青春18きっぷ

中央西線の駅をすべて訪問してみよう~すっかり覚えた早朝の時刻から複線最後の駅へ

※訪問は2024年8月7日

急きょ予定変更で18きっぷ購入

今年の夏はあまりの暑さから当初は青春18きっぷを買わない予定だった。7月14日に四国から戻って、この後は8月後半の北海道まで自宅周辺からあまり動かないことにしていたが、9月上旬に予定ができたため、だったら8月上旬にすでに入っている名古屋への用件を含め、18きっぷのお世話になろうということで急きょ購入

8月6日は名古屋泊。午後からの用件だったので新幹線は利用せず、東海道本線をひたすら名古屋へと向かい用事を済ませ翌朝

朝の名古屋駅。言うまでもないが早朝からムシムシ

乗車電は6時13分発の中津川行き普通。過去にも複数の利用があるのですっかり覚えてしまった。中央本線は5時台にも2本の名古屋発があるが中津川以北に行こうとすると、結局この電車と同じになる。車庫のある神領駅からもう1本早い電車があるので現実的に宿をとるなら多治見に宿泊すればもう1本早い電車に乗車できるが(中津川に宿泊すれば、さらにもう1本早く乗れる)、昨夜は遅くなったので多治見まで向かう気力がなかった

元は信号場の駅

中津川では5分の乗り継ぎで松本行きに乗車。過去にも触れたが中央西線の普通(快速)は現在、中津川で必ず分断されている。それにしても名前は本線とはいえ、ローカル色豊かな山間部を名古屋から松本までの約190キロを1本乗り継ぐだけでゴールできるのは凄いことだと思う。もともと在来線の少ないJR東海だが、紀勢本線といい、飯田線といい、このような根性あふれる長距離の普通がお好きである

今回の最重要テーマは言うまでもなく「青空フリーパスでは行けない中央西線の3駅を巡ること」。木曽平沢~塩尻にある洗馬、日出塩、贄川の3駅。なんだか難しい駅名ばかり(笑)。18きっぷの最大のストロングポイントは会社の壁を越えて自由に乗降できることだと思うが、同じ会社内の路線でも、このように18きっぷ頼りになることがあるので、やはり貴重なきっぷだ

まずは南木曽のひとつ北にある十二兼駅で下車。正確に言うと下車というより4分間の運転停車を利用したものだが、いかんせんダイヤが薄い区間なので許してもらいたい。中央西線の駅はすべて列車交換可能な構造となっているが、当駅は中でも重要な意味を持つ。名古屋からの複線区間が一度ここで終わるからだ。当駅から倉本までが単線となり、その後は複線と単線を細かく繰り返すが、単線区間としては当駅~hoまずは南木曽のひとつ北にある十二兼駅で下車。正確に言うと下車というより4分間の運転停車を利用したものだが、いかんせんダイヤが薄い区間なので許してもらいたい。中央西線の駅はすべて列車交換可能な構造となっているが、当駅は中でも重要な意味を持つ。名古屋からの複線区間が一度ここで終わるからだ。当駅から倉本までが単線となり、その後は複線と単線を細かく繰り返すが、単線区間としては当駅~倉本の区間数が最も多い

高台の盛土に設置されている。開業は1948年(昭和23)と戦後だが、歴史は1929年から。信号場としてのスタートで後に駅に昇格した

階段を昇ったところに待合室そしてホームがある

信号場としてスタートしたことで想像できるように周囲は木曽川そして渓谷である

ちなみに写真にある通り、お隣の野尻駅までは4キロ足らず。上りか下りかは不明だが、この炎天下。今回は駅間徒歩という選択肢は全くない

場所が場所だけに2022年度の1日の利用者は22人とJR東海区間の中央本線では37駅(金山、塩尻をのぞく)中下から二番目

ちなみに十二兼という地名は渓谷の特徴を示す「セ(狭い)」「ニ(土地)」「カ(川、崖)」「ネ(尾根)」の「セニカネ」がなまったものだとか

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その3(終)

南小谷駅の増便バス停留所

※訪問は2024年9月10日

14人で出発

まず前提として触れなければならないのは、私が乗車したのは青春18きっぷ期間ながら最終日の平日だったということ。夏休みの土日なども含め、何回か乗車したのであれば、標本数も増えるわけで、数字を比べたり分析することも可能だが、標本数はひとつで、しかも平日のお昼すぎだったというお断りを入れさせていただきます

定刻より3分ほど遅れて到着したバス。乗り込んだのは5人。そもそも大糸南線に乗車して終点南小谷で下車したのは2両編成の電車で全部で9人だったので、それ以上の乗車があることは考えにくい。もうひとつ触れておくと大糸南線も松本~信濃大町は通勤通学にも利用される区間で昼間も1時間に1本の運行は確保されているが、信濃大町~南小谷は乗客、本数ともにめっきり減る。特に観光地でもある白馬を過ぎると車内も閑散とする。営業係数はかなり苦しそうな区間である

バスに乗車すると白馬から乗車してきたと思われる先客9人がいて計14人で出発となった(この区間も3駅に停車するが、乗車はほぼないと予測)。乗車方法は列車とほぼ同じだが、青春18きっぷの場合は先にきっぷを見せて降りる駅を告げる。大糸北線の途中駅はすべて無人駅だが、途中の駅または停留所から乗車した場合は降車駅で現金で支払う。ただ結論を先に言うと途中での降車はゼロだった

乗車にちょっと驚き

前記事でも触れたが、駅と道路の位置関係で既存の駅近くに停留所が設けられない場所があり、それが中土、北小谷、小滝の3駅。平素から1日の乗車が限りなく0人に近づいている駅で道路からも離れている。3年前の9月に大糸北線の全駅訪問を行った時も、すべて「貸切」となった駅だけに最初からメモに「0」と書き込んでいたほどだったが、北小谷で2人の乗車があってビックリ。北小谷の停留所は750メートル離れた道の駅に設置されている

北小谷はホームからの姫川の眺めは美しいが、駅前に公民館のようなものがあるだけで何もない駅。シュプール号のために交換設備を設けたが、やがてまち単式ホームに戻ったという歴史を持つ。大糸北線が最後のにぎわいを見せたのがシュプール号だった。今にして思うと「私をスキーに連れてって」の映画とユーミンの歌で始まったスキーブームの一翼を担ったシュプール号。深夜近くの大阪駅ホームが大にぎわいを見せていた光景はいつから消えたのだろうか

話は少しそれたが、北小谷駅の川向こうにある道の駅小谷には温泉が併設されていて、北小谷駅の訪問時は時間があれば行ってみたいと思ったものだ。増便バスをうまく使えば、道の駅で約2時間過ごせる。温泉に入って食事をすれば、ちょうど良いかもしれない。列車の駅までも15分あれば歩けるので、組み合わせると良い訪問ができるかもしれない

2021年の大糸北線全駅訪問時は、55歳以上は3日間新幹線も含めJR西日本乗り放題でグリーンを含む指定席も6回まで乗車できるフリーきっぷを利用した。グリーン車もバンバン乗れるのに大糸北線へ越美北線の各駅訪問などをする人間は、圧倒的な少数派だろうから実態に近い乗車率を目の当たりにできたと思うが、キハ120に16人も乗車している場面は少なかったと思う

この後、バスは2021年に宿泊した姫川温泉の最寄りである平岩へと立ち寄る。駅は新潟県だが、宿まで数分歩くと長野県となる。山中の県境は何もない険しいところ、のイメージがあった私はビックリしたことを覚えている

その時に国道148号が旧道から現在のコースに変わった際、平岩の駅前を通らなくなったことを知ったが、確かにバスは国道から平岩駅へ1度下って、また国道へと戻るコースをとった

自分の車窓側の根知まで来ると糸魚川まで10キロ。街も開けてくる。ここ根知から糸魚川まではバスもそこそこの本数があり、私も利用した

姫川~糸魚川はJR西日本で最後の未乗車になった区間で昨年2月以来の訪問。その時の頸城大野駅は雪に埋もれていた。今とは対照的な光景で11時になろうというのに雪を踏みしめた跡が極めて少なかったことも覚えている

南小谷からここまで乗車は北小谷の2人だけ、降車はゼロという状態だったが、姫川から高校生が2人乗車(こちらもちょっと驚き)。結果的に糸魚川で下車したのは18人

おなじみの旧車庫をあしらった糸魚川のアルプス口

これで1時間のバス旅は終了。夏休みはもっと多くの乗車があったと聞くので、今日は少ない方だったのか。青春18きっぷの期間が終わると、さらに減ってしまうのかどうかは実際に乗車してみないと分からないので、機会があれば秋にもう1度訪れ姫川温泉に泊まりたいとも思っている

来年3月に結果が出た時、どのような数字が発表されるのかどうかは分からないが、青春18きっぷのようなフリーきっぷを乗車した利用者をどうカウントするかも大きく数字を左右するだろう。フリーきっぷは乗車駅と降車駅が把握できないため、通常は数に入れない。芸備線の青春18きっぷシーズンは、ここ数年1日1本の新見~三次間の列車は、押すな押すなの超満員となっているが、JR西日本にこの季節の数字を入れようという意識は感じないので、どのような数字を出るのだろうか?

少なくとも来年3月まではバスと列車を組み合わせると、なかなか楽しめることだけは間違いない。ただひとつの留意点は、ハイデッカータイプの使用バスは乗り心地はとても良い一方で、お手洗いはない。路線バスで旅する際、お手洗い問題は必ずあるのだが、増便バスでも注意していただきたい点である

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その2

南小谷駅の改札

※訪問は2024年9月10日

所要時間は列車と同じ

南小谷は1日1往復ではあるが、特急「あずさ」が新宿からやって来る。所在地は「小谷(おたり)村」で、なかなか初見では読めないが大糸線に乗車していると何度も繰り返しアナウンスされるので1度乗車すると読めるようになる。電車特急の終着駅が「村」というのも、ある意味凄いことだ

列車が到着すると構内に増便バスの案内アナウンスが流れる。青春18きっぷでも乗車できる旨も放送された。この日は2024夏の18きっぷ最終日である

時刻表によると南小谷から糸魚川まで約1時間。これは列車とほぼ変わらない。ただし必ずしも既存の駅前に停車するわけではなく交通新聞社の時刻表にも欄外に「北小谷駅のバス停留所は駅から約750メートル、中土駅のバス停留所は駅から約1200メートル離れています」と記されている。750メートルはギリギリ許容範囲だが、1200メートルはちょっと離れすぎだろう。大糸線の電化区間内は駅間が近い場所がいくつもあるが、おそらくそれよりも長い

定刻より3分ほど遅れてバスがやってきた。私はバスについては詳しくないが、空港のリムジンバスでよく見られる形式である

なにゆえ山中を通るのか

大糸線は松本と糸魚川を結ぶ105キロの路線。歴史をさかのぼると、元々は信濃鉄道という私鉄が松本~信濃大町に敷設したことに始まる。沿線には観光地も多く利用も好調。1916(大正5)に全通すると、わずか9年後には電化を完了させた

と同時に信濃大町から糸魚川に至る旧千国街道は、新潟から信濃に塩を運ぶ古来からの役割に加え、軍事面でも注目されるようになった。有事の輸送はもちろん、山中奥深くにあることが「敵の攻撃を受けにくい」となったのだ。有事に備えた山中の鉄路には現在の天浜線もあてはまるが、計画時はまだまだ航空機ではなく海上からの攻撃の時代。海沿いの線路よりも山中の線路が「いざ」という時に役立つという発想だった。元は鹿児島本線としてスタートした肥薩線も、海沿いルートを走る鹿児島本線に名称を譲りながらも有事の貴重なルートであり続けた

そのような経緯で昭和に入ると国の手によって糸魚川を目指す工事が始まった。1935年(昭和10)には南小谷を越えて中土まで開業。糸魚川からは小滝までが開業した。それぞれが大糸南線、大糸北線と名付けられた。間もなく信濃鉄道も国家買収。通常、両端の駅にちなんだ路線名は、それぞれの駅名から1文字ずつ取るものだが(水郡線のように事実上の始終着駅から1文字取ることもある)、途中駅の信濃大町から「大」の字をとった大糸線という名称は、国鉄が工事に着手した際に決められ、信濃鉄道の買収後もそのままにされたゆえのものである

ただ小滝~中土は冬季の積雪にも見舞われる山中の難工事で、全線開通となったのは戦後10年以上も過ぎた1957年。国防という当初の役割は終わっていた。そもそも人が少ないと分かっていた場所にあえて敷設した路線。戦後に行われた電化工事が南小谷までで終わったこと、国鉄民営化の際に電化、非電化区間で会社が変わったこと。北陸新幹線の開業で大糸線沿線の観光地へは新幹線利用の方が早くなったことなど、マイナス要素が積み重なった

現在、糸魚川から松本までの経路をグーグル先生に尋ねると北陸新幹線を利用した長野経由のコースが案内される。そちらの方が早い。黒部観光の入口となる信濃大町へも長野からのバスルートが優勢である。大糸線105キロのうち非電化区間はわずか35キロしかないが、糸魚川から白馬、信濃大町、安曇野といった観光地へ移動するのは本数も少なく直行列車もない。いわば負の積み重ねとなっているわけだが、今回の増便バスは今夏の青春18きっぷ期間中は、かなりのお客さんを乗せていたと聞く

18きっぷの最終日、1時間のバス旅を始めよう

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大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その1

大糸線の増便バスで糸魚川に到着

※訪問は2024年9月10日

乗車は南小谷から

南小谷駅までやって来た。時刻は13時20分。目的はこちら

来年3月まで運行されている「大糸線増便バス」に乗車するため。写真は白馬駅で撮ったもの。糸魚川~南小谷の大糸線非電化区間は1日7往復と少なく(県境となる平岩止まりが他に2往復ある)、糸魚川での新幹線乗り継ぎや、南小谷での大糸南線乗り継ぎが不便であることから、さらにバスで4往復を加え乗り継ぎをよくしようというもの。特に北陸新幹線については昼間も1時間に1本の停車があるにもかかわらず、大糸線との接続があまり考慮されていない。かつて大糸北線の全駅訪問を行った時も最初の壁がこれで、最初の駅である姫川まで約30分歩くことになった

増便バスのひとつのミソが白馬発着となっていること。これは観光地として集客力のある白馬へ南小谷での乗り換えを介さずに直接運ぼうというものだ。大糸線は南小谷で電化、非電化が分かれるだけでなくJR東日本とJR西日本で会社が変わるが(在来線では現在唯一の両社接続駅)、増便バスならJR東日本管内の白馬まで直接行くことができるが、今回はあえて南小谷から乗車することにした。やはり大糸線で北線と南線の乗り継ぎは南小谷からにしたいし、どのぐらいの利用者がいるのか見たかった

増発でなく増便の理由

南小谷の時刻表。大糸南線も松本から出ると信濃大町で運行がガクンと減り、ローカル線ではおなじみの「お昼休み」の時間には2~3時間運行がない時間帯もあるが、大糸北線はもっと少ないことが分かる。北線と南線の接続は良い時間も悪い時間もあってバラバラで、これもまた大糸北線の利用者増を妨げる要因のひとつとなっているのだが、4往復のバスはそれを埋める役割も果たす。JRのきっぷを持っていれば乗車可能で、もちろん青春18きっぷでも乗ることができる

例えば私が到着したのは13時20分だが、現在の時刻表だと80分の待機を強いられるが、実際に乗車したバスは13時57分と約40分の待機で済むので1本早い新幹線に乗車することが可能となる

ただ、ここで素朴な疑問となるのは「わざわざバスで増便しなくても列車を増発すれば良いのでは?」ということ。1日4往復を増やすだけなら、列車で対応できそうなものだが、大糸北線では複数の駅で交換設備を撤去した結果、途中駅で列車のすれ違いができるのは、途中の7駅で根知駅のみという現状があって増発ができない。よってバスによる増便となったわけだが、ここでもうひとつの疑問が生じる。今後、列車の増発ができないことが分かっていてバス増便をするのはなぜ?ということだ

ここで最初の写真に戻ると「実証運行」という文字が見える。つまりはニーズを把握してみようというのが狙いとなっている。バス増便は2019年に次いで2回目となるが、その間にJR西日本は利用者が少ない大糸北線の存廃論議をしたいと表明していて2019年は10~12月の3カ月だけの実施だったのに対し、今回は10カ月もの長丁場。この間の数字を根拠に何らかの意思表明をするのではないかとも言われている。ちなみに費用総額は約1億2500万円で、国の補助金約5900万円を活用。JR西日本が3300万円を負担。沿線自治体も負担した

要はバス転換に向けた動きのひとつで、もっと言うと、この区間に公共交通機関が必要なのかどうか、バス転換した場合にJRがどのぐらい関わるのかを見定める場ともなっているとも感じることができる

増便バスの停留所は駅舎を出た所にある。JR西日本の文字とロゴが分かりやすい。コタツもあって冬場も過ごしやすく、夏場はエアコンが快適な待合室でしばらく休憩した後、バスを待つ

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~「列車では行けない」駅でシメ

備後矢野駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

最後にもう一駅

福塩線の全駅訪問は終わったが、列車のダイヤを利用してもう一駅。こちらは訪問済みではあるが、列車で下車したこともなければホームから乗車したこともないので、ぜひこういう機会に行っておきたかった

それは備後矢野駅。なぜ、そのようなことになったかというと、そもそもの本数の少なさももちろんあるが、駅舎内に入店している食堂によるところが大きい

「福縁うどん」という餅入りうどんが有名なこのお店は人気店で、私の訪問は4月初旬の週末で、まだコロナ禍にあったが、お昼時はかなりの列となっていた。私もその1人だったのだが、お客さんのほぼ全員がマイカーで公共交通機関での訪問は私一人だったと自信を持って言える

もっとも公共交通機関といっても列車ではなくバスである

停留所から、それなりの距離はある。にもかかわらず、朝夕を待たずにバスでの訪問にしたかというと福塩線を利用しては飲食ができないからだ

備後矢野駅に来る列車は午前は上下とも7時台で終わり、午後は三次行き15時39分、府中行き15時53分が始発。お店はお昼の営業で夕方も15時か16時までだと思うので、列車でやって来てお昼を食べ、食べ終わったら列車で去るというのは、かなり困難な作業。駅舎内に店舗がありながら、そこへは列車での到達が困難だという「列車で行けない」駅となっている

もっとも飲食が目的でないのなら、三次方面からの列車を降りると10~20分後に折り返しの列車がやって来ることが多い効率の良いダイヤではある

備後矢野到着は18時前で、日没が近づいていた

この日はお店は休み。というか営業日でもすでに閉店している時間だが、後片付けや翌日の仕込みで誰かがいてもおかしくはないかもしれない。ただし、休業日ということで駅舎内は真っ暗。どちらかというと暗すぎて驚くレベルだった

車内の写真展

18時。そろそろ去る時が来たようだ。この後は府中経由で福山に出て、さすがに福山からは新幹線で帰る

さてキハ120の中では、このころ福塩線の写真展が行われていた

過去の沿線風景が車内に展示されていて、見とれてしまうものが多かったが、ポスターとなっている昭和45年の備後三川駅のラッシュアワーに目をひかれた

現在、備後三川駅の1日の利用者数は48人(2022年)。写真を見る限りではひとつの列車で軽くその数字を超えそうだ。区間運転も含め、1日に10往復以上が福塩北線を走っていた時代のものだ

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~淡水浴場って?

河佐駅の河佐峡案内

※訪問は2024年4月3日

湖に沈んだ駅

河佐駅前にあった周辺案内図

駅の開業は1938年(昭和13)。上下~府中町(現府中)がつながり、福塩線が全通した際に設置された。1956年に府中市となった河佐村に基づく。梶田、中畑そして八田原の3駅は戦後の開業で、まだ生まれていない。それまでは福山~府中が福塩南線、塩町~上下が福塩北線という名称だったが、全通したことで正式に路線名が福塩線となった。当時からすでに府中以南は電化されていて、府中以北は非電化だったが、通称とはいえ北線、南線という言葉が80年以上後も、そのまま残っているとは多くの人が考えなかったに違いない。というか現在の方が沿線風景が違いすぎる上、運行が完全に分断されているため北線、南線の色合いがより濃くなっている

そして先述した八田原駅はこの案内図だと芦田湖の底に眠っている。新たに建設された八田原ダムによって廃駅となった。1963年10月に開業して1989年4月に廃駅とという、わずか35年の駅だった。周辺案内図では河佐~備後三川の間は線路が描かれていないが、この区間はダム建設による新線付け替えに伴うトンネル区間となっている。八田原トンネルという名称に鉄道としての名を残す。約6キロにも及ぶローカル線では異色の長さで、キハ120でトコトコ揺られると、その長さが実感できる。当然だが、トンネル内は携帯も圏外。そのようなサービスは採り入れられていない

地元で親しまれる河佐峡

減築された駅舎内

この日の私には雨をしのげるありがたい場所ではあったが、基本的には無機質。ただしに写真の左手に見える文章が残されている

「小生 河佐峡の旅」とある。文章の書き手については私の知識では分からないが、夏に河佐峡を訪れた時の思い出だ

途中の農家で取れたての野菜を分けてもらったという話が、以前の日本の風景を思わせる

河佐峡とは駅から徒歩15分(府中市観光協会HPによると20分)のところにある淡水浴場である。実は3年前に福塩線沿線をウロウロしていて「淡水浴」という言葉を人生60年で初めて知った。文字の通り、海水浴に対して淡水での遊び場。当たり前だが福塩線沿線は当然、範囲を広げても地元では有名なレジャーの場だ

そして私の計画では列車を待つ間の80分は現地まで足を運び「河佐峡」と書かれた赤い橋を見ることになっていた。道としては分かりやすそうだし、この季節(4月3日)にまさか水に浸かることはないので、ちょっと滞在すればちょうど良い

だが、この時間帯は雨が激しく断念。この日は午前の三江線遺構訪問といい、雨に道中を遮られる1日となったことが悔やまれる

ということで、サムネの写真にもある通り「奥備後の行楽地」である河佐峡の情報は観光協会HPによるものだが、ウォータースライダーを備えた川の水泳以外にもキャンプ、バーベキュー、釣りが楽しめるという

そして先ほどの訪問記に戻るが、こちらの筆者がハムと肉を買い込んだであろう「こざっぱりした」商店は今も現役である。駅前には店舗が2つも並んでいて、ともに今ならコンビニ、昔の言い方をするとよろず屋になってしまうのだが、1日に5往復の列車しか来ない駅前で買い物に困らないというのは、なかなかないことだ

ちなみにリュックを背負って歩いていた当時の夏とは違い、近ごろの夏は20分も歩くと、それだけで干上がってしまいそうだが、Xのフォロワーさんの情報だと夏場はありがたいレンタサイクルがあるという

時間となったのでホームで列車を待つ。構内踏切による2面2線。これで福塩線の駅は全駅訪問となったが、赤い橋を見られなかったことだけが心残りというか、ちょっと達成感に欠ける全駅訪問となってしまったことが残念でもあった

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~ようやくたどり着いたラストピース

河佐駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

三次から1時間半

7時間の待機(というか時間つぶし)を経て、ようやく三次から福塩線に乗車。14時40分発に乗り込み

河佐に到着したのは16時8分。約90分間のキハ120旅。正直長かった。1時間半とい乗車時間も長いし、たった2駅を巡るための朝7時からの活動時間も長い。ただ長い分、これで福塩線も全駅訪問可能かと思うと、それなりの感慨はある。日没まではまだまだ時間があるはずだが、雨の空は暗く、かなり薄暗い

その河佐駅は写真で分かる通り、すれ違い可能な構造を持つ2面2線。貨物ヤード跡もレールが敷かれたまま残っている

河佐駅は鉄道以外の訪問手段がないことが特徴。3年前の訪問時、府中~上下を走る路線バスのお世話になったことはすでに書いたが、そのバスは河佐、備後三川の両駅付近からはかなり離れた所を走っていて備後矢野付近で再び近づく

最も近いと思われる落合という停留所から2キロ、徒歩で約30分(日本全国、落合はあちこちにある)。まぁ、歩けと言われれば歩ける距離ではあるが、鉄道とバスとの時間がなかなか合わない。バス利用の場合、バス停で降りて鉄道駅に向かうのは目標も時刻もはっきりしているが、その逆はなかなか不安である。山中であればなおさら。そもそも停留所がどのような形で設置されているのかも分からない。私の過去記事でもバス停もしくは、その付近でウロウロしたことを何度か書いている

それに対し、備後三川は若干事情が異なり、広島駅から世羅町の中心部を通り、上下、甲奴を結ぶ「ピースライナー」という路線バスが1日4往復運行されていて備後三川駅の近くを通る。3年前はわざわざバス会社に電話して「上下~三川局前」の区間だけの乗車が可能なのかどうか尋ねたほど。結果的には鉄道のダイヤとうまく合わずに乗車はしなかったが、3年前に河佐と備後三川の二択で選択肢の多い備後三川を残さなかったことが悔やまれる。というか、1月の福塩南線全駅訪問の際、府中駅あたりで2時間ほど時間をつぶせば良かっただけなのだが

河佐で待機80分

こちらが河佐の時刻表。16時8分着でやって来て、この後は福山に出るつもりなので、となると18時15分の乗車とだが、さすがにそこまで待機していられないので17時30分でいったん三次方面へ向かい、どこかの駅を再訪するつもり。要は約80分の待機となる

順番が後になったが、こちらが河佐の駅舎。かなり減築されたようだが雨は十分凌げそうで、隣に立派なお手洗いもある

本来はこの80分を利用して行きたいところが明確にあったのだが、それは雨の振り方次第となってきた

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~7時間の時間つぶし

神杉駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

どうする7時間

福塩北線の残る2駅の回収。1駅目の吉舎は無事終わったが、問題は残る1駅の河佐駅。ただ

時刻表で分かる通り、現在は8時過ぎ。次の河佐方面は15時11分で7時間後だ(12時58分は臨時列車で本日の運行はない)

さすがにここで7時間過ごすわけにはいかないので、あの手この手の時間つぶしを発動することにする

まずは芸備線の神杉駅で降りてみる。こちらは2年前に芸備線の三次~備後落合の全駅訪問を行って以来の訪問だが、塩町と神杉の二択で前回は神杉で乗車したものの下車はしていなかったため、下車することにした。また塩町は場所的に過去複数回降りていて、神杉の桜がきれいだったこともある

なぜ下車しなかったかというと、前回はなかった石碑にその理由がある

立派な石碑だ。元々は塩町を名乗っていたが、それまでの田幸駅が福塩線の接続駅となって塩町に改称。それに伴い当駅は神杉駅となった。田幸駅は後からできたので、駅間距離は短く1・5キロしかない。ゆえに列車を待っている間に徒歩移動となった

線路沿いには歩けないが、それでも20分で到着してしまう。もっとも私は近道を行こうと田んぼのあぜ道チャレンジを決行。例によって(?)失敗したので30分以上かかってしまったのだが(笑)

本日二度目の体験

神杉は駅舎とホームまで距離があり、その間には旧貨物ヤードや留置線が残っている。駅舎側からのホームの姿が私は好きである。2年前の写真にも右側に見える無蓋車があったので、これはしばらく「不動」なのかもしれない

三次に戻る

と、本日2度目の貸切体験。青春18きっぷシーズンのローカル線ではなかなかできない体験を1日2度もしたことになる

三次で乗り換え

ひとつお隣の西三次駅へ。かつてはここが三次駅だった。現在の三次駅は備後十日市を名乗っていたが、三次町と十日市町、他の6村が合併して三次市が成立した1954年に駅名変更。3年前までは三次駅時代の面影を残す立派な駅舎があったが解体され、ホームのみが残る駅となっている

周辺は住宅街だが、三次駅に近すぎるためか利用者は三次~広島で最少の1日10人(2022年)となっている。貨物輸送でも栄えた駅で、広めの構内に雰囲気は残るが、切り株だけにされた木と雨ざらしのベンチがやや寂しい

三江線跡と三次名物も

再び三次に戻り

バスに乗り込み三江線の駅跡訪問。こちらはすでに記事化した

またまた三次に戻り、今度は昼食。三次名物の唐麺焼き。お腹は満たされたが、まだ時間はある。7時間というのは長い

向原駅へ

「山陽新幹線開業記念 向原町国鉄職員一同」とある

時代の転換期を表している

そして今日何度目になるのか、三次に戻ってようやく福塩線の午後の部が始まる

待ちに待った府中行き。ようやく乗車となるが、青春18きっぷというのは実に便利なもの、偉大なものだと改めて思った

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~素晴らしき駅舎と後鳥羽上皇

吉舎駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

福塩北線では利用者最大

吉舎駅に到着。この列車は、ここでしばらく待機して三次へと折り返す

吉舎駅の時刻表。朝の府中方面への時刻表がなかなか壮絶だ。5時台に1本、6時台に1本しかない。前記事でも紹介したが、これは1本が吉舎止まりになったため。6時33分が朝の「終電」となっているが、この列車は7時50分に府中に到着するため府中に近い所では通勤通学、主に高校生の通学に利用される。ということは吉舎以南の福塩北線の利用者が極めて少ないと簡単に予想できてしまうのだが、福塩北線で最も利用者が多いのは、ここ吉舎である。2022年の1日あたりの乗降数は242人。芸備線との接続駅である塩町の262人とあまり変わらない。福塩北線の沿線で町としては最も大きい上下駅でさえ114人。以下は2ケタ前半の数字が並び、備後安田は2人、中畑はデータなしとなっているので限りなく0人なのかもしれない(ただし私は3年前の訪問で中畑駅から地元のご婦人と一緒に列車に乗った)

吉舎駅の利用が多いのは前記事でも触れた広島県立日彰館高校の最寄りだから。周辺駅の利用者数を見ても、当駅の利用者の多くが高校生の通学のためだということが分かる

なお12時58分の府中行き、14時1分の三次行きがともに斜体文字で記されているが、これは臨時列車

試験日や入学式など早めに終わりそうな学校の日程に合わせて運行されるもののようで、学校があるということは青春18きっぷで利用するのは難しいということになる。もちろん私の訪問日は当然運行されていない。その一方で福塩北線の訪問には実に便利な乗り物でもあるのだが、JR西日本のHPには掲載されておらず、運行日は調べるには現地の人に聞くしかないという、なかなか難易度の高い乗り物でもある。ただ今回の旅にあたり携帯アプリの時刻表を順に眺めていくと、アプリには時刻がしっかり掲載されていて驚いた。一体どうやって調べるのだろう

後鳥羽上皇の言葉に基づく

その吉舎駅は1933年(昭和8)の開業。塩町(当時は田幸駅)から当駅まで福塩北線が開業。以降2年は終着駅だった。駅舎は当時からのもののようだ

駅名板と入口ののれんが目を引く。のれんは日彰館高校の皆さんによるものだ

中央に「よきやどりかな」と書かれている。これは地名の由来で、承久の乱で後鳥羽上皇が隠岐へと流される際、ここに宿泊し「吉(よ)き舎(やど)りかな」と語ったという。駅が設置された際は吉舎町で平成の大合併で三次市となった

のれんはホーム側の改札にもあって

こちらは「銀山街道 吉舎」と記されている

銀山街道は石見銀山と港を結ぶ道で中国山地を抜け笠岡へ向かうコースと尾道へ向かうコースがあったとされ、途中の街は福塩線の路線とかなり一致する。街道があって集落と街ができ、ずっと後になって街を結ぶ鉄路が敷設された

息吹は今も残る

無人駅だが、事務所は残り木製の手荷物受付もそのままの姿。「精算口」の文字も残る

ホーム案内は手作りのようだが、こちらもかなり歴史を重ねている

3年前の同時期、福塩線の沿線はほぼ葉桜となっていたが、今年の開花はやや遅いようである。貨物ヤードもそのまま残る。福塩線ではJR移管とほぼ同じタイミングで貨物輸送が廃止された。役割を終えて40年近くが経とうとしている貨物ヤードの向こう側には自動車道の高架が見える

町の中心部を国道184号が貫くと同時に尾道自動車道も横断している。2014年に吉舎ICと三次がつながり、翌年に尾道へも全通となった。全線無料で吉舎からだと三次まで約10キロ、尾道までも約40キロで車だとあっという間に着いてしまう。福塩線の沿線も甲奴、世羅、尾道北の各ICを利用すれば上下や府中までもすぐである。ただ後鳥羽上皇や銀山街道は車で通過すると、気付かないものだというのもまた事実だと駅を降りてそう強く思った

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まる一日費やして福塩北線の残り2駅回収を目指す~貸切列車で吉舎へ

吉舎駅の駅名標

※訪問は2024年4月3日

三次発吉舎行きに乗車

朝の三次駅。前夜は三次のホテルに宿泊した

ちなみに今回は以前お伝えした

芸備線の市岡駅、坂根駅訪問の翌日の出来事

とにかく今日中に吉舎駅そして河佐駅の回収を目指す。と言っても2駅の残し方が悪すぎて、困難というか、妙な意地がないとなかなか大変である

三次~府中の福塩線は3年前の時点では朝3本、夕方3本の計6往復だったが、現在は朝の三次行きの「最終」が吉舎止まりとなっているため、府中までは2本しかない。河佐まで行くのは、その2本。残し方が悪いと書いたが、この両駅はかなり離れていて

まぁまぁ遠い。線路で32キロとそれだけだと大阪~神戸とほぼ同距離で大したことないように思えるが、トコトコと非電化単線路線を行くと約1時間かかる

三次発の朝の福塩線は5時発、6時発ときて次が7時37分の吉舎行き。まず検討したのは5時発で、これは6時22分に河佐に到着。1時間待つと三次行きがやって来て、吉舎に8時22分到着。前述した吉舎止まりが折り返す関係で吉舎駅で30分待つと8時50分発の三次行きがあって9時20分に三次に戻って来られる。効率は良いが、寒さ負けに加え、暗いうちからかなりの雨が予想されるので却下。もっとも、この記事を書いている2024年7月25日に同じことをしろと言われると、この酷暑の中では涼しいうちにできるだけ活動したいので何も考えずに5時を選択しただろう

次の6時発は出発時はもう明るくなっているし手頃な感じ。だが時刻表を見て大きなショックを受けた。河佐に7時25分に到着するのだが、折り返しとなる三次行きの出発時刻が7時27分となっている。これってつまり河佐で列車交換することだ。さすがにたった2分で駅訪問とはならない

思えば3年前の福塩北線訪問時、河佐と備後三川のどちらかを断念する二択を迫られた際、あまり深く考えずに備後三川訪問としたのだが、その時に河佐を選択していれば、備後三川に20分滞在で、今回うまく2駅を回収できていた。まさか3年後にこんなことになるとは当時考えもしなかったが、随分大きなツケを支払うことになった

ということで7時37分の吉舎止まりに乗車。1度三次に戻り14時40分の列車まで何とか時間をつぶすことにした

予想外の貸切列車

ホームでは「吉舎」と行先幕が入った福塩線のキハ120が待っていた。この前の運用は分からなかったが、2両編成を単行にする作業が行われていた

乗り込むと間もなく出発したが

なんと貸切発進。ちょっと面食らう

福塩線の朝の3本が減便されたのは利用者減が理由だと思われるが、それでも1本が吉舎行きとして残ったのは、吉舎駅が日彰館高校の最寄りだからだ。ただし今は春休み。このようなことも起きるのだろう。この列車は塩町で芸術的な乗り継ぎに対応していて、塩町に到着すると備後落合方面からの三次行きも同時刻に到着。1面2線の狭いホームを利用した平面乗り換えが行われる

これが2022年4月の写真。右側に芸備線の列車がチラリと見えているが、その日の運行にあたったカープ列車に高校生が移動していた

ということで8時10分に吉舎到着。ちなみに前述した塩町で、もう1人の乗車があり、2人の下車。明らかに同業者だったが、青春18きっぷの季節に7時台のローカル線が貸切というのはあまりない光景なので、吉舎止まりは魅力がないのかな、と思っていたのだが、ちょっと安心した

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