信州ワンデーパス

成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~こんな足下こそ徒歩15分「あったかいんだから」

南豊科駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

本日の教訓は「急がば回れ」

大糸線の原型が信濃鉄道によって敷設された信濃大町~松本であることは、これまで何度も記してきた通りだが、基本形が私鉄ということで「駅間が短い」という特徴がある。一部を私鉄が造り、全線工事を国鉄が引き継いだ例としては福塩線(広島県)があるが、こちらも私鉄部分の駅間距離が短いのは、福塩線の項で記した通り

この時も駅間徒歩を2つほど行った。原型が私鉄だった福塩線の福山~府中と大糸線の松本~信濃大町には、もうひとつの共通項があって、昼間はほぼ1時間に1本の運行である。この1時間に1本という運行は駅巡りにはある意味、ちょうど良い本数で行ったり来たりを繰り返せば、ほど良い滞在時間で駅訪問ができる。もっとも行き詰まって結局は、ほぼ1時間の時間つぶしが必要となってしまうこともあるが、そんな時の最強武器は「徒歩」となる。まぁ、これについては駅間徒歩の距離限界には個人差があるので何とも言えないが、私の場合は1時間以上空いてしまうのなら4キロまでは歩いてみることにしている

さらに言うと、距離以上に重要なのは気候で、トシをとると炎天下に15分も歩けない。かといって風ビュービューの真冬もイヤだ。だから徒歩という手段を使うのは春の青春18きっぷ期間が多い

前置きが長くなったが、ここで豊科駅前の周辺案内図である

ふと見ると赤丸で囲った豊科と南豊科の駅間が極めて近いことが分かる。ここはグーグル先生の出番であろう

うーん、これは近い。実はちょうど前述した行き詰まりの時間帯で豊科駅で待ち時間が発生していた。この時は大糸線全駅訪問など考えていなかったので執念じみたものはなかったが、駅でボーッとするぐらいなら歩いてみよう。幸いなことに現在は15時。午後になって気温も上がり体感で10度近くにはなっているのではないか。もっと幸運なことに無風である。ちょうど良いではないか。ただし松本駅から北松本駅を歩く際、近道を行こうとして誰も踏みしめていない雪の路地に突っ込んでしまい大変な目に遭ったので、その学習機能を生かしてできるだけ広くて立派な道を行こう。スマホ液晶をできるだけピンアウトで広げた結果、地図では「18分」と表示されている線路から最も離れたコースを行くことにする。「急がば回れ」が本日の教訓だ

簡易的なようで簡易的ではない新駅舎

ということで実際には15分を切るペースで順調に広い道を歩き続けて南豊科駅に到着。かなり広い2車線道路で歩道もある。これだけ広いと積雪を避けながら歩くことも可能。もっともそこまで余裕がなく道路の写真を撮ってはいなかったけど

南豊科駅は真新しい駅舎だった。開業は1926年(大正15)。豊科駅の開業から10年以上遅れて豊科と中萱の間に設置された。4月14日で先に紹介した島高松と同日の開業。後から付け足す形で駅が新設されるのも大糸線の特徴である

現在の駅舎は2020年に新築されたものなので、まだ4年。一見すると簡易的なものにも見えるが

訪問時は時間外だったが、無人駅ではない。JR東日本の子会社による業務委託駅で改札も行われるようだ。周辺は新しい家が並ぶ住宅街で最寄りの高校が2つもあるため、1日の利用者は約1500人で実は豊科とそう大きくは変わらない

ホームは棒状の単式。貨物駅になったことはないが、島式ホームになる予定があったかのような構造だ

そしてふと目にとまったのは

きれいな待合室。先客がいる。入ってみるとエアコンが設置されていてポカポカだ。ちょっと前に流行した「あったかいんだから」のフレーズが勝手に出てくるほどだった。夏季は逆に涼しいのだろう。お手洗いもあるので安心して自販機で暖かい缶コーヒーをいただいた

ホームへの経路はスロープでバリアフリー対応

さて新築同様の当駅だが、気になるのはそれ以前の姿だ。戦前からの駅舎があったことは分かっているが一体どのような姿か、と思った方はグーグル地図で南豊科駅を指すとよい。ここの写真には旧駅舎の勇姿がしっかり残されている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~安曇野市中心駅の地名由来に驚く

豊科駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

長野らしい地名だと思っていただけだったが

穂高の次は豊科で下車

前回の穂高駅の記事で「大糸線には知名度の高い駅が多い」と記したが、当駅もそのひとつ。見方によっては難読駅だが、かなりの人が読めるのではないだろうか。駅の所在地は、かつては豊科町だった。平成の大合併で周辺の町村と合併して安曇野市が誕生したが、市役所は豊科駅近くにある

長野県には「○料」という地名が多い。「更科」「蓼科」がパッと思いつく。安曇野市内には「明科」があり、こちらは篠ノ井線の駅にもなっている。「料」が多い理由としては、信濃の国で多く獲れる「科(シナ)の木」は「信濃の木」がなまったもので、地名にもよく使われるようになった、など諸説あるようだが、とにかく「豊科」も「科シリーズ」の一環だろうと勝手に考えていたが、この地名は明治になってからできたもの。複数の村が合併する際、それぞれの地名である「鳥羽(とば)」「吉野(よしの)」「新田(しんでん)」「成相(なりあい)」の頭文字をとって作られたという。新しい地名をそれぞれの頭文字をとって並べるというのは、よく聞く話だが、わざわざ長野らしい「科」を入れたことが凝っていて、なおかつニクい

路線では貴重な管理駅

安曇野市内の駅では、観光客の多い穂高の利用者の方が多いが、鉄道駅としては豊科の方が上位となる。大糸線内では松本を除くと管理駅は豊科、信濃大町、白馬、南小谷の4駅のみ。うち白馬、南小谷の2駅が「村」に所在するのが大糸線らしいが、その4駅のうちのひとつ(JR西日本区間の各駅は北陸広域鉄道部の管轄となっている)

豊科駅は1915年(大正4)の開業。大糸線の駅紹介で何回か触れているが、大糸線の信濃鉄道は豊科~松本市(現北松本)を開通させたことが始まりで、その後、北へと線路を伸ばし国鉄によって全通された。いわば基礎となる駅

現在の駅舎は2007年(平成19)に大幅リニューアルされた。以前は無骨な駅舎だったが、いわゆる「スイス風」に変更

ただ駅舎の基礎部分は旧来のものをそのまま使用しているようだ。ちなみにワイン造りも行う安曇野スイス村は駅から車で数分の場所にある

また長野自動車道の安曇野ICも至近である

これもまた大糸線内では貴重な自動改札機が設置されている。現時点ではSuica使用不可の改札機である。指定席券売機も設置されているが、みどりの窓口は昨年に営業を終えていて、管理駅なので人は常駐しているはずだが、改札業務も含め早朝と夜は休み。おかげで夏の青春18きっぷのハンコをもらうのに苦労したが、それについては当該記事で触れるつもり

撤去が続くJR東日本ならではの写真入り駅名標もまだ現役。駅舎の駅名板にも白鳥が描かれているが、豊科は白鳥の飛来地として有名でもある

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~有名駅まで東京近郊区間延長か?

穂高駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

知名度「高」の観光駅

穂高駅に到着。大糸線には松本を中心とする通勤通学のほか観光路線としての役割も持つ。知名度の高い駅も多いが、当駅はそのうちのひとつ

島式ホーム構造で1日約2000人の利用がある。平日の昼過ぎながら、多くの人が電車を待っている。奥に見えるのが構内踏切。跨線橋はない

訪問日は曇り空でこのような美しい景色には出会えなかったが、晴天のホームからの眺めはこのようになるらしい。もし見られたら、これだけでも来た甲斐がありそうだ

当駅は安曇野観光の拠点となる。徒歩圏はもちろん、駅前からは各方面へのバスも出ているほか、東京や大阪からの長距離バスもある。大糸線沿線への長距離バスは安曇野と白馬がセットとなっている運行も多く、鉄道のライバルでもある

目を引く駅舎

駅舎は社殿をあしらったもの。地名の由来ともなった穂高神社を模したもので、駅から至近というか、ほぼ駅前である

駅の開業は1915年(大正4)。大糸線の前身ともなる信濃鉄道は同年1月に松本市(現北松本)~豊科を開通させた後、急ピッチで延伸。同年7月には穂高までを開業させた。現在の駅舎は1940年(昭和15)に改築されたもの。その後、化粧直しは施されているが、原型は変わらない。1940年といえば、すっかり戦時体制のころで、当時の観光や神社参拝がどのようなものだったかは分からないが、時代背景を考えると大きな工事である

みどりの窓口は営業を終えたが、指定席券売機が設置。もちろん1日1往復の特急「あずさ」も停車する

来年春からSuica利用可能に

訪問時は出ていなかった話だが、今年6月に「長野県におけるSuicaエリア拡大」の発表を行った

それによると2025年春以降に篠ノ井線の松本~長野、大糸線の松本~穂高がSuica利用可能エリアになるという。現在、都内から長野県に向けては、中央本線の松本までである。高崎からの信越本線については在来線がある横川まで。これまでの例だと、IC乗車可能ということは東京近郊の大都市近郊区間に含まれることとなる。現在、この区間の「北限」は常磐線の浪江駅

浪江から松本までの乗車券を購入した場合、途中下車ができないばかりか、きっぷの有効期限は1日のみとなる。現実的にこの区間の乗車券を買う人は「試してみよう」の同業者(鉄道ファン)意外は、ほぼ皆無とみられるが、新宿から中央本線に乗車して松本までのきっぷを買った場合、もちろん100キロは超えているが、甲府での途中下車は不可能となっている。そのため、当ブログの過去記事でも塩尻駅や松本駅までのきっぷを買う際には洗馬駅や北松本駅駅までの乗車券を購入すれば、途中下車も可能だということを当該駅の記事で紹介してきたが、松本駅とした場合の事情が大きく変わってくる。篠ノ井線については、東京から長野に行く際、わざわざ松本経由で行く人はあまりいないはずなので、それほど大きく事情が変わることはないだろう(長野経由で松本に行くと必然的に北陸新幹線に乗車するので東京近郊区間のルールからは外れる)。問題は東京方面から松本をゴールとして中央本線の各駅で途中下車したい人だ

松本~穂高間は約16キロもある。Suicaエリアではないお隣の有明までは約2キロ。松本~北松本は800メートルしかないので運賃に大した差は出ないが、18キロ分も余分に乗車券を買わなければならないので、最初に買う駅によっては負担が大きくなる

6月の発表時は「サービス開始は2025年春以降」となっているだけで、まだ正式な日時や内容は発表されていないが、気になる点だ

ちなみに「ほだか」と読む人が多いが、正しくは「ほたか」である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~松本から至近もチェックもれの駅

島高松駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

路線図を見て気付く

私にはひとつの夢があって、それは「全国の高松駅を順番に訪問すること」

日本各地には高松という地名が無数といえるほどあって、その分「高松」が付く駅名は多い。それを順番に回っていこうという計画である。きっかけは子どものころに知った豊臣秀吉の「高松城水攻め」で、しばらくその地が四国にあると思い込んでいた。後に岡山だと知ったのが、各地に高松があることを知ったきっかけで、ほぼ同時期に当時の西宮球場そして西宮北口駅の住所が西宮市高松だということも知った

だったら各地の高松駅を順番に回ることはできないか、思い描くようになったが、これにはかなり膨大な経費と時間がかかる。一番有名なのは四国の高松駅で、高松市内には「高松」が付く駅がいくつかある(数は意外と少ない)。高松で暮らしていたこともあるので、これは漏らすことはないが、他の高松駅を調べると行き止まりとなる路線上に存在することが多い。山形県の左沢線、鳥取県の境線、宮崎県の日南線。これはひとつの乗車券としてまとめられないことを意味する。青春18きっぷのようなフリーきっぷを使えば、到達はできるが正規の乗車券として「高松駅から高松駅」がほしい。ただ、行き止まりとなる路線を含むと、かなりのお金がかかるし有効期間の都合上、旅を始めると、なかなか帰ってここられない。そうこうしているうちに全国の高松駅はかなり訪問するようになり、乗下車したことがないのは左沢線と日南線ぐらいになっていた。立川に行ったついでに多摩モノレールの高松駅にも立ち寄ったほどだ(さすがJRの駅ではないので単に「高松」という駅名で妙に感心した)

と、随分前置きが長くなったが、大糸線にふらり乗車して路線図を見た時、ここにも高松駅があったことを初めて知った。しかも松本からわずか3駅という至近距離。チェック漏れである。これはぜひ降りなければならないだろう

ということで島高松に到着

大いに逡巡したワケ

ただ降車に大きな逡巡があった。先にある一日市場でまず降りたため、車窓から駅が見えた。例によって予習することなく訪れているので、どのような駅かは知らなかったが、いざ車窓から眺めると、これは迷う、それでも「エイヤ」で降りてみたが

単式ホームと待合所のみの構造だったのだ。うーん、寒い

道路とはスロープで結ばれている。単式ホーム+待合所のみの駅が路線内に数あることは後に知ることになるが、その最初だった。このような気候の時の訪問は私には不向きである

松本市最後の駅

島高松は大糸線では松本市最後の駅となる

開業は1926年(大正15)4月。すでにあった島内と梓橋の間に信濃鉄道によって設置された。住所は松本市島内高松。島内とは2つの川に挟まれた三角地帯の意味で、そこにあった高松という地名が駅名になったようだ

駅はスタート時から私鉄らしい簡素な姿らしく、貨物や荷物を扱ったことはない

駅の入口にあった石碑。簡素な構造ながらお手洗いもあり、自販機で暖かい缶コーヒーを安心して飲むことができた

当駅で安心できたのは、かなり新しい待合所があること。滞在は30分に満たない時間だったが、それでも多くの時間をここで過ごせたのはありがたかった

外では鳥の活動が盛んで

冬の農地で多くの鳥が何かをつついている。新芽でもあるのだろうか

このような写真ばかり並べると終日閑散としている印象を持たれるかもしれないが、松本まで10分ということで周囲には住宅も広がり、1日に約500人の利用がある

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~引き寄せられる駅名を優先

一日市場駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

読めるようで読めない

北松本駅の次は

一日市場駅で下車。「ひといちば」と読む。読めるようで読めないのが訪問の理由。この日はとにかく興味がわきそうな駅で降りてみることを主眼とした。いくつか駅を降りているうちムキになって全駅訪問を目指すことになるのが、いつものパターンだが、この時点では全くそんな気はなかった

なぜかというと猛烈に寒いから(笑)。私は根性というのが全くない方で、ましてやトシとるとさらにその傾向が強くなる。基本的には寒い時に寒いところには行かないので、雪に見舞われるのは偶然というか、見込み違い。だから雪の写真というのは貴重だ。ホームにあったアルプスの眺望の解説。雪を払えば姿を現わす。自ら払っても他人様に雪がかからない限り問題はなさそうだが、冷たそうで払う気にもならない。もちろんホームにいる地元の方は当然払わない。だから全貌は分からないまま。雪を払ったとしても曇天で何も見えないというのも理由のひとつだけど

わずか数ヶ月で変わった駅名

一日市場駅は島式ホームを持つ

駅舎とは構内踏切で結ばれている

開業は1915年(大正4)。豊科と現在の北松本が信濃鉄道によって鉄路で結ばれた際に誕生。大糸線の原点の駅のひとつである。最初の駅名は「明盛」(めいせい)。当時の明盛村に基づく。明盛村は戦後まで続いた自治体で1954年(昭和29)に周辺の村と合併して三郷村となり、平成の大合併で安曇野市となった。現在も駅の住所は安曇野市三郷明盛。ただわずか数ヶ月で現駅名と変更されている。駅が設置された時はすでに明盛村となっていたが、明盛村は一日市場村など複数の村が集まって生まれていて中心地は一日市場村で役場も置かれた。駅の所在地もかつての一日市場村。駅名変更の理由を調べることはできなかったが、新たに作られた地名より、以前からの地名が優先されたのかもしれない。明盛村に参加した村には七日市場村もあり、こちらも公園や公共施設に名を残す。これは全国で見られる地名だが、毎月行われた市に由来するものだろう。岐阜県にも同じ読みの一日市場が存在する

地元の木材を利用した駅舎

駅舎は2017年に大幅に改修されている

それまでは開業から100年以上使用されていた駅舎だったが、サイズがコンパクトにされた。地元産のヒノキを使ったものだという

ただコンパクトにはなったが無人化されたわけではない

時間帯によっては無人となっているが、改札も行われる有人駅。松本まで15分と通勤通学にも十分な距離と時間で1日に約1200人の利用がある

駅舎に旧式の駅名標が掲げられ残されている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~徒歩10分ちょっとのはずが

北松本駅の駅名標

※訪問は2024年3月6日

徒歩移動には理由がある

松本から北松本までテクテク歩き始めた理由はただひとつ、両駅間が極めて近いからだ

線路距離にして700メートルしかない。線路に沿って真っ直ぐ歩く道はないため、徒歩も700メートルというわけにはいかないが、いずれにせよ1キロちょっと。ちなみにグーグル先生に道案内をお願いすると、この地図とは異なるお城口からの徒歩を案内される。この地図は実際に私が歩いたものに、ほぼ沿っている

地図を見た時「歩くだけならアルプス口からの方が近いのではないか?」と思い、先生に抗ってこういう経路となった

しかし、まずの難関

川を渡る橋が、線路に近いところには1本しかなく、しかも車道と歩道が分かれている。しかも雪を踏みしめた跡がアイスバーン状になっている。私の靴は普通のウォーキングシューズ。そもそも雪の中を歩いた経験がほぼないので、こんなところでスッテンコロリンしたら危なすぎると、やや尻込み気味になっていると、幸運にも向かいから来たご婦人がスタスタと渡り始めた。明らかに地元の方。ということで、うまい具合に誘導員を得ることができ、橋は渡れたのだが、この後も悪戦苦闘

地図に「ABC松本白坂店」とあるのは、パチンコ店さんだ。できるだけ線路に近い方を、と歩くと駐車場に入ってしまった。客でもないのに誠に申し訳ない。結局、駐車場を横切って路地に入ると、そこは雪が降った後、誰も歩いていない道でズボズボと雪に足を突っ込みながら前進。今思うとその時の画像があると、よりリアルなのだろうが、当時はそんな余裕はない。ちょっとだけ広い道に出ると、泥ハネ注意状態だったりで、それでも何とか20分ほどで

北松本駅に到着した

信濃鉄道本社のあった駅

大糸線は敷設が信濃鉄道という私鉄だったこともあり、駅間は近いところが多いが、歩いてきた両駅の距離が特に近いのは、北松本駅がもともと同路線の終着駅だったから。1915年(大正6)に豊科と当駅間で開通。当時の駅名は「松本市」だった。それが1月のことだが、わずか3カ月で松本駅まで延伸された。そして松本駅と併設されているにもかかわらず、駅名は「南松本」。ちょっとややこしいが、現在の南松本駅が開業したのは随分後のこと。なぜ700メートルのみの延伸を行ったのかというと貨物輸送の便を図るためで、松本駅と併設されても貨物しか運ばないのだから、駅名は松本でない方が区別する上で、むしろ便利だった。と同時に南松本ができたのだから、こちらは北松本にしよう、ということになり、松本市駅はわずか3カ月で現在の駅名に。さらに翌年には貨物駅だけではもったいないので旅客も運ぼうと、旅客輸送も開始したため、駅名は松本に統一された。時系列だけ見ると簡単だが、かなり激動の駅名変更だった

ただし開業時のいきさつから、信濃鉄道の本社は北松本に置かれ、車庫も設置された。今はともに面影はないが、車庫については国鉄末期まで大糸線の車庫として利用されていた

松本駅と同様、北松本駅もアルプス口とお城口がある。地図で分かるように、松本城には松本駅より当駅の方がむしろ近いのだが、駅舎はお城とは逆側の現在のアルプス口側に設けられていた。駅周辺の渋滞が酷いため、道路は地下化、駅舎は橋上化されることになり、本社があった開業時からの駅舎は解体され、2000年に現在の姿となった

こちらはお城口

周辺案内図はお城口にあり、タクシーも停まっていた

こちらは改札口。駅員さんもいて1日に1200人の利用がある。きっぷ売り場の上に掲げられている駅名板は旧駅舎にあったものだろうか

ホームは島式の1面2線。写真だけ見ると3月のものとは思えない

線路だけが見えるのは篠ノ井線。この付近はまだ単線区間で当駅にも篠ノ井線の駅を、という声の実現の妨げとなっている

福島県の浪江駅から延々と続く大都市近郊区間は松本まで。現時点では北松本までのきっぷを買えば途中下車もでき、きっぷの有効期限も延びる駅として有名(変化があるかもしれない)だが、実はそれ以上に大糸線の歴史を語る上で重要な駅である

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~いったん消えた雪が再び

姨捨駅ホームからの眺め

※訪問は2024年3月6日

姨捨で車窓が一変

話はこの続き

新潟県の長岡あたりから長野県に入っても続く雪は飯山駅の横殴りの風雪である意味ピークを迎えたが、新幹線で1区間、長野駅に到着するとすっかり消えていた

随分と気候が違うのだと感じる

手には信州ワンデーパス。こちらもまた、なかなか使えるきっぷで特急券だけ別に買えば在来線はもちろん、新幹線にも乗ることができる。今日はこの後、篠ノ井線の駅訪問をしつつ、松本で宿泊予定となっている。今日は信州ワンデーパスのお世話になり、明日は前日に新潟駅で購入した青春18きっぷの2日目利用とするつもり(ちなみにこの春の18きっぷは、最後は芸備線そして福塩線でフィニッシュとなった。すでにルール変更が発表されていて、このように振り返るとややむなしさを感じてしまう)

実は道程については、あまり深く考えていなかった。時刻は11時前。篠ノ井線は幹線でありながらも篠ノ井~松本の普通本数は決して多くはない。ゆっくり回ると、あっという間に夕刻になってしまうはずだ

川中島駅。道路は濡れているが雪はない。想像するに雪は降ったが、c川中島駅。道路は濡れているが雪はない。想像するに雪は降ったが、そう多くはなくすぐに溶けてしまったのだろう

スマホで電車の時刻などを確認していると「おばすて」の声が聞こえる。ご存じ、日本三大車窓のスイッチバック駅だ。数え切れないぐらい来ているが、やはり車窓に目が行ってしまう。するとそこは

「ええ~っ」の光景。いつの間にか豪雪に戻っている

雪の姨捨駅は初めてだが、これは美しい。そしてやや分かりにくいかもしれないが、左側(長野側)奥の部分に注目。そのあたりは雪がない。対して右側(松本側)は雪。積雪の境目となっている。積雪の境界を肉眼で見たのはもちろん初めて。これは貴重な体験だった

雪の松本駅前から歩き始める

ただ貴重な体験をしたのはいいとして、となると松本の状況は、ということになる

独特のアナウンスとともに松本到着。駅の外に出るのは十数年ぶり

駅はまさに銀世界。時刻はすでに12時半を回っている。十日町からやって来たので、すでにフリーパスの元はとっているが、まだまだホテルのチェックインすらできない。車窓から気になるというか、以前から気になっていた駅が見えた。大糸線の北松本駅。洗馬と同じく「大都市近郊区間逃れ」の駅として同業者(鉄道ファン)の中では知名度が高い。この駅は篠ノ井線の線路が目の前を走っているのに大糸線しかホームがない駅で、よけいに目立つ

地図で見ると松本からそう遠くはなく、徒歩でも十分行けそうだ

アルプス口は初めてである。多くの人出にぎわう、お城口とは雰囲気が全く異なる

まさに「足下が悪い」のだが、歩き始める。思えば、これが大糸線の全駅訪問の第一歩となったわけだが、この時はそのようなことは全く考えていなかった

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~後編・駆け込み訪問にこそ意味がある

※訪問は2024年3月5日

美しい雪景色の車窓

一夜明けて十日町駅から飯山線で飯山駅を目指す

朝から雪が降り続いている。ただ十日町の中心部は歩道が屋根付きで、駅は徒歩だと5分以上離れたところにあるものの駅へも屋根はつながっている

交差点部分はさすがに屋根はないが、ちょっとした小走りを交えることで、ほぼ雪からは逃れる形で駅へと到着できた

列車が停車しない部分はすっかりホームも雪。上に見えるのが北越急行のホーム。十日町は接続駅で、北陸新幹線の金沢延伸前まで北陸から東京へのメインルートでもあった北越急行からの越後湯沢乗り換えで使用されていた特急「はくたか」の一部も停車していた

8時半に十日町発。飯山線のダイヤは決して本数の多いものではなく、2~3時間に1本の運行。以前の訪問時は、暑さの残る9月で、いくつかの駅で降りたりもしたが、今日は飯山駅が目的だし、列車本数や天候も考えると、線内は乗り鉄である。だが平素は同じ乗り物に1時間も乗ると飽きてしまう私が見とれてしまうほど車窓は素晴らしかった

雪の中のレール

雪化粧の信濃川。飯山線は信濃川・千曲川に沿って走る。戸狩野沢温泉までの1時間20分、ずっと見とれていた

この日の車両もおいこっとだったが、戸狩野沢温泉で乗り換えとなる。乗り換えといっても対面ホームの2分乗継ぎで、実際は車両の交換。すでに長野県に入っている。3駅目が飯山。このまま乗車していれば1時間で長野まで連れて行ってくれるが、さすがにそうはいかない

予想以上の人出

飯山駅に到着。戸狩野沢温泉から2両編成となったが、多くの人が下車した。こちらは一段落した後の写真。はっきり分かる通り、雪が舞っている。十日町より激しい

在来線の改札口を出てすぐ、きっぷ売り場を挟んで新幹線の改札口で長い列ができている。ほぼスキー客の様子で海外からのお客さんの姿も目につく。当駅は無人駅ではないが、2021年11月いっぱいでみどりの窓口を終了。2台の指定席券売機がその代わりを果たしている。旅慣れた人なら券売機の方が楽かもしれないが、ふだん使い慣れていない人は時間がかかるだろう。横で立つ駅員さんが案内しながらの発券。国際色豊かで駅員さんも大変そうだった

私はというと自由席特急券だけ買えばいいので、駅員さんに尋ねると、誰も並んでいない券売機を案内され

あっさり購入。その気になれば、特急券さえ買えば軽井沢まで乗車券は有効だが、新幹線自由席の1区間特例分のみを購入。飯山駅に特化しているので、これで十分

30分ほど時間ができたので駅舎の写真をと外に出てみたが

激しい雪に、撮り逃げするようにして駅舎に戻る

飯山駅は1921年(大正10)に飯山鉄道という地元設立の私鉄によって開業した。戦時買収で1944年(昭和19)に国有化。現在に至る。路線名にもなっている飯山駅は、もちろん主要駅で2015年の北陸新幹線金沢延伸の際に新幹線駅が併設された。その際、在来線のホームも300メートルほど移動。その跡地は留置線として現在も使用され、車窓からも見える。グーグル地図にも側線跡が描かれている。どこまで近づけるか分からないが、事前の計画では行ってみることにしていたが、天候により中止である

ただし飯山鉄道の開業に尽力した五島慶太をたたえる石碑は旧駅から新駅に引っ越しているので、そちらは撮った

三日天下だからこそ意義がある

10時39分のはくたかで1駅乗車である

通過線のない2面構造のホーム。ちょっと遅れたが、これで新幹線駅の全駅訪問を達成。といっても11日後に北陸新幹線の敦賀延伸があるので、10日間だけの至福感。新幹線の駅が廃業になるなんてことは基本的にないので、延伸後にあらためて新駅とともに訪れればいいだろう、という考え方はあるし、その方が合理的でもある(ただし新幹線駅をひとつずつ訪問するのは、お金がかかり、なおかつ飯山駅と新駅では会社が違うので、すべての駅を訪問できるフリーきっぷの発売は難しいと思われる)

ただ、まずは北海道から九州までの全駅訪問を新線開業までに終えたとという事実が私にとっては大切で、直前の滑り込みによる三日天下と分かっている達成にこそ意義があるのだと思っています

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「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~前編・痛恨の通過列車乗車

※訪問は2024年3月5日

旅のスタートは新潟空港

この記事を書いている傍らのテレビのニュースでは北陸新幹線敦賀延伸で持ちきりとなっている。私のX(旧ツイッター)のフォロワーさんも訪れているようだ。という事実を百も承知で2週間ほど前のことについて触れてみたい

8時20分、新潟空港にいた。今日は新潟駅から信越本線、上越本線、飯山線と乗り継いで十日町へと至る。大阪から新潟へはJALタイムセールで。最大目的地は明日の飯山駅で、大阪からだと名古屋経由で長野まで行くのが、おそらくノーマルルートだろうが、それだと往復同じコースになってしまう上、新潟空港はこれまで利用したことがなかったので、新潟から十日町経由で向かうことにした

バスで30分揺られ新潟駅に到着。すっかり変わったな、という感慨に浸る間もなく

春の青春18きっぷを購入。信越本線を南下。道中、いろいろな駅を回りつつ、十日町を目指すが、新潟近辺の駅では少しの雪が道ばたに残っている程度で雪のことなど、この時点では考えてもいなかった。しかし長岡あたりまで来ると、風景は一変。車窓は雪一色となってきた

3月16日より前の訪問が絶対

話は昨年秋にさかのぼる。10月に九州新幹線の全駅訪問を目指していた。この旅で全国の新幹線駅訪問を達成することになっていたが、時刻表の路線図を眺めていた時、あることに気付いた

飯山駅が未訪問だ

それよりさらに1年前の2022年10月、JR東日本パスで東京から北陸新幹線→上越新幹線→北陸新幹線とグルリ回って新幹線各駅を回収。これで本州と北海道の新幹線全駅を利用したことになったと、すっかり満足していたのだが、私が上越妙高から乗車したのは飯山通過のはくたかだった

はくたかは基本的に昼間は金沢から長野までが各駅停車で、長野以降が速達運転となる。だが、その中の一部に「飯山のみ通過」という、全駅訪問の死角を狙った(?)列車があり、私はまんまと、それに乗車していたのだ

これはマズいと思ったが、飯山駅のみの訪問というのは、金銭的にも時間的にもなかなか辛いものがある。そのうち北陸新幹線の敦賀延伸の時が迫ってきた。その時期は3月の青春18きっぷの季節以外ないだろうと今回の旅となったのである

上越線に入り、小千谷駅では2台の除雪車が待機中。飯山線の乗り換えとなる越後川口でも雪一色

乗り換え時間2分という優秀すぎる接続で、単行のため駅名標の位置が車両から、かなり離れたところにあるため、写真を撮るだけでも必死だった。ちなみにこの足跡はすべて私のものである(笑)。地元の皆さんは雪に対応した靴だったが、当然私は違う

幸運だったのは、週末中心の観光列車「おいこっと」の定期運用車両に乗れたこと。JR東日本は観光列車を定期運用に使用することはほとんどないが、飯山線では使用されているようだ

ちなみに「OYKOT」とは東京(TOKYO)を逆さ読みしたもので、大都会とは対照的なふるさとを意識して名付けられた

フリーきっぷ購入が問題

さて今回の移動で課題となったのが、きっぷの購入である。新潟エリアには「えちごワンデーパス」「えちごツーデーパス」、信州エリアには「信州ワンデーパス」という、なかなか優秀なフリーきっぷがある。ただし「えちごー」についてはワンデーとツーデーでエリアが異なり、ワンデーは小千谷までしか行けず1570円。ツーデーはエリア拡大で2740円で十日町まで行けるので自分の行動エリアを考えるとツーデーを購入して1日だけ利用しても十分に元がとれるが、こちらは基本的に週末のみの販売。ということで18きっぷの登板となった。ただし飯山駅利用には信州ワンデーパスが必須である

というのも新潟エリアのパスにしてもそうだが、特急料金さえ払えば乗車券は有効なのだ。青春18きっぷだと飯山から新幹線に乗車した場合、乗車券も含めて当該区間は一から買わなければならないが、フリーパスだと特急券だけ買えば大丈夫。また明日は松本に宿泊することになっているので、長野から特急移動することになっても同じく特急券追加だけで済む。2680円で通年発売。こちらの方がお得となる

ただ、このフリーパスは購入が問題で、発売はエリア内のみどりの窓口または指定席券売機となっている。名古屋または東京から行く場合はそれほど苦労はしないだろうが、新潟から入る時はエリア内最初の駅は越後川口そして十日町となるが、両駅はみどりの窓口はあるものの、指定席券売機はない。みどりの窓口の営業時間はJR東日本のHPに記されているが、休憩時間などについて私的には現地に着いてみないと分からないと思っている。新幹線に乗るだけなら飯山まで行けば何とでもなるが、きっぷの購入については何ともならない時は何ともならない

という理由もあって本日の宿は十日町とした

十日町到着は15時前。そして

無事みどりの窓口は開いていた。結論としては私が乗車する翌日の朝から営業していたが、とにかくひと安心

これで明日に何の憂いもなくなった。十日町で宿をとったのは、へぎそばを食べる目的もあった。過去に2度ほど新潟駅近くのへぎそばのお店に行ったが、いずれも長蛇の列で断念。かねてより本場の十日町で食べたいと思っていただけに

大変満足。二人前でも食べられたかもしれない

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