1月10日訪問
手柄山中央公園から廃線跡をたどる
モノレール展示室を出て徒歩で姫路駅を目指します
実際のコースは少し西側の川沿いをできるだけ歩き(川沿いに廃線跡があるが必ずしも道路が並行しているわけではない)、新幹線の交差部分を越えたあたりは、やや北側に進路をとっています
川というのは船場川でモノレールはこの川に沿って敷設されました。住宅地を通るわけにはいかなかったのでしょう
すぐに橋脚がお出迎え。ただし「解体工事中」とあって、ここから先には行けません。他に解体されるものは見当たらないので対象は橋桁でしょう
川沿いにはまだいくつも遺構が残っています
グーグル地図の徒歩ルートは当然のように県道が選ばれていて(これはグーグル先生が極めて正しい)、大きな県道の向かいには巨大なイオン。目と鼻の先なんですが、まるで別世界のようです
いくつか残る遺構を見ながらどんどん進みます。遠くに遺構が見える部分もあるのでナビは必要ありません
かなりリアルな光景も見られます
なにゆえモノレールだったのか
モノレールの開業は1966年。昭和だと41年で半世紀以上前のこと。工事が始まったのは東海道新幹線の開業間1年後。橋桁を設置する手間や費用などを考えても、他に手段はないものかと思ってしまいますが「すべて高架なので踏切の必要がない」「急カーブに対応しやすい」など、今にして思えば画期的な理由が挙げられています。特に立体交差については将来の車社会を予期したもの。おそらく今ほど車は一般市民に浸透していないころで、これは先見の明があると感じます
もっとも当時の市長がアメリカで見たモノレールに大いに関心を持ったことがきっかけとい説もあり。東京五輪が開催され、高度経済成長をまい進する最中。東京モノレールの開業もあり「画期的な交通機関」に世の中の興味が集まっていた時期なのかもしれません
ちなみにJRとの交差部分にこのような説明板がありました
JRが地上を走っていたころ、踏切をやめて道路が線路をまたぐべく造られた大将軍橋の説明。モノレールより10年前に既にそのような予想があったのですね。結局は「ここだけ立体交差していても他の部分の線路がじゃまだ」ということになり、JRは高架化。この近辺では山陽電車とJRの上下が逆になるという大工事となり、山陽電車が1日だけ姫路乗り入れを中止して手柄を1日だけの終着駅にするという歴史的な日もありました
大将軍駅から姫路駅へ
その大将軍駅跡を目指します。橋の名前にもなったように大将軍というのは地元ではなじみやすい名前だったようです。由来の大将軍神社は今も健在。今回は立ち寄りませんでしたが、グーグル地図の通り歩くとローソンがあり、その裏手あたりにあります
ただモノレールは、やや北側から回り込む形となっていて地図では、道路がやや波打つ形となっている場所にあります。現在の姿は
空き地です。今から6年前に解体されてしまいましたが、10階建てのアパートの1、2階がテナント、3、4階部分が吹き抜けとなっていてモノレールがその中を貫通して駅が設置されるという、これまた画期的なもの。モノレールの廃線後も他の部分は使用されていましたが、阪神淡路大震災で建物そのものが弱っていることが判明。21世紀からは、ほぼ幽霊ビルのようになっていました。10年ほど前に姫路を訪れた際、写真を撮ったのですが、今回のブログ記事を書くにあたって、いろいろ探したものの見当たりませんでした
このあたりまで来れば姫路駅は間近。人も多くなり、遺構も目を見張るものになっていきます
屋根の上をモノレールが走るなんてすごいですね
この先はもう姫路駅です。山陽電車の姫路駅の脇に出ます
話はややそれますが、山陽電車の姫路駅は昔のターミナル駅の風情が強く残ります。姫路を訪れる際はJRや新幹線利用の方が圧倒的に多いかもしれませんが、ぜひこちらにもお立ち寄りください
姫路モノレールの遺構は2年前、土木学会の選奨土木遺産に選ばれました。「全国に先駆けた自治体経営のモノレールで、戦後姫路の躍進と大志の結集体」という評価。ただし選ばれたのはあくまで手柄山の展示場。橋脚の遺構については撤去作業中で危険性もある、との理由で選ばれませんでした。とても残念
今回紹介したものは1月時点でのもので、それからさらに撤去、解体が進んでいると思われます。これから気候もよくなっていきます。地歩にして30分ほどと手頃で、しかも姫路の町の真ん中。ある意味「アクセス抜群の廃線跡」といえます。ぜひ、訪れてみてください
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