2022年12月7日14時50分
和歌山まで1キロの駅
紀伊中ノ島駅に到着しました。こちらに来るのは3度目。この駅の雰囲気が好きで和歌山方面に来ると自然に足が向いてしまいます
和歌山まで1駅の当駅ですが利用者は多くはなく、1日の利用者は千人にも満たない(これでも以前からは増えています)
理由のひとつとして和歌山までの距離の近さがあります
線路にして1・1キロしかなく歩いても大した距離ではないため、多くの人は利便性の高い和歌山を利用するのでしょう
ではなぜこんな短い区間に駅ができたかは、上記の地図で分かります。当駅を基準に東側には和歌山線、西側には紀勢本線があり、阪和線を含めた3線が和歌山に向かっていますが、和歌山線と紀勢本線の強引なカーブは、どこか違和感がある
これは元々、和歌山線の線路が真っ直ぐ紀勢本線に向けて伸びていたからです。現在の紀和駅は以前、和歌山駅で国鉄の和歌山における中心駅でした。では現在の和歌山はというと東和歌山という途中駅でした。改名は戦後20年以上が経過してからです
南側から東和歌山を経て和歌山(紀和)まで線路が到達したのは明治時代。阪和電気鉄道が和歌山まで到達したのは昭和初期です。当然、当時の国鉄としては和歌山までの鉄路を求めたのですが、ここから直角に和歌山駅まで行くのはイヤだと阪和電鉄が拒否。阪和電鉄としては将来の国鉄との相互乗り入れを目指していたため、和歌山に向かっていてはスイッチバック構造になってしまいます
阪和電鉄は東和歌山での接続、乗り入れを選択。その際の交換条件として和歌山線と交差する最初から少し南側の地点に紀伊中ノ島駅を移設しました。元々近かった東和歌山との距離がさらに近くなり、現在の1・1キロになったわけです
美しい駅舎は国鉄の手によるもの
紀伊中ノ島の駅舎です。美しい形をしています
1935年建築のものが、そのまま残ります。これは国鉄が建設したもの。乗換駅にふさわしいもので、阪和電鉄も国鉄との接続を図って特急を停車させていました
その痕跡は今も色濃く残っていて
和歌山線のホーム跡です。上を行くのは阪和線。こちらは阪和電鉄が建設しました。先に和歌山線ができていたので堤築上のホームからオーバーパスするようになっています
駅舎入口から見ると、このようになっていて直接和歌山線ホームに入れていたことが分かります。国鉄の駅ですから国鉄優先です
現在の改札はホーム跡を左に折れたところに設けられています
急速な地位の変化
戦後になって和歌山駅の地位がどんどん低下していきます。阪和電鉄が国鉄に戦時買収されたため、大阪方面からやって来る列車は和歌山以南へすべて直通できることになり、戦後のレジャー回復による県南部への移動も和歌山駅は通らず東和歌山経由となりました。和歌山県内からの通勤圏の拡大も東和歌山が起点
貨物輸送も東和歌山に重点が置かれるようになり、和歌山線も東和歌山への短絡線が設けられました。やがて東和歌山駅が和歌山駅へと改められると、この短絡線が旅客運輸でもメインルートとなり、間もなく、かつての和歌山駅(紀和駅)へ真っ直ぐ伸びていた線路は不要、廃線となりました
つまり紀伊中ノ島は乗換駅ではなくなったのです。それが1974年のこと。以来、ホームはホーム跡となって現在に至ります
乗換機能を失ってからの流れは急速で国鉄時代のうちに無人化。利用者が増える紀伊、六十谷が朝のラッシュ時の快速停車駅となったのと入れ替わるように通過駅となりました
駅舎内から外をうかがうと、建設時は気合の入ったものだったことが分かります
駅名板は確実に国鉄時代からのものですね
こちらが駅前風景。かつての乗換駅は今は静かにたたずんでいます
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