南木曽駅の駅名標

※訪問は2024年8月7日

列車本数が大きく変わる

原野駅から南下して南木曽駅で下車。この間も電車で50分揺られた。駅で降りる度にまた50分移動を南北で繰り返していて生産性があるようなないような行動をとってきたが、もう北へ向かう列車に乗ることはない。ここがゴールだからだ

到着時刻は16時44分。朝6時13分に名古屋駅を出たのだから10時間以上が経過している。まずはこの日のダイヤが通常通り運行されたことに感謝である。6月の訪問ではダイヤ乱れがあって、予定が予定でなくなって困った。その時に学習したこともあってダイヤが乱れても対応できるように各駅を巡る度に30分以上の電車旅をした側面もあったのだが、とにかくホッと一息。安堵したのは無事に道程をこなせたことも大きいが、当駅から南は列車本数が増えるということもより大きい

これまでの記事でも書いてきたが中央西線は名古屋~中津川と中津川~塩尻(多くの列車は松本まで直行)で運行が分断される。と同時に中津川以南と以北で本数も大きく変化するが、本数が減る中津川以北でも岐阜県で最も北となる坂下そして南木曽と二段階で列車が減少する。つまり、南木曽まで来れば当駅発の列車もあるため名古屋方面そして新幹線経由での帰宅がほぼ確定となる。現行ダイヤでは当駅発の中津川行き普通18本のうち8本が当駅始発となっている。もっとも8本のうち5本は5時台、6時台のもので。これは坂下駅の項でも記した通り、2年前まで存在した早朝の南木曽発名古屋行きの名残である

元々は読書村

今さらだが「なぎそ」と読む「みなみきそ」ではない。コンクリート製ながらも観光地としての雰囲気を壊さないようにデザインが工夫された大きな駅舎を持つ。たまたまいなくなった時間に撮った写真だが、駅前にはタクシーが常駐している。駅前には商店や飲食店、土産店が並ぶ。中央西線で駅近くで、すぐ飲食店や商店が見つかるのは、他には木曽福島と奈良井ぐらいで、旅人には貴重な存在

駅周辺は中山道の三留野(みどの)宿が広がり、約4キロ離れた場所には妻籠(つまご)宿がある。妻籠宿へは当駅からの路線バスも発着していて観光客には当時の雰囲気が今も色濃く残る妻籠宿の方が人気があるようだ

駅は1909年(明治42)の開業。坂下から当駅まで岐阜県と長野県の県境を越え鉄路が入ってきた際に設置された。当時の駅名は宿にちなんで三留野駅。岐阜県側から入って長野県最初の駅は田立だが、田立駅は信号場としてスタートし戦後に駅昇格している。事実上、長野県の入口の駅となる。もちろん南木曽町の中心駅。長らくこの駅名が使用されてきたが、戦後の1961年(昭和36)に周辺の村が合併して南木曽町が発足。これに伴い1968年に駅名も南木曽に変更された

ちなみに駅の所在地は「南木曽町読書」。一体どう読めばいいのか戸惑ってしまうが、普通に「よみかき」。かつては読書村だった。明治初頭に「与川(よかわ)村」「三留野(みどの)村」「柿其(かきぞれ)村」の頭の3文字をとって「よみかき=読書」としたという

現在、駅は簡易委託化されている

観光案内所が入居する一部特急停車駅ではあるものの、窓口は無人の時間帯も多いが、昭和50年代を感じるステンレスの改札が残る

国鉄時代を感じる事務室の表示。そしてもうひとつ、これはぜひ注目してもらいたいのは跨線橋

いわゆる「団子鼻」の新幹線のイラスト。開業から長らく新幹線といえば、この顔つきだった。年代的に駅舎改築の時に描かれたものと思われるが、新幹線が近くを通るわけでもないのにわざわざ描かれている。それほど国鉄を象徴する乗り物だったのだろう

さぁ帰ろう。ダイヤ的には、たまたま特急が停車する時間だったが、手にある青春18きっぷをギリギリまで使用するため、数千円の出費は惜しんで、その後の普通で帰ることにする。中津川まで行けば、後は何とでもなる。帰宅は数時間後となるが、南木曽駅が長い1日の終わりだった

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