※訪問は2025年9月23日
すれ違い可能な構造に「出世」

芦原駅に到着。高師駅をひとつ飛ばした形となる。豊橋市内だが、住宅地が目立った南栄駅とは一転、このあたりから農地も多くなってくる

すれ違い可能な2面2線構造だが、このようにやや遠くから見ると左側のホームは、いかにも後から付け加えた雰囲気である。1985年(昭和60)に15分間隔の運行を行うにあたり、列車交換可能な形に「出世」した。ここまで紹介してきた市内中心部の駅の周辺は、すでに宅地や学校、道路で埋まっていて複線化しようにもスペースがなく、選ばれるのは郊外の駅が中心となる
宅地開発のため復活
開業は1924年(大正13)1月。当時の渥美電鉄が最初に開業した高師~豊島間に設置された。渥美線の1期生となる。この後、北と南に徐々に線路を延ばしていく。年内に北は師団口(現愛知大学前)、南は田原(現三河田原)までが開業。翌年に師団口から新豊橋までが開業して現在の形が整った。最も重要な新豊橋までの開業が最後になったのは市内中心部の用地買収に時間がかかったためだ。また以前の記事でも触れたが、新豊橋駅もまだ現在の場所からはやや三河田原寄りにあった
開業時は高師村に所在した。後に豊橋市の一部となるが、高師村は渥美線にとっては重要な場所で、新豊橋から2駅目の小池から、芦原から2駅先の大清水までが高師村だった。この村に陸軍が置かれることになり、鉄道も町も発展することになる
だが、1期生だった芦原駅も受難が訪れる。戦時中の1944年に不要不急の休止駅となる
「芦」が付く地名は日本中に多数あるが、当地も農耕にも宅地にも不便な芦が生える湿地帯だったようだ。江戸時代初期に開発が行われ、農地として土地が改良。その後の地名は芦原新田となっていることが、田んぼとして成功したことを物語っている
逆に言うと農地ばかりの場所は戦時中は駅として必要ないと判断されたのだが、転機は戦後20年近くが経過したころにやって来る。豊橋鉄道が周辺の宅地開発をするにあたり、駅としての重要性が再認識され、1962年に18年ぶりに復活した

駅には豊鉄建設が隣接している。基本的には豊橋鉄道の線路や施設に関する工事を行う会社で1978年の創業だが、一般の宅地建設も行っている

駅そのものは2面のホームに待合所があるだけの無人駅で、駅周辺は何もないように見えるが
少し歩くと周辺はビッチリ住宅街となっている。2023年度の1日あたりの利用者数は600人で、これは全16駅中、10位の数字

列車交換の時間のようだ。次の駅へと向かおう
↑2つクリックしていただけると励みになります
