※訪問は2023年4月29日
川の向こうが町の中心
美濃太田のお隣の古井から再び山中に入り、下油井のひとつ手前、白川口で下車。かなりの行ったり来たりとなっているが、ダイヤが薄いのでやむを得ない
当駅は駅名からも想像できるように白川町の中心駅、代表駅。なぜ「口」が付いているのかというと、町の中心地は川を挟んだ向こう側だからだ
徒歩でも十分に行ける距離だが、その中心部も別の川で二分される形となっている。古来からの集落は「水」を求めて形成される。鉄道も基本的には集落や町を追って敷設されるが、川沿いの残り少ない平地部分にレールが敷かれるため、スペースがないと町から見て川の向こうになってしまう。山中を行く高山本線は川とは切っても切れない路線である
1日4往復の特急も停車
白川口には上り4本、下り4本の特急も停車する。2面3線構造。普通は5時台の始発が当駅発で、夕方に当駅折り返しの列車が1本設定されている
ホーム上の待合所には1934年の財産票が記されていた
駅の開業は1926年3月なので大正15年。大正期の最後の年に誕生したことになる。岐阜方面からの線路が、お隣の上麻生からジワリ1駅だけ当駅まで延伸された。1駅だけといっても距離は10キロもあり、その後も駅は設置されていないので、山中ぶりが分かるだろう。終着駅のまま昭和を迎え、さらに先の飛騨金山まで延伸されたのは2年後のことだった
開業時からの駅舎
駅舎は塗装がされ直されたりしているものの当時からの木造駅舎が残る
財産票は1929年。開業から3年間は別の駅舎だったのか。だから駅舎の歴史も「当時から」になる
白川町の簡易委託という形で窓口がある有人駅。朝の6時台に岐阜駅を発ってから4時間を要して初めて駅員さんのいる駅で降りた(鵜沼は早朝で無人状態だった)
駅舎内は観光案内所を兼ねた地元物産品の販売所がある。朝食は5時台だったので、かなり空腹感が増してきたので
地元産のせんべいをいただく。当地はお茶の名産地でもある
一体いつから?の文字も残る駅で
ホーム側の駅名板は歴史を感じる上、微妙に突き出ている「出口」の文字もかわいい
これは跨線橋のもの。それほど特殊な跨線橋ではなく標準的な高さだと思うが、一体いつからのものなんだろう。旅人への気遣いである
駅舎入口は、なかなか見かけなくなった両開きである。さすがに戦前からのものとは思えないが、いつからのものだろう。国鉄時代の写真を見ると木製の扉だったようだが、簡易委託化された11年前からのものかもしれない
再び岐阜方面へと戻る。岐阜方面へは駅舎に面した1番線が使用されるが、特急待避の関係で跨線橋を渡った3番線からの発車でちょっと焦った。そういえば、昨夏に青春18きっぷで高山本線を巡った時に、全く列車のない時間帯に猪谷~高山を特急利用したが、すっかり新型車両に置き換えられている。わずか8カ月前のことだが、時間が流れていることを実感した
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