キハ120

大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その1

※訪問は2024年10月11日

1カ月を経ての再訪

前回までの大糸線の各駅訪問は3月の話。なぜ記事化するのに半年も置いたかというと、全駅訪問が終わっていなかったこともあるが、雪景色が全く季節に合わなかったからである。といっても、一昨日あたりから急に冷え込みが厳しくなり、急速に冬の足音が聞こえてきた。大糸線の訪問は9月の上旬、10月の上旬にも行っているため、季節的には真逆になってしまうが、ご容赦ください

そして9月に次いで10月も大糸線増便バスに乗ってきた。季節というより時系列が飛びまくるが、こちらは3月までの限定運行ということで早めに掲載することにする

ちなみに1回目はこちら

スタートは気温8度の白馬から

スタートはハロウィーンムードの白馬駅から。1カ月前にも来ているが、気候がたった30日で全く異なる。前回は汗をダラダラかいていたが、この日の朝は8度。もちろん息は真っ白。前々日から当地は急に寒くなったようで、この2日間、宿では就寝の際、暖房をつけた。季節外れの夏日が続いていた神戸から信州に来て温暖差に身体もビックリだが

8時1分発の南小谷行きに乗車。これを逃すと次は11時23分と3時間20分後なので、絶対に譲れない電車である。白馬駅近辺でお勤めの方もいるのだろう。かなり混み合っていたが、南小谷へ向けてはガラガラとなった。本日は1カ月前と同じく南小谷から大糸線増便バスに乗る。ただ前回は単にバスで糸魚川まで行っただけだったが、今回は駅にも立ち寄り、最後は鉄路で糸魚川へと向かう。手には「秋の乗り放題パス」。毎年、鉄道の日の10月14日前後に登場するきっぷで、使用ルールは青春18きっぷと同じ。ただし3日間の連続利用、グループ利用禁止という決まりがある一方で自動改札機を通ることができる。つまりこの12月に発売される青春18きっぷとほぼ同じ内容だが、この頃はそのような改訂があるなど夢にも思っていない

約20分で終点の南小谷へと到着

南小谷は管理駅で、人はずっといるのだが窓口は9時過ぎからのようで、まだ開いていない

1カ月前はエアコンのお世話になり、冬場はコタツも登場するという待合室もまだ閉まったまま

勝手知ったる増便バス

こちらは駅舎。前回で勝手は分かっているので安心だ

時刻表も理解済み。実は前日、大糸線の駅回りでも利用したのだが、それはその時に紹介する。今から乗車するのは8時47分の1便。時刻表を見てもらえれば分かるが、このバスは白馬を8時30分に出ている。列車の紹介で8時1分に乗り損ねると大変、と記したが、増便バスがあるうちはカバーできる

というか

駅の時刻表で見てもらえば分かるが、白馬発8時1分に乗車しても南小谷着に同20分に着いた後、糸魚川行きは10時4分発で1時間40分もの待ち時間がある。白馬を次に出るのは11時23分で、もちろん10時4分には乗れない。11時23分白馬発は11時42分に南小谷着で、12時7分発糸魚川行きに25分の接続と、ようやく接続らしくなる。ちなみに白馬からだと始発となる6時57分発も南小谷での接続が図られている。要は「痛いところに手が届く」時間帯に設定されているのだ

だったら白馬を8時30分に出ればいいではないか、の声も聞こえてきそうだが、とにかく気温が一ケタの朝である。バスにお手洗いがないのは前回で確認済み。生理現象を考慮すると、ここは電車で南小谷まで行くのが無難というもの

ほんの少し色づき始めた山と川の景色を見ているうちに

数分遅れ気味でバスが到着。まずは大糸北線の駅を目指そう

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~ようやくたどり着いたラストピース

河佐駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

三次から1時間半

7時間の待機(というか時間つぶし)を経て、ようやく三次から福塩線に乗車。14時40分発に乗り込み

河佐に到着したのは16時8分。約90分間のキハ120旅。正直長かった。1時間半とい乗車時間も長いし、たった2駅を巡るための朝7時からの活動時間も長い。ただ長い分、これで福塩線も全駅訪問可能かと思うと、それなりの感慨はある。日没まではまだまだ時間があるはずだが、雨の空は暗く、かなり薄暗い

その河佐駅は写真で分かる通り、すれ違い可能な構造を持つ2面2線。貨物ヤード跡もレールが敷かれたまま残っている

河佐駅は鉄道以外の訪問手段がないことが特徴。3年前の訪問時、府中~上下を走る路線バスのお世話になったことはすでに書いたが、そのバスは河佐、備後三川の両駅付近からはかなり離れた所を走っていて備後矢野付近で再び近づく

最も近いと思われる落合という停留所から2キロ、徒歩で約30分(日本全国、落合はあちこちにある)。まぁ、歩けと言われれば歩ける距離ではあるが、鉄道とバスとの時間がなかなか合わない。バス利用の場合、バス停で降りて鉄道駅に向かうのは目標も時刻もはっきりしているが、その逆はなかなか不安である。山中であればなおさら。そもそも停留所がどのような形で設置されているのかも分からない。私の過去記事でもバス停もしくは、その付近でウロウロしたことを何度か書いている

それに対し、備後三川は若干事情が異なり、広島駅から世羅町の中心部を通り、上下、甲奴を結ぶ「ピースライナー」という路線バスが1日4往復運行されていて備後三川駅の近くを通る。3年前はわざわざバス会社に電話して「上下~三川局前」の区間だけの乗車が可能なのかどうか尋ねたほど。結果的には鉄道のダイヤとうまく合わずに乗車はしなかったが、3年前に河佐と備後三川の二択で選択肢の多い備後三川を残さなかったことが悔やまれる。というか、1月の福塩南線全駅訪問の際、府中駅あたりで2時間ほど時間をつぶせば良かっただけなのだが

河佐で待機80分

こちらが河佐の時刻表。16時8分着でやって来て、この後は福山に出るつもりなので、となると18時15分の乗車とだが、さすがにそこまで待機していられないので17時30分でいったん三次方面へ向かい、どこかの駅を再訪するつもり。要は約80分の待機となる

順番が後になったが、こちらが河佐の駅舎。かなり減築されたようだが雨は十分凌げそうで、隣に立派なお手洗いもある

本来はこの80分を利用して行きたいところが明確にあったのだが、それは雨の振り方次第となってきた

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その3 (お弁当に救われたが消えた風景も)

市岡駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日(動画あり。音声注意)

周辺を歩いてこそ分かること

150分も待ち時間があるので「何か」を求めて歩き始める。「何か」とは、まずは清涼飲料の自販機そして、できれば食料。ローカル線の各駅訪問をしていると前者については何とかなるものだが、後者については、ほぼあきらめである。岡山駅のコンビニで菓子パンを2つ買っておいた。ペットボトルの水は半分ほど残っているが、150分もあると何かと不安である

もっとも何のあてもなく歩いたわけではなく、とても便利なグーグル先生のストリートビューで予習はしておいた

駅からすぐのところにあったのは市岡簡易郵便局。規模や形態は違えど、駅付近に郵便局はかなりの確率である。都会で暮らしていると気付かないが、郵便局というのは全国各地を支える存在だと、こういう時に感じる

さらに歩くと

踏切にある案内。駅も郵便局も市岡だが、現在の住居表示に市岡という地名はないようだ。駅の所在地は新見市哲西町上神代となっているが、阿弥陀堂の名前も市岡。この向こうが元々の市岡の地域なのか。もうひとつの「ヱ」は「え」と読むのだろうが、ちょっと全体の読みは分からない。せっかく郵便局があったのだから、もろもろ聞いておけば良かったと後悔している

さらに進むと酒蔵があった。私は無知だったが「三光正宗」(さんこうまさむね)という有名なお酒。同社のホームページによると、明治時代に哲西から米国に移民した創業者の宮田重五郎という方がイチゴ農園で成功。10年後に帰国して日本酒造りを始めたという。名前は三光山に由来し、酒造メーカーにもかかわらず社標にイチゴが入っているのはイチゴ農園の体験に基づく。車なら地酒の1本も買っていくのだが残念

そして駅からブラブラ歩くこと15分

到着したのは「郷趣膳 水上」さん。周辺では貴重な店舗でコンビニというか、古風な言い方をするとよろずやというか。ここでは弁当も売っていて尋ねると残りが1つだけあるとか。時間は14時になろうとしていた。超ラッキー。惣菜が入っている容器に暖かいご飯を入れてくれるスタイルで600円。ついでにビールとペットボトルのお茶も購入(内容については許可済み)

買い物ついでに周辺の話も聞く。随分人が減ったという話から、出没しては何かをかすめとっていくサルの知恵が働き過ぎて困るという話まで。食料も手に入って有意義な時間だった

駅の待合室でお昼とした。食べ終わったころには駅に到着してから1時間以上が経過していた。天候にも恵まれ、歩いてこそ分かることが多くて良かった

消えた「国鉄」の文字

お腹も満たされ駅を細部まで見ることにする

まず大きな変化があった。これは到着時にすぐ分かったことだが

駅に隣接する元商店と思われる民家から「国鉄旅行連絡所」の看板が消えていた

こちらが2年前の写真。社会人1年目まで国鉄を利用していた私も国鉄旅行の連絡所がどのような役割を果たしていたのか分からないが、これでこの看板が残るのは私が知る限り同じ芸備線の道後山駅のみ(ていっても2年以上訪れていないので現状は不明)となった。また福塩線の道上駅には今年1月の時点で残っていることを確認している

市岡駅が開設された際の記念碑が残されている

裏には駅の設置に功績があった人の名前が記されているが

宮田重五郎さんとは前述した三光正宗を起こした方だ。駅に戻って会社概要を調べていただけに、すぐ分かった。名前に反応できる分、あらためて訪問した甲斐があったと感じた

新見行きがやって来た。1区間だけの旅で坂根駅に向かおう

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その2 (150分どう過ごす?)

市岡駅の駅舎

※訪問は2024年4月2日

戦後生まれの棒状駅

超満員の乗客を乗せた列車は備後落合に向けて去っていった。市岡駅は国道182号に沿った住宅街に設置された駅でレールの上まで宅地が並んでいる。単式ホームなのは、ある意味当然だが、この駅については最初から棒状ホームだったようだ

芸備線の全歴史を振り返り始めると文字数が足りないので当駅にだけついて説明すると、広島~備後庄原は芸備鉄道という私鉄が敷設し、備後庄原~備中神代は国鉄として建設された。全通は1936年(昭和11)で翌年、芸備鉄道も買収されて全線が国鉄となった。まだ戦時買収ではないが、措置としてはそれに近い。備中神代側からは1930年に矢神まで敷設されたが当時の途中駅は坂根のみ。市岡駅の誕生は1953年で備後落合~備中神代では内名と並ぶ戦後生まれの駅である。だから両隣の駅へは比較的近い

立派な駅舎を持つ。それまでも開業時からの木造駅舎があったが、2000年(平成12)に「市岡ふれあいセンター」という建物となった。森林事業によるもので美しい木をふんだんに使用している。左半分は駐輪場。右側には立派なお手洗いもある

思い出す昨年5月の北海道

と駅の紹介をしたところで、この後どうするかである。まず時刻表を見よう

1日3往復の備後落合~東城とは、やや異なり岡山県側の備中神代(事実上は新見)~東城はもう少し本数がある。平日は1日5・5往復(早朝の新見発備後落合行きは当駅を通過する)。その「もう少し」を利用しようとやって来たわけだが、私は13時19分で到着。この後、お隣の坂根で乗下車すべく折り返しの新見行きに乗るのだが、それは15時49分発で、ちょうど2時間半待ち。まぁまぁ、というか、かなり長い。2時間半といえば、新大阪から新幹線に乗ると東京まで着いてしまう

150分の待機といえば、昨年5月の北海道での秩父別駅を思い出す。あの時は160分の待機だったが

秩父別駅から徒歩10分もかからないとところに道の駅があり、もちろん食事もでき、入らなかったが入浴施設があった。駅の近くにはセイコーマートもあって、意外と時間は早く過ぎたが、市岡駅近くには何もない。清涼飲料の自販機もない。ここ旧哲西町(平成の大合併で現在は新見市)にも道の駅はあるが、それは矢神駅より、さらに東城寄りにあって歩くと1時間以上はありそうで、次の乗車は矢神になってしまう

その付近までは1日2往復の路線バスがあり、2年前はこれを利用して矢神駅まで行き、今回乗車した芸備線に先回りしたが、今回はもちろん12時38分の「最終」は出発した後。こうなると付近の散策しかなく

私にある知識は2年前に坂根から歩いた記憶

①坂根から市岡までは緩やかな上り坂で徒歩30分ほど。国道沿いなので道には迷わない

②道中、商店はなく自販機もない

③車の交通量は多いが、人とは全く出会わず、会ったのは民家のワンちゃんだけで随分怒られた

である。③はともかくとして(笑)、坂根方面に向かっても何もないことは分かっている上

地図を見ると矢神の方に歩いていけば、施設や店舗もあるようだ。幸いなことにこの時間帯で気温20度で晴れという、歩くと汗をかきそうな絶好の気候。時間だけはいっぱいあるので歩を進めることとした

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青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その1  (大混雑の1日1本)

市岡駅の駅名標

※訪問は2024年4月2日

姫路駅の立ち食いそばからスタート

岡山から新見経由で芸備線を目指す。お決まりのコースといえばお決まりである。というか、午前中の芸備線列車は新見に前泊しない限り物理的に乗れない。となると備後落合で3つの列車がそろう1日1本の新見発12時58分しかない(平日のみ運行の新見発7時3分は岡山から伯備線の始発に乗れば間に合うが)

姫路駅ホームの駅そばを朝食として

相生から岡山まで1区間は新幹線ワープ。かつてのスター列車は今、こだま専用車両として余生を過ごしている。相生~姫路は山陽新幹線で最も1駅間距離が長く新幹線の1区間特例(自由席だと安く乗車できる。2区間の場合もあり)の恩恵を最も受けられる区間である

なんてエラそうなことを書いているが、何のことない、またもやと言うべきか時刻表を微妙に読み間違え、相生ダッシュを経て在来線で岡山まで行ったのでは新見発の芸備線に間に合わないことに途中で気付いたからだ。まぁ新幹線課金さえすれば、すぐに解決することなので問題ない

伯備線ホームに行くと特急「やくも」が出発の時を迎えていた

国鉄特急はカウントダウン。大変な人気だが、昨年パノラマグリーンも堪能した。後発の伯備線普通に乗車する

旅の理由

今回の旅の理由は「芸備線の未乗降駅で乗降すること」。ちょっとややこしいが「訪問済みだが列車利用したことのない駅で乗降する」のが目的だ。対象は1日3往復で知られる新見~備後落合の2駅

2年前の3月にもこの区間の全駅訪問は行っているが、その時の行程は

岡山→(やくも)→生山→(伯備線普通)→備中神代→コミュニティバス→坂根→(コミュニティバス)→市岡→(路線バス)→矢神→(芸備線)→内名→(芸備線)→布原→(芸備線)→野馳→(芸備線)→新見

で初日を終え、新見で宿泊。翌朝から主に東城以降の広島県の駅訪問となった

なお、わざわざ生山まで行って折り返したのは備中神代からのコミュニティバスの乗継ぎが新見からの伯備線普通と同時刻となっているため、(当時はあった)駅舎の写真すら撮る時間がないと判断してバス発車1時間前に備中神代に着くようにしたためである。また布原と備中神代は伯備線の駅だが、布原は芸備線列車しか停車しないため、芸備線扱いとした

つまり初日の行程では

坂根駅 バスで訪問して徒歩で去る

市岡駅 徒歩で訪問してバスで去る

となっていて乗降はない。駅に列車が停車する場面を見たのは車窓からのみ。今回はその2駅の「空白」を埋めるのが目的である

アナウンスとともに立ち上がる乗客

岡山からやくもではなく普通に乗車したのは、お金を節約するのも目的だが、接続を考えると、あまり意味がないから。見送ったやくもは11時13分発で新見着は12時15分。普通は11時24分発で新見着は12時55分。新見駅で3分という芸術的な接続で芸備線の事実上の1日1本に乗せてくれる18きっぱーのための列車なのだ。悪天候による遅延の場合は私も確実に芸備線に乗るため特急利用したかもしれないが、この日は快晴で天気予報でも新見は最高気温20度超えが予想されていて何の問題もない。伯備線の普通は順調に進んでいく。車内には明らかに同業者(鉄道ファン)と思える人の姿もチラホラいたが、平日だったため、それほど混んではなくて余裕である

ところが新見のひとつ手前の石蟹で、なかなか出発しない。間もなく車内アナウンスで「伯備線遅延で行き違い列車を待つためしばらく停車します」

いやいや、ちょっと待ってくれ。この1日1本に接続しないと私は何のために来たんだ、と焦る。3分の乗り換えなんて、もう無理だろうと思っていめと、しばらく経って再びアナウンス。「芸備線の備後落合行きはこの列車の到着を待って出発します」

確実に車内に広がる安堵の空気。もちろん私もその一人なのだが、新見に近づき「芸備線は地下道を通って1番線からの発車です。ご利用の方はお急ぎください」のアナウンスがあると、何人かが立ち上がりドア付近に立つ。私も含め同業者の正体がバレた瞬間である(笑)。3両編成だったので、私の想像以上にいるようだ。もっとも鉄道に興味もない人は何も思わないだろうが

ダッシュの列。もちろん私もその一人。とにかく多くの青春18きっぱーは奈落の底に落ちずに済んだのである

単行のキハ120は凄い人だった。この列車には昨年9月の週末にも乗車したが、18きっぷのシーズンでもないのに座席はすべて埋まっていた。都会の朝のラッシュ時のような混雑ぶり。今週末は今春の18きっぷ最後の週末となる。新見から備後落合までの約1時間半を座りたい方は、特急利用するか岡山発9時56分のもう一本早い普通の利用をおすすめする。いずれにせよ車窓を楽しむのはかなり早い時間から待機しないと無理だと思われる

ただ当の私はといえば、市岡までは20分なので、それほど苦にはならない

満員の列車から降りたのは私と高校生1人。当駅に停車する列車を外から初めて見た。ちょっと感慨はあるが、実は大変なのはこれからなのである

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グリーンきっぷの2日間~富山から再度のキハ120

富山駅に停車中の高山本線のキハ120

2月22日11時

思いつき旅のスタート

糸魚川駅に戻ってきました。同駅は海に向いた以前からの日本海口と新幹線開業に際して整備されたアルプス口の2つの出入り口を有し、新幹線用地確保のため撤去された大正時代からのレンガ車庫の一部が玄関に移設されています

アルプス口には「糸魚川ジオステーション ジオパル」があり、かつて大糸線を走ったキハ52が展示されています

解説文はなかなか詳しい。トワイライトエクスプレスの車両も展示されています

さて前日の早朝に家を出て「やくものパノラマカー」「スーパーはくとの全線完乗」「JR西日本の未乗区間の完乗」と予定していたミッションはすべて果たしました。ここからの時間は、いつものケセラセラ思いつき旅とします

前年の積み残し回収へ

こちらの行動は何となく決めてはいたのですが、糸魚川から新幹線で2駅

富山で降ります。約30分の乗車はさすがにグリーンではなく自由席

北陸本線は「あいの風とやま鉄道」に三セク変換されていて駅の管理も同社が行っていますが、JR西日本の高山本線のホームもその中にあり、主に専用の切り欠きホームを使用します。このあたりの構造は糸魚川と同じ

案内表示にある12時19分発の越中八尾行き普通に乗ります

昨年9月、夏の青春18きっぷの5回目利用で富山駅にいたところ、電話がかかってきて急きょ、お昼過ぎに帰宅しなければならなくなったことで行けなかった駅の回収を行う予定

持っているきっぷは猪谷までなら特急「ひだ」にも乗車できる。ひだは越中八尾にも停車します。このようにホイホイ特急に乗車できる機会はなかなかないので、あーでもない、こーでもない、といろいろ考えたのですが、特急に乗車した場合、その後のダイヤがあまりにも薄いので断念

でもいいではないですか。私にはキハ120という強い味方がいる。そもそも普通しか停車しない駅に行こうとしています。高山本線のキハ120は他地域と大きく異なり2両編成。キハ120=単行のイメージとは少し違う仕様となっていますが、2両編成にふさわしいというか乗り込むと満員で座ることもできない状態でビックリしました

ほとんどが高校生で制服を見ると、いろいろな学校の生徒さんがいるようです。平日のお昼過ぎにこの状態は驚きましたが、試験でもあったのでしょうか。しかし朝の通勤通学帯はここに勤め人も加わるのでしょうから、おそらくもっと凄い数。2両での運行も納得。青春18きっぷの季節でない限り、こういう状況のキハ120に乗車したことのない私は何だか頼もしいというか、うれしくもありました

20分ほどの乗車で千里に到着しました

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グリーンきっぷの2日間~大糸線の1区間でJR西日本完乗のゴールに感動

糸井川駅の大糸線キハ120

2月22日10時10分

最北のキハ120に乗る

今朝までJR西日本の未乗区間だった上越妙高から糸魚川までの1区間を戻り糸魚川で下車

北陸本線は新幹線開業によりえちごトキめき鉄道となりました。新幹線の改札口とえちごトキめき鉄道の改札口は別で1度外に出る必要がありますが、ほぼ並んでいます

これから乗車するのは大糸線。こちらはJRが運行していて糸魚川ではホームを間借りしています。大糸線の表示もありますね

ホームに降りると

切り欠きホームの向こうには既にキハ120が待っています。JR西日本のローカル線に投入されているキハ120は中国地方のイメージが強いかもしれませんが、北陸でも越美北線、高山本線そして大糸線でも走っていて大糸線が最北の運用。こちらに乗ります

やはりJR西日本のフリーきっぷ旅をするからには道中で1度はキハ120に乗らないと

大糸線の駅名標ですがえちごトキめき鉄道仕様ですね

最後の4キロが残ってしまった

2021年の9月に大糸北線の全駅訪問を行ったことは前回の記事で触れましたが、このときに「やらかし」があったのです。そもそものやらかしは私ではないのですが、その時もグリーンきっぷで大阪から金沢→糸魚川と進んで大糸線に乗車。大糸北線はJR西日本の最後の未乗路線として私的にわざわざとっておいた路線で宿も平岩駅近くの姫川温泉に確保して万全の態勢だったのですが、なんと路線トラブルでサンダーバードの始発が大阪駅から出発できないアクシデント。遅延によって金沢での新幹線接続ができず予定していた大糸線に乗れませんでした。旅程の方は急きょ組み直して全駅訪問は果たしたのですが、本数の少ない大糸線を糸魚川の駅で1時間以上ぼんやり待つのも何だし気候も良かったので「プラプラ歩くか」と散歩がてら姫川まで歩いたのです

線路は4キロありますが、外に膨らんでいるので徒歩はショートカットで進めます。実際はグーグルの行程とは異なり市役所まで真っ直ぐ南下してクニャクニャと細い道を歩きましたが難なくたどり着き、2日で全駅訪問を終えて翌日に糸魚川まで戻ったのですが、列車本数の少なさから帰りは根知駅からバスで糸魚川まで戻りました(糸魚川~根知の路線バスはそこそこの本数がある)

ということは、つまり糸魚川~姫川の1区間は乗らずに終わったわけです

気付いたのは帰宅してから。とはいえ簡単に行ける場所ではないので、ずっと機会を伺い、今回のきっぷが出たのを機に糸魚川~上越妙高とともに訪問することにしました。ですから前日の鳥取県では寒さにヘタレて現地で予定変更しましたが、ここだけは、たとえ吹雪であろうと新幹線と列車が動く限りは決行です

ただ問題は環境で姫川はホームだけの棒状駅で寒さをしのぐ場所がないことは前回の訪問で分かっています。ならば、もう1駅先の頸城大野まで行こう。ここなら駅舎がある。2区間進んでも完乗ですから

選んで良かった

10時31分発の列車はトコトコ進んでいきます

もちろん単行のワンマン運転。南小谷までがJR西日本区間ですべて無人駅。車内は20人ほどのお客さんが乗っていました

姫川を過ぎて無事に全乗ミッション完了。後はウイニングランのようなものですが車窓が急に変わりました

一面の銀世界。ちょっと驚きました。姫川では少し残っている程度だったのですが姫川~頸城大野のたった1・8キロでこんなに変わるとは

ホームに降りた時に「ワーッ」と声が出そうになりました。列車の有効部分だけ、きれいに除雪している姿もいいし

ホームからの眺めも最高

駅舎の姿も美しい

駅舎左手には駐車場ですが車の出入りした形跡はなく、というかもう入れません

右手の駐輪場では手押しで進んだ激戦の跡があります。ちなみに姫川で老夫婦の2人が降り、頸城大野で降りたのは私一人

大糸北線の各駅で見られる書体の駅名板

駅舎内。ただ幸運なことに無風で全く寒くはありません

時刻表。私が降りたのは10時39分の南小谷行きで54分の糸魚川行きに乗るため、わずか15分の滞在。寒さも考慮して短いで済むようにしたのですが、こうも暖かいともっといたかったなぁ、と相変わらず勝手なことを考える(笑)

2人のお客さんがやってきました。糸魚川へ向かうようです

駅名標をしっかり撮って撤退することにします。それにしても大分北線は優等列車どころか快速も走っていないのに私の乗車は必ずグリーンきっぷという路線になっています

この風景を見られたのですから、今にして思うと未乗区間になっていて良かった

松本と糸魚川から少しずつ進んできた大糸線。元々は国防ラインとして計画されましたが大糸北線の中土~小滝がつながって全通したのは戦後の1957年です

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~2度の廃線を経験した駅

9月9日11時20分

貴重な遺産を次々と

楡原から1駅富山側に戻って笹津で降りました

ホームは1面2線。ホーム上の待合所で発見したものが

鉄製の案内板。今やあるようでないものとなりつつあります。長年の排煙を受けているようですが、こちらはまだまだ使えそう

駅舎へは跨線橋で向かいます

かつては跨線橋にも、このような文字が描かれていました。最近見る機会が少なくなっています。私が見落としているものもあるかもしれませんが、直近だと中央本線旧線の辰野支線、川岸駅(長野県、今年10月)

昨年までさかのぼって和歌山線の粉河(和歌山県、昨年7月)

こちらは明朝の渋い案内文字付きですが、これぐらいしかありません

ただ笹津駅のものは、かなり危ない感じがします

広い駅前とピカピカな駅舎

跨線橋を渡って駅舎に行くと

無人駅ですが立派な駅舎が建っています

旧駅舎は大正期のものでしたが、2000年代に入って現駅舎となりました

コミュニティーセンターにもなっているようです。そして駅前ロータリーは広い

国鉄の高山本線がここまでやって来たのは昭和初期のことです。ではなぜ旧駅舎が大正生まれだったかというと、富山鉄道の駅だったからです

笹津は岐阜県の神岡鉱山から神岡鉄道により鉱石が運ばれる拠点となり、その際に富山鉄道の笹津~富山が敷設されました。しかし高山本線ができたことによって鉱石輸送はそちらが中心となり、富山鉄道の路線は廃線

しかし復活を望む声は廃止当時から多く、戦後になって新たに富山地方鉄道の笹津線として当駅~南富山が新たに開業。ただ今度は自動車普及による波で実績が低下。当時は全国的に軌道線が車の邪魔だという時代で75年に廃線となりました

笹津駅のやや北側に消防署がありますが、地鉄の笹津駅はここにあったようです。つまり現在の笹津駅は、かつての地鉄の跡地に建てられています

ホーム側から跨線橋を経た駅舎への導線はこんな感じ。妙なスペースに不自然さを感じるのも、駅前ロータリーの広大さに違和感を覚えるのも、そのためです

こちらもホームから見た裏側。奥の白い建物が消防署で手前が現駅舎。並んでいるのが分かります

また高山本線で富山方面へと向かうと車窓右手の草むらが分岐していく様子が残っていて廃線跡だと伺えます

帰ってから調べたことですが、廃線跡の痕跡は、あまり残っていないものの、12キロという手頃な距離だからか、南富山~笹津のウォーキングイベントは開かれているようです

駅舎内には地元紙が張ってありました。廃線は全国で見られる姿ですが、2度の廃線というのは、なかなかないことだと思います

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~難読というより難文字

9月9日10時50分

高台の駅

ギリギリ乗れた婦中鵜坂から30分

キハ120は楡原駅に到着です

こちらも読むのが難しい。難読駅には2種類あって、簡単な文字ながら思わぬ読みをするものと漢字そのものが難解なものに分かれますが、こちらは後者です

今は富山市となっていますが、十数年前まであった細入村の中心駅。楡原は地名です。特急停車駅である猪谷も細入村でしたが、役場があったのはこちらで駅前も開けています。猪谷の隣ですが区間距離は7キロとかなり長い。高山本線し神通川に沿って敷設されていて、このあたりまで来ると町がパーッと形成されてきて飛騨山地から出てきたというイメージとなります

付近は盆地となっていて背後の景色でも分かるように、婦中鵜坂あたりとは違って山間の町となっています

じっくり駅名標を眺めてもやはり、なかなか書くのも難しい

駅は高台にありスロープまたは階段で駅舎に向かいます

駅舎はJR移管後に改築されたかわいいもの。背後にホームに向かう階段が見えます。階段を使いたくなければ右手に見えるスロープでも可能。駅舎の時計が微妙に進んでいて、ちょっと焦りました

撤去された線路と撤去される待合所

さて、その階段ですが実は2つあります

ひとつは完全に塞がれています

再びホームに戻ると、現在のホームの向こう側にもうひとつホームがあることが分かります

かつては2面2線の交換駅だったものが単式ホームにされ、と同時にもうひとつのホームに向かう階段も入れなくしたのでしょう。2面ホームというのは構内踏切や跨線橋で結ばれるものですが、高台のカーブ状にホームは設置されています。駅舎から、それぞれのホームへと階段で向かい、いずれも屋根付きという、なかなか珍しい構造だったのですね

そのホームには

こちらはかなり年季の入った待合室が設けられています。駅舎ももちろん待合室として利用できますがホームにもしっかりと待合所があるという、なかなか親切な構造。入ってみようとすると

……

……

なくなるようです。しかも3日後の話。老朽化に伴うものでしょうか。これを書いている時点では、とっくになくなっていることになります。ホームの待合所撤去も各地で見られます。当然知らずに降りたのですが、間に合ったという表現が正確なのかどうかは分かりません

待合所の内部。この時期はあまり使われていなかった感じですが、歴史の証人がひとつ姿を消したことになります

当駅滞在は20分ちょっと。猪谷から折り返してきたキハ120に乗り、再び富山方面へと向かいます

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宿も取らずに青春18きっぷで高山本線に突っ込んでみる~先生お願いしますよ(泣)

9月9日9時55分

絶対行く駅へ残り20分での徒歩移動

今回、絶対行く駅リストの最後となるのは婦中鵜坂です。駅舎も何もない棒状駅ですが、高山本線で最も新しい駅で、なおかつ駅設置への課程も興味深いので、ぜひとも訪問したい駅です

現在いる速星のお隣なんですが、時刻は10時前。婦中鵜坂に向かう富山行きは1時間半後。それは待っていられない、というか私としては再び高山方面へと向かいたい。まだまだ行きたい駅はあります。となると、婦中鵜坂発10時21分に乗らなければなりません。もう30分もないのですが、任せておいてください。作戦は万全です

線路に並行して真っ直ぐ道路があります

駅間距離はわずか1・7キロ。グーグルマップによると1・8キロ、徒歩での所要時間は22分となっていますが、20分以内で歩けるでしょう。しかも道路はほぼ平坦で広い。迷うこともないので10時10分ぐらいには到着できるはず。速星の駅前にはタクシーもいますが乗ると怒られそうな距離。鼻歌交じりで歩き始めます

社会実験からスタート

婦中鵜坂は「ふちゅううさか」と読みます。速星駅が旧婦中町の中心駅だったことは前回の記事で説明しましたが「婦中」という町名の駅は存在しませんでした。「鵜坂」は、もっと前にあった村の名前。いわば2つの自治体名が駅名として復活したわけです

元はというと高山本線の利用を喚起しようと富山市が始めた活性化の実験として臨時駅として2008年に富山市が経費を捻出して設置しました。臨時駅というか実験駅です。3年間様子を見る、ということになっていたのですが利用者は3ケタになり、3年が経過しても臨時駅のまま存続。さらに3年後の14年に正式駅に昇格しました。高山本線の新駅は約60年ぶりのことでした。利用者は順調に増え続け2019年には500人近い乗降がある駅となっているので十分に成功です

富山までは、わずか2駅、10分です。中心部への近さが成功の原因ーと、ここまではあくまでもデータとして知っただけなので、これはローカル線の駅の貴重な成功例として周辺も含め見ておきたいところです

なにゆえ分岐点が?

徒歩の方は順調で、右手にある野球場を見ながら「社会人野球の日産化学のグラウンドって、ここなんかなぁ」などと考えていると北陸道の高架をくぐり、踏切のある大きな道路に出ました。駅はすぐ向こうのはず。この時はナビタイム先生の導きでしたが、踏切を越えると線路の逆側、つまり線路の東側を歩いてきた道を西側に行けという、お達し。写真を見ただけですが、駅は1面1線棒状駅なのでホームはそちら側にあるのかな、という認識。住宅街の中の線路沿いの道をどんどん歩いていきます

と、チラリ駅のホームが見え始め

ホームは逆側(つまり最初歩いてきた道)やん!

これは焦りました。ナビを見ると最後は点線で線路を越えて駅に行くことになっています。これは不安。立ち止まってしばし思案。何か地下道があるのかもしれませんが、もしなかったら…

10時21分の次は12時31分の越中八尾行き。つまり2時間待っても猪谷の手前で終わりです。猪谷行きはとなると14時26分と4時間後で、お話にならない。既に富山市の市街地なので脱出はできるでしょうが、とにかく先生を信じるのはリスクが高いと判断。来た道を引き返して小走りも交えながら、ホームがある方向に進んでいくと

駅への通路が見えてきて(最初の道を真っ直ぐ行くと向こう側に出たことになります)

何とか到着。10時18分。3分前でギリギリセーフ

高山の朝は肌寒いぐらいでしたが、すっかり平野部に降りています。当然汗だく。ただ運が悪かったというか何というか久留里線の平山駅の時とは異なり、ホームには先客あり。スマホを触っていた若いお兄さんに「何だ?このゼーゼー言ってる汗だらけのオッサンは」といぶかしげな目で見られました。まぁ、そう思いますよね

とりあえず駅名標は必要だと写真を撮っていると、もう列車の音が

でも良かったです。勝手知ったるキハ120で。こちらは遠くで音がしてから、なかなか姿を見せないことを私はよく知っている(笑)。ホーム上は少しウロウロできましたから

ということで駅の周辺を見ることもなく出発しました

ちなみに最初のコースで来ると、右側に来ます。「勝手踏切など造らせないぞ」という強い意志を感じます

ただ今回掲載したグーグルマップもナビタイム先生と同じ指導をしています。もちろん最後は「…」で(それが不安なのです)

確かにホームの逆側が住宅街となっていて住民の皆さんは遠回りをしては不便きわまりない。古い駅だとよくあるのですが、臨時駅を含め、わずか20年前のことなのに近道を造らないままにするのかなぁ、しかし入れそうなコースはなかったなぁ、そもそも簡単に真っ直ぐ進む道路を指示するべきではないのか、などと独りごちながら列車に揺られていました

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