※訪問は2024年8月7日
高台にある明治42年からの駅舎
洗馬駅に到着。名古屋を出たのが6時13分で現在は9時38分。名古屋から3時間半近くかけて170キロをやって来た。中津川では5分の乗り継ぎ。途中の十二兼は運転停車だったので、ほぼ揺られ放し。過去にも書いているが、私はあくまでも「降り鉄」なので、同じ列車に1時間以上乗っていると飽きてくる。かなりしんどい旅だったが、とにかく塩尻の手前、JR東海管轄としては最後の駅にやって来た。青空フリーパスでは行けない3駅のうちの1駅まで来ただけで、まずは満足。今日中に帰るが、さすがに名古屋からは新幹線利用の予定。それでも170キロの単純往復だけで1日分の18きっぷの元は大いに取れただろう
出迎えてくれる駅舎は外に出る前から、なんともいい味を伝えてくれる。屋根を支える木の柱が良い感じ。ホームと外を隔てるフェンスも一部は木製のものが残されている。無人駅なので、この手のものは撤去されがちだが、しっかり残っているのがいい
駅舎はご覧の通りの木造駅舎。1909年(明治42)に中央本線が塩尻から奈良井まで延伸された際に開業した
こちらは駅名板。下に見える財産票を拡大すると
「M42年12月」の文字。駅の開業は12月1日だった
なかなか難読の洗馬の由来は
洗う馬と書いて「せば」。なかなか難読である。中山道の「洗馬宿」に基づく。これまでも触れているが、中央本線の駅名の多くは中山道の宿場町に由来するものが多いが、こちらは塩尻に次ぐ宿場だった。洗馬は自治体名にもなっていて、洗馬村が1961年まで存在した。ただし厳密に言うと駅の所在地は宗賀村。現在はともに塩尻市となっている
駅はやや高台にあり、宿場までは少し坂を下りる必要がある
洗馬の由来にはいろいろあって、宮ノ越駅でも触れた木曽義仲がこちらにも登場する
ちなみに前記事の十二兼駅近くにも義仲伝説はある。この後も出てくるが、中央本線は義仲伝説の宝庫だが、洗馬の地名の由来は義仲の家来が馬の足を近くの沢で洗い流したことにあるというもの
ただ塩尻市のHPによると、洗馬の牧という牧場から朝廷に対し、馬などが献上されたという記述が1014年の藤原実資の日記にあるという。1年前なら「藤原実資って誰?」と私も思っていたはずだが、今は違う。大河ドラマでロバート秋山さんが演じる、あの実資である。塩尻市のHPにも記されているが、木曽義仲の登場は150年以上後なので、義仲旗揚げのころはすでに洗馬の地名があったことになる。もっとも馬を洗ったという沢は存在するため、決して木曽義仲と無縁の地ではないという。また大変狭い地形を表す「狭場」が語源という説もあるそうだ
洗馬駅の役割
洗馬駅にはもうひとつの役割がある。運賃表を見ると塩尻までは190円。1区間なので当然の金額だが、この1区間が大きいのだ
福島県の浪江駅から延々と続いてきた東京近郊区間は、東京から中央本線を経て塩尻から篠ノ井線の松本まで続くが、その間途中下車は一切できない。きっぷの有効期間も1日である。ただ東京近郊区間でない駅までのきっぷを買うと、そのルールから逃れられる。そのような駅はいくつかあるのだが、この地では塩尻までのきっぷを買うなら、もう1駅、洗馬までの乗車券を購入すると、そもそも洗馬はJR東日本の駅ではないため、100キロを超えるきっぷなら途中下車もできるし、キロ数に応じたきっぷの有効期間も生じる
平安時台の伝説から明治の木造駅舎そして最新のきっぷのルールまで、いろいろなことが味わえる駅である
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