JR

由利高原鉄道に初乗車3~駅?郵便局?

子吉駅に入居しているのは玉ノ池簡易郵便局

2023年3月4日8時20分

どこからどう見ても

曲沢から羽後本荘へ戻る形で子吉で下車しました。こう見ると普通の駅の光景と何ら変わりませんが、外に出ると全く異なる風景に出会える

これはどう見ても郵便局以外の何ものでもありません。駅舎の中に郵便局が入居しているユニークな駅です

大正期の開業時に開設

子吉駅は1922年の横荘鉄道開業時に設置された古い歴史を持ちます。長らく旧駅舎が使用されてきましたが2011年に現駅舎に改築。郵便局が駅舎に入居しました

こちらは駅舎内の様子。玉ノ池簡易郵便局が入居しています

土曜日ということで郵便局はお休み。駅の待合室のみの機能。もちろん時刻表や運賃表も掲示されています。集札や出札は行っていないようですが、ぜひ郵便局が開いている時間に訪れたいもの

駅の前を走っている国道からは駅と郵便局、どちらも分かりやすく表示されている

新駅舎が誕生した際に植樹が行われたようで、10年以上が経っているとはいえ、まだ木としては幼いようです

駅を離れます。子吉は羽後本荘から2駅目。羽後本荘まで行って折り返してきた列車なので同じ車両になりますね

駅舎に郵便局が入居する例としては内房線(千葉県)の江見駅もあります

こちらは昨年12月訪問時のもの。その時も残念なことに週末で郵便局は開いていませんでした。当駅は業務委託駅で、郵便局の開いている時間帯は駅業務を行っています

再び車窓は雪景色

このまま終点の矢島へと向かいます

もちろん最初に訪れた曲沢も通過しますが、ふと気付くと

車窓はすっかり雪景色。昨日の午前中に青森県で見た光景に再び会うことになりました。鳥海山ろく線は全長23キロで、それほど長い路線ではなく、真ん中あたりの曲沢でも雪はほとんど消えていたのですが、こんなに景色は変わるのですね。ちょっと感動しました

そして矢島駅に到着です

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由利高原鉄道に初乗車~名称は鳥海山ろく線

羽後本荘駅の駅名標と由利高原鉄道の車両

2023年3月4日7時20分

羽後本荘に宿泊

前夜は18時前に羽後本荘に到着

羽後本荘の駅名標です。そのままホテルへ

一夜明けた羽後本荘駅。朝の7時過ぎですが、曇っていてまだ薄明るい。立派な橋上駅舎が2年前に完成。それまでは昭和50年代に改築されたコンクリート駅舎でした。旧本荘市で現由利本荘市の代表駅。特急も停車する管理駅ですが、前記事の岩城みなと駅の項でも触れた通り、有人ながら窓口はなくきっぷ販売は指定席も発券できる自動券売機となっています

待合室に過去の写真とともに羽越本線の周辺駅の歴史も掲示されています

現在は羽越本線の一部が1922年の羽後本荘駅開業当時は陸羽西線だったことが分かります。そのひとつ下に耳慣れない「横荘鉄道」という文字が見られますが、これこそが今から乗車する由利高原鉄道の元になったものです

スタートはJR駅の一部から

改札内は同じになってしまうのですが、JRと由利高原鉄道は別の改札口となっています。そして由利高原鉄道には窓口はちゃんとある

羽後本荘駅は4線のホームを持っていますが、1~3番線をJR、4番線を由利高原鉄道が使用します。すでに発車準備は整っていますね。会社名は由利高原鉄道、路線名は鳥海山ろく線。JRに乗って当駅に向かうと到着時には「鳥海山ろく線はお乗り換え」とアナウンスが入ります

歴史ある23キロの第三セクター

由利高原鉄道は羽後本荘駅から山中に入り、終点の矢島駅を結ぶ23キロの三セク

国鉄末期の1985年に国鉄「矢島線」が三セク転換されました

歴史は古く、先述した横荘鉄道が羽越本線の全通(1924年)より先の1922年に羽後本荘~前郷を開通させました(陸羽西線から羽越線に名称が改められたのは1924年)。1922年といえば大正11年ですから歴は相当古い

ならば「横荘」とは何なのか、という話になりますが「荘」は羽後本荘だと容易に察しがつきますが、「横」はというと奥羽本線の横手です。横手と羽後本荘の両方から線路を伸ばしてつなげる予定で、横手側からの方が先に工事が始まり、昭和初期までには順調に線路が延びていき、前郷で接続された後の繁栄も考慮されて前郷~矢島も延伸開業されたほどでしたが、日本各地の未成線と同じく、戦時体制とともに工事は中断。その後、線路が結ばれることはありませんでした

路線にとって不幸だったのは、矢島延伸(1937年)間近になって横荘鉄道は国有化され「矢島線」となったにもかかわらず、横手からの路線は国有化されず、名称も羽後鉄道から羽後交通横荘線となったものの、天災などの不運もあって徐々に路線は縮小。1971年に全線が廃線となってしまいました。現在は横手と羽後本荘をバス路線が結んでいます

矢島へ出発

残念ながら時間の制約があって今日は、それほど多くの駅で降りることはできませんが、全線乗車は果たすつもりです

由利高原鉄道側から見たの駅名標は鳥海山ろく線仕様となっています

乗り込むと約20分で

曲沢に到着。ここはぜひ降りてみたい駅でした

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ホームから望む夕陽

岩城みなと駅の駅名標

2023年3月3日16時50分

※時刻表は当時のものです

あまりの寒さに予定変更

大変名残惜しいですが、羽後亀田駅を去ることにします。「町の顔」確かにその通り。バス停のような簡易駅になってしまったのでは悲しすぎるので、いつまでも美しい駅舎であってほしいですね

羽後亀田駅の時刻表。ところどころ空きますが、1時間に1本程度の列車はあります。当初の予定では16時2分の酒田行きに乗る予定でした

羽越本線の秋田~余目間には普通すらも多くが通過する駅が3駅あります。桂根、折渡、女鹿の3駅でいずれもJR移管後に信号場から昇格した駅です。そうしょっちゅう来られる場所ではないので、そのうちひとつでも訪ねておきたい、と思い。羽後亀田のお隣である折渡に訪問する予定でした

時刻表を見ると分かりますが、私が秋田から乗車してきた16時2分は折渡通過ですが、17時31分は停車します。そしてこれが折渡駅の最終列車。ほとんどの普通は通過で1日に上りが3本、下りが5本しか停車しません。ただ羽後亀田と折渡の距離はたったの3キロで、地図を見るとほぼ道路が並行している。これは迷わず40分もあれば十分歩けるはず。つまり羽後亀田から徒歩移動して羽後亀田17時31分発で折渡同35分の列車を捕まえるのです。となれば本日宿泊予定の羽後本荘に順調に着くことができる

という自画自賛的な作戦を考えたのですが、結論からすると

寒すぎてヤメ

元々気温は低かったのですが、夕暮れも迫ってきて急激に気温が下がってきました。駅間徒歩移動には夏より冬の方が絶対に良いと考えている人間ですが、ここまで寒いともう無理です。何より、せっかくの羽後亀田駅ですから、もう少し長く滞在したくなりました

目指すは新駅

そこで1駅戻って岩城みなとを目指すことにしました。こちらも羽後亀田から1駅。ちなみにこの間には二古信号場があります。山中ではなく海と国道沿いの信号場で、誰も住んでいない場所にポツンとある信号場のイメージとは全く異なり周囲には集落もあるように見えますが、70年代に駅から信号場へと降格してからは、JR移管時も駅に戻ることはありませんでした。そのすぐ先にあるのが岩城みなとです

ホームを降りると新しい駅舎が出迎えてくれます。それもそのはず。開設は2001年で旧岩城町の中心駅となるべく新たに開業しました

こちらが駅舎。夕闇が迫っています

駅前にはウェーブ岩城という新しい建物があり、図書館などが入居しています。駅前は新興住宅街となっていて、役場も至近。岩城町の中心機能が集められて新たな駅が誕生した形となっています。岩城町は2005年に周辺の町と本荘市と合併して由利本荘市となりました

道の駅も徒歩圏内で島式の漁港があります

窓口とお別れ

岩城みなとは簡易委託できっぷ売り場があります

ただ、その傍らには

こんな張り紙も。羽後亀田駅と同じく、3月17日で窓口を閉鎖して無人駅となる案内です。由利本荘市の中心で特急停車の管理駅である羽後本荘駅では一足先に指定席発券機能もある自動券売機に移行。そしてこの3月17日をもって岩城みなと、羽後亀田のほか羽後岩谷、西目の計4駅が一斉に無人化されました(羽後本荘は発券窓口はありませんが駅員さんはいます)。つまり市内のJR駅から、すべて発券の窓口がなくなってしまったわけです。時代の流れとはいえ急過ぎます

岩城みなとは海の見える駅でもあります

ホームからの風車と海は駅のみどころでもあります。この日は雨予報だったのですが、雲の合間に夕陽がなんとか顔を出してくれました。晴れた日の夕陽はもっと美しいのでしょうね

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羽後亀田駅よ永遠に

羽後亀田駅は島式ホーム構造だった

2023年3月3日16時

現代にリメイクできる砂の器

羽後亀田の駅舎内です

松本清張作品には多くの鉄道が登場します。松本清張と鉄道をメインにした本まで出ている。路線だけでなく「駅」が多く出てくるのも特徴のひとつですが、インターネットどころかテレビさえも広く普及していない昭和30年代によくぞここまで調べ上げて知識を得たと感心してしまいます

ただ鉄道が重要なファクターとして登場する作品は、有名な「点と線」の寝台列車の死角など現代版として映画、ドラマ化するのがなかなか難しものが多い。その中でも数少ないリメイク可能なものが砂の器です。刑事2人が、ここ羽後亀田と木次線の亀嵩に向かうのですが、最近のものでは亀嵩へは岡山からやくもに乗り、松江から木次線を南下することになっていました

もちろん作品の設定は松本清張が備後落合の旅館で作品の構想を練ったことで知られる通り、芸備線を備後落合で木次線に乗り換えたことになっているのですが、現代風に東京から鉄路で亀嵩に行こうとすると、そうなります

ただドラマや映画で重要なのは駅の風情。時代設定を昭和30年代にした場合はもちろん、現代風にしても駅舎というのは大切です。映画版やドラマ版のいくつかでは「亀嵩」の設定でありながら別の駅がロケ地になっていることもありますが、ここ羽後亀田だけは鉄板で動くことがありません

周辺事情を初めて知る

そんな羽後亀田にようやく訪れることができたのですから周辺散策もしましょう

と駅舎の外に出ると

な、何にもない

周囲はほんの少しの民家と農地です。廃屋らしきものが1軒ありましたが、農地部分はおそらく昔から農地でしょう。これでは刑事さんの聞き込みも3分ほどで終わってしまう。私の知識では、亀田藩と亀田城があって、その城下町だったのですが全く違います。どうしたものかと困っていると

地図を見て納得。城下町はやや離れたところにあるのですね。私が到着した時、バスが止まっていましたが、どうやら町の中心部へ向かうものだったようです

駅に見られる変化

羽後亀田はこのような構造になってしました。右に見えるのが駅舎。かつての貨物の側線も残っていますが、島式ホームに上り下りの電車がやって来て、乗客は跨線橋で駅舎に行きます

ただ駅舎のさらに奥にもうひとつのホームがあるのは何でしょう

改札からホームへの案内は秋田方面2番線、酒田方面3番線と記されています。乗り換え駅ではないので他方向に向かう列車はありません。だったら1番線は何なんだとなり、気になるので行ってみると普通に入れる

新しめのホームがあり駅名標もある。これは何だろう?と調べてみると、ようやく分かりました。私の訪問日から2週間後の3月18日から、すべての列車は上下とも、このホームに停車するのです。私が降り立った2、3番線は旅客ホームとしては閉鎖。特急や貨物などの通過線となるようです

ですから、この記事を書いている現在はもう跨線橋には入れなくなっているはず

乗り場案内が単なる紙だったことも納得です

存在感ある駅舎の将来は?

「落とし物」という表現に思わずクスッとなってしまった、この案内も、もう見られません

そしてその3月18日からの大きな変化は無人化です

訪問時は委託によるきっぷ販売が行われていましたが、それも3月17日で終了しました

そうなると気になるのは駅舎の将来です。今回、秋田~余目の羽越本線を乗車してみた感じでは古い駅舎が残っているのは、ここ羽後亀田のみ。全くの私見ですが、1日の乗降客が100人ほどの当駅の駅舎がずっと残されている理由には砂の器の存在が大きいのではないかと思っています。私のように映画やドラマを見て駅を訪れる人も少なくはないはず。今後については不明ですが、映画史にも残る当駅の駅舎は、ずっとこのままの姿であってほしいと思います

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奥羽本線を行く~羽越本線に乗り換え念願の駅へ

羽後亀田駅の駅名標

2023年3月3日14時30分

1日3往復のために働く車両

素晴らしい能代駅の駅名標とお別れして再び奥羽本線に戻ります。JR東日本の駅名標って地方の小さな駅でも特化した駅名標がよく見られますね

東能代で1日3本の特急「つがる」に乗り換えます。ホームの待合室もつがる仕様でユニークです

ほんの数分の接続でつがるがやって来ました。1日3往復ですが、この列車のおかげで先にうまく乗り継げます。常磐線でも活躍したE653に似ていますが、このE751は交直両用のE653とは異なり、交流専用仕様。元々は東北新幹線が盛岡までだった時に盛岡~青森の「スーパーはつかり」用として製造されましたが、現在は青森~秋田間のつがる専用となっています

つがるは東能代から50分で秋田に到着。つがるの終着ですが、奥羽本線はまだ続きます。ただ私は奥羽本線とはお別れ。ここから日本海沿いに羽越本線を進みます。つがるの秋田到着が15時27分そして羽越本線の秋田行きが写真でお分かりのように15時31分発とタイトな乗り継ぎで、ダイヤ乱れがあったらどうしようとヒヤヒヤでしたが、うまく乗り継げました。同ホームでの乗り換えにも助かった

未乗区間を埋め、38年来の念願の駅へ

新潟~秋田を結ぶ羽越本線ですが、私は新潟から余目までは乗車したことがあるものの、余目~秋田は未乗区間です。その区間に川部駅と並ぶ今回の旅の目的のひとつがあります

秋田から30分で、その羽後亀田に到着しました。由利本荘市に入っています

多少、くたびれた感のある駅名標ですが私は感無量でした

1974年に映画化された後、何度もテレビドラマ化されている松本清張の「砂の器」。羽後亀田駅は重要な役割を持った駅として登場します。私が映画を見たのはすでに中学生になっていたので、75年のことだと思います。砂の器といえば構内におそば屋さんが入居していることでも知られる木次線の亀嵩駅(島根県)が有名ですが、最初に登場するのはこちら

何度も映画、ドラマで見た駅舎をようやく生で見ることができました。再度記しますが、まさに感無量という言葉がぴったり

財産票によると駅舎は1920年(大正9年)の開業時のもの。赤い文字が印象に残ります

防犯連絡所の文字も古風です

ここでの時間はたっぷりあるので、しばらく感慨にふけることにしましょう

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奥羽本線を行く~1区間だけのメインルートへ寄り道

能代駅の駅舎

2023年3月3日13時

全国優勝58回の超名門校

弘前からの東能代着は12時59分。衝動的に降りはしましたが、一応、時刻表はめくってある。ここで五能線へと乗り換えます。13時1分発の岩館行き。「岩館行き」というのが実は貴重なのですが、それについては後述します

5分もかからず、お隣の能代へと到着しました

JR東日本のGV-E400というディーゼルだけど電力で走行する新型気動車ですね。初めて乗りました

能代の駅名標。東能代以上に「バスケット」が強調されています

高校バスケットの名門で全国大会のいずれもで10回以上優勝している能代工業(秋田県立能代科学技術高等学校)によるものです

ホームにはゴールも設置されています。「58」というのは全国大会の出場回数ではありません。インターハイ、国体、ウインターカップを合わせた優勝回数。凄い数字です

能代市の代表駅

さて岩館行きに乗車していたお客さんは、私を含めほとんどがゾロゾロと能代で降りてしまいました。能代市の中心部に近く代表駅なんで当然といえば当然ですが、五能線のダイヤもかなり特徴のあるもものとなっています

こちらは能代駅の時刻表。リゾートしろかみは全車指定の観光列車ですから能代から先に行く列車は1日7本。それに対し東能代行きは倍近い13本もあります。どういうことかというと東能代~能代の1区間だけの運行列車が半数を占めているからです

奥羽本線は能代の街の外れを走っています。東能代駅の開業は1901年の明治34年。当時の技術的にも地形的にも米代川に阻まれて奥羽本線は能代の中心部を通しにくかった。そこで現在の東能代駅を能代駅として設置しました。ただ街の中心部を通らないのはいかがなものかとなり、1908年に現在の東能代~能代線が支線として開業。後に能代線と名付けられました。現在の能代駅は能代町駅を経て現駅名に、最初の能代駅は2度の改名で東能代となっています

五能線の能代以遠が開業し始めたのは10年以上も後のことです

青森県の本八戸と八戸の関係と八戸線の開業理由と似ていますね

ただ八戸~本八戸は2区間で、八戸線の区間列車は本八戸止まりではなく4駅先の鮫まで運行されていることと比較すると1区間のみの運行は、かなり際立っています

高校野球で熱気

能代の改札口。東能代とは異なり自動改札機はありません。シルバーのラッチが現役なのがいいですね

立派な駅舎を携えています。構内にはコンビニもあります

駅前のロータリー。ご覧のようにここでは雪はほとんど姿がなくなっていました。ただ決して暖かくはありません

少し時間があるのでそばを食べてお昼としました

駅に戻ります。無人駅ではありませんが、かつてのびゅうプラザはなくなり、自動券売機が置かれています。ついこの間までは管理駅で東能代、能代と在来線のお隣同士の駅が管理駅になっていました

ちょうどセンバツ高校野球の直前で当駅が最寄りの能代松陽高校の出場で駅のあちらこちらで盛り上がっていました

東能代行きの改札開始を告げるアナウンスが流れ、多くの高校生がホームに向かいます。私も東能代から再び奥羽本線に乗ることにします

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奥羽本線を行く~バスケの町へ寄り道

東能代駅の駅名標

2023年3月3日11時30分

偶然重なったデビュー日

川部の滞在は45分。あっという間でしたが、ここからはあっという間ではありません。10分ほどで弘前に到着します。ちょっとだけ気分転換で外に出ます

弘前の立派な駅舎を少しだけ見る

青森もSuicaエリアになるんですね。計画したわけではありませんが、まさに記事を書いている今日が「デビュー日」です

特急乗り放題だけどトコトコ奥羽本線

弘前下車は運転停車の3分を利用してダッシュで行ったもの。ここから長いトコトコ旅となります。4年前は青春18きっぷで秋田を目指して新青森からスタートし、途中大館での昼食休憩を挟んで秋田までたどり着きましたが、それでも大館~秋田は2時間。夕方の帰宅&下校ラッシュにもはまったため、2両編成の電車は超満員で景色すら眺めることができず、かなりしんどかった。18きっぷの辛いところです

ただ今回持っているのは東日本パスなので特急も乗り放題。快適な旅を…と思ったはずですが結果はやはり秋田までトコトコ旅(泣)。新青森の項でも触れましたが青森~秋田の在来線特急「つがる」が1日3往復しかないからです。ここ弘前でつがるが来るのは2時間後。ホテルで朝食をさんざん食べたので、お腹はすかない。今乗っている普通にそのまま乗車しても秋田に1時間半も早く着いてしまいます(要は後続の特急に乗車しても30分ほどしか時間が詰められない)。ということで再び普通に戻る。弘前から秋田まで2時間半の普通電車旅はそれなりに堪えます

ただ前回とは違い、今回は車窓を眺める余裕はあります

弘前あたりで消えた雪景色が鷹ノ巣あたりで復活。気候のことは分からないのですが、交互に車窓を彩る景色は楽しい。このあたりで弘前から1時間です

衝動的に降りてみる

さらに揺られること30分。東能代接近のアナウンスがあり、降り支度を始める人が多い中、なぜか私も降り支度。秋田からは羽越本線に乗り継ぐ予定で14時1分に秋田に着いて14時31分発の電車に乗る予定。次のつがるだと間に合わないので鈍行旅を選んだのですが、なんとかなるだろう、と急に東能代で降りてみたくなりました

東能代は自動改札機も備えた駅。管理駅で全列車が停車します

五能線も含め、こちらを行き来する列車は何度も乗っていますが降りたのは初めて。それも衝動的行動のひとつですが

能代といえばバスケット。いつも車窓から眺めているだけだった、構内のこのリングを生でながめたかったのです

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奥羽本線を行く~明治生まれの駅舎で18きっぷを買う

川部駅の駅名標

2023年3月3日10時30分

乗客の多さにビックリ

川部駅に到着しました

駅名標が分岐しているように奥羽本線と五能線の接続駅となっています

ここまで車内が混雑していたことにまず驚いていたのですが、多くの人がこちらでドッと降りて二度ビックリ。その点は考慮していなかったのですが、本数が多いとはいえない五能線の接続電車だったのです

跨線橋を渡った方々はどんどん五能線の列車に吸い込まれていきます。そこで現在は青春18きっぷの期間でもあることに気付きました。もちろん私が使用している東日本パスも期間内。昨秋は両者が重なることはなかったのですが、今回は重なるのですね。それは人も多いはずです。私が七戸十和田から乗車したはやぶさが東京からの始発で、こちらにきっちり間に合う。今日は金曜日で3日間有効の東日本パスは今日さえ休みをとれば、うまく土日に重なるわけです。なるほど、と納得。今日からは他の列車も混雑しそうだと身構える

五能線の案内がありました

五能線の終点を告げる案内標

ただ私の目的は五能線ではないので改札に向かいます

間もなくお別れとなる明治の駅舎

今回の旅でのミッションは3つあって、未訪問だった東北新幹線駅訪問はすでに達成。2つ目が川部駅の訪問でした

開業時からの駅舎が残る川部駅。雪がよい風情をプラスしてくれていますね

財産票も当時のものだと告げています

ただこの駅舎はこの時点で改築が決まっていて、JR東日本の発表では旧駅舎の面影を生かした改築とのこと。そしてもうひとつの大きな変更は3月18日から無人駅となることで、訪問時は健在だったみどりの窓口はなくなります

そこで「今期の青春18きっぷを川部駅で購入する」とのミッションを付け加えます

ただ私が改札を出た時は駅スタンプを熱心に押して入場券を購入するグループの方がいたので、私は先に写真撮影をすることにしました

ギリギリだった18きっぷ購入

駅舎内です(きっぷ購入直後の写真)。ストーブがいい感じ。人もいなくなったので早速、ミッションに移りましょう

そこであるものに目がいく

時刻はすでに10時35分。これは気付きませんでした。危ない危ない

ということでミッションも無事達成

ビューカードで購入すると駅名が入るはずです(要確認事項)。これで5回の旅は「川部駅発行」の文字を見ながら旅ができます

ついでに入場券も購入しました

駅スタンプとかわいい駅の模型

「村」のみどりの窓口

まだ時間はあるので駅の向かいで恒例の100円コーヒータイム。身体が暖まる

こちらは仮設トイレ。すでに工事は一部始まっているのでしょうか

駅舎内に戻るとすでにカーテンは閉ざされていました。私の前で窓口が開くことは、もうありません。駅の住所は青森県の田舎館村。「村」にあった貴重なみどりの窓口でした

年季の入った跨線橋はしばらく保たれそうです

JR東日本の発表では新駅舎の利用開始は5月27日となっています

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奥羽本線を行く~青森で変わりすぎた姿にぼう然

新青森駅の駅名標

2023年3月3日9時20分

散水をながめながら

新青森に近づくと車窓からは融雪の散水が見られます。東北って、これまで夏と秋にしか来たことがないので初めて見る光景に見とれてしまいました

新青森に到着。この列車は新青森止まりのため、ドッと人が降ります。こちらは過去何度か来ています。ここで奥羽本線に乗り換え

美しいリンゴの鈴に一瞬、見とれてしまうが、七戸十和田からの車窓で私は心配でたまりませんでした

銀世界の貨物列車

奥羽本線のホームをのぞくと、完全な銀世界。盛岡から北上すると急に景色が変わることを前日から痛感しています

当然ながらホームもこんな様子

貨物列車がやってきました。貨物が雪の中を走る姿は、とても美しいのですが私はカメラを構える手がすでに震えつつありました

新青森駅の意味合い

青森の中心駅はもちろん青森駅ですが、かつてフェリー乗り場に直結していた青森駅に新幹線の駅を設けるとスイッチバック構造になってしまうので、それを避けるために青森から1駅のところに新青森駅ができました

世間的に有名ではないのですが、開業は国鉄末期の1986年と意外と古い。将来の新幹線駅設置を目指して早々に駅を設けたものの、寂しい単式ホームのみの駅が20年以上そのままにされていたという歴史を持っています

ここから北側は北海道新幹線となりますが、貨物列車に限られるため、表現が的確かどうか分かりませんが、この先で北海道新幹線は津軽線と一緒になります。東北新幹線が新青森まで延伸した2010年12月から北海道新幹線が開業した2016年3月まで函館からの特急はすべて当駅始発となりました

と同時に旅客の便宜を図るため、青森~新青森間に限っては特急料金を支払わなくても特急の自由席に乗車していい特例措置も誕生。当初は普通乗車券のみの適用でしたが、その後青春18きっぷでも乗れるように改められています

津軽新城駅の意味合い

ホームにいたタイミングで普通電車が来たので乗ることに

電車からはお客さんがドッと降り、私が乗ると車内はこんな感じで、ほぼ貸切状態。数人がパラパラ乗っていますが、見たところ明らかに同業者(鉄道ファン)です。それもそのはず。この電車はお隣の津軽新城駅で終点なのです

青森~新青森~津軽新城という3駅2区間のみの電車なのですが、この運行はかなり行われています。北海道新幹線が開業したことに伴い、函館からの特急はすべて姿を消しました。つまり青森~新青森の列車がそれだけ少なくなってしまったのです。特急の自由席に乗れる運賃の特例については先に説明した通りですが、適応する特急は青森~秋田の「つがる」3往復のみ。これでは青森~新青森のシャトル感が失われてしまうので、このような運行の普通が多く設定されました

かつて函館からやってきた特急は新青森が終点(始発)だったものの、新青森には折り返し能力(設備)がないため、一度津軽新城まで回送運行され、待機した後で折り返していましたが、さすがに特急停車駅にはなりませんでした。当時は特急の運行を補うように青森発新青森行きの普通電車もわずかに運行されていましたが、函館からの特急が姿を消したことで普通もすべて津軽新城行きの折り返し運行となりました

要は津軽新城で待っていても、ここ新青森で待っていても結果的には同じ電車に乗るわけですが、久しぶりに津軽新城駅に行ってみたいと、ガラガラの電車に乗ったわけです

昨年12月だったとは

津軽新城にはすぐ到着

ただ跨線橋を上がる時からおかしな雰囲気はありました

十数年ぶりに訪れたのですが、当時は趣のある明治生まれの木造駅舎があったはず。いつからこのようになったのかと調べると、昨秋に仮駅舎となった後、12月に新駅舎となったとか。まさにタッチの差ですが、事前に調べていなかった私は、ぼう然としてしまいました。各地の駅を回っていると、こんなことが特に最近多い

そろそろ今冬の役割が終わりそうな除雪車を間近で見られただけよしとしますか

跨線橋だけは古いものが残されていたことだけが救いでした

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新幹線単独駅巡り再び~日本に5つの自治体

いわて沼宮内駅のIGRいわて銀河鉄道の駅名標

※新幹線単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日15時50分

「いわて」の付いた由来

盛岡で乗り継ぎに余裕があったので一度駅前のホテルにチェックインしてから再び駅へと戻り、再び新幹線に乗車。いわて沼宮内に到着です

東北本線時代は沼宮内という名前で2002年に東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸された際に駅名変更となりました

3階建ての立派な駅舎はその時に完成しました。岩手広域交流センターにの中に駅が設けられている形になっていて駅の中の人は多い

「いわて」の名前ですが、一見すると「岩手県」を想像してしまうかもしれませんが、ちょっと違う

駅前の像で分かる通り、ホッケーに力を入れている岩手町の「いわて」。当駅が岩手町の代表駅であることを分かりやすくするため「いわて」の3文字が入りました

駅前の岩手町の案内図。都道府県名と同じ市町村名でありながら県庁所在地でないという自治体は日本に5つあって、そのひとつ。他は茨城町、栃木市、山梨市、沖縄市です。ちなみにメディアには「県庁所在地を報じる時は県名は略する」というルールがありました。つまり盛岡市での出来事を報じる時は「盛岡市で行われた○○」、岩手町での出来事を報じる時は「岩手県岩手町で行われた○○」と表記されるわけです

JR東日本の新幹線駅で最小

こちらは新幹線の改札口。随分コンパクトですが新幹線駅の利用者はコロナ前でも1日に150人程度でJR東日本の新幹線駅では最小の利用者

これは到着時のホームの案内表示ですが、次の列車が2時間後、その次も2時間後

駅の時刻表を見ると2時間に1本の停車で、始発も遅め。東京へもっと早い時間に行きたい場合は、IGRいわて銀河鉄道に乗って向かうことになります。このあたりは本数が少ないから利用者が少ないのか、利用者が少ないから本数が少ないのか微妙なところですが、IGRいわて銀河鉄道でも30分で盛岡まで行けてしまう近さも本数の少ない理由のひとつになっていると思われます

急な吹雪で厳寒に

私も盛岡に戻りますが、新幹線を待つよりIGRいわて銀河鉄道の方が早いので、そちらに乗車することにします。話の順序が遅くなってしまいましたが、盛岡以北の東北新幹線は整備新幹線となるため、並行する在来線は新幹線開業時に三セク化されています

こちらはIGRいわて銀河鉄道の改札口。今回利用しているきっぷは同線にも乗車できます

こちらはIGRいわて銀河鉄道の駅名標。背後に新幹線の高架。しっかりホッケーが描かれています

ここで偶然にも貨物列車がやってきました

貨物列車が見られるのは三セク乗車の楽しみですが、白石蔵王から少しずつ北上してきた今回の旅で初めて見た光景があります。それは雪に覆われたホーム。同じ岩手県でも一関や水沢あたりでは雪は全く見なかったのですが随分と異なる光景。そのうち横殴りの猛烈な雪が降り始め、私はホームで震え上がっていました。思えば10日ほど前に米子で猛烈な寒さに出会い、その後「随分と暖かくなったなぁ」と感じていたのですが、その考えは大いに甘かったようです

写真では分かりにくいかもしれませんが、激しい雪の中やってきた電車にありがたく乗ることにしました

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