
※訪問は2025年7月11日
3月のリベンジ
いよいよ最後の駅となった
8時4分に松木平駅を出た電車は同17分に弘高下駅に到着した

本当は3月に訪問予定だったが、膝の痛みが酷くなって断念した
というのも終点の中央弘前のひとつ手前の当駅で終えるとホテルを確保していた弘前の駅前までは徒歩も十分に可能だからだ
大鰐線訪問の記事で何度も触れてきたが、3月の訪問時は徒歩には絶好の気候で、このぐらいは気にならない。また気分的にも街中を歩くのと、誰も歩いていない民家もまばらな道路を歩くのでは気分的に大きく異なる
ということは分かっていたが
鯖石から宿川原までを何とか歩いた時点で、もう限界だった。後で調べると弘高下駅から5分ほど歩けば前記事で紹介した1時間に2本の運行があるバスの停留所があり、その停留所は他路線も走るため弘前駅へ向かうバスの本数も多いが、それを知ったのは後の話で、この時はそんな余裕はなかった。だから無事にリベンジを達成したことになる
愛称の駅名と上下の感覚に惹かれる

まずは駅舎から。棒状ホームに独特の駅舎。開業は弘前電気鉄道として大鰐線が開業した1952年(昭和27)。駅名板も含め千年駅や石川駅と同じたたずまいとなっている現在の駅舎は弘南鉄道に移管された1970年以降のものだろう
駅名は弘前高校にちなむ。旧制中学時代からの名門校として知られる。「弘高」は地元での愛称だが、旧制中学から現在と同じ新制の高校となったのが1948年だから、わずか数年で愛称が浸透していたことが分かる
学校最寄りの駅名は日本には数多くある。国鉄はあまりそのようなことをしなかったが、私鉄は数え出すとキリがない。近年はネーミングライツとしての駅名もある。ただしそのほとんどが、フルに学校名を使用している。略称や愛称はなかなか見られない。大鰐線には他にも「弘前学院大前」「聖愛中高前」「義塾高校前」と他に3つの学校最寄りの駅があり、義塾高校前は「東奥義塾高校」の最寄りではあるが、略称の愛称とはやや異なる。「弘前高校」と特に学校名が長いわけでもないのにあえて愛称がつけられている
さらに「○○前」ではなく「下」というのも独特だ。それは駅の位置に関連している
学校の敷地までは近いが実際に学校へ入ろうとすると、おそらく10分近くかかるだろう。駅も丘の上にあるが、学校はさらに高い場所にあるので「弘高下」となったようだ

駅そのものは単式ホームの上に待合所が設置されている

かつては日本中の駅で標準装備だった水道つまり水飲み場が残る。ひねってみるようなことはしなかったが、一見現役のようだ

かつては有人駅で現在は無人駅。平日朝の登校時は駅員さんの派遣があるという情報も見聞きしたが、私が到着した8時17分は無人状態だった。それもそのはずで、2023年度の1日の利用者数は34人となっている
とにかくこれで大鰐線の全14駅の訪問は完了となった


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