福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~ちょっとした山中の徒歩移動で出会った旧駅名標

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戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

雰囲気の異なる駅間徒歩

近田駅からお次の戸手駅までは徒歩移動である。もう何回も繰り返しているが、昼間は1時間に1本の福塩南線は1駅ぐらいなら歩いた方が早い区間がほとんどである。今回も空白を埋めるために徒歩となったが、駅間のレール距離は1キロしかなく歩いても大したことはない

今回はわずか15分。どこの駅もそうなのだが、都心の私鉄並みというか下手すると、それ以上に駅間は近い区間が多い

ただ地図を見て分かるのはちょっとこれまでとは雰囲気が異なる点。住宅街の中を走っている印象の福塩南線だが、これから県道ルートを行こうとすると住宅の少ない徒歩区間となるようだ

ルートを細かく見てもらえば理解できるかもしれないが、最初は絶対に車の通れない坂道に案内され、やがて県道に出る。この道路は万能倉~駅家の移動でも利用した県道で、その延長上にある。石見銀山街道と記されているが、石見銀山から港へ運ぶためのもので、日本海側の港に向けての街道や山中を抜けて瀬戸内海へと向かう街道など4つの街道があったとされるが、瀬戸内海方面へと向かう街道は笠岡へ向かうコースと尾道へと向かうコースがあったとされ、福塩線特に福塩北線の成り立ちと密接なつながりを持っている

地図では線路とくっついての道路となっているが、やや高台を通る。地図を見るとさらに北川に旧古代山陽道がある。かつては現在のメイン道路である国道486号ではなく、こちら側がメインコースだったのだろう。もっとも駅家付近ではひっきりなしに車が走る県道も、このあたりは閑散としており、車とはほとんど出会わなかった。その分、雨もあがって快適な徒歩コースだった。もっともこの記事を書いている7月8日の最高気温35度とかいう気候だったら、とてもじゃないが歩いていないだろう

新しい駅舎と出会う

駅前の広場に出てくると簡易的な駅舎と出会う

コンクリートで真新しい。駅の開業は1914年(大正3)。現在は福山市新市町だが2003年(平15)までは新市町。1955年(昭和30)までは戸手村。駅前の広大なスペースから、そこにはそれなりの駅舎があったと思われるがJR移管後に解体されたらしく、しばらくは待合所のみの駅だった。現在の姿は3年前から。簡易的なものではあるが、駅舎が約30年ぶりに復活したことになる

ホームに上がるとかつては列車交換のできる対面ホームだったことが分かる。その向こう側にもスペースがあり、さらにもう1本線路が敷かれていた形跡があるが、いずれにせよ現在は棒状化され事実上1面1線構造

しかしその廃ホーム上には貴重なものが残されている

おそらく国鉄時代の駅名標。備後本庄駅にも残されていることはすでに紹介したが

備後本庄駅のものとは違って木製の駅名標である。おそらく鳥居式駅名標だったと思われるが、鳥居を構成する上の部分がどこかに行っている。気候によって朽ちてしまったのか、あまり上部だけがないまま放置されているのは見たことがないが、その割には文字はしっかり読み取れる。このように雨ざらしで置かれると、やがて消えていくものだが、きれいに残っている。文字部分だけを更新したのかもしれないが、いずれにせよ貴重なもの。福塩南線では備後本庄駅のものが有名だが、木製のこちらもぜひ見てほしい存在だ

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