JR

奥羽本線を行く~1区間だけのメインルートへ寄り道

能代駅の駅舎

2023年3月3日13時

全国優勝58回の超名門校

弘前からの東能代着は12時59分。衝動的に降りはしましたが、一応、時刻表はめくってある。ここで五能線へと乗り換えます。13時1分発の岩館行き。「岩館行き」というのが実は貴重なのですが、それについては後述します

5分もかからず、お隣の能代へと到着しました

JR東日本のGV-E400というディーゼルだけど電力で走行する新型気動車ですね。初めて乗りました

能代の駅名標。東能代以上に「バスケット」が強調されています

高校バスケットの名門で全国大会のいずれもで10回以上優勝している能代工業(秋田県立能代科学技術高等学校)によるものです

ホームにはゴールも設置されています。「58」というのは全国大会の出場回数ではありません。インターハイ、国体、ウインターカップを合わせた優勝回数。凄い数字です

能代市の代表駅

さて岩館行きに乗車していたお客さんは、私を含めほとんどがゾロゾロと能代で降りてしまいました。能代市の中心部に近く代表駅なんで当然といえば当然ですが、五能線のダイヤもかなり特徴のあるもものとなっています

こちらは能代駅の時刻表。リゾートしろかみは全車指定の観光列車ですから能代から先に行く列車は1日7本。それに対し東能代行きは倍近い13本もあります。どういうことかというと東能代~能代の1区間だけの運行列車が半数を占めているからです

奥羽本線は能代の街の外れを走っています。東能代駅の開業は1901年の明治34年。当時の技術的にも地形的にも米代川に阻まれて奥羽本線は能代の中心部を通しにくかった。そこで現在の東能代駅を能代駅として設置しました。ただ街の中心部を通らないのはいかがなものかとなり、1908年に現在の東能代~能代線が支線として開業。後に能代線と名付けられました。現在の能代駅は能代町駅を経て現駅名に、最初の能代駅は2度の改名で東能代となっています

五能線の能代以遠が開業し始めたのは10年以上も後のことです

青森県の本八戸と八戸の関係と八戸線の開業理由と似ていますね

ただ八戸~本八戸は2区間で、八戸線の区間列車は本八戸止まりではなく4駅先の鮫まで運行されていることと比較すると1区間のみの運行は、かなり際立っています

高校野球で熱気

能代の改札口。東能代とは異なり自動改札機はありません。シルバーのラッチが現役なのがいいですね

立派な駅舎を携えています。構内にはコンビニもあります

駅前のロータリー。ご覧のようにここでは雪はほとんど姿がなくなっていました。ただ決して暖かくはありません

少し時間があるのでそばを食べてお昼としました

駅に戻ります。無人駅ではありませんが、かつてのびゅうプラザはなくなり、自動券売機が置かれています。ついこの間までは管理駅で東能代、能代と在来線のお隣同士の駅が管理駅になっていました

ちょうどセンバツ高校野球の直前で当駅が最寄りの能代松陽高校の出場で駅のあちらこちらで盛り上がっていました

東能代行きの改札開始を告げるアナウンスが流れ、多くの高校生がホームに向かいます。私も東能代から再び奥羽本線に乗ることにします

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奥羽本線を行く~バスケの町へ寄り道

東能代駅の駅名標

2023年3月3日11時30分

偶然重なったデビュー日

川部の滞在は45分。あっという間でしたが、ここからはあっという間ではありません。10分ほどで弘前に到着します。ちょっとだけ気分転換で外に出ます

弘前の立派な駅舎を少しだけ見る

青森もSuicaエリアになるんですね。計画したわけではありませんが、まさに記事を書いている今日が「デビュー日」です

特急乗り放題だけどトコトコ奥羽本線

弘前下車は運転停車の3分を利用してダッシュで行ったもの。ここから長いトコトコ旅となります。4年前は青春18きっぷで秋田を目指して新青森からスタートし、途中大館での昼食休憩を挟んで秋田までたどり着きましたが、それでも大館~秋田は2時間。夕方の帰宅&下校ラッシュにもはまったため、2両編成の電車は超満員で景色すら眺めることができず、かなりしんどかった。18きっぷの辛いところです

ただ今回持っているのは東日本パスなので特急も乗り放題。快適な旅を…と思ったはずですが結果はやはり秋田までトコトコ旅(泣)。新青森の項でも触れましたが青森~秋田の在来線特急「つがる」が1日3往復しかないからです。ここ弘前でつがるが来るのは2時間後。ホテルで朝食をさんざん食べたので、お腹はすかない。今乗っている普通にそのまま乗車しても秋田に1時間半も早く着いてしまいます(要は後続の特急に乗車しても30分ほどしか時間が詰められない)。ということで再び普通に戻る。弘前から秋田まで2時間半の普通電車旅はそれなりに堪えます

ただ前回とは違い、今回は車窓を眺める余裕はあります

弘前あたりで消えた雪景色が鷹ノ巣あたりで復活。気候のことは分からないのですが、交互に車窓を彩る景色は楽しい。このあたりで弘前から1時間です

衝動的に降りてみる

さらに揺られること30分。東能代接近のアナウンスがあり、降り支度を始める人が多い中、なぜか私も降り支度。秋田からは羽越本線に乗り継ぐ予定で14時1分に秋田に着いて14時31分発の電車に乗る予定。次のつがるだと間に合わないので鈍行旅を選んだのですが、なんとかなるだろう、と急に東能代で降りてみたくなりました

東能代は自動改札機も備えた駅。管理駅で全列車が停車します

五能線も含め、こちらを行き来する列車は何度も乗っていますが降りたのは初めて。それも衝動的行動のひとつですが

能代といえばバスケット。いつも車窓から眺めているだけだった、構内のこのリングを生でながめたかったのです

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奥羽本線を行く~明治生まれの駅舎で18きっぷを買う

川部駅の駅名標

2023年3月3日10時30分

乗客の多さにビックリ

川部駅に到着しました

駅名標が分岐しているように奥羽本線と五能線の接続駅となっています

ここまで車内が混雑していたことにまず驚いていたのですが、多くの人がこちらでドッと降りて二度ビックリ。その点は考慮していなかったのですが、本数が多いとはいえない五能線の接続電車だったのです

跨線橋を渡った方々はどんどん五能線の列車に吸い込まれていきます。そこで現在は青春18きっぷの期間でもあることに気付きました。もちろん私が使用している東日本パスも期間内。昨秋は両者が重なることはなかったのですが、今回は重なるのですね。それは人も多いはずです。私が七戸十和田から乗車したはやぶさが東京からの始発で、こちらにきっちり間に合う。今日は金曜日で3日間有効の東日本パスは今日さえ休みをとれば、うまく土日に重なるわけです。なるほど、と納得。今日からは他の列車も混雑しそうだと身構える

五能線の案内がありました

五能線の終点を告げる案内標

ただ私の目的は五能線ではないので改札に向かいます

間もなくお別れとなる明治の駅舎

今回の旅でのミッションは3つあって、未訪問だった東北新幹線駅訪問はすでに達成。2つ目が川部駅の訪問でした

開業時からの駅舎が残る川部駅。雪がよい風情をプラスしてくれていますね

財産票も当時のものだと告げています

ただこの駅舎はこの時点で改築が決まっていて、JR東日本の発表では旧駅舎の面影を生かした改築とのこと。そしてもうひとつの大きな変更は3月18日から無人駅となることで、訪問時は健在だったみどりの窓口はなくなります

そこで「今期の青春18きっぷを川部駅で購入する」とのミッションを付け加えます

ただ私が改札を出た時は駅スタンプを熱心に押して入場券を購入するグループの方がいたので、私は先に写真撮影をすることにしました

ギリギリだった18きっぷ購入

駅舎内です(きっぷ購入直後の写真)。ストーブがいい感じ。人もいなくなったので早速、ミッションに移りましょう

そこであるものに目がいく

時刻はすでに10時35分。これは気付きませんでした。危ない危ない

ということでミッションも無事達成

ビューカードで購入すると駅名が入るはずです(要確認事項)。これで5回の旅は「川部駅発行」の文字を見ながら旅ができます

ついでに入場券も購入しました

駅スタンプとかわいい駅の模型

「村」のみどりの窓口

まだ時間はあるので駅の向かいで恒例の100円コーヒータイム。身体が暖まる

こちらは仮設トイレ。すでに工事は一部始まっているのでしょうか

駅舎内に戻るとすでにカーテンは閉ざされていました。私の前で窓口が開くことは、もうありません。駅の住所は青森県の田舎館村。「村」にあった貴重なみどりの窓口でした

年季の入った跨線橋はしばらく保たれそうです

JR東日本の発表では新駅舎の利用開始は5月27日となっています

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奥羽本線を行く~青森で変わりすぎた姿にぼう然

新青森駅の駅名標

2023年3月3日9時20分

散水をながめながら

新青森に近づくと車窓からは融雪の散水が見られます。東北って、これまで夏と秋にしか来たことがないので初めて見る光景に見とれてしまいました

新青森に到着。この列車は新青森止まりのため、ドッと人が降ります。こちらは過去何度か来ています。ここで奥羽本線に乗り換え

美しいリンゴの鈴に一瞬、見とれてしまうが、七戸十和田からの車窓で私は心配でたまりませんでした

銀世界の貨物列車

奥羽本線のホームをのぞくと、完全な銀世界。盛岡から北上すると急に景色が変わることを前日から痛感しています

当然ながらホームもこんな様子

貨物列車がやってきました。貨物が雪の中を走る姿は、とても美しいのですが私はカメラを構える手がすでに震えつつありました

新青森駅の意味合い

青森の中心駅はもちろん青森駅ですが、かつてフェリー乗り場に直結していた青森駅に新幹線の駅を設けるとスイッチバック構造になってしまうので、それを避けるために青森から1駅のところに新青森駅ができました

世間的に有名ではないのですが、開業は国鉄末期の1986年と意外と古い。将来の新幹線駅設置を目指して早々に駅を設けたものの、寂しい単式ホームのみの駅が20年以上そのままにされていたという歴史を持っています

ここから北側は北海道新幹線となりますが、貨物列車に限られるため、表現が的確かどうか分かりませんが、この先で北海道新幹線は津軽線と一緒になります。東北新幹線が新青森まで延伸した2010年12月から北海道新幹線が開業した2016年3月まで函館からの特急はすべて当駅始発となりました

と同時に旅客の便宜を図るため、青森~新青森間に限っては特急料金を支払わなくても特急の自由席に乗車していい特例措置も誕生。当初は普通乗車券のみの適用でしたが、その後青春18きっぷでも乗れるように改められています

津軽新城駅の意味合い

ホームにいたタイミングで普通電車が来たので乗ることに

電車からはお客さんがドッと降り、私が乗ると車内はこんな感じで、ほぼ貸切状態。数人がパラパラ乗っていますが、見たところ明らかに同業者(鉄道ファン)です。それもそのはず。この電車はお隣の津軽新城駅で終点なのです

青森~新青森~津軽新城という3駅2区間のみの電車なのですが、この運行はかなり行われています。北海道新幹線が開業したことに伴い、函館からの特急はすべて姿を消しました。つまり青森~新青森の列車がそれだけ少なくなってしまったのです。特急の自由席に乗れる運賃の特例については先に説明した通りですが、適応する特急は青森~秋田の「つがる」3往復のみ。これでは青森~新青森のシャトル感が失われてしまうので、このような運行の普通が多く設定されました

かつて函館からやってきた特急は新青森が終点(始発)だったものの、新青森には折り返し能力(設備)がないため、一度津軽新城まで回送運行され、待機した後で折り返していましたが、さすがに特急停車駅にはなりませんでした。当時は特急の運行を補うように青森発新青森行きの普通電車もわずかに運行されていましたが、函館からの特急が姿を消したことで普通もすべて津軽新城行きの折り返し運行となりました

要は津軽新城で待っていても、ここ新青森で待っていても結果的には同じ電車に乗るわけですが、久しぶりに津軽新城駅に行ってみたいと、ガラガラの電車に乗ったわけです

昨年12月だったとは

津軽新城にはすぐ到着

ただ跨線橋を上がる時からおかしな雰囲気はありました

十数年ぶりに訪れたのですが、当時は趣のある明治生まれの木造駅舎があったはず。いつからこのようになったのかと調べると、昨秋に仮駅舎となった後、12月に新駅舎となったとか。まさにタッチの差ですが、事前に調べていなかった私は、ぼう然としてしまいました。各地の駅を回っていると、こんなことが特に最近多い

そろそろ今冬の役割が終わりそうな除雪車を間近で見られただけよしとしますか

跨線橋だけは古いものが残されていたことだけが救いでした

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新幹線単独駅巡り再び~日本に5つの自治体

いわて沼宮内駅のIGRいわて銀河鉄道の駅名標

※新幹線単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日15時50分

「いわて」の付いた由来

盛岡で乗り継ぎに余裕があったので一度駅前のホテルにチェックインしてから再び駅へと戻り、再び新幹線に乗車。いわて沼宮内に到着です

東北本線時代は沼宮内という名前で2002年に東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸された際に駅名変更となりました

3階建ての立派な駅舎はその時に完成しました。岩手広域交流センターにの中に駅が設けられている形になっていて駅の中の人は多い

「いわて」の名前ですが、一見すると「岩手県」を想像してしまうかもしれませんが、ちょっと違う

駅前の像で分かる通り、ホッケーに力を入れている岩手町の「いわて」。当駅が岩手町の代表駅であることを分かりやすくするため「いわて」の3文字が入りました

駅前の岩手町の案内図。都道府県名と同じ市町村名でありながら県庁所在地でないという自治体は日本に5つあって、そのひとつ。他は茨城町、栃木市、山梨市、沖縄市です。ちなみにメディアには「県庁所在地を報じる時は県名は略する」というルールがありました。つまり盛岡市での出来事を報じる時は「盛岡市で行われた○○」、岩手町での出来事を報じる時は「岩手県岩手町で行われた○○」と表記されるわけです

JR東日本の新幹線駅で最小

こちらは新幹線の改札口。随分コンパクトですが新幹線駅の利用者はコロナ前でも1日に150人程度でJR東日本の新幹線駅では最小の利用者

これは到着時のホームの案内表示ですが、次の列車が2時間後、その次も2時間後

駅の時刻表を見ると2時間に1本の停車で、始発も遅め。東京へもっと早い時間に行きたい場合は、IGRいわて銀河鉄道に乗って向かうことになります。このあたりは本数が少ないから利用者が少ないのか、利用者が少ないから本数が少ないのか微妙なところですが、IGRいわて銀河鉄道でも30分で盛岡まで行けてしまう近さも本数の少ない理由のひとつになっていると思われます

急な吹雪で厳寒に

私も盛岡に戻りますが、新幹線を待つよりIGRいわて銀河鉄道の方が早いので、そちらに乗車することにします。話の順序が遅くなってしまいましたが、盛岡以北の東北新幹線は整備新幹線となるため、並行する在来線は新幹線開業時に三セク化されています

こちらはIGRいわて銀河鉄道の改札口。今回利用しているきっぷは同線にも乗車できます

こちらはIGRいわて銀河鉄道の駅名標。背後に新幹線の高架。しっかりホッケーが描かれています

ここで偶然にも貨物列車がやってきました

貨物列車が見られるのは三セク乗車の楽しみですが、白石蔵王から少しずつ北上してきた今回の旅で初めて見た光景があります。それは雪に覆われたホーム。同じ岩手県でも一関や水沢あたりでは雪は全く見なかったのですが随分と異なる光景。そのうち横殴りの猛烈な雪が降り始め、私はホームで震え上がっていました。思えば10日ほど前に米子で猛烈な寒さに出会い、その後「随分と暖かくなったなぁ」と感じていたのですが、その考えは大いに甘かったようです

写真では分かりにくいかもしれませんが、激しい雪の中やってきた電車にありがたく乗ることにしました

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新幹線単独駅巡り再び~キャラに圧倒されっぱなし

一ノ関駅の在来線と新幹線の乗り換え改札

※単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日13時50分

誰もが知る有名駅

水沢江刺から1駅戻って一ノ関駅に到着しました。誰もが知る有名都市の有名駅。ちなみに都市名は「ノ」が入りません

もちろん東北新幹線開業時の設置で在来線も東北本線、大船渡線が交差。東北本線の列車は当駅で運行が分断され、またぐ運行もありません。交通の要衝でもあります。乗り換え口も、これでもかというほど大きな表示で分かりやすくなっています

新幹線と在来線ホームの間には留置線があります

駅の西側が駅舎側で街が広がっています

こちらは西口で駅としての機能はすべてこちらに集中しています

東口はおそらく駅舎と逆側からの通行に配慮したもので簡易な構造。一ノ関駅は明治以来の古い駅ですが、東口はできてまだ20年ほどです。地図や写真で分かる通り、在来線と新幹線の間は結構な距離があるので西口から新幹線に乗車する場合は余裕を持って駅に着く必要があります。在来線改札から新幹線改札まで5分は見ておいた方がいい

在来線ホームの駅名標にて

在来線ホームにやってきました。案内表示はかなり古典的なものが、使用されています。2面3線構造。緑が東北本線、オレンジが大船渡線のラインカラー。前述したように東北本線も含め、すべて当駅が始発となります

こういう分岐駅の駅名標が好きなんですよ。ともにJR東日本の路線のため、会社別の色分けはないでしょうが、JR東日本の駅名標はこのあたりにしっかり対応します

早速、上を見上げると

ア、アレ???

分岐よりも楽しげなポケモンに目が行ってしまいます。一ノ関がポケモントレイン気仙沼号の発着地であることを思い出しました

跨線橋への階段付近でもお出迎えがあり

西口改札手前にはズラズラと圧巻のヘッドマーク集合。ポケモントレインは週末の運行で、平日のこの日は姿はありませんでしたが、親子連れが熱心に記念撮影をしていました。週末となると凄いのでしょうね

この顔出しパネルは昨秋訪れた気仙沼駅でも出会いましたね

私がポケモンの存在感を知ったのは20年以上前。休暇をとってベルギーを訪れた時のこと。ちょうど週末で街の中心部を歩いていると、出会う子供たちの「ポケモン率」の高いこと高いこと。キャラクターの服を身にまとったり、風船を手にしたりで、とにかくポケモンが目立っていました。もちろんポケモンの存在は知っていましたが、海外で人気を目の当たりにして存在感の凄さをあらためて知ることになりました

20年以上経過しても人気は健在です。ポケモントレインは運行開始から10年以上が経過していますが、今ももちろん人気車両です

外に出ました。駅の開設は1890年の明治23年でまだ19世紀と長い歴史を持ちます。現駅舎は1970年に改築されたもので、国鉄らしい重厚なコンクリート駅舎。ひらがなの「いちのせき駅」がいいですね。もちろんポケモントレインも世界遺産のふもとでしっかり存在をアピールしています

再び新幹線ホームに向かうと「待合室」の古い文字を発見。もっとも正確に言うとポケモンの写真を撮ろうとしたら同居していたということです

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新幹線単独駅巡り再び~毎日流れていた曲が聞こえる

水沢江刺駅の駅名標

2023年3月2日13時20分

ホームを歩いていると

水沢江刺駅に到着しました

ホームはとても狭い。東北新幹線の新駅は利用者はそれほど多くはないと見込まれたため(結果的にコロナ前で1日約2000人)ホーム幅が狭いことも特徴のひとつ。開業後に17両編成に対応できるようにするため、ホームを延長したおかげで細いホームが延々と続いている印象です

そんなホームを歩いていると、流れてきたのは大滝詠一さんの「君は天然色」。事前知識のなかった私はピクンと反応してしまいました

私事で恐縮ですが、この曲は1981年のもので、ちょうど高校を卒業して予備校生活を送っていたころにリリースされたもの。当時は10代=ラジオの全盛期で、浪人生活の1年間、ずっと流れ続けていた記憶があります。調べるとリリースは81年3月。まさしく年度の始まりで印象としては夏に流れていた印象です。実家の奥に同曲が入ったベストセラーのアルバム「A LONG VACATION」が残っているはず(CDではありません。もちろんアナログ盤)ですが「予備校生にバケーションも何もないよな」と思ったものです

駅を出ると大変分かりやすい横断幕がありました。大滝さんは今は奥州市の江刺市出身(正確に言うと当時は江刺郡で江刺市を経て奥州市に)。もちろんこの時、初めて知りました。あまりメディアには出ない方で自らについて語ったのを見聞きした記憶がなく、伝説のバンド「はっぴいえんど」からの、おしゃれな曲や落語への造詣の深さから、てっきり東京の方だと思い込んでいました。曲がリリースされたてから40年も経ち、駅に降りたことで、ひとつ勉強になるとは、オタク趣味もなかなか捨てがたいものです

各地の請願駅のはしり

こちらが駅舎。東北新幹線開業から3年後に請願駅として開業しました。まだギリギリ国鉄の時代ですが、新花巻駅と同時期に設置。JRになって各地で建設された地元が建設費を負担する請願駅のはしりにもなりました。国鉄むによる開業時の駅ではないのでオシャレな感じです

新幹線単独駅で運賃計算の対応は水沢駅

駅前の地図です。こうして見ると近いようですが

車で10分以上要するので、それなりの距離があります。そもそも水沢の市街地を避け、用地確保がしやすい場所に敷設したので、やむを得ないこと。案内イラストにはかわいいトンネルがいくつか描かれていますが、トンネルを掘ってまでも北上川の対岸に線路を通したことがよく分かります。ただ当時の国鉄は新幹線北海道延伸の際は深夜運転を計画していて、単線運行用(保線作業のため片方の線路は使用しないため、すれ違いの場所が必要となる。山陽新幹線の駅が兵庫県に4駅もあるのはそのため)に当駅付近に駅を設置する計画がもともとあったとも言われています。

奥州市といえば…

改札を出ると奥州市の観光案内所があります

容易に察しがつくように駅名は水沢市と江刺市を合わせたもの。江刺市には元々、鉄道駅はありませんでした。最初に熱心に新駅の招致運動をしていたのは水沢市で、駅名も「新水沢」に想定されていたようですが、後から江刺市が参加したした形になり、都市名併記については随分ともめた記録が残っています。もっとも現在はともに奥州市。新幹線の駅名でもめた末に結局は平成の大合併で同じ自治体になったという例は先に紹介したくりこま高原駅のように、かなりあります。那須塩原市のように地名を合わせた駅名が結局、都市名になったことも

さて冒頭で大滝詠一さんのお話を延々とさせていただきましたが、現在奥州市といえば大谷翔平選手のほぼ一択でしょう。当駅にも大滝さんとともに大谷選手のコーナーもあります。ただ写真の権利が不明でブログに掲載するのは控えます。訪問時はWBC直前だったので今はさらに模様替えされているのでしょうか。ぜひ実際に足を運んで目にしてください

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新幹線単独駅巡り再び~「基本駅」へ徒歩でも可能

白石蔵王駅の縦駅名標

2023年3月2日10時30分

読みは「しろいし」

仙台から1駅南下し、白石蔵王駅で下車しました。つい「しらいし」と読みがちですが「しろいし」です

駅名で想像できるように東北本線との対応駅は白石で、しかもかなり近い

歩いても20分かからないので車だと瞬時に着いてしまいます。白石蔵王駅は基本的に1時間に1本の停車で、バスも同じぐらいのペースで運行されているようです

利用者数では白石が圧倒

こちらは駅舎です

改札でのお出迎えもあります

白石市は宮城県南部にあたり、鉄道的にも福島県と接する場所にあります。南下すると福島県との県境には越河越えという難所の峠越えがあり、鉄道泣かせでした。越河と書いて「こすごう」と読むのは、なかなか言い得て妙で、仙台から東京への鉄路として常磐線経由が重宝されてきた理由にもなっています

白石蔵王は東北新幹線開業時にできた駅ですが、福島~仙台は約80キロと長すぎることから、峠を越えたここに新幹線の駅を設定することになりました

ちなみに福島までが35キロ、仙台までが45キロと福島の方が近いのですが、とにかく険しい峠となっていて、白石はその中継地となって栄えました

仙台からの在来線は白石までは昼間は1時間に2本の運行ですが、白石から先の福島方面への県境越えは1時間に1本。冬場は運休も多い区間で、運行面でも白石が終点となり、あらためて福島方面へ乗り換える形が多い

このように仙台への通学通勤圏の東北本線の南端ともなっているため、駅の利用者は白石駅が白石蔵王駅を圧倒しています

北海道の同名駅との深い関係

ではなぜ同じ場所に新幹線駅を設置しなかったかというと、ルート的に川幅が大きくなっているところを渡ることになる上、線形が悪くなるのを避けたからのようです。またコース的に在来線と新幹線が交差する地点がありますが、こちらは市街地から離れすぎている上、新駅設置のコスト面もあって想定されませんでした

駅では、このように歓迎してくれます。片倉小十郎重綱が大坂の陣で真田幸村と激闘を繰り広げ、最後は敗れることになる幸村の子供をかくまったという逸話があります

その片倉氏は仙台藩の白石城城主として幕末まで続きますが、明治維新の際にその家臣が北海道に移住。その地が札幌市の白石です。宮城県と北海道に同名の白石駅があるのは偶然ではありません

1982年の東北新幹線開業時からの駅だけに

古典的な文字案件も残ります

白石蔵王駅は単独駅ながら管理駅として白石駅も管轄しています。ただ訪問時には

このようなお知らせもありました

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新幹線単独駅巡り再び~鉄道開業150周年記念パスファイナル

仙台駅の駅名標

2023年3月2日7時

東北新幹線の駅を回る

ようやく暖かさを感じ始めた3月に入ってすぐ。大阪空港から仙台に向け飛び立つ

昨年10月と同じ行動。仙台行きでは空港内のバスに揺られてタラップを上がるという経験ができます

今回利用するのは、その時と同じ「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。ただ今回は「ファイナル」のタイトルが付けられています

きっぷの中身は前回と全く同じでJR東日本が新幹線も含め3日間、乗り放題。JR東日本が管轄するBRTや東北の三セクの一部にも乗車できます。お値段は2万2150円

今回は東北新幹線の単独駅を中心に降りたことのない新幹線駅訪問を目指します。昨秋、北陸新幹線や上越新幹線で同様のことを行った時にも記しましたが、駅巡りをする課程で最もやっかいなもののひとつが新幹線駅。本数の少ない閑散ローカル線は「手段」という意味で難しいのですが、こちらは「金銭」という面のアプローチが難しい。そしてドル箱なんで、当然といえば当然ですが、JR各社も新幹線まで乗り放題というきっぷは、なかなか出さないものです。乗車券部分のみフリーで新幹線代は別に出してください、というものがほとんどです

それが今回、昨秋に続き、また同様の企画きっぷをリリースするという。しかも「ファイナル」。これは利用の一手でしょう

うまい具合にというか、航空会社のマイレージで3月で期限を迎えるものが、かなりあって、どうしようかな、と思っていたところだったのです。ちょうどよいきっかけにもなりました。目指すは東北新幹線。関西に住んでいる者としては、こんな機会でないと、時間的にも金銭的にも訪れることが困難になる駅が多いのです。利用するなら、きっぶの利用期間の最初である3月2日からと決めました。こちらはすでに報告しましたが2月21日に、伯備線特急やくものパノラマカーに乗車して、豪雪と厳寒に遭遇したばかりですが、それから急に暖かくなっていました。もう春の足音。さすがに大丈夫でしょう(という考えが大いに甘かったことを後で思い知らされる)

240円を節約

仙台空港に到着。昨年10月と全く同じ便なので仙台空港アクセス線への乗り継ぎ所要時間も分かっています

サクサク乗り込みます。ただ当時と異なるのは

ここ名取で下車したこと。名取駅はアクセス線との接続駅。アクセス線はもちろん仙台まで直行しますが、駅名板を見ていただければ、お分かりのようにJRの駅です。常磐線の乗り入れもあって重要度も高く、1日に万単位の利用者があります。もちろん、みどりの窓口の他に券売機もある

無事発券できました。なぜわざわざ名取で降りたのかというと

こちらは仙台空港駅のものですが、アクセス線はこのきっぷの対象外のため、別料金が発生します。発券の駅までは別料金で行くしかないので仙台まで行くと660円かかるのに対して名取で発券すると420円で済む。つまり240円の節約。随分とセコいですが、道中お世話になるだろう缶コーヒーを2本飲めるのでバカにはならないのです。前回は仙台での乗り継ぎがギリギリだったので660円支払わざるを得なかったのですが、今回はしっかり節約です

実はこの発券、コロナ禍前に仙台を訪れた際、仙台近郊のフリーパスを購入した時も同じ行動をとりました

とうことで仙台駅の新幹線ホームへ。まずは北上するのではなく南下からスタートします

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阪和線の日根野以北を足早に回る~最終項…頭端駅が美しい天王寺

天王寺駅の駅名標

2022年12月8日12時30分

面影を残す

今回の旅の終着駅である阪和線の天王寺(公式には阪和線の起点)に到着です

梅田付近から和歌山や関西国際空港に直接向かう人は環状線を通って、そのまま阪和線に直通するため、意外と降りることが少ないかもしれませんが

天王寺を起終点とする電車は、こちらから出ます。ご覧の通り頭端構造。阪和電気鉄道のなごりというか、同社の駅だったので頭端式となっています。私鉄の大型ターミナルだったわけです

南海との合併を経て戦時買収

阪和電鉄は戦時体制そして戦争によって大きく運命が変わります。まず私鉄の再編によって南海と合併したのが1940年。元々が南海のライバルとしてできた会社ですが、国策ということで同じ会社となり「南海山手線」と改称。しのぎを削ることはなくなりました

さらに戦時中の1944年に今度は南海山手線の部分が「戦時買収」で国鉄となり、現在に至ります

鉄道国有法がすぐ有名無実化したことは以前に触れましたが、この戦時買収は有無を言わせず国有化するもので「買収」とは名ばかりの強制的な国有化でした。仙台から松島へ向け、JRの路線が2つある不自然さも仙石線が戦時買収によるものだから(東北で唯一の直流方式なのもそのため)です

日本中で多くの私鉄が国有化されました。ただターゲットが物資運搬色の強い路線だったため、阪和線や南武線のようにその後、ドル箱路線になったのは大都市圏周辺のごくわずかで、後に廃線になったものや国鉄を経て引き継いだJRが「もうやめたい」と言っている加古川線や小野田線のような路線が多いのも事実

特筆すべきは飯田線で山中を細々と走るローカル線が、なぜ立派に電化されているかというと複数の会社を戦時買収したからで、戦時買収というものがなかったら、今ごろは廃線となっているかもしれません

話は少しそれますが、この1944年には「国からの要望」と、これもまた半ば強制で南海は大阪から三重県まで幅広いエリアを持つ「関西急行鉄道」という会社と合併して新会社「近畿日本鉄道」が発足しました。戦後、南海は同社から離脱して元の形となりますが、会社名は残りました。言うまでもなく現在の近鉄です

ライバル心が発展に寄与

こちらは鳳駅(2021年3月撮影)。阪和線唯一の支線である羽衣支線が発着します

こちらは東羽衣駅(2021年3月)。「東」とつきますが南海の羽衣駅と同じ場所にあります。詳細は以前、別媒体でも記したので簡単に触れておくと、2キロにも満たない鳳~東羽衣の1区間は今や、JRと南海を結ぶ貴重なアクセスとなっていて乗り換えの案内放送もされていますが、もともとはそんな立派なものではなく、当時東洋一と呼ばれた浜寺の海水浴場の集客に目をつけた阪和電鉄が「客を奪ってしまえ」と南海の線路手前まで強引に1区間のみを敷設したもの

なかなか無茶苦茶な話ですが、和歌山まで高速列車を走らせて沿線では遊園地造営に宅地開発、温泉、さらには南海沿線にある競馬場や海水浴場での利用客争奪と、阪和電鉄は、存在したわずか10年の間に「ありとあらゆる手段」で企業努力をしていたことが、よく分かります

その功績は和歌山駅の現在などにも象徴されています

阪和線へのアクセスは容易すぎるほど容易で和歌山まで15分に1本の電車が走っています(昼間の和歌山への直通はこちらのホームからは出ていませんが)。天王寺の頭端式ホームからスタートして三角屋根の駅舎をはじめ、いろいろな歴史を見ながら鉄路をたどってみるのはいかがでしょうか

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