※訪問は2024年9月9日
みどりの窓口も備える

信濃松川駅に到着。島式ホームとなっているが、構内踏切があるため、踏切ができるだけ降りないように、上り下りとも多くの列車が踏切と逆側のホームを使用するように配慮されている
松川村の代表駅で村役場もえきからすぐの場所にあり、営業時間は限られているものの、みどりの窓口も備えられている
元の名前は池田松川

真新しい駅舎を持つ。開業は1915年(大正4)で110歳になる。長らく開業時からの駅舎が使用されていたが、平成を迎えて2度にわたってリニューアル工事が施された

駅前には立派な観光協会の建物があり、観光案内所も入居している
松本側から延伸させてきた線路が当駅までたどり着いた時の駅名は「池田松川」。池田町と松川村の地名を合成したものだった。池田町は高瀬川を挟んだ対岸の町(厳密には対岸の一部も松川村に所属する)。大糸線の原型ともいえる千国街道の宿場町として栄え、信濃鉄道の敷設直前に「町」になっていることで分かる通り、当時の町の規模は池田町の方が大きく、本来大糸線も池田町側を通る予定だったが、高瀬川を渡る工事の都合や地盤の問題があったことで松川村を通ることになり、元々の通行予定だった池田町の名前も入れて自治体名を二つ並べる駅名となった。新幹線の駅名などで複数の自治体名を入れ込むことは今も珍しくはない
ただ1937年(昭和12)に国有化されると駅名は現在のものにされ、池田の名前は外れてしまった
これには安曇追分駅の記事でも触れた池田鉄道の影響があるとされる
大糸線が国有化された当時、安曇追分駅から池田鉄道という池田町の中心部へと至る私鉄路線があった
これは池田の町に鉄道がなく不自由をしている住民のために敷設された路線で、池田松川駅の開業から11年後の1926年(昭和11)の開業。北池田、信濃池田、南池田という3駅があり、町の中心に近い駅が信濃池田。「池田駅がすでにあるからややこしい」と、池田松川は信濃松川へと駅名変更。ただ開業時から利用者の少なかった池田鉄道は国有化されることもなく、駅名変更の翌年に廃業されてしまった。わずか12年のみ存在した鉄路だった
池田町からは大糸線や篠ノ井線の駅へのバスなどを利用して鉄道を利用できるようになっているが、地図でも分かる通り、池田町役場の最寄り駅は信濃松川である
特急停車のなごり
2つの自治体の役場の最寄りとなっている当駅は1日の利用者は約1000人と大糸線の周辺駅では規模の大きな駅となっていて、みどりの窓口があるのもうなずける

駅のホームは長い。これはかつて特急「あずさ」が停車していたなごりである。
2005年に当駅は開業以来、初めて特急が停車するようになった。ただ当該列車の利用者が伸びず、2010年に始終着駅を信濃大町から松本に変更したことで停車そのものもなくなってしまった
ホームの向こうには側線も見えるが、周辺では製糸業が盛んで、貨物駅としても栄えたなごりで

駅名板は池田工業高校の皆さんの手によるもの。2つの自治体を支え続けてきた駅である


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