※訪問は2024年1月10日
ついに徒歩移動の時
福山を朝の8時に出発したころは、まだ本数の多い時間帯だったが、万能倉駅に到着した9時半には1時間に1本の昼ダイヤと、ついに1時間に1本の時間帯に入ってしまった。ということで、ここはやむを得ない。お隣の駅家まで徒歩移動である
とはいっても、大騒ぎするほどのものではない
この区間は線路とほぼ並行に県道が走っていて、しかもほぼ平坦。駅間徒歩移動というより散歩レベルである。面倒なのは朝の三原駅から降っている雨だが、この時間帯は小降りになってきた。過去何度か書いているが、徒歩に適した気候は気温10度、風雨なしだと確信している。気温は適正でも風が強いと体感温度は下がるし、雨はどちらかというと論外である
ということで歩を進める。住宅街の道路なので足下は確か。心配は泥はねだけ
しばらく歩くと商業施設が目立つようになり、駅が近いことを感じる
5年前との違いをかみしめる
そして到着した駅家駅。ご覧の通り「簡易」とは言わないが「簡易的」駅舎である。しかも新しい。当駅は約4年前の2019年12月にも訪れているが、その時の写真がこちら
お分かりだろうが、大正期の開業時(1914年)以来の駅舎がサイズもほぼそのままで残っていた。さらに言うと有人駅だった。2020年に無人化され、翌年に旧駅舎は解体されている
駅名はかつての駅家町に基づく。鉄道が通った時には駅家村。1975年に福山市となり、駅家町は消滅しているが、大昔からあった地名ではない。前記事で紹介した万能倉村などが合併して新しい村が誕生した際、駅家という村名が誕生した。旧山陽道の宿場があつたことで名付けられた
関西弁なら叫び声だが
関西の人間が駅を見つけたら「駅や駅!」と叫んでしまう駅名として広まったこともあるが、この駅家という町名はよく考えられたものだと今にして思う
「駅」という言葉の意味を知らない人は日本にまずいないだろう。ただ日本に鉄道が導入された時は事情が異なっていた。「station」を日本語(和訳)する際、どういう言葉が適切かと検討された結果「停車場」が採用されたが、それまでの宿場の呼び名のひとつでだった「駅」の代わりになるものとしてstationに人が集まるようになったため、次第に元々の駅(宿場)はさびれ、いつの間にかstationが駅と呼ばれるようになり、一般への認知度では停車場を上回るようになった。その後、お上の方で2つの言葉の棲み分けがされ、鉄道用語には停車場は残っているものの、駅を含め「列車が停まる場所」という広い意味となっていて、日常会話に出てくることはなくなっている。
では「駅」とは何かというと、律令時代に設けられた街道の施設のことで、ここには馬と厩舎のほかにも休憩所や宿が設けられていた。だから人も集まる。「駅家」とも呼ばれた。文字に馬ヘンが入るゆえんである。だから「駅」という言葉は日本に鉄道が導入されるより千年以上も前からある由緒ある言葉なのだ。逆に言うと鉄道関連以外で「駅」を使う言葉は日常的にほぼない。だから自治体名や駅名となって残っているのは意義がある
現在の駅舎は
現在の駅名板も由緒ある言葉に敬意を表していたおしゃれなものとなっている
こちらはホーム側から見た駅舎。正面からのものも含めレンガでアクセントを出している。路線内の他の簡易的な駅舎とはほんの少し違う
もっとも駅舎内に窓口というものはなく、風の通り道としては吹き抜けだ
こちらは2019年12月に改札内から撮ったもの。姿は見えないが、在席の駅員さんが対応すべく改札口は開いている
湯田村、万能倉そして駅家と3駅訪問してきたが、いずれも由来を考えるだけで興味が尽きない駅だと思う
↑2つクリックしていただけると励みになります