安治川トンネル

竣工から80年インバウンズも来ない?大阪の隠れ名所 川底を歩く(後編)

※訪問は2025年5月11日

エレベーターには多数の人と自転車

いよいよ川を渡ろう、いや潜ろう

トンネルの出入りには階段とエレベーターの2つの方法があるが、当然ながら利用が多いのは圧倒的に後者。そもそも自転車はエレベーターで行くしかない。こうして見ると、人が少なく感じるかもしれないが、そうではない。乗り切れない人がピストン運行されるエレベーターの前で1本見送り、次の順番で先頭に来たところ。エレベーター前には警備員の人が立っていて「人だけだったら、まだ乗れます」「次にしてください」と整理してくれる

エレベーターが到着してドッと人と自転車が降りてきた。次々と乗り込む人々。日曜の16時過ぎという時間帯。ふだんの知識がないので、これが多い方なのか少ない方のか分からないが、トンネル付近の源兵衛渡交差点は、それほど人が歩いている印象はなかったので、まるで駅のようにこちらに集中してやって来た感じだ

私も、この日同行してくれたX(旧ツイッター)のフォロワーしんさん(@sin103neko)もいっぱいで次の便にしようと待っていると「自転車以外は入れますよ」と、促されて乗り込む。安治川トンネルは深さ約17メートル。ビルでいうと4~5階分なので、すぐ到着する。時間にして10秒ぐらいだろうか

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地下道の幅は2メートル

振り返ると早々にエレベーターは西九条側からやって来た人々を乗せて出発するところ。順番待ちの自転車もいる

地下道の幅は2メートル。トンネルそのものは11メートルの幅があるが、前記事で触れたように車の通行は約50年前に止められていて、この部分だけが残されている。安全のためトンネル内にも警備員がいる

左側通行で自転車は押しての通行となる

字体からクラシックさを感じる斜めに掲げられた「防犯ベル」の文字。というか防犯ベルという言葉の響きは久しぶりに感じる

これはお決まりの案内標。というか知らずにここを通る人はほとんど皆無と思われる。長時間滞在したわけではないが、梅田やなんば、通天閣界隈を埋め尽くしているインバウンドの方々も無縁の場所だろう

案内標を足すと105メートル。トンネルそのものの長さは80メートルなので歩き始めるとすぐ到着である

せっかくなので地上に出る際は階段を昇ってみた。急ぎのため降りる時に階段を利用する人以外はほとんどいないようだ。というのも実際に昇ってみて分かったのだが、戦時中に造られたものだけあってtuせっかくなので地上に出る際は階段を昇ってみた。急ぎのため降りる時に階段を利用する人以外はほとんどいないようだ。というのも実際に昇ってみて分かったのだが、戦時中に造られたものだけあってかなり急な階段だ。恥ずかしながら、昇りきっただけで息がゼーゼーになってしまった

そしてこちらが西九条側の出入口。エレベーターは朝の6時から深夜0時までの稼働だが、階段からのトンネル利用は24時間可能となっている

変貌した西九条

西九条側から九条側を見る。橋は阪神なんば線で右側にやって来た九条側のトンネル入口がある。こうして見ると何の建物か初見では絶対に分からないだろう

安治川トンネルの解説文や周辺案内がある

安治川の上流部分をながめると中之島が見える

実は西九条と中之島のロイヤルホテルまでは、そう遠くはない。その先は大阪の経済の中心地である。九条となんばが近いのと同じ感覚だ。歩く人はあまりいないだろうが、車だと数分で着いてしまう

トンネルを出ると西九条駅はほとんど目の前だが、梅田や中之島からほど近い場所で環状線と桜島線の分岐であり、阪神の西大阪線(阪神なんば線)の乗換駅でもありながら、西九条はちょっと渋めの下町という場所だった

その西九条が大きく変わったのはUSJのオープンで、工場地帯への輸送路だった桜島線はUSJを目指す人でにぎわうようになり、阪神も神戸方面からUSJに行きやすいよう尼崎を特急停車駅にした。そして阪神なんば線の開業。神戸からなんばまでの直通運転が開始され、西九条は重要な交通の結点となった。それは九条も同様で、なんばまで乗り換えなし、ほんの数分で行けるようになったことは大きい

しんさんと西九条界隈で2軒はしごして20時に解散。これまで書いてきた通り、安治川トンネルへのアクセスは抜群だ。梅田からもなんばからもすぐに行ける。安治川トンネルが完成した戦時中の1944年におけるマイカーの通行量というのは分からないが、おそらく微々たるものだと思われる。まさか完成から20年も経たないうちに車社会の波が押し寄せるとは想像していなかっただろう。そんなことも考えながら、川底を渡ってみるのも楽しいはずだ。大阪市のちょっとした穴場である

そしてしんさん、お付き合いありがとうございました

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竣工から80年インバウンズも来ない?大阪の隠れ名所 川底を歩く(中編)

※訪問は2025年5月11日

グーグル先生も指南のメインルート

阪神なんば線の九条駅と西九条駅の駅間はわずか1・3キロ。歩いても行けそうだし、現に今回は歩いている。ではグーグル先生は徒歩ルートをどのように指南してくれるかというと

このように安治川トンネルを進むルート。というか地図を拡大してほしい。安治川を歩行者が渡るルートはここしかないのだ。大阪市のど真ん中なので川ぐらいいくらでも渡れそうだが、歩行者どころか車でもなかなか渡れない。車は機動力があるので何とかなりそうだが、歩行者はほぼこのルートのみ。貴重な導線となっている

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正解だった戦時中の判断

あらためて安治川トンネルの九条側入口。倉庫のようだと前記事で記したが、建物だけを見てこれが川底トンネルの入口だと思う人はいないだう。写真で分かる通り、自転車の入場も可能で自転車でエレベーター待ちをしている人もいる

建物を見て気になるのは右側の巨大エレベーターの存在

注意書きは、もう文字が見えなくなっているが、かつて安治川トンネルは車も通行できていた。ただこのクラッシックな建物にセンサーのようなものはない。運転手は1度車を降りてボタンを押していたのかとも思ってしまうが、ここにボタン操作を行う係の人が立っていて通行料を徴収していたのだ。ただし車社会の進行とともにトンネル内の空気の悪さや事故の心配もあることから、1963年(昭和38)に国道43号で渡れるようになったことを契機に交通量も減ったことで、1977年に人と自転車専用道となった。60年以上も前のことだ

エレベーターの上には「安治川隧道」の文字。右から左に文字が流れていることで古さが分かる。「昭和十九年九月十五日竣功」と文字が刻まれている。開通日だが、昭和19年といえば、戦争まっただ中。かねてより安治川は大阪市内のネックポイントで人や物の流れを妨げていた

少し九条寄りに戻るが、この建物入口の交差点には

「源兵衛渡」の名が今も残る。安治川には渡し船がいくつかあり、ここがそのひとつ。物流優先の戦時中のこと。何かと渡船では効率が悪いとなって車も通れるルートを作ろうとなって、トンネルができた。もし戦争がなければ事情は変わっていたかもしれない。渡船はトンネルの竣工とともに廃止となった

ただ川を渡る手段が問題となった。手っ取り早いのは橋を架けることだが、こちらは戦時中の資材不足が問題となった。橋をかける時間もかかる。そもそも安治川に橋が造れなかったのは当時物流の中心を担っていた数多くの大型船の通行を妨げない大規模なものが必要だったからだ。そのころの技術で大がかりな橋を架けるのは大変なことだ。何よりせっかく橋を架けても敵の標的となってしまう可能性もある。ということで、地上でトンネルを造った上で、トンネルごと川底に埋めるという工法がとられた。結果的に、この判断は大正解。その後の空襲被害に遭うこともなく「隧道」は今もほぼそのままの形で残っている

では実際に「渡って」みよう

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竣工から80年インバウンズも来ない?大阪の隠れ名所 川底を歩く(前編)

九条駅の駅名標

※訪問は2025年5月11日

スタートは蘇った幻の駅

すっかり陽も長くなった5月の日曜日の夕方。阪神西大阪線の九条駅にいた。この日はなんばに用事があり、阪神なんば線に乗って九条へ。わずか2・5キロの距離だが日曜日でなくても終日人で大にぎわいのなんば周辺とは異なり日曜16時はホームの人もまばらだ

当駅のメインは地下鉄中央線との乗り換えとなる1番出口だが、あえて2番出口へ。ここで本日同行していただくX(旧ツイッター)のフォロワーしんさん(@sin103neko)と合流。しんさんとは昨年12月にダイエー曽根店をともに訪れて以来5カ月ぶり(7月いっぱいでの閉店が決まったらしく、こちらもしんさんから連絡をいただいた)。気候もよくなって、どこかに行こうと話し合った末に選ばれたがこの地である

写真が反射してうまく撮れていなかったので、ここからは2019年に撮影したものとなるが、阪神の九条駅は幻の駅として知られていた。尼崎となんばを結ぶ阪神なんば線は今でこそ神戸と大阪ミナミを直結する利便性の高い路線となっているが、長らくは尼崎から環状線の西九条駅まで来たところで唐突に終わっている西大阪線という路線だった。環状線の高架より、さらに高い場所に駅があり、見る人が見れば「環状線をまたいでどこかに行こうとしているのだな」と一目で分かる構造だった

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いったん計画は凍結

阪神は戦後の早い時期からなんばへの乗り入れを目指していたが、大阪市や地元の反対によって計画は頓挫。九条駅については、まだインターネットなどというものができるとも思っていなかった私の高校生時期である40年以上前に「すでに駅はできていて地下に埋めてある」という話を都市伝説的に聞いたことがある

地下駅の改札口を出て階段を昇ると白い壁が見えてくる。そこにあるのは

古さを感じるタイル張りの壁と説明文

電電公社という固有名詞を目にする場所も貴重だが、今はNTTとなっているビルに出入口を造ったものの、日の目を見ることなく眠っていた。「ようやく皆様に出会えました」の文言がちょっと泣ける

京セラドームあってのなんば線

ちなみに当駅の隣駅は「ドームまえ」。言わずとも知れた京セラドーム大阪の最寄りだが、ここ九条からでも遠くはない

もし当初の計画通り、昭和40年代に開通していたら大阪ドームの最寄り駅としてはもちろん存在していないし、地下をもぐる現在のコースになっていたかどうかも微妙だ。阪神なんば線の着工は2003年。皮肉にも当時大阪ドームを本拠としていたプロ野球近鉄バファローズの消滅直後だったが、それ以前からドームの利用者が増えないことに危機感を覚えていた大阪市が長らくの許可凍結を解禁したともされる

ドームとは逆方向へ

さて今回はドームとは逆方向へと歩いていく。目指すは西九条駅。九条駅と西九条駅の間にある「安治川隧道」を渡ろうというのが今回の本来のテーマである

九条にはキララ九条という大きな商店街があり、安治川を目指して歩くと商店街の端と合流する

こちらは商店街のアーケード。そしてさらに先に進むと安治川へと到達するが、突き当たりに建物が見えてきた

何やら古い建物。遠目からは倉庫のようにも見えてしまうが、こちらが安治川隧道(今後はトンネルと記する)の入口だ

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