※訪問した2025年1月16日時点の情報です

また見る光景

おゆみ野駅に到着。こう見ると普通の風景だが、頭上を見てほしい。「電車が来ます」の文字の下に「千葉中央方面」「ちはら台方面」の文字が見える

これは千葉寺駅でも見たもので、電車が去ると

このような景色が目に入ってくる。ここにも主(レール)のいないホームがある

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おゆみ野とは

おゆみ野駅は1995年(平成7)の開業。当時の千葉急行電鉄が大森台~ちはら台を開通させた時に設置された。おゆみ野とは千葉市内のニュータウン。江戸時代に当地を治めていた生実藩が地名の由来。現在はひらがな表記が正式な地名となっている

一帯は市内で最も爆発的に人口が増加した場所で、住居表示もおゆみ野にとどまらずおゆみ野有吉、おゆみ野中央、おゆみ野南と区域が広がる。ただ爆発的に人口が増えた割には当駅の1日の利用者数は5575人とそうでもない。ホームが片側のみで事足りる現実がそれを物語っている。おゆみ野の中心駅は外房線の鎌取駅だ

おゆみ野駅から徒歩約30分に位置する鎌取駅は、JR移管時の1日の利用者数は現在のおゆみ野駅より少なかったが、それこそ爆発的に利用が増え、現在は3万5000人を超える。そのような利用者数を想定していなかったのか、1面2線の島式ホームはラッシュ時は人であふれて社会問題化しているほどだ

こちらは2年前の12月の写真だが、16時前の時間帯でも人がひっきりなしに歩いている。駅前にはイオンとマンションが並ぶ

それに対し、おゆみ野駅の駅前ロータリーは、かなりのどかであるに

高架駅と用地取得時の苦労

ただし駅舎の立派さは鎌取駅に負けていない

バブリーという表現は謹んで重厚という言葉を使うが、外観も凝っている高架駅はまるで新幹線駅のようでもある

千葉急行電鉄の構想はかなり以前からあった。計画したのは小湊鐵道で、五井駅で国鉄(当時)への乗り換えを行う千葉市内や東京方面への乗客をごっそりいただいてしまおうと、海士有木駅から分岐する形で千葉市内へダイレクトに向かう路線の免許を取ったのが1957年のこと。ただ1957年といえば、まだ戦後10年が過ぎたころで沿線には「ごっそり」というほど人口はいない。そもそも五井を含む木更津から蘇我へ向けた内房線が電化されたのは、それから10年以上を経た1968年のこと。まだまだ農村地帯だった

塩漬けにされていた免許が効果を生みそうになってきたのは、さらにその後。70年代終わりごろから、おゆみ野をはじめとするニュータウン開発が始まった。ここが好機と免許を引き継ぐ形で京成電鉄(小湊鐵道は京成グループのひとつ)を中心に第三セクター千葉急行電鉄が結成されて工事が始まったが、用地買収や、まだ山が多かった沿線の工事に時間がかかった。工事中に世の中はバブル時代に突入。各土地代のほか、各駅の規模を見ても分かる通り工事費が高騰。ようやく1992年に開業したころはバブルも終焉しつつあり、経費がかかった分、高めの運賃設定をせざるを得なくなった。その一方、バブル崩壊でニュータウン開発も鈍り、都内へ向かう利便性に勝る蘇我駅や鎌取駅など沿線の客足はJR各駅へと向かい豪華な設備だけが残ることになった

あゆみ野駅の入り口部分。券売機のスペースが多めに確保されていることが分かるが、利用客の数もさることながら、時代はIC乗車に移行していて、券売機を利用するのはチャージ目的ぐらい。券売機のスペースそのものが過去の鉄道遺産になりつつある

「おゆみの」と言われて漢字を想像しろ、と言われて「生実」と答えられる人はほとんどいないなぁ、と思いつつ、終点のちはら台駅へと向かう

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