青春18きっぷ

青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~知名度抜群の県境駅

上郡駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

何かと見聞きする駅は

相生から西へ向かう山陽本線は有年そして、ここ上郡のわずか2駅で兵庫県と岡山県の県境に到達します

降りたことはないけど駅名だけは知っているという駅というのがあるのではないでしょうか。都市圏で運行される電車の終着駅となる駅によくあるケースで近畿圏では「野洲」「網干」などが挙げられます。上郡もそのひとつ。今は運行がなくなりましたが、赤穂線の備前片上駅は大阪・神戸方面への直通列車が走っていて「一体だんなとこやろ?」と子供心に思っていました

上郡もそんな駅のひとつで鳥取方面へと向かう「スーパーはくと」の停車駅としての案内が必ずある上

近畿圏のフリーきっぷが発売されると一番左に印字されていることが多い。市町村合併の影響もありますが、このきっぷで言うと利用区間の限界で自治体で言うところの「町」にあるのは上郡だけ(関西空港駅は田尻町と泉佐野市にまたがっている)

山陽本線の姫路以西は相生ダッシュの項で触れたように、多くが赤穂線直通へとシフトしましたが夜には大阪方面から上郡が終着となる電車が今も運行されています

古来からの重要地域

と延々説明してきましたが、私がちゃんと同駅に降りたのは2018年6月のことで全くの最近。上郡という駅の存在を知ってから40年以上が経っている

時間は22時前。鳥取から帰る際、それまで乗ったことがなかった「スーパーいなば」にどうしても乗りたくなった私はスーパーはくとではなくスーパーいなばに乗車。ここ上郡で乗り換えました

この時はすっかり夜で、ちゃんと明るい時間帯に訪れたのはもっと遅く2020年の3月で、つい最近のこと。こういう「いつでも行けるようで意外と遠い駅」というのは後回しになってしまうものです(三ノ宮~上郡は約90キロもある)

開業は1895年の明治28年。その5年前に有年から岡山県に入った三石まで線路が延びていて後から設置された形となっていますが、上郡は古来より播磨の国と備前の国の国境として重要な地域でした。駅舎はおそらく大正期からのものがずっと使用されています

有年の駅前を通る国道2号線は岡山方面へは山中を突っ切るバイパスとなっていますが山陽本線は川沿いを一度北へ向かう形で敷設され、大きく弧を描く形になった線路の北側に位置するのが上郡。奈良時代よりさらに前に山陽道の通り道となり、鎌倉時代から戦国時代にかけては国境を巡る陣取り合戦も繰り広げられました

駅前にはこのような観光案内も

ちなみにこの白旗城への最寄りは智頭急行で2つ先に行った「河野原円心駅」となります

山陽本線最長の駅間

鉄道的には山陽本線の兵庫県西端として重要地域となり、今も上郡発着の電車が設定されています。そのため構内も広い

また県境越えとなる三石までは12・8キロもあり、これは山陽本線最長の駅間となっています。ぜひ車窓を楽しんでほしい区間です

1994年には智頭急行が開業。起点駅となりました。スーパーいなばはJRのホームから発着しますが、他は別ホームで

線路はつながっているものの別駅扱いです

上郡は運行の拠点駅で朝と夜に大阪方面への直通電車も運行されていて新快速の出発、終着駅ともなっています。もちろん直営駅で駅員さんもいますがきっぷ販売については一昨年にみどりの窓口が廃止され、みどりの券売機が設置されています

ちなみに最終電車の到着は深夜0時40分でかなり遅い。こちらは20時43分に米原を出て高槻~明石間は快速として運行される電車ですが4時間もの長時間運行。存在はかなり以前から知っていて、ぜひ乗車してみたいと思ってはいるのですが、では着いてどうするんだと言われると、なかなか厳しいものがあり、長らく保留状態となっています

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青春18きっぷで相生-岡山を途中下車~いきなりメインディッシュの有年駅

有年駅の駅名標

※状況が変化している可能性があります

兵庫県最古の駅舎が存在していた

相生のひとつお隣で、すぐに私にとってのメインディッシュとなってしまいます。これを最後にしたいため、岡山側からたどる方がいいのか真剣に悩んでしまったほど

有年駅です。「うね」と読みます。さりげなく難読駅。これは2016年10月22日の写真です

このような木製の解説が建てられていました。ここにも記されている通り、開業は1890年というから明治23年。当時の山陽鉄道によって一度神戸からの終着駅となりました(間もなく線路は岡山県まで延びる)。こり山陽鉄道は現在の山陽電鉄とは異なっていて十数年後に国有化され、山陽本線となりました

駅舎はその当時からのもので、兵庫県最古の駅舎として長らく知られていました

駅舎内の様子。みどりの窓口こそありませんが駅員さんのいる駅

と同時に工事が行われていて新しいホームの付け替え作業は完成に近づき

新たな橋上駅舎もほぼ完成

使用も一部が開始されたばかりという状況でした

塩で大いに栄えた駅

駅の所在地は赤穂市。赤穂といえば赤穂浪士の時代から今に至るまで「塩」が大きな産業です。ただ鉄道黎明時に赤穂の町中や沿岸部には路線がなく、塩の運搬は課題でもあり、儲け話でもありました

そこで既存の山陽本線まで何とか線路で結ぼうと、いろいろな案が練られました。当時の大きな町で岡山側にも便利な場所は上郡ですが、地図を見れば分かるように山陽本線は大きく北側に迂回するように敷設されていて、ここまで線路を伸ばすのは無理となって指名されたのが有年。赤穂市の中心部から真っ直ぐ北にある。ということで1921年の大正10年に敷設されたのが播州赤穂~有年の赤穂鉄道

接続駅として有年が大いに栄えたことは駅前の解説にもあります

大変分かりやすい

地図の部分だけを拡大するとこのような形。駅の周辺はいろいろな店舗だけでなく、映画館やダンスホールまであり、大いににぎわっていたことが分かります。もちろん今はその光景は一変していますが、国道2号線の有年駅近辺は今も住宅が多く片側1車線の細い道路となっていることに、名残があります

全国各地には石炭などの鉱山や林業で栄えた駅は数多くありますが、塩で繁栄した駅というのは珍しい。赤穂ならではの話です

ただ戦後間もなく現在の赤穂線が相生から分岐して播州赤穂まで開通すると同時に存在意義がないとして赤穂鉄道は廃線。この赤穂線の影響は非常に大きく、元々岡山までの延伸を目的にしていた現在の山陽電鉄は計画を止めてしまいました。今は支線となって山陽網干が終点となっている網干線は現在の赤穂線のルートでの岡山到達を狙っていました。兵庫県内で完了しているにもかかわらず「山陽」という社名だったり、姫路駅に向かう際、本線と網干線の分岐駅である飾磨駅で網干線の線路が直線的で、本線が大きく弧を描いているのが、そのなごりです

長らくの静かな駅が

1951年の赤穂鉄道廃線後はひっそりと暮らしていた有年駅に変化が訪れたのは2010年代に入ってから。駅を訪れると分かるのですが、駅舎とは反対側に新たに宅地が造成され、駅へのアクセスの利便性を図るため橋上駅舎の構想が持ち上がります

それに伴い、明治以来の駅舎は解体となるのですが、由緒ある駅舎を残そうという運動が持ち上がり2016年は、まさにそのまっただ中

ただ翌2017年9月の時点でも、そのままでした

しかし同年12月24日に訪れると

このような案内とともにすっかり駅舎は姿を消していました。しばしぼう然

右にある旧ホームの上に駅舎は建っていました。もう土台が残っているだけ

山陽本線なんて未来永劫、廃線になることはない路線ですが、地方都市にある古い駅舎を残す難しさを痛感した瞬間でした

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青春18きっぷでちょっと途中下車~相生-岡山の各駅紹介

青春18きっぷ

※各駅の施設が変化している可能があります

新快速で楽々移動

青春18きっぷのシーズンまっただ中。夏の18きっぷは期間も長いため、1年を通じて最も利用者が多い期間。今年は7月20日から9月10日までが利用期間となっています

「JR全線の普通列車が乗り放題」というルールの避けられない運命として普通列車で延々と揺られなければならないのですが、JR西日本の東海道本線、山陽本線の米原~姫路間は在来線の特急を追い越しそうになるスピードスター、新快速が走る18キッパーにとっての人気区間です。個人的なオススメはこの区間を利用して四国の高松に渡るコース。岡山からは快速マリンライナーで、こちらもストレスなく乗車できます

ただ、兵庫県と岡山県の県境越えとなる区間は普通のみの運行。しかも姫路~岡山をダイレクトに結ぶ電車は朝と夜にしかなく、昼間はすべてが相生での乗り換えとなります。これが名高い「相生ダッシュ」を生む原因となっています

相生ダッシュのメカニズム

こちらは2019年9月の相生駅での一コマ。18きっぷ期間最後の週末で朝の9時半。最も各地からの利用者が多そうな時間です。姫路からの電車とは同一平面で乗り換えられるのですが、写真に「殺気」があふれています

しかしなぜ相生での乗り換えを強いられるのでしょう?

それは相生以西では赤穂線が「本線扱い」を受けているからです

姫路から相生を経て西へ向かう山陽本線の電車は昼間はすべてが播州赤穂行き。観光地でもあり、沿線人口も多い播州赤穂へ姫路から直接行けるようになっています。相生からの山陽本線は有年、上郡の山中の2駅で岡山との県境に入ってしまうので、次第に播州赤穂方面が優先されるようになりました

しかも相生から岡山へ向かう電車は1時間に1本しかありません。この電車は姫路方面からの播州赤穂行きと平面接続ですぐ発車するため、18きっぷのシーズンは、岡山の電車に向けて殺到する場面が見られるのです

コロナ禍以前は相生発上郡行きという兵庫県内の2区間で完結する電車が1時間に1本あり、こちらも播州赤穂行きへの接続があったため、姫路から相生までは30分に1本の運行で、こちらに乗れば、早めに相生駅に着いて確実に着席するという戦法がとれたのですが、今は昼間は1時間に1本。余裕を持って岡山行きに座れる電車がこの時間帯はなくなってしまいました

また新快速は原則12両編成ですが、姫路で播州赤穂行きに乗り換え、また相生で岡山行きに乗り換えると編成数がどんどん減っていきます。大阪方面からの播州赤穂行きの直通がない時間帯は姫路駅でも座席争奪戦が起きるので、こちらも要注意。特に12両編成の後ろの方に乗っていると、かなり前まで移動しなければならないので留意しなければなりません。姫路までは15分に1本の新快速があるので、こちらこそは余裕をもって姫路で乗り換えたいものです

相生駅周辺は

そんな相生駅ですが、新幹線駅も併設している割に街の中心部から離れているため、駅前はホテルがあるだけで大変寂しい場所となっています

私がよく訪れていたのは道の駅であるあいおい白龍城。これは冬場の写真ですが温泉が併設されていて風呂に入った後、カキオコを食べにいつも来ていました

相生駅からは歩くと30分近くかかりますがバスだと10分程度(歩くのなら赤穂線の西相生から15分で行けます)

相生~岡山間は68キロ。電車だと約1時間。県境越えをはさんで途中12の駅があります

18きっぷのシーズンは、ほとんど乗ったまま通過されることが多いのですが、せっかく乗り放題、降り放題の青春18きっぷです。岡山市内に近づいていくと本数も増えます。どこかで途中下車して風情を味わってみてはいかがでしょうか。順番に駅紹介をしていきたいと思います

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~エピローグは坂道

伊勢石橋駅の駅名標

2023年3月15日

全駅訪問完了はいいものの

井関駅で名松線全14駅(松阪駅のぞく)訪問を終えたのはいいものの、大きな問題があります

当然ですが帰宅しなければならないのです。別の言い方をすれば、ここ井関駅からの脱出。とにかく近鉄の駅へと向かわなければ大阪方面へは帰れない。逆に言うと近鉄のどこかの駅へ行ければ、後は何とでもなります

名松線は路線そのものが行き止まり構造で、家城~伊勢奥津の山中の駅から近鉄の駅へはつながりようがない。家城~松阪間の平野部の駅と近鉄の駅とは、車だとすぐの場所にあるのですが、両者を結ぶバスというのがほとんどないのです

そもそもゴール方法に問題があって、伊勢奥津から松阪行きに乗車して井関で降りた以上、次の松阪行きは2時間後でさすがにそれは待っていられません。ということで乗り継ぎが便利な一志そして松阪での乗り換えは不可能。もっとも逆方向の伊勢奥津行きですら1時間半後ですから、現在の時刻が16時過ぎということもあって、それも待っていられないし、乗ったところで先のアテがありません

道中からどうしようと迷っていたのですが、ひとつ薄いながらアテがあったのは、井関駅だからこそあるバスです。山中から、ここ井関を経て近鉄の川合高岡駅を経由、最後は久居駅に行くバスが1時間に1本ある。これは貴重な存在なのですが、下調べでは、なぜかこの時間だけ2時間空いている。ただバスについては下調べと現実が微妙に異なっていることも過去にかなりあって、それに期待したのですが駅前のバス停でチェックすると、当然のように下調べの通りでした

ということで

またもや徒歩

結局は最後も徒歩ということになりました。最も簡単なのは川合高岡まで行くことでバス道に沿って歩けば30分ちょっとで歩けるはず。しかし調べると、もうひとつ伊勢石橋という駅の方が距離的には近いようです。川合高岡は何度か行ったので、ここは一度も行ったことのない伊勢石橋まで歩いてみることにしましょう

こんな感じの行程となります

井関駅から西へ歩き踏切を渡ると、あとはほぽ一本道のようですが、なかなかの茂みが待ち構えていますね。当然のように難問を突きつけられました

凄い坂が待っていました…泣

地図ではそこまでは分かりません。ただここまで歩いてきた以上、引き返すことはもう無理。今日はかなり歩きましたが上り坂は初めて。携帯アプリがない時代だったら、絶対にあり得ないコース

小さい峠のようになっていて、そこを下って雲出川が見えると川に沿って大きめの集落がありました。ただここから近鉄の駅へはまだかなりの距離があって、珍しい光景だな、と思いつつ

夕陽を眺めながら、今日のお友達である雲出川を渡りましたが、後で調べると伊勢川口の項で触れた中勢鉄道は川沿いにこの集落付近を抜けていて途中には駅跡に駅名標のレプリカも建てられているとか。もっとも、この時の私は疲労困憊、先を目指すことばかりを考えていて、そんな余裕はありませんでした

近鉄大阪線の駅とは思えず

その後、再び農村地帯に入り、進んでいくと架線が見えてきました。これで終わりだと思うとドッと疲れが出てきます。電化区間の駅というのは、写真撮影で架線がじゃまになることも多いですが、遠方から見つける時は便利ですね

その伊勢石橋駅。着いて驚いたのですが

全くのホームだけの駅でした。どうもかつてあった駅舎は撤去されたらしい。中勢鉄道との乗り換え駅の役割も果たしていたようですが、そんな雰囲気はありません

もちろん近鉄大阪線の駅なので複線。両側にホームと待合所があるのみ

こちらが時刻表。少し前まではもっと本数があったのですが、コロナ禍で昼間の運行が1時間に1本となりました。私の到着は17時前でしたので30分間隔の時間帯。名松線と比べると夢のような本数です

ちなみに私が滞在する間、17時という帰宅時間帯だつたにもかかわらず、ホームは私の貸切でした

電車がやって来たので、これで全駅訪問の旅は終了です

ホームはずっと貸切でしたが降りる人も誰もいませんでした。なお、この付近の近鉄の駅では当駅のみ極端に利用者が少なくなっています。他の駅では名松線の1日の乗客より多いのではないか、というほど利用者がいるのですが、事前知識なしで訪れた近鉄の駅がピンポイントで「駅舎なし」「貸切」と名松線の駅と同じワードだったことが、何かこの日を物語っているようでした

なお、気になる名松線の将来についてですが、JR東海の社長は昨年の記者会見でJR各社が軒並み路線ごとの収支を発表する中、東海のみが発表していないことについて「収支という形で発表する予定はない」「(JR東海管内でバス転換や廃線についての)予定は当面ない」と話しています

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~ゴールは不屈の路線のかつての終着駅

井関駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢鎌倉15時27分→井関16時10分

伊勢鎌倉から松阪行きに乗ります。井関で降りれば、名松線の14駅(松阪のぞく)の全駅訪問となります。家城はどうやっても長時間停車で訪問となるのですが、先に伊勢奥津、一志、伊勢八太の3駅を終えておいて良かったです。特に伊勢八太に関しては居眠りによる乗り過ごしという副産物。当日は「あちゃー」でしたが、その1駅分が効いています

年明けの訪問では乗客全員が…

話を少しだけ戻します

今年1月8日に伊勢奥津を訪ねた時のこと

この時は前日に廃駅の池の浦シーサイドなどを訪問して松阪泊。翌日は始発で出発。伊勢奥津で折り返して一志で下車。近鉄に乗り換えて津に行き、再びJRに乗車。紀勢本線で亀山→柘植を経て信楽鉄道に乗車しました

年明け早々の日曜日でしたが松阪からの乗車は数人。一志でさらに数人が乗り込んできて、これは雰囲気で分かったのですが、おそらくは同業者(鉄道ファン)ばかり。学校もお休みの始発には地元の方の利用が少ないことは理解しているつもりでしたが、誰も途中駅で降りない。となると、ますます同業者色が濃くなり、降りる時に分かったのですが、11人の乗客全員が青春18きっぷの利用者でした。フリーきっぷの利用は路線の実績になりませんので、数字的には、この日、この時間帯の乗客は0人、運賃収入も0円ということになります

この例で分かるように、名松線の利用者はそう多くない、というかかなり少ない。特に家城から山中に入っていく伊勢奥津までの区間は、そもそも住民が少なく、モータリゼーションの浸透とは異なる側面で利用者が大幅に減っています

名松線が何度も廃線危機に面したことは

この時にも触れましたが、最大の危機は2009年10月の台風被害で家城~伊勢奥津の数十カ所で崩落などの被害が出て、JR東海が打ち出したのは「JR運行によるバス代行」。この山中は過去にもたびたび台風被害を受けており、1982年には全線が10カ月にもわたって運休したこともあります

JR側は「今後も同様の被害に遭う可能性がある」としてJR路線そのままの運賃でのバス転換を提案。公式見解にはありませんでしたが赤字路線だったことが大きな要因であることは明らかです。この時点で、赤字地方交通線の対象から外れた、平行する代替道路未整備の問題は、ほぼ解決していました

これに対し、路線維持を望む津市や三重県の対応は迅速でJR側が出した山間部や河川部の修復や将来にわたる維持責任についても受け入れ、治水、治山工事は自治体が行うことで問題は解決。2016年3月に6年半という長期間の運休を経て全面復旧しました。いわば盲腸線ともいえる路線でのこのような復旧は奇跡的。不屈の路線です

以前の終着駅は利用者最小

井関に到着しました。これで全駅訪問完了。付け加えると、すべての駅で乗車もしくは下車を行うことができました

ちなみに「いせぎ」と読みます。微妙に難読です

名松線は1929年8月に松阪~権現前が開通した後、1930年3月に当駅までが開通しました。1931年9月に家城までが開通したので1年半の間、終着駅だったことになります

ただし現状はこのような感じで、基礎部分が残っているため、ここに駅舎があったと考えられますが、正式な記録が出てきませんでした。構内も広く、かつてはすれ違い可能だったような構造ですが、現在は1面

待合所は古いもののようで財産票があったので見ると

1929年(昭4)とありました。駅の開業は1930年3月なので3カ月もさかのぼって待合所ができたことになりますが、古いものであることは間違いないようです

この井関駅ですが、松阪~一志と伊勢大井~家城の平野部のちょうど中間にあり、この部分だけが山中となっていて周囲に民家は少ない。利用者は名松線で最小となっています

ある意味、ゴールにふさわしい場所だったかもしれません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~山中にポツンと一駅

伊勢鎌倉駅の駅名標

2023年3月15日

寸前で勘違いに気付く危機一髪

駅前のバス停で待ちます。この日わずか1回のバス利用ですが、訪問日を水曜日に設定したことの意義は、この一本のためにあります。コミュニティバスに乗車するのですが、ご覧の通り、月水金と週に3回のみの運行しかありません。このバスは伊勢奥津、比津、伊勢八知、伊勢鎌倉、伊勢竹原そして家城と名松線の家城~伊勢奥津の各駅に立ち寄ります。駅訪問者としては、大変有意義なものなのですが、比津駅の項でも記したように列車との接続があまりにも良すぎて、なかなか利用しにくい。ただ写真の時刻表にある14時49分発のバスについては伊勢鎌倉駅で20分ほど過ごすことができます

そんなことを考えながら手元のメモを見ると、時間が微妙に違うことに気付きます。バスや徒歩を絡める駅訪問の場合、間違いのないよう必ず用紙にメモ書きするようにしているのですが、発車時刻は14時50分と自分で書いています。10分違いや1時間の間違いはメモ書きする際、よくあることですが、49分と50分を書き間違うのは、ちょっと考えられない

疑問に思い、時刻表の下にある路線図を見ると、伊勢竹原駅前の停留所は美杉東ルートにあり、伊勢鎌倉駅へ向かう美杉西ルートのバスはここからは出ない。ひとつ手前の「竹原」という停留所で東西ルートが分岐しているようで、メモにも「竹原」と書かれていました

時刻は14時45分。大変マズい。大いに焦りましたが乗り場は徒歩3分ほどの所でホッと一安心

停留所があったのは防災センターという建物。広い駐車場があって特産品売り場も併設。現地のバスターミナルとしての役割も果たしているようです。伊勢竹原駅前には自販機がなくて困ったのですが、こちらにありました。駅にはないお手洗いもあります

こちらは間違いないよう。駅からだと線路沿いに100メートルほど歩いた場所にあります。ここから雲出川をはさんで2つのルートに分かれて伊勢奥津駅を目指すようです

バスがやってきました。ギリギリで気付いて良かった

竹原14時50分→バス→伊勢鎌倉駅前15時02分

バスはさらに山中を進み、山深い道路に設置された停留所に到着

県道から中に少し入り込んだ所に駅はありました。もう半月もすれば、桜がきれいにホームを彩るのでしょう

駅から道路側を見ると、こんな感じ。奥は突き当たり。駅前通りの左右に1軒ずつ民家がありますが、人の気配はありません。一部は朽ちたりしている

何もないところにあえて設置

駅周辺の地図を改めて見ると

地図に書き込むことがないぐらい何もない。そして伊勢竹原駅の項でも説明した県道15号は駅の手前でトンネルをくぐっている。おそらく道路改良によってトンネルができたのでしょうが、県道にもパスされる駅となっています

それでも当駅は1935年の家城~伊勢奥津開業時に八知村の熱心な働きかけによってできた駅。なぜ、このような不便な所にあるかというと地形を見ればなんとなく分かる

駅は雲出川が蛇行する場所に設置され、名松線はこの前後で2度川を渡ります。駅に近い徒歩10分ほどの集落は、線路から見ると川を渡った向こう側にあり、同じ側に設置するには、この場所しかなかったのだと思われます

単式ホームと待合所のみ。かつては駅舎があった記録は残りますが、その痕跡らしきものはありません

ホームの向こう側は農地そして川。高台にあるため景色はいいですが、住宅らしきものは何もありません。桜の季節でも新緑の季節でも、紅葉、降雪の季節でもない時期に来てしまいましたが、四季の移り変わりはよく分かりそう

「いつまでも愛し育てよう名松線」

松阪行きがやってきました

ホームには私一人。最後の訪問駅となる井関へと向かいます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~原風景の駅とオサルさん

伊勢竹原駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢川口13時39分→伊勢竹原14時06分

再び家城をまたいで山中に入ってきました。何度も繰り返していますが、名松線は家城を境に雰囲気が一変します。家城からたった1駅で周辺は山に囲まれます。そして

素晴らしい木造駅舎が残る伊勢竹原駅

財産票によると1935年12月。開業時の駅舎がそのまま

駅名も右から左に書かれている。これだけでグッときてしまいます。駅舎そのものが少ない名松線ですが開業時からの駅舎は家城とこちらだけです(一志は駅の場所が変わって駅名変更された際に建てられたもの)

周辺も懐かしい景色が連なる

かつては貨物の取り扱いもあり、ヤードが残ります。おそらく材木輸送でしょう

到着時の写真で側線が写っていますが、こちらはすれ違い用のレール跡ではなく、単式ホーム+貨物側線で開業時から列車交換の設備はなかったようです

駅前は、そのまま映画の一場面になりそうな風景

地図にある県道15号と雲出川(くもずがわ)は名松線の「お友達」。県道は久居美杉線と言って、名松線の存続理由となった「道路状況困難」から徐々に改良され、まだ細い部分は残りますが伊勢奥津までつながっています。雲出川は奈良県の県境付近の源流から伊勢湾へと向かい、それぞれ県道は伊勢奥津から一志あたりまで、雲出川は伊勢大井あたりまでずっと寄り添います。特に雲出川については渓谷を生かした川沿いにレールが敷かれたことがよく分かる

ちなみに、県道と川はこの日の私にもお友達(笑)。駅間徒歩の間は多くの時間を共有しました

駅前広場の突き当たりでバスの時刻を確認。結局、この日1回だけの利用となるバスです

駅の方向を振り返ってみると、駅に最も近い民家は、かつて駅前旅館だったような雰囲気でした

予期せぬ来客

バスの待ち時間が40分ほどあるため、貴重な駅舎でランチタイムとすることに

国鉄末期の1986年まで有人駅として頑張っていた伊勢竹原。木造で統一された駅舎の中で窓口のみシャッターとなっていることが、それを証明しています

現在の利用者は1日に十数人のようで、私の訪問時は「貸切」。ランチといっても上ノ庄駅近くのコンビニで購入したおにぎりです。ムシャムシャ食べ始めると何か目の前を横切った。というか、一度立ち止まってこちらがのぞかれたような感覚がある

オサルさん!

目があってしまった。比津駅付近で見た鹿については、まぁいるだろうな、という感覚でしたが、サルがいるとの情報は知らなかったのでビックリしてしまいました。しかもちょうどおにぎりを手に立ち上がった状態。「強盗」に遭ったらどうしよう。正直ビビッた。入口の木戸は閉まるのか、などと身構えると

どうやら目的は別にあったようで、ひとつを手にして素早く去っていきました。ホッと一安心

とはいえUターンされるとマズいので、猛烈なスピードでおにぎりを食べ、ゴミごとバッグにしまい込みました。思わぬ珍客でしたが、ずっとここに住んでいる向こうにとっては私の方が予期せぬ来客だったのかもしれません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~かつてのターミナル駅には述語なしの札

伊勢川口駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢大井12時35分→徒歩→伊勢川口13時10分

伊勢大井駅を県道側から見ると、このような感じ。車の窓からはよく見えるに違いない。「違いない」と書いたのは、ここから再び徒歩が待っているからです。お隣の伊勢川口までは線路で2・8キロ。ただし若干の回り道が生じるので、上ノ庄~権現前の2・8キロとは事情が異なります

一度、名松線とクロスして歩かなければなりません。そして今回の各駅訪問で知ったのですが、グーグル地図というのは徒歩コースを選択すると歩道がない幹線道路はできるだけ避けて案内するようになっているようです。こちらの地図もそうなっていますが、当然県道をひたすら進みます

妙な妄想にも取り憑かれ

伊勢川口発13時39分の伊勢奥津行きに乗車予定なので時間には余裕があります。しかし時間に余裕があるというのと、また歩くのか、という疲労感は別問題。計画では駅間徒歩は、これで最後の予定です。そう思うと、最後のひと踏ん張り、と力が60歳の人間にわいて来る…はずがありません

地方あるあるで幹線道路にはビュンビュン車が走っているのに、歩道を歩く人は誰もいない、というおなじみすぎる光景。この孤独感もまた力を失わせる原因かもしれません。すると、いつの間にか背後からやって来たパトカーが徐行で傍らを通り過ぎていく。確かにふだん誰も歩いていないはずの道路をトボトボ歩く見慣れないオッサンはどう見ても不審者。チェックしたのでしょう

「いっそのこと不審者として尋問してくれんかな」と思ったりする。そこで時間をとられると列車には間に合わなくなるわけで「尋問のおかげで全駅訪問が不可能になるので伊勢川口駅まで乗せていってください」なんて流れになると歩かなくていいんだけどなぁ…なんてことを考えているうちにパトカーは遙か遠くに消えていきました。朝の7時前から行動しているのです。そんな妄想まで出てくるほど疲れているようです

アプリによって県道から線路沿いの細い道に誘導されると、そこには運転士向け「伊勢川口」の案内。過去の駅間徒歩でも何度も励まされた「もう少し」の合図です

やがて

ホームが見えてきました

戦時中までは乗り換え駅

伊勢川口は今や各地で見かける「バス停駅」となっています。ただ名松線で、この形式が見られるのは全14駅(松阪をのぞく)で、ここだけ。というのは多くの駅が元々、ホームと待合所のみの構造で駅舎が壊された唯一の駅だからです

数年前までは開業時からの立派な木造駅舎がありました。なぜかというと津の町の中にあった岩田橋という駅から久居駅を通り、当地が終着だった中勢鉄道という路線があって、その乗り換え駅だったから。津市のHPによると、1908年(明治41)に部分開業して1925年(大正15)に伊勢川口まで到達したそうなので、名松線や近鉄より先に敷設されています

その後、会社が近鉄(当時は参宮急行電鉄)の傘下に入ると、近鉄が線路を伸ばし始め、後に開業した名松線とは伊勢川口で、近鉄とは久居で接続されていましたが、軽便鉄道だった中勢鉄道は速度が遅いため、名松線や近鉄に客足がシフトしていき、戦時中の1943年に廃線となりました。立派な伊勢川口の駅舎はそのためのもの

そのため駅の規模も大きく、今も現役の側線が残ります。保線用のもので名松線では唯一の側線となっています

レールが積まれるとともにヤード跡も広さを感じさせるもの

今も残っていた中勢鉄道の駅跡

最初の当駅の写真にあった駅に隣接する新しい建物は保線用のもののようで施錠されています。つまり残るものは駅舎跡の広い土地と保線の線路のみ。かつてはすれ違い可能駅だったことも分かりますが、今は単式ホームとバス停形の待合所のみ

ヤード跡付近には述語のない立ち入り禁止の立て札がありました

現在の駅の利用者は1日20人ほど。私がいる間は「貸切」でした。伊勢奥津行きに乗ることにします

と、ここからは帰宅してからの話ですが

「中勢鉄道伊勢川口駅跡」がしっかり登録されていました。津市の広報誌にも「わずかにプラットホームの痕跡が残る」とある。80年も前の廃線なので、ほとんど気にも、とめていませんでした。写真を見ると、これがホーム跡だと言われて初めて分かるレベルですが、まさか今も残っているとは思ってもいませんでした。ただホームの北側には、かなり遠回りを強いられます。時間の制約もあり、何よりここまでの徒歩による疲労もあって、分かっていても、さらに歩く気力があったかどうかは、今となっては定かではありません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~庁舎最寄り駅はひっそり

関ノ宮駅の駅名標

2023年3月15日

権現前11時43分→関ノ宮12時06分

権現前から一志を経た名松線は勾配区間にさしかかり、井関あたりで山中に出ますが、伊勢大井付近から再び平野部に入ります。降りたのは関ノ宮

名松線は1929年に松阪~権現前が開業した後、少しずつ線路が伸びていき1935年に伊勢奥津までが開業。現在に至ります。その後、1938年に、ここ関ノ宮のほか、伊勢大井、伊勢田尻(現一志)と3駅が一気に開設され、どの区間も2~3キロと、まるで私鉄のような駅間になった。当時は大変な利用者があったそうです

ここ関ノ宮は旧白山町の町役場(津市白山庁舎)の最寄り

いわば旧白山町の中心駅ですが駅そのものはひっそりとしています

県道同士が交差し、一方が名松線に沿って伊勢奥津を目指し(私が比津~伊勢八知を歩いた道路)、もう一方は南北で榊原温泉を目指す県道同士が交差する地点にあって周辺には役場のほかJAへスーパーもあるなど、機能はそろっていますが、駅そのものはともすると見落としてしまいそうな場所にひっそりとたたずむ。駅への入口は細い通路のみ

単式ホームと待合所があるのみの簡易な構造。周囲の状況から推測すると開設時から、この形で駅舎は一度も作られなかったようです

関ノ宮12時21分→伊勢大井12時28分

関ノ宮のお隣は家城で、家城ですれ違った松阪行きがすぐやってくるので滞在は15分。こんな感じで乗り継げれば楽ですが、これは家城前後の駅だけに許される「特典」で、とにかくここはありがたく乗車させてもらうと、車内はおそらく白山高校からの帰りの高校生で座ることもできないほどの状態。伊勢大井で下車

こちらの駅は周囲にほとんど何もありません。ホームとは逆側に県道(先ほどの伊勢奥津を目指す道路)が走っているものの、周辺は農地ばかりで民家が点在。集落は少し離れたところにあるようですが森に遮られるような形になっていて、ホームからは見えません。住宅が農地に転換された雰囲気もないので、関ノ宮と同日の1938年1月20日に開業していますが、周辺の光景は立派な県道以外はそのままだと思われます

そのためかホームも入口からは離れていて

関ノ宮以上に細い通路を歩いていく必要があります

目の前の県道を車が快走していきます。ただひとつ言えるのは駅の設置時にこんな立派な道路はなかっただろうし、そもそも自家用車という概念がなかったでしょうから、貴重な存在の駅だったのです

他の単式ホーム駅には見られなかった駅名板は待合所が輝いていました

こちらは駅名標。車内に多くいた高校生のうち一人だけが降り、森の向こうに消えていきました

次の駅を目指しましょう。ただ残念ながら、お次も徒歩が待っています(泣)

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~徒歩で迷い大ピンチ

権現前駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢八知9時49分→上ノ庄10時54分

伊勢八知から一気に松阪のひとつ手前となる上ノ庄まで戻ります。途中、例によって家城で長めの停車があるため、約30キロを1時間近い乗車

すっかり平野部。その中にホームと待合所のみの駅がポツンとある。松阪から家城までの各駅はほとんど、そんな感じです

こうして改めて地図を見ると、松阪からしばらくは近鉄とほぼ並行して線路が走っていることが分かります。徒歩3分ほどの一志と川合高岡の乗り換え以外は、すぐに徒歩で行ける距離ではありませんが、それでも近鉄とJRの各駅はいずれも徒歩30分ほどで行き来できる距離感です。もっとも利用人員も列車本数も競合というレベルには達しておらず、野球だと「コールドゲーム」のような状態

上ノ庄駅の駅名標

ホームと逆側を県道が走っています。駅には県道から踏切を渡った小径から入る。名松線で唯一の「戦後生まれ」の駅で1960年開業。つまり最も新しい駅で、今後もずっと、その立場は変わらないはず

この駅のポイントは県道を渡った至近にコンビニのミニストップがあること。松阪から1駅というのが、どうかという感じですが、ホームから見えるのは当駅だけ(伊勢八知駅のコンビニは車窓から分かる)

飛び出し注意でコンビニに向かう。松阪から1駅といっても、私は7時から活動開始しているので11時前と良い時間。ありがたい存在でした

伊勢八知11時→徒歩→権現前11時35分

ということで、お隣の権現前駅までは再び徒歩(泣)。この後もまた徒歩が出ますが、こればっかりはどうしようもありません。松阪~家城間は名松線の駅と駅を結ぶバスというのが、ほとんどなく、ここは徒歩しかないのです

ということで県道をトボトボ歩きます。最初の比津駅付近とは異なり、こちらは交通量は多い。そしてほぼ平坦道路。名松線というと秘境の山中を走る路線というイメージの方が多いのですが、それは家城~伊勢奥津間のこと。松阪から家城までは住宅街と農地が続く平野部を走ります

上ノ庄と権現前は列車で2・8キロ。そして道路も2・8キロ。ほぼ並行しているので同距離となります。次の権現前発伊勢奥津行きは11時43分。おそらくいい感じで間に合うはず。ただ上ノ庄と同じく駅の入口は県道には面していないため、どこかで線路を渡る必要があります

それでもこのあたりはずっと住宅地が続いている場所。どこかの踏切を適当に渡れば駅に連れていってくれるだろうと携帯アプリにも頼らず進んでいくと、早めに渡りすぎたようで線路沿いの道が消えて焦る

途中、古典的な広告看板を見たり

寺社の参拝道のような所を通りますが、見とれている暇はない

何とか駅の入口に到達したのは自分の予測時間をはるかにオーバーしてからでした。ここで逃すと2時間待ちになってしまうので冷や汗でした

歴史を感じるそそる駅名

権現前駅も単式ホームと待合所のみの駅ですが、上ノ庄駅とは少し趣を異にしていて、1929年に松阪から線路が伸びてきた時、半年ほどは終着駅だったこと。そのためかつてはすれ違い可能だった面影が残ります

ホームの裏側には広い空き地。柵で入れませんが貨物を取り扱っていた跡のようにも思えます。ローマ字表記は「gongemmae」なんですね

「権現前」という、妙にそそる駅名は近くにある須加神社に基づくもの。駅の住所は松阪市嬉野権現前町。2005年まであった旧嬉野町の町役場も神社近くですが、町の中心駅というと少し離れてはいますが、近鉄特急も停車する伊勢中川になるようです

とにかく間に合ったので、再び伊勢中川方面へと向かいます

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