高山本線

高山本線全駅訪問のシメ行脚~閑散区間で最後に残った駅には沿線唯一のスノーシェッド

打保駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

震える寒さにちょっと後悔

打保駅に到着。ダイヤが薄い(本数が少ない)上に他の交通機関もなく、坂が多かったり、駅間距離が長かったりして(お隣の坂上までは10キロもある)徒歩移動も困難な岐阜県と富山県の県境4駅(角川、坂上、打保、杉原)を、これでようやく訪問完了となった

そして朝からの実情として

「めちゃくちゃ寒い」

私の服装は夏からのズボンに長袖の薄いシャツ1枚。昨年は夏が終わってもいつまでも暑かったのはご存じの通りで、前日の私はというと城端線や氷見線を乗り、駅間徒歩では汗をダラダラかいていた。朝5時の富山駅周辺でもそれほど寒いと思わなかったが、猪谷駅で寒気を感じ始め、7時26分に飛騨細江に到着して外に出ると震え上がった。猪谷から飛騨細江に至る列車には途中駅から通学の高校生が次々乗り込んできたが、皆真冬の格好。コートを着ている生徒さんもいる。車内で私の服装は完全に浮いていた。こんなに気候が違うものなのか。これは全くの予想外で上着も持ち合わせていない私はシャツを2枚重ね着して何とか寒さをしのぐことにした。そして最後の駅に打保を選んだことを後悔し始めていた

1カ月前、まだ気候は夏の9月上旬、訪問は打保か坂上の二択となった。どちらか一方は次回へ持ち越し。その時に選んだのは坂上駅である

選択の理由は「駅舎内にエアコンが完備されているから」。90分も過ごすのだからと当時は自画自賛的なチョイスだったが、それについては完全に後悔

なぜなら

打保駅は簡易型の駅舎なのである。写真を見ただけではどのぐらい寒さを防いでくれるのか分からない。当駅には8時34分に到着して9時26分の高山行きで折り返す。つまり約1時間。寒さと暑さのどちらを我慢するかとなると、駅間徒歩ならともかく、周辺の散策だけで終わるこのシチュエーションとなると、避けるべきは寒さである

難読にしてさまざまな語源

「うつぼ」と読む。意表を突かれるというか、なかなか難読である。そう言われると、この4駅のうち3駅は「つのがわ」「さかかみ」と、意表を突かれる読みが並ぶ

駅名、自治体名については順番に遡る必要があり、現在当駅は岐阜県飛騨市にあるが、飛騨市が誕生したのは2004年。それまでは宮川村にあった。その宮川村の誕生は戦後の1956年(昭和31)で、坂上村と坂下村が合併したもの。坂上村の駅が坂上、坂下村の駅が打保である。坂下村は明治初期の1889年(明治22)から1956年まで存在。ちなみに読みは「さかしも」だ。さらにその前に打保村、杉原村と現在の駅名の村名が見られる

「打保」の「保」は集落の意味で「山の内側にある集落」の「内保」が「打保」になったという説や、岩などにできた空洞を意味する「うつほ」が語源という説などがあるようだが、江戸時代にはすでに名前が見られる地名だったという

写真としては順番が逆になってしまうが、駅舎は猪谷方面ホームと直結している。対面式の2面2線ホーム

駅の開設は1933年(昭和8)。線路が富山との県境を越え、猪谷からお隣の杉原まで来たのが1932年で、当駅を挟んで坂上まで延伸された際に開業した。現在の駅舎は20年前からのもの。簡易型となるのは早かった。手前から3つの扉が並ぶが一番奥が出入口。駅舎は倉庫も兼ねているようで手前2つはロックされている。駅舎内は小さな待合室となっていて、つまりお手洗いはない

これは覚悟していたことで列車内でお手洗いは済ませ、持参の水にも一切手をつけないことを決め、周辺の散策を行う

駅の周辺は小さな集落となっていて

立派な郵便局もある。こうやって地図を見ると公営のトイレがあるようだが、訪問時は全く気付かなかった

スノーシェッドに守られる

宮川に沿ったカーブ状にある駅の前後の分岐はスノーシェッドに守られている。176・4キロのポストが岐阜からの距離を感じさせ旅情を誘う。降雪に見舞われる高山本線沿線だが、ここが唯一のスノーシェッド設置なのは少し意外

こちらは逆サイドつまり猪谷方面

解けたナゾ

前回の訪問時前から当地のバス路線については何とかならないかと随分調べたが、デマンド制(予約制)かどうか分からず結局断念したのだが、待合室内の張り紙でようやく解決

デマンド制と路線バス扱いの2種で構成されていた。「お出かけレシピ」とは分かりやすい表現で高山本線との接続時間も明記されている。しばらく訪問の機会はなさそうだが、すっきりしたと同時に役に立つ情報だった

かつては貨物の入線もあったようでヤードが残る。待合室はかなりの密閉状態で保温も良かった。これで無事に県境の4駅を訪問。ちなみにグーグル地図で打保駅を検索すると以前の木造時代の駅舎を見ることができる。また私のX(旧ツイッター)のプロフィール写真は杉原駅のものです

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~開業以来の棒状駅への道中で現状を知る

杉崎駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

1区間分は路線バスで

飛騨細江から杉崎は線路に沿った平坦な直線コースを徒歩30分と前記事で書いたが、実際はというとちょうどよい時間に路線バスがあったので、その方が圧倒的に楽なのでバスに乗車すことに

ただバス停が見つからず、とても焦る。地方のバス停については片側にしか停留所が設置されていなかったり、結局その場所が正しいのかどうか分からず乗せてもらったりと、過去いろいろな経験をしているが、ここはかなりの町中で、困ることはないと思っていただけに焦燥感が募ったが、これでは行き過ぎだろうと来た道を振り返ると

あった

写真だと駅は奥側にあり、そこから歩いてきたのだが、器用に商店の軒下に設置されているため、気付かず行き過ぎてしまったのだ

バスはほぼ定刻にやってきた

この路線は1年前にもお世話になった

上枝駅から飛騨古川駅に移動の際に乗車。高山から飛騨古川までは1時間に1本の運行があり、そのうち約半数が神岡まで至る。つまりその半数に今回乗車した。1年前はほとんど下調べもせずの旅だったが、今回はさすがに入念に調べている

杉崎までは徒歩30分、2キロしかないのでバスだと5分も経たずに到着。バスは1年前と同じで観光バスを使用したもの。その時は30分近くバスに揺られ、座席で携帯の充電もできてとても快適だったが、その時と大きく異なることがあった

ほぼ満員なのである

乗客はほとんどが高校生。すぐに降りることが分かっていたので、できるだけ前の方に座りたかったが、奥の方にようやく空席を見つけたと思ったら降車の時間。「降りま~す」と声を出しての下車となった。もちろん降りたのは私だけ。入れ替わって数人の高校生が乗車した

猪谷から飛騨細江までの道中でも通学の高校生はそれなりにいたが、ここまで多くはなかった

2022年の3月の芸備線でも同じような経験をしている。この時はもっと極端で小奴可駅と備後八幡駅を訪問した時のことだ

朝の7時2分小奴可発の新見行きに乗車すると旅客は私と高校生の2人のみ。2つ隣の備後八幡駅で降り、次の列車は8時間後なのでバスで東城へと向かったところ、バスはスクールバスかと思ったほどの超満員だった。その高校生は芸備線で通学する貴重な生徒ということで、後にテレビの取材を受けていた

またひとつ地方における公共交通機関の現状を知ることになり、ようやく駅の話となる

戦後生まれの棒状駅

杉崎の駅舎。年季が入っているように見えるが、戦後生まれである

駅名板は飛騨細江駅と同じ系列のもののようだが、傷みが激しい

開業は1952年。仮乗降場としてスタートして3年後に駅に昇格した。現在も駅を含めた周辺の住所は飛騨市古川町杉崎

前記事でも記したが、明治初期にあった杉崎村はその後の合併で細江村となり1956年に古川町となるまで存続した(平成の合併で飛騨市となる)。どちらかというと飛騨細江駅より当駅の方が細江村の中心部にあたる

駅にあった周辺の案内図

ただし戦後生まれの仮乗降場ということもあって当初から棒状の単式ホーム。全国各地で元々2面あったホームが単式になるという事案が見られるが、岐阜県内における高山本線今も設置当初からホームが2面だった駅は、そのまま2面で開業から単式で今も同様の構造の駅は当駅と、こちらも戦後生まれの飛騨宮田の2駅しかない(禅昌寺駅は単式で戦前にスタートし、現在は通過線のみ付け加えた変則型)

仮乗降場なので貨物設備もない

ホームと駅舎は屋根付きの小さな階段で結ばれている

今から富山方面へと後戻りする形になるが、乗客は私ともう一人

今から乗車するのは8時6分の猪谷行き。猪谷から乗車し、飛騨細江で下車したのは当駅7時29分発となる高山行きだが、通勤通学にはほぼその一択のようだ

まだ猪谷方面で未回収の駅があるので、再び山中に分け入ろう

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~山深い区間を越え市街地へ到着

飛騨細江駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

富山から約2時間

猪谷からJR東海区間に入り、飛騨細江に到着。富山を出発したのが5時38分、当駅に着いたのが7時26分なので70キロの移動で所要時間1時間48分と結構な道程となった。本来なら宿も多い高山あたりに宿泊した方が効率が良いのは分かっているず、この区間の本数の少なさから富山泊になってしまった。富山から普通のみで高山まで行こうとすると富山発15時58分を逃すと、次は19時50分と4時間も運行がない。この間に17時14分発の特急があるが、所持する「秋の乗り放題パス」では一から課金になってしまうので今回はハナから選択肢になかった。19時50分に乗ると高山着が21時45分となるので、ちょっと遅すぎる。そもそも猪谷の乗継ぎ(わずか2分)以外、ひたすら夜の車窓を眺めながら4時間揺られるというのは私にはちょっと無理である

それほど飛騨古川~猪谷は、ダイヤ的には「薄い」区間で(飛騨古川~高山は区間運転が行われている)、1日8往復(もう1本、夜の下り最終として高山始発の坂上止まりがある)。昼間は3~4時間運行がない時間帯もあるなど全駅訪問の難所だが、飛騨細江まで来ると山岳地域というより市街地となって開けている。神岡からの路線バスが当駅付近を通るため、比較的訪問は容易となる

また飛騨細江~杉崎は線路に沿った国道を行けば、ほぼ平坦コースで徒歩移動も可能な距離

同様のことは杉崎~飛騨古川にも言えるため、全駅訪問を決めてから、最後までとっておいた

旧細江村に基づく

なかなか渋い駅舎が現存する

駅舎入口に掲げられている駅名板にも歴史を感じる

JR東海は待合所やトイレ、倉庫に至るまで、こまめに財産票を張ってくれる。高山本線が一気に飛騨小坂から坂上まで延伸された1934年(昭和9)の開業。もちろん駅舎は当時からのもの

駅名は1956年まで存在した細江村に基づく。ただ駅を出るとすぐ宮川が迫っていて村としての中心部は国道に沿った杉崎駅寄りだったようだ。明治初期に杉崎村などが合併して細江村が誕生したが、鉄路ができた時、すでに細江村の中心は飛騨細江駅と杉崎駅のどちらかというと杉崎駅に近い場所だったようだ。上記の地図だとファミリーマートや杉崎公園のあたり。今も残る付近の町名は飛騨市古川町杉崎で細江という住所は残っていない(駅近くの飛騨細江郵便局にその名を残す)。そのあたりが考慮されたのか、杉崎駅の設置は戦後になってからである

もちろん、といっては何だが無人駅。それでもきっぷ販売の窓口だけでなく手荷物、小荷物扱い扱い窓口も残る

2面2線のホームに加え、行き止まり形式となっている貨物ヤードも残る

こちらは貨物ヤード裏側の様子。あまりにも国道が近すぎるためか、本数の少なさからか、周辺の町の規模を考えると利用者は少なく1日30人程度にとどまっているが、以前は規模の大きな駅だったことがうかがえる

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~猪谷駅「大きな変化あり」の報に驚く

猪谷駅に到着

※訪問は2023年10月19日

まだ暗い富山駅から出発

富山駅は青春18きっぷの最終日となった9月10日以来。1カ月以上が経過して季節も秋へと移り変わり、いつまでも暑い2023年だったが、朝の5時過ぎはまだ暗い上に肌寒い

今日明日で、ようやく高山本線の全駅訪問を終えるつもりである

昨年の18きっぷ最後の2日間でフラリ高山本線に乗ってみたのがことの起こり。当時は主要駅や気になった駅だけを訪問するつもりだったが、妙に気持ちに火がついてしまい、その後

2月 西日本グリーンきっぷで北陸新幹線の各駅訪問をした際にJR西日本管内の2駅訪問

4月 青空フリーパスで岐阜~下呂の8駅を訪問

9月 青春18きっぷでJR西日本&JR東海の7駅を訪問

のべ5日もかけている。2月は西富山から日本で最も長い駅名となった「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場」まで歩くという目的もあったが、それでも2駅を訪れている。4月と9月はそれなりに「ガチ」で早朝から臨んだつもりだが、1日では意外と回れていない。なぜこのようなことになったのかというと、最初につまみ食いのように回ってしまったため、相互に訪問しづらい駅ばかりが残ったためだ。当初から計画的に回っていれば、もっと早く終わったと思われるが、終わったものはしょうがない

本来なら9月の青春18きっぷで終わらせるつもりだったが、どう考えても2日では終わらないことに気付いた。そこで高山本線は1日で終え、18きっぷの残る1日は城端線に充てることに。城端線と氷見線の三セク化ニュースが出たばかりで、こういうのはまとまり始めると早いと高岡へ

そして今回は秋の乗り放題パスを使用。城端線、氷見線の未回収駅を訪れた後に富山で宿泊。さすがに今日明日の2日間で回り終えることになる。その後は名古屋方面へと向かい、名鉄を2日間、満喫する予定となっている

駅数が増えた高山本線

新幹線は6時を回ってからということで、まだシャッターが降りているが

あいの風とやま鉄道と高山本線の改札はすでに営業を始めている

高山本線については、北陸新幹線の開業で「新駅が開業したわけではないのに駅数が増える」という現象が起きている。これは富山駅の所属によるもの。2015年の北陸新幹線延伸まで駅としては北陸本線の所属だったが、同線が三セクのあいの風とやま鉄道に移管されたため、必然的に残る高山本線の所属になった。だから高山本線は現在45駅で所属は44駅(岐阜駅の所属が東海道本線となるため)。44という数字を見ると、なかなかの数だが、とにかく今日と明日で終わらせよう

2両編成のキハ120で降りた衝撃

高山本線のJR西日本区間である富山~猪谷はキハ120が担当する。同じ富山県の氷見線、城端線はいわゆるタラコのキハ40の運行だが、こちらはキハ120。キハ120というと山中を走る単行のイメージが強いが、こちらは常に2両編成で通勤通学の時間帯は多くの人であふれる。また直線部分では、かなりの猛スピードを見せてくれるなど、他地域とは違う姿を見せてくれる

猪谷駅の衝撃ニュース

列車は50分で猪谷に到着

乗車しているうちに、すっかり夜は明けた

ここまでが富山県、ここまでがJR西日本で両社をまたぐ普通列車は現在、運行されていないので必ず乗り換えとなる。乗り換え時間は列車によってさまざまで、すぐに乗継ぎ列車が出発するパターンもあれば、しばらく待機、さらには数時間にわたって普通がないこともある。私の乗車列車は18分の接続。昨年から何度となく降り立つことになったこのホームもしばらくは来なくなるかもしれない、とこれまた何度も撮った駅舎を記念撮影

やがてやって来たJR東海の車両に乗り継ぐ

同一ホームで前後の乗り換え。このパターンに出会うのは初めて。これまでは島式の向かいホームへの乗り換えばかりだった。頻度は分からないが、私にとっては貴重な体験。この後、JR区間を目指して山中に入っていったが、つい先日、X(旧ツイッター)のフォロワーさんから年明け訪問した際、特徴ある駅名板が変わっていたとの投稿があってビックリ

これは9月のものだが、猪谷駅の存在感を際立たせていたこの駅名板が普通の「JR 猪谷駅」という板に付け替えられていたという。猪谷で降りて、まず目に飛び込んでくるのはこれだろうという存在感を放っていたものがなくなったとは。新年から衝撃のニュースだった

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~訪問手段は鉄道のみの駅で地元の皆さんと触れ合い

東八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

越中八尾から運行が極端に減る

越中八尾から1駅。東八尾で下車し、これで高山本線のJR西日本区間は下車完了

JR西区間の高山本線には運行に大きな特徴があって、富山~越中八尾は多くの区間運行が行われているのに対し、越中八尾~猪谷は極端に本数が減る。これは猪谷を挟んだJR東海区間もそうで、猪谷~飛騨古川は本数が少ない。だが、その中でも路線バスのある駅とない駅があって後者は難易度が増す上、山間部は駅間が離れているため徒歩もままならず、悪条件がそろっている

JR東海区間については、この時に触れたが、JR西区間についてはどうなのかというと、本数が少ない東八尾、笹津、楡原のうち笹津と楡原については、路線バスがかなりある。特に笹津については

昨年同時期に訪れた時の記事で「路線バスが多くいので不安なし」と紹介している

ところが東八尾については、周辺にバス路線というのが走っておらず、なかなか行くのが難しい(正確に言うと徒歩15分ほどのバス停から越中八尾方面へ朝夕に1~2本出ているほか、富山駅行きのバスも早朝に2本出ている)。越中八尾からは約4キロなので、もう少し気候が良ければ歩くが、今の時期、私には無理である

ちなみに周辺が大きな町である越中八尾からもバスでは富山駅まで行けない。付近を走るコミュニティバスがあるだけ。なぜこのようなことになっているかというと、それは高山本線の線形にある

猪谷を出て富山駅に向かう高山本線はしばらく国道41号と併走。楡原、室津の両駅はほぼ国道沿いにあるが、国道が真っ直ぐ富山駅に向かうのに対し、高山本線は大きく西に弧を描き、やや遠回りするように富山駅へと向かう

昭和初期の敷設の際も、八尾町に配慮して弧を描く計画だったが、地元から「これだと八尾の中心部を通らない」との声が出て弧が大きくなった。その後の道路の充実で国道とは大きく異なる経路となったため、路線バスのルートからは外れてしまったのだ。室津から富山駅へは私鉄路線があったことも影響している

越中八尾~富山については列車本数も多い上、特急停車駅にもなっているので訪問難易度は高くないが、東八尾だけがポツンと残る形になっている

戦後生まれで駅舎なし

その東八尾は単式ホームと待合所だけがある駅となっている

こちらが駅の入口。簡易な構造だがお手洗いはちゃんとあって手前の白い建物がお手洗いで、奥の黒い建物が待合所

盛土にあるホームからはのどかな光景が広がる。民家が点在していて他は農地。手前に貨車がポツンと置かれているのが違和感があるようでないのがいい。景色に刺激を与えている

駅の開業は戦後の1956年。それまで越中八尾と笹津の間は駅間が8キロもある上、前述の事情で私鉄路線も路線バスもない。あまりにも不便ということで駅の設置運動が起きて開業となった。当初から1面1線構造の無人駅

私が乗車したのは15時前。すでに下校が始まっていたようで、高校生が降りて四方へと別れていった。駅前は何もないようだが、1日の利用者数は62人。これは猪谷や楡原よりも大きい数字だ

ホームがにぎやかになり

こちらは待合所。翌日に城端線でも見かけたものと同じで老朽化したものが県内で一斉に建て替えられたようだ

東八尾の時刻表。2時間に1本程度の運行で昼間は4時間ほど運行がない。私が乗って来たのは14時46分の猪谷行きで、15時39分の富山行きに乗車する。50分ほどの待機

駅を出たところにあるのは城生神社。角川といい坂上といい、今回の旅は駅近くで神社によく出会う(角川は駅構内だったが)

縦の駅名標とキロポスト。岐阜から205キロもある。本日のスタートは美濃太田だったが、行ったり来たりしながら180キロ近く移動してきたことになる

そんな中、ホームが急ににぎやかになった。付近のウォーキングをされている地元の方々で5人のグループ。皆さん、明らかに私より人生の先輩だ

先頭でやって来た男性に「こんにちは」とあいさつすると、どう見ても地元の人間ではないと瞬時に判断されたようで「どちらから?」。「神戸からです」と答えると、驚いた様子で「なんでここに来たの?」

ここからは北海道の落合駅と同じく「全国の駅を訪問しているんです」と話すと「へー、そんな人がいるんだねぇ」

そのうち後続の方々が合流してきて、男性が「この人、神戸からわざわざ来たんだって。全国の駅を回るのが趣味らしい」と紹介されて、ちょっとしたスター扱いになりかけたが、一人の女性が「そんな趣味は世の中にない」と一言。私についての「取材」は、ここで終了である(笑)

その後、列車到着までの歓談で「何もないのがこのあたりのいいところ」という話になり、そんな環境が気に入られ、有名人の別荘があるということも教えてもらった。なかなか有意義な情報だった

富山に到着。高山本線のキハ120は2両編成で、途中駅からは乗車してきた多くの乗客とともに下車。回収できなかった駅は秋へのお楽しみとしよう

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~これはムリと関西人の難読駅へ

越中八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

時刻表とにらめっこして出した結論

前記事で絶対オススメとした角川駅の時刻表。現在の時刻は12時半。つまり坂上から11時58分の列車で到着して12時36分の猪谷行きに乗ろうとしている。というか他に乗り物がない。高山寄りの飛騨細江、杉崎は未訪問駅だが、列車は3時間後。飛騨細江までは6キロほどあり、歩いてもおつりが来るぐらいだが、この猛暑の中、山中の国道を歩くのは無理というものだ

そんなこともあり、90分の待ち時間があった坂上でいろいろ考慮した挙げ句に導き出した答えは「今日明日での高山本線全駅訪問は不可能」ということ。青春18きっぷは明日まで。つまり、また来なければならないのだ

ちょうど「氷見線、城端線を三セク化」の報道が出たころだった。こういうのは一度流れが決まると話がどんどん進んでいくものだ(結果としては非電化区間ということで、もう少し時間がかかることになった)

ならば明日は富山から高岡に出て氷見線の各駅を訪問しよう、と急きょ予定変更。早い話が18きっぷの最終日は高山本線でなく氷見線となった。おそらく10月には鉄道の日記念のフリーきっぷが出るはず。高山本線の全駅訪問は、その時に完了させよう

同業者も避ける列車

となると話は早い。高山本線のJR西日本区間では東八尾の1駅のみが未訪問。東八尾へと向かうことにする

ということで今年もやってきた猪谷に約30分。富山県とJR西日本の最初となる当駅には13時7分に到着。ただこの列車には、ほぼ誰も乗っていないぐらいガラガラなのは昨年の経験で知っていた。18きっぷのシーズンに同業者(鉄道ファン)が避けるほど。なぜかというと猪谷で接続も折り返しもないから。猪谷から次の富山行きは15時20分発、高山行きは15時8分。猪谷ではJR東海とJR西日本の列車が接続するダイヤとなっているが、朝と昼はこの1本だけが猪谷で行き止まりとなっている。だから同業者にも人気はなく、一般客は岐阜県内の飛騨古川まででほとんど降りてしまうため、途中から車内は寂しくなる。見たところ、猪谷まで来たのはほぼ全員が同業者のようだが、私を入れて5人だった

時間はあるので国道まで出てみた

ただ猪谷からの乗継ぎが2時間ないと断定するのは、正確には多少異なっていて駅から5分ほど歩いたバス停に行くと富山駅行きの路線バスはそれなりの本数があって、この時間帯なら時間的にちょうどいい13時35分が出ていて、楡原駅、室津駅近辺を通る

また猪谷は特急停車駅なので、富山行きは14時10分、高山方面行きは13時40分にそれぞれ「ひだ」がある。昨年は猪谷で30分待って高山までひだへ特急課金した

そして今回の私はというと

1時間待ちで越中八尾まで特急課金。八尾方面へはバスが通っていないので必然的にこうなる。毎度のことながら猪谷駅の無人駅の駅舎内で急に話し始める券売機にはビックリさせられた(笑)

重厚な駅舎の越中八尾駅

ということでわずか20分、越中八尾に到着。十数年ぶりにやってきた

平成の大合併まで八尾町の中心駅だった。1927年(昭和2)に富山から当駅まで高山本線の祖が開通。駅舎は当時からの立派な豪華な木造である。特急ひだも全列車が停車する

関西人泣かせというか、ほぼ100%「やお」と誤読してしまう。大阪の同名の都市は河内音頭で有名すぎるからだ。大阪府の駅は明治生まれ。読みは異なるが、同名だったので「越中」がつけられたと思われる。この後、列車に乗ると明らかに関西から来たと思われる学生さん風の18キッパー2人が「やつお、とは読めへんな」と話していたが、誰もが同じ感想を持つと思われる

ちょっといい味を出している案内板が残る

カウントダウンに入っているようだが、みどりの窓口が現役

駅名板の横には速星駅と同じく、輝く「みどりの窓口」がある。駅舎内のテレビではプロ野球中継。そういえば速星も駅舎内にテレビがあり、ワイドショーを見た。駅舎内でテレビというのは、ありそうで意外とない素晴らしいサービスだが、無人化されるとどうなってしまうのだろう

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~絶対オススメ!廃ホームで参拝できる駅

角川駅近くの神社踏切

※訪問は2023年9月9日

本日のメインイベント

坂上駅のホームで列車を待っていると出発の数分前に、ご婦人がやってきた。今年はローカル線の駅でぼんやりしていると、他の旅客と2人だけになる機会が多く、四国のとある駅では、話していると現在私が住んでいる最寄りから、たった2駅のご出身でお互いビックリした

この坂上駅で、お話ししたのは、ちょっと前まで首都圏でお住まいだったという方。最寄りはかなり著名な駅で、少なくとも時刻表を前もって把握した上で駅に行く必要はない。「乗り遅れるわけにいかないので大変」と笑っていた。前記事の坂上駅の項でアユ釣りでにぎわうという話題に触れたが、これはその方から聞いたもの。アユ釣り客を対象とした旅館もあるようだ

その会話の中で「次は角川で降りるつもりです」と話すと「皆さん、列車内から写真を撮ってますよ」

ふーむ、やはりそれほど認知度があるのか、と感心。というわけで

ひとしお隣の角川で下車した。これは読めそうで、なかなか読めない。平成の大合併で飛騨市となった旧河合村唯一の駅。開業は1934年(昭和9)で高山本線の全通時のこと。駅前はすぐに宮川で小さな集落があるだけとなっていて、旧河合村の中心部とは、やや離れている

宮川に沿って折れるように高山本線も折れるあたりで振興事務所が旧村役場。駅名は中心部の地名に基づくもの。だから駅前にはほとんど何もない

かつては開業以来の駅舎があったが、2011年に現在の簡易的なものとなった

車窓から見えるもの

ただ駅前には特に何もなくても駅構内のホーム上には目を引くもものがある

線路の向こうのホーム上に見えるもの。それは神社の鳥居である。しかもホームにはあるものの、元は2面構造だったと思われる駅はホームがはがされ、現在は単式構造。これは目を引く。冒頭の「車内から写真を撮っている」というのも、よく分かる

昨年、この付近を通った時に驚いたが、その時は下車がかなわなかった。そもそも、この神社にたどり着けるのか。1年越しの楽しみで、当駅は本日のハイライトである

参拝への道

2面2線から単式になったホームというのは入れなくなっているものが多い。というか自然に還っているものがほとんどで、人工的にも自然的にも入れないものだ。しかし、ここは神社である。見た目には自然には還っておらず、定期的に手入れが行われていると思われる。単式化された際に跨線橋は撤去されたようで直接は行けないが、何とか方法はあるはず、と様子をうかがうとホームの坂上寄りに踏切が見える。ここから回り込めそうだ

線路に沿って歩く。3分ほどで踏切が見えてきた

踏切の名は、ズバリ「神社踏切」。いつから、この名前になったかは分からないが、参道として公認されているようなものだろう

踏切を渡ると右手奥に見えるのが神社の森

無事に到着。「諏訪神社」とあり、神社そのものは無人だが、参道は手入れされていた

振り返るとこのような景色。できればホームが現役のうちに来て列車を降りて即参拝としたかったが、こうやって回り道するのも、それはそれで風情がある

階段を上って参拝。立派な神木に守られている

社までたどり着き参拝することができた

ぜひ訪問を

駅に戻ろう。あらためて見ると、それなりの規模の貨物ヤードがあったことが分かる

駅そのものは国鉄時代に無人化されていて

もちろん無人駅。小さな階段を昇ってホームに入る構造となっているが、元の駅舎は大きくて左に見える階段跡が当時の入口だったようだ。ここから見ても背後の鳥居が目立つ

駅舎の隣にはコミュニティバスの車庫があり、お手洗いもある

駅から神社までの往復は15分もあれば大丈夫。元々、神社があった場所に線路が敷かれたのか、何らかの理由で神社が引っ越してきたのか、それは分からなかった。列車の本数は決して多いとはいえないが、ぜひ訪問してほしいオススメ駅である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~閑散区間の豪華駅舎で涼タイム

坂上駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

沿線の訪問難所区間

高山に到着。時間はまだ9時だが、昨年と同時期に来た記憶をたどると明らかに異なるのは気候である。朝に吐息が白くなって、さすが山中は違うなぁ、と実感したが、多少時間が異なるとはいえ、朝から皆さん、半袖シャツ1枚。このぐらいの時間になると、もう暑い

乗継ぎまで40分の時間がある。高山駅の裏手に朝から営業している食堂があって昨年は時間の関係で立ち寄れなかったが、今年は食べることができた。味噌汁と素朴な朝食が身にしみわたる

ホームに戻ると、ちょうど特急「ひだ」の結合作業中。朝から多くの人でにぎわっているが、私が向かうのは逆方向

週末の9時半。私の予想よりも人は乗っていたが、それでもガラガラである。当然ながら明らかに同業者(鉄道ファン)と思える人の姿もチラホラ

ここから先は閑散区間に入っていく。高山~飛騨古川の3区間は区間運転が運行されているが、その先へ向かう普通列車は、これから乗車する9時40分の後は12時1分、その次はもっと空いて16時2分。その間にも、わずか15キロだけの区間運転があるのだから、データ的にも本数を増やす意味がないことになっているのだろう

この飛騨古川から猪谷を挟んでの越中八尾までは、なかなかシビアな運行で駅訪問の難所。飛騨古川から先の杉崎、飛騨細江は神岡へと向かう路線バスの本数がそこそこあるが、角川~杉原の4駅は路線バスもない。コミュニティバスがあるようだが、調べると地元の方オンリーのデマンドバスと路線バス扱いの両者があって調べきれなかった。というか週末はコミュニティバスそのものがないので、今日明日に限っては全く意味をなさないのだ(猪谷以北のJR西日本区間については後日あらためて説明)

気候で訪問駅を決める

難関区間の4駅のうち、訪問済みは杉原のみ。本日のメインイベントの角川は何が何でも行くとして(次回の記事で紹介します)、本日の日程では坂上、打保の2駅のどちらかしか行けないのだが、駅の写真を見て行く先を決めた

下車したのは坂上である。私も全くの誤読をしていたが、「さかかみ」である。高山本線には濁音が予想とは異なる駅がいくつか存在するが、そのひとつ。ちなみに閑散区間の「角川」「坂上」「打保」は3駅連続でそれに該当する

さて、なぜ当駅を下車駅と決めたかというと

理由は簡単で、この立派な駅舎

乗ってきたのは10時17分の富山行き。そして11時53分の高山行きで引き返すのだが、待機時間が1時間半もある。打保駅は簡易駅舎で、お手洗いもないようだ。これは困る。というか猛烈に暑い。さすがに90分をその状況で過ごすのは老体には堪えるのである

旧宮川村の中心駅

駅は2004年まで存在した宮川村の中心駅。古川町、神岡町、河合村と合併して飛騨市が誕生した。高山本線では坂上、打保、杉原の3駅が村内にあったが、坂上駅はない。駅の開業は1933年(昭和8)。富山から延伸されてきた線路がここまで伸びて終着駅となり、翌年に岐阜からの線路が当駅までやって来て高山本線は全線開通となった。いわば歴史的な駅である。1956年に坂上村と坂下村が合併して宮川村となったが、駅名はそこからのものだ。村名は村内を流れる川にちなむ

駅前には旧宮川村役場である振興事務所のほか、JA、郵便局、小学校がある。村内にはいくつかの小学校があったが、ここが唯一残っている

駅舎の隣には「坂上駅詰所」という建物があった。線路がつながって全通した歴史的経緯なのか、当駅が雪深い飛騨古川以北の保線基地の役割を担ってきたようだ

駅は2面3線構造で側線もあり、保線車両の倉庫がある

時間があるので周辺を散策

駅を降りてすぐの旧村役場の隣が神社への参拝道となっている

先に紹介した駅舎は「遊ingギャラリー」との合築となっていて山小屋風の駅舎の2階が絵本のギャラリーとなっている。旧宮川村が1996年に建てた

待合室もエアコン完備。もちろん立派なお手洗いもある。快適に時間を過ごすことができました

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~ちょっぴり複雑な気持ちの特急停車駅は沿線最高峰の駅

久々野駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

旧久々野町の中心駅

渚から1駅(といっても7キロもある)高山方面に進んで久々野に到着

2005年に高山市編入となった旧久々野町の中心駅。久々野とは山の守り神「クグノチ(久々能智)」に基づくという。町内には前記事の渚と2つの駅があったが、駅前に何もないに等しい渚と比べると、地図で分かるように駅を中心に大きな町が広がる

駅は2面3線構造で

開業は1934年(昭和9)。高山本線が飛騨小坂から飛騨高山を越えて坂上まで一気に開通。富山方面からの線路とつながり全通した際に設置された

朝夕に1日2往復の特急も停車する。主要駅の扱いでもある

しかし

駅舎は簡易的なもの。もちろん無人駅。かつては開業以来の駅舎があり、もちろん駅員さんもいたが、2010年に簡易委託化され、旧駅舎は解体。やがて完全無人駅となった

少し前なら特急停車駅といえば、駅員がいるのは当然で、もちろんそれなりの駅舎もあるという姿が普通だったが、無人の特急停車駅も珍しくはなくなり、そこが簡易化された駅舎でも、なんとなく受け入れられるようになっている。おそらくこの10年ぐらいの出来事

駅舎内は小さな椅子があるのみ。2022年の実績では1日の利用者数は79人。数字だけを見ると、無人化や簡易化もやむを得ないところだが(駅舎が解体されたころは200人程度の利用があった)、寂しい感じは否めない

最高地点の木標は残る

そんな駅舎の横には、ややくすんだ木製の案内が残る

高山本線で最も標高が高いことを示す木標。当駅の標高は676メートルである。古くから建てられたものが、残されたようだ

高山本線の車窓といえば川だが、美濃太田付近から、ずっと線路に寄り添ってきた飛騨川(美濃太田付近で木曽川と合流して太平洋側へ注ぐ)とは、ここでお別れとなる。駅が最高地点なので、分水嶺も近い。飛騨川は線路から外れて山中の水源方面へと向かう

間もなく車窓に現れるのは日本海へと注がれる宮川(神通川)である。車窓には常に川がある高山本線だが、飛騨川と別れると、すぐに宮川と合流するため、ちょっとぼんやりすると、富山県までずっと同じ川と付き合っている感覚に陥ってしまうが、そんな川はないわけで、よくできた敷設である

立派な施設も

駅前には立派な建物があって、こちらはお手洗いである。高山市によって管理されているもので、男女別のきれいな市営トイレとなっている

昼間は3時間ほど列車が停車しない時間もある当地では昼間も1時間に1本運行される高山~下呂のバスが重要な交通機関となっている。現在の国道41号は久々野駅からやや離れた所を通るが、路線バスは国道から外れて駅前にやって来る。高山までは約30分。2区間のみの鉄道の方が速いが、現状ではバスが有効な手段である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~山中に存在する「渚」の意味は

渚駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

ポツンとたたずむ簡易駅舎

渚駅に到着しました。山中にポツンとたたずんでいて周囲はわずかな民家があるのみ

すぐ向こうは飛騨川。国道41号は駅舎と逆側を走っているので駅前を通る車も少ない。飛騨川の向かい側には小さな集落があるが、降りるだけでは一体何のための駅なのか分からなくなってしまうほどだ

これは昔からの渚の集落が1キロ離れたところにあるため。地図だけ見ていると、なぜここに駅が設置されたのかは、ちょっと分からなかった

駅舎はこぶりな簡易型のもの。1998年に現在のものとなっているので、旧駅舎がなくなって25年が経つ

渚=海ではない

駅の所在地は高山市久々野町渚。かつては久々野町に属していたが、2005年に久々野町が高山市になった

渚といえば、海と砂浜をイメージする人が多いだろう。私もその一人。ただ「渚」の意味は「海、川、湖など波の打ち寄せるところ」。つまりは「水際」ということ

おそらく流行歌やテレビ、映画の影響でいつの間にか渚=海という刷り込みがされていたのだと思う

この付近はには、かつて水際を利用した船着き場がいくつかあって、それが地名となったようだ

実は「渚駅」はもうひとつあって長野県松本市のアルピコ交通にも全く同じ駅名がある。松本だから全く海には縁がない

こちらは松本市の中心部に近い。付近が湖だったことが地名となったという。国内に「渚駅」はこの2つしかなく、いずれも海とは無縁な場所にあるのがおもしろいところだ

高山本線の渚駅は駅舎を兼ねた待合室から直接ホームに入る

すれ違い可能な2面2線。両隣の飛騨小坂、久々野とはともに7キロも離れている。もちろん現役の駅だが、どちらかというと遠い両隣の間に設置された山中の信号場の役割を果たしている。行先もホーム別でしっかり分かれているようだ

時刻は8時すぎだが、山中はガスも多い

渚駅の開業は1934年(昭和9)と古いが、全国各地の国鉄駅の多くが有人だった昭和40年代の1969年に早々に無人化されている。駅の立地や両隣が一部の特急停車駅だということもあり、当駅の2022年度の1日の利用者は乗降合わせて6人。高山本線の駅で利用者が1ケタというのはは3駅しかなく(他は杉崎と禅昌寺)、この6人というのは1人の杉崎(これも凄い数字だが、全国を回っていると驚かなくなっている)に次いで下から2番目である

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