松浦鉄道

松浦鉄道その6(同居する日本一の長さと日本一の短さ)

松浦から乗り込んだのは通勤通学の時間帯にわずかしか運転されない快速です。佐世保方面については朝の4本しかありません

この快速に乗車しないと楽しみを味わえないのです。それについては後述しますが、松浦からの列車が、そのまま快速になるのは、この7時11分発のみ。他の列車は結局、普通列車が先着してしまい、わざわざ遅く着く快速に途中で乗り換えなければならないという矛盾した行動になってしまうので、この一択でした

とにかく約2時間かけて9時3分に佐世保中央に到着(かなり長い)

お客さんがはけてしまうと、その狭さがより実感できます

ホームは1面1線で実に狭くて強引に設置した感がありありなのですが、次の終点、佐世保を待たず多くの方が降ります。駅舎は

こちらも急ごしらえ感が大いにあります

それでも昼間は駅員さんがいるようで、私が到着した時はホームで対応していました。まぁ松浦鉄道で駅舎があるというのは、それだけで貴重なことではあるのですが、利用者の数を見ると納得。そして駅からすぐ

大きなアーケードに出ます

これが駅名標にもあった「さるくシティ4○3アーケード」。佐世保駅のすぐ近くから約1キロも続く日本一長いアーケード商店街として知られています。時間が9時すぎということもあって、まだ多くの店舗は営業時間外のようでしたが、佐世保中央駅は繁華街の最寄り駅という側面もあるようです

ただ鉄オタは「日本一長い」より「日本一短い」に関心がありました

アーケードを突っ切ると

そこはこの付近は6車線となっている佐世保市内の幹線国道35号。向こうに見える青い鉄橋が松浦鉄道。写真の左手がアーケードと佐世保中央駅です

国道を渡ると一転して住宅街。マンションも並んでいます。何の表示もなくキョロキョロしていると

何やら階段を発見。一見、奥のマンションへと抜けるものかとも思えますが

ここが駅だという案内は見当たりませんが、近づくと時刻表。こちらが

中佐世保駅。佐世保中央よりは多少広く感じますが1面1線。キョロキョロした時間を含めても徒歩5分ほどで到着。これが鉄オタの求めたもの。佐世保中央~中佐世保は駅間わずか200メートルと、普通鉄道としては日本一短い駅間となっています(筑豊電気鉄道の黒崎駅前~西黒崎と並ぶ)

どうしてこんなに短いのかというと、元々この付近に駅はなく戦後になって街の中心部に駅をということで国鉄時代に中佐世保を設置。それでも住宅街から6車線もの国道を挟んで歩くのは不便だということで三セク移管後に佐世保中央が誕生しました。実際に歩いてみると確かに天候の悪い日は利便性が圧倒的に違うと感じました。そんな経緯もあって両駅とも無理に設置した感があるのでしょう

中佐世保は待合所があるだけの構造でマンションに取り囲まれていますが、さすがに設置時の昭和30年代は違ったと思われます

そして私がなぜ、快速に乗りたかったのかというと、こちら中佐世保が快速通過駅だからです。どのあたりで社内放送が流れるかを楽しみにしていたのですが、中佐世保のホーム上で案内があって、妙に心が弾みました

わずか200メートルとはいえカーブとなっていて両駅は見渡せません。当然ながら減速もある状況で早めの案内放送。中佐世保のホーム端には、もう佐世保中央の運転士さん向け表示。ちなみに次にやってきた普通で再び佐世保中央へと向かったのですが、こちらも当然ながら発車した瞬間に「間もなく~」の案内がありました

ということで無事に佐世保到着。「日本一短い」はかなり喜べました。気分が高揚しすぎたためか、事前に調べていた佐世保バーガーのお店に行くのをすっかり失念してしまいました。佐世保3回目でしたが、佐世保バーガーは4回目までお預けですな

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松浦鉄道その5(松浦でアジフライを食す)

たびら平戸口から伊万里へ戻る形で松浦に到着しました。本日の宿泊地

夕陽がいい感じ。ホームと駅舎は構内踏切で結ばれていて、遅い日暮れを待っていました。もちろん初下車です。国鉄時代からの松浦線の名称となった重要駅

時刻は19時10分を過ぎていますが、6月16日のこと。たびら平戸口からは少し東になりますが、さすがにまだまだ明るい

駅舎は約20年前に新たに建てられたもののようですが、雰囲気を壊さないよう木造ベースになっています。バスターミナルも兼ねていて中には観光協会も入っているらしい。「らしい」と記したのは、この日は駅舎そのものの営業が終わっていて、翌朝も早かったため、中に入ることなく終わってしまったから。ちょっと心残り

ただ、その時の私はそれどころではありませんでした

伊万里駅でのこと。列車のヘッドマークに目が行ってしまいました

「アジの聖地 松浦」

伊万里駅で改札を出ても「アジ 松浦」の宣伝が目に入る

「そうなんだ」

恥ずかしながら私は松浦=アジという事実を知りませんでした。松浦は日本一のアジ水揚げを誇るそうで、特にアジフライは街をあげて盛り上げているとのこと

その時から私の頭の中は「アジフライ」がヘビロテ

宿は松浦シティホテルさん。全国各地の街を訪れると国鉄時代からの駅が街外れに設けられていることが多いのですが(古くからの町は家がないところに線路が敷かれ駅が設けられるので当然そうなります)、ここ松浦は駅の近くに中心街があるようで、ホテルへも、いかにも町の中心地という道を歩きながら10分もかからず到着しました。あちこちにアジフライののぼりがある

まずは、とにかく一杯

これがないと旅の夜は始まりません

そして待望の

アジフライ。肉厚でサクッとした、かみ応えがたまりません。いつも思うことなんですが、日本で酒のお供になるものって、ほとんどが白ご飯のおかずになるものですね。この日は酒のお供でしたが、今度は昼間にアジフライ定食を食べてみたいものです

こちらも旅の楽しみ。地酒をいただいて充実の夜となりました

翌朝はホテルの朝食からスタート

バイキングもいいけど、座るとサッと出てくるので定食式はある意味ありがたい。宿の朝食=干物というのも私は好きです。次にいつ食べられるか分からないので、いつもものことながら朝食のご飯は大盛りです

松浦シティホテルさんの朝食は朝6時からの提供で、何かと朝の早い旅人には助かります(洋定食もあり)

7時過ぎの列車で佐世保へと向かいます

駅舎には入れませんが、屋根のひさしの下が駅舎営業時間外の待合所になっていて

ここにも時刻表が張られています

もう一人のお客さん

字が読めたら怒るのかなぁ

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松浦鉄道その4(最西端の駅へ)

伊万里からトコトコ揺られて約1時間

たびら平戸口に到着。伊万里を出た時はかなりの混雑ぶりでしたが、停車する駅で高校生がどんどん降りていき、もう余裕で座れる状態になっていました。すでに長崎県に入っています。伊万里は佐賀県なので、高校生は基本的に佐賀県内で降りていく。全国で見られる光景

こちらの駅については、今さら何も言うことはありません。駅名標に記されたように「日本最西端の駅」として長らく知られてきました

構内とその付近は「最西端」で埋め尽くされています

個人的には古いラッチ(改札)が好きです

これもまた有名な話ですが、現在は最西端の駅ではありません。約20年前に沖縄都市モノレールができたことで、その座を譲りました

しかし「普通鉄道による最西端」ということで、今も最西端を名乗っています。駅名標で分かるように愛称もそうなっています。まぁ私は、こういうことはあまり気にしないのですが

駅は昭和初期に「平戸口」として誕生しました。もちろん国鉄の駅として。長らく国鉄としても最西端の駅でしたが、三セク移管により「JR最西端」は佐世保となりました

こちらは明らかに国鉄時代からのもののようです

駅名は平戸島に基づくもの

線路もグルリと大回りするように弧を描いています。しかし駅はあくまでも平戸島への口であって、駅がある場所は田平町でした。そんな事情もあって三セク移管後、現駅名となりました。ただその後の市町村合併により、今はともに平戸市です

有名観光地への拠点だけに駅舎は立派

残念ながら駅舎内にある鉄道博物館は営業時間外でした

最も陽が長い6月中旬の最西端とあって、まだまだ明るい

駅はいかにも国鉄の2面3線。運行上も重要な駅です。ホームでは列車待ちの高校生3人がずっとニャンコと戯れていました

雑草混じりの3本のレールがひとつになる光景。好きです

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松浦鉄道その3(伊万里焼の駅名標)

列車は伊万里に到着しました

松浦鉄道は有田から、ここ伊万里を経て佐賀県から長崎県に入り、松浦半島を海沿いにグルリと回りながら、佐世保を目指す路線ですが、運行そのものは伊万里で分断されます。というのは伊万里駅がスイッチバック構造だから(接続は考慮されています)

見た目には終着駅の風情です

ちょっと不自然ですが、以前はそうではありませんでした。道路を挟んでJR伊万里駅があるのですが、国鉄時代はもちろんつながっていました

地図の右からやって来るのがJR筑肥線、左に向かうのが松浦鉄道です

実は30年以上前に来て以来なのですが、当時はもちろんつながっていました。ただ単に乗り換えをしただけなので、よく覚えていない。しかし博多方面から来た列車は松浦、有田の両方へ行けるようになっていた(はずです)。急行「平戸」が博多から、ここ伊万里を経て佐世保そして長崎までを走っていました

実は筑肥線というのも、博多の地下鉄駅からスタートするなかなかおもしろい路線で、今は2つに分断されたなかなかの歴史を持つのですが、そのあたりはまた別の機会で

今は線路が途切れ、中央は道路。2つの駅は横断歩道ではなくペデストリアンデッキでつながっています

直通列車の必要もなくなり、線路がじゃまだったということでしょうか

駅の周囲は大きな街となっていて、時間が夕方近くだったこともあって、高校生が多い。マンションやコンビニやスーパーなども並んでいます

ただJRの駅に行くと閑散

無人状態で1面の単式ホームに人の姿はありません

それもそのはずで

時刻表に記された列車はこれだけ。JRの駅から発車するのは1日たったの9本。私が訪れたのはちょうど運転のない時間でした。みどりの窓口もお休み中(ある意味、みどりの窓口があることがすごい本数)

九州の各地は博多とどうやって結ぶかが大きなテーマとなっています。もちろん、ここ伊万里も例外ではないようですが、列車で博多に行くには、筑肥線という元々、博多と伊万里を結ぶ目的で作られた路線で行くよりも、松浦鉄道で有田に出て佐世保線の特急に乗り換える方が利便性に富みます

というか、ここ伊万里と博多を結ぶバスがあり、もちろん乗り換えはなし。スピード、料金でもバスに軍配が上がるようになっています

時刻表を見ると博多への通勤なども考慮されているのか、朝の6時台には3本もの運行があり、その後も1時間から2時間間隔で運行されています。博多駅経由で空港まで運行されるものもあり、博多へのニーズはバスが応え、鉄道は近隣を結ぶものとなっている間があります

それでもアイキャッチに示したJR駅の駅名標は、おそらく伊万里焼仕様。これを見るだけでも十分に価値はあります

松浦鉄道のホームに高校生が集まってきました。ここから長く乗りますので、単行列車に座れないのは大変。私もホームの乗車位置に急ぐこととしました

 

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松浦鉄道その2(古い駅舎に癒やされる)

旧松浦線を引き継いだ松浦鉄道は、三セク鉄道の多数の例に漏れず三セク移管後に設置された駅が多い。有田~伊万里間は明治に敷設されたが、戦後に設けられた駅もかなりあります。これらの駅の特徴は簡素なホームと待合所。利用者数などからも、これで十分だったのでしょう。

というか、最初に設けられた駅は本当に少ない。途中駅は2つだけ。なぜこのようなことになったのかというと、元々の目的が貨物運搬だったから。有田、伊万里と聞いて思い浮かべるものとは?

まさにその通りで陶磁器を運搬するために敷設された路線でした

数少ない最初からの駅が蔵宿。ある意味難読ですが「ぞうしゅく」と読みます。地名です

今回、松浦鉄道最大の目的はこちらだったといっても過言ではありません

その蔵宿駅は有田から、わずか3駅目。3駅といっても各駅間が短いのでレールにして4キロほど。徒歩でも行けそうです(列車で向かいましたが)

降りたホームは駅舎とは逆側で渋い駅名標と、待ち望んだ駅舎が私を迎えてくれました。構内踏切で向かいます

駅の正面はこんな感じ

いやいや、これは素晴らしい。最近まで駅舎内に店舗が入っていて、その時は窓はアルミサッシで補強されていたようですが、撤退の際にそれも消えたようで「元の姿」に戻っている。松浦鉄道のホームページには「1898年(明治31年)伊万里鉄道開通時から存在する最古の駅」とあります。駅舎内の財産票には大正2年(1913年)と記されていました。駅舎そのものも、もう100歳を超えています

完全に木造の一軒家ですね

来た甲斐がありました。話の本筋には全く関係ありませんが、私が到着した際、駅前には止めて休憩中のサラリーマンらしき姿が

今時そんな言葉があるのかどうか分かりませんが、いわゆる「サボリーマン」? 私もついこの間までサラリーマンだったので気持ちはよく分かります。勝手な邪推ですが、こうやって紹介するからには、写真に写り込むのは好ましくないでしょう。「後で原付ごと修正しなければならないかな」と、ちょっと困っていたら、シャッター音に雰囲気を感じてくれたのか、以心伝心というか、そっと移動してくれました

松浦鉄道その1

6月中旬(16~17日)、松浦鉄道に乗ってきました

JR以外の鉄道には基本的には2つの種別があって、生まれた時からずっと私鉄のものと旧国鉄の路線を引き継いだものがあります

後者については「第三セクター鉄道」と呼ばれるものがほとんどで、新幹線が開通したため第三セクター化された路線も含め、第三セクター=旧国鉄orJR路線のイメージがあるかもしれませんが、それはちょっと違います

そもそも「第三」とは何か?意外と知らない方が多いのではないのでしょうか?

「第一」は、いわゆる「官営」です。運営主は国や地方公共団体です。「第二」は「民営」で運営主は純然たる民間企業。公共交通機関の第一については国鉄はなくなりましたが、現在あるものでは都営地下鉄や各地の市営地下鉄を思い浮かべるといいでしょう。ただ民営化された現在のJRや東京メトロ、大阪メトロなどについてはカテゴリーとしては第二に入りますが、公益性の高さや株主構成など、純然たる第二とは言えない側面(赤字路線といえども簡単に廃線にできない)もあります

これに対し「第三」は鉄道とそれ以外のジャンルで微妙に使われ方が違いますが、鉄道においては官民が共同出資した会社が運営に携わるものを指します。よく地方ローカル線で、この表記が使われますが、実は都市部でもかなりあり、各地のモノレールなどは、ほとんどが第三セクター。大阪の東西線も利用者の感覚からすると完全にJRの路線ですが、第三セクターです

と、細かい話から始まってしまいましたが、今回お世話になった松浦鉄道は、よく耳にする旧国鉄を引き継いだ(移管期にJRが1年間運行)第三セクター

佐賀県の有田から長崎県の佐世保までの運行。有田~佐世保といえば、JRの佐世保線で約20キロ。特急なら30分で着いてしまいます

ところが松浦鉄道はこんな感じで佐世保を目指します(経由地入り検索が自動車でしかできなかったので、一部がショートカットになってしまいました)

そりゃあ遠い。距離にして93キロ。しかも通勤時間帯の一部区間を走る快速を除くと基本的には普通列車の運行なので時間はかかります。伊万里で運行が分断されていて乗り換えが必要となる(乗り継ぎは考慮されています)ため所要時間は3時間!

かなり乗りごたえのある(専門用語では「途中でしんどくなってくる」ともいう)路線です。まぁ私の場合は途中駅で降りることを主目的としているため、一気に乗り通すことはなく、気分転換もできるのですが、となると今度は膨大な時間を要します。当日は早朝に新神戸の始発に乗り、博多経由でいくつかの駅で降りつつ有田に到着したため、有田到着は14時半すぎ。年間で陽が最も長い季節で路線には九州の最西端駅も含まれる日没の遅い地域とはいえ、ここはさすがに全線は無理

起点駅の有田は2面3線。元々は国鉄同士ということで、改札口は共用(ただし駅としては別々)。うち1線が松浦鉄道

こちらの駅名標は国鉄時代のものを残しているのでしょうか

かわいい車両が1両単行で止まっていました

松浦に宿を確保して列車に乗り込みます