※訪問は2025年7月11日
黒石行き列車を見送る

境松駅に到着すると間もなく電車がやって来て、そして去っていった
ただ慌てることはない。この列車は黒石行き。隣駅で終点でもある黒石で15分ほど停車して折り返すので、それをつかまえて弘前方面に向かうつもりだ
以前は立派な駅舎が

境松駅の駅舎というより、単なる待合所だ。単式ホームの以前は2階建ての駅舎があったという記録が残るが、約20年前に現在の姿となった。ただし駅としての歴史はあって、1927年(昭和2)に弘前から津軽尾上までが開業した弘南鉄道が戦後になって黒石まで延伸され全通した1950年に開業している
弘南線は全長16・8キロで、延伸部分は5・7キロ。頑張れば歩いても行けそうな距離だが、以前も記したように、この5・7キロの意味合いは大きく、弘前と黒石が直接つながったことで、川部と黒石を結んでいた国鉄黒石線から客を奪うこととなった
そしてもうひとつは、ここ境松に駅ができたことだ
境松駅のほど近くに「旧黒石城跡」がある。といっても今は石碑が残るのみだが、鎌倉時代の終わりごろに造られた黒石城が、300年にわたって当地支配の中心地だった。ところが江戸時代に入って居城が現在の御幸公園の場所に引っ越し。弘前藩の分家だった黒石津軽家は、最初はわずか5000石だったので城ではなく陣屋を築いた。以来、黒石の街はこの陣屋が中心となっていく。つまり黒石駅の周辺だが、江戸時代までの中心地で市街地が残る境松にも駅は設置された。地図を見れば分かるが、弘南線はここ境松を出るとやがて90度の弧を描いて黒石駅に入る。弧を描いた後に国鉄黒石線と並行して黒石駅へと向かう形になっているが、境松近くに国鉄の駅はなかった。境松と黒石は線路にしてわずか1・5キロだが、境松の人々にとっては貴重な駅の誕生だった
単式ホームからの眺め

待合所を通り抜けると緩いスロープからホームに行ける(もちろん無人駅なので待合室の脇からもホームに入れる)。ホーム入口は黒石側にあるが、街の成立を考えると当然のこと

ホームは用水路をまたぐように設けられていて「川の上にある駅」である

ホーム中ほどから黒石方面を望むと川の上の駅であることが分かるが、あくまで用水路のようで、その表記はあてはまらないようだ
国鉄から弘南鉄道に譲渡された黒石線は1984年に譲渡され、わずか14年後の1998年に廃線となったが、代替バスは今も走る。廃線跡の道路を真っ直ぐ進むのではなく、黒石駅から南側の集落のある場所を通りながら川部へと向かい、平日は1日5往復、週末は1日4往復運行されているが、もちろん境松にも停留所はある
ただ黒石駅に近すぎるからだろうか、2023年度の黒石駅の利用者624人に対し、境松駅は18人。黒石駅の利用者数は1037人の弘前駅に次ぐ路線第2位の数字だが、境松駅は13駅中12位。下にいるのは冬季と早朝、夜は通過駅となる田んぼアート駅の8人で、事実上最下位の数字となっている
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