加古川線100年、阪神淡路大震災から30年~その1 新生18きっぷの旅は早朝から

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※訪問は2024年12月10日

早朝の尼崎駅からスタート

時刻は朝の6時前。冬至目前のJR尼崎駅前は真っ暗だ

手には改訂されて初めて手にする青春18きっぷ。たまたま18きっぷ期間の初日となったわけだが、それは今回の件とあまり関係ない。少しでも寒さがマシなうちに、というのが本音である。さらに言うと3日間利用のこの日がメインイベントであって、朝の時点では翌日と翌々日のことは考えていなかった。前日の時点では天気が悪ければ、訪問日を翌日か翌々日に変更してもいいと思っていたほどだ

前記事で三岐鉄道北勢線での自動改札機におけるオペレーターとの通話システムについて記したが、その時に例として挙げたJR西日本の同システムは尼崎ほどの大きな駅にもある。西口は有人だが、東口はほぼ無人状態で、ここを通らなければならないが、新生18きっぷはここでの面倒な作業は必要なくなった

とにかく6時1分の福知山線福知山行きに乗車して出発である

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多くの高校生でにぎわう

大阪から福知山に行くには、この列車が事実上の始発となる。福知山線のさらに早い便もあるが、宝塚や新三田止まりで福知山まで行かない。また時間が経つと福知山線は篠山口での乗り換えが必要となるため貴重な1本。過去何度乗ったか分からない。ただ4両編成という窮屈さで朝の5時台という時間ながら、かなりのお客さんがいる。今日は座れないということはないだろうが、18きっぷの最盛期は大阪から乗らないと着席に危険信号が灯る列車である

何とか座席にはありついて篠山口も通り過ぎて下車したのは

1時間半後の谷川駅。「たにがわ」ではなく「たにかわ」と読む

広い待合室がある。5年以上前に来た時は自販機が並んでいる場所が売店だったはずだ。待合室で多くの人がテレビを見ていた。今もテレビはあるようだが、訪問時は消えていた

それでも1899年(明治32)の開業で昭和初期に改築された立派な駅は多くの高校生でにぎわっていた。過去、高校生の記憶がないのは当駅訪問が週末ばかりだったからかもしれない。自宅からご両親に駅まで送ってもらう地方都市ではおなじみの光景

緑の窓口もあって一部の特急も停車する

にぎわうホームの片隅に

ただ私が用事があるのは

跨線橋の隣を抜けての切り欠きホーム

西脇市行きの電車が待っていた。100周年のヘッドマークが付いている。加古川線は昨年暮れの12月27日に100周年を迎えた。式典のニュースもテレビで流れていたが、厳密に言うと全通100周年で、野村(現西脇市駅)~谷川が開通して現在の加古川線の形となった。手がけたのは播丹鉄道という播磨と丹波から1文字ずつとった会社である。国鉄の谷川駅に間借りの形となった。それゆえ福知山線と加古川線の線路はダイレクトにはつながっていない

線路そのものはつながっているが、スイッチバックのような形をとらなければならないので旅客列車は直通できないのに等しい。それが問題になるとは、30年前の阪神淡路大震災まで誰も予想だにしていなかっただろう

加古川線ホームは現在、番線の数字も与えられず単に「加古川線のりば」となっているだけで、まるで別会社のようで現状を物語っているようでもある

30年前は多くの人が谷川線と福知山線の間にあるホームを慌ただしく行き来していた。今回は再確認の半日旅である

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