未成線

72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~雨中の個々パーツにあらためての感慨

※訪問は2025年10月5日

激しい雨の中

美濃白鳥ではやんでいた雨が北濃に到着した途端に激しくなってきた。だが雨宿りをしている余裕はない。「鉄オタ北濃駅ツアー一行」は、15分という与えられた時間をフルに活用すべく、各所にちらばって思い思いの行動をとるのである

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よくぞここまで

北濃駅といえば転車台だろう。登録有形文化財となっている

雨の中でも説明板を撮ったが、写りが悪いので2021年11月10日に訪問した時のものを掲載する。明治期に岐阜駅に設置されたものが、越美南線が当駅まで到達した1934年に移設されたものらしい

ついでにその時に撮った転車台の好天バージョンも

前述したように北濃駅は1934年の開業。前年に美濃白鳥まで到達した越美南線が6キロ延伸されてここまでやって来た。北濃とは当時の北濃村に基づく。美濃の北にあることで明治時代に名付けられた北濃村は1956年に白鳥町となり、平成の大合併で郡上市となった

全くもって鉄オタ的な観点だが、越美南線が美濃白鳥まででなく、ここ北濃まで到達した意義は大きい。美濃白鳥で終わっていれば、駅に行けば分かるが、それなりに大きな街が終着駅となったという、さもありなんの感覚で終わってしまっただろう。山中にポツンと置かれ、なおかつ唐突に線路が終わっているところに旅情を感じる。それは名松線の終点伊勢奥津駅でも感じることだし、山中ではないが、かつて日高本線の終点だった様似駅で降りた時も同じことを感じた

ただ、この区間が営業面の足かせとなっていることは事実で、2022年度の1日あたりの利用者数は29人。青春18などのJRのフリーきっぷはもちろん使用できないわけで、この後の記事でも紹介するが、ここまでやって来る人はかなり高価なフリーきっぶを利用する以外は実費で乗車するしかない。フリーきっぷの利用者は駅や鉄道利用者にはカウントされないことになっているが(カウントされれば芸備線の利用者数は全く異なるものになっているはず)、その意味では29人という数字は実態に近いものだとも言える。もっとも29人という数字は全38駅中で21位と、そう低くはないことが長良川鉄道の厳しさを表すものともなっている

細かい部分にも配慮が

レールの先を見る。ここから先に伸びるはずだった線路は唐突に終わっている。越美南線と越美北線は工期がかなりずれていて、越美南線が1934年に当地まで来たのに対し、越美北線の開業は戦後の1960年。結果的に終着駅となった九頭竜湖駅まで到達したのは1972年。だが南線も北線も工事すら行われることはなかった

この1970年代という時代、昭和40年代と置き換えてもいいが、国鉄の赤字路線が次々と姿を消す一方で、開業して採算がとれるのかという路線の工事が続けられた今にして思うと不思議な時代だった。乗車すれば分かるが、越美北線の末端区間は鉄建公団による連続トンネルでの直線区間となっている。それでも南線と北線を結ぶ工事が行われなかったのは、県境の人口の少ない部分と、それに伴う建設費、何より冬季の維持費が勘案されたからだろう

ホームから駅舎に入る際のお出迎え。ご覧の通り、本来ならもっと気になる看板よりも出迎えてくれたのは猛烈な雨だった

こちらは駅舎内部と改札口。もちろん無人駅

駅のデータもあって、なかなか技が細かい

駅前を長良川が流れる。長良川の源流まではもう間もなくの所だ。越美南線は長良川の源流方面に行くのではなく、地図をたどっていただければ分かるが、県道314号をなぞるように石徹白(いとしろ)へと向かい、県境を抜けることとなっていた。道路だけでも、かなりのクネクネ道。冬場の豪雪を鑑みた上で、ここに鉄路を通すのは、なかなか二の足を踏みそうだ

駅舎にはレストランが入居していて、こちらはバリバリの現役店。テレビなどでも取り上げられている

持ち時間の15分はあっという間。鉄オタツアー一行はそそくさと列車に戻る。私も乗り遅れないよう後につく。特徴ある終着駅は全国に数あるが、北濃駅の到達難易度はそう高くはない。また来たいと思わせてくれる駅である

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~共通の目的地へ同業者ゾロゾロその名は北濃

※訪問は2025年10月5日

終着駅に降り立つ

美濃白鳥を8時半に出た列車はわずか10分で北濃に到着する

構造は1面2線の島式ホームだが、使用されているのは1面のみ

ホームに出ると線路は先に伸びているように見えるが

しっかり「終点」と告げられることになる

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これはいつか見た光景

さて、この朝の車内の光景は昨日見た光景とは異なるものだった。朝の8時半に美濃白鳥から列車に乗り込むとすでに十数人のお客さんが乗車していた。そしてその十数人は間違いなく全員が同業者(鉄道ファン)である。これは確信を持って言える。近年は冊子の時刻表ではなくスマホによる時刻表のチェックが主体になりつつあり、ローカル線で18きっぷの旅をしていても車内で冊子の時刻表を見ることも少なくなったため、同業者の判断がつきにくいが、この時は確信が持てた。カメラを手にする人が多い上に、薄着の人が多い。この列車は美濃太田を6時半ぐらいに出る。どこから来られたかは分からないが、準備していたセーターを着込んだ私とは明らかに異なる。そういえば前日の岐阜駅はすでに雨が降っていたがTシャツスタイルの人も見かけた。実は乗車列車は、15分間北濃駅にとどまって折り返していく。皆さん、15分間だけの滞在だと分かっているので薄着で十分なのだろう

この光景は少し前に名松線でも見かけた

3年前に年明けに名松線に乗車した時のことだ。終点の伊勢奥津で下車しようとしたら全員が18きっぱーだった。そんなことを思い出したが、当時の文章を読み返してみると名松線のタイトルが「永遠の未成線」となっていた。すっかり忘れていたが、まさに今乗車している長良川鉄道=越美南線も永遠未成線である

ただ長良川鉄道はもちろん18きっぷの対象ではないし、そもそも今はその季節でもない。ではなぜ同業者が集合してしまったのかというと、理由はおそらく減便である。10月18~19日にかけて訪問する予定を2週間前倒しにしたのは、18日から減便が実施されるためだということはすでに記したが、末端区間に行けば行くほど影響は大きい。減便後のダイヤには私が乗車した列車は日曜にはなく、美濃太田を8時12分に出る列車が「始発」となっている。しかも、この列車はわずか6分とどまっただけで折り返してしまうのだ。たなみに平日にはこの時の列車が残っているが、8時40分に北濃に到着すると、北濃からの列車は10時28分までない。その他、新ダイヤは何かと北濃駅訪問が不自由になっている。そのようなことを考慮すると、ダイヤ変更前に、となる心境は私もよく分かる

私は数年前に1度ここまでやって来たことがある。その時は越美北線と越美南線の関係はどんなものかと思い、マイカーでやって来て北濃駅から九頭竜湖駅までを車で走ってみた。来る時は東名高速→東海北陸自動車道で、帰りは北陸自動車道→東名高速。もちろん日帰りで車だとあっという間にグルリ1周できてしまうことがよく分かった。今回が2度目なので駅については再確認の意味合いが強いが、与えられた時間が15分であることは間違いない。同業者の皆さんとツアーに来たような格好になってしまったが15分を堪能することにしよう

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~消えていない残り約10キロの延伸計画

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

上野直通便もあり

京成千原線の運行態勢はちはら台から千葉中央、京成千葉を経て京成津田沼との折り返しで1時間に3本。千葉中央から始発の列車が1時間に3本入ってきて千葉中央からは10分に1本の運行となる。都内を目指すには、京成本線の駅である京成津田沼で成田方面からの特急と乗り換えることになるが、朝夕の通勤通学時間帯は、わずかではあるが、京成上野行きの直通列車も運行されている。もっとも普通に乗車したまま上野まで乗り通す人はいないだろう。1時間半もかかってしまうのだ。いるとすれば私を含めた同業者(鉄道ファン)というか、今この記事を読んでくださっている方ぐらいだろう

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先に伸びる線路

ちはら台駅から先は線路少し伸びている。まるで次の駅があるようで、未成線ならではの光景だ

京成千原線は前身の千葉急行電鉄が小湊鐵道の海士有木駅からちはら台を経て千葉中央を目指したものだった。途中駅は2つ計画されていた。辰巳台と国分寺台である。位置関係はこのようになっている

徒歩ルートにしたが、辰巳台は千原線の計画の初期段階ですでに開発が進んでいた団地で、国分寺台には市原市の市役所がある。辰巳台まではすでに用地は取得済みで、敷設工事がすぐにできそうになっているが凍結されたまま。それ以外は一部の用地は取得されたものの、すぐ工事着手とは言えない状況だ

踏切なし、最速110キロの重厚路線

千原線の工事を手がけたのは日本鉄道建設公団いわゆる鉄建公団である。1960年代から全国の鉄道建設を担った。簡単な表現をしてしまうと「頑丈」「高架」のイメージか。東北新幹線などの東日本の新幹線のほか、京葉線や湖西線も手がけた。地方路線も含めると枚挙にきりがなく、すでに廃線となった路線もある。鉄道ファン的には三江線の宇都井駅を含む最後に開業した区間が有名だ。国鉄のイメージが強いが私鉄も手がけている。近鉄のけいはんな線といえばイメージできる人も多いはず

千原線には踏切がない。線路は高架が中心で、駅も掘削か高架となっている。110キロの速度まで出すことが可能だ。片側ホームしか使用されていない駅を2駅紹介したが、路線内は単線運行ではあるものの、複線にするための用地は確保されていて車窓から確認できる。つまりはそれだけお金がかかっているということ

それゆえに運賃が高いということは以前の記事でも紹介したが、運賃計算も千原線のみ独特のものとなっている

こちらは千葉寺駅の運賃表。これだけではよく分からないかもしれないが、千葉中央までは千原線の運賃で、千葉中央を過ぎると急に高くなる。これは千葉急行電鉄から京成が事業を引き継いだ時に千葉急行電鉄の運賃をそのまま引き継ぎ、京成の他路線とは異なるものとしたため。別々の鉄道会社同士の相互乗り入れの場合、別会社に入った瞬間に運賃が急に高くなることがあるが、それと同じシステム。もちろん割引は適用されるが、同じ鉄道会社の同じ列車に乗っているうちに急に料金が高くなるのでは利用者も首をひねってしまうだろう

2029年まで残る計画

当初の計画では複線化も2000年をめどとするはずだったが、それすらも実現していない。バブル時代は遠距離通勤もひとつの形とされていて、少々遠くてもマイホームが持てるなら、と都内の会社までドアトゥードアで2時間近くかけても通勤する人は珍しくなかったが、現在はどちらかといえば都心回帰である。そもそも少子化で広い家を持つ必要もなくなり、予定地を含む沿線のニュータウン開発は目論見通り進まなかった。そのような現状では延伸はおろか複線化も無理ではないかと思ってしまうが、計画は今も「現役」である

2019年に京成電鉄は2029年までの工事申請の期限を延長。つまり今も事業としては継続していることになる

ニュータウンの中を先に向かっているように見える線路。全線開通にはあと約10キロ。予定の線路は約8キロ。途中に大きな山や川があったりするわけでなく、8キロぐらいなら現在の技術をもってすれば、あっという間に敷設できそうだが、近くて遠い8キロとなったまま30年が経過した

訪問難易度は極めて低いので、機会があれば、路線内の豪華施設だけでもぜひ眺めてほしい。そして私はまだ訪問したことのない難読駅の海士有木(あまありき)が気になってしょうがないのである

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線最終項

名鉄常滑線。上に見えるのが新幹線で手前が南方貨物線

2022年11月10日12時

小学校の土地を売却→戻る

堀川を渡れば本日のゴールである道徳駅まではすぐ。そしてハイライトにもなります

新幹線の高架沿いに歩くと

橋脚が復活し

その下に小型の倉庫が並んでいます

レンタル倉庫として利用されています。ただし県道を渡ると、すぐに小学校があって橋脚の北側を迂回して歩く必要があります

こちらの明治小学校は南方貨物線の予定地に敷地の一部があり、建設に協力してその一部を売却したものの、未成線になったことで返却されたという経緯があります

空港連絡線構想?

橋脚に沿って歩くと名鉄の常滑線が見えてきました。この先で交差します。もうゴールは目前

さらに先に進むと

東海道新幹線、名鉄との交差部分となります。ここが散策のハイライトのひとつ。一見、3線が交わるところで、うちひとつが建設中のようにも見えますが、言うまでもなく手前の橋脚は未成線。そもそも見て分かる通り、架線がじゃまして、この高さでは進めません

1983年から84年にかけて名鉄は高架化されています。南方貨物線の工事が再中断(以降、工事が行われることはなかった)した直後。南方貨物線の施設の再利用については名鉄常滑線に合流させて中部国際空港(2004年開業)を目指す、という案もあったそうですが、1989年に新装なった金山総合駅が具体化した後です。名鉄にとって何のメリットもないので、あっさり却下されています

結局、南方貨物線の計画は貨物ターミナル駅が1980年に開業しただけで終わり、投入された400億円近いお金は全くムダになってしまいました

国道側から見ると、国道と名鉄の間の部分だけポツンと残されています。撤去工事を行うには名鉄の運行にも影響しそうです

ここから名鉄の駅は豊田本町も道徳も同じような距離ですが、6月は道徳駅までだったので今回も道徳駅をゴールとします

道徳に到着したのは12時40分。愛知県武道館を出たのが10時ちょうどだったので2時間40分の散策でした。この間、2度の休憩と1度の買い物タイムをはさんでいます

おすすめ散策路

堀川を渡ってからのコースです。実際は公園の中は突っ切って進んでいます

さて昨年11月に全路散策を終えてから今日まで記事にしなかったのは、その後の寒さを考慮したからです。今はちょうど良い季節です

未成線や廃線跡の探索というのは基本的に進み始めたらゴールまで行くか、引き返すかの二択となりますが、南方貨物線についてはJRの笠寺から、あおなみ線の中島駅の間に名鉄、地下鉄の駅があるほか、バス路線もあり、途中離脱が可能。道中に飲食店やコンビニの店舗や公園もあり、お手洗いも含めて休憩ポイントも多い。大都会とはいえ、ここまでの「至れり尽くせり」は他になかなか例がありません

休憩もなく迷うこともなければ、おそらく全行程は徒歩3時間ちょっとだと思われますが、多少迷ったり、食事を含めた休憩を行うのも、ある意味楽しいものです。もちろん、前述した公共交通機関を利用して、ほんの一部だけを見るのも可能。昭和の国鉄時代の遺構がこれだけしっかり残っているのも珍しいことなので、鉄道貨物の栄枯盛衰を感じながら、春の陽気とともにぜひ訪れてほしい場所です

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その9

下部が利用されている部分は南方貨物線の橋脚が残る

11月10日11時45分

またもや川の壁

橋脚再発見で快調な歩み

これは振り返りなのですが、その先は

またもや川で向こう側に行けません。目の前にあるのは堀川。その名の通り、川沿いに北上していくと熱田神宮、大須観音の西側を通って名古屋の中心街へと向かい、納屋橋、錦橋を経て名古屋城のお堀へと至ります。中川運河とは違って庄内川とつながっていますが、都市部分から下流にかけての水質汚染は問題となっています

とにかく渡らないとどうしようもない

迂回して渡る

新幹線が走ります。こうして東海道新幹線沿いを歩いていると、本当に「ひっきりなし」に新幹線が運行されていることが実感できる。正午ごろでこうなのですから、本数の多い朝はもっとすごいのでしょう

血税投入ゆえに

国鉄からJRに管理者が変わる際、ほぼ完成しているこの施設をどうするかの議論になりました。建設は国鉄で国の予算をもらって工事をしている。資金はいわゆる「血税」で、400億円近いお金が投入されています。貨物需要がなくなったからといって放棄します、とは簡単にいかない

有力な選択肢のひとつとして当然、旅客化もありました。貨物線の活用は東京ではうまくいっています。お休み中の線路を生かして東京駅から羽田空港まで直通できる新線の工事も始まっています

大阪では新大阪から分岐して大阪駅を避け、環状線の福島駅で合流する貨物線が「くろしお」や「はるか」の特急運行に利用され、この3月からは地下の新線が建設されて大阪駅近く(駅名は大阪)を通る発展を遂げました

ただそれは現在の状況を見るから言えるのであって、埼京線が山手貨物線を利用して新宿まで到達したのは1986年で成田エクスプレスは91年。JR移管は87年ですから、南方貨物線の議論は、東京でもようやく貨物線利用が開始されたころだったのです

南方貨物線の目的がそうだったように、そもそも貨物線というのは都心の駅を避けるように造られています。池袋、新宿、渋谷と東京駅とは離れた貨物線が走る位置にも大きな流動があるのは東京という巨大都市だからであって、他都市ではなかなかそうはいかない

先日、国鉄色の103系が最終ランで多くの鉄道ファンが訪れた神戸の和田岬線も、その先には港に向けて広大な貨物線が敷かれていました。東側の港には神戸臨港線があり神戸駅の南側を出て三ノ宮のすぐ東側の灘駅~六甲道駅間で東海道本線と合流していましたが、三ノ宮を避ける形になっていたため電化もされていたものの阪神・淡路大震災後に廃線となっています。臨海部の貨物線で生き残ったは旅客利用から始まり、旅客線となった和田岬線だけでした

今回、未成線沿いに歩いていくと多くの住宅街やマンションがありましたが、まだまだ工場と倉庫中心の街並みで、名古屋駅を避ける形の運行では採算がとれない、と旅客化も断念。未成線化が決定しました

迂回して対岸までやってきました

奥は新幹線。再び遺構を利用した構造物が姿を見せます

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その8

南方貨物線の橋脚

2022年11月10日11時

見失ってお買い物

名古屋高速を越えて振り返ると、このあたりの建物が橋脚の幅でできていることがよく分かります

普通に住宅が建てられていますが、幅がずっとそろっています

しかしその先で痕跡らしいものを見失ってしまう。前を新幹線がバリバリと通過していきます

新幹線のところで公園は終わっています。ちょっと困ってしまいましたが、南方貨物線は笠寺から新幹線に沿って建設され、途中で新幹線から別れて、あおなみ線に向かって進んでいったはず。となると、どこかこのあたりに分岐点があったのでしょう。とにかく新幹線沿いに進んでいこう。中島駅側から進んできて初めて新幹線と出会いました。となるとゴールは見えてきたかもしれません

新幹線と近づいたり離れたりしながらウロウロしていると西友ストアがありました。歩いているうちにちょっと事情ができて百均とかないかな、と思っていたのでちょうど良かった。こちらでお買い物。先ほどもスーパーを見ましたが、未成線跡や廃線跡でスーパーというのは、そう多くはありません

新幹線の分岐線?

このあたりは、ここまで見てきた住宅街とは異なり、少し古めの建物も目につきます。それはそれで不安になるのですが、とにかく新幹線を見失わないよう歩いていくと

これは?という建物が見えてきました

こんな風に歩いてきました。大通りの向こうには

新幹線に沿って「いかにも」の形の住宅があります。これは橋脚跡にできたものでしょう。先ほどの建物の向かいですから

大通りを渡ると、その向こうの建物は、もう確定的

その背後に見えてきました。このころは橋脚を見ると本当に安心してしまうようになっていました(笑)

ここも貨物車置き場となっています

こうして見ると新幹線の分岐線でも建設しているのか?と思ってしまいますね

ただこのように2本の線路が並ぶ、というのは1970年代前半の環境問題がクローズアップされた時代では、なかなか受け入れられなかったのかもしれません

幻の新幹線深夜運転計画

国鉄では山陽新幹線が全通した際は新幹線の深夜運行を計画していました。まだまだ寝台列車華やかなころですが、深夜から早朝にかけて新幹線の運転を取りやめるのではなく、深夜は数十キロと大幅に速度を落として博多を目指すというもの。高速で走る新幹線は日々の保守作業が欠かせないのですが、深夜に限っては単線運行とし、空いている線路を点検に充てるというアイデアで、実際その計画に沿って建設されたとされるのが兵庫県の4駅です

開業時から当時の新幹線としては短い区間に新神戸、西明石、姫路、相生と4駅も設けられました。深夜の単線運転なので待避線はできるだけあった方がいい。新神戸が地形上、2面2線でしか建設できなかったことも影響しました。距離や都市の規模を考えると神戸、姫路の2駅でよさそうなものですが2駅を追加。さらに言うと姫路は新幹線の駅としては他にあまりない乗車ホーム部分が2面3線構造となっているのも、そのなごりです

なぜ兵庫県に退避場所が多く設けられたかというと、当時は遠い将来の四国新幹線や中国新幹線の計画も視野に入っていたため。新大阪~岡山間には多くの列車が集中することを見越し待避できる駅を増やしました。姫路については何かトラブルがあった際に列車を留置する場所が必要だ、ということで単なる通過線ではなくホーム部分をひとつ追加する形にしました

もっとも、計画は新幹線以外でも空港や道路の騒音問題、反対運動の盛り上がりや高度経済成長の終焉によって消え去り、現在に至ります。名古屋地区の話ではありますが、新幹線全体に与えた影響は大きかったわけです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その7

南方貨物線の橋脚の横で子供たちが遊んでいる

2022年11月10日11時

オフレールステーション

名古屋港線との合流地点をさらに先に行くと右手にはコンテナがゾロゾロ

オフレールステーション…ではないですね。貨物車置き場となっているようですが、事実上「墓場」のような雰囲気も

一方、かたわらの公園では子供たちの歓声が聞こえる。平日のお昼前ということで、まだ小学校に上がる前のお子さんたちが多いようです

付近のマンションは未成線がほぼ確定した後にできたものばかりだと思われますが、公園横の列車が走らない橋脚と動かない貨物車。物心ついた子供は必ず「あれ何?」と尋ねてくるはずで、その場合、親の皆さんはどのように説明するのでしょう。そもそも小学校では地元の歴史について必ず教えるはずなので、その場合は一連の構造物について学習するのか、教えるのか、とか考えてしまいました

痛手となったスト権スト

鉄道による貨物輸送に大きなダメージを与えたのが1975年11月末に行われたスト権スト。「国鉄の職員にもストライキの権利を」を掲げて1週間近く国鉄がストップしたもので日本中が混乱しました。ただ当時の状況を説明すると「スト権」を求めるのは分からないでもない。今では信じられないことですが、私鉄は普通にストライキをしていました。スト権ストのころは私も中学生となっていて記憶も明確ですが、全国でストライキとなると台風情報のように、テレビのニュースはストライキ情報を流し続けていました。「労使交渉が決裂したのでスト突入」から解除までのニュースを見ながら、うちの父も「明日は国鉄で行くか」と話していたものです

ストのおかげでプロ野球が中止されるぐらいですから影響は大きかった

今だったらライバル私鉄がストで止まってJRしか動かない、となったら、むしろかきいれどきとばかり張り切ったかもしれませんが、当時は「あちらはストができるのに、どうしてこちらはストができなすのだ」という理論となりました

そんな中、ストライキをされて最も困るだろうと予想されたのは旅客運輸ではなく貨物運輸。通勤通学の旅客は別の交通手段でも会社や学校に行けるし、何だったら休んでもいい(当時は在宅勤務という言葉はない)のですが、生鮮品などをはじめ、貨物には必ず期日内に届けないといけないものが多数あります

これに対して国側が行ったのは全国でトラックをかき集めることでした。テレビのニュースを見ながら「すごい数だな」と感心したのを覚えていますが、とにかくトラックを集めるだけ集めて列車代行を行った。「なんとかいけそうです」と安堵の表情の荷主がテレビに映る

この結果起きたのは「国鉄離れ」。全国で道路の整備が進むタイミングでもあったため、荷主からの信頼を失った鉄道貨物は大きくシェアを落とし、その後も減退一途。各地の鉄道駅で「貨物ヤード跡」が残ることになりました

すでに多くの赤字を抱えていた国鉄はさらに赤字が膨らむことになり、民営化の流れが加速することになります

そんなスト権ストがあったのは住民の反対運動によって南方貨物線の工事が中断していた、ちょうど真っ最中。工事に着手したころとは貨物輸送のニーズが変わっていたわけです

公園と橋脚は名古屋高速道路と出会ったところで、いったん途切れます。大きな道路に面しているので広告も分かりやすい

この真下を地下鉄の名港線が走っています

切れ目の向こうには橋脚を利用したというかサイズに沿った建物も見えます。中川運河と同じく向こう側に行けないのではないかとヒヤヒヤしましたが

すぐ北側に信号があってたどり着くことができました

現在はここ。まだしばらく公園が続きます

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その6

南方貨物線の橋脚の下には貨物車両が置かれている

2022年11月10日10時10分

超大回りを強いられる

中川運河と出会ったところで橋脚の姿は消えました。地図によると運河の向こう側に公園の「続き」があるはずですが、それにしてもこうやってじっくり見たのは初めてですが中川運河って大きいですね。予備知識なしに出会うと、この一級河川は何だ?と思うに違いない。貨物列車で運ばれてきた物資を輸送するため大型船も運航可能にしたのですから大きいのは当然ですが、日本における「運河」のイメージとはかなり違う。一般の河川のように山の源流からの水の流れがないので、そりゃあ水質も悪化します

以前も記しましたが、水に浸かっていると橋脚の腐敗が進みやすく崩落の可能性も高まるので廃線や未成線では真っ先に撤去される運命にあります

しかしここで探索を止めるわけにはいかない。右を見ても左を見ても運河を渡る橋はかなり離れている。ほぼ等距離のように感じますが右(南)側に向かうことにしました

途中、電気の量販店でお手洗いを借りたので徒歩20分。武道館から運河までが徒歩10分だったので、それよりはるかに長い距離を歩きました

そして地図では運河の横堀が続いているのですが実際は

すっかり埋め立てられていました。何に使用されるのか分かりませんが、少なくとも橋脚の姿はない。重機の向こうに南郊公園の「続き」が見えます。これまたやむを得ないので南側のホームセンター側から公園に再合流

スーパーに突き当たる。左側は公園なので確かに車は行き止まりです

スーパーとホームセンターに沿って再北上。付近は新しそうな住宅街となっています。一南方貨物線の沿線は港に近いこともあって工場や倉庫が多いのですが、その合間と合間に住宅街が形成されている光景を一連の探索でよく見ました。この付近も地下鉄名港線が通っていて名古屋中心部へのアクセスは容易です

貨物線と交差

再び公園の続きに戻ってきました

進んでいくと右手に橋脚が復活。歩いているうちに橋脚を見ると「安心する」妙な体質となってしまいました(笑)

ただ手前はきれいにお化粧されて再利用されているようですが、いったん途切れた向こう側は長年放置状態のようです

正面の緑の幕はテニスコート。声が聞こえてきます。もう肌寒いのですが、皆さん薄着で元気にボールを追ってらっしゃる。その傍らで橋脚を追う私は何なんだ、とつい思ってしまいます

マンション群に囲まれた未成線の橋脚という光景もなかなかのもの。考えてみれば分かりますがマンション群の中の鉄路が廃線や未成線になることって、基本的にはありません。それだけ人が多いということですから。貨物専用線という特殊な事情があり、おそらくマンションも先ほどの住宅街も未成線がほぼ確定してからのことでしょうが

テニスコートの部分は遊歩道が狭くなっています。その先には

鉄路がありました。こちらは貨物の名古屋港線。現役路線です。南方貨物線はこの貨物線をオーバーパスする予定でした

前回も掲載した公園の地図を再掲すると

今は左側の線路と公園が交差する場所にいます。こうして見ると名古屋港線に接続する計画だったのですね

線路を越えた逆側から。私は貨物のことは詳しくありませんが、この線路を真っ直ぐ行くと、今や幻の駅となった「ナゴヤ球場正門前」駅にたどり着くはず。そして明治時代から多くの貨物輸送でにぎわったこの路線も今は週に3本の運行となっています

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その5

愛知県武道館横の南方貨物線橋脚

2022年11月10日9時30分

今度こそ大願成就を

前回から1カ月半が経過。またもやあおなみ線に乗車し南荒子駅で下車。今日こそは完全走破しますよ。妙に暑い日があると困るので10月はパスして11月まで待って、もう朝はかなり冷え込むぐらいとなっています。さすがに歩くことは苦にならないでしょう

私も前回の失敗を踏まえ少し賢くなりました

前回ギブした武道館前からリスタートですが、荒子ではなく南荒子からバスに乗るのが効率が良いようで1時間に2本という時刻も調べてバスに乗車

武道館前で降ります。紅葉した木が物語るように季節は冬に向かって進んでいます

武道館の横には橋脚。現地では何も思いませんでしたが、こうして見るとなかなかのコントラストです。武道館の開館は1993年なのですでに橋脚はあり、所有者が国鉄からJR東海となって、せっかく建設した路線をどうしようかと論議していたころです。旅客路線として使う案もあったので「武道館前」という駅ができていたかもしれません。確かに武道館は鉄道のアクセスはそれほどよくはない

貨物の因縁がここにも

橋脚の北側は南郊公園となっています。ここは中川運河の一部を埋め立てた公園です

となると中川運河とは何か、という説明が必要になってきます。現在のあおなみ線「ささしまライブ駅」近辺は「笹島」という貨物駅でした。だったら笹島駅まで列車で運んだ貨物を名古屋港まで運べばいいじゃないか(もちろん港から鉄道という経路も成り立ちまて)、となったのが大正時代。昭和初期に掘られた運河は大型船も運行できる立派なものでした

今でも船たまりは残っていてクルーズ船が運行しているようです。あまり歩くことはないと思いますが、これから歩く南郊公園付近をゴールとしてみました。徒歩だと1時間というかなりの距離ですが地図を拡大すると運河は南北だけでなく細かく掘られていたことが分かります

ただこの笹島駅は結局のところスイッチバックせざるを得ない構造となっていて、その解消も兼ねたものが南方貨物線というわけです

この中川運河は排水に対する考えが今ほどなかった昭和初期のものですから、その後、現在に至るまで水質汚染が名古屋の大きな問題のひとつにもなっています

南方貨物線は用地獲得が容易なこの部分を走りました

橋脚の上は屋根がついているようだけど何に使用されているのだろう、なんて思いながらスタート

気持ちよく歩いていこうとすると、ちょうど公園の地図がありました

いつ掲げられたものか分かりませんが、興味深いというか一帯を明確に示してくれています。南北が逆になっています。右の縦の線路があおなみ線で左の縦の線路が今も現役の貨物の名古屋港線(現役といっても本数は極めて少ない)

あおなみ線から分岐する白い線が南方貨物線。未成線なので白で描かれているかもしれませんが、前回の9月、私はあおなみ線からの分岐をたどって南郊公園の南側(地図では上)にある武道館まで来たわけです。武道館が描かれているので少なくとも93年以降の地図ですね

地図は、とにかく公園を歩いていけばいい、と教えてくれています

ということでズンズン歩く。散歩の方が、いいナビゲーターをしてくれます。そして橋脚もズンズン進む。それなりの年齢の方のようなので南方貨物線について聞いてみようかと思ったぐらいです

歩いていくと遊歩道が狭くなっていって

この青い建物が地図で示したTOTAL GAKUENです

橋脚を再利用していますね

今は営業していないのでしょうか

と、ここで大きな問題が

目の前の中川運河を渡れません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その4

南方貨物線の橋脚

2022年9月26日12時40分

北海道の山中を思い出す

森の中に入っていくと公園というか遊歩道のようになっていました。貨物線の敷地が名古屋市に払い下げられて森になったと推察されます

そして現れた橋脚。高架線の遺構とポツンと置かれたベンチの対比がシュールすぎる。同行者がいれば、間違いなくここに座って記念撮影をしていたはず

橋脚が2つあるのは、ひとつが中部鋼板の工場への引き込み線となっていたからでしょう

この部分は橋脚がスパッと切断されています。下が遊歩道になるにあたって危険を考慮したのか。だったら、どうして他の部分が残されているのかは分かりません。単純に撤去費用が惜しかったからか

この光景を見て思い出したのは北海道の山中で見た越川橋梁です

訪問は2010年9月。こちらは斜里(現知床斜里)と根室標津(廃止)を結ぼうとした根北線の未成線部分で橋梁は早々にできたものの、斜里~越川の部分開通から十数年で廃線となったため、橋梁は使用されることなく終わりました

こうして今、写真だけを見ると戦前にできたものだけあって全く違いますが、国道の改良工事で国道の上の部分だけが切り取られている構造が似ているな、と思い浮かんだ次第

そもそも斜里町の山中と名古屋市内では随分と到達難易度が異なる。初めて行ったのは、これより数年前で携帯の電波が入らなくなり「こんなところでレンタカーにトラブルがあったら、どうしよう」と不安になったのを覚えています。南方貨物線沿線は携帯電話が広まった初期から圏外になったことはないはず

ただし越川橋梁

登録有形文化財ですが、南方貨物線はそうではありません

季節外れの猛暑

話を戻しましょう

遊歩道を歩いていくと看板で名古屋市の土地になっていることが分かります。そして写真ではよく分からないかもしれませんが随分ニャンコに出会う

器用に乗っかって決めポーズ。お見事!

ホーム跡のようなものがありました。ホームにしては小さすぎるし低すぎる。何でしょう?

この後は工場の敷地の南側に沿っていくことになります。道路も途切れ途切れで回り込みを必要とする。その道中で正保小学校の前を通ります。開校が1979年。南方貨物線は73年から80年にかけて住民の反対により工事が中断されています。ちょうどそのさなか。現在の「沿線」はすっかり住宅街ですが、工事の計画時では、まだそうでもなかったことが事象として分かります

再び橋脚。建物の入口部分だけ撤去されています

橋脚の下の部分は駐車場となっていますが、こうして見ると完全に現役の橋脚です

さて、この日の名古屋は9月末にもかかわらず最高気温が30度超えという真夏日。歩き始めて20分ほどで、かなりバテバテになってしまいました。ネコの写真を撮っていたのは休憩中です

建物と一体化した橋脚が途切れているのは名古屋市道環状線とぶつかるから

右側にチラリ写っているのは愛知県武道館。この橋脚から向こうが「本番」なのは、よくよく分かってはいたのですが、申し訳ありません。炎天下にギブアップ。たった30分の散策でした

近くにバス停がありました。あおなみ線の南荒子駅~地下鉄高畑駅~あおなみ線荒子駅という路線のようです。考えてみれば、朝のもっと早い時間帯に廃線跡を回ってからエアコンの効いたリニア・鉄道館に行くべきでした。あおなみ線のフリーきっぷを買うのだから、1度離れてもまた名古屋から乗り直せばいいのです

徒歩コースは、おおよそこんな感じ。正確にはあおなみ線の東側にある遊歩道を歩いています

ということで、もっと涼しくなってから再々チャレンジすることにしました。それにしても家電量販店や駐車場付きのコンビニがあって、これだけ交通量の多い200万都市の片側3車線道路に未成線があるなんて想像がつきません

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