関駅

72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~再来訪を誓って雨中の旅が終わる

※訪問は2025年10月5日

本社所在の駅

最後の訪問は関駅。長良川鉄道の本社所在地だ。時刻は16時15分。日没まではまだまだ時間があるが、雨のせいか薄暗い。美濃太田~岐阜~米原経由で帰宅することを考えると、時間的にはここまでだ

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かつては名鉄の駅も併設

駅の開業は1923年(大正12)。美濃太田駅から美濃町(現美濃市)駅まで越美南線が開業した際、途中駅として設置された。現在は関市だが、当時は関町に所在。駅名は「美濃関」だった。旧国名がついたのは関西本線の関駅(三重県)がすでにあったため。三セク転換時に国名が外れて現駅名となった

かつては名鉄美濃町線の乗換駅でもあった

名鉄美濃町線は美濃駅から岐阜市内までを結ぶ路線だったが、1999年(平成11)に美濃~新関が廃止となり、美濃市駅での越美南線と美濃町線の乗り換えがなくなった分、当駅での乗り換えが便利になるように新関から当駅まで線路が敷かれ、関駅が新たに設けられた。といっても両駅は徒歩5分の距離でしかなく

すでに乗換駅として利用されていたが、さらに便利になるような措置だった。だが2005年に美濃町線そのものが廃線となり、名鉄の関駅も廃止される。新駅誕生からわずか6年で廃駅という運命をたどることになってしまった

有人駅とジオラマ

本社があるので当然有人駅である。駅舎は古くからの駅舎を改修しながら使っているようだ。新関駅前にあったバスターミナルなど、関市に集まるバス路線を集約させた新ターミナルを駅前に集約させている。このように交通機能を集約させた関駅だが、美濃太田駅をのぞいた路線内のナンバーワン駅ではない

利用4ケタの駅はなし

路線内で最も利用が多いのは、もちろん美濃太田駅。JR高山本線との乗換駅でJRだけで1日に5000人以上の利用があり、長良川鉄道に限ると839人(2022年度)。つまり1000人以上が利用する駅はない

2位は関口駅で494人と3位関駅の320人を上回る。このような逆転現象は美濃市でも起きていて美濃市駅の151人(8位)に対して梅山駅302人(4位)。これは駅の近くに高校があるからだ。学校の存在で利用者数が変動してしまうほど、それ以外の利用が少ないことになる。ちなみに全38駅中100人を超えている駅は9駅しかなく、美濃市駅のひとつ北側の梅山駅より北濃側の駅で3ケタの利用があるのは郡上八幡駅の233人(5位)、美濃白鳥駅の126人(9位)の2駅のみである。昨年10月の減便を経ても予断を許さない状況にあると言っていいのかもしれない

郡上八幡という、集客に優れた地域があるにもかかわらず、利用が低迷するのは線路にぴったり寄り添うように走る東海北陸自動車道の存在も大きい

それでも、ここまで紹介してきたように路線も車両も魅力ある路線である。今回は2日とも雨に遭遇すしたこともあって思ったように動けなかった部分もある。次回は線路が走る予定だった石徹白(いとしろ)まで何とか足を伸ばしたいと思っている

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~行き止まり三セク路線の誕生まで

※訪問は2025年10月4日

富加駅から北上

富加駅からいよいよ北上を開始する。といっても時間はすでに13時。秋の短い日を考えると、今日残された時間はあまりない。それもタクシー利用の理由だった

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つながらなかったあと24キロ

乗車したのは2024年にデビューしたばかりの新型車両600形。柿色の車体で柿の食品サンプルが置かれている。美濃太田から富加までは約6キロ。全長72キロの長良川鉄道なので終点まであと66キロもある。そして終点の北濃まで到達する列車はわずかである

長良川鉄道は三セク会社で、この会社が運営するのが越美南線。だから現在乗車しているのは長良川鉄道越美南線という表記が正しい。ただ越美南線という表現はほとんど使用されておらず、日々利用している人にも長良川鉄道という言葉が定着している

ここからは、この記事を読んでる方には釈迦に説法のような話だが、越美南線があるからには越美北線もある。というか越美北線は現在もJR西日本の現役路線。福井の1駅隣の越前花堂(はなんどう)を起点に大野市へと向かい、九頭竜湖駅まで52キロを結ぶ。越前花堂は帳簿上の起点駅で実際はすべての列車は福井駅から出発する。福井~越前花堂は北陸新幹線の開業により三セクのハピラインんふくいとなったが、越美北線については在来並行線とはならなかったため、現在もJR西日本が運行を担い、他のJR線と接続しない孤立路線となっている

この南北の「越美線」はやがて接続され、福井県と岐阜県つまり越前と美濃が、つながることになっていたが、岐阜県側の越美南線は戦前の1934年(昭和9)に北濃まで達し、戦後に工事が始まった福井県側は1972年に九頭竜湖まで進んだが、県境部分の工事は行われることなく未成線となり、やがて越美南線は国鉄民営化の際に長良川鉄道となった

実はあと少しだった。越美南線の沿線から九頭竜湖までは、現在美濃白鳥からだと簡単に行ける。以前は未成線部分を結ぶバス路線があり、こちらは北濃ではなく美濃白鳥から出ていた(2002年に廃止)。ただ地図を見れば分かるが、美濃白鳥を出てすぐの福井県との県境部分となる油坂峠は急勾配で、国道158号の旧道はつづら折りの道路、新線の油坂峠道路はトンネルとループ道路を組み合わせている。ここを鉄道でつなごうとすると、複雑なスイッチバックが必要となる上、九頭竜湖付近はほとんど民家はない。そこで北濃から北に弧を描くようにして石徹白(いとしろ)村を経由するコースで敷設されることとなったが、結果的に県境部分の24キロは未成線のまま終わっている

かつては越境合併も

24キロは現在の工事技術では、そう困難なことではない。事実越美北線の末端部分となる勝原~九頭竜湖は国道がクネクネとつづら折りとなっているのに対し、鉄建公団によるトンネル一本道で建設されている

だがそれでも建設が進まなかったのは、人口の少なさと冬季の積雪による。グーグル地図で北濃から石徹白経由のコースをなぞってみようとしたが、どうやっても石徹白から再び北濃まで戻って美濃白鳥からの油坂峠道路のコースが出てしまう。よく見ると県境部分は現在、通行止めマークが入っている

この石徹白村は、かつて越境合併つまり県境を越えた合併が行われた自治体。これは「われわれは○○県から○○県に移ります」と、都道府県の所属を変更するもので、出ていかれる都道府県は「領土」を失うのだから、そう簡単に実現するものではなく例も多くない。もともと石徹白村は福井県にあったが、福井県側の道路が冬場に雪に閉ざされるなどの理由で住民が越境合併を望み、1958年に多くの部分が岐阜県白鳥町に編入されることになった。まだ越美北線の工事が始まったばかりのころだった

そのような地域の歴史も抱えながら、ついにつながらなかった北線と南線

列車は間もなく本社のある関駅に到着。ここで振り替えが行われた車両で、さらに北へ進んでいくことになる

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