きっぷ

JR西9800ポイントで北陸新幹線の新駅訪問を行う~湖西線ストップの遅延を体験

敦賀駅の駅名標

※訪問は2025年3月3日

雪が見えると湖西線名物の停車

サンダーバード5号は定時の7時40分に大阪駅を発車。大阪を出た時はガラガラだったが、京都で大量の乗車があり、インバウンドパワーを知ることになった。京都の手前で高槻に停車するタイプの運行だが、京都からはノンストップ。サンダーバードは大阪を出ると新大阪、京都はすべての列車が停車。それ以外は高槻のほか、湖西線内の堅田と近江今津に停車するパターンが何本かあるが、基本的には全列車が停車する3駅から敦賀まで、敦賀から3駅まで旅客を運ぶ140キロに満たない短距離の特急となっている

乗車のサンダーバードは9時3分に敦賀に到着。8分の乗継ぎ時間で北陸新幹線へと連絡することになっていたが、近江舞子付近にさしかかり車窓にも雪が見えてきたと思うと、急に減速し、高架の線路上でピッタリと停まってしまった。湖西線名物ともいえる強風による運行停止である。北陸新幹線の大阪への延伸で真っ先にネックになったのが、この強風。雪も多い地域だが、オール高架で踏切なしという昭和40年代としては画期的な規格だった湖西線は冬場の風に悩ませ続けられることになる。北陸新幹線も早々にこのルートはあきらめることとなった

ようやく動き始めると敦賀に近づくにつれ車窓は一面の雪

敦賀へは約20分遅れての到着となった

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一部を捨て、一部は残す

敦賀到着前から、車内は接続について何度もアナウンスが流れた。サンダーバード5号は8分の待ち合わせで9時11分発の富山行き「つるぎ」に接続するほか、9時21分発の東京行き「かがやき」にも接続するのだが、つるぎについてはサンダーバードの到着を待って出発も遅らせるが、かがやきについては先に発車してしまうという。かがやきは敦賀から東京への最速達タイプで、つるぎは敦賀と金沢もしくは富山を結ぶ区間運行列車。このほかに長野までは各駅に停車(一部飯山を通過)し、長野以遠が速達タイプになる「はくたか」もあるが、今後の遅延もはくたかはサンダーバードの到着を待たずに出発するという。つまり東京まで行くタイプは湖西線の遅延は関係なく定時運行だが、金沢もしくは富山までしか運行されないタイプは敦賀で接続待ちをするということ。影響の大きい東京行きについては定時を守り、富山までで完結する列車については到着を待つという方法が、いつも採り入れられているものかどうかは分からないが、妙に感心してしまった

ただし、おそらくかがやきのきっぷを持っている人々だろう。変更手続きをしなければならないので長蛇の列ができていた。私はといえば、北陸新幹線の新駅訪問が目的で、ここからは自由席専門だし、少々の遅れも、列車はバンバン来るし、ちょっと待つことになっても、どの駅にも暖かい待合室があるので、たいして気にはならないので遅延の影響を受けた方々には申し訳ないが、いろいろなやりくりを興味深く眺めていた。こういう時、新幹線というのは、いろいろ楽である。これが2、3時間に1本のローカル線では全くシャレにならない。その意味では幸運だったのかもしれない

なおサンダーバードもしくはしらさぎの特急列車は新幹線の真下に設けられた専用ホームから出発する上、新幹線ホームのエスカレーターの数も多く自動改札機の数も多いため、実際は5分もかからず乗り換えが可能だが、北陸本線の在来線(つまりはほぼ新快速)に乗り換えようとすると、結構な徒歩となるので注意が必要である

とにかく私はつるぎへの連絡は無事に行えた。写真に9時11分発とあるが、すでに時計は9時半に近い。ちょっと自由席の場所が遠かったが、ここから新幹線新駅の訪問開始である

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JR西9800ポイントで北陸新幹線の新駅訪問を行う~意外と高いポイント収集の壁

大阪駅のサンダーバード発車案内

※訪問は2025年3月3日

新生サンダーバードに初乗車

朝7時半の大阪駅。11番線へと向かう。そこは特急専用ホームで、ある意味格式の高いものがある

特急専用というより、基本的にはサンダーバード専用ホームとなっている。この時間帯はJR東海車が大阪駅までやって来る「ひだ」がたまたま出発する時間となっていたが、他の列車は敦賀行きサンダーバードである

説明するまでもなく2024年3月の北陸新幹線延伸からJR西日本の在来線は敦賀までで、在来線は第三セクターの「ハピラインふくい」に引き継がれた。それによってサンダーバードは大阪~敦賀のみの140キロにも満たない運行となっているが、私は今回が初乗車となった

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イメージとは異なる遅い新快速

敦賀乗り入れを果たした北陸新幹線には過去2回乗車した。大糸線から糸魚川経由で来たものだが、いずれもサンダーバードには乗車していない。それぞれ青春18きっぷ、鉄道の日記念きっぷを所持していたため、敦賀からは新快速乗車である。新快速というと特急顔負けのスピードで走るJR西日本の看板列車のイメージがあるが、末端部分は全く事情が異なる。北陸本線の米原経由であれ、湖西線経由であれ、単なる普通列車として運行される。北陸本線や湖西線の駅では昼間にやって来るのは、1時間に1本の新快速のみという駅も多い。しかも4両編成。途中で8両が追加されてようやく新快速のイメージに合った乗り物となるが、その分、所要時間も長く、敦賀~大阪はサンダーバードなら80~90分で到着するところが、新快速なら2時間以上もかかる。もっともそれぐらいの時差があるから特急の価値も上がるとしたものだが、せっかく18きっぷのような「タダ」で乗れるきっぷ(厳密には追加料金不要という表現が正しい)を持っているのだから、私は1時間以上遅くなっても新快速に乗車していた

金沢止まりのころは、さすがに金沢から在来線を乗り継いで大阪まで帰る気力はわかなかったが、敦賀からなら乗り換えなしで大阪どころか神戸まで連れていってくれる。その意味では敦賀延伸は鉄オタには強い武器になったともいえる

ただし今回は強い味方がある

3月14日までが利用期間だったWESTERポイント全線フリーきっぷ。新幹線も含め、JR西日本の全線が2日間乗り放題になる。ただ、これにはいくつか条件があって、まずWESTERポイントの会員になることが絶対条件。その上で最低でも980ポイントを貯めなければならない。きっぷの購入(獲得)は980ポイント+1万9800円または9800ポイントの二択となる

私は9800ポイントを貯めての利用となったので、一見すると、お金は財布から全く出ていない。しかし9800ポイントを貯めるというのは、なかなか大変で、単純には1ポイントを得るために200円が必要となる。JR西日本のクレジットカードを持ったり、JR西日本の駅に入居するお店で還元ポイントの高い日に飲食、買い物をしたりするなどの工夫はできるので、JR西日本の主要路線を平時利用している人は、自然に貯まっていくことも多いので、それなりに獲得のハードルは下がるが、それでもなかなか大変だ。現実問題として年明けあたりから「これは気合を入れないと9800ポイントに届かないかもしれない」と積極的に集めにいって何とかクリア。フリーきっぷを購入すると、どのぐらい元をとれたかどうかを考えてしまうのが鉄オタの常だが、その意味では少なくとも私は元はとれないきっぷ(JR西日本のカードを複数作るなど、いろいろなポイ活があるようではある)なので、気は楽である

そして行うのは延伸時以降に開業した新幹線の新駅訪問。といっても敦賀を含め6駅しかなく、JR西日本全線乗り放題というきっぷの価値を考えると、もったいない気がしないでもないが、先述した通り、元は絶対に取れないし、新幹線も乗り放題というきっぷは次にいつどんな形で出るか分からない(ちなみに先日発表された「西日本・四国乗り放題パス」は2日間で2万4240円)ので、今回投入することにしよう

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その4 三岐線の運行をつかさどる中枢駅

保々駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

懐かしい列車

山城駅の次の訪問は保々(ほぼ)駅だが、その際にやって来た電車が

懐かしい塗装の西武車両。おそらく西武の701系。私は1982年春に大学生になった時から4年間、西武新宿線沿線で暮らしたが、今でこそ「赤電」復元塗装としてウリになっているものの、当時はまだ西武線は完全冷房化となっておらず、真夏に赤電(そのような愛称は当然知らない)がやって来ると「わぁ~、これかぁ」と思ったものだ

昭和41年生まれというから間もなく60歳。元気に走り続けているが、三岐鉄道ではこのほどJR東海から211系を大量に導入。間もなくデビューする予定となっている

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車両区にはさまざまな電車

保々駅が近づいてくると車窓には車両基地が現れ、さまざまな電車が目の保養になる

客車だげでなく三岐線らしく機関車の姿も見える

グーグル地図でも線路を表す線が多く描かれていて規模の大きい駅だということが分かる

ホームを降りると、まず目につくのは三岐線のコントロールセンター。当駅は車両区と運転区を備える路線の中枢駅。乗務員の交代も行われ、当駅止まりの運行のみならず、先に行く電車の車両そのものの交代もある

もともとは保々村

当駅は1931年(昭和6)の開業。富田~東藤原が7月に開業した際、途中駅として設置された(同年12月に終点の西藤原までが開業)。当時は保々村に所在した。「保」とは平安時代の公領にある行政の単位をだそうで、明治の町村制施行の際、複数の村つまり保が集まって新たに誕生した村ということで名付けられた。1957年から四日市市となった

運転区や車両区も備わっている駅としては、駅舎はそれほど大きくはない。ただし2023年の1日あたりの利用者数は824人。近鉄富田駅をのぞくと、これは暁学園前に次ぐ路線内2位の数字である

駅名板は駅舎入口にぶら下げられる形になっていて、これは独特

駅前の周辺案内図は保々地区を描いたもの。近鉄富田から朝明川に沿うように西向きに進んできた三岐線が、ここから弧を描くように北上し朝明川を渡ることがよく分かり、当駅に車両区が設けられている理由が分かりやすい。大雨の時、三岐線は朝明川を渡ることなく保々で折り返すことがある

ホームと駅舎は構内踏切で結ばれていて、当駅始発の列車はどちらのホームからも出発できるようになっているほか、貨物車が旅客車を待避できるよう貨物専用の線路も設けられている

本日はここまで。三岐線は少ししか回れなかったが、一度帰宅してまたこの後の駅を回収することにしよう

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その3 原則的にはほぼ全駅が有人駅

山城駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

読みは「やまじょう」

山城駅にやって来た。ご覧のように読みは「やまじょう」である。当駅の駅舎は路線内の他駅とは、やや異なる雰囲気を持っている

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火災から復活

ホームの先にある構内踏切を渡って駅舎に向かうが、見た目は新しく、かといって前記事の大安駅のように豪華というわけでもない

当駅は1931年(昭和6)の開業。どう見ても当時からの建築物とは言えないが、これは火災に遭ったためである

2014年4月に当駅で不審火が発生。当時すでにコンクリート駅舎となっていたため全焼は免れたが、駅舎の半分ほどが延焼。周辺では他にも不審火があったようで、酷い話である。駅舎はその後、建て替えられたもの

山城駅のかつての所在地は下野(しもの)村。1954年の合併で四日市市となった。駅名はかつてあったお城が地域名となっていたことに基づく

織田信長に滅ばされた城址があったが、三岐線建設の際、中心部が鉄道用地となったため分断される形になっているという

新旧が混じり合う

駅前にはバスの停留所が並ぶ

かつては当駅にバスの車庫があり、華やかな雰囲気があったというが、現在も始終着としての役割を担う。イオンモールを経て北勢線の東員駅に向かうバスもある。地図だと並行して走っているように見える三岐線と北勢線だが、この間を結ぶバス路線は複数あるため、バスを利用しての両路線訪問も頭に入れておきたいところである

待合室は鉄道、バス共通のものとなっていてエアコンも備えられている

こちらは改札口

こちらはフリーパス(現在のものと異なる)の裏側だが、有人駅は黒い丸で表示されている。これで分かる通り、北勢線とは異なり、三岐線は1つの駅を除いてすべて有人駅。もちろん営業時間外で無人の時間帯もあるが、きっぷ販売や定期販売だけでなく改札も行う。現在は都心の大手私鉄の駅でも無人駅が目立つ時代である。そんな中、旅客扱いをしている全15駅中14駅と、ほぼすべての駅が有人というのは、地方の私鉄としては貴重な存在である。ただこうなると、無人となっているたった1つの駅はどんなところだ、というのが気になるところだが、そのあたりは当該記事でお伝えしたい

火災によって大きな被害を受けた山城駅だが、構内踏切の手前には、このようなクラシックな案内も残る。なかなか味のある駅だといえる

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その2 図書館併設の駅には駅名標が並ぶ

大安駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

最初の駅は立派な造り

記念すべき三岐線の最初の下車駅は大安。漢字だけ見ると「たいあん」と読んでしまうかもしれないが「だいあん」である。歴史ある駅が多いイメージの三岐線だが、単式ホームながらも当駅には降りた時から新しさが漂っている

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三岐の岐は岐阜県の意味

当駅は1931年(昭和6)の開業。三岐線は富田~東藤原が同年7月に開業して同年12月に西藤原までが開業して、ほぼ現在の姿となったが、当初の予定とは違って、今もこの形だ。路線名でおおよその察しはつくが「三」は三重県、「岐」は岐阜県からそれぞれ1文字ずつとったもの。このまま県境の山深い地域を貫いて関ヶ原方面まで敷設されるはずだったが、結果的に西藤原以遠の工事は行われず、早々の1937年に敷設のための鉄道免許が失効。岐阜県に入ることなく路線名だけに岐阜の文字が残った。新たに敷設されたのは戦後に設けられた近鉄富田駅へのわずか1キロの連絡線のみである

このような例は全国にもあり国鉄では越前(福井県)と美濃(岐阜県)を結ぶ予定だった越美線は県境を越えることなく越美北線と越美南線(現長良川鉄道)に分かれたまま終わっているし、山陽地方には行かず兵庫県で完結している山陽電車もある

当駅は最初の開業時に誕生し、当時の所属自治体は梅戸井村。梅戸井駅は今も隣駅として存在するが、駅名となった大安はまだ自治体名としてはなかった。開業時の駅名は地域に基づいて大井田駅だった。その後、1959年に梅戸井村と三里村が合併して大安町が成立。当地がかつて奈良の大安寺の寺領だったことに由来する

一方で駅名はそのまま大井田のままだったが、1986年に現在の駅舎が新たに建てられた際に大安町が建設費を出資して駅名変更となった

大きな駅舎は図書館が併設されている

きっぷ売り場があって、その奥が図書館。大安町は平成の大合併でいなべ市となるが、駅舎が誕生した際は、もちろん大安町の図書館

観光協会も入居している

旧大安町の代表駅

大安町の成立後は、当駅が代表駅の役割を担うようになった

大井田城跡を経て旧大安町役場(現大安支所)の役場の最寄り

駅前の周辺案内図は大安町時代のものが、そのまま残されている

駅へと戻る。窓口の営業時間はかなり長い

駅舎の待合室機能も充実している。そして下車した時にまず思ったのが

かなり「これでもか」と並んでいるホーローの縦型駅名標。まるで北海道の駅のようである。新旧の駅舎が並んでいるのが三岐線の魅力でもある

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その1 桑名から富田へ移動

近鉄富田駅の駅名標

※訪問は2024年11月20日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

桑名から富田へ移動

三岐鉄道北勢線の西桑名駅へと戻ってきた。北勢線の全駅訪問は次回へ持ち越しとして近鉄に乗り換え、近鉄富田駅へと移動して少し三岐鉄道三岐線に乗車することにする

いかにもハンパな行動だが、理由はひとつでお腹がすいたから。北勢線沿線の駅近くで飲食店を探す気力が今ひとつなかった。今日は最終的には津からひのとりで大阪へと戻る予定なので近鉄で南下することにした

桑名駅にあるレストランで桑名らしいハマグリ入りの天丼を食べて元気も復活。1日乗車券を持ったまま、近鉄富田駅へと移動した

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駅も様変わり

近鉄富田駅に到着。桑名からは急行だと1駅、普通で4駅だが10分ほどで到着する。当駅に来たのは2022年3月以来なので2年半ぶり。何か前回と違うな、と思って当時の写真を探すと

衣替えが行われたようだ。変わったことといえば

特急券売り場があった場所はシャッターが降ろされている

訪問の2カ月前に閉鎖されたらしい。前回の訪問時にここで近鉄特急のきっぷを購入したことを覚えているが、偶然ながら私もその後、近鉄特急についてはネット予約&購入にシフトしている。近鉄においても、特急は停車せずとも利用の多い駅では窓口で特急券を販売していた時代は終わったのだな、と感じてしまう

ちなみに前回はJRの富田駅から5分ほど歩いてやって来た

実はこれも三岐線と密接な関係があるのだが、それは当該記事で振り返りたいと思う。ひとつ言えるのは、三岐線は1931年(昭和6)の開業以来ずっと独立した私鉄路線でありながら貨物列車も走り続けている貴重な存在だということ

フリーきっぷに注意

ここで朝から使用してきた1日乗車券を取り出す

北勢線、三岐線で共通の乗り放題パスとなっていて、直接の接続のないそれぞれ独立した路線ながら、どちらをどのように乗車しても良い形になっていて、私はこの日のほかにも12月に再び当地を訪れて両路線を乗りまくったが、こちらはすでに過去のものとなっている

北勢線では3月からICOCAシステムを導入。このため三岐線と北勢線では別々のフリーパスが必要となった。料金はともに1200円。つまりこの時の私のように1枚のフリーパスで2路線は乗れない。三岐鉄道HPによるとICOCAシステムへの加入が必要なようだ。ちなみに11月の訪問時の私は、このシステム変更について全く知らなかった。発表前だったのか、発表後だったのかも定かではないが、とにかく偶然ながらギリギリ滑り込んだことになる

さっそくホームへと向かうと三岐線の列車が待っていた。近鉄富田駅は2面3線構造で1、2番線を近鉄が、3番線を三岐線が利用するが、近鉄は標準軌、三岐線は狭軌のため両線の列車が相互乗り入れすることはない。三岐線については旅客輸送の始発駅となっているに過ぎない。「旅客輸送の始発駅」というのが三岐線の特徴を表してもいるのだが、それについても今後の記事で触れる

三岐線ではIC乗車ができない旨が駅とホームのあたらこちらで案内されていてホームには乗り換え用のICリーダーも設置されている。見ていると地元の方々は何の違和感もなくリーダーにタッチしている。地方路線や三セクなどでもよく見かける光景だが、初体験の都会の方は戸惑うかもしれない

ホームの前には路線図と全駅紹介。当駅を除くと14駅。もちろん今日一日では終わらないが、まずは出発しよう

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大糸線全40駅を訪問するお話~旧18きっぷ最後の訪問駅はかつての特急停車駅

神城駅の駅名標

※訪問は2024年9月10日

思ってもみなかったルール変更

神城駅に到着。大糸線のJR東日本の閑散区間である信濃大町~南小谷は10月に発売される鉄道の日記念のフリーきっぷで本格的に回収することを決めていて、今回は南小谷から糸魚川までの増便バスに乗車することが大きなテーマだったが、10月を楽にするため時間があるなら、その中でいくつかの駅を回ってみようということになって降りたのが海ノ口と当駅である

さらに言うと旧制度の青春18きっぷで最後の訪問は当駅となった。もちろんこの後、南小谷、糸魚川を経て敦賀から新快速に乗るので下車駅はいくつもあるが、初訪問の駅は含まれていない。「訪問」というくくりでは神城駅が最後となってしまったが、まさか18きっぷのルールが変更になるとは、この時は夢にも思っていなかった

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一時的な大糸南線の終着駅

写真入り駅名標も残る当駅は1930年(昭和5)の開業。当時は国鉄の大糸南線として敷設が進められていた信濃大町から北側の線路が簗場から当駅まで開通して約2年間の間、終着駅だった。当時は神城村に所在し、戦後に北城村と合併して白馬村が誕生したのは前記事で紹介した通りだが、開業当時に神城駅と、2年後に開業する信濃四ツ谷(現白馬)駅に駅の格付けとして大きな差はなかった。ともに農村地帯の駅という扱いだったことは、特に信濃四ツ谷まで建設を急いでいたわけではなく、次の開業が信濃四ツ谷をまたいで信濃森上までだったことでも理解できる

神城駅は

大きなロッジのような駅舎となっている。もうひとつの特徴としては写真の右下を見れば分かるが

なぜかここに旧式の駅名標が設置されている

現在の駅舎は1997年(平成9)に開業時からの木造駅舎を新たに建て替えたもの。地元企業や住民が建設費を出資した。写真入り駅名標で分かる通り、当駅もスキーそして登山の拠点駅となっていて

白馬五竜スキー場の最寄り駅。1980年代からのスキーブームで当駅にも東京、名古屋から乗り入れる特急が停車または臨時停車していた

こちらも最後となるとは

地元の観光協会が入居していて協会による簡易委託駅

私は山のことは全く分からないが、登山補導所という言葉は初めて知った。木製の看板はかなり以前から使用していたものに思える

駅舎内には旧駅名板が保存されているが、板の上は毎年訪れる訪問者の子育て場所となっているようだ

旧式の駅名標はホームにも残る

ホームは2面3線構造だが、うち1面は使用を止められ柵が張られていた。錆びた線路はホームの端で途切れている。特急あずさは2010年から停車がなくなった。スキー場へはマイカーのほか、東京などの大都市のみならず長野県内からもバスで訪れる客が多く、現在の1日あたりの駅利用者数は70人程度となっている

この後は南小谷駅へと向かい大糸線増便バスに乗車することになる

その時に何気なく撮った写真がこちら

南小谷駅での特急あずさ。この記事を書いている今日3月14日で当駅までの乗り入れを終える。南小谷まで乗り入れた40年以上の歴史が終了する。こちらについても、これが最後の姿になるとは思ってもいなかった

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大糸線全40駅を訪問するお話~誰もが知る駅は戦後に急発展した大糸線の救世主

白馬駅の駅名標

※訪問は2024年9月10日

信濃大町から40分

白馬駅に到着。信濃大町から40分の道程。松本から信濃大町にかけては松本や沿線の通勤通学と安曇野観光という2つの性格を持ち合わせる大糸線で、途中の駅も知名度の高い駅が並ぶが、信濃大町から北は知名度という点では、ほぼ白馬の一点集約だろう。逆の見方をすると、当駅以外、一般的にはあまり用のない駅が並ぶ。もっとも鉄オタ的視点では、そういう駅の方が、より関心をそそられる

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元の駅名は「四ツ谷」

白馬村にあるから白馬駅である。誰でも分かりそうな理屈で

写真入り駅名標も健在である。ただ1932年(昭和7)に大糸南線の駅として開業した際の駅名は「信濃四ツ谷」だった。現在の視点からすると意外な事実だが、白馬駅の待合室には

以前の駅名板が保存されている

そこには分かりやすい解説もある。現在の駅名となったのは戦後20年以上が経過してから。当時の所在地は北城村。駅名は解説にある通り周辺の呼び名である四ツ谷が採用された。国名が付いたのは説明するまでもなく四ツ谷駅が先にあったからだ

北城村が現在も駅名がある神城村と合併して白馬村が誕生したのは1956年のこと。有名な自治体名だが意外と新しい。駅名変更の機運が高まったのは、そのころから。1957年の大糸線全通の際にも地元が要望したが、国鉄に受け入れられたのは1968年のことだった。大糸線が全通するにあたって新潟県に所在することになる現在の平岩駅の駅名候補に白馬があり、地元では大変気をもんだという。要望から10年以上が経過していた

現在の白馬駅の存在感を思うと随分のんびりした話だが、国鉄としては、あまり気にする話ではなかったようだ。というのも当時の一帯は単なる農村で地域外から多くの人が訪れる場所ではなかった。戦前からスキー場があるにはあったが、大規模開発が行われるようになったのは駅名変更のころからである

長野五輪で確固たる地位に

駅舎は大きなロッジ風。何度か改修工事を施されているが、現在の姿になったのは1996年(平成8)。長野冬季五輪の2年前で、ロッジ風も何も2階部分はホテルとしての改築だった

昭和後半から訪れたスキーブームのおかげで白馬駅を中心に大糸線沿線は多くのスキー客でにぎわった。今は最盛期ほどのにぎわいはないが、冬場のスキーだけでなく登山、温泉の利用者も年間を通じて訪れ、白馬駅はその中心となっている。長野五輪の会場となったことで地位はさらに高まった。スキーブームがなければ、元々は国防のために人が少なそうな場所にあえて敷設した大糸線だけに、利用者はさらに少なかったと思われる。その拠点駅は、いわば大糸線の救世主となった

跨線橋にはスキー用のスロープが設置されていて

その旨の注意書きがある

管理駅だが、みどりの窓口は営業を終えていて指定席券売機が設けられている。この記事を書いている時点で、特急あずさの南小谷乗り入れはあと2日で終了となるが、当駅までは今後も乗り入れを行う

駅の周辺案内図。鉄道利用の場合、信濃大町から北は食事を摂るのも大変だが、当駅近辺では問題なく食べることができる

ただ少し意外かもしれないが、観光需要の多い駅だけに1日の利用者数は約500人ほどとなっている

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大糸線全40駅を訪問するお話~痛恨を知らずに信濃大町のロング待機と豊科の夜

信濃大町駅の写真入り駅名標

※訪問は2024年9月10日

再び信濃大町へ

信濃常盤から2駅。前日に続いて信濃大町で下車

信濃大町に到着したのは8時55分。ここから白馬を目指して北上するわけだが、ご覧の通り、次の南小谷行きは10時43分。2時間近い待ち時間ができてしまった。早々に回送になってしまった方向幕がうらめしい

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致命的ミスに気付かず

こちらが信濃大町駅の時刻表。松本方面へは1時間に1本の運行があるのに対し、南小谷・白馬方面へはグッと少なくなる。特に朝の7時台の後は3時間以上の空白があり、お昼前から特急あずさを含めて3本の南小谷行きがあるが、その後は再び3時間近い空白がある。高校生の通学が終わった後は帰宅時間まで運行がなくなってしまうローカル線ならではのダイヤになるため、信濃大町から北へ向かおうとすると、朝は7時21分の列車を捕まえるしかないのだが、これに乗ろうとすると、豊科の始発である6時23分に乗るしかない。今回はどちらかというと南小谷からの増便バスに乗ることが目的なので、細かい駅巡りは、また来る予定の来月でも良い。信濃大町以南は今朝の信濃常盤ですべて回収したので、その分の憂いはなくなった喜びで待機しよう…

と、その時は思っていたのだが、実は1駅だけ「忘れ物」があった。翌月には鉄道の日記念のパスで再び当地を訪れているが、その時も分かっておらず、大糸線のシリーズを書き始めてから気がついた。島内駅を忘れていたのだ。島内は松本から2つめの駅で中心部にも近い駅。なぜだかエアポケットになっていた。今にして思うと、ここで2時間待ちをする間に十分回収できたのである

ということで、これ以降の記事は「全駅訪問できた気分」に向かって進んでいくことをご了承いただきたい。それにしても結構な痛恨となってしまった

エアコン完備の待合室で

2時間近い待機になってしまったため、この時間を生かして観光でも、と一瞬思ったが、とにかく暑い。昨日より暑いのではないか。ということであっさりヤメである

なんといってもエアコン完備の待合室という強い武器がある。途中、屋外の自販機を2往復して涼をとったが、喫茶店のお世話になることもなく、時にはうつうつ船をこぎながら時間を過ごすことができた

先の信濃大町駅の記事で「駅名標だらけの駅」と紹介したが、もうひとつあったことに前日気付かなかったむので、追加しておこう

豊科で思わぬサッカー談義

時系列は少し戻るが、前夜の豊科の夜のことも触れておこう。駅の周辺には飲食店がいくつもあるが、お店の看板を見て気になったので入ってみたのが

どう読みます?

「べっかむ」としか読めない。もしや豊科にもサッカーのお店があるのかと思い入店してみると普通の居酒屋さん。サッカーの雰囲気はまるでない

地酒も地のものも美味しかった。すっかりサッカーのことは頭から離れてしまい、カウンター席に座り、ご主人と歓談。かなりお酒も進んだころ、スポーツ新聞勤務の自分の職歴などを話すと、急に話題はサッカーモードへ

やはり、店名は元イングランド代表のデビッド・ベッカムのことだった。ベッカムが所属していたマンチェスターU(ユナイテッド)は、1999年欧州CL決勝でバイエルン・ミュンヘンを相手に0-1の劣勢からロスタイムに2点を奪って欧州制覇。歴史に残る大逆転勝利として名を刻むが、2点はいずれもベッカムのCKから生まれた。その試合に感動して店名の由来になったという。ご主人は海外までサッカー観戦に出かけるという、なかなかのファン。そこからお互いに話が盛り上がってしまった。居酒屋さんで欧州CLの話をしたのは、もちろん初めてのことである

ご主人は格闘技も大好きで、格闘技観戦のためWOWOWに入会したという、これまた私と同じ経歴の持ち主で、そちらでも大いに盛り上がってしまった。なかなか充実の豊科の夜だった

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大糸線全40駅を訪問するお話~開業はこちら先だけどの快速停車駅

信濃常盤駅の駅名標

※訪問は2024年9月10日

18きっぷ「最終日」とは夢にも思わず

前夜は豊科に宿泊。松本でもそう大差はないが、せっかくなのでこれまで宿泊したことのない町に泊まることに。本日は9月10日で青春18きっぷの最終日。そして私が持つ18きっぷも本日が5回目の最終日である。毎度のことながら18きっぷについては、最後にギリギリ頑張って使い切るパターンばかりで、今回については3~5回目を期限ギリギリに3日連続で使う完全な駆け込み利用となり、3回目こそは原価割れ(1日に2410円以下の使用)となってしまったが、前日9日は篠ノ井から松本経由で大糸線内をかなりウロウロしたし、本日は糸魚川まで抜け、そこからは北陸新幹線を利用するものの敦賀からは新快速で再び18きっぷを利用するので、大幅に元をとった。そもそも中央西線の駅巡りでか前夜は豊科に宿泊。松本でもそう大差はないが、せっかくなのでこれまで宿泊したことのない町に泊まることにした

本日は9月10日で青春18きっぷの最終日。そして私が持つ18きっぷも本日が5回目の最終日である。毎度のことながら18きっぷについては、最後にギリギリ頑張って使い切るパターンばかりで、今回については3~5回目を期限ギリギリに3日連続で使う完全な駆け込み利用となり、3回目こそは原価割れ(1日に2410円以下の使用)となってしまったが、前日9日は篠ノ井から松本経由で大糸線内をかなりウロウロしたし、本日は糸魚川まで抜け、そこからは北陸新幹線を利用するものの敦賀からは新快速で再び18きっぷを利用するので、大幅に元をとることになる。そもそも中央西線の駅巡りで、かなり乗降を繰り返したので、なかなかの回収ぶりだったはず。まさか、この時は18きっぷのルールが変わるなど夢にも思っていなかった

朝7時台の豊科駅は無人だった。信濃大町行きに乗車すると車掌さんが乗っている列車だったので、一番後ろに乗ってサインをもらう。無人駅から乗車するとワンマンの運転士さんや車掌さんからハンコやサインをもらうことになるのだが、結果的にその「最終日」となってしまった

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国有化までは常盤駅

約30分で信濃常盤駅に到着。駅だけ見ると全く普通だが、何か違和感を感じたのは松本以来の交換可能駅はすべて島式ホームだったからかもしれない

当駅は1915年(大正4)の開業。信濃鉄道が池田松川(現信濃松川)から信濃大町(初代)まで到達した際、常盤沓掛(現安曇沓掛)とともに設置された。当時の駅名は常盤。命名の理由はシンプルで、この2駅が当時の常盤村に所在したからだ

そのあたりは安曇沓掛駅の記事でも触れたが、1937年(昭和12)に国有化されると両駅とも名称変更となってしまった。現在、JRで単に「常盤」だけの駅は宇部線(山口県)にあるのみ。宇部線の駅は1925年(大正14)の開業。大糸線の駅が10年先に開業しているが、まだ国鉄ではなかった。国鉄になった時にはすでに宇部線の常盤駅があったという解釈なのだろうか

植木は立派に手入れ

駅舎は令和になったから建て替えられたもの。以前は開業時からとされる駅舎だったが、簡易的なものへと変化した。ただしちょっとした高台にある駅舎への階段脇の植木は立派に手入れされている

大糸線は朝に1本、快速が運行されている。上りのみの運行(夜には南小谷~信濃大町の上り快速が1本ある)で、信濃大町を出ると安曇追分までが快速運転を行い、後は松本から篠ノ井線、中央本線に乗り入れ延々と各駅に停車するものだが、最初の停車駅が当駅となっている

北アルプスの2647メートルの餓鬼岳は当駅が鉄道における最寄りとなっているが、登山口までの公共交通機関は乏しく、マイカー利用かタクシーに乗りやすい信濃大町駅や信濃松川駅からのアクセスが多いようだ

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