飛驒小坂駅

高山本線全駅訪問のシメ行脚~地元の愛情が詰まった駅舎もない駅は読み方注意

飛騨宮田駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

紅葉の美しさに触れつつバス停を目指す

飛騨小坂駅前の商店街から駅を見る。次はお隣の飛騨宮田駅訪問だが、レールとしての距離は3・4キロながら飛騨川を渡ってから進まないとたどり着かないので、歩くと1時間はかかりそう。次の列車までの時間はたっぷりあるが、ちょうど良い時間のバスがありそうなので、ここはバス利用。ただし高山~下呂を1時間に1本の頻度で走る便利なバスは駅の近くまでは来ず、停留所は川を渡った旧町役場方面にある

立派な彫刻付きの橋を渡る

川と紅葉のコントラストが美しかった

昼食はコープのおにぎり

道中コンビニはなかったが、コープはあった(事前に調べていたが)

地元産のおにぎりセットとお茶を買ってお昼としたが、後の報道でJAひだが経営するコープ11店のうち10店が閉店することを知った。地元の方にとっては辛い発表だったと思う。地方におけるスーパーは車で郊外店を目指すという形態にどんどんシフトしつつある

小坂町の停留所からバスに乗り

わずか5分で宮田停留所に到着。短い乗車だったが途中の道路は坂もあって、これはバスが正解だった。こう見ると最近はバス停も駅舎も区別がつかなくなっている(笑)

住民の思いに触れる

徒歩5分ほどで飛騨宮田駅に到着

駅舎はない。単式ホームと待合所があるのみ

高山本線のJR東海区間では唯一、駅舎のない駅だが

駅の解説板には当駅に対する地元の方々の思いが詰められている

開業は戦後の1955年(昭和30)で現在で言うところの請願駅だ

駅のあちらこちらに住民の思いがちりばめられている

高山本線のJR東海区間では唯一、開業時からの単式構造が変わっていない駅でもあるが、駅及び駅周辺はきちんと手入れが行われている

現在は下呂市だが少し前までは萩原町。明治半ばまでは宮田村も存在していた。お手洗いも設置されているが、これは地元自治体によるものだろう

見逃せないポイントがもうひとつ

今も残るホーローの駅名標。残された経緯については分からないが、ホームの電柱にしっかりと貼り付けられていた

さて、ホーローそのものがかなり傷んでいて。文字が読みにくくなっているが、駅名は「ひだみやだ」である。駅の住所も下呂市萩原町宮田だが、もちろん「みやだ」。ちなみに先に立ち寄った飛騨小坂駅は「ひだおさか」。高山本線は濁音の生むが難しい駅が多いが、こちらもそのひとつである

これで下呂以北の駅はJR西日本区間の富山まですべて訪問を終えた。ようやくカウントダウンとなったが、美濃太田~下呂には未回収の駅が2つあり、ここが意外と難所である。そちらを訪問するため、といっては変だが、本日はここまで。宿のある美濃太田へと向かう(と言っても1時間半かかる)ことにする

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高山本線全駅訪問のシメ行脚~開業時からの重厚な木造駅舎は伝えるものが多すぎる

飛騨小坂駅の駅名標

※訪問は2023年10月19日

ふんだんに材木を使用

禅昌寺から高山方面へと戻る形で飛騨小坂に到着。今回はあまりにも素晴らしすぎる駅舎から紹介しないわけにはいかない

開業は1933年(昭和8)。飛騨萩原~当駅が開通した際に終着駅として開業した。岐阜方面からの鉄路が当駅まで来たのが同年8月。富山からの鉄路はその3カ月後、前々記事で紹介した打保を含む坂上までが開業。翌1934年10月に高山を含む飛騨小坂~坂上が一気に開業。高山本線は全通した。富山側からも岐阜側からも少しずつの延伸だったが、最後の区間は一気に約60キロも延伸されたことになる

飛騨小坂の駅舎は開業当時からのものというから恐れ入る。平成の大合併まで存在した小坂町の顔として(町内には駅はひとつだけ)として気合が入っていたのだろう。小坂町は林業で大いに栄えただけに町だけにふんだんな木材が凝った形で使用されている

入口の車寄せ部分。木を組み合わせた柱部分は何造りというのか私は分からないが、玄関部分も含め、手の込んだものであることは分かる

屋根の部分は社務所風になっているが、当駅が御嶽山の登山口だったことに基づく

駅前に石碑があるが、御嶽山は霊山でもあることから社務所風の入口となった。開業当時にそういう言葉があったかどうか分からないが、ロッジ風であり、神殿風でもある駅舎だ

紹介が多すぎる

話の順序は逆になるが駅舎内部も紹介しよう。とにかく記することが多すぎる

駅は島式1面2線ホームで地下通路から駅舎に入る形。石積みの土台と木材の組み合わせに細かい作業を感じさせる

こちらは低い位置にあるJRになってからの駅名板だが

古い駅名板もしっかり残されている

駅舎内は駅と町の歴史を紹介するコーナーとなっている

古い写真も飾られているが、よく見れば分かる通り、ここはかつて窓口のあった場所。左の時刻表の場所は手荷物扱いの窓口跡である。一部の特急「ひだ」が停車する駅だが10年以上前に無人化された

と、いろいろ書いてきたが、私の拙文よりも駅舎内にある駅の歴史と特徴で簡潔かつ分かりやすく書かれている。海抜525メートルは駅の位置としてはかなり高い。2駅お隣の久々野駅が高山本線で最も高い676メートルなので、当駅からさらに150メートルも昇っていくことになる

飛騨小坂駅を中心とした小坂森林鉄道は全盛期で60キロ以上もの線路が敷設されていた。旅客も多く、この解説にある通り、SLに携わる必要性もあったのだろうが、18人もの駅員さんがいたというのも凄い森林鉄道は1960年代前半に使命を終えたが、1970年代後半までトラックによる木材輸送が当駅で続けられた

財産票は開業の1年後となっているが、1日3往復の特急も停車するので、うまく時間を合わせれば比較的訪問しやすい。訪問の価値はかなり高い駅である

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