JR

JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る えきねっと連打

本八戸駅の駅名標

2022年10月16日7時30分

八戸の中心地は本八戸です

旅は最終日となりました。朝の本八戸駅

八戸の中心駅は本八戸。八戸ではありません。八戸まで鉄路が到達したのは1891年の明治24年とかなり早い。上野から青森まで全通した際に駅が設置されましたが、当時の駅名は尻内で、しかも上長苗代村という八戸町(当時)ではない自治体でした

さすがにこれでは不便すぎると現在の本八戸まで約6キロの支線ができたのが、その3年後。これが延伸して現在の八戸線となりました。当時は八ノ戸という駅名で明治のうちに八戸駅になっています

動きがあったのは戦後かなり経ってからのことで、まず上長苗代村が八戸市に。その後、尻内駅が八戸駅となり、八戸駅が本八戸駅となったのは1971年の昭和46年と戦後20年以上が経過してから

ただし駅としての格は高く、手元に東北本線が全線電化された1968年の時刻表があるのですが、寝台夜行も含めて1日5本運転されていた上野~青森の特急は、うち3本が仙台を出ると途中の停車駅は盛岡と尻内のみ。残る2本は盛岡のみの停車ですから、かなり偉い。一ノ関も花巻も通過です

今の感覚をあてはめるわけにはいかないのですが、当時は尻内=八戸という認識が、しっかり根付いていたのでしょうね

似たような例としては山陽本線の竜野駅と姫新線の本竜野駅があります(ともに兵庫県)。こちらは直線距離はたいしたことはないのですが、列車で行こうとすると大変な大回りと時間が必要となります。両駅を鉄道でつなぐ計画が消滅したことでこのような形になっています

八戸の中心駅ですから、立派な駅舎と改札を持ち、みどりの窓口も設置されています

観光式の駅名標。島式1面2線で40年以上前に高架化されています

日曜でしたが休日も登校する生徒さんがいて朝のホームはにぎわいます。平日はもっと多いのでしょう

ただ話はちょっとややこしいのですが、本八戸は八戸の中心駅ですが、町の中心地までは徒歩で10分以上かかる場所にあって、ちょっと離れています。前日の到着は19時前で、もちろん真っ暗。ホテルは繁華街に近い所に集まっていて、今は携帯アプリがあるのでいいですが、ひと昔前だったら駅からホテルまで行くのには地図を頼りにするか、ホテルに電話するかしていたでしょう

真っ暗だなぁ、と思っていたところから急にネオンでいっばいの繁華街に出るのでちょっと驚いてしまいました

八戸線は八戸から本八戸をまたいだ鮫までは多くの部分運行がありますが、本八戸駅からの中心部への距離もあってか、八戸駅から八戸の中心部まではバスが昼間も10分間隔の高頻度運転を行っており、新幹線から中心部へのアクセスは、こちらに軍配が上がっているようです

ただもちろん、フリーきっぷを握っている私は八戸までは列車の一択です。東日本パスを利用される方も、おそらくバスなど乗らないでしょうから(笑)、駅からの距離は心に留めておいてください

新幹線の座席確保に難航

列車は約10分で八戸に到着。言い忘れましたが、舌鼓を打つことで訪ねる機会も多い八食センターは八戸駅から1時間に1本、100円バスが出ているので、こちらが便利です

八戸駅です。2002年から8年間、東北新幹線の終着駅でした

八戸線はJRですが、かつての東北本線は青い森鉄道に移管されているので駅名標もJRの部分はこれだけ

いよいよ、旅の最終日にして初めて有料列車に乗るわけですが、昨夜から困っていることは新幹線の座席確保。ここから盛岡まで行って秋田新幹線に乗り換え、大曲から横手経由で北上線に乗るのですが、自分の予想した以上に座席がない。前夜の食事中から何度もえきねっとをチェック。その度に残り1席とか2席とか。ただ最後の北上から東京までの東北新幹線はいずれもB席(3人掛けの中央)で、過去の東海道山陽新幹線のエクスプレス予約連打の経験から、もう少し辛抱すれば他の座席が空くのでは、と予想していたのが甘く、途中で「0」になって焦った(泣)

指定券は発券しなければならないのですが、盛岡での乗り換えは数分しかなく発券するなら15分ほど時間がある八戸しかない。朝起きると何とか空いていて助かりました

もはやA席とかB席とか言ってられません。とにかく滑り込みセーフで一安心

前回も行けなかった蕪島。次回は行ってみたいですね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 三陸鉄道完乗と久慈市の思い出

10月15日17時

久慈ダッシュに遭遇

久慈へと向かう車内は混んでいて座れてはいても身をよじることなど不可能でラグビーボールのつり革を眺めることぐらいしかできませんでした

宮古から三陸鉄道の終点である久慈までは70キロとなかなかの距離。1時間50分かけて久慈へ到着。これで盛からの約160キロを完乗しました。160キロというと東海道本線の東京~清水が169キロなので、その長さが分かります

ここからは八戸線に乗り換えて本日の宿である本八戸を目指すわけですが、三陸鉄道の久慈到着が16時54分で八戸線の久慈発が17時ちょうどと接続が良すぎる。こういう時に何が起きるかというと

JR連絡口の「久慈ダッシュ」。乗ったと思ったらすぐ発車。乗車列車は当然混雑している上に、夕闇に包まれているので完乗の感慨を味わう間もありませんでした。おそらく3月に利用期間が来るファイナルも同様の混雑が予想されるので、宮古での混雑も含め、利用を予定している方は留意してほしいと思います

あまちゃん以前に訪問

さて久慈の滞在は事実上、0分になってしまいましたので少し思い出話におつきあいください。過去1度だけ久慈を訪れたことがあります。11年前の2012年4月のGW直前のこと。3月に八戸線が東日本大震災から1年を経て全面復旧したので乗りに来ました

宿泊地はもちろん久慈ですが、テレビドラマの「あまちゃん」は2013年4月からですから、まだ世間ではそれほど知られていません。私はもっと不勉強。夏の甲子園で当時から注目選手だった川上憲伸の徳島商と死闘を繰り広げたのが岩手代表の久慈商(現在は久慈東)が死闘を繰り広げたことを知っていたくらい

当時は東京で勤務していたのですが、同僚がかつて岩手で勤務していたため「海女さん」「翡翠(ひすい)」「鉄の町」「柔道」「石油備蓄基地」など、それから1年も経てばすっかり有名になっていたことを教えてくれました

東京から久慈へは二戸まで新幹線に乗車し、JRバスで向かうのがメインルート。約70分で結びます

震災からまだ1年で東北新幹線も「はやて」が多く走っていました(はやぶさは時速300キロ以上の列車)

せっかく行くのだからと

大奮発でグランクラスに初乗車

セコい私は、せっかくなんで酒をいやほど飲んでやろう、なんて思っていたのですが午前中ということもあって、たいして飲めなかったことを今でも覚えています

それでも東京から二戸まではやてのグランクラスに乗るなんて今は不可能ですから、貴重な体験です

三陸鉄道にも少し乗りました。こちらは久慈から田野畑までが復旧した直後。時間の関係で陸中野田までしか行けなかったのですが

道の駅が併設されている当駅で久慈までのきっぷを買うと

硬券だったため、感動しました

久慈の繁華街は駅を中心に形成されているようです

どう頼んだのか記憶にないのですが次から次へと魚を食べました。写真だけがいっぱい残っています

ホテルの住所が「川崎町」で、川崎製鉄の大きな工場があったことにちなんでいると知って感心しながら翌朝、駅に行き

後に「本州を走る最後の非冷房キハ40」として有名になった列車で八戸へ向かいました

車窓がとても良かったです

この時は八戸までの1時間40分をたっぷり堪能しました

さて昨秋の現実はどうかというと本八戸着は18時34分。大きな街なので夜の街に繰り出し2軒も行ってしまいました。明日は最終日。そういえばこの2日間、一度も優等列車も有料列車も乗っていませんね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る BRTから三陸鉄道へ

盛駅のJR駅舎

10月14日16時30分

路線バスで100キロ

大船渡線BRTの終着、盛に到着しました。もう周囲は薄暗くなりつつあります

柳津から最初のBRTに乗車したのが11時47分。途中、気仙沼での1時間半の休憩を挟んでいますが、5時間後のBRT完乗となりました。ちなみに食事もせずにやって来たとすると15時7分の到着となります

考えてみれば約100キロの路線バスで旅したことになります

地図を眺めるとかなりの移動ですね。全国各地の路線バスはよくお世話になりますが、北海道以外で100キロも路線バスで移動したのは初めて

3月の東日本パスは青春18きっぷの季節とすっぽり重なります。どこから入ってどう出るかを決めなければなりませんが、BRTは青春18きっぷでも使用できます。うまく組み合わせると、良い旅ができると思います

三陸鉄道との結点

盛駅は大船渡線と三陸鉄道南リアス線の乗り換え駅

JRと三陸鉄道の駅舎が並んでいます

盛の駅名標。JR(BRT)は終点です

岩手開発鉄道という鉄道ファンには有名な貨物専用の鉄道会社(旅客輸送については廃止)が石灰石の輸送を担っています。私は貨物には詳しくないのですが、いわゆる「ホキ」が並んでいることは分かりました

JRと三陸鉄道の線路もつながっています。かつては釜石を目指していた国鉄盛線が現在の南リアス線の原型です。ただ国鉄時代は釜石までは、つながらず途中で終わっていました。三セク転換が決まったことで工事が再開され、1984年の南リアス線開業と同時に盛~釜石が全通しています

盛線の部分開業は1970年。3年後に釜石まで15キロの所まで進んで工事は中断。70年代に全国で見られた「赤字になりそうだけど工事が進められていた」路線のひとつで、手元に1982年の時刻表(復刻版)があるのですが、21・5キロの盲腸線だった盛線は1日わずか5往復の運行。三陸鉄道ができなければ20年にもたたずに終わった路線になっていたかもしれません

夕方なので高校生の皆さんの下校時間で駅前はにぎわいをみせていました

盛は大船渡市で最も利用者の多い駅ですが、港に近い大船渡駅があり、盛と大船渡の間がメインストリート。かつては盛のお隣の駅が大船渡で、かなり距離がありましたがBRT転換後は途中に2つの駅を設けて利便性を図っています

三陸鉄道で本日の宿泊地である釜石に向かいます

三陸鉄道といえば

のんさんのポスターが出迎えてくれました

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 立派に「駅」なんです

気仙沼駅のポケモントレイン記念撮影所

2022年10月14日15時

町の中心部へは南気仙沼からが便利

気仙沼駅に戻ってきました。週末を中心にポケモントレインが運行されています

JR東日本パスや青春18きっぷを利用して気仙沼を訪れる方も多いと思われます。駅と町の中心部となる港方面は若干距離があります

徒歩だと30分ほど。今回はコミュニティーバスで行きました。バスだと10分。私の場合、これからの旅に備えて難しかったのですが海産物などの買い物もできますよ。バス停はコンビニの前です

ちなみにこうした中心部へは南気仙沼の方が近いです。以前は南気仙沼駅でしたが、今はBRTの停留所。南気仙沼からだと港も含め手軽に歩ける距離で、この区間は昼間も1時間に2本の運行があります。訪問の際は時刻表も参考にしていただければ、と思います

乗車したコミュニティーバスの市内循環。駅前にはタクシーもいます

気仙沼は管理駅。発車案内はBRTと列車が分かりやすく表示されています。考えてみると仙台駅の10分間でパスを発券できなければ、ここまで発券できずに別料金の可能性もあったわけです。それを考えると大きな10分間でした

こちらはホーム側から見た改札の様子。気仙沼では同じ改札内に列車とBRTがいます

そうですね。名残惜しいですが、また来ます

唯一のみどりの窓口設置駅

再びBRTに乗車。ただここからは大船渡線となります。今度の乗車は短い。30分ちょっとで陸前高田に到着。既に岩手県に入っています

岩手県というのは北海道に次いで大きな都道府県で新幹線だとあまり実感できませんが在来線やバスで移動すると、その大きさを感じます。南北も長いですが東西もかなりのものです。今回は力の限り(?)北上します

陸前高田「駅」です。ちゃんと駅名板もあるし

この緑のラインはJR東日本のもの。中に入ると

みどりの窓口もあります。ただ周囲に線路はありません。柳津から気仙沼を経て盛まで100キロにも及ぶBRT区間ですが、みどりの窓口があるのは気仙沼、盛そして陸前高田の3駅しかありません

気仙沼と盛は鉄道との接続駅でもあるので、BRT単独(つまり線路がない)では唯一のみどりの窓口設置駅となります

こちらは全景。東日本大震災前の駅舎を模して造られたそうです

規模の大きいターミナルとなっています

さて陸前高田で訪問が多いのは奇跡の一本松だと思います

ただ当駅からだと

歩くとちょっと時間がかかる。このため地元の要望でBRTにも奇跡の一本松停留所が設けられ、アクセスは便利になりました

ただ留意してほしいのは、気仙沼から乗車する場合は問題ないのですが、盛方面から乗車した場合は大船渡線の旧鉄路を通るルートがあり、こちらは奇跡の一本松は通りません。乗車前に確認をお願いします。ちなみにBRTだと気仙沼からでも30分で行けます

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 混雑のBRT

柳津駅の観光式駅名標

2022年10月14日11時20分

鉄道路線としては廃業

柳津駅に到着しました。鉄路はこちらまで。前谷地~柳津はBRTと鉄道がともに走る形になっています。前谷地は石巻線の乗り換え駅なので、それも考慮されているのでしょう。この区間についてはJR線の運転で乗車できるようになっています。この区間、BRTはノンストップで鉄道は各駅停車。ただスピードは各駅停車の鉄道が早い。この区間については専用道ではなく完全な「バス」なので時間がかかります

駅名標です。BRTとしての運行は2012年から始まっていましたが、鉄道事業としては3年前に廃業となっています

「終着駅」となった柳津の構内は外から見るとこんな感じ

ただBRTの位置付けは気仙沼線の代替で事業者はJR東日本なので青春18きっぷでも乗車が可能。BRT区間としては、ここ柳津からとなります

スタートなる停留所があり、専用道が見えていますが訪問日は自動運転の試験中ということで、こちらからの運転はなし

自動運転は12月から一部の便でスタートしています

専用軌道を走る

私も時々、正確な用語が飛んでしまって「えーっ、と」となるのですが、BRTとは「バス・ラピッド・トランジット」。渋滞に巻き込まれて遅延が発生しがちなバスの弱点を専用道を走らせることによって速度を維持しつつ、需要が多い場所では一般道を走らせて利用者の便宜を図るというもの

日本では廃線となった鉄道の路盤を生かしたものがほとんどですが

愛知県には気仙沼線のような道路法に基づくものではない、軌道法を基にしたガイドウェイバスもあります(撮影は2022年7月)

誰しも考えることは同じ

写真撮影をしているうちにBRT乗り場には長蛇の列。今回のきっぷを利用して北東北へ、という発想は誰でも同じだったようで、東京から新幹線を利用してやって来ると、このぐらいの時間になります。JR東日本には、ほぼ通年発売されている週末パスという商品があり、南東北までのJR路線と当該地域の多くのローカル私鉄や三セクに乗車できるものなのですが、その北限が石巻線でちょうどBRTには乗れない。今回のきっぷならそれも解決です

それにしても金曜だったこの日で、これだけの人。明日はもっと凄いのだろうな、と予想できました(やはり凄い乗車率だったようです)

気仙沼に到着

そのような状況だったので座席確保で精一杯。車窓撮影の余裕はなく、約2時間後に気仙沼到着です。この間55キロ。ちなみに気仙沼線のBRTは柳津から志津川、本吉と本数が増えていき本吉~気仙沼は昼間も1時間に2本の運行があります

気仙沼はここまで乗車した気仙沼線のBRTのほか、一関からの大船渡線の鉄路、大船渡線BRTの接続駅で鉄道ホームとBRTホームが並ぶ構造

こちらが駅舎。すでに13時半ですので、かなりお腹がすいています。次は15時9分のBRTに乗車して盛を目指す予定。せっかくなので海の方に向かおう、ちょっと距離はあるのでタクシーかな?と思っていたところ、たまたま地元のコミュニティーバスの時間だったので

あまり下調べもしていませんでしたが、とりあえず行ってみようと魚市場を目指す

乗車時に口頭で降りる停留所を告げるパターン。地方のコミュニティーバスではよく見かける形です。というか、先に「どちらまで」と聞かれることが多いし、スーパーに通う地元の方だと顔見知りで特にその日の行動に変更がない限りは黙っても行ってくれるケースも見たことがある

お刺身の定食おいしかったです

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返るBRT乗車

柳津駅の駅名標

再び発売されたJR東日本パス

昨秋に発売されて反響大だった「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」が再び発売されました。利用期間は3月2日から15日までの2週間。2万2150円で新幹線や在来線特急も含むJR東日本全線と私鉄7社に3日間乗り放題(指定席は4回まで)と内容は同じ。「ファイナル」と銘打たれていることから、ここまでお得なきっぷは最後になると予想されます。今回は、おそらく青春18きっぷの季節にもなるので組み合わせ次第では、かなり有効に利用できると同時に混雑も予想されます

昨秋は2回にわたって利用。10月21日から3日間にかけての利用については、本ブログで年明けから報告させていただきましたが、なかなかマニアックすぎる内容になりました

今回からしばらくは10月14日からの1回目についてリポートさせていただきます。どちらかというと、きっぷの特性を生かした乗りつぶしに特化したものとなっているため、何かの参考にしていただければ、とも思います

2022年10月14日7時

仙台までは飛行機で

大阪空港から仙台空港まで飛行機利用で出発です。前日のうちに東京まで入ることも考えましたが、ホテル代を節約するため当日に飛行機で東北を目指すことにしました。最初はもっと北の花巻あたりも考えましたが、大阪空港からの運賃を見ると利用者が多くて競合もあるためか大阪~仙台は他の東北の空港と比べてかなり安価。ちょっと早めにとれば1万6000円程度と大阪~東京とあまり変わらない料金だということが分かって、これなら新幹線もしくは飛行機で東京まで行って前泊するより、ずっと経済的だということで仙台までの空路を選択しました。久しぶりに搭乗口までバス移動を経験して

仙台空港に到着。残念ながら仙台空港鉄道はエリア外のため別料金。仙台に向かいます

この移動には、ひとつ懸案事項があって仙台での乗り換えが10分しかない。東北のフリーきっぷを購入するため、以前はJR区間となる名取で下車して購入したこともありますが、今回はそのような余裕はありません。名取~仙台はもちろん料金を払うし、仙台で券売機が混雑していれば最初の下車駅までの別料金も覚悟していました。この乗り換えを逃すと、ここから先で大きく旅程が崩壊してしまいます

事前に仙台駅の構内図を入念に見て導線をチェック。さすがにどの券売機が穴場(すいている)なのかは知らないので改札に一番近い券売機に一目散。先客が1人いてヒヤヒヤしましたが何とか無事に発券しました

BRTに初乗車

目指すは気仙沼線の柳津でBRTに初乗車の予定

小牛田で東北本線から石巻線に乗り換え。わずか6分の乗り換えで1日3本しかない貴重な柳津直通に乗車します

その意味では仙台で無事にパスをゲットできて良かったです。小牛田の6分チャレンジでの発券もかなり肝を冷やしそうだし、そこで不発に終わると気仙沼まで窓口も券売機もないのでひょっとしたら…

分岐駅の前谷地で4分の停車。ここからもBRTに乗れますが前谷地~柳津は列車もBRTも走る区間でメインの出発駅は柳津です

JR西日本のキハ120系と並び、JR東日本のローカル線でお世話になるキハ100・110系

柳津に到着したのは11時21分。大阪空港から搭乗して4時間後でした

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その3

川合高岡駅の駅名標

2022年10月29日14時45分

すぐ見えています

いよいよ川合高岡に向かいます。もう今さら「いよいよ」ではないのですが、寝過ごさずに一志駅に到着したと過程すると駅舎を出ると普通に住宅街が目に入ってきます。右手が踏切となっている通りに出て左手を見ると

信号の向こうに見えてます。駅に地図がありました

一目瞭然の近さ。駅前の信号待ちに引っかからなければ徒歩3分ほどで、盛夏でも文句を言わず歩ける距離です

そして地図でも分かる通り、付近は旧一志町の中心地です。一志町の発足は戦後で、それまでは川合村、高岡村が別にあり、駅名はそれにちなんだもので、1930年11月の開設時(当時は参宮急行電鉄ですが近鉄と表記します)から変更されていません

またJR(国鉄)と私鉄というと、国鉄の方が先にできたのだろうと思われる方が多いかもしれませんが、名松線と近鉄大阪線については事情が異なります

川合高岡駅の開設時点では、まだ大阪までの線路はつながっていませんでしたが、わずか1ヶ月後の1930年12月に全線開通しています。同年には急ピッチで現在の伊勢中川~伊勢市(現在の近鉄山田線)も開業しており、大阪から直接、伊勢神宮まで行けるようになりました。12月20日の全通というのは初詣に間に合わせるためのものでしょう

これに対し名松線は名前の通り、松阪から名張を目指して同時期に工事が行われていたものの、近鉄が全通した時点ではまだ家城にも至っておらず1935年に伊勢奥津までたどり着いた時点で工事は中止。もともとは桜井から名張を経て松阪を結ぶ予定でしたが、すべて近鉄が先に線路を通してしまったため、工事を続ける意味がなくなってしまったのです

一志駅は名松線の全通後に伊勢田尻駅として設置されています。つまり川合高岡よりもかなり後。現役名となったのは一志町の発足から10年以上も経ってのことで、町の歴史を考えると代表駅は川合高岡になるのかもしれません

根性で帰阪

川合高岡はの駅舎です

名古屋から出たこの日は亀山で紀勢本線に乗り換えた後は、ずっと非電化路線ばかりに乗車していたので架線を見ると新鮮ですね

信号待ちをしていると大阪方面への電車が行ってしまいました。実は近鉄の時刻表は一切調べていません。名松線と違って本数はあるだろうと、あまり気にしていなかったのですが時刻表を見てぼう然

昼間は1時間に1本しかない。コロナ禍で30分に1本の運行が減便されていたことを知らなかった。私が逃したのは14時46分で、たまたま30分に1本のダイヤに戻るタイミングで助かりましたが、もう1時間早ければ1時間待ちのところでした

当駅は急行通過駅です。近鉄の急行は伊勢中川を出ると川合高岡、伊勢石橋、大三(おおみつ)の3駅だけを飛ばして榊原温泉口から桜井まで16駅も続けて停車するという、なかなかの運転。もっとも昼間の普通はすべて東青山止まりで東青山~青山町も急行が1時間に1本という運行です

無人駅でICリーダーはあるものの、訪問時は使えなかったので乗車票を発券。近鉄でこの機械のお世話になるとは思いませんでした

ホームは2面2線

名張行きに乗車

名張では特急に連絡しますが特急料金920円を節約して急行に乗車。当駅始発だったので確実に座れます

鶴橋着は17時12分。川合高岡から、ほぼ2時間。青春18きっぷに近い乗車でした

鶴橋で精算してJRに乗り換えました

ネット時代を実感

年明けの1月にも一志駅と川合高岡駅を歩きました。この日は松阪に宿泊して伊勢奥津まで名松線に乗車した後、一志まで戻ってきたのですが一志からの乗車が多くて驚きました。ちなみに3連休で青春18きっぷ期間でもあり、乗車客が(私を含め)ほぼ全員、同業者(鉄道ファン)だったのですが、この乗り換えが広く知られているんだなぁ、と思いました。両駅は「近い」というだけで乗り換え案内はされていません。当然ダイヤの接続も考慮されていません

名松線も本数は多くなく、川合高岡も普通のみの停車ということで、この乗り換えは知る人ぞ知るだったのですが、今はサイト検索でも普通に出てきたりします。ネット時代を感じます

さて話は戻って一志駅

窓口が閉鎖されお金の置き場だけ舌のように残る、よく見る形ですが時刻表に注目。名松線のダイヤはほぼ均等に2時間に1本。これを見て将来の名松線全駅訪問に、がぜんやる気が出てきました。普通は朝の通勤通学時間に本数を増やすもので、それを利用して各駅を回るのが効率的なのですが、その方法は使えそうにない。本数は少ないながらも一部区間はコミュニティーバスはあるのですが週末はお休み。となると青空フリーパスは使えず、と、なかなか難関が多く、これはかえってファイトがわきます。作戦を練った上で、いつかぜひ実行したいものです

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その2

一志駅のホームと駅名標

2022年10月29日14時40分

一志は貴重な駅舎のある駅

伊勢八太駅から歩くこと25分。一志駅に到着しました

思うほか時間がかかったのは川合高岡駅をできるだけ見ずに進もうとした結果、小さな川を渡れず行き止まりをくらって来た道を戻ったりしたから。せっかく初めての乗り換えを味わいたいのに、その導線が先に判明するのは嫌じゃないですか

伊勢八太駅の写真はのどかな田園風景が広がっているように見えますが、駅のホームがある側は普通に住宅街。歩いているうちに近鉄の線路が迫っていることも分かる。名松線というと、いかにも秘境の山中を走るイメージがありますが、それは家城を過ぎたあたりから

地図で見るとよく分かりますが

先の記事で紹介した高茶屋駅からも近い。久居経由で津もすぐで十分な通勤通学圏です

こうして眺めるとJRと近鉄が競合関係にあるのもよく分かります。もっとも利用実態は競合というよりコールドゲームなんですが

一志は棒状駅ですが

駅舎はあります。名松線はホームと待合所のみ、という構造の駅が多いので駅舎がある駅は貴重。階段でホームに上がる形になります

高度な引っかけ問題

財産票によると駅舎は1968年と比較的新しい。コンクリートなのも分かります。ホームを約300メートル松阪方面に移動させた時に建てられたそうです。その際に駅名も伊勢田尻から一志となりました

国鉄末期に無人化されていますが荷物受け取りの跡も窓口の跡も残っています。ラッチ(改札口)はなく

よく見かけるきっぷの回収ボックスが残りますが、JR東海はきっぷも料金もきちんと回収するので出番はないと思われます

一志の駅名標。こうして見ると両隣の駅の漢字は想像つかないですね。ながめて分かったのですが、かなり高度な引っかけ問題になっていて伊勢八太は前回紹介したので分かるとして、もうひとつも、いかにも「伊勢○」という駅のように思ってしまいます

正解は「井関」なんですが、伊勢八太を知ってしまうと逆に正解は永遠に出てこないかもしれません

誰もが知る国民栄誉賞受賞者を輩出

一志というのは、かつての町名です。現在は津市となっていますが、津市になったのはまだ最近で2006年なので20年も経っていません。旧町役場も最寄りとなっていますが、両隣の伊勢八太、井関よりもかなり後に開設されていて、近鉄の川合高岡よりも後の開設です

この一志町はレスリングの吉田沙保里さんの出身地。知らない人はあまりいないでしょう

地元が紹介される時は必ず「津市出身」となって、それは間違いではないのですが、最初に五輪で金メダル獲得した時はまだ合併前で「一志町出身」。「一志町ってどこ?」と話題になりました。次の大会で連続金メダルに輝くと「津市出身」となっていたので「あれ?」と思いました

全国的な平成の大合併で多くの都市や町村が自治体としての名前から消えましたが、こういう時、地元の方は一抹の寂しさを感じるのかもしれません。駅名だけしっかり残っているのは良いことです

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その1

伊勢八太駅の駅名標

2022年10月29日13時

松阪から名松線に乗る

せっかくこの沿線までやって来たので

今回の旅で初めて快速みえに乗車。さすがに一度くらいは乗っておきたいですよね

松阪までやってきました

国鉄型コンクリート駅舎が健在。しかも3階建ての立派な建物は、もはや希少価値です

ここから名松線ホームに向かいます

JR東海のキハ11。少し前までは同社の非電化区間で広く見られましたが、武豊線の電化により余剰となったキハ25が各地に配置されたため、現在は名松線の専用車両になっています。JR東海で単行(1両編成)が見られるのも当路線のみ

車内はこんな感じ。これが発車10分前で、この後バタバタと乗ってきた数人のお客さんとともに出発です

名松線についてはあらためてじっくり訪問してみたいと思っているので今回は軽く。過去に2度伊勢奥津~松阪間を乗車したことがありますが、いずれも2009年の台風による家城~伊勢奥津の長期運休前のことで6年半ぶりに復旧した2016年以降では初めてです

50分の乗車で家城に到着。今回はこちらで折り返します。ダイヤ上、必ず家城での列車交換があり、家城から先はJRでは他に越美北線の越前大野~九頭竜湖でしか見られない通票区間になっているので、それなりの停車時間があります

今回はその様子を見て戻ります。実は年明けの田丸駅訪問後にも来て、その時は伊勢奥津まで行っているのですけど

通票の手渡し作業があるため当駅は有人駅。窓口は閉まっていますが、列車が来た際はホームでの仕事があるためです。なかなか忙しいのです

駅舎内は手作り感であふれていて温かみを感じます。訪問の価値ありです

当駅は5年前の第100回夏の甲子園に初出場して話題となった県立白山高校の最寄り駅。平日は高校生であふれますが、この日は週末だったので静かでした

軽く、と言いながらも随分と詳細になってしまいました

ここからが本日の最後の目的です

目的にしながら寝過ごす

目的は「名松線と近鉄大阪線を乗り換える」です

名松線と近鉄の乗り換えなんて松阪でできるし、おそらくほとんどの方がそうするでしょうが、もうひとつ乗り換え駅があるのです。それが名松線の一志駅と近鉄の川合高岡駅。ちなみに運行は一体となっていますが近鉄の松阪は所属は山田線。川合高岡は大阪線なので「名松線と近鉄大阪線が唯一乗り換えできる駅」とも言えます

家城から一志は約20分。伊勢奥津と家城以外の名松線の駅で降りたことがないのでワクワク感でいっぱい。にもかかわらず

寝過ごしてしまいました(泣)

考えてみれば朝の5時台には名古屋駅にいたので、そろそろ眠くなるころ。ああ~、と思ったら発車した直後で、もう「降りま~す」とは叫べない

まぁ、しかしこれは軽傷で済むはず。次の伊勢八太駅で降りればいいのです

このように近い。名松線は2時間に1本の運行なので一志に行く列車はしばらく来ませんが徒歩可能です。乗車の際、なんとなく駅間の距離を見ていたのが役立ちました。欠点があるとすれば、せっかく初めての乗り換えを楽しもうとしているのに川合高岡駅が見えてしまっていること(笑)

しかもこの伊勢八太。なかなか味わいのある駅なんです

私一人の下車で出発を見送ると

単式ホームに秋のきれいな空と農地の風景が広がります

駅舎はなく待合所と妙に印象に残る駅名板がポツリ。そもそも「いせはた」とはなかなか読めない。人名としても通用しそう

ホームにはスロープで入るようになっています。この微妙な高さと空間は何でしょう。昭和初期の名松線開業時からの駅なので駅舎らしきものがあったのか、その予定地だったのか。調べましたが分かりませんでした。ただ駅名も雰囲気もとても気に入ったので、1日1駅紹介しているツイッターでは

さも普通に訪れたかのように紹介してしまいました(謝)

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古風なたたずまいが残る駅舎~紀勢本線・高茶屋

高茶屋駅にはかつての貨物ホームが残る

10月29日8時50分

ここはどうしても降りたかった

当日は名古屋を早朝に出て、まだ快速みえの運行時間ではなかったため亀山経由で紀勢本線を南下したのですが、参宮線各駅訪問の前に紀勢本線の駅もいくつか降りています。中でも「どうしても」だったのが、この高茶屋駅。古風で堂々としたたたずまい。参宮線の田丸もそうですが、古い駅は入口に小さな階段を設けていることが結構あります。バリアフリーという意識のない時代のことです

駅名板はいつからのものでしょうか。お伊勢参りの際、台地状の付近にあって休憩所となっていた高台のお茶屋さんに由来するようです

県内では有名な地名も駅名とは異なる

駅名標です。普通の読みのようですが私は「あれっ?」と思いました

戦時中まであった高茶屋村に由来する駅名ですが地名は「たかぢゃや」と濁音となる。そして私は駅名も濁音だと思い込んでいました。少し前までここには運転免許センターがあり(現在は移転)、幼少期に三重県に住んでいた私は大人たちの会話で「たかぢゃや」をよく耳にしていたのです。子供に免許センターなど関係ないのですが、それほど三重県民の間では名の知られた存在だったということです。駅名は濁らないなんて最初に耳にしてから50年以上知らなかった

こちらは快速みえとの列車交換の場面

当駅は普通のみの停車ですが、2面3線と立派な構造をしています。おそらく過去にも優等列車が停車することはなかったはずですが駅にいると快速も停まる。ただしすれ違いのための運転停車で客扱いはもちろんなし

私の訪問時には2面3線構造を生かし、特急の通過待ちも行われていました

紀勢本線と参宮線の前身にあたる参宮鉄道が宮川まで開業した19世紀、開業と同時に設置された当駅近辺は明治期にいち早く複線化されています。近鉄などない時代で輸送力強化が求められたのでしょう。しかし戦時中の金属供給で単線化され、以降複線に戻ることはありませんでした

戦争といえば、戦時中に当駅から近鉄の久居駅の間に海軍の軍事工場が造られました

高茶屋駅により近い広大な用地で、それを機に高茶屋村は津市に編入となりました。立派な駅舎となったのはそのころだともされます

軍の施設は攻撃対象となりましたが、駅舎は何とか残り戦後は一時期、連合軍の傘下に置かれたこともあるようです

海に近いことと駅の施設が立派だったことから戦後は国鉄末期まで貨物輸送も続けられ

今も貨物ホーム跡が残ります

そんな高茶屋駅は戦後、一帯が住宅地と文教地域となり、海側にはイオンモールができたことでその最寄りとして週末はにぎわいを見せます

私の到着時は週末ながら、朝の9時前でイオンを目指すにはまだ早い時間で、10年以上前に無人化された立派な駅の改札は誰もいませんでしたが、イオンに人が多そうな時は臨時で駅員さんが派遣されることもあるようです

紀勢本線や参宮線でも簡易駅舎化は進んでいて、高茶屋に負けず劣らずの立派な駅舎だったお隣の阿漕や参宮線の山田上口が数年前にバス停のような姿になっています。現状、当駅については何の情報もありませんが、過去の経験からすると、この手の駅舎訪問はできるだけ早めに、が鉄則です

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