最北の無人駅抜海駅に行ってきました(後編)

抜海駅の駅名標

※訪問は2023年9月1日

来年で生誕100年

一夜明け、朝の抜海駅にやって来た。宿のご主人に駅まで送っていただいた

いかにも「風雪に耐えました」という屋根を持つ木造駅舎

北海道の駅では財産票を探すのに苦労することが多く、結局は見つけられなかったことも多いが、こちらは駅名板のすぐ下に分かりやすく掲げられていた

抜海駅は1924年(大正15)の開業なので来年100歳を迎える。線路が稚内から伸びてきた。その2年後、宗谷本線はほぼ現在の形で全通となった(現在の南稚内駅が当時は稚内駅で、現在の稚内まで到達するのは2年後)。財産票によると現駅舎は1940年(昭和15)からのもの。おそらく外側の部分だけが1940年で、他は開業時からのものに手を加えられながら100年を迎えている

あえて稚内までの自動車地図を表示してみた。ちなみに鉄道利用でも所要時間はほとんど変わらない

味と風格のある駅舎

駅舎は外側よりホーム側から見た方が風格を感じる

ニュース映像や写真でよく目にするのは、こちらだ。そしてさらによく目にするのは

ホーム側にある駅名標。ホームに降り立たなくても車窓からでも大きくめを引く

ちなみに3つ並んでの「抜海」である

駅舎に入らなくてもホームに出入りできる構造となっているが、当然、駅舎内も味わいがある

駅舎へは北海道らしく二重構造の入口となっている扉で入る

駅舎内はきれいに清掃されている。ホーム写真で花壇があったが、こちらも含め、すべて地元の皆さんの献身活動によるものだろう

ちょっとした地元資料館にもなっているが、私の世代にとってはなんと言ってもテレビドラマ「少女に何が起こったか」である。当時スーパーアイドルだった小泉今日子さんの女優デビュー作。当駅がたびたび登場する。キョンキョンをいじめる役の女優さん、当時私にとっては初めて見る人だったが、最後のクレジットで「カクチカコ」と必ずルビがふられていた。その後、大女優となってルビは必要のない人となった。稚内の町もキョンキョンが来るというので大変な騒ぎになったそうである

全国各地の駅で今もたまに見かける温度計。すっかり壊れているものもあるが、こちらはしっかり正しい気温を刻んでいるようだ

存続がニュースに

そんな数々の歴史が詰まっている抜海駅だが、現在、駅の存続がたびたびニュースとして取り上げられている。事の起こりは2019年にJR北海道が「廃駅にしたいので、維持するなら自治体(稚内市)で費用負担してください」と表明したこと。その後、稚内市は毎年約100万円の維持管理費を予算計上してきたが、今年7月に2024年度での打ち切りを市長が表明した

報道によると稚内市は市街地とを結ぶ乗り合いタクシーを運行する意思があり、乗り合いタクシーといっても、住民だけでなく観光客も乗れるものにするという。要はコミュニティバスの新設である。廃駅に反対する地元住民は維持費となる100万円の寄付の申し出を行ったが、市はこれを拒否。かなりかたくなだ。要は観光資源としての抜海駅について評価しないということ

多くの自治体を巻き込む廃線とは異なり、単独の自治体の専権事項なので外野からどうこう言えることではないのだが、駅を観光資源のひとつとした小幌駅とは対照的な対応だということだ。自治体が管理、維持するローカル線の古い駅舎は全国に多数ある

抜海の地名は町の中心部に近い抜海岩にちなむ

私見だが、コミュニティバスになった場合、利用の観光客はほぼ皆無だろう。また当駅から南下することはできなくなる

前記事に続いての掲載だが、当日の私は10時46分の列車で南下である。夜までに旭川に着けばよいので、時刻表を見ながらのんびり進もう。いざとなればフリーパスを生かして特急に乗ればいいのである

だが実を言うと10時46分の列車に乗車することはかなわなかった。この日が6日間に及ぶ北海道の旅のハイライトになってしまったからだ

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最北の無人駅抜海駅に行ってきました(前編)

抜海駅の駅名標

※訪問は2023年8月31日

スタートは旭川空港から

今回の旅は旭川空港からのスタート。伊丹空港を7時出発の飛行機で到着したが、9時すぎの時点で6度…のはずはない。うまく撮れていませんでした。29・6度!暑い。8月31日の北海道って、こんなに暑かったっけ? 後で他の地域の駅で聞いた話だと前日は涼しかったのに、また急に暑さが戻ったという

旭川駅へ。5月末以来、3カ月ぶり。前回と同じく北海道フリーパスを購入

11時30分の名寄行き快速に乗車する

快速とはいっても単行。ただし北海道でも随分、新型車両の置き換えが進んでいるようだ

ほぼワンイシューの旅

初日と2日目は、ほぼワンイシューである。「抜海駅に行くこと」。稚内から2つ手前。最北の無人駅、最北の木造駅舎として知られる

ただ訪問は、なかなかハードルが高い。というのも1日3・5往復の列車しか停車がないから。近くにバス停もバス路線もない。ワンイシューになってしまうのもやむを得ない

徒歩?これは私にはムリ。稚内と抜海の間には南稚内駅があり、特急も停車する市街地の駅だが、ここからの1駅がレールで14キロもある

ちなみに

駅から抜海の中心地までは約2キロ。徒歩にして30分の道程。駅の周りには、ほぼ何もない。「周囲に何もない駅」と私も表現することがよくあるが、北海道の何もない駅には本当に何もない

しかも先に時刻表を掲載すると

このような3・5往復。早朝と夜になっての訪問は避けたい(地元の方の話では駅舎はともかく付近の道路は暗くなってからのクマ出没注意だそうだ)ので稚内(10時28分発)からやって来る10時46分の列車に乗り、駅を1時間、堪能した後、11時48分で折り返すというのが現実的なプランだ。この列車は12時7分に稚内に到着するので、再折り返しの形で稚内発13時1分の特急サロベツに乗車すれば旭川方面に向かうことができる。しかし稚内に10時にいるためには、前泊が必要となる。だったら、ということで抜海で宿をとることとした。日程面、経済面で「では、また今度」と簡単に行ける所ではない。だったら、現地に宿泊し2日にわたって抜海駅を堪能しよう(後述するが、結果的にこれが絶大な好チョイスとなった)

夕闇の抜海駅へ

宿の方(前述した通り、徒歩30分の抜海の中心にある)は稚内から18時21分着の列車で駅まで迎えに来てくれるという。そのためには旭川発13時35分、稚内着17時25分の特急サロベツに乗車し18時3分発の普通に乗らなければならない。ほんの少しだが、途中駅にも降りて最終的に特急は士別から乗車することに

士別から稚内まで特急で3時間以上もかかる。北海道の地図は全体図が示されることが多いので狭いように感じる方もいるかもしれないが、広いのである

フリーパスには表示されないので駅にあった料金表の写真を掲載する。上が乗車料金で下段が特急料金。軽く1万円以上を要する

無事に稚内到着。以前訪れたのは、まだ旧駅舎時代だったので久しぶり。17時30分だというのに気温は昼間の暑さが残っていて29・4度もある

いよいよ抜海に向かう。結構、胸が高鳴る。伊丹空港から11時間近くを経て、ようやく抜海に向かう北海道ならではのキハ54に乗車。舞台は整った

サボは「宗谷線」。どの区間でも使えるなぁ

18時21分、抜海に到着

交換可能駅で到着列車の上下ホームはしっかり守られている

本日、宿をともにする方もいらっしゃるようだ。夕闇の駅ならではの風情。これは昼間に来て、昼間に折り返しては味わえないもの。結構、感動したが、また明日もある。皆さんを待たせすぎてもいけないので、本日はいったん駅とお別れすることにしよう

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問8(終)~特徴あるJRとの接続駅は車窓にも注目

河原田駅の駅名標

※訪問2023年5月20日

伊勢鉄道の起点駅は二層構造

伊勢鉄道は河原田が起点、津を終点としているが、両駅ともにJRとの共同使用駅で駅の管理は河原田はJR、津はJRと近鉄となっている。また伊勢鉄道の車両は津で折り返すが、原則的に河原田始発着はなく(平日朝に1本のみ折り返し運行がある)、すべて四日市で折り返す。つまり河原田は単なる分岐点の扱いだ。関西本線亀山方面への乗換駅だが、快速の停車もない

その河原田駅

1890年(明治23)と、130年もの歴史を持つ駅だが20年前に現在の簡易的なものに建て直されている。もちろん無人駅。ICリーダーが置かれているが、伊勢鉄道方面へは使えない

駅舎内には構内案内図がある。駅舎は関西本線の名古屋方面側にあり、跨線橋で亀山方面そして伊勢鉄道のホームに向かう

写真だと手っ取り早い。JR線のホームを見下ろす形の高台に伊勢鉄道のホームはある。写真の向こう側が四日市方面で、この先で伊勢鉄道の列車は関西本線に合流する

駅舎から跨線橋を昇るとさらに分岐があり「伊勢鉄道乗り場」とかわいく、控えめに書かれている

やや古くなっているが、駅舎内には写真入りの伊勢鉄道ホーム案内がある

ちなみに当駅から亀山に向かっては「単線電化」、鈴鹿に向かっては「複線非電化」と初めて聞く方は「間違っているのでは?」と思ってしまう構造となっている

美しい駅名標

島式ホームには伊勢鉄道の駅名標。伊勢鉄道の全駅で降りてみて、JR東海のものとは異なるが、周囲に何もないようなホームだけの駅でも美しい駅名標が、それぞれ丁寧に設置されている、JR東海方式であることが分かった

四日市方面の列車がやって来た

河原田~四日市間はJRと伊勢鉄道、両社の列車が走っていて、もちろんどちらに乗るのも自由。青春18きっぷは使用できない伊勢鉄道だが、この区間に関しては青春18きっぷで伊勢鉄道の車両に乗車できる。四日市へ向かう利用者は駅の時刻表を見て、どちらの列車に乗車するのかを決める。昼間は関西本線、伊勢鉄道ともに1時間に1本の運行なので、この区間は1時間に2本、ダイヤも30分に1本となるよう工夫されている。もっとも名古屋行きの関西本線(この区間の昼間はすべて快速で四日市から快速運転となる)と四日市止まりで単行の伊勢鉄道では軍配が上がるのはJRで、そちらに時刻に合わせて駅に来るお客さんが多いようだ

ちなみに四日市駅の伊勢鉄道ホームは島式ホームの先っぽにある切り欠きホーム。遠くに車両が見えているが、130メートルとそれなりに距離はある

細くなったホームに単行車両がポツンと停車している(四日市駅の写真は2017年7月のもの)

津は進入の車窓に注目

そして津駅

多くの利用者でにぎわう津駅はすべての鉄道会社が中間改札なしで行き来できるようになっている。西側から順番に近鉄、JRとホームが並び、最も東側が伊勢鉄道のポジション

津駅では、ここだけが行き止まり構造

ホームには伊勢鉄道の時刻表。津駅はもちろん特急南紀も快速みえも停車するが、発車ホームも異なるため伊勢鉄道内で完結する(河原田~四日市含む)列車のものしか掲示されていない

車窓に注目

河原田、津では前後の車窓に注目である。河原田駅では高い場所から降りていき、関西本線と合流する部分が楽しいし、なんと言っても津では東一身田駅を出てからのJRとの合流地点が見逃せない。東一身田駅前後は単線区間だが、紀勢本線の線路が近づいてくると、高架のような構造物が目に入る。線路があるのかと凝視すると単なる高架があるだけだ。これは国鉄伊勢線時代から残るもので、合流の際、うまく紀勢本線をオーバーパスできるように造られたもの。伊勢鉄道は中瀬古~津が単線区間として残るが、三セク転換後に中瀬古以北を複線化したが、単線のまま残ったこの区間では、立派な分岐施設は使用されなかった。どうしても複雑な構造となるので工事予算の問題もあったと思われる。将来使用されるかどうかは微妙なところだが、準備に関してはすでに50年前にできていたことを確認するだけで価値はある

ここ数日、伊勢鉄道の公式X(旧ツイッター)を楽しみに見ています。主に鈴鹿サーキット稲生駅付近のものですが、人の波、波、波。インプレッションも凄い数。本日は、いよいよ日本グランプリ決勝の日です

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問7~幻の窓口を備えた路線唯一の駅舎

中世古駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

全駅訪問の必須アイテム

中瀬古駅に到着。伊勢鉄道の各駅を紹介してきたシリーズも同線単独駅の紹介は今回が最後となる。最後といっても総距離22キロで単独駅は8駅しかないのだから、すぐ終わる

のっけから、このような話で大変恐縮だが、日本中の駅を訪問する際の必須アイテムは、まずお手洗いである。男性目線と女性目線では大いに差があり、男性だと目線は格段に下がるのだが、それでもホームのみの駅で元々設置がなかったり、最近は駅舎のトイレが閉鎖されたりしていることも多い。冷え込む季節になると、生理現象の訪れが近くなるので、寒い朝、自販機の暖かい缶コーヒーが恋しくなってもお手洗いの存在を確認しないと絶対に手をつけないようにしている

最近はローカル線の列車でも車内にトイレが設置されていることが多いが、その観点からすると、伊勢鉄道においては「単独駅8駅のうち、お手洗いがあるのは2駅のみ」「車内にトイレはない」ので、訪問される方は(全駅訪問をするしないは別の話として)留意してほしいところ。もっとも伊勢鉄道単独区間は前述した通り、わずか22キロで所要時間30分しかない(四日市まで入れても40分)ので車内にトイレは必要ないと判断されたのも無理はない

将来を見越した駅舎

お手洗いがなぜ2駅のみかというと駅舎があるのは当駅と鈴鹿駅の2駅のみだから。さらに言うと男女別なのは中瀬古のみ

鈴鹿は高架を利用した駅舎だが、中瀬古は立派な駅舎。三セク転換後から7年を経た1994年、国鉄伊勢線が開業した1973年以来、単式ホームのみだった駅に新たに建てられた。いわば伊勢鉄道オリジナルの唯一の駅舎

跨線橋からの眺め。当駅から津までの間は単線区間となっているが、その様子がよく分かる。ちなみにその時に伊勢鉄道唯一のトンネルがある

駅前は新興住宅街

駅前は「太陽の街」として造成された新興住宅街が広がる

駅前は立派なロータリーがあり、コンビニもある。大学もある

これらの発展を見越して駅舎が建てられた。当駅までが複線化されたのは、そんな背景もある

伊勢鉄道内を走るJRの特急と快速は、伊勢鉄道内では原則鈴鹿のみの停車で他駅は通過するが、中瀬古駅に朝の四日市方面3本が停車する

駅舎内。三角屋根のガラスがおしゃれな形をしている。ただし国鉄伊勢線時代から、ずっと無人駅。改札手前には窓口があるが、実は駅舎ができて約20年間、一度も使われていない。将来に備えたものの、まだ需要が達していないということだろう。全国の駅に行くと、かつての窓口が閉鎖されていたり、ベニヤのようなもので、まるごと覆われていたりする光景を当たり前に見かけるが、駅舎ができてから20年近くの間、「デビュー」することがないままという例も珍しい

伊勢鉄道内では、いろいろな意味で貴重な中瀬古駅。訪問をおすすめしたい駅である

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問6~田んぼに囲まれる駅と自治体中心駅?

徳田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道で最も新しい駅

德田駅で下車。三セク移管から4年を経て1991年に開業した伊勢鉄道で最も若い駅

鈴鹿サーキット稲生からだと右手に鈴鹿サーキットを見ていると間もなく到着する

ホームを降りると

両側に田んぼが広がる。訪問時は初夏だったので、日々移り変わる景色を実感できるのだろう

構造は

三セク転換後に誕生した伊勢上野駅と同様、スロープを昇ってホームにたどり着く形

伊勢鉄道はこの2年後に河原田~中瀬古が複線化された。当駅もその前に誕生していて、この構造は他駅でも見られるが、逆側のホームへは構内ではなく、高架線の下の道路をくぐって向かう

そして周囲は

繰り返しになるが、田園風景が広がる。そして私の筆が弱く、日々利用されている方には誠に申し訳ないが、ここまでで語ることが尽きてしまった。次の河芸駅に向かうことにする

旧河芸町の名を冠する

河芸駅。河芸といえば、平成の大合併まで独立の自治体だった河芸町である。2006年から津市となった。町内には近鉄名古屋線を含め、いくつかの駅があるが町名を名乗るのは1973年の国鉄伊勢線開業と同時に誕生した当駅のみ。もっともこれには理由があって近鉄の千里、豊津上野の2駅は戦前からのもので、河芸町の発足は戦後。しばらく町名を名乗る駅がなかったところに誕生したのが当駅

跨線橋から。一見すると片側にしかホームがなく、片方は通過線なのか?と思いかねないが

ホームは千鳥状に配されている。古い路線ではよく見かける構造だが、複線化が1993年と近年であることを考えると珍しい

そして写真で分かる通り、当駅は複線区間の中にあるすれ違い可能駅という貴重な存在。伊勢鉄道は中瀬古~津間は単線のまま(複線の用地は確保されている)で途中の3駅のうち2駅(伊勢上野、東一身田)は単式ホームだが、さすが河芸町の名を冠するだけあって交換可能駅。国鉄時代からすでに考慮されていたという。駅前にはロータリーがある。かなり期待されての「デビュー」だったのだ

駅の東側は農地が広がるが西側はビッチリ新興住宅街

旧河芸町役場(津市役所河芸庁舎)の最寄りであるが、近鉄の豊津上野駅からも近い

そして駅はといえば

駅舎に見えるが、ちょっと大きめの待合所。やや寂しい

駅前には河芸町のガイドマップがあった。立体的に描かれていて、なかなか立派なものだが、よく見ると役場は「河芸町役場」のままで位置も現在のものとは異なる。どうも津市となる前からのもののようだ。港を有していたこともあり、歴史的、地理的にも近鉄が有利となっていて商業施設を中心に考えると近鉄の2駅(利用者で圧倒しているのは千里駅)がともに町の中心となっている

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問5~車庫、本社のある中枢駅

玉垣駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

国鉄時代は唯一のすれ違い駅

玉垣駅に到着

当駅はご覧の通り、伊勢鉄道では唯一、ホームが島式構造。河原田~中瀬古間は三セク転換(1987年)後からしばらく経った1993年に、元々用意されていた用地を生かして複線化されているが、島式ホームはここだけ。ただ国鉄伊勢線時代から同線で唯一の列車交換可能駅だった

左に見えるのは車庫であり、伊勢鉄道の本社でもある。ホームに立つと

ちょうど車両のお掃除中。JR、私鉄を問わず全国各地で見られそうで以外と間近では見られない光景。見ていて飽きない

車庫の方を見ると、このような感じだ

本社はあるが無人駅

駅の周辺はビッシリ住宅街。西側には住宅街に混じって野球場や陸上競技場がある。東側に目を転じて幹線国道である23号線に向かっていくと道中にイオンタウンがあり、国道はいわゆるロードサイド店が並ぶ。もちろん駅周辺にも店舗は多い

側線が見られるのも、伊勢鉄道ではここだけ。保全用車両が停まっていた。車庫があるため、当駅発の列車も設定されている。途中駅では唯一の存在である

ただ本社があり、車庫もある玉垣駅だが実は無人駅。最初の写真で分かる通り、駅ホームには外からダイレクトで跨線橋を渡って入る

跨線橋には、このような注意。ホームへの跨線橋は線路で分断されている東西を結ぶには貴重な通路にもなっているようにも映り、現実に自由通路のように利用している地元の方の利用も見られたが、注意の対象はホームのようにも読めて微妙な表現ではある

こちらは縦式の駅名標。その下に注意書き。始発設定があるため、まれにホームが異なることもあるようだが、島式ホームなので問題ないだろう。また始発や終着の設定がある当駅は、構造上、追い越しができる線内唯一の貴重な存在でもある。7時59分の四日市行きは快速「みえ」の通過待ちをするようだ

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問4~門前町「東」の高架駅

東一身田駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊勢鉄道単独の南端駅

東一身田駅に到着。F1の話をしたばかりだが、気動車のエキゾーストノードも良いもの

ご覧の通りの高架駅。毎回のように書いているが、伊勢鉄道は国鉄伊勢線が高規格で造られたため、高架駅が多く、運行や周辺を行く歩行者、自動車の妨げにならないよう踏切もほとんどない。というか、1カ所あるのみ

そして中瀬古以南は単線ではあるものの、将来複線化できるようスペースも設けられている

お隣は津駅なので、伊勢鉄道単独駅では南端にあたる駅でもある。ただ南端といっても伊勢鉄道の単独駅同市で完結する列車の設定はない

3つのアクセス駅のひとつ

さて「東」が付くのだから、付かない一身田駅があるのではないかと思うかもしれないが、その駅は伊勢鉄道にはない。一身田はJR東海の紀勢本線の駅。紹介が遅くなったが、一身田は難読駅のひとつとして知られる。「いしんでん」と読む

そのJRの一身田駅

無人駅ながら華麗にして荘厳な駅舎を持つ(訪問は2022年3月)。紀勢本線の駅でも駅舎のバス停化は進むが、こちらの駅はおそらく大丈夫。一身田は真宗高田派総本山専修寺(せんじゅじ)の門前町だからだ。駅の開業は1891年と明治24年生まれ。現在の駅舎も1923年と大正12年からのもの。たまたま下校時で写真に生徒さんが写っているが、高田中学・高校の最寄りで利用者は多く、2021年のデータは1日2396人。利用者が多い時間帯などでは駅員さんが派遣される。ちなみに駅名は「いしんでん」だが、地名は「いっしんでん」。東一身田も国鉄伊勢線の駅として誕生した(1973年)ので「いしんでん」を採用している

一身田地区をはさむ形でJRの駅と伊勢鉄道の駅がある形

駅にも地図と説明があった

もうひとつの駅も

東一身田駅は一身田駅とは、あまりに対照的な無骨なコンクリート高架駅。国鉄時代から姿は変わっていないが、昭和40年代にこれだけの高架設備を造ったのだから、それはなかなかのものだと思う

駅舎と呼んでいいのかどうか、高架下の階段を昇っていくとホームに出る

ちなみに専修寺を目指すには、もうひとつ近鉄名古屋線の駅がある

東側にある高田本山駅。元々は「一身田町」という駅名で大正期に開業したが、間もなく現駅名となっている。こちらは専修寺からは離れる形にはなっているが、通学も含め、当駅の利用者も1日1413人。JRや伊勢鉄道に比べ、普通のみの停車ながら列車本数の多さが圧倒的に違う。現状では東一身田は他の2駅と比べると桁数が異なる利用者数となっている

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問3~今年もF1がやって来る

鈴鹿サーキット稲生駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

日本グランプリは9月22~24日

伊勢鉄道の駅では鈴鹿よりも知名度が高い駅かもしれない

鈴鹿サーキット稲生駅に到着。「稲生」を「いのう」と読むのが意外と難読。稲生はれっきとした地名で、国鉄伊勢線が開業した1973年(昭和48)9月1日に同時開業となったが、当時の駅名は単に稲生。87年の三セク転換時に現駅名となり、全国に知られる存在となった

ただし徒歩で約30分。おそらくF1のような大イベント時は、人出も多いので、もっとかかるかもしれない。当駅から鈴鹿サーキットまではバス路線もない。それでも大イベントの開催時、多くの人が当駅から歩いてエキゾーストノートの調べを目指す

ふだんは静かな小さい駅

私は鈴鹿サーキットには数え切れないほど訪れたが、当駅に降り立ったのは実は初めて。「もっとかかるかもしれない」と書いたのは、そのためだ。大阪から行く場合は近鉄特急で白子まで行き、バスまたはタクシーとなる。レース開催時は鈴鹿市内のホテルはなかなか取れないので四日市によく宿泊したが、それも同様。幸運にも鈴鹿市内に宿が確保できた場合は近鉄鈴鹿線の終着駅である平田町周辺が多かったので、その場合は平田町までタクシーである(F1開催時は三重県内では間に合わず名古屋市内のホテルも混雑する)。いずれにせよ鈴鹿サーキットまでバスが出ている駅は白子だけ。では白子駅に行けばいいのではないかと思われる方も多いかもしれないが、大イベント時は白子からバスに乗るのも、満員が多く、なかなか順番が回って来ず苦労するし、タクシーもない。バスだと白子から20分。延々とバス待ちをして満員の車内で20分揺られるなら、鈴鹿サーキット稲生から30分近く歩いた方がマシ、と考えるのは当然の流れ。私の場合は仕事上、レース開始のかなり前の時間に着いて、サーキットを離れるのもレース終了後、かなり経ってからなので混雑を避ける形になっていたがレースに合わせての移動となると、結果的に徒歩の方が早くなる

その鈴鹿サーキット稲生だが、駅の規模は大きくはなく、むしろ小さい。シケインをイメージした階段にサーキットを感じさせるのみである

私なんぞは「オ~ッ」と思ってしまったが、モータースポーツに関心がないと何も感じないかもしれない

そして鈴鹿サーキットの名を冠するものの、死角になっていて駅から鈴鹿サーキットは見えない。ただ車の音は聞こえる。サーキットが見えるのは、お隣の德田に向かう車窓からだ

年に一度のお祭り

上り下りのホーム移動はホーム外の道路を通る。もちろん無人駅。駅舎もない。ただF1開催時の臨時列車に備え、ホーム有効長は6両分確保されている

ただF1開催時は様相が一変。臨時のきっぷ売り場や仮設トイレが設けられる。基本的にワンマン運転の普通も車掌さんが乗車。名古屋始発で当駅が終着となる臨時特急、その名もズバリの「鈴鹿グランプリ」が2往復運行されるほか、特急南紀も一部停車。快速「みえ」に至っては全列車が臨時停車。とにかく年に一度のお祭りである。

伊勢鉄道のホームページがなかなか興味深く、F1開催時の当駅の案内があるのだが「伊勢鉄道でIC乗車はできません。JRの駅からIC乗車すると精算の必要があります」「きっぷ売り場は現金のみ」「レース後は駅も混雑するため乗車まで時間がかかる場合があります」といった注意点が記されているのだが、最後にそれらをまとめる形になっていて最初に出てくるのが「鈴鹿サーキット稲生駅利用の不便さ」で注意事項を改めて列挙。最後に「…枚挙にいとまがありません」と締めくくられていて、ちょっと笑ってしまった。その次にようやく「鈴鹿サーキット稲生駅利用の良さ」の項目。鉄道会社がまず不便さからスタートするのはユニークだ。その「良さ」も「それでも鈴鹿サーキット稲生駅をご利用になられる方がたくさんおみえです」から始まり、なかなかウィットに富んでいる。こちらは実際に閲覧していただきたい

ホームの名所案内。当然鈴鹿サーキットが最初だが、随分とお堅い表現だ。ちなみに鈴鹿サーキットは単なるレースコースと思われている方も多いかもしれないが、記されている通り、遊園地のほか、ホテル、キャンプ場、プールなども備えた総合レジャーランドである

稲生ガイドマップがあったが、こちらはいつからのものだろうか。鈴鹿サーキットを避けるように描かれているのが印象的

なお空前のF1ブームが訪れるのは、昭和の終わりから平成初期にかけてのこと。87年(昭和62)から日本GPが鈴鹿で毎年開催となったことが大きい(2007、08年は富士スピードウェイ開催)。奇しくも国鉄伊勢線から三セク伊勢鉄道転換の年だった

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問2~三セク転換後に重要度認識

伊勢上野駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

伊賀上野ではありません

伊勢上野駅に到着。単式ホームに待合所のみという質素な構造。1987年3月、つまり国鉄伊勢線が三セク伊勢鉄道に転換した時に誕生した

周辺は田園地帯。ちょうど田植えのシーズンだった

駅名を耳にして「えっ?」と思われる方もいるかもしれない。「伊賀上野の間違いではないのか」と

三重県での「上野」といえば、伊賀上野が有名だ。関西本線の非電化区間では最も大きな駅で伊賀鉄道との接続駅でもある。何より忍者の里としての知名度が高い

しかし、こちらもれっきとした「上野」である。そもそも地名が「津市河芸町上野」なのである

駅前に河芸町の地図があった。上野と名が付く施設が見られる。平成の大合併で津市となったが、以前は河芸町という単独の自治体だった

ただ町として栄えているのは圧倒的に近鉄沿線である。もちろか駅の利用者数も近鉄が圧倒している

手前の電話ボックスに隣接する小径を行くと駅なのだが、県道を車で走っていると気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。だが立派な高架だけはすぐ分かる

近鉄に対抗すべく建設したものの

名松線の項でも触れたが、私は小学校の4年生まで三重県の名張で過ごした。そんなある日、先生が「もうすぐ国鉄も便利になります」と説明し始めた。先生は黒板に今にして思うと路線図を書きながら「名古屋から伊勢神宮へは国鉄では不便だけど、近鉄と並んで線路ができる」と話ながら、四日市と津の間に真っ直ぐ線を引く。当時は「ふーん」で終わっていたが、国鉄伊勢線のことだった

名古屋から国鉄で津以南の三重県各地に行こうとすると一度関西本線で亀山まで行き、方向的にはスイッチバックで紀勢本線に入り直さなければならない。それに対し、近鉄は四日市から真っ直ぐ南下している。なんでわざわざこんな面倒な作業をしなければならないのかというと、国鉄の前身となる会社が京都からのお伊勢参りを目指して、今の草津線、関西本線、紀勢本線と敷設したため。名古屋からのお伊勢参りはこの時点では眼中になかったのだ

その回り道が近鉄と国鉄に大きな差をつけることになる。伊勢だけでなく、紀勢本線の沿線には県庁所在地の津、松阪と大きな都市があり、沿線需要もある。国鉄も名古屋からの直通を走らせていたが、亀山での遠回りとスイッチバックがネックとなって近鉄に劣っていた

そこで考え出されたのが四日市と津を結ぶ短絡線、つまり国鉄伊勢線である。近鉄のスピードに対抗すべく、全線を複線化する予定で路盤も高架を中心とした高規格で建設された。小学校の先生が熱弁をふるうのも無理はない

そんな期待を受け、まずは単線で1973年(昭和48)に開業した国鉄伊勢線だが、ふたを開けると、多くの列車は亀山経由のスイッチバック、伊勢線内を走る普通の運行は数えるほどで、つまり「戦力」は与えられなかった。当然、利用者も低迷。特定地方交通線に指定され、民営化とともに三セク以降。国鉄としての歴史はわずか14年だった

戦力外のかつてのドラフト1位が

流れが変わったのは三セク移管後、伊勢鉄道が行った輸送力強化だった。元々、複線化できるように造られていたので、起点駅(JRとの分岐駅)となる河原田から中瀬古までを複線化。この後、JR東海が近鉄に対抗するため、別料金不要の快速「みえ」が90年に登場。特急「南紀」とともに、すべて伊勢鉄道経由となった。また路線内の最高速度も引き上げられた。三セク転換後、わずかな期間で路線の営業収益は爆発的に伸びた

現在、1時間に1本の運行で1日13往復、別料金も要らないため、名古屋で新幹線から乗り換えて伊勢方面に向かうには名古屋の到着時間によってはJRが近鉄に勝る。そもそも桑名、津、松阪、伊勢、鳥羽ではJRと近鉄の駅が同じ場所にある。もちろん特急の4往復もすべて伊勢鉄道経由。そんな理由から、伊勢鉄道の収支は安定している。JRからの三セク転換路線では超優等生だ

となると「なんで国鉄は手放したのか」という疑問が生じるのは当然だ。プロ野球に例えるなら、大きな期待を背負ってドラフト1位入団した選手を早々に戦力外としたら、他チームで大活躍。「アイツを呼び戻せ」と言っているようなものである。路線の潜在能力を見極めることもなく「赤字の他路線同様、即止めます」とした国鉄末期の混乱を思わせる

坂を登ったところが伊勢上野駅。きっと桜の季節は美しいのだろう

ひとつ手前の中瀬古から単線区間に入っているが、ご覧の通り複線の用地は確保されている。ただ三セク転換後に開業した伊勢上野駅は大赤字路線だった国鉄伊勢線を知らない

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問~JRの特急と別れを惜しむ

鈴鹿駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日、音声注意

名古屋から南紀に乗車

5月20日の朝8時前、私は名古屋駅にいた

手元には週末に発売される青空フリーパス、そして鈴鹿までの自由席特急券

JR東海の気動車特急として活躍してきたキハ85が6月で卒業を迎える。残念ながら6月に来る予定はなさそうなので、一足先に「お別れ」するのと同時に伊勢鉄道の全駅訪問を行うというのが、この日の趣旨である

1両だけの自由席は発車の10分前で大にぎわい。どこからどう見ても同業者(鉄道ファン)だらけ、という車内。何とか通路側の座席に着席。津方面へ向かう際、自由席は最後部の車両となる。つまり名古屋へのお帰りは先頭車両でパノラマビューとなる。私も10年ほど前、わざわざ紀伊勝浦から乗り込んだことがある。さすがに最前列は確保できなかったが、それでも前から3列目に座れた記憶がある

紀伊勝浦までは4時間の道程だが、多数の方が折り返してのパノラマビューを目指しているようだ。そんな中、私は40分ほどの乗車で鈴鹿下車。私一人。この前後に普通も快速「みえ」もやって来る。鈴鹿が目的なら、追加料金を支払う必要はない

私も当初は四日市でのサヨナラを考えていたが、ここはあえてJRの駅ではない鈴鹿を選んだ。今回の旅の主旨に合っているような気がしたからだ

私にとっては最後なので勇姿は動画で見送ることに

18きっぷは使えません

両端でJRと接続し、JRの列車がバンバン走る伊勢鉄道は三セクのため、河原田~津の同線区間は青春18きっぷは使えない。ただし青空フリーパスは使える。在来線特急は特急券だけ買えば乗車できるという青空フリーパスのルール通り、特急も乗れる。1日4往復の特急に13往復もの快速が走るのだから、この特例がなければ面倒でしょうがないし、伊勢や鳥羽方面へと向かう人の利用はなくなってしまうだろう。また、後の記事で触れるが、この特例が伊勢鉄道の歴史そのものでもある

鈴鹿駅は高架駅。というか、伊勢鉄道そのものが、国鉄伊勢線時代から、ほとんど高架の高規格路線となっている。こちらもまとめて後の記事で触れるが、簡単に説明すると、近鉄に対抗する路線として大いに期待されて建設されたものの、国鉄が使いこなせず、三セク転換後に重要度が理解された、ということ

高架駅ではあるものの、階段しかない。「鈴鹿」を名乗り、鈴鹿市の代表駅のようでもあるが、周辺は普通の住宅街で、ちょっと寂しさも漂う

近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅から終点の平田町にかけてが、あえて言えば町の中心地。当駅から鈴鹿市駅までは徒歩で10分以上かかり、市役所も鈴鹿市駅の方が近い。ホンダの町でもあるのでホテル需要も多いが、ホテルや商業施設、飲食店は近鉄鈴鹿線沿線に集まる

「あえて言えば」と記したのは、鈴鹿市が多くの自治体が集まってできた都市のため。軍事関連の工場や施設が多く、戦時中に軍の強い要請で鈴鹿市が誕生した。だから市役所から離れている近鉄名古屋線の白子駅付近も町の中心部のひとつとなる。ちなみに国鉄伊勢線ができるまで、国鉄の鈴鹿駅は現在の河曲(かわの)駅(関西本線)が名乗っていたが、今だったら「鈴鹿駅で降りたけど川があるだけ」と別の話題になりそうなところにある

それでも「鈴鹿」を名乗るだけに有人駅できっぷ販売の窓口もある。というか伊勢鉄道唯一の有人駅(接続駅の津はのぞく)だ

渋い入口を入ると

同線ゆかりのものが陳列されている

これはなかなか貴重

よく見ると国鉄伊勢線関連のものもあるようだ

すっかり癒やされて、後は伊勢鉄道の各駅8駅を巡るべく、同社の単行車両に乗り込むことにする

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