阪和線

阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~「村」の駅は県第2の駅に

紀伊駅の駅名標

2022年12月7日14時30分

長い県境越えを経て

山中渓から南下した阪和線はひたすら山中を走り続けます。県境感が漂います。車窓に見えるのは山肌と阪和自動車道の橋脚のみ。個人的な勝手な観点から言うと景観において橋脚は邪魔。山間部で鉄路と高速道路がぴったり寄り添う光景は各地で見られるですが、ここだけ現代に戻されてしまう気がします

8キロという阪和線最長区間を経て和歌山県で最初の駅となる紀伊に到着。和歌山の旧国名である「紀伊」が頭に付く駅は20軒以上ありますが、紀伊だけの2文字が許されているのだから、県の代表駅かと思ってしまいます

駅の設置は阪和電気鉄道が全線開通した1930年。当時、ここは「紀伊村」でした。紀伊村の駅だから紀伊駅です。もっとも紀伊村は律令時代に国府が置かれていた場所とされ、その意味では代表駅です

利用者は県内第2位

ホームは築堤の高台にあり駅舎もその位置にあります。戦後間もなくから現在の姿になっています

訪問はお昼の14時半でしたが、駅前はロータリーがあり、バス乗り場があります。今や県内のJR駅では第2位の利用者を誇る駅となりましたが(もちろん1位は和歌山駅です)、それを支えているのが大学生の存在

改札へ向かうと複数の注意書きに出会います

1993年に開設された近畿大学生物理工学部に通う生徒さんは、当駅からのバス利用がメインルートのひとつとなっています

近畿大学の和歌山キャンパスというと粉河や岩出など和歌山線沿線のイメージが強かったのですが、大阪府から真っ直ぐ南下してきた阪和線が街並みに沿ってカーブを描くその部分に紀伊駅があるのですね。確かに和歌山線より阪和線の方が利便性は高い

なお南海に対抗するべく、できるだけ直線に引かれた線路がここで急カーブとなるのは用地確保のしやすさに加え、当時の和歌山駅(現在の紀和駅)方面を目指したからです

それにしても改札機の位置まで指定されるということは、朝はバスへの導線が相当混雑するのでしょうね。バスの本数は多いです

駅構造は2面4線

県境の駅ということもあって保線用の側線もあり、構内は広くなっています

改札を入ってすぐの案内文字は年季の入ったものとなっています

昨年、みどりの窓口がなくなりましたが、みどりの券売機は設置され定期券の購入や延長には対応しています

訪問が12月だったため、クリスマスツリーが飾られていました

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~阪和電鉄もうひとつの目玉

山中渓駅に入線する列車

2022年12月7日14時10分

府県境駅の新旧

山中渓に到着しました。阪和線を南下すると大阪府最後の駅。鉄道ファンの中では有名ですが「やまなかだに」と読みます。最後の1文字が難関ですね

ご覧になって分かるように工事が行われていました

駅舎はというと

ピカピカの新駅舎です。昨年4月にできたばかり

旧駅舎です。訪問は2021年3月。同年7月に解体が始まったので滑り込みでした。1930年の阪和電気鉄道全通時からのものでした

かなり早い時代から無人化されていました。JRも入っていない駅名板も雰囲気に一役買っています

こういう歴史ある駅舎が消えるのは残念なことですが、バス停のような簡易駅舎ではなく立派になるのはいいことでもあります。特にトイレがきれいになりました

ハイカーの利用も多い当駅なのでお手洗いが充実したのは意味のあることだと思います

新線の目玉商品

案内板は2021年の訪問時に撮影したもの。旧熊野街道に沿って駅が設置されていますが、ここから和歌山方面の県境は険しい峠が待ち受け、関所と本陣が設けられていました

険しい峠は江戸時代までの旅もそうですが、鉄道にとっても難所です。この先の車窓はひたすら山中ばかりで駅を設けることもありません。当駅と和歌山の最初の駅である紀伊までは8キロもあり、阪和線の最長区間

しかし、この険しい峠の前の閑散とした村の不便さに阪和電鉄は逆に目をつけます。和泉砂川駅の項では大遊園地を造ったことに触れましたが、ここを温泉地としたのです

駅から歩いてすぐのところで山中渓温泉として開発を開始。その戦略は大当たり。戦後になり、レジャーが戻ってくると、もう国鉄になっていましたが、数軒の温泉宿で大変にぎわいました

しかし旧熊野街道が整備・拡張され、国鉄の電化で白浜温泉まで手軽に行けるようになるとレジャー客は白浜そして勝浦を目指し、当地は通過が目立つようになって、温泉旅館も衰退していきました。地図で分かるように今は目の前に阪和自動車道の橋脚。車がビュンビュン通過していきます

現在、山中渓温泉はすべての旅館が営業を終えていて一時は廃墟探索のメッカになってしまったほど

当駅は阪和線だけでなく、大阪府のJR駅で利用者最小の駅となっています(それでも300人ほどの乗降が1日にあります)

新駅舎は当初から無人を前提としたもので券売機と簡易IC改札のみ

こちらは前回訪問時の様子。かつては貨物輸送もあったようで、側線跡の雑草はしっかり刈り取られていました

こちらは今回の訪問時。前回も見えていたホーム跡と基礎部分が分かるようになっていましたが、工事中で現在の姿は不明

駅前の静かな様子は同じでした

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~貴重な戦後生まれの駅

2022年12月7日13時50分

カーブ状に設置

和泉鳥取駅に到着しました

ご覧のようにホームはカーブ状の場所に器用に設置されています

駅前広場もロータリーがあって大きい。手狭な感じの駅前が多い阪和線にあってこのような構造になっているのは珍しいことです

これらは当駅が戦後生まれだからです。1963年の設置。阪和電鉄という私鉄として誕生したため、阪和線は駅が多いのが特徴。沿線は戦後になって宅地開発が進んで大阪中心部へ通勤する人のベッドタウンとして人口も増えていきましたが、従来から駅数が多かったため戦後に新設された駅は3駅しかありません

歴史ある地名

現在は阪南市ですが駅が開設したころは東鳥取町でした。駅が開設される少し前までは東鳥取村。現在は1日に3000人以上の乗降がありますが、当時はそこまでの利用がなかったのではと推測されます

「鳥取」という地名はかつての荘園に基づくもので阪南市のHPによると日本書紀に

『垂仁(すいにん)天皇の第一皇子である誉津別王(ほむつわけのみこと)は30歳になっても稚児のように泣き、ことばを発しませんでしたが、白鳥が空を飛ぶ様子をみて「あれはなにか」と初めて声をあげました。天皇は喜び、臣下に「誰かこの鳥をつかまえてきてほしい」とおっしゃり、天湯河板挙(あめのゆかわたな)が「必ず捕まえて献上しましょう」と白鳥を追って出雲国で捕えました。その後、誉津別王はこの白鳥をもてあそび、物を言うことができました。この功により、天皇は天湯河板挙に鳥取造(ととりのみやつこ)の姓を賜り、鳥取部(べ)を定めました』

との記述があるので歴史は古い。市内には南海の「鳥取ノ荘駅」もあります

地図でカーブ状に駅が設置されていることがよく分かると同時に駅周辺が住宅街として開発されていることも理解できます。また阪和線はここから南海と離れていきます。真っ直ぐ線路が敷かれている阪和線で、ここまでのカーブは珍しい

元々は入口はこちらだけでした。開業時からのものです

駅の東側からの利用者も増えたことで6年前に新たに改札が東口として設置され、従来の出口は西口となりました。東口は開設時から無人。改札内でホームの上下線の行き来はできなくなっています。西口は以前はみどりの窓口がありましたが2年前に営業を終えました

ホームは屋根の後ろに通路というユニークな構造

ホームは築堤上にあり、改札からは階段かエレベーターで向かいます。こうして見てもカーブ状がよく分かります

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~最大の見所にして最大の歴史

和泉砂川駅に到着

2022年12月7日13時30分

美しい三角屋根、ブラタモリの世界

和泉砂川駅に到着しました(駅名標の写真は2021年3月のものです)

乗務員交代も行われる大阪南部の重要駅。この駅で最大の見どころは

東口に残るきれいな三角屋根。阪和電鉄の最も「らしい」ものが現存します。当時の鉄道としては珍しく開業直後に東西に出口が設けられました。町が広がるのは市役所や南海に向かう西側ですが、早々に出口が設けられたのは遊園地のためです

南海に比べて後発の阪和電鉄は宅地開発の他に観光にも力を入れました。とはいえ昭和初期の娯楽の柱のひとつだった海水浴については海沿いを南海が独り占めしている以上、なかなか難しい(それでも何とかしてやろうとしたのですが、こちらについては後述します)

となると阪急が宝塚で大いに成功している遊園地だ、ということで当地に大規模遊園地を建設することになりました。なぜ当地が選ばれたかというと景勝地でもあった「砂川奇勝」があったからです

泉南市のHPによると

『およそ200万年前に始まる洪積期(こうせきき)に、海底の砂や粘土が積み重なったものが隆起し、丘陵となったものです。元来海の底にあったものですから大変もろく、雨水によってどんどん削られ変形してしまいます。この削られた姿が、砂が流れる川のようにみえ「砂の水を流せるを以て此の名あり」といわれるように、「砂川」の名がつけられたのです』

となっています。規模は相当違いますが、要は日本のグランドキャニオンだったわけです。ブラタモリの世界ですね

この景勝地を中心とした遊園地を造るにあたり、駅名も地名である「信達」から「阪和砂川」へと変更。1930年の開業からたった2年のこと。遊園地「砂川遊園」は1936年に開業し、大いににぎわったそうです

しかし1936年といえば昭和11年。不運なことに間もなく戦時下となり、遊園地というのは真っ先にリストラされる運命にありました。実際のところ7年ほどしか稼働しなかった遊園地となりました

地図を見れば一目瞭然ですが、戦後になって遊園地の場所は宅地開発されました。砂川奇勝はかなり規模が小さくなりながらも保存されています

メインストリートは西側に

メイン出口となる西口には駅の北側すぐにある踏切を渡ります

駅の構造は2面4線。踏切は駅近くなのでまだ線路が4本あります。東西出口がはっきり分かる

こちらも東口ほどではありませんが、三角屋根が残ります

駅前にはスーパーがあり、街のメインストリートにもなっています

市役所には南海の樽井駅より当駅の方が若干近いですが、ほぼ一本道。ただ特急の一部も停車する和泉砂川より樽井の方が利用者は多い

少し前までは東西出口両方にみどりの窓口があるぜいたくな構造でしたが、4年前に東口、昨年春に西口のみどりの窓口がなくなりました

ただし駅員さんはいます。みどりの券売機は設置されているので、昨冬の青春18きっぷはこちらで買いました

このきっぷで岩徳線全駅訪問を達成しました

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~さりげなく難読

新家駅に到着

2022年12月7日13時10分

微妙な距離ゆえ

新家駅に到着しました

意外と読めそうで読めません。所在地である泉南市は関西国際空港の敷地の一部があることで知名度も上がりましたが、発足は1956年。いくつかの自治体が合併して戦後10年以上が経ったて誕生しました。そのうちのひとつが「新家村」。今は大阪府唯一の村として千早赤阪村が知られますが、泉南市を構成した6つの町村のうち4自治体が「村」。このころはまだ大阪府下にも村が数多くあったのですね

駅舎は元々の木造駅舎にモルタル部分を付け足したような形となっています。こちらも駅のすぐ南に踏切があり、数年前に新たに天王寺方面ホームに直接入れる西口が設けられ、どちら側からも入れるようになっています

長滝と新家の距離も近い。阪和線の大阪府下の駅は元々が私鉄だったこともあって駅間が近いのが特徴です

また阪和線と南海も微妙な距離感のまま大阪市内へと向かっていきます

阪和電鉄の全通は昭和初期。計画の時点で海沿いの主要都市や今以上に重要だった港はすべて南海沿線だったため、山沿いを進まざるを得ませんでした

泉南市には南海、JRとそれぞれ2駅ずつがありますが、今も旅客数は南海の方が圧倒的に多い。それでも当駅が約4000人、お隣の和泉砂川が約7000人と幹線にふさわしい乗降が1日にあるのは阪和電鉄がスピードで勝負したり宅地造成などで新たな需要を呼び込んだからです

線路はほぼ真っ直ぐ引かれていて最初から複線電化で建設されたためスピードも十分でした

周辺も宅地化

駅前に新家地区の地図がありました。右側の緑の部分はゴルフ場です。左下にもゴルフ場があり、その間は住宅地として開発されています。戦後のものですが阪和線がもたらしたものといえます

駅のキロポスト。天王寺から38・5キロ。紀州路快速で昼間は天王寺まで45分、大阪まで1時間

写真で分かる通り、2面2線構造。4年前まではみどりの窓口設置駅でしたが、現在は業務委託駅となっています

両側に入口がありますが、跨線橋でも結ばれています

泉南市のもうひとつの駅である和泉砂川に向かいます

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~特徴的な三角屋根が健在

長滝駅の駅名標

2022年12月7日12時

鉄道国有法を拒否

長滝駅にやってきました。特徴的な三角屋根が今も残ります。特徴的と記したのは、阪和線は元は阪和電気鉄道という私鉄によって建設されたからです。阪和線という名前は「大阪」と「和歌山」を結ぶからだと思えてしまいますが、今でこそ大阪駅まで直接乗り入れているものの、起点は天王寺駅なので国鉄のルールだと「天和線」になります。阪和電鉄という私鉄が、そのまま国有化されたので阪和線となっているわけです

「鉄道国有法」という法律がありました。「汽笛一声新橋を~」の歌で知られる日本初の鉄道が新橋~横浜間で日本初の鉄道として開業したのは1872年10月14日なのは、あまりに有名ですが「こんな便利なものはない」と日本中で鉄道工事が始まりました。ただできて10年も経っていない明治新政府には、お金がなく、多くの路線は民間の手によって敷設されることになったのです

その後、日清戦争、日露戦争を経て鉄道の重要性がクローズアップされると鉄道国有法が成立。地方路線以外は原則として国有化するとの法律で東北本線や山陽本線など、その後、国鉄の骨格となる路線が数多く国有化されます

一見すると少々乱暴ですが、中には関西本線のように区間の一部が閑散路線となってしまうものも含まれ、また東北本線や山陽本線のような長大路線が民間経営のまま維持できたかどうかも微妙で、良かったか悪かったかは何とも言えないところですが、中には「自分たちは地方路線だ」と頑として抵抗した会社もあります。そのひとつが南海鉄道

和歌山と大阪を結んだ南海は業績好調で当時はさらに南に路線を延伸することも考えていたほど。和歌山で終わって南海には行っていないのに会社名が南海となっているのには、こんな背景があります

この拒否に大いに困ったのは国側で、このままだと建設中の紀勢本線が大阪まで行かず和歌山で終わってしまう。国会でも大問題に発展しました

そんな中「将来は国鉄になってもいいですよ」という空気の元、建設されたのが阪和電鉄。昭和初期の突貫工事で天王寺~和歌山を建設、開業しました。それゆえ国鉄とは異なった光景が見られます

2面4線が定着

長滝駅は2面4線。国鉄の定番といえば2面3線で今も各地に残ります。都会の鉄道に慣れた人が初めて見ると何やら半端な構造に見えてしまいますが、これは実によくできたシステムで単線を基本とすると分かりやすいのですが、駅舎に面した側に単式ホームの1番線を造り、もうひとつを島式ホームの2、3番線にする。基本的にどちら方面の列車も1番線から出て、すれ違いや追い越し、折り返しには2、3番線を使用します。高架駅や橋上駅の発想がなく本数も少ない時代。駅舎からそのままバリアフリーでホームに入れるので利用者にとっても便利なのです

ただし阪和電鉄は最初から複線電化で建設されたため、2面を超えるホームは2面4線となっています。その他、手狭な駅近くなど阪和線の沿線は私鉄の雰囲気が残る場所も多い

変貌する中で

しかしさすがに時代とともに駅そのものも変化しています。そんな中、この長滝は阪和電鉄の風情が残る数少ない駅のひとつで

古い案内文字が残ります

こちらにも文字案件

日根野の車両基地はすぐ隣まで広がっています。実は日根野からは至近で

歩いてもすぐ。地図を拡大していただけると車両基地が長滝駅付近まで延びていることが分かると思います。そんな地理関係もあって便利な日根野駅を利用する方が多く、乗降者数は圧倒的に違う

駅前は静かな住宅街。ただ利用者の違いが昭和初期からの駅舎が現在まで残る要因のひとつになったのかもしれません

4年前に無人化され、IC乗車券対応の改札は簡易式となっています。JR西日本の管轄もここから本部から和歌山支社となります

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阪和線、日根野以南は魅力いっぱい~大出世駅の日根野

日根野駅の駅名標

2022年12月7日12時30分

破壊力抜群のきっぷ

関空快速&紀州時快速の分割の様子を眺めていました

今日は和歌山まで行って古い友人と会い、そのまま現地で宿泊の予定。利用したのはICOCA定期券を所持している場合の特典で昨年も発売されたきっぷ。近畿のフリーエリア区間なら乗り放題で1日1000円という「ICOCAに+(プラス)」の「ワンデイボーナス」という特典。11月から12月にかけて自分の決めた2日間だけ、この特典が利用できます。1年前は紙のきっぷが発券されましたが、今回はICOCAで乗車して後に利用した料金が戻ってくる、というシステムとなりました

昨年はこちらを利用して敦賀に日帰りして、北陸本線や湖西線の駅でバンバン降り、もう1日は関西本線の非電化区間で柘植までの全駅下車。とにかく1日1000円なので破壊力は抜群。通勤定期はどんな区間でも買えるので、ふだんJRで通勤していない人でも、短い1区間だけの通勤定期1カ月分を買えば、2日で十分、元がとれてしまうのです。勝手な推測ですが最安値の「大阪~天満」1カ月定期が結構売れたのでは、と思っています

電車の本数には困らない

今回は和歌山の夜が目的でしたが、それだけではつまらない、ということで阪和線の駅巡りを行いました。ほとんどの駅で乗下車済みですが、いくつか降りたことのない駅もあります。車窓も楽しく特徴ある駅の多い日根野~和歌山で順番に降りていきます

なお、この区間のダイヤですが昼間は紀州路快速のみの運行。快速のみといっても、この間は各駅に停車します。大阪から日根野までは快速運転なので、日根野以南の駅巡りには便利で、しかも昼間でも1時間に4本の、ほぼ15分間隔。たまに高校生もいない平日の昼間に乗ると需要過多ではないか?と思わなくもないですが、南海と競合している区間なので、そう易々と運行本数を減らすわけにはいかないのでしょう

というか、阪和線そのものが明確に「南海に対抗するため」にできた歴史を持ちます。このあたりは順番に説明していきますが、とにかく岩徳線で全駅訪問するような工夫や知恵は何も必要ありません。15分ごとに1駅ずつ進んでいけば良いのです。夕方までに和歌山に着けば良いので、途中降りた東岸和田でお昼を食べて日根野を目指しました

関空開港で状況一変

元々は普通のみしか停車しなかった日根野の状況が一変したのは1994年の関西国際空港の開港。関西空港線の分岐駅、起点駅となったことで重要駅となり、今では特急「くろしお」の全列車と「はるか」の一部も停車するようになっています

大阪から一緒にやってきた関空快速と紀州路快速は前4両が関空行き、後ろ4両が和歌山行きで先に関空行きが出発していきます

「関空行きは前ですよ」の案内があります

快速が去った後の駅は一瞬、閑散とします。案内標で先に関空快速が出ていくのが分かります

駅の外に見どころ

ホームはどちらかというと狭い。後から出世した駅で南側には大きな車両基地もできていますが、こう言っては地元の皆さんに申し訳ないですが

周囲に何かあるか、と言われるとあまり何もありません。それでもアクセスの良さからバスも集まり、和歌山方面からの車利用者もいて1日の利用者は1万人を超えています

みどりの窓口ありですが

立派な駅舎はありません。一般的な橋上駅です

ただ余裕があれば、ぜひ見ていただきたいのは

駅のすぐ南側にある踏切です。大阪方面はホームで併結を行うため、踏切の所で一時停止後、超徐行でホームに入っていきます。なかなか踏切でこんな光景を見ることはできません。特急もソロソロ進みます

日々利用する地元の皆さんにとっては、寒い日、暑い日、雨の日と大変迷惑なことでしょうが眺めていると楽しいですよ

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