JR

酷暑の激闘・久留里線3駅その1

8月19日11時

のどかで涼しい午前

この夏から、かなり時間をとれるようになったので、今夏の青春18きっぷは2回消化(つまり10日分)できるのではないかと考えていました

早速7月21日に初回使用。ところが直後にコロナの第7波とかで出番がなく、結局8月19日の時点で残り4回と、いつもの期間終了間際にバタバタと使用することになりました

前夜は都内でちょっと(いや、かなり)飲んでしまい、山手線某駅で入場。当日の午前のうちに木更津までたどり着きました。所要時間2時間。結構遠いですね

目的は久留里線です。11年ぶりの乗車ですが、その時は久留里までしか行っておらず、その先の上総亀山までが未乗車地域になっています。その距離わずか9・6キロ。久留里線全体でも32キロしかありませんが、なぜ未乗車になったのかというと、そこから先のダイヤが薄いからです。この微妙な区間を埋めつつ、3駅すべてを訪問しようというのが今回の目的。せっかく東京まで来る機会があったのだから、この空白を埋めつつ青春18きっぷを使おうというわけ

11時12分発の久留里行きが出発を待っています。東京から長大編成(15両だったと思います)の総武線に乗り込んでから2時間で、随分とかわいい非電化単行列車となりました

ただ問題がありまして東京から木更津まではご存知のようにホイホイ来られるわけですが、その先がなかなか困難です。久留里まではホイホイとはいかなくてもホイぐらいで行ける。ただその先の3駅は前述した通りダイヤが薄く、しかも前回来た時よりもさらに本数が削減されています

木更津から久留里までは昼間も1時間に1本ぐらいが運行されていますが上総亀山に到達する列車は1日わずか8本しかありません。しかも木更津発7時24分を逃すと、その次は13時1分と5時間半も運行がないのです。つまり東京で前夜に酒なんて飲んで都内に宿泊している時点で13時1分発の一択となってしまうのです。ちなみに、お次の上総亀山行きも3時間後です。運行形態としては終点の上総亀山で10~20分停まって折り返すという形ですから、上総亀山で降り、折り返し列車で残る2駅のどちらかでは降りられますが、もう1駅への手段がなく、さらにそこからどうするんだという問題が残ります

しかし行くと決めたからには多少の二日酔いであろうと何であろうと行くのです。一応、作戦を考えて出発しました。ちなみに朝の天気予報では

この夏では珍しく涼しくて過ごしやい日になりそうです

と連呼していました

久留里でのんびりと過ごす

途中駅で降りたりしながら久留里着は12時52分。おそらく大正期の開業時期の駅舎がそのまま使用されています。久留里線の運行にとって重要駅で管理駅となっていて駅員さんもいます

運行頻度からすると、かなり大きめの構内を持ちます

これでもまだ1時間あります

かつては久留里藩があった城下町。名水が知られ、お酒造りで有名。歴史を感じる町並みが並んでいます

私も一杯といきたいところですが、午後からは乗り鉄だけではなく降り鉄なのでアルコールは控えは11年前にも来たお蕎麦屋さんで

天ざるを優雅にいただく

お城をモチーフにしたベンチもかわいい。確かに言われてみると、今日は猛暑という感じではありません。のんびりした後、上総亀山に出発です

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乗継割引、今のうちに有効に利用を

影響大の岡山乗り換え

来年3月いっぱいで新幹線+在来線特急の乗継割引の一部が一部の駅でなくなることが発表されました

乗継割引とは新幹線と在来線特急を乗り継いだ際に特急料金が半額になるという制度

 

元々は東海道新幹線が開業した際、これまで通し料金で利用できていた特急・急行料金を新幹線と別々に徴収する(特急はひとつの列車について1料金が原則です)のは実質的な値上げになる、とのことで開始されました。元々、東京駅をまたいで運行されていた列車はなかったわけですから、東京駅での乗り換えには適応されませんでしたが、西側は大阪をまたいでさらに西へ向かう優等列車が数多く運行されていたので影響は大きく、この制度は東北新幹線など全国に広がりました

発表によると全廃ではなく、下関~岡山間の適用がなくなるとのこと。九州の小倉、博多については九州新幹線が一部開業した際にこの制度はなくなっています(JR九州は博多~新八代の在来線特急と新八代~鹿児島中央の新幹線を一本の料金にしたため矛盾が生じるとの理由。別の角度から見るとJR九州に入るはずの特急収入が大幅に減るからとも言われる)。それが岡山まで延長されたということ。定期運行の列車では新山口からの「スーパーおき」そして岡山からの伯備線「やくも」と瀬戸大橋を渡っての四国各方面への特急が対象となるため、乗り換えの多さから見ると岡山乗り換えは影響がかなり大きい

私もかなりお世話になっています

こちらは今春、岡山乗り換えで伯備線でやくもに乗車した時のもの。乗継割引を使用するときっぷにその旨が明示されます。本来2000円近くするものが930円。破壊力抜群なのは新幹線の乗車が短い場合で

新幹線はおなじみの1区間自由席料金ながら大阪~金沢で2時間半以上も乗車するサンダーバードが当然半額です。ただし乗継割引にはルがあって、きっぷを買う時に必ずセットで求めなければなりません

そしてこの制度、意外と知られていないのは新幹線に先に乗る時は当日中の乗り換えが必要だが在来線特急に先に乗る時は新幹線乗車は翌日でもOKというルール

これは東海道新幹線から九州方面へと向かう際に新大阪で寝台列車に乗り換えることを想定したもので、寝台列車に乗るのはもちろん新幹線乗車日ですが、九州から寝台列車に乗り新大阪で新幹線に乗り換える場合は必然的に前日の出発になるために設けられたルールです

今は定期寝台列車はサンライズしかありませんが(鉄道ファンにはおなじみのサンライズと新幹線の組み合わせによる乗継割引も岡山や坂出、高松では使えなくなります)、半世紀以上も前のルールが実態と乖離した今も生きています

この制度を利用すれば旅の幅がグッと広がりますよ。乗り換え駅で宿泊する旅行が可能になります

考えてみれば東京をまたぐ優等列車がなかったため制度が対象外となったと記しましたが、静岡から名古屋経由で長野に向かう列車があったのかと言われれば疑問(名古屋駅の乗継割引は継続します)だし、四国方面への特急も宇野~高松のフェリーが廃止されたための代替という位置づけでしたが、現行制度では岡山から快速で1時間もかかる高松での乗り換えにも適用されるという奇妙な形になっています(これは高松~徳島間の「うずしお」が今も1日1本、岡山まで乗り入れているからだと思われます)

とにかく四国方面、岡山を経由しての山陰本線へのお出かけを考えていらっしゃる方は、今のうちに是非利用してほしい制度です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その10~忘れ物

欠けていた駅のちょっと貴重な光景

JRのうちに北陸本線の各駅を巡る旅。3月24日の行程はこれまでお伝えした通りですが、この間にある2つの駅が欠けていることをお分かりの方もいらっしゃると思います。福井駅と越前花堂駅です。過去に訪れているので旅報告からは外しましたが、改めて付け加えさせていただきす。まず福井駅

数え切れないほど訪れていますが意外と写真がない。すぐ乗り換えるか飲みに行ってしまうからでしょうか。これは2018年6月のもの。JRの駅ではありませんが

えちぜん鉄道が暫定的に北陸新幹線のホームを間借りして時の時のもの。間もなく新駅に移動するというので2度と見られない光景だということで慌てて撮りに行きました

難読かつユニークな駅

福井から1駅南にあるのが越前花堂です

なかなか難読です。こちらから越美北線が分岐しています。越美北線全駅制覇を目指した(できませんでした)昨年9月19日に訪れました

分岐駅ですが戸籍上は越美北線の起点駅です

ただ越前花堂を始終着とする列車は設定されておらず、すべての列車が福井まで乗り入れます

ただ、ややこしいのですが先に越美北線の駅が設置され、その後に北陸本線上に駅ができたため、これまた戸籍上は北陸本線の駅ではなく越美北線の駅となっています

北陸本線側にある駅舎。昭和40年代生まれとあって堂々のコンクリート駅舎です。背後に見える高架は北陸新幹線

今は無人駅ですが立派な大理石の改札口が残ります。これはなかなか貴重なものだと思います。1960年代で、鉄道全盛期は多少過ぎたとはいえ、まだまだ国鉄にも余力があったのか

さて地図でお分かりのように越美北線のホームはやや離れたところにあって西側の下りホーム側にある駅舎からだと東側にある越美北線ホームへは跨線橋を上り降りして上りホームに移動した後

上りホームの一番後ろ(福井駅側)から通路で移動する必要があります。この時は工事中で暫定通路のようになっていて現在の形は分かりませんが導線は新幹線開通後もあまり代わらないと思われます

向こうに見えるのが越美北線のホーム

ムニャムニャと進んで行きます

北陸本線の線路とはかなり離れています。そして越美北線のホーム

北陸本線ホームと比べると随分ノスタルジック

実際の私の行動は逆で越美北線に乗ってきたわけですから、越美北線を降りて北陸本線ホームと駅舎に進んでいます

福井へ向けて去っていくキハ120を見送ります

1面ホームと待合所だけの写真を見ると、とても北陸本線の駅とは思えません

まだ暑い季節でしたのて゜福井行きの電車(列車ではありません)を待っているとお客さんがゾロゾロと集まり始めました。この時間帯の北陸本線の福井行きは1時間に2本。電車の時刻に合わせてお客さんが駅にやって来る、よく見られる光景

ちなみに市販の時刻表には「越前花堂~福井間は越美北線と併せてご覧ください」と記されていますが、そちらの時間に合わせて駅に来られる方は少なくとも私の乗車列車にはいなかったようです。1日7本しかない上、北陸本線ホームと離れていて階段の上り降りまであるので、そちらに合わせる行動は、あまりないのでしょう

来春から三セク移管となる北陸本線ですが、越美北線はJRがそのまま運行予定。となると福井~越前花堂はJRの路線ではなくなるわけですが、青春18きっぷの利用についてはどうなるのか。金沢駅からの七尾線のように特例区間となる可能性が高いと思いますが

そして鳥居型のこれまた貴重な駅名標はどうなるのでしょう。越美北線ホームはJRということで、このままでいてくれればうれしいです

夏の青春18きっぷで芦原温泉~金沢の全駅訪問も行いました。しばらく間を置いて記事にします

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その9~今も印象に残るお酒のCM

3月24日16時20分

本日最後の下車

いつの間にか夕暮れが迫っています。本日の旅最後の訪問は大土呂

「おおどろ」と読みます。私はこの日まで「おおとろ」だと思い込んでいました。日本語の濁点というのも、なかなか難しくて、このシリーズで紹介した「今庄」も「いましょう」ではなく「いまじょう」。こんな有名な駅でも間違えられることが結構ある。「橋」「崎」とか他にもありますね。その意味ではワープロからスタートしたPCや携帯のワープロ機能というのは貢献度が大きく読みを間違うと変換しないので「なるほど」と気づいたりするわけです

駅舎は線路の東側にあって、ずいぶん前からの無人駅ながら西側への「救済」はなく東側に出るしかないようです。元々は2面3線だったようですが、中の1線が消されて2面2線となっています

 

私の写真が下手でコンクリ駅舎のように見えるかもしれませんが木造駅舎。こちらも福井地震の後に建て替えられました

今日見てきた駅名板は特徴あるものばかりでしたので、こういう無機質なものが新鮮。字体はどんなゴシックか分かりませんが

 

地図に注目

写真の駅舎内は閑散としていますが乗車した電車からは、多くの高校生が降り、また乗ってきました。今日は終業式ですかね。それでも夕方まで学校にいたのでしょう。写真は生徒さんが駅を去ってから撮りました

駅舎内には

文殊山までのデマンドタクシーの時刻表そして6年前の地元紙が貼られています

記事によると昭和20年代から30年代にかけては19人もの駅員さんがいて貨物列車も多く運行。駅前にはパチンコ店もあったとか。今は文殊山への登山口の役割も大きいそうです。文殊山は福井県のハイキングコースとして有名で、いろいろなアプローチがある中でも当駅からが最もメジャーなコースのようです

外に出てみます

ハイキングコースの地図とは別に周辺地図。開業前の北陸新幹線が既にイラスト入りで描かれているので新しいものですね

寺社仏閣が多い古い町なんだな、と眺めていると「宇野重吉生誕の地」がありました。名前を言っても分からない方が多いかもしれませんが、昭和の名優です。寺尾聰さんのお父さんと言えば分かりやすいかも。宇野重吉さんで私が思い起こすのは石原裕次郎さんとのお酒のCM。お寺の境内で裕次郎さんが和尚さんに分した宇野さんと酒を飲み交わす。当時私は中学生で日本酒なんてまだまだでしたず「しからば問う。裕次郎」が印象に残っています。今もCM動画は、何らかの形でどこかにある。私も久しぶりに見て細部を思い出しました。途中でお銚子のお酒が切れてしまい、ちょっとお茶目な裕次郎さんが格好いい

ちょっとノスタルジックな気持ちで帰路につきました。実は私が乗った敦賀行きは敦賀でほとんど時間なく姫路方面へと向かう新快速に乗り継ぐダイヤになっていて始発なんで、もちろん十分座れたのですが、さすがに朝6時半のサンダーバードでやってきただけに疲れました

本日分の18きっぷの元は十分にとったでしょう。いつも概算で2500円ぐらい使用したことが分かれば、すぐ特急課金をしてしまいます。敦賀駅でちょっと休憩。サンダーバード課金で帰路につきました。いつの間にか陽が長くなっていて春の訪れを感じました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その8~高校野球とアクセス駅

3月24日15時20分

高校野球の快進撃で大いに話題

森田駅から再び北上して春江駅で下車

木造駅舎が残ります

改札部分。旧来の改札は使用されていませんが「改札口」の文字がいいですね

丸岡駅のところでも触れましたが、北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で甚大な被害を受け、その翌年あたりに改めて竣工したものが多く、こちらも

元々は春江町の中心駅。今は市町村合併で坂井市です

財産票は1949年。地方の駅はまだ木造で建てられていたんだなぁ、と感じます。私は「ザ・国鉄」のコンクリート平面駅舎が好きでこのシリーズでも武生や鯖江で紹介してきましたが、コンクリート駅舎が各地に姿を見せるのには、まだ10年の月日が必要だったようです

春江といえば、私が真っ先に思い浮かべるのは高校野球の春江工業です。いつも高校野球や高校サッカーからの発想で申し訳ないのですが2012年の福井県秋季大会で準優勝。初めて進出した北信越大会では決勝に駒を進め、県大会で惨敗した敦賀気比に雪辱。初優勝を果たすと神宮大会では浦和学院に勝って4強進出して大いに話題を呼びました。「春江ってどこ?」がずいぶんとホットワードになりました

初出場のセンバツ甲子園では惜しくも初戦敗退となりましたが、春江という町の知名度アップには大いに貢献しました

残念ながら当駅が最寄りだった春江工業は、その後の学校統合により名前は消えてしまいましたが、2年生ながら4番を打っていた栗原選手は、ソフトバンクで(今年は開幕直後に不運なけががありましたが)活躍中です

では、その春江駅はどこ?という話ですが

空港アクセス駅だった

地図をご覧になれば、お分かりのように福井空港の最寄り駅なんです。約2キロ。車なら数分で着いてしまいます

ただ空港のアクセス駅としては静かな駅前。なぜかというと、もう40年以上、定期旅客便が就航していないから。高度経済成長期に開港しましたが、滑走路が小さくジェット便が飛べずに客足が減少。定期便がなくなった後も何度か空港拡張の動きはありましたが、駅も国道も近いという便利な場所にあるのがかえってよくなく、騒音などの反対の声が強く実現には至りませんでした。今も空港はありますがドクターヘリや自家用プロペラ機が主流となっています

空港の所在地はもちろん春江町。「もしも」があれば、町の歴史も含め、ずいぶんと違う光景になっていたかもしれません

島式ホーム1面2線

玄関の文字が格好いい

ちょっと古い駅では定番の温度計も駅舎内には残っています

ちょっとレトロな雰囲気ですが福井から、たった2駅ということで新しい住宅もでき、通勤や通学で利用者は多い

それでも

こちらは昨年で終わっていました。「現役」を見ることができず、ちょっと残念でした

今日最後の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その7~需要がありそうな窓口だったけど

北陸本線各駅の紹介に戻ります

3月24日15時

福井市街に位置

丸岡から再南下。森田駅で降りました。福井から北へひとつ目とあって周辺は福井市の市街地が広がります

福井駅から九頭竜川を渡ると当駅

おしゃれな駅舎です

車寄せ部分の短い階段。玄関部分の柱は近年強化れたようです

独特の字体と青い文字が印象に残ります

しかし、こちらも「う~ん」。何かこの張り紙ばかりを紹介しているような。ちょっと寂しい

簡易委託で改札業務は行わないようですが、駅舎内の窓口ではきっぷの発券中。後ろで聞こえてくる感じでは、ずいぶん先の東京方面へのきっぷを頼んでいる様子。かなり時間を要していたので単純往復ではなかったのかもしれません。3月後半のこの時期、いろいろな駅で大きな荷物を持つお客さんの姿をかなり見ました。大きなスーツケースを持って駅から降りてくる若い女性を見て「故郷に帰ってきたのかな」などと勝手に思ったりしていました。異動と移動の季節。春の鉄道旅行でよく見かける光景。新幹線へ飛行機ではゾロゾロ目にしますが、どこかで新幹線や特急、もしくは高速バスを乗り継いでローカル線の駅で降り立つのは、大概ひとり。季節ならではの光景

きっぷも、そんな一環で買っている気がしました。再来年には三セクとなってしまうので、どうしようもないことですが、窓口できっぷを買うなら、おそらく福井駅まで足を運ばなければならなくなるのでしょう。スマホで予約してターミナル駅で発券というのが、もう主流になりつつある。ターミナル駅では車を止めるのも大変なので、これは面倒だけど券売機に慣れきってしまうと別の困ったことも起きてしまう可能性もあります

実は先日、JR東日本の乗り放題きっふで旅をした時、みどりの窓口だけしかなく指定券券売機のない駅で発券しなければならなくなり、私は逆に戸惑ってしまいました。スマホに表示されたQRコードをピッとかざすだけの行程に慣れてしまうと、こんなことになります。なかなか難しい

なお、三セク移管後、森田と福井の間に新駅が設置される予定です

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西岩国駅から錦帯橋への行き方

駅舎の姿に呆然

10月3日、岩徳線の西岩国駅を訪問しました。そのときに戸惑ったことがあったので、もし行かれる方がいらっしゃれば、良い情報になるかもしれません

この日は朝から岩徳線の駅回りを行いながら、ここまでやって来ました。お昼の12時半

岩徳線及び錦川清流線(岩国からお隣の川西まで岩徳線に乗り入れ)は何度も乗っているのですが、西岩国は降りたことがなかった。写真では数え切れないほど見ています。レトロにして風格ある駅舎。元の岩国駅ですね

木製ラッチ(改札)からして雰囲気抜群。ただ奥を見て何か工事臭がして気になっていたのですが駅舎を抜けて振り返ると

何だこりゃ~。呆然というか言葉がないというか、立ちすくみましたね

実は時間は早いので、もう1度岩国方面への列車に乗り駅回りをしようと考えていたのですがメインイベントがこれでは

すっかりやる気がなくなりました

岩徳線回りについては改めてご報告しますが、朝に徳山を出たものの私の判断が悪い部分もあって、本数の少ないこの路線攻略が失敗気味だったこともあります

ということで

錦帯橋に初めて行ってみよう

と思いつきました。岩国には10回以上来ていると思いますが、1度も錦帯橋は見ていない。これはちょうど良い機会ではないか、と急な考え

西岩国の駅から比較的近いということは知っていました。ではグーグル先生に聞いてみましょう

 

歩けないことはないですが

これはムリ!

この日は朝からそれなりに歩いている上、10月とは思えない暑さ(今思えば10月最後の暑さでした)でやる気の失せた私に20分以上の徒歩はムリです。調べてみると、お隣の川西駅からだと15分ほどだとか(それでも歩く気力があったかどうか分かりませんが)。ただご存知の通り、岩徳線というのはダイヤが極めて薄いのです。錦川清流線は雨の被害によって代行バスとなっていますが、こちらも本数が多いとはいえない

だったらバスはどうでしょう。必ずあるはずです。運が悪かったのは駅舎内のふれあい交流館が、この日はお休みだったらしく、聞く人がいなくて自力で調べるしかありません。分かったのは西岩国駅の前を通って錦帯橋に向かうバスの本数がおそろしく少ないこと。主なバスは国道2号を行くため、駅前には来ないのです

東錦見(「ひがしにしみ」と読みます。難読ですね)というバス停が近くにあって、そこからの本数は多いらしい。ですが、ちょっとトラップもある上、私はここからちょっとウロウロしてしまったので、その失敗談も交えて説明します

 

まず駅前(丸数字1)を出て国道2号方面に向かうと、丸数字2のところに東錦見のバス停があります。ただ少しややこしいですが、これは違う東錦見です。時刻表を見ると、本数はないに等しいほどでビックリすると思います。ただ間違う方も多いのか、バス停に「錦帯橋方面は国道2号線のバス停へ」と書いてくれています。ということで私はここで失敗。2号線沿いにあるのだろうと、錦見の信号を真っ直ぐ行ってしまったのです。地図を拡大していただくと分かりますが丸数字4のバス停が岩国駅方面の停留所で、それが見えたため、その向かいにあるのだろうと思い込んでしまったのです

正解は丸数字3です。信号を渡ってUターンするような形で2号線を行ってください。信号の所にトヨタがあるので、それに沿っていくと

奥にバス停が見えてきます。バス停から逆(進んできた)方向を見ると

こんな感じ

本数は結構あります。ズバリ錦帯橋行きもありますし、錦帯橋経由で新幹線の新岩国行きもあります。どうもこの停留所から出るバスはすべて錦帯橋を経由するようです。1時間に3本ほどあります

乗ると10分ほどで

素晴らしい錦帯橋に出会えますよ

ちなみに私はテレビや写真などでしか見たことがなく、橋と川だけを見て、かなりの山中にあるのだと思い込んでいました。全然違います。どちらかといえば町中でした(汗)

さて帰りというか岩国駅まではどうやって帰るのかということになりますが、これは全く心配ありません

来る時に降りたバス停の向かいに大きく岩国行きバス乗り場の表示があります

岩国駅に至るルートは複数あるのか、私はずいぶんと小さいバスだな、と乗り込むと坂道だらけの住宅街を回るコース。でも最後は岩国駅に着くので問題はありませんでした

ある意味、工事中の西岩国駅を見るのも数少ない機会(負け惜しみ)かもしれません。西岩国駅訪問からの錦帯橋は、バスで行くなら、お間違えのないようにしてくださいね

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グリーン車に乗っているので、グリーン車よもやま話を

コロナのおかげで失われた楽しみ

本日はエクスプレス予約のこだま早特で東京に向かっています

現在、車中で執筆中(公開は到着後になります)

こだまグリーン早特は3日前までの予約で格安でグリーン車に乗れるサービス。新大阪~東京が1万1410円です。通常料金はエクスプレス予約でも普通車で1万3620円、グリーン車で1万8480円ですから、4時間かかることを考えても日程に余裕があるなら、かなりお得です。まぁ私も時間に余裕があるというか、正直ヒマなので(笑)こうやって車内更新となっているわけですが

私的にはポイントは3日前までの予約が可能ということ。ただし当日になっての変更はできません。何らかの理由で乗れなくなった場合、自由席で、というわけにはいかず、一から別の新幹線を予約し、料金を払う必要があります。それでも3日前というのは、ビジネスも含め、かなり旅程が煮詰まっているので、急な変更の可能性は少なくなっているはず。ちなみに、この制度はのぞみにも適用されていてグリーン車だけ割引があり1万5940円と通常グリーン車よりは、お得です。新幹線も割引にはいろいろなものがありますが、21日前までの予約となると、ちょっとおっかない気がします。3日前ならリスクは減っているでしょう

ですから、コロナ前のまだ会社員時代、重要な会議が午後からだと、よく利用しました。経費削減にもなっているわけですから会社には喜ばれた(はず)

前述した通り、遅れるわけにはいかないので新大阪には早めに到着。喫茶店で時間をつぶせるほどの余裕がありました(こういう出費が出てしまうので料金安のアドバンテージが減っていきます)

グリーン車に乗り込んでみると、おや??

シュプリームではないですか。ふだんはそういうことを意識せず新幹線に乗るので、これはラッキー。シュプリームのグリーン車は2回目。早特と同じようにトクした気分になります

車体は米原駅で撮影したものです

先ほど「コロナ前は」と書きましたが、コロナの前はこだまにも楽しみがありました。それは駅弁です。通過待ちのため長時間停車することが多いので、当地の駅弁を買うことができるのです

私がいつも買っていたのは米原駅ホームの駅弁。都合良くグリーン車近くにお店があるのですよ。新大阪から乗ると、ちょうどお腹も減ってくるころだし、食べた後も寝る時間はたっぷりある。新幹線に乗りながらも、のんびり旅ムードが味わえます

しかし、コロナでこの楽しみが激減。以前、米原駅ホームのお店が休業したとのニュースを見ました。その後のことや他駅の事情は分かりませんが、そのリスクを負うのはあまりにも危険。こだまには車内販売がないのです

ということで

先に買いました。新幹線弁当と迷ったのですが、新幹線弁当は東京からでも帰るので大阪色の濃いものを。ちなみにのぞみで東京に向かう場合、ふだんは缶コーヒーか水ぐらいしか買わないので、ここでも料金のアドバンテージが失われることになるのですが

ただ、こんな時しか確認できないので米原に着いた際、確認してみました

やはり…泣

今後のためにも長時間停車しそうな駅のチェックをしなければならないですね。ただこれに乗るのは基本的に上りと決まっていますから、静岡より西でないと私には使いづらい気もします(浜松も休みのようでした)

あれは何だったのだろう?

ここからは蛇足のお話です。コロナ前に東北地方に出かけた時のこと。新庄から東京に向かうことになりました。山形新幹線なんて乗る機会が少ないので、ここは奮発してグリーン車に乗ってやろうということになり

いい感じですよ

山形新幹線はグリーンの座席数は少ないのですが、当日はガラガラ。これまたいい感じ。お弁当食べながらご機嫌に車窓を見ていました

すると山形で

失礼します

の声がして、私の隣の通路側の座席のきっぷを見せ、若いお兄さんが座ってきました。はぁ??なんて感じでしたが、これは圧倒的に向こうが正しい。座席に置いてあった荷物を棚に置きました。この後、どこかからいっぱい乗ってくるのかなぁ?と思いました。それが普通の考え

しかし結論としては

東京までガラガラのグリーン車で私の座席だけが他人同士2人座る

という奇妙な光景が繰り広げられました。あれって何だったのでしょう。窓口で何も言わずに発券すると空いている窓際のきっぷが出てくるはずだし、通路側と指定してもできるだけ隣に誰もいない席になるはず。まぁ私は人間ができていないので、ずっと仏頂面でした

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その6~今旅の北限の駅へ

3月24日12時20分

発展する西側に対応

鯖江からひとつお隣の北鯖江で下車しました

島式ホームです。今回訪問した各駅では珍しい構造。どの駅でも見た雪メーターがあります

駅舎は線路の東側にあります

瓦屋根の駅舎。北陸本線の福井県内の駅は1948年の福井地震で大きな被害を受け、それに伴う改築、新築が多いのですが、こちらは1955年の開業で当時から同じ姿です。島式ホームなので駅舎からは跨線橋で向かいます

無人化されていて駅舎内だけでなくホームにも待合室が設けられています。跨線橋を慌てて渡るリスクを考えると冬場にはありがたい。そして跨線橋からは西側にも出られるようになっていてICリーダーが設けられています。前回の鯖江駅の項でも記しましたが、後から駅舎と反対側がにぎやかになってくると、どうやってそちらに出るかで利便性が大きく変わるのですが無人駅だと対処しやすいですね。駅の西側は国道8号を挟んで福井鉄道が走っていて、国道沿いにあるショッピングモール、アル・プラザの最寄りにもなっているようで週末は西口がにぎわうそうです

大いに勘違いしていた私

北鯖江から再び武生まで戻り昼食を摂り(私の探し方が悪いのかもしれませんがランチは鯖江より武生が目につきやすかったです)、またもや福井方面行きに乗車。前に行ったり後ろに行ったりでややこしい。福井を通り過ぎ、福井から3つ目の丸岡で降ります。今日は日帰りで、ここから敦賀方面のいくつかの駅に行けていないので日没を考えると、こちらが北限

丸岡といえば有名なのは丸岡城。私なんかは高校サッカーの強豪、丸岡高校を思い浮かべますが、丸岡の駅そのものは旧丸岡町ではなく旧坂井町にあり、丸岡の町の中心部はかなり離れています。恥ずかしながら訪れて初めて知りました。今は三国町、春江町とも合併して坂井市となっていて市役所は丸岡駅が最寄り。つまり坂井町の中心駅が丸岡駅だったんですね。50年以上前は当駅には京福電鉄の丸岡線というのが走っていて終点というか起点の本丸岡駅が丸岡町の中心地。今は本丸岡駅跡のバスターミナルが中心の役割を担っています

結構遠いですね。バスで検索すると「こちらの方が早い」と言わんばかりに徒歩が出てきました。考えてみると古くからの城下町の真ん中に旧国鉄の線路が敷かれたということは多くはありません。丸岡駅と丸岡バスターミナルを結ぶバス路線は、本数も多くないようで今は、旧丸岡町から福井市内へは直接バスで向かうのがメーンルート。ただし丸岡駅は坂井高校の最寄りでもあるので、多くの高校生が利用します

駅舎は12年前にリニューアルしたばかり。前述した福井地震は丸岡町が震源で、丸岡城も倒壊し丸岡駅も全壊。その後に復旧した駅がリニューアルされ、駅には多目的ホールも設置されました。私が訪れた時は

ひな人形のお出迎えがありました。地元の有志の方が毎年展示しているようです。これは良いものを見ました。その一方で駅舎の中は

1カ月ほど間に合いませんでした。残念

次の駅へと向かいます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その5~特急が連続停車

3月24日11時半

連続停車は画期的なことでした

武生の次は北へひとつお隣の鯖江で下車します

現在、鯖江駅を走る特急の主力は大阪行きのサンダーバードと米原or名古屋行きのしらさぎの2種類。もうひとつ朝夕に通勤者用の特急があります。サンダーバードの停車パターンは両駅を通過するか、両駅とも停車するかの主に2パターン。しらさぎは東京からの新幹線乗り継ぎ要素が強いのですべて停車します。通勤特急は当然停車

この2駅連続停車は、国鉄時代の特急では、ある意味御法度でした。急行と特急では料金が大いに異なり(その規定は今も残っていますが定期急行がないので有名無実状態です)、高いカネを払っている(取っている)のだから停車駅は限りなく少なくしないと意味がない、差別化できないとの考えがあり、近い場所に有力な駅が2つある場合は交互にどちらか停車させる千鳥パターンをとっていました。私が実際に体験したものでは神戸市の神戸と三ノ宮、広島県の福山と尾道などがそうでした。そもそも特急は原則全車指定席です

しかし国鉄の最後の方に「エル特急」が出現。お高いイメージの特急にもっと乗ってもらおうと、自由席を設けて停車駅も増やした「エル特急」は大いに受けました。今では信じられないことですが昔の急行というのはグリーン車以外は冷房が付いていないことも普通にあったのです。おまけに座席は4人BOXの背中直角シート。これまで停まらなかった駅にも停まるようになったし、少々高いカネを払っても特急車両で気持ちよく行こうという方が多かったのでしょうね。「でしょう」と書いたのは貧乏学生だった私には特急なんて高嶺の花。帰省の際に新幹線に乗るのが目一杯のぜいたく(半分ぐらいは大垣夜行でした)で、平素の旅行では急行を探して乗っていましたら

ただエル特急の効果は抜群で、主要路線の急行があっという間に衰退してしまいました。やはり自由席の採用が画期的なことだったと思います。別の角度から見れば、体のいい値上げだったわけで、コロンブスの卵というか、これを考えた人は凄い

めがねの街とコンクリ駅舎

鯖江は国鉄式の平面コンクリートです。私はこの「ザ・国鉄」駅舎が大好きなんです。近年、急速に姿を消していますが日本海側はかなり残っているイメージがあります

姿を消している理由としては老朽化ももちろんありますが、このようにコンクリートで固めた駅舎を規模の大きな駅に造ると、線路を挟んで駅舎の反対側にいる人は「駅前にいながら駅までが果てしなく遠い」状態になってしまいます。規模が大きければ大きいほど、線路の本数は多く踏切を設ける場所もどんどん遠くなります。駅ができた当時は街の中心部に向けて駅舎があり、それほど問題にならなかったことが時代が進むにつれて問題になっていきます。それを解決するのが橋上駅舎化や高架化で片方だけの古い駅舎は各地で姿を消していっています

解決策のひとつは歩行者のための地下歩道を造ることで、ここ鯖江も

地下の自由通路ができています。「めがねのまち」のシルエットが、さすが鯖江という感じがします

戦前に既にメガネの製造で東京や大阪を上回り、現在はメードインジャパンのメガネの95%を誇るメガネの街

こうやってメガネストリートを歩くこともできるようです

さて駅に戻ります

「きっぷ売場」の文字がいいですね。明らかに国鉄時代からのものと思われますが、いつまでも残ってほしいです

今も残る「特急」

さて手元に1988年3月の時刻表があります。JR移管後1年。既に昼間の急行は姿を消しています

サンダーバードもスーパー雷鳥もまだなく、エル特急雷鳥がずらり並んでいます。まだ昼行で大阪と青森を結んだ特急・白鳥は健在ですが、こちらはエル特急ではなく武生と鯖江は通過です。他はしらさぎと加越。しらさぎが名古屋行き、加越が米原行きなので、夜行を除くと今とほとんど同じ特急パターン。既に両駅停車が多くなっていますが、武生のみというダイヤが多い。しかし鯖江のみというのもチラホラ。昔の特急の名残が残っています。実は今も数少ないながらも存在していてサンダーバード上りで武生のみ停車が4本、鯖江のみ停車が1本、下りでは武生のみ停車が3本あります(鯖江のみはありません)。停車パタンの基準については分かりませんが、こうやって時刻表を眺めていると私は楽しくなってしまいます

 

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