東日本の新幹線単独駅を巡る~なにごとも公平に

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燕三条駅の駅名標

2022年10月21日10時30分

※単独駅の紹介は終わりましたが同行程なので同タイトルで続けます

徹底されています

燕三条駅で降りて外に出ようとすると「燕口」「三条口」の明確な区分に目を見張ります。駅の出口は東西南北で付けられることが多い。地名の出口があっても、それは通称にされていたりします。なぜなら初めて降りた人、旅人には東西南北の方が分かりやすいからです。しかし、あくまでも燕口と三条口

というか

こんなに大きくて、なおかつピカピカ光っている出口案内には、なかなか出会えません

というか徹底されていますね

2つの都市の市境が駅を通る

もう誰もが分かっていると思いますが、燕市と三条市の名前をひとつにした駅名です

ただ現在はよく見かける駅名ですが、当時は全国ニュースとして大きく取り上げられました。前記事の浦佐駅でも取り上げましたが新幹線の駅というのは夢の架け橋で、今でもそんな空気があります。40年前のことなので、なおさら

新幹線のコース決定時点から両都市で激しい誘致合戦が繰り広げられました。こういうのって鉄道会社が困ります。当時は鉄道会社というより国鉄です。結果的に両都市の境界にまたがって駅を設けることで決着。このあたりが町の中心に近いから、という視点ではありません。とにかく「公平に」です

なぜ私がそんなことまで知っているかというと前述した通り、全国ニュースだったからです。上越新幹線の開業は私が大学に入った年なので、それ以前にテレビのニュースを見ていました。そして、なぜ全国ニュースになっていたかというと、やはり田中角栄さんの存在

駅の設置は決まったものの、では駅名はどうするか、燕が先か三条が先かと、これももめることになりましたが、種々のトラブルは角栄さんの仲裁で現駅名に決定。その代わりに高速道路のインターチェンジは三条燕となりました。また駅名の最初に燕が入ったためかどうかは分かりませんが、駅長室は三条市にあるため、駅の所在地は三条市となっています

駅の中を市境が通っています

訪問当日はお知らせの案内で隠れてしまっていましたが、改札を入る時も燕と三条が並列

当時は単なる駅名を巡る争いというより、角栄さん絡みだからこそ、ニュースとして取り上げられていた気がします。それほど大きな存在だったのです。ただ地元の皆さんには誠に申し訳ないのですが、当時の取り上げられ方は「田中角栄のおひざ元で何やらケンカしている」というものだった印象です

もっとも全国ニュースになった効果は抜群で、おそらく三条市や燕市を知らなかった関西の人も両都市の地名はしっかり刻み込まれることになりました。私もその一人

大きな駅です

さて駅舎の方は当時の他の新幹線駅と同じく

とても大きい。コンコースも広い

当駅は弥彦線との接続駅となっていて単独駅ではありません。新幹線と同時に弥彦線の駅も開業しました。今日は長岡泊の予定につき、乗り換えのためそちらに向かいます

彌彦神社は大鳥居で有名ですが在来線へと向かうコースにも鳥居があります。在来線は無人となっていて、そのままホームに入っていくと何やら電車音

行ってしまった…

時刻表を10分ほど読み間違えたらしい。よくやらかして、いつものことながらショック。電化されている弥彦線ですが、昼間のダイヤは薄い(本数が少ない)のです。次の東三条行きは2時間後。東三条まではたった2駅で信越本線の駅巡りなどをしながら長岡へ向かう予定でしたが予定は崩壊。ただこの日は強い武器がありました。フリーパスなので再び新幹線の改札をくぐり、長岡までの1区間、わずか10分を新幹線利用するというぜいたくな手段で長岡へと向かいました

そんな燕三条駅で実は私が一番感激したこと

三条市の名誉市民であるジャイアント馬場さんのお出迎えでした

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