JR西日本

JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その12~加賀温泉駅誕生の理由

8月25日10時

お隣の難読駅へ

加賀温泉のお隣である動橋にやってきました

かつての町名ですが、なかなか難読です。まず「いぶり」のハードルが高く、次の「はし」も「ばし」と濁って読んでしまうことが多いのではないでしょうか

片山津温泉、山代温泉への最寄り駅で、かつては温泉まで北陸鉄道も当駅から出ていました

かつては特急停車駅

しかし、こうして見ると加賀温泉駅からも、かなり近い。そこに今回のテーマがあるのですが、かつては温泉へのアクセスもあり特急停車駅でした。ところが現在の加賀温泉駅である作見をはさんだ大聖寺も山中温泉、山代温泉へのアクセス駅だったことで、両駅の地元では北陸本線に特急が登場したころから誘致(停車)合戦が起こり、千鳥停車(交互に停車すること)や両駅に停車など、いろいろなパターンが試されてきましたが、そのうちに特急の両駅停車はおかしい、という話になっていきました。一駅挟んではいますが連続停車のようなものです

特急の連続停車については武生、鯖江の項でも触れました

今となってはなんてことないのですが、当時は特急停車はひとつだろう、という空気で、となると二択を迫られた形となった国鉄は1970年に

中間の作見駅を加賀温泉駅と改称。特急停車駅とした上で動橋、大聖寺の両駅は特急通過駅とする

という形で解決しました。なかなか思い切った作戦で当然のように地元では猛烈な反発があり、加賀温泉駅のスタートは当初予定より遅れてしまったようですが、この解決策がヒントになったのか、似たような話は上越新幹線の燕三条駅設置でもありました。ただ単純に温泉地を訪れる利用者目線だけなら「加賀温泉」という分かりやすい名前の駅だけに特急が停まった方が分かりやすいのも確かです。まだまだ北陸自動車道なんてない、温泉訪問は鉄道で、の時代です

その後の動橋駅

動橋は明治期に誕生と歴史は古い。おしゃれな階段とか特急停車駅の風格を持っています

財産票によると窓のアルミ補強などされているものの現在の駅舎が生まれたのは明治30年というから、まだ19世紀です

ちなみに加賀温泉駅がスタートする時、旧来の作見駅より少し動橋寄りに駅が移動して設置されたそうで、そりゃあ動橋とも近くなります。特急も通過するようになった当駅は、かなり早めに無人駅となっています

かつての優等列車停車駅とあってホームは長い。そして今はきたる三セク化に向けて準備が進んでいるようです

駅名板の「動橋駅」の上が不自然にぽっかり空いていますが、ここには「JR」の文字が入っていました

ただ今も利用者は比較的多い駅です。駅舎の中には

駅の年表がしっかり残されていました。じっくり読めるものですよ

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その11~今回も始発サンダーバード

春に次いで夏の青春18きっぷ

8月25日6時

春に敦賀から北上して丸岡まで訪問した北陸本線。夏の青春18きっぷで金沢までの全駅を訪ねます。朝の大阪駅。ネット予約していたきっぷを発券。今回は福井までサンダーバードでワープします。でないと回りきれません。そして例によって始発のサンダーバード。北陸方面に行く時、最近はこれしか乗ったことがありません

今回も駅順ではなく訪問順に紹介していきます

こうしてあらためて見ると、サンダーバードの本数の多さが分かります。JR西日本在来線の看板特急の座に長くいます。大阪駅11番線というのは「ひだ」「サンライズ」も出発しますが、ほぼサンダーバード専用ホームとなっています。まだ発表はありませんが北陸新幹線の敦賀延伸後は、ここからどの程度のリレー特急が出ることになるのでしょうか

スタートは加賀温泉駅

福井で普通に乗り換え、ここからが青春18きっぷの出番となります。そして加賀温泉駅に到着。今日最初の訪問駅です。朝一番のサンダーバードは通過なので福井での乗り換えとなります。ちなみに大阪駅を1時間10分後に出る最初に加賀温泉に停車するサンダーバードに乗車すると、私の経路より約30分遅れて当駅に到着。1時間以上ものリードが福井で普通に乗り換えるだけで、こんなに詰まってしまいます。この日の私の行程を考えると、それほど大差ないのですが、せっかくの18きっぷですので少しでも特急料金を節約できるようにいたしませんと

その加賀温泉駅ですが北陸新幹線の駅も新設されるので、現在は仮駅舎で営業中。駅名板なんて基本的には高い所にあるはずですが手の届くところにありますね。違和感クイズのようです

文字通り、加賀温泉郷と言われる片山津温泉、山中温泉、山代温泉、粟津温泉への玄関口として機能し、各温泉へはここからバスで行けるようになっています

私事ですが約30年前、急きょ山中温泉に行かなければならない仕事ができ、到着は夕方の4時ごろ。当時はネットで予約なんてものはありませんから、駅構内の観光案内所で、その時間からでも泊まって食事もできる温泉宿を予約してもらい、バスで訪れたことがあります。考えてみると他にも駅の案内所でホテルや旅館をとってもらったことは何度かあり、当時の観光案内所って忙しかったんだな、と思ってしまいます。案内所には「空室あります」の看板が必ずあって窓口に行って予算を言うと、大抵が電話2本ぐらいまででとれてしまう。今のようにオンラインで空室状況が分かるシステムではないので各宿とアナログ的に密な連絡があったのでしょう

今しか見られない鉄道風景

過去にも紹介しましたが、北陸本線の特急停車駅にある、お次はこれです案内

同様に特急停車駅にある「普通列車を探せ」時刻表

あと1年半ほどで姿を消すので、まさに「今しか見られない鉄道風景」です

駅を出たら住宅街という無人改札状態の北口は現在こんな感じ

さて当駅の住所は加賀市作見町。駅名もかつては「作見」で普通しか停まらない地味な駅でした。それが、なぜこのような大規模な駅になったのか、それを知るべく、お隣の動橋に向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その10~忘れ物

欠けていた駅のちょっと貴重な光景

JRのうちに北陸本線の各駅を巡る旅。3月24日の行程はこれまでお伝えした通りですが、この間にある2つの駅が欠けていることをお分かりの方もいらっしゃると思います。福井駅と越前花堂駅です。過去に訪れているので旅報告からは外しましたが、改めて付け加えさせていただきす。まず福井駅

数え切れないほど訪れていますが意外と写真がない。すぐ乗り換えるか飲みに行ってしまうからでしょうか。これは2018年6月のもの。JRの駅ではありませんが

えちぜん鉄道が暫定的に北陸新幹線のホームを間借りして時の時のもの。間もなく新駅に移動するというので2度と見られない光景だということで慌てて撮りに行きました

難読かつユニークな駅

福井から1駅南にあるのが越前花堂です

なかなか難読です。こちらから越美北線が分岐しています。越美北線全駅制覇を目指した(できませんでした)昨年9月19日に訪れました

分岐駅ですが戸籍上は越美北線の起点駅です

ただ越前花堂を始終着とする列車は設定されておらず、すべての列車が福井まで乗り入れます

ただ、ややこしいのですが先に越美北線の駅が設置され、その後に北陸本線上に駅ができたため、これまた戸籍上は北陸本線の駅ではなく越美北線の駅となっています

北陸本線側にある駅舎。昭和40年代生まれとあって堂々のコンクリート駅舎です。背後に見える高架は北陸新幹線

今は無人駅ですが立派な大理石の改札口が残ります。これはなかなか貴重なものだと思います。1960年代で、鉄道全盛期は多少過ぎたとはいえ、まだまだ国鉄にも余力があったのか

さて地図でお分かりのように越美北線のホームはやや離れたところにあって西側の下りホーム側にある駅舎からだと東側にある越美北線ホームへは跨線橋を上り降りして上りホームに移動した後

上りホームの一番後ろ(福井駅側)から通路で移動する必要があります。この時は工事中で暫定通路のようになっていて現在の形は分かりませんが導線は新幹線開通後もあまり代わらないと思われます

向こうに見えるのが越美北線のホーム

ムニャムニャと進んで行きます

北陸本線の線路とはかなり離れています。そして越美北線のホーム

北陸本線ホームと比べると随分ノスタルジック

実際の私の行動は逆で越美北線に乗ってきたわけですから、越美北線を降りて北陸本線ホームと駅舎に進んでいます

福井へ向けて去っていくキハ120を見送ります

1面ホームと待合所だけの写真を見ると、とても北陸本線の駅とは思えません

まだ暑い季節でしたのて゜福井行きの電車(列車ではありません)を待っているとお客さんがゾロゾロと集まり始めました。この時間帯の北陸本線の福井行きは1時間に2本。電車の時刻に合わせてお客さんが駅にやって来る、よく見られる光景

ちなみに市販の時刻表には「越前花堂~福井間は越美北線と併せてご覧ください」と記されていますが、そちらの時間に合わせて駅に来られる方は少なくとも私の乗車列車にはいなかったようです。1日7本しかない上、北陸本線ホームと離れていて階段の上り降りまであるので、そちらに合わせる行動は、あまりないのでしょう

来春から三セク移管となる北陸本線ですが、越美北線はJRがそのまま運行予定。となると福井~越前花堂はJRの路線ではなくなるわけですが、青春18きっぷの利用についてはどうなるのか。金沢駅からの七尾線のように特例区間となる可能性が高いと思いますが

そして鳥居型のこれまた貴重な駅名標はどうなるのでしょう。越美北線ホームはJRということで、このままでいてくれればうれしいです

夏の青春18きっぷで芦原温泉~金沢の全駅訪問も行いました。しばらく間を置いて記事にします

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その9~今も印象に残るお酒のCM

3月24日16時20分

本日最後の下車

いつの間にか夕暮れが迫っています。本日の旅最後の訪問は大土呂

「おおどろ」と読みます。私はこの日まで「おおとろ」だと思い込んでいました。日本語の濁点というのも、なかなか難しくて、このシリーズで紹介した「今庄」も「いましょう」ではなく「いまじょう」。こんな有名な駅でも間違えられることが結構ある。「橋」「崎」とか他にもありますね。その意味ではワープロからスタートしたPCや携帯のワープロ機能というのは貢献度が大きく読みを間違うと変換しないので「なるほど」と気づいたりするわけです

駅舎は線路の東側にあって、ずいぶん前からの無人駅ながら西側への「救済」はなく東側に出るしかないようです。元々は2面3線だったようですが、中の1線が消されて2面2線となっています

 

私の写真が下手でコンクリ駅舎のように見えるかもしれませんが木造駅舎。こちらも福井地震の後に建て替えられました

今日見てきた駅名板は特徴あるものばかりでしたので、こういう無機質なものが新鮮。字体はどんなゴシックか分かりませんが

 

地図に注目

写真の駅舎内は閑散としていますが乗車した電車からは、多くの高校生が降り、また乗ってきました。今日は終業式ですかね。それでも夕方まで学校にいたのでしょう。写真は生徒さんが駅を去ってから撮りました

駅舎内には

文殊山までのデマンドタクシーの時刻表そして6年前の地元紙が貼られています

記事によると昭和20年代から30年代にかけては19人もの駅員さんがいて貨物列車も多く運行。駅前にはパチンコ店もあったとか。今は文殊山への登山口の役割も大きいそうです。文殊山は福井県のハイキングコースとして有名で、いろいろなアプローチがある中でも当駅からが最もメジャーなコースのようです

外に出てみます

ハイキングコースの地図とは別に周辺地図。開業前の北陸新幹線が既にイラスト入りで描かれているので新しいものですね

寺社仏閣が多い古い町なんだな、と眺めていると「宇野重吉生誕の地」がありました。名前を言っても分からない方が多いかもしれませんが、昭和の名優です。寺尾聰さんのお父さんと言えば分かりやすいかも。宇野重吉さんで私が思い起こすのは石原裕次郎さんとのお酒のCM。お寺の境内で裕次郎さんが和尚さんに分した宇野さんと酒を飲み交わす。当時私は中学生で日本酒なんてまだまだでしたず「しからば問う。裕次郎」が印象に残っています。今もCM動画は、何らかの形でどこかにある。私も久しぶりに見て細部を思い出しました。途中でお銚子のお酒が切れてしまい、ちょっとお茶目な裕次郎さんが格好いい

ちょっとノスタルジックな気持ちで帰路につきました。実は私が乗った敦賀行きは敦賀でほとんど時間なく姫路方面へと向かう新快速に乗り継ぐダイヤになっていて始発なんで、もちろん十分座れたのですが、さすがに朝6時半のサンダーバードでやってきただけに疲れました

本日分の18きっぷの元は十分にとったでしょう。いつも概算で2500円ぐらい使用したことが分かれば、すぐ特急課金をしてしまいます。敦賀駅でちょっと休憩。サンダーバード課金で帰路につきました。いつの間にか陽が長くなっていて春の訪れを感じました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その7~需要がありそうな窓口だったけど

北陸本線各駅の紹介に戻ります

3月24日15時

福井市街に位置

丸岡から再南下。森田駅で降りました。福井から北へひとつ目とあって周辺は福井市の市街地が広がります

福井駅から九頭竜川を渡ると当駅

おしゃれな駅舎です

車寄せ部分の短い階段。玄関部分の柱は近年強化れたようです

独特の字体と青い文字が印象に残ります

しかし、こちらも「う~ん」。何かこの張り紙ばかりを紹介しているような。ちょっと寂しい

簡易委託で改札業務は行わないようですが、駅舎内の窓口ではきっぷの発券中。後ろで聞こえてくる感じでは、ずいぶん先の東京方面へのきっぷを頼んでいる様子。かなり時間を要していたので単純往復ではなかったのかもしれません。3月後半のこの時期、いろいろな駅で大きな荷物を持つお客さんの姿をかなり見ました。大きなスーツケースを持って駅から降りてくる若い女性を見て「故郷に帰ってきたのかな」などと勝手に思ったりしていました。異動と移動の季節。春の鉄道旅行でよく見かける光景。新幹線へ飛行機ではゾロゾロ目にしますが、どこかで新幹線や特急、もしくは高速バスを乗り継いでローカル線の駅で降り立つのは、大概ひとり。季節ならではの光景

きっぷも、そんな一環で買っている気がしました。再来年には三セクとなってしまうので、どうしようもないことですが、窓口できっぷを買うなら、おそらく福井駅まで足を運ばなければならなくなるのでしょう。スマホで予約してターミナル駅で発券というのが、もう主流になりつつある。ターミナル駅では車を止めるのも大変なので、これは面倒だけど券売機に慣れきってしまうと別の困ったことも起きてしまう可能性もあります

実は先日、JR東日本の乗り放題きっふで旅をした時、みどりの窓口だけしかなく指定券券売機のない駅で発券しなければならなくなり、私は逆に戸惑ってしまいました。スマホに表示されたQRコードをピッとかざすだけの行程に慣れてしまうと、こんなことになります。なかなか難しい

なお、三セク移管後、森田と福井の間に新駅が設置される予定です

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西岩国駅から錦帯橋への行き方

駅舎の姿に呆然

10月3日、岩徳線の西岩国駅を訪問しました。そのときに戸惑ったことがあったので、もし行かれる方がいらっしゃれば、良い情報になるかもしれません

この日は朝から岩徳線の駅回りを行いながら、ここまでやって来ました。お昼の12時半

岩徳線及び錦川清流線(岩国からお隣の川西まで岩徳線に乗り入れ)は何度も乗っているのですが、西岩国は降りたことがなかった。写真では数え切れないほど見ています。レトロにして風格ある駅舎。元の岩国駅ですね

木製ラッチ(改札)からして雰囲気抜群。ただ奥を見て何か工事臭がして気になっていたのですが駅舎を抜けて振り返ると

何だこりゃ~。呆然というか言葉がないというか、立ちすくみましたね

実は時間は早いので、もう1度岩国方面への列車に乗り駅回りをしようと考えていたのですがメインイベントがこれでは

すっかりやる気がなくなりました

岩徳線回りについては改めてご報告しますが、朝に徳山を出たものの私の判断が悪い部分もあって、本数の少ないこの路線攻略が失敗気味だったこともあります

ということで

錦帯橋に初めて行ってみよう

と思いつきました。岩国には10回以上来ていると思いますが、1度も錦帯橋は見ていない。これはちょうど良い機会ではないか、と急な考え

西岩国の駅から比較的近いということは知っていました。ではグーグル先生に聞いてみましょう

 

歩けないことはないですが

これはムリ!

この日は朝からそれなりに歩いている上、10月とは思えない暑さ(今思えば10月最後の暑さでした)でやる気の失せた私に20分以上の徒歩はムリです。調べてみると、お隣の川西駅からだと15分ほどだとか(それでも歩く気力があったかどうか分かりませんが)。ただご存知の通り、岩徳線というのはダイヤが極めて薄いのです。錦川清流線は雨の被害によって代行バスとなっていますが、こちらも本数が多いとはいえない

だったらバスはどうでしょう。必ずあるはずです。運が悪かったのは駅舎内のふれあい交流館が、この日はお休みだったらしく、聞く人がいなくて自力で調べるしかありません。分かったのは西岩国駅の前を通って錦帯橋に向かうバスの本数がおそろしく少ないこと。主なバスは国道2号を行くため、駅前には来ないのです

東錦見(「ひがしにしみ」と読みます。難読ですね)というバス停が近くにあって、そこからの本数は多いらしい。ですが、ちょっとトラップもある上、私はここからちょっとウロウロしてしまったので、その失敗談も交えて説明します

 

まず駅前(丸数字1)を出て国道2号方面に向かうと、丸数字2のところに東錦見のバス停があります。ただ少しややこしいですが、これは違う東錦見です。時刻表を見ると、本数はないに等しいほどでビックリすると思います。ただ間違う方も多いのか、バス停に「錦帯橋方面は国道2号線のバス停へ」と書いてくれています。ということで私はここで失敗。2号線沿いにあるのだろうと、錦見の信号を真っ直ぐ行ってしまったのです。地図を拡大していただくと分かりますが丸数字4のバス停が岩国駅方面の停留所で、それが見えたため、その向かいにあるのだろうと思い込んでしまったのです

正解は丸数字3です。信号を渡ってUターンするような形で2号線を行ってください。信号の所にトヨタがあるので、それに沿っていくと

奥にバス停が見えてきます。バス停から逆(進んできた)方向を見ると

こんな感じ

本数は結構あります。ズバリ錦帯橋行きもありますし、錦帯橋経由で新幹線の新岩国行きもあります。どうもこの停留所から出るバスはすべて錦帯橋を経由するようです。1時間に3本ほどあります

乗ると10分ほどで

素晴らしい錦帯橋に出会えますよ

ちなみに私はテレビや写真などでしか見たことがなく、橋と川だけを見て、かなりの山中にあるのだと思い込んでいました。全然違います。どちらかといえば町中でした(汗)

さて帰りというか岩国駅まではどうやって帰るのかということになりますが、これは全く心配ありません

来る時に降りたバス停の向かいに大きく岩国行きバス乗り場の表示があります

岩国駅に至るルートは複数あるのか、私はずいぶんと小さいバスだな、と乗り込むと坂道だらけの住宅街を回るコース。でも最後は岩国駅に着くので問題はありませんでした

ある意味、工事中の西岩国駅を見るのも数少ない機会(負け惜しみ)かもしれません。西岩国駅訪問からの錦帯橋は、バスで行くなら、お間違えのないようにしてくださいね

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その6~今旅の北限の駅へ

3月24日12時20分

発展する西側に対応

鯖江からひとつお隣の北鯖江で下車しました

島式ホームです。今回訪問した各駅では珍しい構造。どの駅でも見た雪メーターがあります

駅舎は線路の東側にあります

瓦屋根の駅舎。北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で大きな被害を受け、それに伴う改築、新築が多いのですが、こちらは1955年の開業で当時から同じ姿です。島式ホームなので駅舎からは跨線橋で向かいます

無人化されていて駅舎内だけでなくホームにも待合室が設けられています。跨線橋を慌てて渡るリスクを考えると冬場にはありがたい。そして跨線橋からは西側にも出られるようになっていてICリーダーが設けられています。前回の鯖江駅の項でも記しましたが、後から駅舎と反対側がにぎやかになってくると、どうやってそちらに出るかで利便性が大きく変わるのですが無人駅だと対処しやすいですね。駅の西側は国道8号を挟んで福井鉄道が走っていて、国道沿いにあるショッピングモール、アル・プラザの最寄りにもなっているようで週末は西口がにぎわうそうです

大いに勘違いしていた私

北鯖江から再び武生まで戻り昼食を摂り(私の探し方が悪いのかもしれませんがランチは鯖江より武生が目につきやすかったです)、またもや福井方面行きに乗車。前に行ったり後ろに行ったりでややこしい。福井を通り過ぎ、福井から3つ目の丸岡で降ります。今日は日帰りで、ここから敦賀方面のいくつかの駅に行けていないので日没を考えると、こちらが北限

丸岡といえば有名なのは丸岡城。私なんかは高校サッカーの強豪、丸岡高校を思い浮かべますが、丸岡の駅そのものは旧丸岡町ではなく旧坂井町にあり、丸岡の町の中心部はかなり離れています。恥ずかしながら訪れて初めて知りました。今は三国町、春江町とも合併して坂井市となっていて市役所は丸岡駅が最寄り。つまり坂井町の中心駅が丸岡駅だったんですね。50年以上前は当駅には京福電鉄の丸岡線というのが走っていて終点というか起点の本丸岡駅が丸岡町の中心地。今は本丸岡駅跡のバスターミナルが中心の役割を担っています

結構遠いですね。バスで検索すると「こちらの方が早い」と言わんばかりに徒歩が出てきました。考えてみると古くからの城下町の真ん中に旧国鉄の線路が敷かれたということは多くはありません。丸岡駅と丸岡バスターミナルを結ぶバス路線は、本数も多くないようで今は、旧丸岡町から福井市内へは直接バスで向かうのがメーンルート。ただし丸岡駅は坂井高校の最寄りでもあるので、多くの高校生が利用します

駅舎は12年前にリニューアルしたばかり。前述した福井地震は丸岡町が震源で、丸岡城も倒壊し丸岡駅も全壊。その後に復旧した駅がリニューアルされ、駅には多目的ホールも設置されました。私が訪れた時は

ひな人形のお出迎えがありました。地元の有志の方が毎年展示しているようです。これは良いものを見ました。その一方で駅舎の中は

1カ月ほど間に合いませんでした。残念

次の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その5~特急が連続停車

3月24日11時半

連続停車は画期的なことでした

武生の次は北へひとつお隣の鯖江で下車します

現在、鯖江駅を走る特急の主力は大阪行きのサンダーバードと米原or名古屋行きのしらさぎの2種類。もうひとつ朝夕に通勤者用の特急があります。サンダーバードの停車パターンは両駅を通過するか、両駅とも停車するかの主に2パターン。しらさぎは東京からの新幹線乗り継ぎ要素が強いのですべて停車します。通勤特急は当然停車

この2駅連続停車は、国鉄時代の特急では、ある意味御法度でした。急行と特急では料金が大いに異なり(その規定は今も残っていますが定期急行がないので有名無実状態です)、高いカネを払っている(取っている)のだから停車駅は限りなく少なくしないと意味がない、差別化できないとの考えがあり、近い場所に有力な駅が2つある場合は交互にどちらか停車させる千鳥パターンをとっていました。私が実際に体験したものでは神戸市の神戸と三ノ宮、広島県の福山と尾道などがそうでした。そもそも特急は原則全車指定席です

しかし国鉄の最後の方に「エル特急」が出現。お高いイメージの特急にもっと乗ってもらおうと、自由席を設けて停車駅も増やした「エル特急」は大いに受けました。今では信じられないことですが昔の急行というのはグリーン車以外は冷房が付いていないことも普通にあったのです。おまけに座席は4人BOXの背中直角シート。これまで停まらなかった駅にも停まるようになったし、少々高いカネを払っても特急車両で気持ちよく行こうという方が多かったのでしょうね。「でしょう」と書いたのは貧乏学生だった私には特急なんて高嶺の花。帰省の際に新幹線に乗るのが目一杯のぜいたく(半分ぐらいは大垣夜行でした)で、平素の旅行では急行を探して乗っていましたら

ただエル特急の効果は抜群で、主要路線の急行があっという間に衰退してしまいました。やはり自由席の採用が画期的なことだったと思います。別の角度から見れば、体のいい値上げだったわけで、コロンブスの卵というか、これを考えた人は凄い

めがねの街とコンクリ駅舎

鯖江は国鉄式の平面コンクリートです。私はこの「ザ・国鉄」駅舎が大好きなんです。近年、急速に姿を消していますが日本海側はかなり残っているイメージがあります

姿を消している理由としては老朽化ももちろんありますが、このようにコンクリートで固めた駅舎を規模の大きな駅に造ると、線路を挟んで駅舎の反対側にいる人は「駅前にいながら駅までが果てしなく遠い」状態になってしまいます。規模が大きければ大きいほど、線路の本数は多く踏切を設ける場所もどんどん遠くなります。駅ができた当時は街の中心部に向けて駅舎があり、それほど問題にならなかったことが時代が進むにつれて問題になっていきます。それを解決するのが橋上駅舎化や高架化で片方だけの古い駅舎は各地で姿を消していっています

解決策のひとつは歩行者のための地下歩道を造ることで、ここ鯖江も

地下の自由通路ができています。「めがねのまち」のシルエットが、さすが鯖江という感じがします

戦前に既にメガネの製造で東京や大阪を上回り、現在はメードインジャパンのメガネの95%を誇るメガネの街

こうやってメガネストリートを歩くこともできるようです

さて駅に戻ります

「きっぷ売場」の文字がいいですね。明らかに国鉄時代からのものと思われますが、いつまでも残ってほしいです

今も残る「特急」

さて手元に1988年3月の時刻表があります。JR移管後1年。既に昼間の急行は姿を消しています

サンダーバードもスーパー雷鳥もまだなく、エル特急雷鳥がずらり並んでいます。まだ昼行で大阪と青森を結んだ特急・白鳥は健在ですが、こちらはエル特急ではなく武生と鯖江は通過です。他はしらさぎと加越。しらさぎが名古屋行き、加越が米原行きなので、夜行を除くと今とほとんど同じ特急パターン。既に両駅停車が多くなっていますが、武生のみというダイヤが多い。しかし鯖江のみというのもチラホラ。昔の特急の名残が残っています。実は今も数少ないながらも存在していてサンダーバード上りで武生のみ停車が4本、鯖江のみ停車が1本、下りでは武生のみ停車が3本あります(鯖江のみはありません)。停車パタンの基準については分かりませんが、こうやって時刻表を眺めていると私は楽しくなってしまいます

 

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その4~昔は日本中あった光景

3月24日10時20分

数字のないバス停

湯尾駅に到着しました

北陸路は峠が多く、旅人の行く手を阻んだだけではなく、戦国時代までは自然の砦としてそれぞれが重要な戦略拠点となっていました。湯尾峠もそのひとつ。日野川沿いに小さな街ができています

ホームには降雪メーター

ログハウス風の駅舎があります

駅前のバス停。地元の方向けへのコミュニティーバスのようで、私も全国各地でお世話になりましたが、たまにこのような時刻表の数字が入っていない停留所に出会って絶句することがあります。もちろん地元の皆さんはご存知のようで、時間になると停留所前にやって来られるのですが

普通列車を探せ!

続けて

武生に到着です。敦賀を出てから3時間かけ、初めてみどりの窓口設置駅に来ました。まぁ真っ直ぐ来れば30分ほど。特急なら20分ですが

3分ほど歩けば福井鉄道のターミナル駅である越前武生駅があって接続駅ともなっています。かなりの本数の特急が停車します

駅舎内も広くて立派なみどりの窓口があります。最近、ターミナル駅でもみどりの窓口のスペースがどんどん小さくなっていますが、これだけ大きいと「偉い駅」という感じがしますね

北陸本線の特急停車駅では、このような案内板があります。何両でやって来るのか、自由席がどこかが一目瞭然で大変分かりやすい

北陸本線というのは在来線の特急天国で、北陸新幹線の金沢延伸前までは本当にいろいろな特急が走っていました。今でも時刻表は

こんな感じ。まるで「普通列車を探せ」のクイズです

優等列車ごとの乗車位置を示すヒラヒラの案内。いくつも並んでいるので自分のきっぷと照らし合わせながら、その前に並びました。以前は全国各地に普通にありましたが、もはや絶滅危惧種

北陸新幹線にも武生駅は設置されますが、少し離れたところに「越前たけふ」として新幹線単独駅として設置されるため、同駅での接続はありません。こうした光景も1年半ほどで見られなくなるので、何十年もありふれた景色だったものが、なくなってしまいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その3~ぬくもり感じたかけ声

3月24日9時50分

かつての一服駅

再び敦賀行きの列車で折り返す形で今庄に到着

今も大きな構内を持つ駅ですが観光拠点でもあり、5年前に駅舎そのものを南越前町がJRから購入し、立派にリニューアルさせました

かつては峠を越える前の今庄宿として栄え、近代になってからは同じく難所に向かう鉄道拠点として重要駅となりました

前回、南今庄駅の項でもお伝えした通り、北陸トンネルができるまではクネクネと峠を越える難所だった敦賀までの区間に挑むには1台の蒸気機関車では足りず補機が必要で、その付け加えをする拠点となっていて、長時間今庄に停車する必要があり、待っている時間に今庄そばでお腹を満たしたとか

今も広い構内が残ります。駅名標は降雪メーター付きのようです

駅にあった周辺見所にはしっかり旧線がありました。ウォーキング大会なども行われているようです

立派な駅舎に手動の行き先表示

駅観光協会が入居しています。駅舎には今庄の町の情報館もあり、かつての今庄駅のジオラマもあるそうですが、私は座布団のある立派な椅子に腰掛け、高校野球に見入ってしまいました。駅の業務は観光協会、つまり南越前町に簡易委託駅していました

「いました」と過去形になっているのは

南条駅と同じく、こちらの張り紙があったから

改札部分は今も駅らしい雰囲気であふれているのですけどね

手動の行き先表示。最近見たのは、いつどの駅か忘れてしまいました

そろそろ時間となったので、私ともう一人ご婦人が跨線橋からホームに向かおうとしたその時

「次の発車は2番線ですから!」

と後ろから大きな声。後で写真を見て気づいたのですが、写真の左側を見ると「次の武生方面は2番線です」との紙がぶらさがっています。どうやら基本的には1番線を下り、3番線を上りホームとしていて、特急の通過待ちがある時などは2番線に下り電車が入ってくることがあるようです。手動の行き先表示は固定されていて、このように紙をぶら下げて案内しているようです

2面3線のホームは1番が独立していて2、3番は同一ホーム。つまり間違って1番に行くと、もう1度跨線橋を上る必要性が出てくるので(通過待ちで長時間停まるのでやり過ごす危険はないとは思いますむ)、気を使ってくれて念押しの声をかけてくれたようです

私は左の紙に気づいていなかったので、そのままだとうっかり1番に向かっていたかもしれません。ありがとうございました

もっとも地元の方と思われるご婦人は分かっていた様子なので、明らかに私にかけてくれた言葉だったのかな。階段を2度上がるのはしんどいですから、感謝の念でいっぱいです

このような光景はもう見られなくなっているのでしょうか。確認しに行く必要がありますね

跨線橋の文字を見て思いました

ありがとうございました。また来ます

 

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