2025年 4月 の投稿一覧

貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その7 異彩を放つ路線内唯一の駅

西野尻駅の駅名標

※訪問は2024年12月17日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

大きな特色が

西野尻駅に到着。こちらは東藤原駅と終点の西藤原までの間にある駅で、三岐線の特徴である貨物列車は東藤原までしか行かないため、西野尻と西藤原には貨物列車は行かない。つまりは旅客営業のみの駅だが、当駅はもうひとつの特色がある

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ホームと待合所のみ

ご覧のように棒状駅。それだけなら路線内でもよく見かける姿だが、ホームに降りてみると他駅と事情は異なる

訪問時は年末で学校も午前中のみになっていたようで高校生3人が下車した。駅まで出迎えてくれた家族の車に乗って去っていく。地方ではよく見かける光景だ。そして駅の構造はというと、写真で分かるように駅舎はなく小さな待合所があるだけ。これもよく見かける光景で、先日までお伝えしていた大糸線などではその形式が多いためPCで「単式」と入力しただけで「単式ホームと待合所のみの簡素な構造」という予測文章が出てしまうぐらい地方に行けば普通に見かける姿だが、三岐線では事情は異なる

三岐線の全14駅(近鉄富田のぞく)の中で駅舎のない駅はここ西野尻駅だけなのだ。駅舎はあっても無人という駅も枚挙にいとまがないが、すべての駅が有人である。もちろん早朝や深夜帯などに無人となる時間帯はあるが、基本的には有人駅。駅の管理が近鉄である近鉄富田はのぞくと注意書きを入れたが有人。正式な起点駅であるJRの富田駅は駅舎はある無人駅ではあるものの、駅の管理はJRだし当駅に入る三岐線の列車はすべて貨物列車なので旅客とは無縁だ

こちらが西野尻駅の全景。正面の階段と先の写真で高校生が降りていたスロープと2つの出入口がある。駅前広場は比較的大きい

謎解きの案内板

西野尻駅は1931年(昭和6)の開業。同年6月に富田~東藤原が開業して12月に東藤原~西藤原が開業。全通となったが、その時に設置されている。後からできた駅ではなく敷設と同時の駅だが、最初から現在の構造だったようだ。当時は東藤原村。明治の町村制施行までは西野尻村と呼ばれる区域で現在の住所もいなべ市藤原町西野尻である。野尻という地名は全国にあり、人名から来ていたり地形に基づくとされる。そういえば城端線で全駅訪問をした際、最後に訪れたのが東野尻駅だった

こちらも単式ホームと待合所のみの駅だった

また西野尻があるのだから東野尻もあるのだろうと思いがちだが、地域名としてあったのは西野尻村と下野尻村だった。

当駅では出札を乗務員が行う。ワンマン運転が多いのでその場合は運転士が行うのだが、入札はどうなのかというと

待合所の壁に案内板が。ただ肝心なところが消えてしまってクイズ形式となっている。私はフリーきっぷを持っているので問題ないが、初めて来た人は困るだろうと思っていたら

待合所の中に「正解」があった。ただその「乗車駅証明」はどこにあるのか、ちょっと探した。すると

同じ室内にも同様の案内があり、こちらの表記は「無札証明」で初めて聞く言葉。その下に

ぶら下げられているもの。それが無札証明である

品切れになったりしないのかと思ったりもする。またワンマンが多い三岐線での出札に運転士自らがあたるのは、2両もしくは3両編成のドアがすべて開くシステムでは大変そうに思えるが、おそらくそうは心配はない

駅周辺は小さな集落があり、多くが農地。1日あたりの利用者数(2023年)は26人しかなく、これは14駅中で最下位。下から2番目が東藤原の98人なので、かなりのぶっちぎりとなっている。当駅には1日上下それぞれ30本の列車が到着するため、私が目撃した3人の下車姿はかなり貴重なものということになる。高校生はいずれも定期使用だったため、実際にお金を払って当駅で降りる人はそう多くはないと思われる

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その6 歴史は紡がれると知った味わいある駅舎

伊勢治田駅の駅名標

※訪問は2024年12月17日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

広大な側線が広がる

東藤原から1駅戻って伊勢治田で下車

ご覧のように広い測線がホームの前に広がる。東藤原駅では収まらない貨物列車や旅客車両が留置されているようだ

微妙に尺が足りなくなっているホーローの駅名標にそそられる

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沿線で唯一「伊勢」の付く駅

「治田」と書いて「はった」と読む。知り合いに同名の名前がいないとなかなか読めないが、全国にはところどころある名前と地名で滋賀県から山を越えて三重県まで地名、人名とも分布している。各地とも田んぼの開墾に由来しているとされるが、三岐線の沿線には三重県のいたる所で見られる「伊勢○○」という駅はここだけ。開業時の1931年(昭和6)にあった治田村に由来するが、県内では伊賀市の奈良県との県境あたりに治田という地名があり、名阪国道には治田ICがある。県内での重複を避けるために「伊勢」という国名が付けられたのだろう。そういえば伊勢鉄道には「伊勢上野」という駅がある

「たたずむ」という表現がピッタリの駅舎がある。手は入っているが、おそらく開業時からのものと思われる。駅からすぐの場所が旧治田村の中心地。1日あたりの利用者数は328人(2023年)で14駅(近鉄富田のぞく)中8位。治田村は1955年に北勢町の一部となり、現在はいなべ市である

三岐線の駅に共通することだが、古い駅舎は少しずつ付け加えられていったと思われる手作りの文字や備品が多い。注意書きひとつを見ていても楽しくなる

治田には室町時代に治田氏によって築かれた治田城があったが、織田信長に攻められて降伏。その後、廃城となり現在は遺構のみが残る

当地が脚光を浴びたのは江戸時代に入ってすぐのことで銀や銅が採掘される治田鉱山が開発され、幕府の直轄領となった時代もあった。その後に当地を領有したのは八田藩だった(治田とは表記しなかったようである)。鉱山があったことも含め、滋賀県へつながる治田越えは鉱物の運搬も含め重要な道路だったが、鉱山の没落とともに重要性は薄れ、道路は現在に引き継がれていない。また近年の水害によって鉱山跡も土砂に埋まってしまったという

鉱山から引き継がれたもの

留置線には貨物車が留置されていたが、時系列的にいっても先ほど東藤原駅で目の前を通り過ぎていったものだろう

ホームへは構内踏切を経て入る。1面2線の島式ホームとなっている

さて歴史に埋もれてしまった感のある治田鉱山だが、現代でしかも誰しもが知る存在へとつながっている。鉱山の管理を任されていたのが岡田氏。この時点でピンと来る人もいるかもしれないが、鉱山管理で財をなした岡田氏が始めたのが四日市の呉服商「岡田屋」。後にスーパーのジャスコになる。ジャスコがイオンの祖であることはご存じの通り。駅の待合所で調べていて歴史が紡がれていることを知り、ちょっと感慨深かった

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その5 いきなりのメインイベントはプチホテル?

東藤原駅の駅名標

※訪問は2024年12月17日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

ようやく三岐線をじっくり

時系列的にはこちらの続きになる

北勢線の全駅訪問を終えて近鉄富田へと移動。前回はほんの少ししか回れなかった三岐線に本腰を入れる

近鉄富田から乗車して45分

東藤原駅に到着である

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目を見張る駅舎

構内にはさまざまな列車がいる。こうしてあらためて写真を見ると、JR東海から譲り受けた車両がすでに待機していたことが分かる。もっとも当時は別のことに関心がありすぎて、あまり目に入らなかった

そのひとつはなんといっても美しい駅舎だろう

あまりにも美しすぎる

小高い丘の上にあるので離れてみるとこんな感じ。「東藤原」の駅名板がなければパッと見るとプチホテルおおしゃれなレストランにしか見えない

2017年(平成29)にできたばかりのピカピカ

正面からの姿も、もちろん美しい。上屋を支える柱も凝っている。当駅訪問がこの日のハイライトのひとつだった

路線の意義を体現する駅

ハイライトだったのは駅舎だけではない。どちらかというと、ここからが本題である

駅前にはかつて当駅で活躍したセメント用の貨物車が保存されている

解説文で貢献度が分かる

東藤原駅は1931年(昭和6)の開業。三岐線は富田から当駅までがまず開業。その年のうちに残る東藤原~西藤原までが開業して全線開業となったが、まずは東藤原までの開業が優先事項だったのだ

東藤原駅は太平洋セメント藤原工場へと直結している。車窓からもよく分かるが、三岐線はこちらの工場と富田駅を結ぶことが、まず最初の仕事だった。富田駅というのは近鉄富田ではなく国鉄(当時)の富田駅。今も当駅から貨物列車が出る。私鉄でありながら旅客輸送だけでなく貨物輸送も担う特別な路線を体現する駅だ

西側には大きめの踏切があるが、太平洋セメント藤原工場への案内板もある。そしてこの踏切はふだん見かけない案内がある

ひんぱんに遮断機が降りる時間帯を記したおことわりである。地元の方は理解されているだろうが、初めて来るとイライラするかもしれない。1時間に1本ぐらいの割合で10分ほど踏切を渡れない。それは単純に通過列車が多いだけでなく車両が行ったり来たりするからだ。ぼんやり見ているだけで踏切にかからない場所でも車両が動いていることが分かる

私のいた時間帯でも分岐を渡って貨物列車がやって来た。私は貨物列車については専門外だが、それでも見ているだけで楽しい

当然構内では多くの人が作業に従事している。駅舎についてプチホテルのようだと形容したが、あながちそれは間違っているわけではなく、駅舎は作業にあたる方の休憩所としても機能しているのだ

こちらは改札口

こちらは保存車両も含めた俯瞰したところ。セメント工場があるぐらいなので周辺に民家は少ない。駅の重要性の高さや立派な駅舎に相反するように1日あたりの駅の利用者は2023年のデータで98人と100人を切っていて、この数字は実は路線内14駅(近鉄富田はのぞく)で下から2番目。ただ三岐線訪問の際は、最優先でリストに入れてほしい駅である

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大糸線全40駅訪問最終章~急坂を昇った宿で各駅訪問を振り返ってみる

南小谷駅の改札

※訪問は2024年10月10日

宿まで徒歩の大後悔

白馬八方バスターミナルから宿までは歩いてみることにする

ホテルは「パイプのけむり」さん。グーグル地図を開けると徒歩20分で、まだ時間も早いしのんびり歩くのも悪くない、と最初は思ったのだが肝心なものを見落としていたことに途中で気付いて後悔することになる

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高低差60メートルに気付かず

歩き始めるとホテルや旅館、飲食店が集まっている。今は10月だがスキーの季節になると景色だけでなく人の数も変わるのだろう。途中の案内板で白馬が民宿発祥の地であることを教えられる

スキーコースへのアクセスも考慮するように道路と宿泊施設があることが分かるが、スキーとは無縁だった時代からのものもある。こちらにも諏訪神社があるのだな、と思いながら歩く。白馬駅の標高は697メートル。このあたりは駅より50メートルほど高くなっているが、時間は15時で歩いていると寒さは感じない

と、このあたりから突然急峻な坂道となる

掲載した地図はPCで開けたもので、そちらには分かりやすくバスターミナルとホテルの高低差が60メートルと表示されているが、スマホで開けると目に入るのは距離と時間である

積雪の冬場は車通行の制限もかかるという坂を歩いてきたことに後悔したが、ここまで来るともう遅い。肌寒い気候ながら汗だくでホテルに到着。徒歩で来たことを告げると驚かれたが、とにかく無事にたどり着けた。朝夕バイキングで、この後は外に出る必要はないため風呂に入ってのんびりするした

国鉄区間は閑散路線

大糸線のイメージは福塩線(広島県)に似ている。大糸線は松本~信濃大町を私鉄が敷設した残る区間を国鉄が引き継いだ。福塩線は福山~府中までを私鉄が敷設して府中~塩町は国鉄が建設した。ともに私鉄部分は早くから電化されていた。福塩線については国鉄部分は非電化で、大糸線は信濃大町から南小谷までを国鉄が電化しているが、残る部分は非電化。そしてともに共通するのは国鉄部分は、今は閑散路線ということだ

安曇野、大町、白馬という全国的にも有名な観光地やレジャー拠点を持つ大糸線は、福塩線ほど運行頻度が減るわけではないが、それでも国鉄路線は本数が少ない。これはともに私鉄区間が松本、福山という都市部への通勤通学圏に入っているからだ

JR西日本管轄の非電化部分ばかりが存続について何かとクローズアップされる大糸線だが、信濃大町を境に乗客はグンと減る。さらに白馬から北の3駅(信濃森上、白馬大池、千国)については、ほぼ私の貸切状態だった。レジャー季節の端境期だった側面はあるが、地元住民の利用はあまり感じられなかった

大糸線増便バスにいては春から週末運行と変わったようだが、南小谷~白馬についてはすでに昨年12月からの冬季ダイヤで途中の各駅はすべて通過し、八方バスターミナルのみの停車となっていて、今春からは八方バスターミナルや栂池高原など観光地を回るコースに変わっている。閑散駅というのは鉄オタ的には心躍るものだが、それは線路や駅が現役だからこそであって、なくなってしまっては意味がない

また来ます

ホテルでは夕食、朝食をとり翌朝は8時1分発の南小谷行きに乗車。さすがに駅まではタクシーである。「朝は混むので前日に予約した方がいいですよ」とのホテルのアドバイスで前日のうちに7時半にタクシーを呼んでもらったら、駅まで10分とかからず到着

鉄道ファンに限らず全国的な知名度を誇る白馬駅だが、実は1日の利用者数は500~600人でしかない。国防路線からスタートして観光レジャー型に変化した大糸線。道路事情の向上によるマイカー利用の増加や、北陸新幹線の開業からは、沿線の観光地やスキー場へは長野からのバスという強力なライバルが出現している。ただ雪の3月からスタートした各駅訪問では山々だけでなく仁科三湖の車窓も素晴らしかった。沿線には温泉もある

この後はこちら

全駅訪問と言いながら1駅取りこぼしてしまったが、松本から近いため、それほど苦になる場所ではない。むしろもう一度路線内を行けることが幸運だともいえる。おそらく秋になるだろうが、その日を楽しみにしよう

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大糸線全40駅訪問最終章~全国の村の数を数え「日本一の村」で宿泊

白馬駅の写真入り駅名標

※訪問は2024年10月10日

白馬そのもので泊まってみる

飯森駅から1駅。白馬駅にやって来た。本日はここで宿泊する。前日は木崎湖温泉で宿泊。今回の旅はふだん宿泊しそうにない宿を利用すると決めていた。というのも翌朝の便を考えて駅までのアクセスが良い場所を中心に選ぶことが多いのだが、旅程に余裕を持たせた分、駅から少々遠くてもゆっくり風呂に浸かって宿でのんびりする方を選択した

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駅前=観光街ではない

こちらを読まれている方はどのぐらいの知識をお持ちか分からないが、多くの宿がある白馬といっても駅前に宿が並んでいるわけではない。かといって駅からはるか遠いのかというとそうではなく、白馬八方バスターミナルを中心として宿泊施設やレジャー施設があり、車だと5分もあれば着いてしまう

グーグル地図での表示は1・7キロ。分かりやすい一本道で徒歩だと26分と表示されるが、こちらの徒歩は全くおすすめできない。スキー場に行くのだから、かなり急峻な坂である

というとこで駅からバスに乗車。白馬駅から各方面へと向かうバスはバスターミナルを経由する便も多いので、それほど困らない。白馬乗鞍へと向かうバスは立派なバスでバスターミナルまでの短い区間を乗せてくれるのかと心配したが、無事に乗車。10月という夏季レジャーでも冬季スキーでもない季節で閑散期かと思っていたが、バスターミナルは大にぎわい。マイカーでの訪問者はさらに多いと思われるので繁忙期はもっと人であふれるのだろう

日本の村の数

昨秋までの1年間、長野県へと随分おじゃました。すでに紹介しているが中央本線のJR東海区間であるいわゆる中央西線そして飯田線。篠ノ井線、飯山線に今回の大糸線。その度に駅名標を眺めては「長野県は村が多いな」と思っていた。これはJR東海に多く乗車したから実感できるものであり(JR東日本区間でも旧式の駅名標を残している)、その意味では気付かせてくれたJR東海さんに感謝しかないのだが(やはり駅名標に自治体名は必須だと思う)、長野県の村の数を調べてみることにした

まず日本政府が認める「村」は日本に189ある。「政府が認める」としたのは北方領土にある6つの村を含めているからだ。政府の統計サイトでは注釈付きで表記していて、現実的に今日思いついてすぐ向かえる村の数は183ということになる

村がない都道府県も存在していて13県もある。すべて県で都道府にはすべて村がある。ひとつしかない府県も12あるのだが、最も多い県はというと長野県で35村で2位北海道の21村を超えてぶっちぎり。しかも前述した通り、北海道の数には北方領土の6村を含めているので現実的な2位は沖縄県の19村と。2ケタの村がある道県は5つしかないので、かなりの数となる。全国の村の約5分の1が長野県に集まっていることになる

そんなことを考えていくと、おそらく白馬村は「日本で一番宿泊施設が多い村」になるはず。もちろん私は全国すべての村を訪れたわけではないし、冬季のみ営業の宿もあるだろうが、白馬村観光局に加盟の宿泊施設だけで200軒を軽く超える。村というくくりを外してもそれだけの宿泊施設がある自治体はそう多くはないはずだ

ということで本日「日本一の村」でのんびりすることにする

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大糸線全40駅訪問最終章~最後の駅は武田、上杉の争いの場として名を残す宿場町

飯森駅の駅名標

※訪問は2024年10月10日

電化と同時に開業

飯森駅に到着した。これが大糸線全駅訪問のゴール(実際は島内駅が残っているが、気付くのは旅から戻ってかなりの後である)

写真で分かる通り、単式ホームの駅ですっかり恒例となっているが駅舎はなく待合所があるのみ。1960年に信濃大町~信濃四ツ谷(現白馬)が電化された際に設置された3駅(他は北大町、稲尾)のうちのひとつだ

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白馬とセットで宿場町を構成

塩の道と呼ばれた千国街道の整備が進んだのは江戸時代。当地は飯田・飯盛宿のひとつだった。飯田とは現在の白馬駅方面にかけてで、2つの街がひとつの宿場町とされていた。もちろん駅名は飯盛の地名から来ているが、行政区分的には旧神城村にある。ただ開業時にはすでに白馬村となっていた

「敵に塩を送る」の語源となった千国街道沿いは武田と上杉の領地争いの場でもあった。鎌倉時代から当地を治めていたのは飯森氏で、戦国時代に一族が武田、上杉の狭間に置かれた際、一族内で唯一上杉に臣従。ここ飯森城で武田勢と対峙したところ一夜で現在の小谷村方面へと逃げ出したため一夜山城と呼ばれる

もっとも駅の設置は城址や旧宿場町の観光が目的だったわけではなく、やはりスキーを中心のレジャーである

城址のある山は故事にちなんで一夜山と呼ばれ地図にも記載されているが、そこには白馬五竜スキー場のいいもりゲレンデがあり、ふもとにあたる飯森駅近辺は旅館街がある

簡素なホームと周辺の景色

そんなレジャー客を迎える駅はというと

小さな階段でホームと出入りする。電化の際に設置された他の2駅と同じ構造

小さな待合所の中ではすでに冬へ向けての待機が行われていた

こちらが時刻表。12時26分で降りて同57分で白馬方面へと向かう。滞在30分と、ここは理想的だが、1本ずれると3時間運行のない、お昼休みの時間帯となるので朝から無事に回れて良かった。大糸線増便バスの力は甚大だった

こちらは駅の全景。道路から分かりやすいように赤く目立つ文字で案内があり、そこが駅前の広場となっている。もっともこれまで紹介してきた駅と同様、この駅を使用してスキーを目指す人はほとんどいないようだ。当駅は白馬駅よりも神城駅の方が近く、わずか1・5キロ。規模が大きめの神城駅の利用者が1日で60人程度とみられることを考えると、正確な数字は分からないが、さらに少ないことは間違いない。ただし写真の左側で分かる通り立派なお手洗いがある

駅の前には美しい稜線が広がる。これで3月の積雪の中から始まり酷暑の9月上旬を経ての大糸線の全駅訪問はすべて終了だと思うと達成感はあった。ここから今日は通過ばかりだった白馬駅に立ち寄ることにする

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大糸線全40駅訪問最終章~南小谷の手前で複線化も間もなく棒状に戻る

千国駅の駅名標

※訪問は2024年10月10日

全線開通後の開業

再び白馬駅を越えて今度は白馬大池駅も越えた。千国駅に到着。電化区間の「終点」、JR東日本区間の「終点」である南小谷は隣駅だ。ちなみに白馬大池駅の記事では自治体入りの駅名標も掲載したので分かっていただけていると思うが、白馬大池という駅名だが所在地は小谷村。大糸線は大町市の信濃大町から北へ向かうと簗場までが大町市、南神城から信濃森上までが白馬村、そして白馬大池から小谷村へと入り、JR西日本区間となると、平岩から新潟県となる(平岩駅は新潟と長野の県境部分にあることは平岩駅の記事で記した)

駅の開業は1961年(昭和36)。南小谷と白馬大池の間に仮乗降場として設置され、翌年に正式駅に昇格した。大糸線の全通が1957年なので、全通後にいくつか開業した駅のひとつだが、1960年に信濃大町から信濃四ツ谷(現白馬)までが電化した際に設置された電化区間内からも外れていて、当駅付近が電化されるまでは1967年を待たなければならない

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南小谷まで近く

その千国駅の現在の姿は

このような形。簡易的な駅舎が建っていて真新しい。2016年に建て直されたものだが、ではその前はどうだったのかというと、待合室があるだけで、規模は現在とあまり変わらない。駅舎にぶら下がっているかわいいポストも前駅舎と同様のようだ

白馬より北にある信濃森上、白馬大池についてはすでに記事で紹介された通り、最寄りのスキーや高原観光の拠点駅としての利用が期待された。両駅の紹介では70年代、80年代の時刻表を参照して説明したが、当時のレジャー目的の特急や急行は白馬から信濃森上、白馬大池と各駅に停車して千国のみを通過して南小谷へと向かっていた。駅周辺は特にこれといって何もなく南小谷駅へも比較的近い。千国駅は開業から一度も有人駅にはなっていない

利用者数は開業時から多くはなかったとみられる。大糸線というとJR西日本管轄の非電化区間ばかりが話題になるが、白馬から北についても何度も行ったり来たりした実感からすると乗客はかなり少ない。電化、非電化の境界から別の鉄道会社になってしまったが、同じ小谷村にある駅の利用がそれほど大きく変わるはずはないのだ。大糸線のJR東日本区間は最近のデータがない駅が多いのだが、千国駅については10年以上前、すでに1ケタの利用者となっているので現在それ以上の数字にはなっていないて思われる

ホームの跡

駅舎の中には街道時代の休憩所のような風情の小さな待合所がある。寒さは防げる。料金表と時刻表掲げられて貴重な写真も張られているようだ

ホームの向こうは村営グラウンドのようだが、その手前にホーム跡とレールをはがした跡がある。開業以来、旅客駅のみで貨物駅になることはなく単式ホームだった当駅に変化が訪れたのはJR民営化後の1989年(平成元年)。当時はスキーブームでスキー客を乗せた列車が運行され、信濃森上と白馬だけではさばききれなくなりつつあった。白馬大池は構造的に2線化できないため当駅に白羽の矢が立ち、すれ違い可能な駅となった(もちろん優等列車や臨時列車は運転停止)

だがスキーブームが去ると列車本数は減って交換設備の必要もなくなった。JR西日本区間でも交換設備が多く撤去され、千国駅も2005年に棒状ホームに戻った。わずか15年の交換可能駅だった

駅舎からホーム上の駅名標を挟んで右側に見える建物はお手洗いだ。こちらも真新しいが、廃止された向かいホームへの入口部分を塞ぐようにして設置されている。白馬大池駅でピンチとなった話はすでに紹介したが、まさか利用者数のさらに少ない千国駅にきれいなお手洗いがあるとは想像できなかった

時刻は正午前。すっかり日が昇って気温も上がってきた。そもそも朝7時にホームに立った信濃木崎駅より標高が200メートルも低いのだ。朝もやのかかっていたころと比べると山と雲が美しい

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大糸線全40駅訪問最終章~JR東日本最西端という事実を伝える

南神城駅の駅名標

※訪問は2024年10月10日

白馬村の最南端へと戻る

白馬大池から松本方面へと折り返して約20分。南神城駅に到着した。すでに紹介した簗場駅のひとつ北側。簗場までが大町市で当駅から白馬村、そして駅名から間違われやすいが、白馬大池からが小谷村である。これも簗場駅の記事で紹介したが、当駅と簗場駅の間には2019年まで冬季限定のヤナバスキー場前駅があった(正式に廃駅となったのは2019年だが、その数年前にスキー場が営業をやめて列車は停まらなくなっていた)。だから南神城駅の駅名標にも隣駅を訂正して張り直した跡がある

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目に付く最西端の記載

写真で分かる通り、単式ホームの構造で大糸線の多くの駅がそうであるようにホームに待合所があるだけで駅舎はない。シャッターが降りている場所は除雪作業の機具を入れる場所だろうが、否応なく目に入るものがある

こちらの案内板

「JR東日本最西端の駅」と記されている。何も調べずに降り立った私は驚いてしまった。「JR」とあるのだから、民営化後に掲げられたものに違いないが、これは意表を突かれた形だ。調べてみると1995年(平成7)にはホーム上に大きな碑が建てられたという。いつの間にか撤去されたようで、撤去の理由は分からなかったが、JR各社に絞っての東西南北はあまり考えたことがなかったので、ちょっと驚いた次第

東西南北を入れた最○端は誰しもに響く言葉で、駅においても最○端は鉄オタでなくても惹かれるものがある。頭に「日本」とつくと、これは立派な観光地になり得るもので先日、東根室駅が廃止されてニュースになったのは記憶に新しいところ

そこから突き詰めて、都道府県単位になると、こちらは雑学ネタになるため、私も当ブログやX(旧ツイッター)の駅紹介では必ず入れるようにしている。誰でも分かるものや、意外なものもあっておもしろい。私の住む兵庫県では2023年に能勢電鉄妙見の森ケーブルが廃線となり、最東端交代となった。通年営業しない駅、しかもケーブルの駅を最東端とするのかどうかの議論の対象にもなった駅だった

ただJR各社ごととなると基準の作り方が大変難しい。各社の境界駅がその対象となった場合はどうするのか、という問題があるからだ。JR東日本の場合はそれほどややこしくないが、他社は事情が異なる。例えばJR西日本の場合は、同じく大糸線の中土駅が最東端となるが、JR西日本路線の終着駅となる南小谷は駅の管轄がJR東日本なので、JR西日本の駅としては扱わないことになる。JR西日本では北陸新幹線の線路は上越妙高までがJR西日本の管轄だが、上越妙高駅そのものはJR東日本の管轄である

また新幹線の駅も対象とすると山陽新幹線の博多駅がJR西日本の最西端。JR東海は東京駅が最東端で新大阪駅が最西端と、何か会社の地域イメージと照らし合わせるとピンと来ない。では在来線に絞ろうとなると、今度はJR西日本の最西端は新幹線のレール上にある博多南となってややこしい(小倉方面から来ると博多駅の先が博多南なので西にあると思いがちだが、博多の方が西にある)

と、長々と書いてきたが、逆に言うと、それだけ貴重な案内板ということでもある

戦時中の開業

当駅では滞在時間が40分ほどあったのだが、上記で紹介したJRの東西南北問題を考え、調べているうちにあっという間に時間が過ぎ去ってしまい、恥ずかしながら駅周辺をあまり歩くことはできなかった

ホームからの出口は2通りあって右側が屋根付き、左側が屋根のない階段。全体を見ると

このような形。積雪の多い場所だけに屋根付きの階段ができたのだろうが、こちらがスロープではなく階段となっていることろがユニークである

開業は1942年の12月と、まさに戦時中の開業。かねてより簗場~神城に駅設置をという地元の要望に応えたもので戦時中の開業といえば、貨物列車が対象となるものだが、スタート時から旅客営業のみしか行っていない

当駅は白馬さのさかスキー場の最寄りでもある

そのための宿の案内図もあった。ただスキー客がどのぐらい電車利用で当地を訪れるかは不明で、地図にある大きな駐車場について、スキー場のHPには「無料駐車場300台」と記されていた

ちょっと後悔したのは

駅からすぐの場所にある踏切。いきなり獣道のようになっていて遮断機どころか警報器もない。それなりにある列車の本数を考えると目を引く。もちろん勝手踏切ではないので渡ることは可能だ。この奥は山しかなく、山中で作業をする人のためのもののようで少しだけでも入ってみたかったが「最○端問題」を考える時間が長すぎてここまでとなってしまった

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大糸線全40駅訪問最終章~特急停車駅でもあったなごりと現在

白馬大池駅のワンマン乗車口

※訪問は2024年10月10日

目につく写真入り駅名標

あらためて白馬大池駅。目につくのは駅舎の右側にある外向きの写真入り駅名標だ。一時はJR東日本の駅で数多く見られたが、最近になって急速に姿を消している。長期間使用して色あせると更新に手間がかかるのだろうか

例によって、ほとんど下調べはせずにやって来た。分かっているのは立派な駅舎に相反して無人駅だということだが、それは全国でよくある姿だ

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栄華の跡が残る

当駅の位置はというと姫川に面している。駅を出ると国道があつて、すぐ姫川。信濃森上の北あたりで大糸線に急接近する姫川は、この後、大糸線に寄り添うように糸魚川まで到達して日本海に注がれる。ここから北の車窓はずっと姫川にお付き合いだ。正確には太古の昔からあった姫川に千国街道である国道148号と大糸線が寄り添っているわけだが、暴れ川でもある川沿いにしか道路や線路を通す場所がなかったとも言えるわけで、それだけ人の住む所は少なかったことになる。当駅付近にも民家は数少ない。ちなみに糸魚川の地名は、氾濫を繰り返す「厭い川」から来ているという説もあるほどだ

そのような場所に駅があるため、周囲に人家はほとんどない。にもかかわらず、よくこのような立派な駅舎ができたと思ってしまうが、前記事で書いたように当駅をスキーも含めた栂池高原の最寄りとしてレジャー拠点にしようという目論見からだ

信濃森上駅の記事でも参照した1978年10月号と1988年3月号の時刻表を開いてみると、国鉄時代の78年に比べてJRとなった88年の方が多くの優等列車が停車していることが分かる。週末を中心にした運行の新宿行き「あずさ」や名古屋行き「しなの」は南小谷始発で当駅から信濃森上、白馬と3駅連続の停車。スキーシーズンの終わったGWも停車があるので、栂池(つがいけ)高原リゾートの最寄りとして重要視されていたのだろう

駅舎内の待合室にあたる部分は広い。椅子が並べられている場所にきっぷうりばの文字がある。右側のやや低くなっている窓口は手荷物受付だ

きっぷ販売の窓口は2つあったようで規模も推察される

逆側に目を転じると

おそらく売店の跡だ。いつまで営業していたのか分からないが、売店があるほどにぎやかな駅だったと推察される

ホームは単式。駅舎と逆側には山が迫っていて、もちろん民家はない。長いホームが優等列車が停車したころをしのばせる

当駅訪問の注意点

駅舎の外から見えない側にも写真入り駅名標がある

そして時刻表

荷物扱所の文字(貴重なものだと思う)の下に掲げられているが、私は8時40分着の増便バスでやって来た。次の電車は10時13分で1時間半の待ち時間があった。そして何度も書いているように10月上旬とは思えない寒い朝だった。寒さは駅舎の中でしのぐことができるが、問題は冷えからの生理現象である。増便バスを利用しての移動候補には当駅とさらにひとつ北の千国駅があり、どちらに行っても道程はほとんど変わらない。ただ千国駅の停留所が駅からやや離れていること、そして駅の写真を見た時にお手洗いがあるとしたら白馬大池だろうと思ったこともあって、こちらでの下車となったのだが、結果からすると、それは大間違い。お手洗いはなかったというか閉鎖されていて使用できないのだ(厳密に言うと、その手前にも行けない)。もちろん悶絶である

訪問当日は道路の補修工事を行っていた。手前が駅で道路の向こう側は姫川である。栂池高原への公共交通機関によるルートは白馬からのバスがメインになっていて当駅をレジャー利用する人は、ほとんどいないと思われる。最近の利用者数は不明だが、周辺にほとんど民家は数少なく10年以上前の時点で1日20人を切っていたので、それから増えてはいないはず。10時を過ぎてやって来た信濃大町行きに乗車したのは私だけだった。要はずっと貸切だったのだ

信濃森上駅ではすっかり簡易化された駅舎に寂しさを感じたが、こちらでは立派な駅舎にかつての栄華を感じさせるだけ、別の意味で寂しさを覚えたのである

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大糸線全40駅訪問最終章~電化で生まれた重厚なコンクリ駅舎へは増便バスで

白馬大池駅の駅名標

※訪問は2024年10月10日

定時のダイヤだと行けないが

例によって時刻表である

今は信濃森上駅にいる。8時5分でやって来た。上りも下りも2時間以上ない。私が行こうとしているのは南小谷方面だが、それは3時間以上も後。本来なら完全に行き詰まってしまうところだが、この時は強い味方があった

こちらは先に2度にわたって記事にした大糸線増便バス。先に記事化したのは2025年3月までの運行とされていたためだ。そして1カ月の間に2度も大糸線へと出かけたのは、このバスがあるうちに各駅訪問を済ませないと白馬以北の駅で苦戦することが分かっていたからだ。なお4月からも週末を中心とした運行でバスは維持されているが、コースは大幅に変わっており、現在は白馬~南小谷の駅には停車しないので、今は使用できない。

8時34分に乗車する

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昭和40年代のコンクリ駅舎

バスがやって来た。1カ月ぶりの乗車だが、私はわずか6分で到着する白馬大池駅で下車する。前回で勝手が分かったので、乗車時にきっぷを見せて「白馬大池まで」と告げる。JR西日本が運行するバスでありながらもJR東日本の区間のみの乗車である。ここ信濃森上からの乗車も白馬大池での下車も私一人である

そして下車した所で待っていたのは

いかにもかつての国鉄コンクリ駅舎のたたずまいを持つ白馬大池駅。重厚な駅舎だ。大糸線のJR東日本で昭和30~40年代のコンクリ駅舎を持つ駅は当駅のみしかない。JR西日本区間も平岩駅のみだ

駅名の由来は標高2300メートルの湖

国鉄によって建設された信濃大町~中土の大糸南線は1935年(昭和10)に開通したが、その際に信濃森上~南小谷には8・5キロにもわたって駅はなかった。戦後間もない1947年に当駅が仮乗降場として開業。翌年に正式駅となった(もうひとつの千国駅はさらに後)。当初は地元の地名である川内に基づいて「川内下」という駅名だったが、正式駅になる際、もっと知名度のある駅名にということで現駅名になった。ただ北アルプスの標高2300メートルにもある火山活動による湖は駅からは遠すぎる

ちょっと最寄りとは言えない場所にあり、湖まで車では行けない。軽装ではホイホイ行ける場所ではない。ただし地図で分かるように栂池(つがいけ)高原そしてスキー場はまさに最寄りで

駅前の案内図でもそれは一目で分かる。駅名も栂池もしくは栂池高原という駅名にすれば、難読も相まって知名度はさらに上がったと思われるが、戦後わずか3年の1948年の時点ではスキーやレジャーという発想はない(ロープウェイの駅名は「栂池高原」となっている)

転機が訪れたのは1967年の信濃森上~南小谷の電化だった。前記事で1960年に信濃大町から信濃森上までが電化された際には、栂池高原スキー場は現在の規模のものとなっていた。ならばスキーそして夏の高原レジャーも含め、当駅を拠点駅にしようということで現在の駅舎が建てられた。だから国鉄コンクリ駅舎なのだ。ここでも1時間半以上の待ち時間があるので駅と周辺をゆっくり見ることにしよう

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