小和田駅

10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その10 そして駅舎が残った

※訪問は2024年10月27日

※動画あり。音声注意

風格ある駅舎を支える

鉄道ファンを引きつける風格ある駅舎。そんな木造駅舎を支えるように足下にはしっかり点字ブロックが存在するところに妙に感心してしまった。かたわらに放置されているカブとの対比が何ともいえないが、5年前の写真にはなく、見た目とは違い意外と最近になってから置かれたもののようだ。ただ産業廃棄物のようなものを一体誰が何のために、ここに置いたのか?しかもどうやってここに運んだのか?電車に乗せると車掌さんに怒られる。まさか、この山道を延々と運んだのか?

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5年前はできなかったことを…

こちらが小和田駅の時刻表。10時11分に到着して11時16分の天竜峡行きで飯田方面へと戻る。戻らないと次の列車は3時間半後。次も2時間半ない。天竜峡~中部天竜の長野と静岡の県境区間はとにかくダイヤが薄いので、さすがに時刻表の見誤りは許されない。実は金野から当駅への道中で行き違い列車に遅れが出ているとのことで10分近く遅れたが、元々1時間の滞在時間があるので影響はない。5年前は豊橋方面から13時19分着の電車で来て同42分で戻るという楽々コースを利用。駅が駅だけに20分の滞在では物足りなかったので本日は周辺も見てみよう(ただ5年前は20分で良かったといえば良かった。それについては後述)

一躍「時の駅」に

駅名標の隣には「恋成就駅」の木柱。説明するまでもないが、当駅は1993年(平成5)のロイヤルウェディングの際、一躍時の人ならぬ時の駅となった。当時皇太子妃となった雅子さまの旧姓は「小和田(おわだ)」で厳密には違うが、漢字が同じということで多くの人が押し寄せることとなった。今のようにネットがある時代ではなく情報の拡散は遅いはずなのに、多くの人がやって来る映像が連日ワイドショーで報じられた

かなり色あせてしまったが「愛」と記されたベンチが登場。ここに座るためにこぞって人がやって来たが、今は汚れが目立ち座るには勇気が要りそうだ

探索開始直後に足がすくむ

ここから少し歩くとお茶の廃工場と廃屋がある。5年前は時間がなく行けなかったので、今日は行こうと、このベンチ前を通り過ぎようとした瞬間のことだった。目の前の小径を悠然とヘビがニョローリ。灰色のサイズ大のもの。これには足がすくんでしまった。慌てて駅舎へと戻る。駅舎には「ヤマビル注意」の看板も掲げられている。実は5年前に来た時は、ちょうど雨というタイミングもあってか、空中を舞う虫が凄かった。トンボや蝶のような優雅なものではない。どちらかというと人間にまとわりつく系統のものだ。6月終わりなので、もちろん半袖である。これには参った。人の営みも全くなくなった山中。大型の哺乳類だけでなく昆虫もは虫類も生息するのは当然なのだが、いきなり都会から放り込まれると、こういうことへの対応力はゼロである。現在はプラチナきっぷと化している秘境駅号は現在、春と秋のみの運行。以前は8、9月の夏も運行があったが、いつの間にかなくなった。もしかすると生物の活動が影響しているのかもしれない

ということで駅舎でおとなしくすることに。当駅で結婚式を挙げたカップルの写真が飾られている

今はオフィスでもなかなか見られなくなったデスクとパイプイス。立派な駅ノート入れがある

古い駅名標も残されている

特急「伊那路」が通過。駅舎と良い並びだ。考えてみれば私にとってはテレビに映る騒ぎは昨日のことだが、現在35歳以下の人にとってはリアルタイムで体験していない歴史上の事実でしかない。ただ歴史がこの駅舎を残したことは、まぎれもない事実だと思う。ロイヤルウェディングがなければ、おそらく駅舎は残らなかっただろう。もちろん核となる小和田駅の駅舎がなければ秘境駅号も運行されていない。なぜこんなところに駅があるのかを含め、いろいろな価値を残してくれた駅である

5年前の動画を置いておきます

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その9 5年前の思い出と変化

※訪問は2024年10月27日

5年ぶりの訪問で「あれ?」

いよいよ小和田駅に到着。「いよいよ」と記したのは、この駅が鉄道ファンだけでなく一般的にも認知度の高い駅だという思いがあったからだ

かつては2面の対面式ホームがあったが、今はレールがはがされ棒状化している。当駅には2019年6月にも訪れているので5年ぶりの訪問となるが、ホームに降り立つと金野駅の自転車置き場と同様の違和感があった

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移動した3県境標識

小和田駅は1936年(昭和11)の開業。三信鉄道の一時的な終着駅だった

車では絶対にたどり着けず、最も近い集落までも徒歩で1時間かかる山中の駅として知られる。グーグル地図を拡大しても道は出てこないほどの場所にあるこの駅が、なぜ終着駅となったのかというと、もともとは天竜川に近い場所を線路が走っていて、当時は天竜川を利用した物流の拠点ともなっていた大きな小和田集落があったからだ。だが佐久間ダムの建設のため集落は湖底に沈み、駅が高台に移されたのが1955年(昭和30)。車では行けない駅となった。もっとも当時はまだ「マイカー」の時代ではなく、それなりに駅の意味はあったようだが、周辺に残ったわずかな家も1軒また1軒と減っていき、日常的に使用される駅ではなくなっていった

当駅の特徴のひとつは地図で分かる通り、静岡、愛知、長野3県の県境近くに位置すること。駅があるのは静岡県だが、天竜川の向こうは愛知県で、天竜川沿いまたは線路沿いですぐ長野県に入る

ということでホームの3県境標識(2019年6月の写真)が当駅のウリのひとつ…のはずだったが、この木製の標識が見当たらないのだ。私の探し方が悪いのか、ウロウロしても見つけられない

その代わりなのかホームから駅舎に入ろうとすると

この位置に県境境界駅の標識があった。5年前の写真はこちら

間違い探しクイズのようだが、当時はなかったので、この位置に「移転」したようだ。ホームの木柱が危なくなったのだろうか。細かいことだが、入口の左側にも新たな木の駅名標が置かれている。このような駅は、そう大きな変化はないものと思い込んでいたので、ちょっと面食らった

5年前の貴重な思い出

秘境駅号に乗車したのは、何度も触れているが2012年の11月。そして秘境駅号の停車駅でそれ以降に訪問したのは、この時に同時訪問した中部天竜ぐらいである。メインは解体が決まっていた湯谷温泉駅訪問だったが、少し足を伸ばして小和田まで来た。その時に利用したのが

大阪~小和田の往復乗車券。片道の距離は350キロにも満たず、往復割引の恩恵に預かる距離ではないが、帰路の乗車券は車内で車掌さんから買うしかないので、となると豊橋以降でいちいち係員のいる改札を通らなければならない。日帰りの道程はサクサク帰りたいので、あらかじめ往復で買っておいた。当たり前の話だが、大阪駅の券売機で「小和田」と行先指定すると、ちゃんと買えて、なぜか感動した。ただあらためて眺めると途中下車した新城駅で途中下車印を押されている。その手の作業は駅員さんの仕事を増やすだけなので「途中下車印要らない派」なのだが、駅員さんの仕事として押してくれたのだろう。思い返すと、ここ数年で何も言わずとも途中下車印を押してくれたのは、すべてJR東海の駅である

最近の小和田駅の1日あたりの平均利用者は、ずっと1ケタ。正規の乗車券で小和田で乗降したわけで、駅利用者のカウントにしっかり入れたことに大いに満足したことを覚えている

駅付近の散策をしよう

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