青空フリーパス

10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その7 ようやくかなった「ぼっち」訪問

田本駅の駅名標

※訪問は2024年10月27日

※動画あり。音声注意

「本来の姿の駅」に訪問

田本駅に到着。12年ぶりの訪問だが、状況は全く異なる。前回は秘境駅号でやって来たので、駅を味わうなどということはなく、駅を訪れた記録だけが残った感じだ。今回は本来の田本駅の姿と対面

ということで、静寂感漂う駅へ「ぼっち」の下車となった

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誰も降りない超有名駅

田本駅の2022年の1日の利用者数は「2」。そしてこれは最下位ではない。「1」があるのでビックリするが、それはこの後に出てくる。この数字には今回私が使用している青空フリーパスや青春18きっぷのような、いわゆるフリーきっぷの利用者は含まれない。もちろん秘境駅号の利用者も入らない。この駅から正規の乗車券で乗車または下車するとカウントされる。だから秘境駅号で田本までの乗車券と急行券を買って下車するとカウントされるのだが、そのような秘境駅号の客はまずいないだろう

ただ利用者数と反比例するように知名度は抜群だ。田本駅で検索すると駅紹介や訪問記、動画が数え切れないぐらい表示される。鉄道ものではない一般メディアでも紹介される。その意味では私の訪問記は甘いものかもしれないが、ここはお付き合いを

田本駅といえば、狭いホームと断崖絶壁のコンクリート壁。停車中の電車があると分かりやすい。ホーム幅は2メートルは絶対にない。ちゃんと点字ブロックがあるのが素晴らしいが、これより後ろで電車を待つとすれば、幅1・5メートルほどだろうか

知名度が高すぎるので説明するまでもないが、駅舎などというものはなく、単式ホームと扉のない待合所があるのみ。背後はコンクリートで固められた壁で線路の向こうは天竜川への絶壁。つまり断崖絶壁に囲まれている。いくらでも木の葉が舞い込んできそうだが、待合所はきれいに清掃されていた。足下にあるのは「ここで待て」サインだろうか

JR東海は待合所にもちゃんと財産票を張ってくれている。「昭和10年」というのは開業時のものだが、データによると開業は11月。少し遅れて設置されたことになる。開業させたのは三信鉄道。もともと駅の設置予定はなかったが、地元住民の懇願で門島~温田が開業した時に同時開業となった。線路の敷設とともに設置された。環境が環境だけに後からだと設置はなかったかもしれない

駅の前後はともにトンネル。かなりのスピードが出るようだ

唯一の出口からは山道

出入口は豊橋側に1カ所のみ設けられている

きっぷを入れるポストがあって、その先は

人が1人ずつすれ違うのがやっと、という細い階段。線路をまたぐ形で「下界」へと出る。途中まではハイキングコースというか山道のようだが、途中で分岐があり泰阜村、阿南町どちらへも行けるようになっている(阿南町へ向かう際は橋で天竜川を渡る)

こちらは田本の集落へと向かうコース。途中の道は険しいが、意外と近い。県道まで10分ほど山道を歩くと、もう「安全」らしい

田本駅を俯瞰で見る

田本駅といえば

階段を登り切ったところからの俯瞰だろう。列車の写真が写り込んでいれば、なお素晴らしいが、いかんせんダイヤというものがある

列車が写り込んでいるといえば12年前の写真

2012年11月のものだが、これは人が多すぎる。知らない人が見ると、いったい何の写真かということになる

こちらは階段の順番待ち。階段が狭いので初詣の本殿参拝待ちのような状況だった。ただ列車はホームに止まったままなのでホーム縁を歩いても危険はない

こちらは田本駅の時刻表。1日に8・5往復の停車と、この環境では多い方だが、事前に時刻表をチェックしないと2時間以上の待ちとなる。当然だがお手洗いも自販機もない(県道まで出れば自販機があるようだが、一度行った山道を帰ってくるのが面倒そうだ)

私は8時11分着で来て同47分で去るという、1日のうち上下ともここしかない1時間に2本のダイヤを利用した

とにかく雨にならず良かった。次の駅へと向かおう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その6 朝から普通も通過の洗礼

温田駅の駅名標

※訪問は2024年10月27日

青空フリーパスを手に

朝の飯田駅。路線内では貴重な光る駅名標がまぶしい。そして手にあるのは

正確に数えてはいないが、当ブログではおそらく青春18きっぷの次に利用頻度が高い青空フリーパス。今日は飯田から豊橋まで徐々に南下して帰路に着くので心強い味方。飯田から豊橋までの運賃は2640円(なかなか絶妙な料金設定だ)なので、どこかで1駅でも後戻りすれば、元はとれる。そもそも豊橋から名古屋までは在来線に乗車して名古屋から新幹線に乗るつもりなので、その時点で元はとっていることになる

本当は飯田駅で買ってあげたかったが、窓口の休憩時間などがあるかどうかも分からなかったので念のために前日の新幹線からしなのへの乗り換えの際、名古屋駅で買っておいた(結論としては飯田駅の窓口はずっと開いているようだった)

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時刻表の小文字に注目

単色の案内表示が新鮮に見える朝7時前の飯田駅。7時5分の豊橋行きに乗る。当然だが豊橋に直行するわけではない。この列車の豊橋着は11時16分で4時間という鈍行旅。1時間も同じ乗り物に乗ると飽きてしまう私には無理。目指すは鉄オタ界隈では新幹線の駅並みに著名な田本である。ただ案内表示には赤文字で「停車しません」と流れている

文字が小さくて分かりにくいかもしれないが、時刻表には何やら書き込みがある。当該列車には※印が打たれていて、いくつかの駅を通過する旨が下にあり、その中には当然のように田本もある。「各駅停車」はすべての駅に停車するものだが「普通」は通過駅も存在する。つまり、この列車に乗っても田本は通過してしまうのだが、方法はあり、ひとつ向こうの温田まで行って引き返すと比較的簡単に田本まで行ける。もっともこのような方法で「簡単に」田本に行くのは同業者(鉄道ファン)しかいないだろうけど

貸切列車で向かうと…読めません

ということで約1時間かけてまずは温田へと向かう

日曜の朝7時とあって、私が乗った車両は見事に貸切だった

飯田や駒ヶ根、そして豊橋近辺など生活圏の電車という側面と全くの山中を走る秘境列車という2つの側面を持つ飯田線だが、飯田市の郊外を過ぎるとすっかり山中の鉄道となった。そして

温田に到着。当駅では列車交換の待ち合わせがあり、8時1分に到着した豊橋行きがしばらく停車。飯田行きを待ち受け、すれ違いをした後にまた別れていく。飯田行きの発車は8時8分なので、少しだけ時間がある

渋い木造駅舎が残る。1935年(昭和10)に三信鉄道によって設置された。飯田線の元の形が複数の私鉄なのは有名だが、辰野から天竜峡までを伊那電気鉄道が、豊橋から三河川合までを豊川鉄道と鳳来寺鉄道が敷設。そしてその間を結んだのが三信鉄道である。三河と信州を結ぶので1文字ずつとって鉄道名とした。つまり静岡県も含む県境の山深い部分を担ったため、飯田線の「有名駅」は、ほとんどが三信鉄道が開業させた駅である。駅舎は戦後に改築されたもののようだ

そしてサムネの写真を改めて掲載する

駅名は「ほ~」という感じがするが、自治体名にはルビがない。「やすおか」村と読む

そして、ここ温田は村役場ともうひとつ、天竜川の向こうとなる阿南町の玄関口としても機能している

駅の場所が泰阜村のかなり南の方にあるため、JRの駅としては門島の方が近いが、道路事情などから温田駅が2つの自治体の玄関口となっている。病院や学校は徒歩圏内。特急「伊那路」停車駅で2022年の1日あたりの乗降客数は302人と付近の駅と比べるとかなり多い。上下列車が同時刻発車ということもあって、駅にはかなりのお客さんがいた

駅からの天竜川の眺め

上下列車が格好良く並んだところで、いよいよ田本に向けて出発しよう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その5 リニアの到着を待つ県第5の都市

飯田駅の駅名標

※訪問は2024年10月26日

14年ぶりの訪問

飯田駅に到着。伊那上郷からは桜町をはさんで2駅目だが、5分もかからず到着してしまう駅間の短さが飯田線ならではである

飯田駅は路線名が表すように200キロ近い全線の根幹をなす駅だが、当駅始終着の列車は意外と少ない。辰野方面からやってくる列車は天竜峡止まりが多く、言い換えれば天竜峡止まりから南側は閑散地域ということになる。ただし飯田線に入ってくるJR東日本車両については飯田駅が南限となっている

2010年以来、14年ぶりの訪問となった

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焼肉を食べよう

飯田駅の訪問はこれが2回目。2010年の東京勤務の時代、夏季休暇をとって神戸まで帰ってきたのだが、当時は諏訪、松本と訪問した後、飯田線を貫いて豊橋経由で名古屋で途中下車した後、帰路についた。その後は秘境駅号で天竜峡で折り返したほかは、湯谷温泉駅の駅舎が取り壊しとなる寸前の2019年に小和田駅とセットで訪れたぐらいだ。もっとも豊橋~豊川の都市部近郊は何度も乗車しているが、こちらの都市路線は「別物」としておこう。つまり辰野~天竜峡は2回目の乗車となる

飯田駅は1923年(大正12)の開業。伊那電気鉄道によって設置された。現在の駅舎はJR移管後のもの。X(旧ツイッター)のフォロワーさんに教えてもらったのだが、赤く丸みを帯びた屋根や正面の装飾はリンゴをイメージしたものだという。もちろん管理駅で全線きっぷうりばもある

構内も広い。2面3線構造で列車によって発着ホームは変化するようだが

偶然出くわした出発を待つ特急「伊那路」は、跨線橋を渡らずに済む改札のある1番線から発車する。飯田~豊橋を結ぶ1日2往復のみの飯田線唯一の定期優等列車。14年前、豊橋へと向かうべく駅で特急券と指定席券を買おうとしたら「自由席でも十分座れますよ」と言われた記憶がある。確かに観光のシーズンオフで悠々の自由席だった

駅前には渋めの建物が並んでいるが、駅から数分歩いた場所が繁華街の中心のようだが、ずっとにぎやかな場所が続く

飯田市はかつては飯田城の城下町、宿場町として栄えた南信州の中心地で生糸、精密機器でも有名となった。人口は約10万人で県内第5の都市である。伊那上郷駅でも学んだことだが、飯田駅から坂を下っていく形で繁華街が形成されている

前回は馬肉を求めて街を歩いたが、テレビで焼肉店が多いことを知った。確かに検索すると、たくさんのお店が並ぶ。人気店を1週間前から予約してお腹を満たした

リニア後の交通体系に注目

駅前の高速バス乗り場で時刻表を眺めて分かるのは東京、名古屋へのバス便の多さ、特に東京への本数の多さだ

こちらは東京(新宿)行き

そしてこちらが名古屋行き

特に東京行きの午前中の多さが目につく。このバスは飯田線に沿うように駒ヶ根、伊那、辰野などで細かく乗客を拾って八王子や三鷹を経由して新宿へと向かう。所要時間は4時間から4時間15分で料金は平日と休日及び休日前日で異なるようだが、平日なら4600円、ネット割引なら4000円からとなっている。停留所があるため、辰野まで1時間かかるが、それでも岡谷経由の中央本線、豊橋経由の東海道新幹線と比べても速い(豊橋経由は時間はほぼ同じだが特急が1日2本しかない)。そして何よりも安い。これは本数も多くなるはずだ

だが、リニア新幹線が開業すると現在の想定では品川まで45分、名古屋までは25分と大幅どころではない短縮。運賃の方はまだ発表されていないが、想定では8000円ぐらいになりそうだ。もちろん日帰りも可能となる

現在、飯田駅始発で駒ヶ根や伊那などは高速道路上に停留所がある便とは別に、駒ヶ根の街中を始発とするバスも数多く運転されていて東京への輸送はバスが圧倒している状態だが、リニア開業となると飯田のみならず、飯田線沿線の主要都市とリニア駅最寄りを結ぶ優等列車や快速が運行される可能性もある。まだまだ先の話だが、現状の力関係がどうなるかは注目ポイントのひとつである

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~(番外編)リニア駅予定地は「誤字」ではない

美乃坂本駅の駅名標

※訪問は2022年10月8日

中津川から1駅南下

前回の記事と前々回の記事に間違いがありました。訪問日を「2024年10月8日」としていましたが「2022年10月8日」の誤りです。先ほど気付いて訂正いたしました。今回も2年前の同日の話です

やって来たのは中津川からひとつ名古屋方面の美乃坂本駅。「中津川以北」のくくりだが、どうしても紹介したい駅で、このタイミングでしか紹介する機会がなかないと考え、ここで記事とさせていただくことにする

パッと見て目につくのは「美乃」の文字。ここは岐阜県そして美濃地方。だったら「美乃」ではなく「美濃」となるはずで、元々が「美乃坂本」という地名だったのか、それともひょっとして間違いのまま駅になってとまったのかと思ってしまう。以前も紹介したが

IGRいわて銀河鉄道の「奥中山高原」駅の例もある。ただ事情は多少異なるようだ

当駅の開業は1917年(大正6)。両隣の中津川、恵那(当時は大井駅)がともに1902年(明治35)の開業で15年が経過してから、その間に設置された。駅名は当時の所在地である坂本村(現中津川市)に基づくが、すでに坂本駅が熊本県にあったため、多くの駅と同様に旧国名である「美濃」を頭に付けようとなったが、「濃」という文字が難しい、地元では略字として「美乃」の文字を使用しているので駅名もそちらにしてほしい、と要望したところ認められたという歴史を持つ。今だったら、ちょっとあり得ない話だが、国鉄側も寛容な時代だったのか、書類を受理した人が懐の広い人だったのだろう。以降100年以上、駅名は美乃坂本のままである

リニアのもたらす変化

駅舎は開業時からのものが、そのまま使用されている。昼間は名古屋から直通の電車が1時間に2本運行され、特急停車駅ではないものの2022年度の1日あたりの利用者は2191人と多い

営業時間に制限はあるが「全線きっぷうりば」がある。JR東海では「みどりの窓口」という名称やロゴを使用しないのが原則だが、昔からの施設をそのまま使っているからか、みどりの窓口のロゴが残る

ただ、この駅にも近々大きな変化がもたらせられることがすでに決まっている。記事の最初の写真で駅名標の向こう側に工事を行っている様子が見えるが、これはリニア中央新幹線の工事。2年前の写真なので、現在はもっと進んでいる。当駅がリニアとの乗り換え駅となる予定だ

駅舎と逆側のぽっかり空いた場所にリニア駅ができて車両基地も設置される予定。と同時に駅は橋上駅舎となって、リニア駅とは自由通路で結ばれる。橋上駅舎となるからには大正期の開業以来の駅舎ともお別れである。またリニア駅は現状では駅名がない。仮称として「岐阜県駅」となっているが、まさかこのまま正式駅名にはならないだろう。その場合は乗り換えとなる当駅も駅名が変更される可能性がある

個人的には駅名決定の経緯に歴史的価値がある「美乃」を残してほしいとは思うが、まだまだこれからの話だ

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~長野県最初の駅は何もなく…ではなかった

田立駅の駅名標

※訪問は2022年10月8日

ホームと階段があるだけ

列車はいよいよ長野県に入る。記事上のスタート地点を中津川にしているので、すぐやって来たように見えるが実際は、この日も朝から青空フリーパスで名古屋からスタートしている。愛知県、岐阜県で何駅も降りながら来ているので、ついに長野県まで来たか、という感覚だ。ちなみに時刻はお昼の12時すぎ

ご覧のようにホームと待合所そして階段があるのみ。掘削された場所に設けられている

今いるホームは塩尻方面で向かいが名古屋方面。待合所は「部屋」になっているわけではなく、むき出しで屋根とイスがあるだけ。いかにも山中の県境といった静かな駅である。元々は信号場だったということで、納得できる

階段を昇ってビックリ

予定では、ここが本日の訪問駅では「最北端」となっている。向かいホームから中津川行きに乗車するつもりだが、この駅は跨線橋というより公道を経由する形となっているようだ。とりあえず階段を昇ろう。と、そこにあったものは

何やら建物とバス停。「田立花馬の里ひろば」と看板が掲げられていて入口は開放されている。入ってみると

これはどう見ても駅の待合所である。ただ雰囲気はJRのものではない

その証拠といっては何だが、最近なかなか見なくなった電話がある。調べると、こちらは南木曽町営の待合所。建物の前は広い駐車場となっている

旧田立村の駅

田立駅は旧田立村に基づく。明治の町村制施行以来、ずっと田立村だったが、1961年(昭和36)に複数の村が合併して南木曽町となった。駅前の広場を中心に街がある。実際に降りたっても地図で見ても納得だ。町営の待合所の「田立花馬」は年に一度、毎年6月に行われる祭りで、花で飾った3頭の馬が駅から五宮神社へと練り歩き、その花は住民が厄除け、虫除けとして持ち帰る

駅は前述した通り、1929年(昭和4)に信号場としてスタート。戦後の1948年に駅に昇格した。ただ歴史をたどると1973年に中央本線の複線化に伴い、駅の位置が大きく変わっている。以前の駅は1・5キロも南木曽寄りにあったという。当駅から隣の県となる坂下までが2・8キロで、同じ町内となる南木曽までは6・3キロと離れているのは駅移動のためだろうが、1・5キロ南木曽寄りとなると、集落から大きく離れた山間部となつてしまう。移動のおかげで旧来の村の中心部に駅ができたとことになる。ちなみに長野県最西端の駅となっている

駅は名瀑の「田立の滝」の最寄りではあるが

こちらはとても徒歩では行ける場所ではなく、ガイドによると車で行く場合も駐車場から、かなりの徒歩を要する。公共交通機関の場合もタクシーがいる坂下、南木曽両駅からのタクシー利用が推奨されているようだ

こちらは駅のホーム案内。公道を利用しての移動となるが、名古屋方面行きの階段のところで公道は終わっていて、そこは農地である

「やっぱりホームだけの駅だよな」という下車した時の感想と、その後の驚き。なかなか貴重な体験ができる駅だった

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~すぐそこは県境、始終着列車も

坂下駅に到着

※訪問は2022年10月8日

2区間のみの電車

11時すぎの中津川駅。当駅始発の電車に乗車

ビックリするぐらい乗客がいなかった。週末の昼間なので、こんなものなのかもしれないが、乗客の少ない理由は明白だ。中津川を出ると前記事で紹介した落合川に停車すると、次はもう終点の坂下駅なのだ。春から秋にかけての中央西線の週末は観光客も多く、原則2両の電車はかなりお客さんが乗っているが、たった2区間、9分で完結する電車には観光客もあまり用事はないようだ

このような短い区間で完結する列車の設定は各地でもそれなりにあって、当ブログでも五能線の能代~東能代(1区間)、高山本線の高山~飛騨古川(3区間)を紹介した。特に五能線の1区間については、この区間運転の方が他の列車より多いほど。沿線人口や利用者数に基づくものが多いが、中津川~坂下については県内完結である。しかも複線電化区間の一部というのは、ちょっと珍しい

長野県との県境はすぐそこ。何なら前記事でも紹介した落合川駅は同じ岐阜県にもかかわらず線路の距離が6・1キロもあるのに対し、長野県側の田立駅は2・8キロしかない

開業時からの駅舎

ただ落合川とは異なり、駅舎は風格のある木造駅舎を有する。開業は1908年(明治41)。中津川から当駅まで延伸された際に開業。約1年間、終着駅だった(その後、現在の南木曽まで延伸)

平成の大合併までは坂下町の駅だった(開業時は坂下村)。駅の周辺は坂下町の中心部が広がる。車窓からの眺めだと中津川を出た列車が木曽川沿いの山中に入り、再びパッと開けて坂下の町に到着するイメージだ

坂下は沿線の他の地域と同様、森林で栄えた町で、かつては当駅から森林鉄道も出ていた

こちらはホーム上の待合所。S16(1941年)8月の財産票が張られている

こちらは駅舎内の様子。簡易委託化されているが無人駅ではない

2022年度の1日あたりの乗降客数は537人。これは中津川~塩尻では木曽福島駅に次いで2番目に多い数となっている(中津川、塩尻を除く)。区間運転が行われるのも納得だ

ただ駅舎内にはこのような掲示が

訪問時の窓口営業時間は金~火曜日の午前中のみとなっていた

私の訪問は2022年10月だが、その年の春のダイヤ改正までは当駅から名古屋まで直通する電車も運行されていた。早朝には名古屋行き快速もあったが、現在は中央西線の特急以外の列車はすべて中津川で運行が分断される形となっている

現在は都心部の利用者数千人の駅でも、あたりまえのようにほぼ無人となっている駅も多い。ただ利用者としては駅を降りた時に駅員さんがいる安心感は何とも言えないものがあるのは、否定できない事実である

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~ホームからの景色は川のみ

落合川駅は島式ホーム

※訪問は2022年10月8日

奈良井駅で火がつく

6月に木曽平沢から徒歩で奈良井に到達したときのこと。駅舎内で張り紙が目にとまった

塩尻市のコミュニティバスの時刻表。塩尻駅から奈良井駅までを結んでいるようだ。当然のように青空フリーパスで行けない洗馬、日出塩、贄川の3駅も含まれている。これは良い情報ではないか。と同時に「こうなったら、幹線上のローカル区間の全駅訪問をしよう」

急に気持ちに火がついた。結果的にこの日は列車の遅延で、もともと予定していた駅訪問がいくつか行けなくなった。その分、倉本駅のような出会いもあって満足はしたが、ならば行けなかった駅はもちろん、すべての駅を訪ねたい。幸いにも9月に長野県に行く用事がある。この時に頑張って回ってみようということになった。この区間は中山道の旧宿場町も多く、古い駅舎がかなり残るのは、これまで紹介してきた通り。もっとも2年前までに名古屋から南木曽の手前まで中央西線の駅はすでに訪問済み。まずは、その中での中津川以北の3駅の紹介から始めよう

目の前は川だけ

ちょうど2年前の今ごろとなる10月8日、私は中津川駅にいた。名古屋から徐々に北上。手にはもちろん青空フリーパス。普通だと当駅で強制乗り換えとなる。さらに時間の許す限り駅訪問を行おう

やって来たのは

中津川のお隣の落合川駅。ご覧の通り駅舎はなく、待合所があるだけ

ホームに降り立つと

目の前は木曽川で民家は川の向こうに並んでいる。駅前が大きな町だった中津川から、わずか1駅で景色は一変した

目の前の川は落合ダム。木曽川に設けられた発電用のダムで1926年(大正15)竣工と歴史は古い。落合川駅は、それより少し先の1913年に信号場として設置された。ホームからの景色だけだと、まさに信号場だが、本来は中山道の落合宿に基づく。旧落合宿を中心にした落合村が1956年(昭和31)まで存在したが(現在は中津川市)、線路が木曽川沿いに敷かれたため、駅は村の中心部から、かなり離れたところとなった

明治生まれの駅が多い中央西線で、設置が遅れたのは、このような事情もあったとみられる

「駅前」はない

写真には工事中となっている箇所が多く写っているが、これは直前にあった豪雨で斜面の崩落があったため

駅を出ると人が1人通れるスペースしかなく

コミュニティバスもやって来ない時期となっていた。もちろん現在は復旧しているが

逆側の道路を見ても大変狭い。いわゆる「駅前」や「ロータリー」とは無縁の駅である

それでも以前はこの場所に木造駅舎が建っていたという。JR移管よりかなり前に現在の姿となっている。その分、駅名板の字体はかなりクラシックで、味わいはある。ダムをぼんやり眺めるのもいい時間だった。全国に多々ある「落合駅」は、どこの駅も特徴と歴史があって興味深い

ただ、こんな場所にあるのでは利用者もほとんどいないと思われるかもしれないが、2022年度の1日あたりの乗降客数は45人で、先に紹介した倉本駅の28人よりも多い。中央西線37駅(金山と塩尻をのぞく)中33位である

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~木曽義仲旗揚げの地は「中央東線最後の駅」

宮ノ越駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

通過時に見えていたもの

倉本駅から4駅北へと戻って宮ノ越駅に到着。今日はこの後、特急利用はしないつもりなので、中津川以北の駅は最後の訪問駅となりそうだ。例によって情報のインプットなしでの下車だが、その前の通過時に重要な情報が分かっていた。この写真の右側、現在は使用されていない貨物ヤードのホームにのぼりが見えているが、これが車窓からよく見える

これ以上の情報はないだろう。基礎部分の石に日義村と書かれている。現在の駅舎の住所は「木曽町日義宮ノ越」だが、平成の大合併で木曽町が成立するまで、当地は日義(ひよし)村だった。村の名前については木曽義仲にちなみ「朝日将軍木曽義仲」から2文字をとったという

駅名は中山道の宿場町、宮ノ越宿に基づく

こちらは駅にあった周辺案内図。少し歩くと宿場町だが、中山道が整備されたのは江戸時代。それより500年以上前となる木曽義仲に関連するものが多い町となっていて、史跡や記念館がある

中央東線と中央西線

話が後になってしまったが、こちらが駅舎。説明するまでもないが、年季の入った木造駅舎が残る

扉部分や窓枠はアルミ補強されているが、風格ある駅名板もある。駅舎は開業時からのもの

財産票によると駅舎は1910年(明治43)にできた。駅の開業が11月なので、それより2カ月前に竣工したようだ。開業時は塩尻方面から伸びてきた中央東線の終着駅だった。以前も触れたが、中央東線と中央西線は現在のように塩尻で分かれた愛称ではなく、東京方面からと名古屋方面から、それぞれ延びてきた線路の終点までを東線、西線とした正式名称としていた。終着駅として存在したのはわずか半年で、翌年の5月には木曽福島まで線路がつながり途中駅となったのだが(現在、両駅の間にある原野駅は戦後の開業)、これで東線と西線が一体化。と同時に東京から名古屋までの路線は、中央本線という現在の名称となった。つまり宮ノ越は中央東線で最後に開業した駅ということになる

駅は国鉄末期に無人化され、きっぷ売り場も手荷物受付ともに固く閉ざされているが、手荷物受付がアルミ補強されていることで、無人化ギリギリまで扉が開閉されて使用されていたことが分かる

駅舎内の木曽義仲と巴御前。外に掲げると傷みが激しくなるので、ここに置かれているのだろう。木曽義仲は最期が分かっている武将だが、巴御前の方は木曽義仲と鎌倉の和田義盛という2人の武将に仕えたということになっているが、ナゾが多く、その分、映像化の際はいろいろな脚色をしやすい。ゲームにおいても人気キャラとなっている

当駅も800メートル以上の高地にある。古い駅で定番の温度計。お昼の13時半、最も気温が高そうな時間帯でも25度とさわやかだった。この後は中津川行きの電車に乗って名古屋経由で帰路につく

もともとは木曽平沢とはどんなところか、というだけの企画だったが、ここまで来ると他の駅も気になる。もっと言うと青空フリーパスから外されたわずか3駅は大いに気になる

機会を見てチャレンジしなければならない、と思いながら電車に乗り込んだ

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~何もなさすぎる場所に立派すぎる木造駅舎

倉本駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

ホーム移動は公道経由

ホームをどんどん中津川方面へと歩いていくと、やがてホームの端も過ぎ

たどり着いたのは公道。右側が線路をくぐる形となっていて、そちらに向かうと駅舎側に行けることは分かる。左側は「登山道 空木岳」と書かれているが、そういえばホーム上の待合所にこのような名所案内があった

ちゃんと読みも入っているが「海抜2864メートル」って簡単に言われても困る高さである

ということで登山道側は私には無縁のものだということが分かったので駅舎側へと出る

出たところにあったものは坂道と、わずかに頭をのぞかせる屋根。前を行っていたご婦人がそこを登っていく。左側を見ると

国道そして、その向こうは木曽川。つまりは何もない。店舗はもちろん民家もない

あらためて坂道を登ると、そこにあったのは立派な木造駅舎だった

信号場としてスタートした歴史

ここからは後に学んだこととなる

倉本駅は1914年(大正3)に信号場としてスタートした。道理で周囲に何もないはずだ。駅へと昇格したのは戦後すぐの1948年(昭和23)で、この時に「倉本」という駅名が付けられた(それまでは立町信号場。ちなみに現在、当駅から塩尻側が複線で中津川からは単線となるので信号場的な役割を果たしてはいる

高台のスペースが少ない場所に設置されているが駅名板も重厚。財産票によると駅舎は駅に昇格した時に建てられたものだ

当然のように無人駅で窓口も手荷物受付もともに板でふさがれているが国鉄末期まで有人駅だったという

駅舎内には向かいホームへの案内がある。字体から、かなり古いものだと推測できる

駅舎の逆側から少し離れた場所が倉本の集落となっていて、旧中山道がその中をぬう。ふだん駅を利用する方は、こちらの方だろう

自転車置き場が坂の途中にある。訪問時の台数は1台。2022年の1日あたりの平均利用者は28人。これはJR東海の中央本線では37駅中35位(塩尻、金山をのぞく)と下から3番目。もっとも駅周辺を眺めると28人の乗降があることが凄い

駅舎内の告知板

少し時間があるので再び国道まで降りてみる

国道なので車の通行量はあるが、歩道を歩く人の姿はない

コミュニティバスの立派な停留所があった

さすが材木の上松町。現地産のヒノキで造られている

中津川方面へは約20分の遅れだったが、塩尻方面へは定刻で動いているようだ。駅へと戻ろう

ちょうど貨物列車がやって来た。いい光景だ

駅舎側にも空木岳への案内があることに気付いた。調べてみると当駅からの道程は空木岳登山の有力コースのひとつだそうだ

駅舎内にはこのようなものも残されていた。登山者のための気象情報のようだ。有人駅時代は駅員さんが日々書き込みをしていたのだろう。冒頭が「S」と固定されていることから、無人化された後、ずっと更新されず、それでももしもに備えて捨てることはできず、そっと置かれたままになっているのか

列車が遅延したため時刻表優先で降りてみた駅だが、こういう「たまたま降りてみた」駅こそ、いろいろな発見がある。だからこそ「ふらりの降り鉄」はやめられない

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青空フリーパスの木曽平沢ってどんなところ?~列車遅延で降りた駅は出口が分からず

木曽福島駅の駅名標

※訪問は2024年6月22日

木曽山中の要の駅

木曽福島まで戻ってきた。言わずと知れた中央西線の要の駅で木曽観光の拠点で全列車が停車。中津川~塩尻の山中では原則的に特急は当駅のみ停車が多いので特急「しなの」に乗車したことがある人は降りる降りないは別として名前は知っているはず。もちろん管理駅。大きな島式ホームを持つ

駅は1910年(明治43)の開業。駅舎は1981年(昭和56)に現在のものとなった

時刻表がアテにならない

奈良井から中津川行きの電車に乗車したのは11時20分。青空フリーパスは米原まで乗車できるが、さすがに名古屋からは新幹線に乗るつもりだ。だからまだまだ時間はある。せっかくなので長野県内の中央西線の駅をいくつか回ってみようと思ったはいいが、ここで路線内の遅延を知る。特急の遅れらしい

中央西線はほとんどが複線化されているのだが、いくつか単線区間があり、この区間に集中している。幹線でなおかつ東海道本線に何かあった場合のバイパス線の役割を担っていたため、すべて複線化する予定だったが、東海道新幹線の開通によってバイパスとしてのニーズはほとんどなくなった。中央本線から篠ノ井線へ入るためには塩尻駅でスイッチバックする構造になっていたのも、バイパスの役割があったからだが、こちらが解消されているのはご存じの通り。ただでさえ狭い山中を走る中央西線は複線化工事が難しい地域なので、全線複線化の計画は消滅している

上下ともに1時間に1本走る特急の他はいくつかの貨物列車と2時間に1本程度の普通が走るだけなので、単線区間は駅での列車交換(すれ違い)で間に合う。中央西線はすべての駅での列車交換が可能である

ただ遅延発生時の対応はダイヤを多少変更しなければならないので、このように単線と複線が混在する区間は上りと下りがどこでどのように遅延しているか、さっぱりお手上げだ。上りで降りて下りで駅を去る、下りで降りて上りで去るという方法で駅を回っているので、ひとつ間違うと普通しか停まらない駅で長時間ぼんやりすることになる。奈良井駅で待っている間に時刻表とにらめっこしながら、いくつかの駅を回ることを決めたが、あまり効率が良すぎるとタッチの差で逆方向の列車を逃しかねないのでダイヤ通りだと駅で1時間待ちぐらいの駅をチョイスして回ってみることに。そこで最初に選んだのが倉本駅

20分遅れで到着

例によって何の情報も事前にはない。駅は木曽福島から2駅。要は朝に立ち寄った上松のひとつ中津川寄りの駅である

ということで時刻表から20分の遅れで倉本に到着。下車したのは私ともう一人のご婦人。290と書かれたキロポストがあるが、これは旧線(辰野支線)経由の距離と思われる(新線経由だと278キロ)。しばらく手が入っていないことに駅の古さを感じさせる

向かいに木造駅舎が見える。とりあえずはそこまで行こう。ただ跨線橋も構内踏切もない。どうやって行くんだ? 前を行くご婦人だけが頼りである

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