
※訪問は2024年10月10日
電化と同時に開業

飯森駅に到着した。これが大糸線全駅訪問のゴール(実際は島内駅が残っているが、気付くのは旅から戻ってかなりの後である)
写真で分かる通り、単式ホームの駅ですっかり恒例となっているが駅舎はなく待合所があるのみ。1960年に信濃大町~信濃四ツ谷(現白馬)が電化された際に設置された3駅(他は北大町、稲尾)のうちのひとつだ
白馬とセットで宿場町を構成
塩の道と呼ばれた千国街道の整備が進んだのは江戸時代。当地は飯田・飯盛宿のひとつだった。飯田とは現在の白馬駅方面にかけてで、2つの街がひとつの宿場町とされていた。もちろん駅名は飯盛の地名から来ているが、行政区分的には旧神城村にある。ただ開業時にはすでに白馬村となっていた
「敵に塩を送る」の語源となった千国街道沿いは武田と上杉の領地争いの場でもあった。鎌倉時代から当地を治めていたのは飯森氏で、戦国時代に一族が武田、上杉の狭間に置かれた際、一族内で唯一上杉に臣従。ここ飯森城で武田勢と対峙したところ一夜で現在の小谷村方面へと逃げ出したため一夜山城と呼ばれる
もっとも駅の設置は城址や旧宿場町の観光が目的だったわけではなく、やはりスキーを中心のレジャーである

城址のある山は故事にちなんで一夜山と呼ばれ地図にも記載されているが、そこには白馬五竜スキー場のいいもりゲレンデがあり、ふもとにあたる飯森駅近辺は旅館街がある
簡素なホームと周辺の景色
そんなレジャー客を迎える駅はというと

小さな階段でホームと出入りする。電化の際に設置された他の2駅と同じ構造

小さな待合所の中ではすでに冬へ向けての待機が行われていた

こちらが時刻表。12時26分で降りて同57分で白馬方面へと向かう。滞在30分と、ここは理想的だが、1本ずれると3時間運行のない、お昼休みの時間帯となるので朝から無事に回れて良かった。大糸線増便バスの力は甚大だった

こちらは駅の全景。道路から分かりやすいように赤く目立つ文字で案内があり、そこが駅前の広場となっている。もっともこれまで紹介してきた駅と同様、この駅を使用してスキーを目指す人はほとんどいないようだ。当駅は白馬駅よりも神城駅の方が近く、わずか1・5キロ。規模が大きめの神城駅の利用者が1日で60人程度とみられることを考えると、正確な数字は分からないが、さらに少ないことは間違いない。ただし写真の左側で分かる通り立派なお手洗いがある

駅の前には美しい稜線が広がる。これで3月の積雪の中から始まり酷暑の9月上旬を経ての大糸線の全駅訪問はすべて終了だと思うと達成感はあった。ここから今日は通過ばかりだった白馬駅に立ち寄ることにする


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