師走の外房線各駅訪問~千葉市内に戻って終了 早くも発表された「秋」のダイヤ改正

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鎌取駅の駅名標

※訪問は2024年12月14日

3駅まとめて紹介

鵜原から上総一ノ宮で乗り換え、大網を越え

土気駅まで戻ってきた

ここから千葉市に入り、1日の利用者が万単位の駅が続くので3駅まとめて紹介したい

そして誉田駅

こうして見ると「とけ」「ほんだ」と意外と難読駅であることに気付く

そして鎌取駅

過去に大網と本千葉は訪問済みなので、外房線は全駅完了となった

難読とした土気、誉田(開業時は野田)は1896年の房総鉄道が蘇我~大網で開業した時からの明治29年生まれなので、歴史的には外房線の原点でもある。駅ができた時は、それぞれ誉田村、土気本郷町だったので周辺の景色が今とはまるで異なるものだったことは想像に難くない。いずれも千葉市となったのは戦後10年、20年が経過してから

鎌取駅については戦後の1952年(昭和27)の開業だが、宅地開発も進み、今では1日の利用者が3万人を超える外房線では千葉、蘇我に次ぐ第3位の駅となっているので、単独駅としては1位の駅となった

ひらがなの駅名標が目を引く。当駅は島式の1面2線構造で朝のラッシュ時は人があふれかえって危ないと、当駅停車の本数を増やすことになったが、折り返し可能な構造ではないので隣の誉田折り返しの電車が登場している。また土気には東京方面への通勤用として朝夕の一部特急が停車するほか、誉田では列車の増結や切り離し作業が行われる

早々に秋のダイヤ改正を予告

外房線、内房線沿線から東京へと直通する朝の通勤快速廃止が発表されたのは私が外房線の各駅訪問を終えた直後。途端に県知事をはじめ。沿線各自治体の首長から猛烈な反発が起きた。全国ニュースでも取り上げられるほどで、結局は朝の快速を2本復活させることになった。線路や駅には容量があり、一度引いたスジを改めて引き直すのは容易ではないので、いったん発表したものを引っ込めて引き直すのは異例のこと

それでも反発は収まらないため、JR東日本では5月30日に9月1日からのダイヤ改正を改めて発表。それによると朝と夜に内房線、外房線に直通する普通4本を快速に変更するという。内房線、外房線それぞれ2本ずつの変更で、朝の始発駅は内房線は上総湊、外房線は上総一ノ宮である。3月以前の勝浦からの直通復活は実現しなかったが、自治体の要望を受け入れ、早々に「再々改正」に応じたことになる。ただし、これでもまだ火種は残っている状態で沿線からは不満の声があがる。「首都圏」が拡大しすぎて通勤通学が遠距離になった反面、コロナ禍で鉄道利用者が一時的に減少したことのひずみだともいえる

千葉から100キロに満たない外房線。1年前の内房線と合わせ、房総半島の各駅を回ってみた。当然ながら千葉から離れていくにつれ、幹線ではあるものの、ローカル線感が強くなっていく感覚は東京から1時間半で味わえるのは、なかなか貴重だ。また京葉線のダイヤを巡る沿線自治体の反発とは逆に外房線の各駅もバスとの競合は避けられなくなっている。安房小湊駅の記事で、小湊鉄道の目的地だったにもかかわらず、同社のバスはずっとやって来なかったと記したが、2013年に駅へと乗り入れたバスは東京行きの長距離バスである

その一方で古典的な木造駅舎も貴重な景色として残り、地元の方々に大切に使われている場面に出会える。また行川アイランドのような別の歴史にも触れられる。東京からは十分に日帰り圏内なので、ぜひ興味がわく駅や地域があれば、訪れてほしい路線である

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