糸線の中で知名度の高い駅である。松本から当駅までの列車は車掌乗務の有無にかかわらず、すべてのドアが開く。当駅を過ぎるとワンマン運転の列車は1両目の後部ドアから乗車、降車時は運転士のいる先頭ドアのみとなり、きっぷの回収と運賃支払いが行われる。列車によっては当駅まで車掌が乗車し、以北はワンマン運転となる場合もある。大糸線の列車は原則2両編成(JR東日本の電車に単行運転はない)。つまり松本~有明でドアをひとつにすると旅客が多く時間がかかりすぎると判断されていることになる。有明折り返しの列車の設定もある

有明駅は島式の1面2線。構内踏切で跨線橋はない。開業は1915年(大正4)。信濃鉄道が穂高から1区間延伸させて暫定的な終着駅とした柏矢町、穂高それぞれの項で説明したが、この年の1月に松本市(現北松本)~豊科が開業すると、6月に柏矢町、7月に穂高と1カ月に1区間のペースで延伸が行われ、有明への到達は8月。現在の信濃松川駅(当時は池田松川)まで延伸されたのは9月のことなので、終着駅としての働きは2カ月未満である

観光拠点としての役割

有明駅に与えられた役割は安曇野観光そして登山の拠点だった。開業当時、有明村があったが、駅の所在地は北穂高村。有明村とは、やや離れていた。戦後に両村は穂高町などと合併して新たな穂高町となり、同じ自治体となっているが(現在は安曇野市)、今も駅の住所は安曇野市穂高北穂高である。このような事情がありながらも有明駅となったのには、穂高の次の駅を北穂高とするよりも、著名な有明山にちなんだ駅名とした方が分かりやすいとの判断だろう

駅舎は木造で戦前からのもの。リニューアルはされているが、山小屋風の駅舎は変わらない。登山の拠点駅を意識したものだろう。駅舎の柱を支える石は重厚である

現在、定期的に大糸線に入る優等列車は1日1往復の「あずさ」だが、以前は多くの優等列車が東京からの直通列車として入っていた。さかのぼり始めるとキリがないが、最も著名なものは急行「アルプス」だろう。こちらはJR移管後も夜行便として残っていたが、新宿方面から中央本線をやってきて一部は松本止まり、一部は大糸線に乗り入れていたが、70年代初期までは穂高に停車する優等列車はなく有明停車だった。それが国鉄末期の80年代に入ると穂高への停車が始まり特急も停車するようになった。一方で有明に停車する急行はどんどん減っていった。バスも含めた観光拠点は穂高となり、大糸線の定期優等列車が1日1往復の特急となった現在、有明に停車する優等列車はなくなった

現在の有明駅は簡易委託駅。1日の利用者は有明駅が約400人、穂高駅が約2000人と大きく差がついている

それでも立派な駅名板が掲げられているのは、重責を担った当駅への敬意だろう

駅舎内にはリニューアル前の駅名板が残る

もう一度ホームへ。優等列車が数多く停車していた時代からの留置線が、かつての名残だが架線は残され、まだ現役。緊急時用に備えられているという

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~109年前は安曇野への唯一の架け橋

※訪問は2024年3月7日

車窓が下車の合図

柏矢町から5駅松本方面へと戻って梓橋で下車。この駅で降りた理由、それは車窓に見えたこの文字のため

当駅が安曇野の入口であることを示した木標。これを生で見るために降りた。例によって、この時点では何の予習もしていないので降車のモチベーションのすべてだったわけである

単式ホームの駅だが、かつては島式ホームだったようで、使用されなくなった片側ホームは留置線となっている

大糸線オリジナル駅のひとつ

当駅は1915年(大正4)の開業。大糸線の前身である信濃鉄道が豊科~松本市(現北松本)を開業させた際に設置された。現在この間の駅数は多い(というかかなり多い)が、スタート時は豊科と松本市以外は明盛駅(現一日市場)そして梓橋の4駅のみ。つまり大糸線のオリジナル駅のひとつw当駅は1915年(大正4)の開業。大糸線の前身である信濃鉄道が豊科~松本市(現北松本)を開業させた際に設置された。現在この間の駅数は多い(というかかなり多い)が、スタート時は豊科と松本市以外は明盛駅(現一日市場)そして梓橋の4駅のみ。つまり大糸線のオリジナル駅のひとつである

なぜ早々に駅が設置されたかというと

私の想像も入るが梓川の対岸にあったから。川を渡れば安曇野である。駅名はここに架かる梓橋からとられた。現在の梓橋は地図で分かる通り、県道にかかる橋を指すことが一般的だが、信濃鉄道が開通した時に道路の橋はまだなく、松本地区と安曇野地区を結ぶ唯一の橋は、鉄道の橋だった

ちなみに当時の所在地は「高家村」。戦後に豊科町となり、現在は安曇野市。今も駅の所在地は「安曇野市豊科高家」だが、読みは高塚と書いて「たきべ」と読む。交通として重要な梓橋があることで駅名になったのだろうが、普通に自治体名を冠していたら、屈指の難読駅となっていたかもしれない

ホームでリンゴを

梓橋の駅舎は真新しいもの

かつては戦前からの駅舎があったが、2015年に改築された

簡易委託駅でホームは森土の高台にあるため、大糸線では珍しく跨線橋ではなく地下通路から入る形。梓川の増水で鉄道橋が大きな被害を受けたため、1967年(昭和42)に橋の付け替えが行われ、ホーム位置もわずかに変化した

目につくのは、この案内板。ホームでの栽培といえば塩尻駅のぶどうが有名だが、こちらはリンゴ

残念ながら季節が季節でお目にかかることができなかったことが残念である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~クラシックな駅舎にクラシックなホーロー

※訪問は2024年3月7日

こちらも合成駅名

突然、大糸線の全駅訪問を目指すことになり

松本駅の大糸線乗り場へ。とはいえすでに11時になっていて、今日は15時ごろの特急「しなの」で帰宅するため、それほど時間はない。持ち時間の範囲で頑張ろう

松本から14キロ。約30分の電車旅。わずか14キロで30分も要するのは駅数が多いため。松本から9駅目。14キロで9区間もあるのだから、出発するとすぐ到着のイメージだ

ご覧のように1面1線の単式ホーム。右側に「いかにも」のスペースがあるが、かつては島式ホームだったらしい

かつての島式ホームの跡を利用したと思われるスロープで駅舎へと向かう。その駅舎はというと

どう表現して良いのか、いかにも「駅」である。最近見かけなくなりつつある1文字ずつ分離した駅名板がいい味を出している

開業は1915年(大正4)。松本と豊科を結んでいた信濃鉄道が延伸された際に設置された。豊科~松本市(現北松本)から開業したのが1月で柏矢町までの1区間延伸が6月。一時的に終着駅だったが、まさに一時的で1カ月後には穂高まで延伸。その後も続々と延伸され、翌年には信濃大町まで信濃鉄道としての全線が開通した

駅舎は開業時からのものとされる。ユニークなのは駅名で「柏矢町」という地名は当時も今もない

駅の所在地は「安曇野市穂高柏原(かしわばら)」。駅から近い2つの地名である「柏原」と「矢原(やばら)」を合わせて駅名としている。柏原駅といえば、近畿圏に3駅もあって、それぞれ微妙に読み方が異なることで知られるが、そのまま地名を付ければ、もうひとつの柏原駅が誕生していたかもしれない

ただ当時の所属自治体は西穂高村。戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に合併して穂高町となっているが、それまで自治体としての「町」になったことはなく、なにゆえ「町」が付いたのかは調べても分からなかった。そもそも長野県内の自治体の「町」は「まち」が原則(唯一、阿南町のみ「ちょう」)で、柏を「はく」と読んだことも含め、私にとっては謎のままである

思わぬ発見

駅前には住宅街が広がる。単式ホームの駅とはいえ、1日に1000人以上と利用者も多い

安曇野市の簡易委託駅。安曇野市内の駅は篠ノ井線の駅も含め、営業時間は異なるものの、市の簡易委託でいずれも駅員さんがいる

そして

こちらは駅の窓口利用を促進する案内。来春にはIC乗車ができる区間となるが、駅の将来について現時点での発表はない

駅舎内では

「指差確認」のギリギリ残されたホーロー。いつからあるのかは分からないが、少なくとも10年20年というものではない。そしてもうひとつ

これはもっと貴重だ。思えば城端線の戸出駅で同じようなものを見た

戸出にあったものは「計量器使用事業場」で、やや文言は違うがおそらく同じ意味のもので、旅客の荷物を計る駅に与えられた認可のようだが、富山県から遠く離れた長野県で、ちょっと感動の再会となった

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~40駅と知ってがぜんヤル気が

※訪問は2024年3月6、7日

松本駅は気温3度

南豊科駅から松本駅まで戻ってきたのは16時前。本日は松本に宿をとっている。最初に松本駅に到着したのは12時半ごろ。その時はすでに雪はやんでいて、その後も雪には一度も見舞われなかったが、積雪はたっぷり残っている。駅に表示されている気温は3度。あくまで体感だが、この日に限っては豊科あたりより松本駅周辺の方が寒そうだ

ホテルは徒歩5分ほどのところだが、歩道に残る雪を避けていくのに時間がかかる。踏みしめられた後の方が氷のようになっていて油断するとスッテンコロリとなりそうだ。この日、観光で松本を訪れた人は松本城までの徒歩が大変だったと思う。ホテルのフロントの方に尋ねると「たまにありますけど、この時期(3月)の積雪はやはり珍しいですね」とのこと

大浴場付きのホテルにつき

早々に山賊焼きそして信州そばを熱燗とともに

翌朝は6時半の時間開始とともに朝食をモリモリ。いつものことだが、これでしばらくお腹はもちそうだ

篠ノ井線からスタート

昨日あまり降りられなかった篠ノ井線からスタート。この日は青春18きっぷである。松本駅で印をもらう

長野と松本という県内の主要都市を結ぶ幹線だが、道中は深い山の中を走る。道中の自治体も「村」がかなりある

雪と木造駅舎の組み合わせは美しい

難読駅。読めるようで、やはり読めない典型例。旧式の駅名標も残る

西条駅。読みは「にしじょう」。だから広島県の「さいじょう」とは同じ文字のまま。いずれも明治生まれと古い駅だが、広島県の方がわずかに早いため、きっぷについては「(篠)西条」と表示される

こちらは冠着駅のものだが、各駅とも委託化されていて駅員さんがいる時間帯はストーブが灯っていて暖かい

この日の目的のひとつは朝と夜の1日2本しかない快速に乗車すること。通勤用の車両が姨捨駅を通過する。稲荷山は篠ノ井のひとつ手前で長野市内にある。昨日来た時と同様、姨捨から長野方面に雪はない

旧駅名板が駅舎内にきれいに保存されていて、写真駅名標も残る明科駅で一段落

まだ11時になっていない。この日のうちに帰る予定だが、まだまだ時間はある。お次は、となり、昨日の続きでもう少しだけ大糸線に乗ってみるか、で松本駅まで一度戻る。篠ノ井線の各駅は大糸線の駅までタクシーで10分ほどのところもあり、そうすればショートカットで、より多くの駅を回れそうだが、せっかくの18きっぷである。「タダ」なのだから、これはいったん松本まで行く一手だろう

駅の待ち時間と電車内であらためて大糸線について学習。そこで知ったのは40もの駅があること(松本のぞく)。全線105キロで40とは随分と多い。うちJR西日本の大糸北線はすでに全駅訪問済み。今日も朝から篠ノ井線の駅訪問をしているぐらいなので、大糸線への「執念」はそれほどでもなかったが、だったらJR東日本の各駅もいろいろ訪ねてみたいという気になった

今日はお昼になろうとしているので、それほど時間はないが、できる限り回ってみよう

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~有名駅まで東京近郊区間延長か?

穂高駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

知名度「高」の観光駅

穂高駅に到着。大糸線には松本を中心とする通勤通学のほか観光路線としての役割も持つ。知名度の高い駅も多いが、当駅はそのうちのひとつ

島式ホーム構造で1日約2000人の利用がある。平日の昼過ぎながら、多くの人が電車を待っている。奥に見えるのが構内踏切。跨線橋はない

訪問日は曇り空でこのような美しい景色には出会えなかったが、晴天のホームからの眺めはこのようになるらしい。もし見られたら、これだけでも来た甲斐がありそうだ

当駅は安曇野観光の拠点となる。徒歩圏はもちろん、駅前からは各方面へのバスも出ているほか、東京や大阪からの長距離バスもある。大糸線沿線への長距離バスは安曇野と白馬がセットとなっている運行も多く、鉄道のライバルでもある

目を引く駅舎

駅舎は社殿をあしらったもの。地名の由来ともなった穂高神社を模したもので、駅から至近というか、ほぼ駅前である

駅の開業は1915年(大正4)。大糸線の前身ともなる信濃鉄道は同年1月に松本市(現北松本)~豊科を開通させた後、急ピッチで延伸。同年7月には穂高までを開業させた。現在の駅舎は1940年(昭和15)に改築されたもの。その後、化粧直しは施されているが、原型は変わらない。1940年といえば、すっかり戦時体制のころで、当時の観光や神社参拝がどのようなものだったかは分からないが、時代背景を考えると大きな工事である

みどりの窓口は営業を終えたが、指定席券売機が設置。もちろん1日1往復の特急「あずさ」も停車する

来年春からSuica利用可能に

訪問時は出ていなかった話だが、今年6月に「長野県におけるSuicaエリア拡大」の発表を行った

それによると2025年春以降に篠ノ井線の松本~長野、大糸線の松本~穂高がSuica利用可能エリアになるという。現在、都内から長野県に向けては、中央本線の松本までである。高崎からの信越本線については在来線がある横川まで。これまでの例だと、IC乗車可能ということは東京近郊の大都市近郊区間に含まれることとなる。現在、この区間の「北限」は常磐線の浪江駅

浪江から松本までの乗車券を購入した場合、途中下車ができないばかりか、きっぷの有効期限は1日のみとなる。現実的にこの区間の乗車券を買う人は「試してみよう」の同業者(鉄道ファン)意外は、ほぼ皆無とみられるが、新宿から中央本線に乗車して松本までのきっぷを買った場合、もちろん100キロは超えているが、甲府での途中下車は不可能となっている。そのため、当ブログの過去記事でも塩尻駅や松本駅までのきっぷを買う際には洗馬駅や北松本駅駅までの乗車券を購入すれば、途中下車も可能だということを当該駅の記事で紹介してきたが、松本駅とした場合の事情が大きく変わってくる。篠ノ井線については、東京から長野に行く際、わざわざ松本経由で行く人はあまりいないはずなので、それほど大きく事情が変わることはないだろう(長野経由で松本に行くと必然的に北陸新幹線に乗車するので東京近郊区間のルールからは外れる)。問題は東京方面から松本をゴールとして中央本線の各駅で途中下車したい人だ

松本~穂高間は約16キロもある。Suicaエリアではないお隣の有明までは約2キロ。松本~北松本は800メートルしかないので運賃に大した差は出ないが、18キロ分も余分に乗車券を買わなければならないので、最初に買う駅によっては負担が大きくなる

6月の発表時は「サービス開始は2025年春以降」となっているだけで、まだ正式な日時や内容は発表されていないが、気になる点だ

ちなみに「ほだか」と読む人が多いが、正しくは「ほたか」である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~松本から至近もチェックもれの駅

島高松駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

路線図を見て気付く

私にはひとつの夢があって、それは「全国の高松駅を順番に訪問すること」

日本各地には高松という地名が無数といえるほどあって、その分「高松」が付く駅名は多い。それを順番に回っていこうという計画である。きっかけは子どものころに知った豊臣秀吉の「高松城水攻め」で、しばらくその地が四国にあると思い込んでいた。後に岡山だと知ったのが、各地に高松があることを知ったきっかけで、ほぼ同時期に当時の西宮球場そして西宮北口駅の住所が西宮市高松だということも知った

だったら各地の高松駅を順番に回ることはできないか、思い描くようになったが、これにはかなり膨大な経費と時間がかかる。一番有名なのは四国の高松駅で、高松市内には「高松」が付く駅がいくつかある(数は意外と少ない)。高松で暮らしていたこともあるので、これは漏らすことはないが、他の高松駅を調べると行き止まりとなる路線上に存在することが多い。山形県の左沢線、鳥取県の境線、宮崎県の日南線。これはひとつの乗車券としてまとめられないことを意味する。青春18きっぷのようなフリーきっぷを使えば、到達はできるが正規の乗車券として「高松駅から高松駅」がほしい。ただ、行き止まりとなる路線を含むと、かなりのお金がかかるし有効期間の都合上、旅を始めると、なかなか帰ってここられない。そうこうしているうちに全国の高松駅はかなり訪問するようになり、乗下車したことがないのは左沢線と日南線ぐらいになっていた。立川に行ったついでに多摩モノレールの高松駅にも立ち寄ったほどだ(さすがJRの駅ではないので単に「高松」という駅名で妙に感心した)

と、随分前置きが長くなったが、大糸線にふらり乗車して路線図を見た時、ここにも高松駅があったことを初めて知った。しかも松本からわずか3駅という至近距離。チェック漏れである。これはぜひ降りなければならないだろう

ということで島高松に到着

大いに逡巡したワケ

ただ降車に大きな逡巡があった。先にある一日市場でまず降りたため、車窓から駅が見えた。例によって予習することなく訪れているので、どのような駅かは知らなかったが、いざ車窓から眺めると、これは迷う、それでも「エイヤ」で降りてみたが

単式ホームと待合所のみの構造だったのだ。うーん、寒い

道路とはスロープで結ばれている。単式ホーム+待合所のみの駅が路線内に数あることは後に知ることになるが、その最初だった。このような気候の時の訪問は私には不向きである

松本市最後の駅

島高松は大糸線では松本市最後の駅となる

開業は1926年(大正15)4月。すでにあった島内と梓橋の間に信濃鉄道によって設置された。住所は松本市島内高松。島内とは2つの川に挟まれた三角地帯の意味で、そこにあった高松という地名が駅名になったようだ

駅はスタート時から私鉄らしい簡素な姿らしく、貨物や荷物を扱ったことはない

駅の入口にあった石碑。簡素な構造ながらお手洗いもあり、自販機で暖かい缶コーヒーを安心して飲むことができた

当駅で安心できたのは、かなり新しい待合所があること。滞在は30分に満たない時間だったが、それでも多くの時間をここで過ごせたのはありがたかった

外では鳥の活動が盛んで

冬の農地で多くの鳥が何かをつついている。新芽でもあるのだろうか

このような写真ばかり並べると終日閑散としている印象を持たれるかもしれないが、松本まで10分ということで周囲には住宅も広がり、1日に約500人の利用がある

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~引き寄せられる駅名を優先

一日市場駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

読めるようで読めない

北松本駅の次は

一日市場駅で下車。「ひといちば」と読む。読めるようで読めないのが訪問の理由。この日はとにかく興味がわきそうな駅で降りてみることを主眼とした。いくつか駅を降りているうちムキになって全駅訪問を目指すことになるのが、いつものパターンだが、この時点では全くそんな気はなかった

なぜかというと猛烈に寒いから(笑)。私は根性というのが全くない方で、ましてやトシとるとさらにその傾向が強くなる。基本的には寒い時に寒いところには行かないので、雪に見舞われるのは偶然というか、見込み違い。だから雪の写真というのは貴重だ。ホームにあったアルプスの眺望の解説。雪を払えば姿を現わす。自ら払っても他人様に雪がかからない限り問題はなさそうだが、冷たそうで払う気にもならない。もちろんホームにいる地元の方は当然払わない。だから全貌は分からないまま。雪を払ったとしても曇天で何も見えないというのも理由のひとつだけど

わずか数ヶ月で変わった駅名

一日市場駅は島式ホームを持つ

駅舎とは構内踏切で結ばれている

開業は1915年(大正4)。豊科と現在の北松本が信濃鉄道によって鉄路で結ばれた際に誕生。大糸線の原点の駅のひとつである。最初の駅名は「明盛」(めいせい)。当時の明盛村に基づく。明盛村は戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に周辺の村と合併して三郷村となり、平成の大合併で安曇野市となった。現在も駅の住所は安曇野市三郷明盛。ただわずか数ヶ月で現駅名と変更されている。駅が設置された時はすでに明盛村となっていたが、明盛村は一日市場村など複数の村が集まって生まれていて中心地は一日市場村で役場も置かれた。駅の所在地もかつての一日市場村。駅名変更の理由を調べることはできなかったが、新たに作られた地名より、以前からの地名が優先されたのかもしれない。明盛村に参加した村には七日市場村もあり、こちらも公園や公共施設に名を残す。これは全国で見られる地名だが、毎月行われた市に由来するものだろう。岐阜県にも同じ読みの一日市場が存在する

地元の木材を利用した駅舎

駅舎は2017年に大幅に改修されている

それまでは開業から100年以上使用されていた駅舎だったが、サイズがコンパクトにされた。地元産のヒノキを使ったものだという

ただコンパクトにはなったが無人化されたわけではない

時間帯によっては無人となっているが、改札も行われる有人駅。松本まで15分と通勤通学にも十分な距離と時間で1日に約1200人の利用がある

駅舎に旧式の駅名標が掲げられ残されている

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