きっぷ

宇都宮ライトレールに初乗車~意外な形状の1日乗車券に驚く

宇都宮ライトレールの車体

※訪問は2024年6月16日

桐生から宇都宮へ大正から令和の移動

時系列的にはこちらの続きとなる

この日は桐生に宿泊。両毛線で小山を経由して宇都宮へ

本日はここから「宇都宮ライトレール(LRT)」に初乗車する。前日は大正元年開業という駅を回り、本日はライトレール。今さら説明する必要はないが、こちらは昨年8月の開業。110年以上の時空を越えての訪問となる

開業当初は大盛況のニュースが関西でも伝えられていたが、さすがにそろそろ落ち着いてきただろう、との予想の元での初乗車。まずは1日乗車券をとチケット売り場に行くと長蛇の列でビックリ。並んでいる人のすべてがすべて1日乗車券購入ではないようで、並んでいると人気飲食店のように職員の方が一人一人に用件を尋ねてくる。1日乗車券の旨を告げるとすぐ入手できた

3両すべてのドアからの乗降が可能

全国各地で、いろいろな鉄道会社の1日乗車券を購入してきたが、首からぶら下げる形のものは初めて。他の乗客からは一目瞭然となるため、恥ずかしがり屋の利用者もいるようで「乗車時と降車時にぶら下げてくれれば大丈夫ですから」と教えられる。もっとも私の場合は職業柄、現場では常にこういう取材証を首からぶら下げてウロウロしていたので恥ずかしさは全くない

そして宇都宮LRTは乗降時に3両編成のすべてのドアが開くことが特徴である

そしてIC乗車の場合はすべてのドアからの乗降が可能(現金の場合はホーム上の発券機で整理券を受け取り降車時は運転士のいる先頭車両の先頭扉で現金を支払う)。多客の時間帯も乗降がスムーズに行えるようになっている。ただ「ピッ」とやらない、紙製の1日乗車券はどうすればいいのだ?と思う間もなく職員の方が「首からぶら下げていただくと運転士側からのカメラでチェックできるようになっているので、すべてのドアから乗降できます」との説明があった

なお1日乗車券には餃子券付きの1300円や温泉コラボの2000円バージョンもあるが、私が購入したのは乗車券のみの1000円バージョン。詳細は宇都宮LRTのホームページで

日中と週末は12分間隔で1時間5本の運行がある。原則的には終点の「芳賀・高根沢工業団地」停留所までの運転。夜になると車庫のある「平石」停留所までの運行が増え、終電は平石行きとなる

例によって予備知識ほとんど入れずの訪問でスーッと動き始めると、まずは宇都宮の中心部。オーバークロスとなっている道路を併走する乗用車とともに、そのまま駆け上がり、そして降りる

日曜日のお昼前。立ち客も多いかなりのお客さんとともに出発したが、平石の手前である「宇都宮大学陽東キャンパス」停留所で、ファミリー客を中心に半分以上のお客さんが降りてしまった。日曜日なので大学は関係なく、こちらはショッピングセンター「ベルモール」の最寄りだった。サブ駅名はネーミングライツでベルモール前となっている

とりあえずはどこかの駅(停留所)で降りてみようということになって車庫のある平石で下車することとした

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その3(終)

南小谷駅の増便バス停留所

※訪問は2024年9月10日

14人で出発

まず前提として触れなければならないのは、私が乗車したのは青春18きっぷ期間ながら最終日の平日だったということ。夏休みの土日なども含め、何回か乗車したのであれば、標本数も増えるわけで、数字を比べたり分析することも可能だが、標本数はひとつで、しかも平日のお昼すぎだったというお断りを入れさせていただきます

定刻より3分ほど遅れて到着したバス。乗り込んだのは5人。そもそも大糸南線に乗車して終点南小谷で下車したのは2両編成の電車で全部で9人だったので、それ以上の乗車があることは考えにくい。もうひとつ触れておくと大糸南線も松本~信濃大町は通勤通学にも利用される区間で昼間も1時間に1本の運行は確保されているが、信濃大町~南小谷は乗客、本数ともにめっきり減る。特に観光地でもある白馬を過ぎると車内も閑散とする。営業係数はかなり苦しそうな区間である

バスに乗車すると白馬から乗車してきたと思われる先客9人がいて計14人で出発となった(この区間も3駅に停車するが、乗車はほぼないと予測)。乗車方法は列車とほぼ同じだが、青春18きっぷの場合は先にきっぷを見せて降りる駅を告げる。大糸北線の途中駅はすべて無人駅だが、途中の駅または停留所から乗車した場合は降車駅で現金で支払う。ただ結論を先に言うと途中での降車はゼロだった

乗車にちょっと驚き

前記事でも触れたが、駅と道路の位置関係で既存の駅近くに停留所が設けられない場所があり、それが中土、北小谷、小滝の3駅。平素から1日の乗車が限りなく0人に近づいている駅で道路からも離れている。3年前の9月に大糸北線の全駅訪問を行った時も、すべて「貸切」となった駅だけに最初からメモに「0」と書き込んでいたほどだったが、北小谷で2人の乗車があってビックリ。北小谷の停留所は750メートル離れた道の駅に設置されている

北小谷はホームからの姫川の眺めは美しいが、駅前に公民館のようなものがあるだけで何もない駅。シュプール号のために交換設備を設けたが、やがてまち単式ホームに戻ったという歴史を持つ。大糸北線が最後のにぎわいを見せたのがシュプール号だった。今にして思うと「私をスキーに連れてって」の映画とユーミンの歌で始まったスキーブームの一翼を担ったシュプール号。深夜近くの大阪駅ホームが大にぎわいを見せていた光景はいつから消えたのだろうか

話は少しそれたが、北小谷駅の川向こうにある道の駅小谷には温泉が併設されていて、北小谷駅の訪問時は時間があれば行ってみたいと思ったものだ。増便バスをうまく使えば、道の駅で約2時間過ごせる。温泉に入って食事をすれば、ちょうど良いかもしれない。列車の駅までも15分あれば歩けるので、組み合わせると良い訪問ができるかもしれない

2021年の大糸北線全駅訪問時は、55歳以上は3日間新幹線も含めJR西日本乗り放題でグリーンを含む指定席も6回まで乗車できるフリーきっぷを利用した。グリーン車もバンバン乗れるのに大糸北線へ越美北線の各駅訪問などをする人間は、圧倒的な少数派だろうから実態に近い乗車率を目の当たりにできたと思うが、キハ120に16人も乗車している場面は少なかったと思う

この後、バスは2021年に宿泊した姫川温泉の最寄りである平岩へと立ち寄る。駅は新潟県だが、宿まで数分歩くと長野県となる。山中の県境は何もない険しいところ、のイメージがあった私はビックリしたことを覚えている

その時に国道148号が旧道から現在のコースに変わった際、平岩の駅前を通らなくなったことを知ったが、確かにバスは国道から平岩駅へ1度下って、また国道へと戻るコースをとった

自分の車窓側の根知まで来ると糸魚川まで10キロ。街も開けてくる。ここ根知から糸魚川まではバスもそこそこの本数があり、私も利用した

姫川~糸魚川はJR西日本で最後の未乗車になった区間で昨年2月以来の訪問。その時の頸城大野駅は雪に埋もれていた。今とは対照的な光景で11時になろうというのに雪を踏みしめた跡が極めて少なかったことも覚えている

南小谷からここまで乗車は北小谷の2人だけ、降車はゼロという状態だったが、姫川から高校生が2人乗車(こちらもちょっと驚き)。結果的に糸魚川で下車したのは18人

おなじみの旧車庫をあしらった糸魚川のアルプス口

これで1時間のバス旅は終了。夏休みはもっと多くの乗車があったと聞くので、今日は少ない方だったのか。青春18きっぷの期間が終わると、さらに減ってしまうのかどうかは実際に乗車してみないと分からないので、機会があれば秋にもう1度訪れ姫川温泉に泊まりたいとも思っている

来年3月に結果が出た時、どのような数字が発表されるのかどうかは分からないが、青春18きっぷのようなフリーきっぷを乗車した利用者をどうカウントするかも大きく数字を左右するだろう。フリーきっぷは乗車駅と降車駅が把握できないため、通常は数に入れない。芸備線の青春18きっぷシーズンは、ここ数年1日1本の新見~三次間の列車は、押すな押すなの超満員となっているが、JR西日本にこの季節の数字を入れようという意識は感じないので、どのような数字を出るのだろうか?

少なくとも来年3月まではバスと列車を組み合わせると、なかなか楽しめることだけは間違いない。ただひとつの留意点は、ハイデッカータイプの使用バスは乗り心地はとても良い一方で、お手洗いはない。路線バスで旅する際、お手洗い問題は必ずあるのだが、増便バスでも注意していただきたい点である

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その2

南小谷駅の改札

※訪問は2024年9月10日

所要時間は列車と同じ

南小谷は1日1往復ではあるが、特急「あずさ」が新宿からやって来る。所在地は「小谷(おたり)村」で、なかなか初見では読めないが大糸線に乗車していると何度も繰り返しアナウンスされるので1度乗車すると読めるようになる。電車特急の終着駅が「村」というのも、ある意味凄いことだ

列車が到着すると構内に増便バスの案内アナウンスが流れる。青春18きっぷでも乗車できる旨も放送された。この日は2024夏の18きっぷ最終日である

時刻表によると南小谷から糸魚川まで約1時間。これは列車とほぼ変わらない。ただし必ずしも既存の駅前に停車するわけではなく交通新聞社の時刻表にも欄外に「北小谷駅のバス停留所は駅から約750メートル、中土駅のバス停留所は駅から約1200メートル離れています」と記されている。750メートルはギリギリ許容範囲だが、1200メートルはちょっと離れすぎだろう。大糸線の電化区間内は駅間が近い場所がいくつもあるが、おそらくそれよりも長い

定刻より3分ほど遅れてバスがやってきた。私はバスについては詳しくないが、空港のリムジンバスでよく見られる形式である

なにゆえ山中を通るのか

大糸線は松本と糸魚川を結ぶ105キロの路線。歴史をさかのぼると、元々は信濃鉄道という私鉄が松本~信濃大町に敷設したことに始まる。沿線には観光地も多く利用も好調。1916(大正5)に全通すると、わずか9年後には電化を完了させた

と同時に信濃大町から糸魚川に至る旧千国街道は、新潟から信濃に塩を運ぶ古来からの役割に加え、軍事面でも注目されるようになった。有事の輸送はもちろん、山中奥深くにあることが「敵の攻撃を受けにくい」となったのだ。有事に備えた山中の鉄路には現在の天浜線もあてはまるが、計画時はまだまだ航空機ではなく海上からの攻撃の時代。海沿いの線路よりも山中の線路が「いざ」という時に役立つという発想だった。元は鹿児島本線としてスタートした肥薩線も、海沿いルートを走る鹿児島本線に名称を譲りながらも有事の貴重なルートであり続けた

そのような経緯で昭和に入ると国の手によって糸魚川を目指す工事が始まった。1935年(昭和10)には南小谷を越えて中土まで開業。糸魚川からは小滝までが開業した。それぞれが大糸南線、大糸北線と名付けられた。間もなく信濃鉄道も国家買収。通常、両端の駅にちなんだ路線名は、それぞれの駅名から1文字ずつ取るものだが(水郡線のように事実上の始終着駅から1文字取ることもある)、途中駅の信濃大町から「大」の字をとった大糸線という名称は、国鉄が工事に着手した際に決められ、信濃鉄道の買収後もそのままにされたゆえのものである

ただ小滝~中土は冬季の積雪にも見舞われる山中の難工事で、全線開通となったのは戦後10年以上も過ぎた1957年。国防という当初の役割は終わっていた。そもそも人が少ないと分かっていた場所にあえて敷設した路線。戦後に行われた電化工事が南小谷までで終わったこと、国鉄民営化の際に電化、非電化区間で会社が変わったこと。北陸新幹線の開業で大糸線沿線の観光地へは新幹線利用の方が早くなったことなど、マイナス要素が積み重なった

現在、糸魚川から松本までの経路をグーグル先生に尋ねると北陸新幹線を利用した長野経由のコースが案内される。そちらの方が早い。黒部観光の入口となる信濃大町へも長野からのバスルートが優勢である。大糸線105キロのうち非電化区間はわずか35キロしかないが、糸魚川から白馬、信濃大町、安曇野といった観光地へ移動するのは本数も少なく直行列車もない。いわば負の積み重ねとなっているわけだが、今回の増便バスは今夏の青春18きっぷ期間中は、かなりのお客さんを乗せていたと聞く

18きっぷの最終日、1時間のバス旅を始めよう

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その1

大糸線の増便バスで糸魚川に到着

※訪問は2024年9月10日

乗車は南小谷から

南小谷駅までやって来た。時刻は13時20分。目的はこちら

来年3月まで運行されている「大糸線増便バス」に乗車するため。写真は白馬駅で撮ったもの。糸魚川~南小谷の大糸線非電化区間は1日7往復と少なく(県境となる平岩止まりが他に2往復ある)、糸魚川での新幹線乗り継ぎや、南小谷での大糸南線乗り継ぎが不便であることから、さらにバスで4往復を加え乗り継ぎをよくしようというもの。特に北陸新幹線については昼間も1時間に1本の停車があるにもかかわらず、大糸線との接続があまり考慮されていない。かつて大糸北線の全駅訪問を行った時も最初の壁がこれで、最初の駅である姫川まで約30分歩くことになった

増便バスのひとつのミソが白馬発着となっていること。これは観光地として集客力のある白馬へ南小谷での乗り換えを介さずに直接運ぼうというものだ。大糸線は南小谷で電化、非電化が分かれるだけでなくJR東日本とJR西日本で会社が変わるが(在来線では現在唯一の両社接続駅)、増便バスならJR東日本管内の白馬まで直接行くことができるが、今回はあえて南小谷から乗車することにした。やはり大糸線で北線と南線の乗り継ぎは南小谷からにしたいし、どのぐらいの利用者がいるのか見たかった

増発でなく増便の理由

南小谷の時刻表。大糸南線も松本から出ると信濃大町で運行がガクンと減り、ローカル線ではおなじみの「お昼休み」の時間には2~3時間運行がない時間帯もあるが、大糸北線はもっと少ないことが分かる。北線と南線の接続は良い時間も悪い時間もあってバラバラで、これもまた大糸北線の利用者増を妨げる要因のひとつとなっているのだが、4往復のバスはそれを埋める役割も果たす。JRのきっぷを持っていれば乗車可能で、もちろん青春18きっぷでも乗ることができる

例えば私が到着したのは13時20分だが、現在の時刻表だと80分の待機を強いられるが、実際に乗車したバスは13時57分と約40分の待機で済むので1本早い新幹線に乗車することが可能となる

ただ、ここで素朴な疑問となるのは「わざわざバスで増便しなくても列車を増発すれば良いのでは?」ということ。1日4往復を増やすだけなら、列車で対応できそうなものだが、大糸北線では複数の駅で交換設備を撤去した結果、途中駅で列車のすれ違いができるのは、途中の7駅で根知駅のみという現状があって増発ができない。よってバスによる増便となったわけだが、ここでもうひとつの疑問が生じる。今後、列車の増発ができないことが分かっていてバス増便をするのはなぜ?ということだ

ここで最初の写真に戻ると「実証運行」という文字が見える。つまりはニーズを把握してみようというのが狙いとなっている。バス増便は2019年に次いで2回目となるが、その間にJR西日本は利用者が少ない大糸北線の存廃論議をしたいと表明していて2019年は10~12月の3カ月だけの実施だったのに対し、今回は10カ月もの長丁場。この間の数字を根拠に何らかの意思表明をするのではないかとも言われている。ちなみに費用総額は約1億2500万円で、国の補助金約5900万円を活用。JR西日本が3300万円を負担。沿線自治体も負担した

要はバス転換に向けた動きのひとつで、もっと言うと、この区間に公共交通機関が必要なのかどうか、バス転換した場合にJRがどのぐらい関わるのかを見定める場ともなっているとも感じることができる

増便バスの停留所は駅舎を出た所にある。JR西日本の文字とロゴが分かりやすい。コタツもあって冬場も過ごしやすく、夏場はエアコンが快適な待合室でしばらく休憩した後、バスを待つ

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今年も抜海で待っていた悲劇と稀有な体験~その2(こんな奇跡ってありますか)

※訪問は2024年8月27日

抜海駅百周年

「この先、豪雨のためしばらく停車します」の運転士さんのアナウンス(単行でお客さんは私を含め10人ぐらいだったので、アナウンスというより、ほぼ肉声である)

ということで、これからしばらくはお客さんたちによる朝5時台の「雨中抜海駅撮影会」となった。見た感じではかなりのお客さんが同業者(鉄道ファン)と思われる。皆さん、過去に抜海で降りたことがあるかどうかは分からないが、初めての方は、思わぬ貴重な体験となったかもしれない

私は昨年も来ているし、列車到着の20分前には駅に着いているので、もう撮影することはないが駅舎内にこのようなものがあった

「開業100周年おめでとうございます」

去年これがあったかどうか記憶にない。抜海駅の開業は1924年(大正13)6月。つまり今年の6月で100歳の誕生日を迎えた。もしかすると今年になってからのものかもしれない

確実に今年になってのものは駅前の通りを数十メートル進んだところにある

記念の石碑。地元有志によって建てられた。駅前ではなく、やや離れたところにあることが駅そして駅舎の置かれた現状を物語る。抜海駅はここ3年、稚内市の負担によって駅の維持管理が行われてきたが、市はすでに今年度で限りでの費用負担終了を表明。少なくとも現時点では9月24日から構内が棒状化されることだけは正式決定しているが「最北の木造駅舎」の将来は不透明である

代行タクシーで160キロの大移動

ということで抜海駅で1時間の待機を経ての結果は代行タクシーによる輸送。名寄以北はしばらく運行が難しいとのことでJR北海道さんが用意してくれたタクシーに分乗して名寄と稚内を目指すことに

北海道の地図は他の地域に比べると縮小サイズが異なる。抜海から名寄はすぐのように感じるかもしれないが

なんと160キロ以上もある。これは東京から東海道本線に乗車すると富士を軽々と越え、清水あたりまで行ってしまう距離。しかも高速道路はない。ただ途中はバイパスもあって国道40号もほとんど信号はないので2時間半で到達してしまう

つまり何のことはない、今年も稚内市からの南下(脱出とも言う)は鉄道ではなく自動車だった。「抜海駅から乗車」の目標はかなったが、乗車までだった。当然、雄信内も南幌延はバスである

突然声をかけられ

ということで名寄駅に到着。2時間半もタクシーに乗車するという、なかなか稀有な体験となった。とにもかくにも朝の9時半にここまで運んでくれたJR北海道さんに感謝である

駅には運休情報が並ぶが旭川に向けては特急以外は通常運行を行っているようで無事に南下できそうだ(結果的に午後からは全線で運行を再開した)

と、普通はここで話は終わりとなるのだが、最大の驚きはこの後。名寄から旭川行き列車に乗っていると、突然「高木さん」と声をかけられる。見ると2013年まで東京で勤務していた時の同僚

「何してるのですか?」

それはこちらのセリフだ。彼はロードのサイクリングが趣味で夏季休暇をとり北海道までやって来て、早朝に西興部を発ってここまで輪行で来たという

「オ、オコッペ?」

「いやぁ、朝からずぶ濡れで50キロ。大変でした」

と笑う。彼の趣味は知っていたが、思わぬ再会よりも、その元気さに驚いた。それにしてもピンポイントで名寄からの列車で会うかね。実は彼と私は結構ご近所さんで街でバッタリ会って食事をする機会もちょこちょこあったのだが、高円寺や阿佐ヶ谷の駅で出くわすのとは訳が違う。ここは名寄である。そもそも宗谷本線が通常通り運行していたら、この出会いもなかったのだ。私は旭川まで至る途中で下車。彼は苫小牧まで出てフェリーで帰京するという。10年以上前は世間に浸透していなかったLINE交換をオッサン同士でして別れた

それにしても宗谷本線は私に稀有な体験させてくれる路線である

その日は旭川で宿泊。当日の夜、実は少し悩んだ。翌朝の始発から行動すれば少なくとも雄信内へは行くことができる。天気予報も大丈夫そうだ。ただ問題は私と宗谷本線の相性である。昨年は旭川までたどり着いた翌日からは好天で根室本線の廃駅となる駅や、同じく根室本線の今となっては貴重な東滝川駅訪問、特急ニセコ乗車などを暑いぐらいの太陽の下で行うことができた。今年についてもこの日以降は雨とは全く無縁。要は宗谷本線乗車の際だけピンポイントで悪天候に見舞われた。しかも両日とも天気予報は良くはなかったが、決して運行ストップとなるものではなかったのだ

私が行くと、またストップするような気がしてヤメ。結果的には通常通りの運行となっていたようだが、これはこれで正解だったと思い、思い出だけを胸に秘めるとしよう

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今年も抜海で待っていた悲劇と稀有な体験~その1(予定だけは完璧のつもり)

抜海駅の駅名標

※訪問は2024年8月26、27日

※音声あり動画注意

稚内で昨年を思い出す

夕刻の稚内駅。昨年8月31日の同時刻もここにいた。そして全く予定外だったが、なぜか翌日も稚内駅へ行くことになった

昨年9月1日はここに並んでいた

プライベート、仕事と全国各地でいろいろな体験をしているが、一生忘れがたいものとなった

宗谷本線がストップして稚内から旭川へと移動するのに札幌経由とか、ちょっとあり得ない

結果的に残り2枚だったバスのチケットを買った窓口。すべてが懐かしく思い出されるが、なぜこのような写真を掲載したかというと「二度と同じ目に遭いたくないから」である(笑)。そりゃそうでしょう

ということで

昨年と同じ18時10分発の普通に乗車し抜海を目指す

稚内から2駅目(といっても20分近くかかる)の抜海で到着。1日に3・5往復の列車しかやって来ない当駅。私を含め数人が降りた。私は本日、昨年と同じばっかすの世話になるが、他のお客さんはどう見ても地元の方ではない。ここで降りてどうするのだろう?と思ったが、ばっかすのご主人によると1時間後の19時33分(最終である)で稚内へ折り返す人だろうということ。ちなみに抜海から稚内へと向かう列車は7時50分、11時48分、19時33分の1日3本しかない

こちらが時刻表。そして写真の通り、朝の旭川空港に着いた時の雨はすっかりあがっている

それなりに考えた今回の作戦

1年ぶりに抜海までやって来た目的はまず「抜海から列車に乗車すること」

昨年は到着はしたものの、宗谷本線のストップで抜海駅のホームに入線する列車を見ることはかなわなかった。去りゆく列車を見送っただけだ。今年はなんとしても「乗車」したい

そして「雄信内」「南幌延」の両駅も訪問する。この記事を読んでらっしゃる方は駅名だけで分かると思うが、いずれも近い将来の廃駅が報じられている駅である

そのためには抜海から始発の5時39分に乗車しなければならない。その次の抜海発名寄行きは10時46分。3駅はいずれも普通しか停車しないので10時台からアクションを起こしていては間に合わないのだ

私が立てた予定は以下の通り

5時39分(名寄行き) 抜海発

6時32分(同)南幌延着

6時50分(稚内行き) 南幌延発

6時58分(同) 幌延着

7時32分(旭川行き特急サロベツ2号) 幌延発

8時37分(同) 音威子府着

9時8分(稚内行き) 音威子府発

10時14分(同) 雄信内着

12時4分(名寄行き) 雄信内発

言ったり来たりしながら南幌延と雄信内を巡ろうというもの。北海道フリーパスを持っているので特急も乗り放題である。特急に乗車しない場合は南幌延と雄信内は実は隣駅で

徒歩2時間で到達できる。南幌延に着いてから雄信内を発着する列車まで4時間近くあるので楽勝(?)といえば楽勝で、この場合はたとえ雨はなくても、どこかもう1駅訪ねることも可能となるが、おそらく人が歩いていることはほとんどなく、どんな生き物に遭遇するかもしれない徒歩2時間は、さすがに私には無理な相談である

ということで

翌朝はご主人の好意で5時15分には抜海駅まで送ってもらい

今年も抜海駅を堪能。雨がかなり降っていたが列車の運行情報に関するアナウンスはなく無事に稚内からこちらに向かっているようだ

そして定刻から、やや遅れはしたが名寄行きは入線。念願の抜海駅からの乗車

ちなみに当駅は棒状化が決まっていて9月24日からこちらのホームは廃止となる。その意味でも貴重な乗車。さぁ、後は南幌延に向かうだけ、となったが、このタイミングで運転士さんに無線連絡が入り「抑止」という声が聞こえてきた。この先、雨が激しくしばらく当駅でストップするという

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その23(帰宅と旅のまとめ)

花巻空港から伊丹行きに搭乗

※訪問は2024年7月6日

別の経路も模索

花巻空港駅と空港を結ぶ路線バス。前記事で記した通り、盛岡からの空港バスが必ず花巻空港駅に立ち寄るようになったもので、空港までは10分もかからない。料金は320円。花巻空港HPによると花巻空港駅からタクシーに乗車すると1400円がめどらしいので4人旅だったら一人あたりの料金はさほど変わらない。空港バスは発着に合わせて運行されているので、JRとの接続はさほど考慮されているわけではないので空港でゆっくりしたい人ならタクシーもおすすめかもしれない

花巻空港はJRの各駅からさほど遠くはないので、いざバスに乗れなくてもそれほどお金をかけずにタクシーでたどり着ける利便性がある

ちなみに最も近い駅は釜石線で花巻と新花巻の間にある似内(にたない)で

ターミナルビルが移動したおかげで花巻空港駅より空港に近い駅となった。徒歩約30分。ただし無人駅で快速通過駅。花巻駅からだと9時49分発の次は14時40分と5時間ほど運行がない状況だ。もちろんバス路線はない。花巻空港駅で1度降りながら、わざわざ似内駅まで行って歩くと企画を思いついた。15時35分発の飛行機は似内駅を降りて50分後の離陸。道路は複雑そうではなく、おそらく間に合うはずだが、さすがに朝の時点の暑さで中止を決めた。駅から離陸まで2時間ほどあれば決行していたかもしれない…いや、さすがに暑さには勝てなかったと思う。列車には乗ったものの、おじけづいて次の新花巻まで行ってタクシー1800円という世界になっていたと予想する

東京行きの便はなし

花巻空港は「いわて花巻空港」の愛称が付けられている岩手県唯一の空港。開港は1964年(昭和39)。元々は東京便のための空港だったが、1982年に東北新幹線が開業。85年に上野~大宮が開業(それまでは大宮~盛岡の暫定営業だった)すると羽田行きはなくなった。大阪、神戸、札幌、福岡、名古屋と台湾行きの国際便がある

天候、経費は◎、体力、知力は×

花巻空港はこじんまりしていて利用は楽。バスの到着は出発の約40分前で、そのまま保安検査場に向かったが、検査場をくぐると売店がなく土産は買えず。もし今後利用される方がいれば留意してほしい

ということで無事に旅を終えられたわけだが、簡単に振り返りを

まず経費面。早めにタイムセールで航空券を買っていたこともあって

伊丹~羽田 8410円

花巻~伊丹 1万240円

北海道&東日本パス 1万1330円

後は空港まで、空港からのバス、電車代で合わせて3万2000円ほどグリーン利用も新幹線利用もこらえたので6日間の旅としては交通費は安く抑えられた。鉄道運賃については、そもそも盛岡~青森の三セクだけで5590円なので単純往復するだけで、ほぼ元をとれる。多くの駅で途中下車し、例によって戻ってまた進むを何度も行ったので、三セク利用の2日間だけで大幅に回収できている。東京まで戻らず東北から直帰という道程も、どうせ東京から大阪への旅費が発生するのだから、東北での滞在時間を増やせて正解だった

次いでホテルは

東京 9000円

いわき 5700円

北上  5500円

青森  6800円

盛岡  6300円

5泊で3万3300円。初日の東京が鬼門だったが、東京のホテルだけはおそろしく早めに確保して何とか1万円切り。ここからホテルそのものや予約サイト、携帯電話のポイントを使用したため実際は3万円で済んでいる。時期的にも7月1日からと、まだオフシーズンだったことも良かったようだ。同じホテルに1カ月後に泊まるともっと高かったはずだ。ということで経費面は合格(1日の食費も夜のビール代も含め東京以外は5000円以内で抑えている)

オフシーズンといえば、天候的に東北はまだ涼しかったことも幸いした。あまり触れなかったが、最初の5日間は小雨に何度も見舞われ、折りたたみ傘はすぐ取り出せるようにしなければならない状態だったが、トシをとると炎天下よりは全然マシだ。最終日の6日になって東北地方にもようやく本格的な夏到来となったようで、ギリギリ通り抜けたようで幸運だった

ただ問題はここから。目の前に来た列車に乗り、降りたいと思った駅で降り、宿もその日の到達点で適当に決めるという、ある意味会社員時代に憧れていた旅だったが、トシというのはどうも隠しようがない。記事にしたものもあったが、駅での時刻表の見誤りも何度かやらかしている。事前に時刻をチェック。駅に着いたら駅舎に張られている時刻表で再確認しながら上りと下りを間違うとか、トシのせいとしか言いようがない。ホテルを決めた瞬間に疲れが出て、まだまだ明るい夕方の4時にチェックインということもあった

きっぷの特性上や地域性で訪問時期は暑い時か寒い時に限られる。ということは1年後に再びチャレンジ、ということになるのだが、その時まで何とか体力と知力をキープしたいものである

道中かなり省略しながらも23回もかかってしまった旅の報告。長らくお付き合いくださり、ありがとうございました

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その22(古風すぎる空港駅)

花巻空港駅の改札

※訪問は2024年7月6日

最初から決めていた道程

一昨年秋以来出会った釜石駅前の「鉄と魚とラグビーの街」の文字を見て花巻に戻る。滞在はわずか30分ほど

みどりの窓口も設置されている釜石駅だが、列車の本数はわずかにこれだけ。快速を除くと1日に8本の列車しかないため、限られた時間内で途中駅ウロウロというのはなかなか困難。本当は陸中大橋駅ぐらいは行きたかったが、今回はやむを得ない。花巻へと戻る

花巻駅で何か食べるのもありだったが、猛烈に暑くて食欲も出ない。売店でサンドイッチを買って、これが本日の昼食である。旅を始めてから連日のようにテレビで報じられていた東京の暑さが、北の地にもやって来たようで、この日の最高気温は30度を軽く超えるという。今日は帰る日なので、ある意味助かった

まだ時間があるため東北本線をちょっとウロウロして

花巻空港駅に到着。こちらについては5月に航空券を購入した時から決まっていた道程だった。まだ利用したことのない花巻空港へ空港アクセス駅から向かおう

ちょっと違和感の「空港アクセス駅」

花巻のお隣の花巻空港駅

複数パターンの駅名標が出迎えをしてくれる

空港アクセス駅だけあって、なかなか彩り鮮やか

だが駅舎を眺めると

実にクラシックな駅舎のお出迎え。空港アクセス駅というと近代的なコンクリート製を思い浮かべてしまう。近年、鉄道で空港にそのままアクセスが流行りとなったので、その印象がより強いが、こちらは開業時の1932年(昭和7)からの木造駅舎

駅はこの春から無人化され、券売機も撤去。ICリーダーだけが設置されている。戦前に空港駅があったのかも含め、違和感はある

違和感を解くカギは駅前ロータリーの石碑にある

「二枚橋駅開設50周年」とある

その隣には「花巻空港駅開業60周年」の石碑が並んでいる

駅の所在地は「花巻市二枚橋」。石碑で分かる通り、元々は二枚橋という駅だった

改名25年で本当のアクセス駅に

駅前のタクシー会社も二枚橋タクシー

大正期に設置された信号場が昇格した。もちろん当時、花巻空港はない。空港の開港は1964年。駅名にも変化はなかったが、JRとなった1988年に転機が訪れる。空港への近さから空港アクセス駅のような駅名へと改名されたのだ

とはいえ空港までの距離は2キロ。そして路線バスはあることはあったが本数は少なかった。2キロといえば徒歩30分ぐらいだが、空港へ手ぶらで向かう人はあまりいない。スマホで調べることなどできなかった時代。知らずに降りた人はタクシーで向かうしか手段はなかった。さらにその後、空港ターミナルビルが駅から遠い方に移転して距離約4キロとなった

駅舎内の地図には「距離4キロ 徒歩40分」とあるが

なかなか40分ではたどり着かないようだ。空港へは盛岡駅または花巻駅からの路線バスがアクセス手段とされ、単なるタクシー乗り場だった時代が長らく続いた(とはいえ、現行のタクシー料金も花巻空港HPによると花巻駅から1900円、花巻空港駅から1400円とそう大きくは変わらない)

転機が訪れたのは2013年のこと。花巻駅~空港のバス路線が廃止され、代わりに盛岡~空港のバスが当駅を通ることになった。現行の花巻空港への路線バスは当該便と北上駅からの2路線のみ。ただし後者の運行本数は多くはなく、また盛岡駅~空港のバス運賃が1500円なのに対して花巻空港駅~空港は320円と安く利用者の財布にも優しい。改名25年で本当の意味での空港アクセス駅となったのだ

私も多くの乗客とともに空港へ移動。無事、伊丹空港行きの飛行機で帰ることができた

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その21(想定外のJR完乗)

釜石駅の駅名標

※訪問は2024年7月5、6日

温暖差にギブアップ

小鳥谷から1時間で盛岡に戻る

時間はまだ13時20分。もう少しウロウロしてみようかと本数の多い東北本線の駅をまったり回り始める。ちなみに宿は盛岡駅とした。一昨日の経験で北上の宿が安いということは分かっていたが、せっかくの旅なので別の都市に泊まろう、と盛岡に。翌日の朝からIGRいわて銀河鉄道の駅をいくつか回りたかったこともある。ただホテル代は北上とは比べものにならない。小鳥谷から1時間の間に予約サイトをあれこれ見て回った結果、駅から徒歩10分で6000円台の比較的新しいホテルを発見したので予約を入れた

ということで盛岡以南の駅を回り始める。以前も記したが、盛岡~北上は昼間も1時間に2本の運行がある区間で本数も多い。だが

暑い

午後になったのもあるし、現地でサッと雨が降ったこともあるのだろうが、奥中山高原や小鳥谷とは比べものにならない暑さだ。昨年3月、盛岡駅周辺は雪ひとつなかったのに、いわて沼宮内駅のホームに立っている間に、目の前でどんどん雪が積もっていった場面を思い出した。こういう時、予約したホテルが駅前だったら荷物を預け、軽装備で行動できるのだが駅から往復で20分は大きな壁である

ということで15時15分には盛岡駅の改札を出てホテルへ一直線。24時間前の青森駅とは乗客の皆さんの服装が異なる。ホテルは大浴場付きだったので早々に風呂に入ってこの日は終わり。たまたま近くにスーパーがあったので、ビールや酒、食料を買い込んでこの日は終わりとなった

最終日の疲れが快速「はまゆり」に

そして翌日。この日は15時台の飛行機で伊丹空港へと向かう最終日

朝の盛岡駅。本数の多い時間帯を狙って朝の6時前には駅に行こうと考えていたが何のことはない、時刻は7時50分。大幅な寝坊である。ちょっと部屋で飲み過ぎたかもしれない。ホテルの部屋飲みは安上がりで結構だが、安い分、店より大量に飲んでしまうことが欠点

いずれにせよ、旅程は大きく変更である。ちょっと考えたが

昨日行けなかった矢幅駅へ。そしてなぜここで下車したかというと

ここから釜石線直通の快速「はまゆり」に乗車するため。1日3往復のはまゆりは、うち1本が盛岡~花巻を各駅に停車するが、残る2往復は東北本線内は矢幅のみの停車となっている。要は釜石線乗車にかじを切ったのだ

実は昨日の朝、盛岡駅ホームで出発間際のはまゆりと、たまたま出くわした。その時点では乗車予定は一切なく「ふーん、こんな時間に出るのか」としか思わなかったが、18きっぷシーズンでないとすいているのだな、が実感。その学習機能で

楽々と自由席に乗車である。花巻で降りる人もかなりいたので、隣席に誰かが座ってくる可能性もほぼなくなった。新幹線との乗り継ぎ駅である新花巻からの観光客らしき乗客もそれなりにあったが、皆さん指定席。観光地の列車でありがちな「指定席の方が客が多い状態」である

唯一の乗り残し路線

実はこの釜石線、現行のレールがあるJR路線で私が唯一、未乗車だった路線である。「レールがある」としたのは日田彦山線BRTが未乗車だからだ

本来は最後の路線ということで、じっくり乗りたい。途中駅でいくつか降りたりしながら完走、ゴールを味わいたいところだ。だから昨日の時点でも、あまり気にしていなかったのだが、寝坊のおかげで他の選択肢が、あまりなくなった。しかも最終的に花巻空港から飛行機に乗るため、釜石に行くとそのまま折り返さなければならないし、ダイヤ上、途中駅で降りるのも、なかなか難しい

それでも

知恵を絞り出したΩ(オメガ)ループの車窓からの眺めは壮観だった。今からグルリと回り込んで下に見える線路に行くのかと思うとワクワク感はある

そして10時52分、釜石到着。矢幅からは2時間の旅だった。釜石に到着した乗客の皆さんは目にした列車で撮影タイム

三陸鉄道のラッピング列車「三陸元気!GoGo号」

とにもかくにも寝坊のおかげでJR全線完乗ということになりました

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小鳥谷駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

迷った末に

奥中山高原駅から少し八戸方面へと戻る。まだ時計は11時と午前中だ。といっても6時過ぎに青森駅を出ているのですでに6時間が経過しているが

乗車したのは一昨日に乗車した金田一温泉駅行き。つまりは青森県には入らない。今回の旅でひとつ目標にしていたのは、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道の境界駅である目時駅だった。ギリギリ青森県にある駅で、そのため境界駅となっているが、山中の県境で利用者は少ない無人駅。ただし八戸から南下する列車は以前も記した通り、半数が目時のひとつ手前の三戸止まりで、盛岡から北上する列車にもこのようにひとつ手前の金田一温泉駅止まりがあったりして、私の訪れた時間帯は運行が少ない時間帯となっている。つまりは会社のルール上、境界駅となっているだけで「目時行き」という列車は存在しない。JRの東北本線として存続していれば脚光を浴びることはなかったのかもしれないが、料金表などで必ず登場する駅となった

ただ本数の事情などで今回は断念。ということで

小鳥谷(こずや)駅で降りてみることにした。難読に興味を持ったフラリ下車である

旧村名に基づく

駅舎は木造。財産票を探してみたが見当たらず、築年数は分からなかった。分かっているのは1891年(明治24)開業で奥中山高原駅と同年齢だということ。トタン屋根は手が入っているが、柱の形状などは、かなり歴史を感じるものとなっている

駅名は1957年(昭和32)まで存在した小鳥谷村から。一戸町との合併当時、小鳥谷村は奥中山高原駅(当時は中山駅)、小繋駅の3駅を含む自治体だった。そもそもの話をすると明治の町村制施行の際までは、小鳥谷村、中山村、小繋村と、それぞれ別々の村だった。町村制施行は1889年と鉄道がやって来る直前だったので、駅ができた時はすでに小鳥谷村だったことになる

ここで折り返しの盛岡行き列車を1時間待つことになった。ただいわて沼宮内から北は、昼間は2時間に1本の運行なので、真っ直ぐ進むと、どの駅でも2時間待ちになってしまうので1時間待ちは覚悟の上だ

小鳥谷という地名は室町時代の武将で、その後に当地を支配した小鳥谷氏に基づくとされる。地名として定着したのは江戸時代から

有人駅である。周囲に飲食店はなさそうな感じなので、駅舎と周辺で朝のコンビニおにぎりの残りを食べながら過ごす。涼しい風が通り抜けて快適だ

駅から徒歩10分ほどに国の天然記念物である樹齢数百年とされる藤島のフジがある

こちらは解説文

時間つぶしに最適(?)

なクイズもある。当然そんなつもりはなく設置されたのだろうが、JR東日本の文字が残る。目を凝らすと解答が分かるようになっているのが結果的にミソとなっている

この日は休みだったが、駅舎は物販や休憩所として使用されることもあるようだ

2面3線構造。早朝に当駅始発の県境をまたぐ八戸行きが設定されている。1時間はあっという間に過ぎ、盛岡へと戻ることにする

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