※訪問は2025年7月11日
今も「営業中」の東急百貨店

弘南線の車中で
渋谷の東急百貨店本店は2年前に閉店となったが、こちらではまだ「営業中」である
まだギリギリ昭和である1988年にこの地にやって来た東急車輌。青森の地での生活は40年近くになり、東急で走っていた期間より、こちらで走る時間の方がすでに長くなっている
冷房なしに気付くのが遅れた
各駅訪問も終わりに近づいたころ、ふと見上げると

扇風機が元気に回っている。ここで車両が「非冷房車」であることに気付いた
こちらの記事でも紹介したが、私の訪問時、青森県はどこも涼しく、早朝から始めた大鰐線の残り駅回収時、弘前から大鰐温泉へ向かったJRの車内の高校生には長袖のカーディガンやジャージーを羽織る姿も見られたほど。たまたま私が訪れた時に数日間涼しい日があっただけだと後に知るのだが、考えてみると3月の大鰐線訪問の際も自分の身長よりも高く雪が積もっていた場所があったにもかかわらず、最高気温13度と実に穏やかだった。春先そして7月と奇跡的といっていいほど気候に恵まれた
大鰐線との違いを知る
もともと弘南鉄道として昭和初期にSLの走る非電化路線としてスタートした弘南線と、戦後に誕生した弘前電気鉄道を譲り受ける形でスタートした大鰐線。多くの人は「弘南鉄道には2つの路線があるのだな」程度の認識かもしれないし、事実私も長年そのように思っていたが、乗車してみると全く異なる。特に途中駅の施設が違う。貨物輸送も担っていた弘南線と旅客輸送に特化していた大鰐線とのコントラストが、施設の違いにも現れている。また平賀、尾上といった鉄道空白を埋めるべく昭和初期に当地へのアクセスが急務としてスタートした弘南線と奥羽本線の本数不足もあって、それに対抗するように奥羽本線と並行する路線として敷設されることになった弘前電気鉄道(当初は板柳まで延伸される予定だったが断念)とは、歴史的な使命が異なる

長らく終着駅だった津軽尾上

4階建てのビルとなった平賀駅など、町と鉄道の密接な関係がよく分かる
2駅積み残し
さて今回の訪問では尾上高校前、運動公園前の2駅が未訪問となった。いずれも新駅で尾上高校前に至っては平成生まれだ。16時前に弘前駅に戻ってきたので、日の長い7月上旬のこと。訪問は可能だったが、あえて見送ることにした。行きたい店があったこともあるが、残すことによって再訪問の理由を作りたかったのだ。関西から弘前への距離やアクセスは、なかなか遠く、現実的にお金もかかる。訪問にあたってのモチベーションがほしいところだ。また大鰐線にもう一度乗っておきたい。フリーきっぷである「大黒様きっぷ」は両路線共通なので問題ない
そんなことを考えていたら、おわびをしなければならないことになった
館田駅である

難読と古典的な駅舎という強く印象に残った駅であるが、実は11月13日に弘南鉄道から「建て替え工事」が発表されていた。弘南鉄道のHPにも掲載されている。それによると11月20日から工事が始まり、来年7月中旬ごろまで続けられるという。「平川市地域づくり活動拠点施設建設に伴う駅舎の建替え工事」とあり、工事期間の長さを見ても、それなりの規模の工事のようである
私が当駅の記事を記したのは11月22日で、すでに工事は始まっていて、まさに直後だったことになる。情報を見落としていたことについて、おわびしなければならない
ただ全く私的な事情を言わせてもらえるならば、7月の訪問直後に館田駅を記事にしていたら、駅舎建て替えには全く気付かず、今後当地を再訪問してもスルーしていた可能性が高い。読者の皆さまには誠に申し訳ないのですが、またひとつ弘南鉄道乗車のモチベーションが増えたことには、ちょっと喜びを感じたりしています
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