※訪問は2024年6月22日
気になる車内アナウンス
上松駅に到着。意外と初見では読めないプチ難読駅は上松町の代表駅。駅名はかつての上松宿に基づく。朝夕に上下1本ずつ、1日に計2往復の特急が停車する。その朝の長野行きに乗車すれば、20分後にやって来る塩尻方面への普通に乗ることができる計算だ。このあたりは幹線の電化区間とはいえ普通のダイヤは薄いので特急をうまく使えば効果的に乗ることができる。青空フリーパスならではの芸当
材木の森林事業で古来より栄えた。江戸時代は尾張藩の重要な財源だったという。いわゆる名所案内も木製でお出迎え
ここにも書かれているが
跨線橋にも書かれている「寝覚の床」
こちらの名所案内にも一番上に書かれている寝覚の床とは木曽川が岩を浸食しながらできた景勝で、名称については千年以上ここに住んでいた翁の伝承から来たという説や、竜宮城で良い思いをした浦島太郎が目覚めて現実に戻った場所という説もある
特急「しなの」に乗車すると、ときおり車内アナウンスによる紹介がある。進行方向に向かって左側。ただ以前は木曽川そのものが急流で、水位も高かったが、治水によって平素の川は穏やかになり、姿は変化しているという。一見するとゴツゴツ岩が並んでいるだけなので、寝覚の床というロマンチックな名前とのギャップによって分からないこともあるため、通り過ぎた際は再びアナウンスが入る
火災によってコンクリ駅舎で再建
いわゆる中央西線には古くからの木造駅舎が多く残るが、ここ上松駅は1910年(明治43)の開業で、木材の町として栄えてきたにもかかわらずコンクリート駅舎となっている。これは1950年(昭和25)に町で大火があり、駅舎も全焼したため
財産票によると翌年にコンクリート駅舎として再建された
上松駅は木曽山中に400キロにもわたって張り巡らされた木曽森林鉄道の拠点のひとつだった
こちらは解説文。役割はもちろん木材の運搬だが、旅客輸送も行っていた。その代替バスは現在も上松町を走る
材木の町ながらコンクリート駅舎となってしまった上松駅だが、駅の至るところに木材でアピールされている。駅に着くと最初の木製の名所案内に始まり、ラッチも木製で「ようこそ」の歓迎板も木製
きっぷ売り場も木材のアピールがある
駅前の観光案内所も木造である
なおJR移管後に全線きっぷ売り場(みどりの窓口と同意)が設置されたが、現在は簡易委託駅となっている
現在は秋場所中ということで、こちらの写真で上松駅を締めくくろう
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